昨年に商品化した「古代風首飾り」は、ありそうでなかった新しい勾玉の仕立て方との反響はあったが、なにか腑に落ちないところがあった。
8㎜玉の時代
最初は勾玉の間に直径10㎜のウッドビーズをはさんでいたので、8㎜、6㎜と小さくしていったらスッキリしてきたが、ここまでに1年かかって変化している。
12月に個展が決まったので、さらなる改善をと丸玉の両端に細長いソロバン玉も入れてみたら、かなり具合がいい。
5㎜玉に変えて、管玉かわりにソロバン玉を追加!本当は弥生時代の首飾りのように、青碧玉の管玉や水晶の切子玉をいれればいいのだが、お世話になっている某大学教授から、購入者が古物と偽って転売する恐れがあるから売っちゃダメ!と釘をさされておるのです(笑)
もっとよくなりそうだぞと、最小サイズの5㎜玉を取り寄せ、木綿紐の太さも変えて組み替えたら大正解だった。
勾玉を魅力的に仕立てるのは、音楽でいったらアレンジに相当する仕事。
これで一応の完成はみたが、それも現時点ではという意味で、来年は変わっているかも知れない。
往年の名曲も時を経て、アレンジを変えて歌い継がれていくのと同じだが、わたしは北斎の浪の描き方の遍歴を思う。
30代のころの北斎は、線描だけで「お化けのQ太郎」が並んでいるような躍動感のない浪を描いていて、巧いとは言い難い。
しかし何十年もかけて浪の躍動感を追求し続け、70代にして「神奈川沖浪裏」にたどり着き、躍動感のみならず、浪の透明感や絵画の物語り性を描くことに成功している。
つまりは北斎という人は、評価や技法に「こだわり」のない人で、現状に満足せずに高みを目指し続ける求道者であり、これが数ある号のひとつである「画狂人」たる所以だ。
北斎が「こだわり」のある人だったのなら、西洋絵画の技法をとりいれたり、「神奈川沖浪裏」の浪の青に、伝統的な「群青」を使わず、当時は輸入品で高価だった、化学合成顔料の「プルシャンブルー」で描いた説明がつかないではないか。
「こだわり」とは、現状維持の状態と私は捉える。古武術の用語なら、動けない・固定化しているという意味の「居付いている」状態。
成功体験にとらわれず、もっとよくなるのでは?と満足することはないから、ヒスイ加工法は固定的ではなく、毎回のように違う。
「古代風首飾り」が、今後どうなっていくのか、わたしにも予測がつかない。だから面白い。
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