フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

2002年12月

2002-12-31 23:59:59 | Weblog

12.2(月)

 昨日、結婚式の帰りに購入した関口夏央の新刊『昭和が明るかった頃』(文藝春秋)を読む。高度成長前期である昭和30年代の時代精神を、全盛期の日活映画を素材にして、「石原裕次郎という物語」と「吉永早百合という物語」をキーワードにして論じた本である。本書には石原・吉永だけでなく、二人とかかわりのあったたくさんの人々が各自の人生を背負って登場する。彼らの人生が交錯する様は、群像ドラマを見ているようで、最後のページまで一気に読んだ。実に面白かった。きっと次の休日にはレンタルビデオ店に行くことになるだろう。

 

12.3(火)

 今夜の「プロジェクトX」はセブン・イレブン・ジャパンの誕生物語(再放送)だった。この番組ではこれまでに電気洗濯機、電気炊飯器、コピー機、ステンレス流し台、男女雇用機会均等法といった戦後の日本人の生活に変革を与えた事物の誕生物語をしばしば取り上げており、それは私にはとても面白い。自分にとって面白いものは学生にとっても面白いだろうと考えて、ビデオに撮って授業で活用などしている。

 

12.4(水)

 今度の金曜日の授業(社会学研究10)で、戦後の歌謡曲にみる「東京」の変容について話をする予定なので、戦後すぐのヒット曲「淡き夢の東京」(藤山一郎)から1980年のヒット曲「TOKIO」(沢田研二)まで、30曲の「東京」をめぐる歌謡曲(上京・望郷・帰郷・放浪ソング)をMDに編集する作業に半日を費やす。去年まではテープで編集していたのだが、テープだと曲の入れ替えや順番の変更が自由にできないので、今年はMDで編集することにしたのである。

 

12.5(木)

 教育学専修の女子学生4人が私の授業(本日7限の「社会・人間系基礎演習4」)を見学させてほしいとやってくる。聞くと沖先生のゼミの学生で、大学の導入教育の実態について調べていて、他学部や他大学の授業にも見学にいくのだという。そういう熱心な学生の申し出は断るわけにはいかない。見学を認める。今日は学生のグループ発表だった。携帯電話をテーマにした発表だったのだが、タイトルが「電話のカフカ」。なんのこっちゃ。村上春樹の新作『海辺のカフカ』をもじったのはわかるが、意味がわからない。う~む、と考えていると、プロローグ担当の学生がしゃべり始めた。うん? 誰かのモノマネでしゃべっている。ドラマ『愛なんていらないよ、夏』の渡辺篤郎かと思って聞いていたが、後で確かめたら森本レオだった。本論を担当した学生たちは真面目に熱っぽく語ってくれたが、エピローグにまた最初の彼が登場してきて、今度は『プロジェクトX』の田口トモロヲのモノマネでしゃべった。4人の見学者、笑っている。何かの参考になっただろうか。

 

12.6(金)

 帰りがけに地下鉄早稲田駅そばのレンタル・ビデオ店「名画座」で、石原裕次郎主演「憎いあんちきしょう」、小林旭主演「ギターを抱いた渡り鳥」、大島渚監督「日本の夜と霧」を借りる(3本3泊4日で600円)。数日前に読んだ関口夏央『昭和が明るかった頃』の影響である。夕食後、さっそく「ギターを抱いた渡り鳥」を見る。

 

12.7(土)

 早稲田大学人間総合研究センター主催のシンポジウム「支える身体、支えられる身体」に出席。会場は国際会議場の井深大記念ホール。しかし、宣伝不足とあいにくの雨で広い会場に来場者はまばらである。けれどある先生に言わせると昨年のシンポジウム(私は欠席)よりましであるとのこと。そうなのか、やれやれ。

 

12.9(月)

 教員ロビーで道場氏、入江氏と来年度の『社会学年誌』の特集「社会学者と社会」(仮題)の相談。道場氏が「新明正道」、入江氏が「高田保馬」、私が「清水幾太郎」を取り上げる。定期的に3人で研究会を開いて議論を深めていくことにする。

 

12.10(火)

 専攻専修主任会で来年度の大学歴の件で質問する。授業の回数は前期15回、後期15回の通年30を「最低」として、それを下回った場合は補填することという通達がある。しかし、前期の授業開始は4月14(月)で授業終了は7月17日(木)となっている。したがって金曜と土曜の授業は最初から他の曜日の授業よりも1回少なく設定されている。これに4月29日(火)、5月3日(土)、5月5日(月)の祝日が加わる結果、前期の授業回数は月曜13回、火曜13回、水曜14回、木曜14回、金曜13回、土曜12回となる。試験を授業期間中の教場試験ではなく、期末試験でするとして、その期末試験も授業回数に含めたとしても、規定の「15回」をクリヤーできるのは水曜と木曜の授業だけである。つまり前期15回の授業など構造的に不可能なのである。なぜ不可能なことを大学は教員に求めるのか。そういうことを質問した。教務主任の回答は要領を得ないものであった。おそらくこういう質問はしてはいけない約束になっているのであろう。

 

12.11(水)

 蒲田駅ビルの「TSUTAYA」に今度の金曜の「社会学研究10」の教材を作るための材料(「東京」関連の歌を入ったCD)の調達に行く。先週の授業では1980年代までの「東京ソング」を扱ったが、90年代以降の「東京ソング」については学生にアンケートを取り、そのデータをもとに今週の授業で紹介することになっているのだ。桑田佳祐の『東京』、くるりの『さよならストレンジャー』など計8枚のCDを借りて帰り、教室で流す曲をMDに編集する。

 

12.12(木)

通勤電車の向かいの席の人が広げていたスポーツ新聞に、鶴田真由(32)と本上まなみ(27)それぞれの結婚を報じる記事が載っていた。私は2人のファンである。ドラマは必ず見るし(最近では鶴田が『サトラレ』、本上が『天国への階段』)、2人の書いた本も読んでいる(鶴田の『晴れのち晴れ』、本上の『ほんじょの鉛筆日和』)。ファンとして2人の結婚を祝福したい気持ちはやまやまだが、なにも2人同時に結婚することはないじゃないか。結婚相手は鶴田が34歳の美術家、本上が45歳の雑誌編集者である。34歳はいいとして、45歳とはなんだ! 私と3つしか違わないじゃないか! なんだか悔しい。

 7限の社会・人間系基礎演習4はグループ発表が3つ。やり直し組が1つと延期組が2つ。いわば問題児グループであるのだが、それぞれに気合の入ったいい報告だった。

 

12.13(金)

 今年の学部の授業は今日が最後。「社会学研究10」では90年代以降の「東京ソング」を取り上げる。曲を流しながら解説を加える。さながらDJのようであった。「社会学演習ⅡA」ではキャンパス内をフィールドワークして暗黙の規範を探した。その後、研究室で卒論指導を一件と進学相談を一件。夜、演習のコンパに出る。

 

12.14(土)

 古本屋で買った本を読むために喫茶店に入る。クリームソーダを注文しようとして、「クリームソーダ」という言葉が出てこない。度忘れしてしまったのだ。苦し紛れに「メロンソーダにアイスクリームがのったやつを」と注文する。ウェイトレスがにっこり笑って「クリームソーダですね」と言ったので、「はい、それです」と答える。クリームソーダを飲みながら伊藤整の評論「逃亡奴隷と仮面紳士」を読んだ。伊藤は多産の小説家であり評論家だが、その多産の秘密がわかった。それは結論が出てから書くのではなくて、書きながら考えるという彼の方法にあった。

 「その二年半ほどの間に、考えられる種々な疑いを、私は考えられるいろいろな機会、評論、批評、合評会、座談会、短文、小説などで扱って見た。それは自ら疑問を出して見て、そして考える私の方法だった。そして、去年の末ごろから、それに答える形の評論風のものを書き出した。・・・・そして私は、書いて行きながら、その各部分を諸雑誌に発表して、原稿執筆の責を果たすよすがにした。・・・・私は一度雑誌に発表した部分も、次の原稿においては書き改めて再び取り上げたり、また本の形にまとめるに当たってはさらに加筆や削除を、相当の範囲で行った。私は書きながら考え、考えが変わるとまた同じ問題を別な風に書いた。この期間に発表した私のいくつかの文章が、同じ問題を別な風に解釈し直したり、重複していたりするのは、以上のような、進行中の仕事の各断片を、全体が完成しないうちに発表するという無理から起こった。」

 

12.15(日)

 年賀状を書く。私の年賀状の形式はこの19年間(結婚以来)ずっと同じだ。上半分は妻が作成した絵柄で、下半分は歳時記から引いてきた俳句と数行の私信だ。今年の俳句は久保田万太郎の「読初や露伴全集はや五巻」に決めた。積読の山ばかりが高くなりがちなことへの自戒を込めて。

 

12.16(月)

 ラオックス蒲田店で安価なノートパソコンを購入。最近、私の書斎に入り浸ってインターネットにはまっている娘への誕生日+クリスマスのプレゼントである。早速、セットアップしてインターネットに接続してみると、私のパソコンよりずっと快適である。これでは主客転倒ではないか。私のパソコンを娘にあげて、これを私が使いたくなった。(後記:この希望は妻と娘によりたちどころに却下された)。

 

12.17(火)

 今日の教授会も実に長い。午後2時半に始まって6時になってもまだ終わらない。議題が多く、議論が紛糾した議題があったためだが、もう1つ、時間がおしていることを考慮せずにどうでもよいことを細々と報告する人たちが多いということにも原因がある。おそらく事前にメモを用意されてきたのであろうが、項目ごとに優先順位を付け、時間にゆとりがない場合は、臨機応変に、重要度の低い項目は省略し、重要度の高い項目に絞って報告してほしいものだ。この程度のことはゼミで発表する学生たちでもやっている。幸いにして、私は6時から、先週の一斉仮指導を仕事の都合で欠席した学生と会う約束があり、教授会を中座することができたが、後で聞くと、会議は7時半まで続いたそうである。拷問以外の何ものでもない。

 

12.18日(水)

 今日は卒論提出の最終日である。夜、指導している学生の1人から、ミスがあって卒論を受理してもらえなかったというメールが入る。製本せずに提出しようとしたらしい。事務所の人から指摘されて、あわてて近所の業者に製本してもらったが、期限の午後5時を30分ほど過ぎてしまったのだそうだ。卒論の提出期限は大学の中でもっとも厳格な規則である。気の毒だが私にはどうすることもできない。

 

12.19(木)

 琉球大学の多田治氏の博士論文の公開審査会に出席。主任審査委員の佐藤教授から司会を依頼され面食らう。論文題目は「沖縄イメージの誕生―沖縄海洋博と観光リゾート化のプロセスー」。「基地の島」と「観光の島」という沖縄をめぐるイメージの二重性に着目し、1975年の沖縄海洋博がそうしたイメージの創出に文化装置として働いた過程を分析した論文である。主として審査員の長谷教授、長田教授と多田氏との間で、論文のキーワードである「エピステーメー」という用語の使用法をめぐって、それから「基地の島」=現実領域、「観光の島」=幻想領域という見方の妥当性(前者もやはり幻想領域ではないのか)をめぐって質疑応答が行われた。所要時間1時間半。博士の誕生である(手続きとしは、このあと学位委員会と教授会の承認を経なければならないが、審査委員会の決定が覆されることは99%ありえない)。

かつて文学博士とは一人の学者のライフワークの集大成的著作に対して与えられるものという通念があった。博士課程の在学中に博士論文を書くことはありえず、博士論文の執筆は50代か60代、博士論文を書かずに定年退職を迎えることも珍しくなかった。しかし、この10年ほどの間に情勢は大きく変わった。博士課程在学中から博士論文の準備に取り組み、博士課程終了(中退)後10年以内に、つまり30代で博士論文を書くことを奨励する雰囲気が定着した。これを「課程博士」と呼び、従来の「論文博士」と区別している。「論文博士」が伝統的な博士論文の「ライフワークの集大成」というイメージを保持しているのに対して、「課程博士」は「研究者としての出発点、あるいは最初の到達点」という認識である。博士論文の敷居が低くなったとも言えるし、本来のあるべき姿になったとも言える(修士課程では修士論文を書くのだから、博士課程では博士論文を書くべきだ)。

ところで私だが、まだ博士論文は書いていない(社会学専修の教員12人中、博士号をもっているのは佐藤先生、那須先生、森先生、土屋先生の4名である)。私にとっての博士論文のイメージは従来の「ライフワークの集大成」なのだが、時代の流れの中でそのイメージにいつまでも固執しているわけにはいくまい。私はこれまで二度、博士論文の審査委員を務めたことがあるが、博士号をもっていない者が博士論文の審査をしてもよいのかという疑問を感じざるを得なかった。また、今後、私が指導教員である大学院生たち(まだ修士課程だが)もいずれ博士論文に取り組むことになるであろう。というわけで、私もそろそろ博士論文を書こうかと考えている。といっても、50枚、100枚の論文とは違って、その10倍にはなろうから(とくに分量の規定があるわけではない)、1、2年で書けるものではない。そうですね、2007年を目処にしましょうか。あと5年。で、なんで2007年なのかというと、私の取り組んでいるテーマはーこのホームページのコンテンツの1つにもなっているがー「清水幾太郎と彼らの時代」で、その清水幾太郎(社会学者)の生年が1907年。つまり2007年は彼の生誕100年にあたるのである。以前は彼の没後10年にあたる1998年を目処にしていたのだが、ウカウカしているうちに過ぎてしまった。だから次は生誕100年。これを逃すと次は翌年の没後20年(2008年)だが、「生誕100年」と「没後20年」ではインパクトが違う。もっとも清水幾太郎は「忘れられつつある思想家」だから、「生誕100年」と言ってもそれほどインパクはないかもしれないけれど。

 

12.20(金)

 9月まで一緒に教務をやっていた草野先生、兼築先生、宮城先生と神楽坂のイタリア料理店で忘年会。食前酒によせばいいのに苺ジュースのシャンパン割りを口当たりのよさに惹かれて飲んだら(私は下戸である)、いっぺんに回ってしまい、コース料理の途中で何度か居眠りをした。

 帰宅すると、2年前に文学部をご退職になった秋元律郎先生(現在、大妻女子大学教授)から新著が届いていた。『現代都市とエスニシティ シカゴ学派をめぐって』(早稲田大学出版部)。先生はいま71歳。年賀状に「お元気ですか」と書いて投函したばかりだが、「お元気ですか」どころの騒ぎではない。

 

12.12(土)

 目が覚めたらお昼だった。外は雨で、しかも寒い。今年一番寒いのではないか。おまけに風邪気味である。今日は卒業生の写真展、二文生の卒論指導、早稲田社会学会の研究例会に行く予定だったが、すべて取り止めて、終日、自宅で過ごす。橋本妙さん、松尾愛さん、長谷先生、ごめんさない。

 

12.22(日)

目が覚めたら午後2時だった。いけない、いくらなんでも午前中に起きなくては。一年の疲れが出ているのだろうか。朝飯(池波正太郎風に言えば第一食)を食べがてら散歩に出る。近所の「やぶ久」ですき焼きうどん(900円)を食べてから、「書林大黒」の店頭の100円均一コーナーを覗く。100円だと購入しようかどうしようかで迷わずにすむ。だって100円ですよ、100円。結局、6冊購入。

(1)山根一眞『スーパー手帳の仕事術』(ダイヤモンド社、1986年)

手帳というものが好きだ。もっとも私は山根の推奨するフィイロファクス(システム手帳)は分厚くて好かない。やはり手帳は上着の内ポケットに入る、携帯性のよいものがよい。私は大学から支給される能率手帳を使っているが、これはスケジュール管理用で、これとは別にもう1冊、文庫判サイズのメモ重視の手帳を記録用(おもいつきメモや日記の下書き)に使っている。

(2)安原顕編『私のワープロ考』(メタローグ、1994年)

ワープロの出現によって私は悪筆のコンプレックスから解放された(100%ではないが)。私はほとんどすべての文章をワープロで打っている。人類最高の発明の1つであると思う。編者の通称「ヤスケン」は突如として村上春樹の悪口を書くようになった編集者。

(3)大橋巨泉『巨泉 人生の選択』(講談社、2000年)

日本のテレビ番組の歴史を語るときに大橋巨泉という人物は欠かせない。彼は1934年の生まれで(石原裕次郎や今上天皇明仁と同じ)、終戦のときは小学校の最終学年であった。「叩きこまれた皇国史観がまったくの嘘であり、誤りだったことを知ったとき、すべての権威を否定することからしか、再出発できなかった」。戦後の世代というとすぐに団塊の世代(1940年代後半生まれ)を思い浮かべるが、団塊の世代が社会の表舞台に登場してくるのは1960年代後半から70年代前半(高度経済成長後期)である。1950年代後半から60年代前半にかけての高度経済成長前期(戦後日本の青春期)の活気に満ちた時代を牽引したのは大橋巨泉たちの世代だったのであり、その裏切られた心情に由来する「権威への反抗」「日常の否定」は当時の石原裕次郎や小林旭が主演した日活映画の基本的テーマであった。

(4)村田基『フェミニズムの帝国』(早川書房、1988年)

フェミニズムの評論かと思ったら、近未来パロディー小説だった。

(5)柴田徳衛『都市と人間』(東大出版会、1985年)

「田園都市」というものに関心がある。故郷をもたない都市生活者によって美化された「田舎」が「田園」であるが、その「田園」と「都市」という相反するものを融合させたのが「田園都市」である。「田園都市」のアイデアが日本に紹介されたのは明治40年代のことであるが、それは大正7年に渋沢栄一の提唱で生まれた田園都市株式会社によって実現される。私は高校時代、目蒲線で通学していたとき、窓外に広がる「田園調布」の美しい街並みを羨望のまなざしでながめていた。「田園調布に家が建つ!」は80年代に人気のあったセントルイスという漫才コンビの決め文句で、成功の証であった。

(6)野口悠紀雄『シンデレラのパソコン「超」活用法』(1997年)

野口の「超」シリーズは新刊本で買おうとは思わないが、100円ならいいかなと。

以上の6冊をもし定価で買ったとしたら8300円である。それが600円(7.2%)で買えるのである。いま、巷では「100円ショップ」なるものが繁盛しているが、古本屋の店頭は昔から「100円ショップ」である(「50円ショップ」のときさえある)。

 

12.23(月)

天皇誕生日。しかし、もう大学は冬休みですから、天皇誕生日の恩恵はありません。散歩がてら古本屋(「書林大黒」と「南天堂」)に行って、また100円本を買い込んでくる。出版年順に並べてみよう。

(1)永井陽之助『平和の代償』(中央公論社、1967年)

吉野作造賞受賞の論文集。1960年の安保闘争が「民主主義の勝利」という美名の実質的敗北に終わった後、米ソ二大強国の「核」の存在を前提としない「非現実的」な外交論議は論壇から消滅した。

(2)高橋義孝『蝶とネクタイとオムレツ』(文化出版局、1978年)

ドイツ文学者にして横綱審議委員の洒脱な随筆集。

(3)井上澄夫『歩きつづけるという流儀』(晶文社、1982年)

1945年生まれで、一橋大学社会学部を卒業し、67年からべ平連の運動に参加し、その後、公害輸出反対運動や反核・反安保闘争などの市民運動の現場を歩き続けてきた著者の10年間の活動報告。

(4)山崎正和『柔らかい個人主義の時代』(中央公論社、1984年)

たぶんこの本はもっている。しかも古本屋で購入したものを。70年代の消費社会(脱産業社会)の中での大衆の変質(硬い自我の個人主義から柔らかい自我の個人主義へ)を論じた論文集。

(5)板坂元『知的仕事の技術 遊びの技術』(文化創作出版、1988年)

渡辺昇一の『知的生活の方法』がベストセラーになったのは70年代後半であったろうか。板坂元も「知的生活」派の売れっ子の一人であった。この本の出版は1988年。副題には「ガムシャラ人間はダメになる」。この3年後、バブル経済が崩壊し、日本は現在にいたる長い低迷の時代に入っていくのである。

(6)稲村博『若者・アパシーの時代』(NHK出版、1989年)

「アパシー」とは「無気力(症)」のことで、著者は「思春期挫折症候群」という概念を提唱したことがある。

(7)柄谷行人+岩井克人『終わりなき世界』(太田出版、1990年)

2人の対談はバブル崩壊前年の90年に行われたのだが、柄谷が「率直に言って、どうなんでしょう。90年代の恐慌は。」と尋ねたのに対して、岩井が「90年代も大きな恐慌はないと思いますよ。待望はしているけどね(笑)。」と答え、柄谷がさらに「クラッシュはないけれども、リセッションはあるんじゃないかな。」と言うと、岩井は「リセッションはもう世界的に始まりつつあるんじゃないかなと思いますよ。日本の場合は、現在の『いざなぎ景気』を上回る持続力をもつかどうか騒いでいるわかで、まだ大丈夫みたいだけれど・・・・」答えている。政治学者(評論家)はベルリンの壁の崩壊やソ連の解体を予測できなかったし、経済学者(評論家)はバブル崩壊を予測できなかった。その彼らがいまでも論壇で政治を論じ、経済を論じている。一体、社会科学にとって「予測」とは何なのだろう。

(8)吉田秀和『このCD、このLD』(新潮社、1992年)

もっとも信頼している音楽評論家のCD選。

(9)北川晶弘+T・P・ランキング編著『アイドル探偵団‘96』(宝島社、1996年)

96時点での人気アイドル111人の写真とプロフィール、そしてアイドル論。アイドルは時代の鏡です。

(10)石坂晴海『不倫を選んだ女たち』(扶桑社、1996年)

まず断っておくが、私は不倫はしたことはないし、できるとも思ってないし、したいとも思っていない(たぶん)。しかし、不倫は恋愛至上主義の一夫一婦制社会において必然的に生じる現象である。

以上で1000円。定価で買ったとしたら9060円である。

 

12.24(火)

 クリスマスである。クリスマスであろうとなかろうと、一日一度の散歩は欠かせない。そして散歩に出るとどうしても足は古本屋に向いてしまう。今日は線路沿いの「一龍書店」に行った。店の外の均一本コーナーで、100円本を10冊購入。「一回の支払い金額が1000円を超えないこと」というのが100円均一本を物色する際の私の掟である。そうしないと本の量がとんでもなく増えるし(家人の感覚ではすでに「とんでもない」のだが)、割安感もなくなってしまう。で、今日の収穫は以下の10冊。

(1)現代日本文学全集34『加能作次郎・葛西善蔵・牧野信一・嘉村礒多集』(筑摩書房、1955年)。

かつて主要な出版社が競って文学全集を売り出した時代があった。「文学」への愛着と「教養」への憧憬がいまだ残っていて、自宅の書棚に文学全集を揃えるという「みせびらかしの消費」を行うことのできる程度の「経済的豊かさ」を人々がやっと手に入れた時代だった。いまそうした文学全集の端本が100円で手に入る。文学全集のよいところは装丁が立派で、年譜や解説もしっかりしていていること、そして現在文庫本では読めなくなった作家たちの作品を読むことができることである。この巻には「私小説作家」と呼ばれる作家(しかし志賀直哉のような巨匠ではない作家)たちがまとめられている。

(2)エーリッヒ・フロム『希望の革命』(紀伊国屋書店、1969年)

 1969年は東大安田講堂の攻防戦があった年(=東大入試が中止になった年)である。学生運動はこれをピークに衰退に向かい、それから3年後の連合赤軍浅間山荘事件で世論の支持を最終的に失うに至った。革命の挫折の時期に『希望の革命』は読まれたのである。

(3)エレン・モーガン『女の由来』(二見書房、1972年)

よくわからないけれど『裸の猿』のデスモンド・モリスの上を行く本と宣伝文句にある。

(4)犬養道子『私のヨーロッパ』(新潮選書、1972年)

教養のある女性がヨーロッパに長期滞在したということ、ただそれだけで本が書けた時代の本である。

(5)加藤秀俊『情報行動』(中公新書、1972年)

   加藤秀俊はありふれた日常生活を素材にして社会学的考察に耽るという私好みの社会学者である。

(6)犬養道子『幸福のリアリズム』(中央公論社、1980年)

   時代時代の「幸福論」に関心があるので。

(7)ジョン・ネイスビッツ『メガトレンド』(三笠書房、1983年)

   未来を予測した本を「未来」の時点から読むという楽しみ。

(8)星野克美『記号化社会の消費』(ホルト・サウンダース、1985年)

   要するに消費社会論だよね。読みやすそうだったので。

(9)津端修一『自由時間新時代』(はる書房、1989年)

自由時間の増大は近代社会の趨勢であるが、増大する自由時間を前にして「無重力」の状態にあるのが現代人であると清水幾太郎が『現代思想』の中で力説していた。

(10)安田雪『大学生の就職活動』(中公新書、1999年)

私はいわゆる就職活動なるものをしたことがない(大学教員の公募に応募したりはしましたけどね)。大学生と日々接する人間として、就活の実態について知っておこうという殊勝な気持ちで購入した、というのは半分は本当で、後の半分はこのテーマで来年度卒論を書く学生を指導するからである。

 

12.25(水)

 事の性質上、詳しくはかけないが、入試関係の業務で一日中拘束された。しかもその業務の通知が届いたのが事務方の怠惰、あるいは箇所間のディスコミュニケーションが原因で、わずか2週間前。私が世話役になっている研究会の予定をすでに入れてしまっていた。その会合には北海道、四国、沖縄、文字通り全国からメンバーが集まってくるのである。日程の変更は不可能。かくして本部キャンパスでの業務の間隙をぬって文学部キャンパスで開かれている研究会に顔を出すという慌しい一日となった(しかも研究会で報告するレジュメの作成で昨夜から一睡もしていない)。夕食は研究会の流れで「五郎八」で。たまたまアルコールを嗜む人は一人もいなかったが、つまみのメニューが美味しそうだったので、枝豆、田楽、湯葉巻きなどを頼む。実際、美味しかった。メインは鴨南蛮うどん。鴨は季節を外すと肉が硬くなるが、いまは鴨肉の旬である。

 帰路、家の近くの夜遅くまでやっている古本屋(ただし漫画中心)「富士書店」に立ち寄る。

(1)山本夏彦『百年分を一時間で』(中公新書、2000年)

今年亡くなった辛口コラムニストの問答集。

 (2)高橋洋子『雨が好き』(中央公論社、1981年)

高橋洋子は小学生の頃から才色兼備で才気煥発な女性だった。見てきたようなことを書くなと言われそうだが、私は実際に見てきたのである。彼女は私の小学校(大田区立相生小学校)の1年先輩で、6年生の彼女が新聞部の部長で、5年生の私が副部長だった。彼女は高校時代に映画『旅の重さ』で鮮烈なデビューを飾り、NHKの朝のテレビ小説『北の家族』のヒロインにもなった。さらに28歳のとき、この『雨が好き』で中央公論新人賞を受賞し、作家としてもデビューした。しかし、その後の活躍に見るべきものは乏しかった。本には彼女のサインがあった。

(3)長谷川慶太郎『日本の時代 90年代を読む』(東洋経済新報社、1988年)

当時売れっ子だった経済評論家が5年先の世界を予測した本。第Ⅱ部のタイトルは「日本の成長と発展は続く」とある。彼にもバブルの崩壊はまったく予測できなかったのである。

(4)柳沢賢一郎『2001年日本はこう変わる』(講談社、1990年)

次世代(第5世代)コンピュータが日本をどう変えるかを12年前に論じた本。清水幾太郎の『現代思想』の中でも60年代を考察する3つのキーワードの1つが「電子計算機」だった(残りの2つは「イデオロギー」と「レジャー」)。

 

12.26(木)

 午前中は昨日に続いて入試関係の業務で拘束される。夕方までかかるものと覚悟していたのだが、思いのほかスムーズに進み、午後早々に開放される。生協文学部店で冬休み中に読むための新刊の小説を中心に数冊購入(私も古本ばかり買っているわけではない)。

(1)池永陽『コンビニ・ララバイ』(集英社)

コンビニが好きなので。

(2)リュドミラ・ウリツカヤ『ソーネチカ』(新潮社)

帯で柴田元幸が推薦文を書いていたので。

(3)吉田修一『パーク・ライフ』(文藝春秋)

芥川賞受賞作で、書評でも評判がいいので。

(4)『小林秀雄全作品3 おふえりや遺文』(新潮社)

第六次の小林秀雄全集。ハンディで発行年月順の編集が便利なので、全32巻購入の予定。

(5)竹田『明治人の教養』(文春新書)

「教養」をテーマにした明治人列伝。とくに安部能成のところを読みたくて。

(6)林道義『家族の復権』(中公新書)

『父性の復権』『母性の復権』『専業主婦の復権』に続く彼の「復権シリーズ」の第4弾である。

(7)上田信道『謎とき名作童謡の誕生』(平凡社新書)

「夕焼小焼」の小焼って何? と帯に書いてあったので、さっそく「赤とんぼ」(♪夕焼小焼の赤とんぼ・・・・)の章を読んだが「小焼」についての言及がない。あれっ? と思ったが、すぐに ♪夕焼小焼で日が暮れて・・・・で始まるズバリ「夕焼小焼」という歌があったことを思い出し、そちらの章を読んだらちゃんと説明があった。上田氏は子供の頃、「小焼」を「小さな夕焼け」、つまりちょっとだけ空が色づいている夕焼けのことを言うのだと思っていたのが、いまでは「小」はリズムを整えるための語で意味はないことを知っていると書いてあった。こういう誤解ってよくあります。私も子供の頃、「仰げば尊し」の♪いまこそ別かれめ~、の最後の「め」を、係り結びの法則(「め」は意志の助動詞「む」の已然形)なんて知らなかったから、「金の切れ目が縁の切れ目」の「目」のことだと思っていた。そらから、これはいまだから告白できるのだが、「君が代」の♪さざれいしのいわおとなりてこけのむすまで~(細石の巌と成りて苔の生すまで~)を、♪爛れ石の岩音鳴りて苔の蒸すまで~、と誤解していて、荒涼とした岩山に大きな音が轟き、あちこちから蒸気が噴き出している情景を頭に描いていた(嘘です)。

 

12.27(金)

 研究室に来るのは今年は今日が最後である。『高見順全集』、『伊藤整全集』、『三木清全集』などダンボール箱5個分の本を宅配便で自宅に送り、本棚の空いたスペースに机上に山積みになっていた本を移す。これでデスク周りはすっきりした。冬休み明けに研究室のドアを開けたときの気分がずいぶんと違うはずだ。しかし、テーブル(研究室には事務デスクとパソコンデスクの他に、部屋の中央に8人が座れる大きなテーブルがある)の上の書類の山(講義資料の残部など)の整理は、少々時間がかかりそうだったので、来年回しにした。冬休み明け最初の授業は、1月9日(木)2限の大学院の演習(研究室でやる)だから、その前日に大学に来てやるとしよう。

6年前、同志社大学から交換留学で早稲田大学に来て、私の2年生の演習に出ていたKさんからメール。彼女は来年5月に結婚することが決まっている。お相手は北海道の大学の講師(専門は社会学)である。最近、単身北海道に行って、お相手の家族・親戚と会ってきたそうである。京都での結婚式には演習のクラスメートを何人か招待するそうで、そこにあげられていたOさん、Aさん、O君、I君の名前を見て、彼らの顔がすぐに浮かんできた。・・・・ところで、問題は、このメールの文面は私も招待されていると理解していいのかどうかということである。こちらから尋ねるのも変だしね。

 

12.28(土)

 昨日大学から発送した本が届いたので、ダンボール箱から出して、書庫の棚に並べる。家を新築するにあたって特注で作った10畳大の書庫であるが、すでに移動式の書架の3分の2が埋まっている。もし大学の研究室にある本を全部もってきたらそれで満杯だろう。私の人生が後何年残されているかは知らないが、本の置き場所には一生悩まされ続けるだろう。

午後、散歩に出ようとしたら、妻から食料品の買物リストを渡される。妻は窓ガラスの掃除に忙しい。掃除を手伝わない夫が散歩に出ようとしているのである。買物を頼まれるのは当然であろう。イトーヨーカ堂の食料品売場には私と同じように買物リストを手にウロウロしている男たちがたくさんいた。同類相憐れむべし。ロースハム(薄切りパック)ときゅうり(3本)を購入。ロースハムは朝がパン食のときの定番だが、妻はパンにはこだわるくせに、ロースハムはぺらぺらの安物で、私は常々それが不満であった。それで今日は奮発して100グラム当たりの価格がいつもの倍のものを購入した。帰宅して恐る恐るそのことを妻に告げると、意外にも妻は「そう」と穏やかな口調で言った。妻の人間としての成長を目の当たりして私は嬉しかった。ところが妻は買物の代金を寄こさない。代金は私持ちということのようだ。悔しいので、さきほど(深夜の2時)ハムトーストを作って(しかもハムを2枚入れて!)食べた。驚いたことに、ふだん食べているものと別段変わらない味がした。明日の朝の食卓で、妻は「ほらね、味は変わらないでしょ」と勝ち誇ったように言うだろう。そして子供たちは心の中で「またお父さんが負けた」と呟くだろう。

 

12.29(土)

 1月11日から公開される映画『運命の女』で、妻(ダイアン・レイン)の不倫に運命を狂わされる男を演じるリチャード・ギア(来日中)のインタビューが夕刊に載っていた。その中でギアが主人公のエドワードについて語っている言葉が印象に残った。「エドワードは、妻を直接問いただしたりしない。彼は、自分の世界は常に安定しており、コントロールできないことは何もないと信じているような男だから」「ところが、波乱は水面下で始まっている。確固たる世界が一瞬で崩れ去るんだ。そのギャップを出すためにも、最初の十五分間はノーマルな男を演じることに集中したよ」・・・・。リチャード・ギアの出演作品は『愛と青春の旅立ち』と『プリティ・ウーマン』と『ジャッカル』の3本しか見たことがないが、なかなか知的な役者なんですね。確かにわれわれはみなエドワードのように、何か事件が起きるまでは、自分の世界は安定していて、自分のコントロールの下にあると思いがちだ。その安定した世界を崩すものは、エドワードの場合は妻の不倫であったが、他の人の場合は自分や配偶者のリストラであったり、家族の病気や事故であったり、子供の非行であったり、失恋であったりする。「お変わりありませんか?」という慣用的挨拶は日常は安定したものであるべきだという思想から生またものであろう。

 

12.30(日)

 ADLSが1月14日に開通することになっているのだが、それに合わせてブロードバンド用に買ったデスクトップ・パソコン(SOTEC社製の安価だがスペックはまずまず)のセットアップをする。ついでに書斎のOA機器の配置換え(書斎には用途を異にする3台のパソコンと2台のプリンターがある)などをやっていたら一日が終わってしまった。しかし、そういう文字通り機械的な作業をやっていると本が読みたくなるという心理が働き、作業の合間に漱石の『心』を読み始めてしまったりする。実を言うと、私はまだ『心』を読んだことがない。漱石は学生時代に『三四郎』と『それから』を読んで、それでもういいような気になってしまったのだ。それがなぜ急に『心』を読む気になったのかというと、高校生の娘が冬休みの課題で『心』を読まなくてはならないことになり、『心』は家にあるかと私に聞いてきたので、書庫から文庫版と全集版(筑摩全集類聚『夏目漱石全集』の第7巻)をもってきて見せたところ、文庫版の方をもっていったので、残った全集版の方をパラパラとやっていたら、これがなかなか面白い展開で(という言い方は失礼か)、そのまま読み耽ってしまったのである。

 

12.31(月)

 今年、研究者仲間と行った「戦後の家族のあゆみ」調査(正式名称は「コーホート間比較による戦後日本の家族変動に関する研究」の報告書を今年度中に出すことになっているのだが、その構成案(A4判5ページ)を作って、研究会のメンバー10名にメールで送る。これが本年最後の仕事なり。いま紅白歌合戦を見ながら(中島みゆきの『地上の星』が終わったところだ)このフィールドノートを書いている。とりあえず始めた「フィールドノート」だが、これで丸二ヶ月続いたことになる。これは私にとってのちょっとしたプロジェクトだ。