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ソ連軍から居留民を守り抜いた将軍・・・「四万人の邦人を救った将軍」群司令官根本博の深謀

2023年08月13日 13時58分03秒 | 記録しておきたいヒト・モノ・本・映画

卓越した戦略と戦術で、終戦の混乱のなか、負け戦に「勝った」稀有な軍人がいた。

寡黙なことから昼行燈とあだ名をつけられた、内モンゴル駐留部隊司令官の根本博中将である。
 
①早い段階でソ連侵攻を予測し、国境付近の居留民を安全圏に避難させた
②2,000名規模の守備隊で10倍以上のソ連軍を足止め
③その間に4万人の居留民を汽車で逃がして早期帰国を実現
④以上を実現するために蔣介石の国民党軍と交渉した
 
根元は「居留民を逃がすまで戦う」という明快な作戦指導をしたため、現地召集の老兵ばかりの守備隊は「お国のため」ではなく「家族を逃がすため」に奮戦した。
 
またポツダム宣言受諾後の武装解除命に従わず、一切の責任は自分が負うと明言し、居留民と将兵の帰国まで防備を固め続けたので、この方面ではソ連軍の乱暴狼藉とシベリア抑留はなく、将兵を含めた40万人の邦人が帰国できたのだが、まるで映画「独立愚連隊」を地で行くような活躍だ。
 
根本の活躍は戦後も続く。
 
蒋介石の信認が篤かった根本は、中華人民共和国の侵攻から台湾を守るための作戦指導を要請され、邦人40万人の帰国を助けてくれた蒋介石への恩義から、違法を承知で台湾に密航する。
 
世にいう「金門島の決戦」で寡兵で大軍を撃破し、中華人民共和国の台湾進攻は頓挫した。これは根元の作戦指導の賜物。
 
ただし根本は非公式の立場なので、台湾人でもその存在を知る人は少ないらしい。
 
勲章が欲しいために「悠久の大義のためなら命は鴻毛のごとく軽し」と将兵を死に追いやった高級軍人が多かったなか、根元は際立って人道主義的だし、戦上手なうえに軍政家としても立派だった。
 
歴史に埋もれさせるには惜しい偉い人。
 
 
 


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