太平洋戦争末期、軽巡洋艦「名取」が、フィリピン東方沖556キロで米潜水艦の魚雷攻撃をうけて沈没した。その生存者200余名が、航海器具・水食糧なしで2週間もの漂流航海をなしとげ、奇跡の生還を果たした記録が本書で、著者は生還者のひとり。
航海といっても二隻のカッター(帆走可能な手漕ぎボート・短艇ともいう)に、定員45名の倍以上の200名が乗船した状態だから、漕いでも帆走しても速度はでない。
奇跡の生還を成し得たのは、指揮権をもつ「先任将校」の小林大尉が、的確な判断と類いまれなリーダーシップを発揮したことによる。
航海器具をもたない小林大尉は、最初に生存者に気象や方角認定の知識をもっている者は遠慮なく申し出ろ、と問い、集めた情報の信ぴょう性を公開討論して、推測航法の確度を高めた。ここが素晴らしい。
階級社会の軍隊では、水兵が将校に「意見具申」するなどあり得ないから、疑心暗鬼の生存者の心理的ストレスはかなり軽減して、集団の心が生還へとまとまったのではないだろうか。
水はスコールだけが頼りの熱帯の大洋で、直射日光をさえぎる屋根も帽子もない過密状態で2週間ちかくも生きていただけでも奇跡だが、15日間の航海でフィリピン群島に到達できると推測した小林大尉の判断は大正解で、漂流13日目にフィリピン近海を航海中の日本船に救助された。
救助後に「名取短艇隊」の誰もが整然と自力で歩いて上陸してきたので、守備隊の陸軍兵がたいへん驚いたそうだ。イギリス海軍やアメリカ海軍の漂流記を読むと、軍紀はなきに等しく、いがみ合ったりして、ヨレヨレになって生還しているのだ。
本書は生還したところで終わっているので、その後の生還者を調べたら以下のことがわかった。
小林大尉と次席将校であった筆者は、報告のために帰国できたが、大部分の将兵は現地の陸戦隊に編入され、再び飢餓のままフィリピン戦で全滅している。その後の小林大尉の消息は不明だが、戦後の筆者はノンフィクション作家となり「先任将校」を出版して、名取短艇隊の偉業が世に知られることになる。
武器をもたない軍艦乗りなので、手榴弾とサイダー瓶の火焔瓶を渡され、地雷を抱いて戦車のキャタピラの下敷きになる人間地雷の要員になったのかも知れない。
戦争の非情と運命の皮肉。こういう人達のことを忘れてはいけない。
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