縄文人(見習い)の糸魚川発!

ヒスイの故郷、糸魚川のヒスイ職人が、縄文・整体・自然農法をライフワークに情報発信!

勾玉と太極図(陰陽図)との関係は?・・・白髭神社の勾玉形土鈴

2025年01月28日 07時38分33秒 | ぬなかわヒスイ工房
墨田区の白髭神社で勾玉形の土鈴が売っていると知り、勾玉探偵のコレクションとして注文。
白髭神社に仔細を問い合わせたら、ご神文の三つ巴を勾玉になぞらえた授与品とのことで、古い由緒はないらしい。
 
よく勾玉と巴紋や太極図(陰陽図)との関係を聞かれるが、日本での勾玉はそれらが世に出るよりずっと古く、7,000年も前から柔らかい滑石などで牙状をしたプロトタイプが出土するようになる。
巴紋は弓を射る時に左手首をまもる鞆(とも)を意匠化したといわれ、最古の文献は鎌倉時代の13世紀。
太極図が道教のシンボルとして太極図が考案されたのは11世紀以降。殷代から二匹の魚を対にした青銅器などがあり、太極図も最初は対の魚をイメージしたためか、太極魚と呼ばれたこともあったようだ。
 
未だ中国大陸から勾玉は出土していないが、中国の文献に勾玉らしきものが出てくるのは3世紀に書かれた「魏志倭人伝」で、倭人が魏に「青い鉤状の玉を二枚」を朝貢したとあり、中国人に勾玉をみせたらカシューナッツか?と言われたくらいだから、中国には勾玉の文化がないということ。ちなみに昔の東アジアでは緑は青と認識されていた。
 
もっとも日本でも記紀を読んで「八尺瓊勾玉」を知っていた知識人や、江戸時代の好事家が珍重してが、多くの人からは忘れ去られ、明治以降に皇国史観が広まり、神様が首からさげている宝物と認識されたのではないか?
 
太極図は韓国などの国旗に意匠されたりもしたが、70年代にハワイのサーフブランド「タウン&カントリー」が太極図をロゴマークに取り入れ、ナチュラル指向のヒッピームーブメントの波に乗り、オリエンタルテイストのファッションとして世界中に広まった。
「タウン&カントリー」は、わたしの世代だとサーフブランドというよりは、ファッションブランドとして「タウカン」と呼んでいた。
 
繁華街にパワーストーン屋がでてきたのは90年代くらいからだと記憶しているが、勾玉の文化がない中国人が太極図をイメージしたオタマジャクシ形の勾玉を大量生産・激安販売して広まったので、いつの間にか日本人も「勾玉ってこんなカタチ」と手本にする人も出て、オタマジャクシ形が勾玉のイメージにつながった、と私はみている。
 
遺物にはオタマジャクシ形の勾玉はないので、勾玉と巴紋、太極図は、少なくとも系譜的には無関係ということになりますナ。
 
以上、勾玉探偵からの報告!