6時半、起床。
よく晴れた空だ。
鉢植えの草木に水をやる。紫陽花が咲きはじめた。
ハムトーストと紅茶の朝食。
食後に桜ん坊を摘まむ。
長田弘がなくなった日にネットで注文した『長田弘全詩集』が届いた。ある時期からの彼の詩集はすべて単行本でもっているが、初期の詩集はこの「全詩集」で初めて知った。
夏のサーカスのように、
ぼくたちの青春は 不毛な土地を
巡業して廻っているのだろうか。
ぼくたちは、きっといま
ハードボイル小説みたいに孤独だ。
これは「われら新鮮な旅人」という5頁ほどの長さの詩の一節だ。この詩が収められた長田弘の最初の詩集『われら新鮮な旅人』が出版されたのは1965年、彼が26歳のときだった。1939年生まれの彼は、団塊の世代の若者たちの兄貴にあたる世代の若者だった。もちろん、当時11歳だった私は彼の名前を知らなかった。サーカスは好きだったが、ハードボイルド小説なるものは読んだことがなかった(トリオ・ザ・パンチの内藤陳の「おら、ハードボイルドだど!」のギャグは一世を風靡していたから、「ハードボイルド」という言葉は知っていた)。
言葉をぼくは逆手ににぎる
それがぼくのやり方だ、
夕陽のなかで 魚屋が
かじきを逆手にしっかりとにぎるように
これは「ぼくは借りを返さなければならない」という短い詩の始まりの一節だ。この詩が収められた長田弘の二冊目の詩集『メランコリックな怪物』が出版されたのは1973年、彼が34歳のときだった。私は大学1年生になっていた。その頃、長田弘の名前を知っていたかどうか、記憶は定かでない。しかし、内ゲバで荒廃したキャンパスに立って、大学1年生の私がそこで生き抜いていくための「言葉」(概念やセオリー)を切実に求めていたことははっきりと覚えている。
午後、妻と病院へ母を見舞いに行く。
途中、昼食をとるために「宝来」の暖簾をくぐる。
冷やし中華を注文する。
今シーズン最初の冷やし中華だ。冷やし中華には醤油だれのものと胡麻だれのものがあるが、ここは醤油だれ。私も基本は醤油だれで、たまに胡麻だれも食べたくなる。また、食べるときに具と麺をかきまぜて(渾然一体にして)食べる人とそうしない人がいるが、以前の私は前者で、最近の私は後者。
妹の夫(カツヨシさん)と、一昨日も来てくれた甥っ子のリョウスケもまた来てくれていた。
母はこれまでの4人部屋から個室に移った。
ちょっとすませておかないといけない用事があるので、夕方、いったん家に戻る。
自転車に乗って、再び病院へ。娘もやってくる。娘は午前中に一度来ていて、そのとき相部屋だったAさんにご挨拶したのだが、あとからAさんが私に「とてもきれいなお嬢さんですね。びっくりしました」と言った。「きれいなお嬢さんですね」だけだったらお世辞だと思うが、「びっくりました」というのは本当にそう思っているということだろう。今日の午後、娘は梅屋敷の劇場に知り合いの劇団の芝居を見に来ていて、もしかしたら会場案内係などの手伝いをしている可能性もある。そのため普段より入念に化粧をしていたのかもしれないと思った。しかし、やってきた娘を見ると、普段の服装で、普段の化粧である。いつもの見慣れた娘である。「午前中に来たときはいまと違う服装やメイクをしていたの?」と尋ねると、「ううん、同じだよ。何で?」と言った。う~む、Aさんはこのレベルで「びっくりした」のか。
1時間ほど滞在して帰宅する。帰宅するとき、母はベッドに寝たままの姿勢で、両手をあげてゆっくりと振った。声はもうかすれ気味になっている。
夕食はカレー。カレーだが、カレーライスではない。私と妻がだぶって朝食用のパンを買ってしまったために、せっせと消費しないとならなくなったのである。
食事中に大き目の地震があった。連続する地震や、噴火のニュースは人を落ち着かない気分にさせる。
デザートは病院からの帰りに「藤肥軒」で買ってきた麩饅頭とみたらし団子。
今日、購入した『NHK俳句』6月号。
表紙に印刷された「今月の一句」(櫂未知子選)
地下鉄にかすかかな峠ありて夏至 正木ゆう子
地下鉄の線路にも「峠」のごときものがあるというのはいわれてみるまで気づかなかった。人をハッとさせる句である。いい句というのはそういうものである。「ありて夏至」は「ありて夏」でも5音で収まるが、「峠」と「夏至」の意味連関がこの句のポイントである。