新潟県で発生した鳥インフルエンザで、126万羽もの鶏が殺処分されたとの報道に心をいためる。
そこで柳家小三治が、卵が貴重品だった時代の哀切を噺のまくらで語って語り草となった「玉子かけ御飯」を読みたくなり、講談社文庫「ま・く・ら」をひっぱりだした。
噺に入るまえに日常から落語の世界に誘導しやすい短い小噺をふるのが本来の「まくら」だが、ネタをきめずに高座にあがる小三治の「まくら」は噺とは関係のない日常雑記が多く、お客さんの反応を見ながらネタを決める。
「むかしは玉子なんてぇものは金の宝石でしたよ。
なにかのはずみで1個だけ手に入るってぇとたいへんな喜びようでね、7人家族で平等にわけて食わないといけねぇから、玉子かけ御飯で食うしかねぇの。
どうするかってぇと、ドンブリ鉢に玉子を割ってから、まずお醤油で倍に増やします(笑)
どろんとしたゼリー状態だと均等に分けられないから、箸をつっこむてぇと、水みたくなるまでカッカッカッと情けも容赦もあるもんかってぇくれいにかき回すのよ。
そうですねぇ、20分くらいもかきまわしますってぇとねぇ、さしもの玉子もすっかり諦めて、水みてぇにサラサラになんのよ(笑)ひとりじゃくたびれっちまうから、家族7人で交代して20分!その様子を家族みんなで固唾を飲んで見守ってるのよ・・・」
だいたいこんな感じだ・・・玉子かけ御飯は立派なごちそうです!by小三治。
雑多なお客さんが来て、時間制限のある寄席の「まくら」は5分~10分程度がふつうだが、小三治のファンだけが集まる独演会では「まくら」が延々と20~1時間も続き、「こんなこと喋っているうちに、あたしの持ち時間は残り5分になっちゃいました!」と「まくら」だけで終わることもあり、小三治ファンはそれも楽しんでいた。話芸の達人、小三治の「まくら」の傑作をあつめて出版した「ま・く・ら」はベストセラーになった。
さてさて、わたしは1個の卵を家族でわけあった時代と、好きなだけ食える時代の卵は同じ味?同じ栄養?と愚考する。
「卵は物価の優等生」という言葉が、養鶏家を苦しめ、鶏の殺処分に至る事態の呪縛となっていないのか?
大量生産・大量販売・価格破壊の時代に、小三治の玉子かけ御飯のエピソードを再読すると色々と考えてしまう。これはヒスイ業界も同じ。
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