勾玉の意味は?と聞かれることがよくあり、そんな時は牙玉説・新月説・釣り針説・胎児説・玦状耳飾りリメイク説など考古学的な諸説を説明した上で、真相は作った人と身に付けていた人に聴くより解らないし、色んな意味が重なっていると思うが、私は胎児のつもりで作っていると答えている。
スピリチュアル系のトンデモ本のような表紙だけど、柳田邦男門下らしき民俗学者?によるヌナカワ姫の研究本。
県外の友人から黒姫山を案内して欲しいと要望が増えてきたので、事前調査とヌナカワ姫伝説調査のために現地に行った。
友人達は悲劇のヌナカワ姫伝説を知る作家、カリスマブロガーさんといった発信力のある人たちなので、古代のラブロマンス一辺倒の昨今のヌナカワ姫伝説に一石を投じて欲しいもんだ。
たまたま登山口の整備をしていた地元の人がいたので声をかけたら、登山道整備のために年間で28回も黒姫に登っている凄い人で、得難い情報を沢山教えてもらった。
標高1220mの黒姫山の登山口は85mの標高にあるので、1135mを登ることを考えれば物凄い体力!しかも73歳!
登山時間は平均して4時間、山頂の雪が溶けて夏山装備で登れるのは6月初旬~11月後半という基本に加え、「最初にヌナカワ姫を祀った神社は橋立村にあり、賑やかになってきたので山頂に祠を移した」「黒姫山に祀るのは、ヌナカワ彦、黒姫、ヌナカワ姫の三座」という口碑そのままを伝承する方だった。
最初に祀られたと伝わる場所に祠が現在もあり、登山口から離れているので教えてもらわないと絶対解らない場所だったのでありがたい。
鳥居の額束には「黒媛」とあった。
残念なことに、この祠と山頂に祀ったご神体の木製のヌナカワ姫像は、3年前に盗まれたそうだ。
黒姫山のある青海地区の神社をしらみつぶしに調べているが、現在は両部神道の影響を受けているものの、当初はほとんどがヌナカワ姫のみを祀り、黒姫山を遥拝できる位置にある。
原初のヌナカワ姫伝説には出雲との関係を伺わせる口碑は皆無で、恐らく弥生時代前期くらいまでは出雲の侵攻を受けず、中期以降に侵攻が始まり、後期に隷属関係となったのではないだろうか。
コロナ自粛が解除したら、まずは登ってみることですな。