哲学者の梅原猛さんは糸魚川探訪記で、ヌナカワ姫の伝説を詳細に調べたていたらしい。
弥生文化のイズモ勢力がヒスイ交易権を欲しいがために、縄文文化を継承するヌナカワの里に侵略戦争をして、ヌナカワ姫はその犠牲者だろうと見解をしておられるが、これは戦前までの糸魚川の郷土史家たちの見解と同じで「西頸城郡誌」でも読んだのだろうか?
古い日本の文化をアイヌ語で読み解くなどして言語学者から批判されたこともあったが、梅原さんの文献史学面での公平無私さは評価したい。
しかし考古学面ではムムム!という記述が多く、寺地遺跡も探訪して、ウッドサークルとストーンサークルを併せ持つ稀有な遺跡と書いておられますが、あれはサークル状に繋がっておらず、4本の木柱列と不定形の配石遺構なのですぞw
ヒスイについては、中国の玉文化を「奇しくも長者ヶ原遺跡と同時代のヒスイ文化」と軟玉ヒスイと硬玉ヒスイを混同して書いておられるが、中沢新一著「アースダイバー神社編」のように妄想だけで書いている訳ではなく、国語辞典ほどの厚みがある「史跡寺地遺跡」を読んだ上で、実際に探訪している点も評価したい。竪穴住居の玄関を這って出る時のエビス顔がキュート。
縄文について著作のある詩人の宗左近や岡本太郎なども、「私はそう感じる」と個人的な感想を書いている点は好ましいし、考古学面で多少の勘違いはあってもご愛敬。むしろ異分野からの縄文論は意外性と多様性が得られて面白い。
中沢新一のように史実を切り張りしてつくった創作を、あたかも史実のように断言するのとはレベルが違いますな。
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