フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

9月29日(金) 晴れ

2017-09-30 12:02:23 | Weblog

9時、起床。

月下美人の花はもうしぼんでした。二度と開くことはない。

トースト、ポトフ、サラダ、牛乳、紅茶の朝食。

『今日のひよっこ』。「家族そろって歌自慢」に出演した後、「すずふり亭」で会食という流れになるようだが、もし実の記憶が戻るとすれば、それは「すずぶり亭」で食べたハヤシライスか、「すずふり亭」でお土産にもらったカツサンドを再度口にしたときではないかと思っていたので、一気に期待が高まった。

ブログの読者の方から「居ても立ってもいられなくなりました」というメールをいただいた。「私にはすっきりしないことがまだあるのです。それは、すずふり亭に預けたままの重箱です。実の元に戻ったら、その時にうっすらでも記憶が…と期待をしています。」ああ、あの重箱!カツサンドのお礼に谷田部家で作った草餅だったかをすずふり亭にもっていったときのあの重箱だ。美代子(実の妻)がすずふり亭を訪ねたとき、鈴子(店主)がその重箱を美代子に返そうとしたら、実は必ずこの重箱を受け取りに戻ってくるはずですからとそのままにしたあの重箱だ。重箱の隅をつつくようなディテールではなく、とても重要な伏線だった。最終回、必ず、この重箱が何らかの役割を果たしますね。浦島太郎の玉手箱のように。

1時半頃、家を出て、大学へ。

秋らしい晴天だ。 

夏のカケラさえもう残っていない。

研究室に着いて、昼食。蒲田駅で買ってきた崎陽軒のシューマイ弁当。

デザート(お八つ)は馬場下の交差点の鯛焼き屋で買った鯛焼き。

5限・6限はゼミ。

オープンゼミといことで2年生が25名ほど(5限に15名、6限に10名)見学に来る。間もなくゼミの選考期間に入るので、「どのゼミにしようかな」と候補にしているゼミの様子を見に来るのだ。これまでの経験からいうと、ゼミ見学に来た学生=うちのゼミに希望届けを出す学生、ではない。ゼミ見学に来るというのはどのゼミにしようか迷っているからである。最初からうちのゼミを考えている学生は見学に来ない場合が多いのである。なので、うちのゼミの希望者がとのくらいいるかをこの段階で予想することは難しいのだ。

3年ゼミ長のMさんがノートに描いていた(授業中に!)私のスケッチ。雰囲気が出ている?(笑) 

今日のスイーツはスイーツではなくてお煎餅。4年生のAさんが準備してくれた。見学に来ていた2年生にも振る舞った。

8時半ごろ、大学を出る。

夕食は蒲田に着いてから「吉野家」で。

牛丼のアタマ(牛肉)の大盛り、豚汁、生卵。「吉野家」の豚汁はけっこういける。

染めて730円は「吉野家」での食事にしてはちょっと贅沢だ。

帰宅すると新しい月下美人の蕾が開花していた。

今日はお疲れ、12時半就寝。


9月28日(木)曇り

2017-09-29 03:30:38 | Weblog

9時、起床。

トースト、ハム&エッグ、サラダ、牛乳、紅茶の朝食。

今日から通常営業(授業のある日々)。一週間くらい前は、「あ~、授業が始まるな」と思っていたが、いざ、始まるとなれば、シャキッとする。基本的に授業は嫌いではないのだ。

今日の『ひよっこ』。・・・というフレーズも今日を入れてあと3回だ。

実家に帰ったみね子。家の前の花畑を見て「わぁ」と喚声をあげるのだが、花畑、ちょっと小さくないか(笑)。少し広めのガーデンニングみたいで、収入源としては心もとない。まぁ、試験的な段階ということで理解しましょう。これからきっと一面の花畑になるのでしょう。

世津子と時子がドラマで共演する場面が出てきた。女優復帰と女優デビュー。二人ともちゃんとやっていることがわかってよかった。

「仕送りはもういいよ」と言われたみね子。やれやれという気分(解放感)と自分がもう必要とされなくなったような淋しさ。「これからどうするかは自分で決めて」。ヒデとの結婚が予想される以上、東京で生きていくということだろう。

実の記憶はどうも戻りそうにない。さすがに残り2回で、記憶の回復→混乱(記憶喪失以前の人生と記憶喪喪失後の人生の接合にはしばらく時間がかかるだろう)→安定という過程を描くのは無理だ。しかし、私が実だったら、いかに現在の生活が充実しているとはいえ、ある時点から以前の記憶の空白あるいは暗闇にときおり実存的不安に襲われそうな気がする。「おまえはこういう人生を送ってきたのだ」「あなたはこういう人だったのよ」と家族や友人からの言葉で再現された人生をリアルなものとして「生きていく」ことの難しはあると思うのだ。

11時半に家を出て、大学へ。

早稲田駅前の郵便局でNHK全国俳句大会に参加するための投句料3000円を振り込み、その領収書を申込み用紙に貼り付けて、投函する。去年、初参加で「入選」を果たしたので、今年は一つ上の「佳作」をめざしたい。

*「入選」→「佳作」→「秀作」→「特選」→「大会大賞」という段階がある。『プレバト』でいえば、「入選」と「佳作」が「才能あり」、「秀作」が「特待生」、「特選」が「名人」、「大会大賞」が「師範」という感じだろうか。

句会仲間でNHK全国俳句大会への参加を予定しているあゆみさんにラインで「投函しましたよ」とメッセージを送る。すぐに彼女から返信があり、自分はあと残り二日、ぎりぎりまで推敲して投函しますとのこと。彼女とはいつの日か大会当日、NHKホールのステージに一緒にあがりましょう(選者特選一席)と約束している。

3限は大学院の演習。出席者は5名。まだ科目登録していない人もいるようだ。

4限は空き時間。昼食(おにぎり2個)を研究室でとる。朝食をしっかりとれば、2個で十分だ。

5限は講義「ライフストーリーの社会学」。

講義を終え、6時過ぎに大学を出る。小雨が降っている。昨日見た33号館のあのペイント(?)は今日はもうない。何だったんだろう。ペイントじゃなくて、ライトでも当てていたのかしら。

7時過ぎに帰宅。

夕食はポトフ、冷奴とモロヘイヤ、ご飯。

デザートは巨峰。

深夜、玄関先の鉢植えの月下美人が開花した。

一晩でしぼんでしまう大きな花である。 

「美人」だが後ろ姿はけっこうケバイ。

もう 1つ蕾がある。開花するのを見逃さないようにしなくては。(実は今夜の開花は3つめで、前の2つは見逃してしまったのだ)。

俳句では月下美人は夏の季語である。うちのは遅咲きなのだ。

 月下美人しぼむ明日より何待たむ 小島照子

開花を楽しみに待つ日々も、開花が終ると、何を楽しみにするばよいのかと。『ひよっこ』ロスの気分に似ている。

3時半、就寝。


9月27日(水) 曇り時々雨

2017-09-28 10:03:23 | Weblog

9時、起床。

トースト、ハンバーグ、目玉焼き、サラダ、牛乳、紅茶の朝食兼昼食。

今日は昼に大学に出て、夕方まで食事をする時間がないことが予想されるので、しっかり食べておくことした、

今日の『ひよっこ』。昨日のブログに書いた、2つの気になること、和菓子屋の息子ヤスハルに何か幸せなことが起きるのかどうか、元乙女寮の調理人森和夫のその後、がなんと今日の回で2つともはっきりした。

中華料理屋の夫婦が養女をもらって、みんなに紹介した。緊張した面持ちのその子に、ヤスハルが自分も養子にもらわれてきたが、いま、幸せだと語る。君もそうなれると。それを和菓子屋の主人が立ち聞きしている。「立ち聞き」というのはもはや『ひよっこ』の定番的演出である。そうか、ヤスハルは幸せなんだ。その子とヤスハルは一回りくらいの年齢差だろうか。いまは大人と子どもだが、もしかすると、将来、年の離れた夫婦になるんじゃないか。そんな気さえしてきた。

みね子とヒデがデートした先のレストランの美味しいカレーライスを作っているのが森和夫だった。彼は洋食屋のシェフになっていたのだ。もう1つ「その後」といえば、合理化で田舎のバスの車掌を辞めた次郎は村長選挙に立候補していた。う~む、水も漏らさぬ岡田恵和のフォローぶりである。ただただ感心する。子どもの頃、時代劇で主役の武士に紙人形のように切り捨てられる悪代官の手下の侍たちを見て、「この人たちにも家族がいるんだよな」と思うと、全然痛快な気分になれなかった私だが、もしかしたら岡田恵和もそういう感覚の持主なのかもしれない。

さて、気になることは、もうない。残り3回、心ゆくまで谷田部の一家の物語を語ってくれ。

11時半に家を出て、大学へ。

12時半から教授会。

3時半から453教室で現代人間論系2年生を対象にしたゼミガイダンス。

ガイダンスの前半は主任の概論と各ゼミ担当教員からの話。後半はゼミごとに別れての個別質問タイム。わがゼミからは4年生のM君と3年生のSさんに手伝いに来てもらった。

【2年生へ連絡】大久保ゼミでは9月29日(金)、つまりこのブログを読んでいる時点では明日ですが、5限・6限とゼミ見学のオープンゼミとします。配布資料やスイーツの準備があるので、見学希望の学生は事前に(つまり今日中に)私までメールで申し込んでください。ohkubo★waseda.jp(★→@)。5限か6限どちらかを希望かを忘れずに書いて下さい。なお、ガイダンスの個別質問のときにゼミ見学申込み用紙に名前を書いてくれた学生はメールでの連絡は不要です。

5時半にガイダンス終了。

「ごんべえ」に早めの夕食を食べに行く。

カツ丼セット(ご飯は少な目にしてもらった)。

 再び、キャンパスに戻る。

あれ、この33号館の壁のペイント(?)はなんだろう。昨日は気づかなかったが。 

6時から現代人間論系の教室会議。来年度の時間割の作成作業。延々、3時間以上かかって、ひとまず出来上がったが、これから微調整の必要が出て来るだろう。

10時半、帰宅。

明日から秋学期の授業が始まる。明日は大学院の演習と学部の講義「ライフストーリーの社会学」だ。

3時、就寝。

 


9月26日(火) 晴れたり曇ったり

2017-09-27 09:47:59 | Weblog

8時、起床。

トースト、ベーコン&エッグ、サラダ(鶏ササミ)、牛乳、紅茶の朝食。

今日の『ひよっこ』。世津子が女優復帰を宣言し、早苗を迎えに初恋のごドラマーがロサンゼルスからやってきて、売れない二人の漫画家(祐二と啓輔)に春が訪れる(未来から来たタヌキ型のロボット「ミネッコ」が登場する漫画が大ヒット)。在庫一掃セール的幸せの大盤振る舞いだ。

祐二と啓輔が不二子・不二夫がモデルであることは誰でもわかる。

では、「謎めいた美女」早苗のモデル(イメージ)は誰か。今日、気づいたのだが、カルメン・マキではないかしら(違うかな)。

これで残った4回はすべて谷田部家にフォーカスが当たることになるのだろうか。はたして実の記憶は戻るのか、戻らないままなのか。

ただ、個人的に気になるのは、和菓子屋の息子ヤスハルのことである。彼にも何らかの幸せな出来事があってもいいように思うのだが。それから、これはもう私以外に誰も気に留めていないと思うのだが、元乙女寮の調理師、森和夫のその後も知りたい。

12時に家を出て、高場馬場へ。8月に亡くなった研究室の先輩の「偲ぶ会」の相談。

 「メルシー」で遅い昼食。(デジカメを忘れたのでスマホのカメラで撮る)

チャーハンを注文。

4時に研究室に大学の学園誌『新鐘』の担当者が来て、来年の春に出る号の企画の打ち合わせ。テーマは「家族」。

6時半過ぎに大学を出る。日の落ちるのがめっきり早くなった。

夕食はオムライス。

ちょっとケチャップを掛け過ぎてしまった。写真を撮った後、妻のオムレツにケチャップを再配分。

デザートは梨。 

夜、9月30日締切(消印有効)のNHK全国俳句大会の応募作を練る。自由題2句、兼題(山)1句、計3句。応募作に決めた3句はここで披露することはできない(未発表という条件がある)。なので最終段階で外した一句をお見せする。

 秋夕焼(あきゆやけ)街に小さな観覧車 たかじ

昨日、蒲田の東急プラザの屋上から見た夕暮れの風景を詠んだものである。

「幸せの観覧車」を詠んだ句にはこんなのもある。(去年作ったもの)

 夏空や真っ向勝負の観覧車 たかじ

これはかなり気に入っている作品なのだが、やはりブログで披露してしまったので、応募作にはできなかった。

あと観覧車をモチーフにした冬と春の句を作って「幸せの観覧車」4部作としようかしら。

3時半、就寝。


9月25日(月) 晴れ

2017-09-26 10:27:02 | Weblog

8時半、起床。

トースト、サラダ、牛乳、紅茶の朝食。

いよいよ『ひよっこ』も最終週である。週のテーマは「グッバイ、ナミダクン」。坂本九のヒット曲「涙くんさよなら」だ。予告編では「家族そろって歌合戦」に谷田部の一家が出演するようなので、たぶんそこで歌われるのだろう。♪涙くんさよなら さよなら涙くん また逢う日まで。

今日の『ひよっこ』は、前菜にあたるのが、「すずふり亭」でのヒデと元治による新メニュー(スコッチエッグ)とみね子考案の新しい制服のお披露目、そしてメインディスは、安倍米店での三男と米子のカップル誕生である。

「返事を聞かせてほしい」という米子に、三男は「僕でよかったら」と答える。米子から好意をもたれ、米子の父親から期待され、自分は幸せ者だ、その好意や期待に応えたいと三男は言う。普通であれば、女性が言いそうなことを、三男は言う。1960年代といえば、まだまだ「男らしさ」が跋扈していた時代であるが、若者が歌うフォークソングには「やさしさ」というキーワードが登場してくる時代でもあった。三男はやさしい男のさきがけである。

その三男が米子と恋人になるにあたって1つだけ条件をつけた。「家族(米子と父親)が仲よくすること」である。ここで思い出すのは、みね子が純一郎との別れの場面で口にした、「私は親不孝な人は嫌いです」という言葉だ。われわれの社会は愛情至上主義社会であると同時に、家族中心(大切)主義社会である。愛情至上主義と家族中心主義は、家族(家庭)を愛情の場所と考えることでつながっている。家族が愛情を媒介とした相互作用を行う場所、それが家庭であり、したがって家庭は暖かな、心安らぐ場所である(あるべき)とする考え方である。1960年代はこうした考え方のピークの時代であった。

それがオイルショック(1973)=高度経済成長の終焉以降、徐々に崩れていく。家庭は単純に愛情の場所ではなく、むしろ愛憎の場所であり、したがって幸福の物語の舞台ともなりえるが、不幸の物語の舞台にも容易に反転する。山田太一は『それぞれの秋』(1973)や『岸辺のアルバム』(1977)でそうした家族のドラマを描いた。大学生のときにそれを観た私はその新鮮さに魅了された。岡田恵和は中高生のときにそうした山田のドラマを観ていた。彼の初のオリジナル脚本作品『若者のすべて』(1994)は彼がいかに山田太一の影響を受けていたかが見てとれる。『ひよっこ』は 家族が愛憎の物語であることを十分承知している岡田があえて家族中心主義的に作り上げた世界であるが、唯一、世津子の生い立ちの中に家族の愛憎の物語が挿入されている。

午後も2時を過ぎた頃、「phono kafe」に昼食を食べに行く。店内に入ると、大原さんやお客さんたち(常連さん)がびっくりしたように私を見るので、一体どうしたのかと思ったら、ちょうど私のことが話題になっていたらしい。

カレーライスを注文。サラダとスープも付けてもらう。

ライスは軽めにしてもらった。久しぶりに食べる「phono kafe」のカレーライスはサラサラとして美味しい。

常連さんの妹さんという方に初めてお会いしたが、私のブログはよくご覧になっていて、私の声がブログの写真から想像していた声とは全然違っていて、「とても若々しくて、素敵なお声」だと言われる。「声に恋しちゃいそうです」と言われる。ど、ど、どうも。『ひよっこ』の愛子にひと目ぼれされる省吾の戸惑いがわかる気がした。

食後のコーヒーを「あるす」に飲みに行く。

「あるす」は閉まっていた。室内に奥様のいる気配はない。午後3時。もう少し早い時間に来るべきだったか。

そう思ってると、近所に買い物に行っていた奥様が戻って来られた。「いま、開けますね」

「あるす」は(かつて)ギャラリー・カフェだったのか。いままで気づかなかった。

そういう目で室内を眺めると、たしかに「ギャラリー・カフェ」の名残は感じられる。

モカを注文。前回同様、ご主人が淹れるより薄めのコーヒーだ。

「薄いですか?」と聞かれたので、「アメリカンな感じです」と答える。

サービスで供された御煎餅が美味しい。

今日は一人も客が来なかったそうだ(私以外)。

「このままお店を続けるのは難しいでしょうね」と奥様が言われた。 「でも、昼間、ここにいて、通りを行き交う人たちを見るのが好きなの」とも言われた。

「あるす」を出て、駅の方に買い物に行く。

東の空の低いところに群れから離れてしまった仔羊のような雲が浮かんでいる。

駅前広場から西の空を見ると、雲の向こうか太陽が光を放射していたい。駅ビルの屋上から見たらきっときれいだろう。

東急プラザの屋上(かまた園)から見た夕暮れの空。

ここには23区内で唯一の屋上観覧車がある。「幸せの観覧車」という名前である。

ラインの「友だち」の何人かに夕暮れと観覧車の写真を送る。「幸せ」のおすそわけ。

やがて雲の中から出てきた夕日が街を染めている。

夕食はアジフライ&ウィンナーフライ、栗を練り込んだ伊達巻(?)、茄子の味噌汁、ごはん。

妻は、アジの開きを売っているのを見て、急遽、アジフライにしようと思ったそうだ。ふっくらとして美味しいアジフライ。

デザートは巨峰。

3時、就寝。