よく利用していたコンビニが9月の豪雨災害で閉店して、泥だらけゴミだらけになっては再建は無理かなと思っていたら、何事もなかったかのように復活していて目を疑った。
10月はじめは泥だらけで休業していたのだが・・・
11月後半に復旧したとのこと。オーナーの自宅とお母さんの家も二重被災したと聞くので、お見舞いがてら「寄りそう正月モチ」を贈った。
輪島のあとに珠洲市へ。「いろは書店」さんにモチを持っていったら、わたしが面白いと推薦した「能登怪異譚」が並べられていて、売れてますとのこと。元はいとえば糸魚川の「ブックス・サカイ」のw主任の選書ですぞ。
能登町宇出津で、2月から地元民無料で入浴させていた「湊湯」にもモチを贈る。腰を曲げて薪で風呂を焚いていた高齢のご主人が「雑煮が食えるとは思わんかったわいね!」と、翁面のような顔で相好をくずした。
奥能登から南下して、すっかり暗くなってから能登島に寄ったら、震災以降ずっと閉店していたダイビングショップ「ドルフィン・スマイル」にイルミネーションが点いていて、ご無沙汰していたオーナーのアンさんに最後に残ったモチ一袋を渡して帰ってきた。
外来のボランティアの目からは能登に日常がもどりつつあるように見えても、おめでとうございますとは言えない。被災した事業者たちにとっては貯蓄を取り崩したり、借金をして収入源を復旧したに過ぎず、自宅再建の現実が立ちはだかっているのだ。
能登での活動を終えて帰宅してから、張りつめていた気が緩んでほぼ4日間寝込んだが、疲れだけなら休息すれば日常はもどる。
しかし家と仕事を失った被災者の非日常が、向こう数十年間は続くであろう現実を前にすると暗澹たる思いがする。
夏までは次々とやってきていたNPOボランティア団体も、秋には来なくなり、近くの仮設住宅で炊き出しの案内もなく、蚊帳の外にいるのが自主避難している被災者。
珠洲市でビニールハウスに自主避難している米農家の9人家族のHさんは、損壊した農機具の見積もりをとって営農再開への意欲をみせていた。
ところが震災から1年経とうとする現時点で、個人の努力ではいかんともしがたい水源の復旧工事が計画されてないとあっては、離農して珠洲市をはなれる選択肢が現実味を帯びている。農業委員会や珠洲市農政課は動いているのだろうか?
震災で営農できなくなった農家の苦境を置き去りにして、なにをもって過疎対策というのか?そもそも珠洲市に原発を誘致しようとしたのは、過疎対策ではなかったか?
珠洲市の原発推進派と反対派の震災後のレポートがラジオから流れていた。推進派だった自民党市議の口は重いが、誤った政策だったと認めてはいるようだ。
一方で、原発ができていれば復旧ははやかったハズという推進派もいたが、同じく過疎対策で建設された志賀町の過疎化は相変わらず右肩下がりということや、フクシマの現実を無視しているようだ。
国会質疑で山本太郎議員が「なんで自衛隊を派遣しないんですか!」と語気鋭く質問していたが、ごもっとも。
わたしができるのは漆器を代行販売してお金を渡し、「寄りそう正月モチ」を贈ることくらい。
寄りそう仲間を増やしていくことくらい。
支援物資を持っていきましたぁ!みなさん喜んでましたぁ!と、SNSで自画自賛するボランティアもいるが、わたしはそんな気にはなれないネ。
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