8時、起床。
パン、ほうれん草のスープパスタ、サラダ、牛乳、珈琲の朝食。パンは。昨日、エミコさんからいただいたもの。
昨日のブログを書く。
授業の準備。
12時頃、家を出る。
文キャンの前の道路は諏訪通りという名前が付いている。諏訪神社の前(参道の入口)を通るからだが、諏訪神社は明治通りを越えた向こうにあるので、あまりピンと来ない。
今日は演習とゼミのある日。講義はオンデマンドで大学院の演習(木)は秋学期の履修者はいなので、授業で大学に来るのは金曜日だけである。
3限は演習「現代人と孤独」。ダニエル・キイスの小説『アルジャーノンに花束を』を題材にしたグループ発表。なかなか踏み込んだ考察が展開されていてよかった。
知的障害を持つ青年が脳の手術を受け知能が飛躍的にアップする(IQ75→180)。知能がアップしたことで、周囲の人たち(バイト先のパン屋の人たち、研究所の教授たち、知的障害者の学校の女性教師ら)との関係が変化する。それは全体としてよい変化ではない。知的な優位ー劣位の関係が逆転したからだ。また、知能がアップしたことで、いまは一緒に暮らしていない家族との過去の記憶が新しい意味付与をもって蘇る。これも辛い経験である。しかし、急激にアップした知能はある時点から退行が始まる。同じ実験を先に受けた鼠(アルジャーノンという名前である)の変化が青年の今後を予告する。物語は青年の「経過報告」という文章の形で語られるのだが、知能の退行の過程はまるで認知症の症例を見るようである。知能の急激なアップは浮世離れした物語だが、知能の退行は誰の人生にも起こり得る物語である。結末はハッピーエンドではない。悲惨とはいえないまでも、ほろ苦いものである。青年は死んだ鼠を他の実験動物のように焼却炉で焼かずに自宅の庭に埋葬し、花を供えていたが、自分にそれが出来なくなったときは、自分の代わりに花を供えてほしいと最後の「経過報告」に書くのである。それが小説のタイトルの意味である。
来週もグループ発表。取り上げる作品はスウェーデン映画『幸せなひとりぼっち』(2015年)。原作のタイトルは『オーヴェという男』。トム・ハンクス主演でアメリカでリメイクされている。タイトルは『オットーという男』(2022年)。
演習とゼミの合間に研究室でおにぎりの昼食。
今日のゼミは3名がゼミ論中間報告。
プロポーズにおける規範―なぜ男性から女性にプロポーズすることが一般的なのかー
公園における犬を中心としたコミュニケーション
現代における「かわいい」の多様化と社会的影響
みな論文の終わらせ方のところで苦労しているようである。体操の演技ではフィニッシュで印象がずいぶん違ってきますからね。
7時頃、大学を出る。
「ごんべえ」で宮城先生と一緒になる。非常勤の先生の代講で5限の授業があったそうである。久しぶりにじっくり話をする。彼とは同じ時期に教務をしたことがあり(私が二文の学生担当主任で、彼が二文の教務担当副主任だった)、そのとき以来の「戦友」である。私がブログを始めたのはその頃からである。彼の専門は西洋古典学で、実にアカデミックなのだが、今日は世間話である。
私はカツ丼、彼は親子丼を食べた。
食事を終えて、店を出て、「カフェゴトー」でお茶でもと私が言おうと思ったら、馬場行きのバスが目の前を通り、彼はそれに飛び乗るべく、横断歩道を駆けだして行った。西洋古典学の話をしようと思ったのに(笑)。
8時半頃、帰宅。妻は三階の仕事部屋で、居間にはチャイだけがいた。
「お疲れ様です」
紅茶を淹れて、昨日のケーキの残りを食べながら、『それぞれの孤独のグルメ』第8話(録画)を観る。とんかつだった。
スイーツを食べ終えたらしょっぱいものが食べたくなって、コンビニでポテトチップスを買ってきた。
レビューシートのチェック。
風呂から出て、今日の日記を付ける。この3週間ばかり気忙しいかったが、助かったのは持病の耳鳴りが小さめであった(文字通り鳴りをひそめていた)こと。もしかして忙しい「のに」ではなく、忙しい「から」だったのだろうか。いや、いや、そんなことはあるまい。
1時半、就寝。