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8月15日は終戦にあらず・・・40万人の邦人を守るために武装解除しなかった根本博中将の見識と功績

2023年08月16日 07時50分21秒 | 記録しておきたいヒト・モノ・本・映画
8月15日は「終戦記念の日」とされているが、1945年時点で日本の政治家や高級軍人も戦争は終わったと「誤認」していた。
 
しかし15日は玉音放送ポツダム宣言受諾を表明した日に過ぎず、国際法上の終戦は9月2日の調印式からだから、8月15日以降の外地では戦闘が続いており、8月15日は終戦に非ず、無条件降伏を表明した日なのである。
 
8月16日に武装解除の大命が下り、満州の関東軍は素直に従ったことから、ソ連軍による居留民への強姦略奪やシベリア抑留、残留孤児の悲劇が生まれた。
いまいちど内蒙古方面軍司令官の根本中将の功績に触れてみたい。
 
根本中将が武装解除の大命に従わなかったのは、法的に終戦となっていない段階で丸腰になると、ソ連軍から無辜の居留民と将兵を守れず、たとえ法的に終戦であってもソ連軍相手にに国際法や人道主義は通用しないと認識していたからで、この点の理解は日本の政治家以上であった。
 
その立場を肚を割って国民党軍の蒋介石と交渉し、帰国船が出航までは武装解除しないこと、その後に武器弾薬・食料を国民党軍に引き渡す約束を取りまとめた。
 
だから北京から列車にのり、大連から帰国船に乗った在留邦人たちは、三度の食事が与えられた「大名旅行」だったと証言しているので、対外交渉を見事にこなし、列車や食事の手配も行き届いた優れた軍政家だったことがわかる。
 
根本中将の独断専行は、抗命罪に問われる極刑の対象になる。
 
しかしその理由が「たとえわが身は刑場の露となろうが、陛下の臣民を無事に帰国させるため」となれば、誰もが拍手喝采するだろう。
 
将兵を含めたら40万人を早期帰国させた功績はもっと評価されるべきだ。
 
民間人を戦争に巻き込んだサイパンや沖縄戦の軍司令官が根本中将であったなら、どうだったのだろう?現在の日本の防衛問題につき、所見を聞いてみたいものだ。
 
 
 
 


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