神話の研究をしている、奈良在住のいやさか祥平さんの一家を「稚児ケ池」にご案内。
子供連れの奥さんの姿が、往時のヌナカワ姫とダブって見えた。
糸魚川に出雲の八千鉾神が来た時に、「ヌナカワ姫の夫神である松本の神が戦いを挑んだが、破れて首をはねられ葬られたのが将軍塚」というような口碑があり、その類型譚も幾つかある。
また黒姫山山頂に祀られているのが、ヌナカワ彦・黒姫・ヌナカワ姫の三座であり、黒姫はヌナカワ姫の母神、黒姫はヌナカワ姫ともあるので、ヌナカワ姫は女系社会の世襲制の族長ではなかったか?という自説を説明したが、糸魚川市史や青海町史を編纂した郷土史の大御所の青木重孝先生も同じ見解だったようだ。
生まれて初めてイヤリングをつけた祥平さん。共通の友人が多い。
かっての松本は深志と呼ばれていたので、松本の神というのは中世以降の追加と思われ、縄文以来、黒曜石とヒスイを交易していた信州方面の勢力との長年に渡る婚姻関係があったことを示唆しているのでは?
だからヌナカワ姫の子供は建御名方神のみならず、他にもいた可能性は大いにある・・・。
観光客誘致のために70年代から始まった、官民挙げてのヌナカワ姫と八千鉾神のラブロマンスに違和を感じ、本当はどうなのですか?とわざわざ県外から訪ねてくる人が増えているのは、喜ばしい限り。
#悲劇のヌナカワ姫伝説 #ヌナカワ姫には信州の男神の夫がいた
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます