9.15(月)
昼間、散歩に出なかったので、夕食の後、蒲田パリオ5階の熊沢書店に行く。ここは午後10時までやっている。沢木耕太郎の新作『無名』(幻冬舎)と、長谷さんがメールで「もう読まれました。面白いですよ。」と書いてきた田中眞澄『小津安二郎周游』(文藝春秋)の2冊を購入。『無名』は沢木が彼の父親を看取った話が端正な静けさをたたえた文体で書かれている。『小津安二郎周游』は今年が生誕100年にあたる小津安二郎の評伝。評伝とはいっても、「小津安二郎は1903年、東京のどこそこに生まれ・・・・」といった杓子定規なスタイルで書かれたものではない。「小津安二郎は体の大きな人だったといわれる。だがどのくらい大きかったのか、正確なところは詳らかでない。」-これが書き出しである。ね、面白そうでしょ。
9.16(火)
新装なった文学部事務所へ顔を出す。従来の一文事務所に、二文事務所と文研事務所が併合され、「戸山総合事務センター」となったのだ。全体の面積は変わらず、カウンターが前に出た分だけ、学生入口から入ると、空間が手狭になった印象を受ける(カウンターの背後に間仕切りが置かれて、事務所の内部が見渡せなくなったせいもあるかもしれない)。受付窓口は一文、二文、文研できれいに3分割されているが、学生の比率はまったく違うわけだから、混雑時にフレキシブルに対応できるのか心配だ。でも、各窓口に受付担当の女性がこちらを向いて座るバリアフリーなスタイルが採用されたのは喜ばしい。横を向いて仕事をしている人に「あの~」とは声を掛けずらいものだ。午後6時を過ぎて、文学部のスロープを降りるころには、空はもう暗くなっている。日中は暑いが、やはりいまはもう秋なのだ。
9.17(水)
午前中からずっとパソコンに向かって、明日の研究会で報告することになっている英語の論文の翻訳作業。さきほど(午前1時)ようやく訳し終える。肩と背中の筋肉がコチコチである。しかし、まだ推敲の作業が残っている(不明の箇所は適当に訳してあるし、途中で、訳語が変わった単語もいくつかある)。バンテミンを塗って、もうひとふんばりだ。・・・・午前4時、ようやく推敲も終了。おやすみなさい。
9.18(木)
岩波書店が創業90周年の事業の一環として「読書のすすめー読者が選んだ〈私の好きな岩波文庫100〉」という小冊子(文庫版サイズ)を作り、書店のレジで無料で配布している。読者投票で選ばれた100冊のリストと、そのリストをもとにした10篇のエッセーが載っている。エッセーの書き手は、池内恵、奥本大三郎、香山リカ、姜尚中、斉藤孝、斉藤美奈子、立花隆、田中優子、藤原正彦、船橋洋一である。これがなかなか面白い。一般に、読書をテーマにしたエッセーは面白いものだが、今回の場合、「岩波文庫の100冊」という共通の素材を各人がどのように料理するのか、その腕前を比べながら読むという面白さがある。私には最年少(1977年生)の池内恵(イスラム学者)の「書物の運命」が一番面白かった。構成が上手で、薀蓄も深い。名のある先輩諸氏に混じっての抜擢ということで、短い文章だけれど、きっと頑張って書いたに違いない。また、同じ本に対する筆者による評価の違いも面白い。たとえば、斉藤孝は、「読書欲のすすめ」の中で、ロマン・ロランの『ジャン・クリフトフ』について、「高校を卒業して上京し、浪人をしていた頃、毎日アパートのベッドの上で少しずつ読みすすめた。毎晩毎晩寝る前に読んだおかげで、すっかりその世界が自分の中に染み込んでしまった。自己形成をしていくプロセスが克明に描かれていて、胸が熱くなった」と書いている。一方、立花隆は、「非〈読書のすすめ〉」の中で、「いまさらロマン・ロランやヘルマン・ヘッセでもあるいまいという気持ちのほうが強い。特に『ジャン・クリフトフ』は長すぎるから、あんなものに摂りつかれて何日もすごすより、同じ時間を費やすなら、今はもっと現代にふさわしいものにとりくむべきだといいたい」と書いている。冊子が出来上がってから、2人の「タカシ」は互いの文章を読んで苦笑したに違いない。
9.19(金)
有楽町マリオン新館7階の「丸の内ルーブル」で『英雄HERO』を観た。本当は2つ下の階の「丸の内プラゼール」で上映中の『座頭市』を観るつもりで出かけたのだが、蒲田のディスカウントショップで購入したチケットを机の上に置き忘れて来てしまったのである。映画館に着いてからそれに気づき、唖然、呆然、しかる後に憮然として、有楽町駅前の中華料理店で昼飯の回鍋肉を食べているときに、腕時計を見て、いまからなら『英雄HERO』の2回目に間に合うと考え、駅前のディスカウントショップでドリンク付1600円のチケットを購入し、映画館(ただし今度は2つ上の階)に戻ったというわけだ。で、映画の内容だが、ストーリーは単純(しかもクドイ)、テーマは気恥ずかしくなるほど平易(小学校のホームルームのレベル)、ワイヤーアクションは『グリーン・ディスティニー』や『マトリクス』の二番煎じ、映像美は「どうだ、すごいだろ」という感じがカラーフィルムの会社のCFを見ているようだった。評価は★★(満点を★5つとして)。チャン・イーモウ監督の作品は、『初恋の来た道』も、『あの子を探して』も、『至福のとき』も、ストーリーは単純で、テーマは平易なのだが、そういう特性はハートウォーミングな小品だからこそ生きるのであって、今回のような大作にそれを適用すると、金持ちが作った紙芝居みたいになってしまう。
9.20(土)
川崎の「チネチッタ」で『座頭市』を観た。面白かった。以前、『菊次郎の夏』を観たときは、外国の観客(と審査員)の目を、日本人の観客の目よりも優先しているような感じがして気分のしらける場面があったが、今回もそういう場面が皆無とは言えないもののそれほど気にならず、「座頭市」というある年齢以上の日本人なら誰でも知っている時代劇のリメイク、というよりはむしろパロディーを、十分に堪能できた。それにしても、一体、座頭市は何人の人間を斬っただろう。随所に挿入される笑いと涙と演芸は、座頭市が人間を斬るシーンの凄惨さの鮮度を保つためにあるかのようである。その一方で、座頭市が守るべき人間は1人も敵の手にかかることがない。座頭市と入れ違いに托鉢僧姿の一団がおうめさんの家にやってきたとき、私はてっきりおうめと新吉は殺されるものと思った。しかし托鉢僧たちは家に火を放っただけで、すでに座頭市がいないと知ると、無益な殺生はせずに引き上げていくのであった。善玉は殺されず、殺されるのは悪玉だけ。まさに大衆演劇の王道を行くストーリー展開である。ラストの村祭りのタップダンス(!)には、もしかして座頭市もこれに加わるのかと思ったら、さすがにそれはなかった。でも、加わればよかったのに・・・・。そしたら『踊るマハラジャ』になっちゃうか。評価は★★★★。不満があるとすると、敵の用心棒に身を落とした服部源之助の病身の妻(夏川結衣)の存在が希薄であったこと、おきぬ・おせいの姉弟に、敵討ちをちゃんとやらしてやらずに、みんな座頭市が斬っちゃったこと、そしてラストの座頭市が石に躓いて転ぶときの顔のアップのストップモーションに陳腐な教訓的台詞(目が開いてても見えないものがある)が入ること。場内が明るくなったとき、私の後ろの席の若者2人組が、「4はあったな」「5かもしれない」「いや、そこまではないだろう」という会話を交わしていたので、★の数で作品の満足度を語り合っているのかと思ったら、上映の途中で起こった地震の大きさの話だった。
映画館の外に出ると、雨が降っていた。目の前の小さな広場で知らない女性シンガーがテントを張ってフリーライブをやっている。伸びのあるきれいな歌声に傘を片手にしばらく足を止めて耳を傾けた。彼女の名前は拝郷(はいごう)メイコ。こういう場所でフリーライブ(CD即売会)やっているのだから、売り出し中の歌手なのだろう。家に戻ってからインターネットで調べたら、彼女の公式ホームページがあって、1978年の生まれで、出身地は大森、鈴ヶ森中学から都立三田高校に進み、1997年に音楽番組「P-STOCK」でグランプリを受賞し、2001年に「トマトスープ」という曲で待望のプロデビューを果たし、2002年にファーストアルバム「ミチカケ」を発売・・・・とプロフィールが書かれていた。同じ大田区の出身と知って、俄然、親しみが湧く。私の高校時代の友人には鈴ヶ森中学の出身者がいる。親父さんの跡を次いでマッサージ師になったKと、養護学校の先生になったMだ。2人ともいい奴だった。ずっと会っていないが、元気でやっているだろうか。よし、ここは応援の意味で、彼女のアルバム「ミチカケ」を購入せねばなるまいと、インターネットで注文した。そして、おまけに声援のメールまで送ってしまった。
9.21(日)
台風が近づいてきている。一日中、雨が降り、肌寒い。暑さ寒さも彼岸までというけれど、本当だ。「さびしさは秋の彼岸のみづすまし」(龍太)
昨日、川崎の「チネチッタ」に『座頭市』を観に出かけたのは、土曜日なので、都心の映画館は混んでいると思ったからだが、川崎に行ったのはこの前がいつだったか思い出せないくらいひさしぶりのことだった。駅前の大規模な再開発が行われたとは聞いていたが、改札を出て、まずコンコースの立派なことに驚いた。天井がもの凄く高く、しかも天窓になっていて、どこか外国のターミナル駅のようである。地下街も、これは歩き回ってはいないが、相当に広い様子だ。チネチッタは東口を出て5分ほど歩いたところにある、なんというのだろうか、ディズニーランドの中の街角の1つをそのまま持ってきたような、映画のセットのような空間で、12のスクリーンがあるシネマコンプレックスを中心に、レストランやショップから構成されている。昔、ミスタウンと呼ばれていた映画館街を再開発したものらしい。チネチッタの近くには、昔ながらの立派なアーケードの商店街もあり、映画の後、昼飯はその中の「天龍」という中華料理店で食べた(チネチッタの洒落たレストランは1人で入るところではない)。お客で一杯だったので入ったのだが(初めての場所では混んでいる店に入ればまず間違いはない)、どのメニューも安く(たとえばラーメンは360円)、私が注文したチャーシューメン(600円)もチャーシューメンとしては安いだろう。混んでいる理由の半分はこの安さにあるのだと納得した。本当はチャーハンも注文したかったのだが、ロの字型のカウンター席だけの店内で1人で2品注文している客はいないようだったので、みんなの視線を浴びるかもしれない行為は慎んだ。その代わり、食後、向かいの「ドトールコーヒー」では、ホットコーヒーにアップルパイを1つ付けた。購入したばかりの『座頭市』のプログラムを隅から隅まで読んでから、店を出て、オープンしたばかりだの「ダイス」デパートに入っている「あおい書店」に行ってみた。広いとは聞いていたが、本当に広い。八重洲ブックセンターや渋谷のブックファーストも広いが、あれはビル全体が本屋なわけで、ワンフロアーだけの店舗としては私がこれまで行った中で一番広い。富士の樹海みたいに広い。もし誰かと一緒に来て、はぐれてしまったら、再会するのは難しいのではなかろうか、というのは冗談だが、小さな子ども連れの場合はまじめに要注意だろう。文学全集のコーナーに『新版 志賀直哉全集』(一番新しい編年体形式の全集で、新字体で、読みにくい漢字にはルビが振ってある)を見つけたときはハッとした。あれ、これって、全巻予約購読ではなかったのか。バラでも買えるのか(小説・随筆は1巻から10巻までで、11巻から16巻までは書簡、17巻から21巻までは日記、22巻が人名索引等)。だったら、1巻から10巻までを購入しようかなと真剣に考えた(志賀の全集は旧版で所有しており、書簡と日記はそちらでも、当然、編年体形式だから)。しかし、雨が降っているし、古本屋にあたってからでも遅くないはないと思いとどまった。購入したのは、NHKブックスの井田茂『異形の惑星』と、講談社現代新書の池内恵『現代アラブの社会思想』の2冊。どちらも蒲田の本屋で探したが、みつからなかったもの。NHKブックスや講談社現代新書を置いていない本屋はないのだが、シリーズの冊数が多いから、実際には目当ての本がないこともよくあるのだ。文庫や新書や叢書で見つからないものがあるときは、ここに来ればいいかもしれない。
蒲田から川崎へはJR京浜東北線でわずかに1駅なのだが、通勤とは反対方向であること(定期券が使えない)、川向こうであること(多摩川を間に挟んで蒲田は東京都、川崎は神奈川県に属する)が心理的バリアとなって、これまで縁のない街であったが、かくのごとき映画館と本屋と商店街があるとなれば、もう話は別である。とにかく自宅の玄関を出てから30分後には映画館のシートに座っていられるというのは素晴らしいことだ。
9.22(月)
午後から調査実習のケース報告会。午後1時から(正確には、昼飯を食べていない学生が数名いたので、急いで食べてくるように指示をして、1時半ごろから)始めて、途中2回の休憩を挟みながら、8時までかかって9ケースの報告をこなした。終わったときはみんな腹ペコである。「太公望」にくりだす。二文の学生担当教務主任をしていた頃は、よく行ったものだが、久しぶりである。あいかわらず料理の味はいいが、中国人の主人が中国人の使用人(よく替わる)を叱りつけている(あるいは教育している)姿もあいかわらずである。初めて目にする学生たちは、一様に吃驚する。私は聞こえない振りをしている。支払いのとき、主人から「学生たちは1年生か」(全員ウーロン茶を飲んでいたのでそう思ったのだろう)と聞かれたので、3年生なのだが面倒なので「そうだ」と答えると、「日本の大学生はお酒を飲みすぎるよ」と主人は言った。報告会は明後日、明々後日も引き続き行う。
9.23(火)
大学院の修士課程の入試。昼休み、教員ロビーで支給の弁当(五目おこわ)を食べていたら、心理学の豊田先生が向かいの席に「よろしいですか」と言って座られた。顎鬚をたくわえられている。「お髭が・・・・」と私が言うと、「無精髭です」と言われた後に、「プロレスにデビューするつもりかと聞かれます」と言って笑われた。確かに五月人形のショウキさんに似ているなと心の中で思ったが、口には出さずにおいた。ひとしきり髭談義が続いた後に、ちょっと唐突な感じで、「夏休みは何か映画をご覧になられましたか」と質問されたので、最近観た順に、『座頭市』と『英雄HERO』と『踊る大捜査線THE MOVIE 22』の名前をあげると、豊田先生もその3本はご覧になっていて、さらに私の観ていない『ターミネーター3』や、『トーク・トゥー・ハー』(アカデミー脚本賞)なんていう映画もご覧になっている。聞くと、学生たちとときどき映画を観にいかれるそうだ。へえ、そうなんだ、私は映画館へは1人でしかいかないが・・・・。あっ、もしかして、豊田先生は、学生の誰かから私が授業で映画やTVドラマをよく使うという話を聞かされていたのではないか。それならば髭談義から映画談義への突然の転換も理解できる。われわれは食事が終わるまでずっと映画とTVドラマの話を続けた。ちなみに豊田先生は秋から始まるTVドラマでは『白い巨塔』を一番楽しみにされているそうだ。
帰宅すると、Amazonに予約注文しておいたHandbook of the LIFE COURSEが届いていた。7部34章から構成される700頁を越える大著(しかも活字が小さい)。中扉には「ライフコース研究者の世代を励まし支援してくれたエルダー夫妻に」と献辞が記されているが、第1章「ライフコース理論の登場と発達」はそのグレン・エルダーが執筆している。まさにライフコース研究のハンドブックの決定版といっていい。
9.24(水)
実習のケース報告会2日目。7ケースが報告される。帰り道、自宅の近所のコンビニで、この秋のTVドラマの特集が載った『テレビ・ステーション』の最新号を購入。風呂上りにパラパラと眺める。豊田先生イチオシの『白い巨塔』(全21回!)ももちろん期待できるが、私は豊川悦司主演の『エ・アロール』を楽しみにしている。豊川は出演作を選ぶ。彼の出演したドラマで期待外れだったものはこれまでに皆無である。プロデューサーが、豊川主演の『愛しているといってくれ』、『青い鳥』を手がけた貴島誠一郎である点も心強い。脚本は『恋ノチカラ』の相沢知子である。
9.25(木)
実習のケース報告会3日目(最終日)。8ケースが報告される。3日間の報告会で合計24ケースが報告された。平均すれば1人1ケースの報告である。自分が担当したケースの報告というのは最低限の課題であって、他の学生たちが担当したケースの報告にどれだけ注意深く耳を傾けることができるかが肝心な点である。そのことを理解している学生がどれだけいるかによって、いずれ書かれる報告書の水準は決まる。
9.26(金)
午前10時半から午後6時半まで、間に昼休みを挟んで、ずっと会議。昼休みに中央図書館のバックナンバー書庫へ行って、1950年前後の『改造』、『中央公論』、『世界』から清水幾太郎関連の記事をコピーする。本当はずっとそこにいたい気分だったが、今日は重要な議題が目白押しなので、そういうわけにもいかない。午後は途中で2回ほど会議室を抜け出して、一度は、研究室で実習の領収証の整理(実習費は私の立替分がかなりの額になっていて、せっせと事務所に領収証をもっていかないと銀行口座にお金がなくなってしまいそうなのだ)。もう一度は、文カフェで息抜き(ここ数日気になっていた白玉しるこを食す。食べたいだけの分量を自分で容器に入れ、レジで計量し、分量に応じた金額を支払うシステム。白玉を6個ほど入れたが、140数円だった。うん、これは合理的だ。適度の甘味は疲労回復の効果絶大である)。会議の途中で勝手に抜け出していいのかというと、いいというわけではないが、そうでもしないと、今日のような長丁場の会議に最後まで付き合うことは難しい。実際、途中で退出して、そのまま帰ってこない人も少なくないのだから、帰ってくるだけよしとしていただきたい。6時半に終わったので、夕食は何日かぶりで家族と一緒に食べることができた。
宅配便で届いた拝郷メイコのアルバム『ミチカケ』を繰り返し聴く。10曲、どれも素敵な曲だ。♪最後にきみが作ってくれる、台所からトマトの匂い、ぼくのすべてに染みついて、記憶を揺りおこしていくだろう・・・・(「トマトスープ」より)。♪サーカスが終わる、演じるアンコール、ちょっとあの頃に戻れた、テントから駅へ、何度も言いかけた、大事な言葉がありました、でも飲みこんだ・・・・(「サーカス」より)。♪また少し大人になった証拠に、寂しい時無理して笑ってるの、一日でいちばん長い影が、行儀よくついてくる・・・・(「ゆうぐれ」より)。思うに、シンガー・ソング・ライターの場合、ファースト・アルバムというのは、それまでに作りためた全作品の中から選定するわけだから、ベスト・アルバムみたいなものである。間に合わせで詰め込んだ曲は1つもない。
9.27(土)
電車に乗って、鞄から本を取り出そうとして、入れ忘れてきたことに気づく。電車の中で読むものがないというのは、活字中毒者にはつらい。しかたがないので、ノートを取り出し、10月に入ったら書き始める予定の「清水幾太郎の内灘」(仮題)の筋書きを考えていたら、あっという間に早稲田に到着。ぼんやりしているよりも、本を読んでいる方が時間は早く過ぎるが、書きものをしているとさらに時間は早く過ぎる。精神の集中度の違いを反映しているのであろう。午後、『社会学年誌』の編集委員会。4時ごろ終わり、文カフェに白玉しるこを食べに行く(気に入ると続けて食べる癖がある)。今日は白玉を7個にしたら150数円だった。1個あたり10円と考えてよいのだろうか。編集委員長の嶋崎先生も文カフェに来ていて、こちらは遅い昼食のようで、カレーとサラダをトレーに載せていた。ご一緒させていただいたが、彼女がカレーライス、私が白玉しるこ、という構図はなんだか可笑しかった。
帰宅すると、台所から炊き込みご飯のいい香がする。なんと松茸ご飯である。今年の夏は雨がちであったが、そのため松茸が豊作で、例年より価格が下がっているらしい。妻が自慢げに言うには、4合のお米に松茸6本を入れたそうだ。4合に6本というのが、世間一般の水準と比較してどうなのかは私にはわからないが、確かに、いつもは香はすれども姿が見えない松茸が、今年はその実体をはっきりと認知することができる。雨がちの夏も悪いことばかりではないのだ。
9.28(日)
今日は秋のオープンキャンパス。社会学専修の主任として、助手の下村君と一緒に102教室で受験生の個別相談。4年生のO君とKさんにも、兄貴分・姉貴分として、受験生のお相手をしてもらった。午前10時から午後4時までの間に、50人ほどの受験生が訪れる。わざわざ社会学専修の部屋を訪れる受験生だから、当然なのかもしれないが、「社会学に関心があります」ときっぱりと言われると少々びっくりする。私が彼らの年齢の頃に、はたして「社会学」という言葉を知っていただろうか。倫社(倫理社会)の中に社会学に相当する内容のことが一部含まれていたことは後から振り返るとわかるが、当時は、それを「社会学」として認識してはいなかったと思う。文学部に入ったときも、日本文学を専攻するつもりでいたが、教養課程の2年間(現在は1年間)に高校時代には知らなかった学問のカテゴリーと新鮮な出会いを経験し、特定の1つの分野に関心を絞ることができずに人文専修に進み(いまと違って人文は人気のある専修ではなかったように記憶している)、大学院への進学のときにようやく社会学を専攻することに決めた。だから、大学受験の段階で、「将来は大学院に進学して社会学の研究者になりたいと思っています。具体的にどのようなプロセスを踏んで研究者になるのか教えてください」といった質問を受けると、心の中で(へぇ・・・・)と感嘆してしまう。もっとも清水幾太郎なんかは、中学3年生(16歳)のときに社会学の道に進むことを決意しているから、いつの時代にも早熟な少年というのはいるものですけどね。
9.29(月)
いよいよ後期の授業が始まろうとしている。長いようで短い夏休みであった。後期は土曜1限の社会学基礎講義がなくなるかわりに(後期は嶋崎先生が担当)、オープンカレッジ(早稲田大学エクステンションセンターの公開講座)が木曜の3限に入る。放送大学で教えていた頃は、自分より年長の学生はめずらしくなかったが、早稲田に来てからは二文の授業でたまに年上の学生と出会うだけになってしまった。だからオープンカレッジは新鮮でもあり、少し不安でもある。もっとも放送大学のときの私は30代の後半だったが、いまの私は50代の直前である。自分の年齢が上がった分、年上の学生の数は減るはずである。若造が年配の方々を教えるのではなく、おじさんがおじさん・おばさんを教えるのであろう。しかし、いずれにしろ、大学の教室で20歳前後の若者を教えるのとはだいぶ雰囲気が違うはずだ。やっぱり、ネクタイはしていくべきだろうな。これからは「木曜日はネクタイの日」だ。
9.30(火)
午前9時から大学院修士課程の入試の二次試験(面接)があり、7時45分に自宅を出る。ラッシュアワーの通勤電車に乗るのはひさしぶりである。当然、座れないし、本も読めないので、車内広告(宮城県の観光案内)をながめていたら、4つ目の田町でたくさん乗客が降り、目の前の席が空いたので、それから先は木曜日の研究会で報告する英語の文献を読むことができた。そうか、ラッシュアワーといってもこの程度なのか・・・・。もちろん路線によるのだろう。実際、結婚して最初に住んだ綱島から乗る東横線は終点の渋谷までずっと鮨詰め状態だった記憶があるし、ついこの間まで住んでいた原木中山から乗る東西線もラッシュアワーは茅場町まで混む一方だった。ただし、そうした朝の満員電車に乗るのは、今日のような入試関連の日がほとんどで、普段は午前10時以降の電車に乗っているので、電車は私にとって本を読み、講義ノートを作り、そして居眠りをする場所である。
東京駅で降りてホームを歩いていると、「京浜東北線は午前8時15分頃大井町で起きました人身事故のため上下線とも運転を見合わせております」というアナウンスが聞こえてきた。時計を見ると8時20分である。ついさっきではないか。事故が起こったとき私が乗っていた京浜東北線は大井町を過ぎて新橋あたりを走っていた計算になる。家を出るのがあと5分遅かったら足止めをくらうところだった。・・・・夜、帰宅して、夕刊を広げると、事故の記事が載っていた。「三十日午前八時十五分ごろ、東京都品川区大井のJR大井町駅構内で、京浜東北線のホームにいた男性が線路内に飛び込み、大宮発蒲田行き普通電車(十両編成)にはねられて死亡。警視庁大井署は自殺とみて身元確認を急いでいる。この事故で、同線大宮―大船間などで最大四十七分遅れ、約十一万人に影響が出た。」こうした事故の場合の典型的なスタイルの記事である。「最大四十七分遅れ」という表現は、一人の男の死が社会に及ぼした効果はわずか47分間しか持続しなかった(47分後には何ごともなかったように日常が再開した)という空しさを漂わせている。「約十一万人に影響」という表現は、止むに止まれぬ事情から自ら死を選んだ人間を非難する気持ち(人様に迷惑をかけやがって・・・・)を含んでいる。私は子どもの頃から新聞でこうした記事を読む度に、将来、どんなことがあっても、鉄道への飛び込み自殺だけはやめておこうと思ったものだった。もしかすると、空しさと非情さを漂わした紋切り型の記事の真のねらいは、自殺の抑止にあるのかもしれない。