5.15(土)
梅雨の走りに入る前の、最後の晴れ間らしい。午後、散歩に出たとき、財布をジャケットの内ポケットに入れるのを忘れてしまい、100円ショップで文房具を購入してようとして、レジに並んでからそのことに気づいた。数百円の金がなくて、品物をすごすごと棚に戻していく気分というのは、切ないものである。たとえ何かを買う予定がないときも、散歩に財布は欠かせない。これ、人生と同じである。
佐藤正午の小説『ジャンプ』(光文社)を読む。最近、ネプチューンの原田泰造主演で映画化された作品だが、だいぶ前に、「『本の雑誌』が選ぶ2000年度ベスト10-第1位」という帯に惹かれて購入して、そのままになっていた。話の舞台(発端)は、『砂の器』と同じく、蒲田である。主人公の彼女のマンションが蒲田にあるのだ。
「蒲田駅に着いたのは夜十一時から十二時の間だった。それくらい僕の記憶は不確かなものだし、その夜の僕の酔いはすでに脚に来ていた。『だいじょうぶ?』とそばに寄り添ってガールフレンドが囁いてくれた。蒲田駅の寂しい方の出口から外へ出て、第一京浜にかかる歩道橋を渡りながら、南雲はるみは(それが僕のガールフレンドの名前なのだが)、何度も何度もおなじ囁きを繰り返した。」
一般の読者であれば、別にどうということない文章であろう。しかし、蒲田の住人である私は、「ん?」と立ち止まってしまう。「蒲田駅の寂しい方の出口から外へ出て、第一京浜にかかる歩道橋を渡りながら」という箇所が理解できないのだ。蒲田駅には東口と西口がある(私の家は西口にある)。「寂しい方の出口」とはどちらの出口のことなのだろう。蒲田は東京の場末ではあるが、駅前の情景は東口も西口も「繁華街」という言葉で表現して何ら差し支えないもので、「寂しい方の出口」という表現は馴染まない。この小説の主人公(あるいは著者)は新宿か渋谷の駅前の雑居ビルにでも住んでいるのだろうか。また、「第一京浜にかかる歩道橋を渡りながら」という箇所もわからない。蒲田駅から第一京浜すなわち国道15号線までは普通に歩いても10分以上はかかる。まして主人公は酔っぱらっている。「蒲田駅の寂しい方の出口から外へ出て、第一京浜にかかる歩道橋を渡りながら」という記述には、蒲田駅から第一京浜までに要した時間が消去されてしまっている。これはずいぶんと杜撰な時間の処理、あるいは空間の歪曲ではなかろうか。・・・・しかし、疑問はすぐに解けた。この蒲田駅というのは、JR京浜東北線の蒲田駅のことではなくて、京浜急行の京急蒲田駅のことだったのだ。なんだ、そうだったのか。しかし、蒲田駅といったらJR蒲田駅のことなんですけどね、地元では。いや、地元といってもそれはJR蒲田駅周辺のことで、京急蒲田駅周辺ではそうではないのかもしれない。社会学者たるもの、エスノセントリズム(自民族中心主義)には注意しなければ。
5.16(日)
♪雨がしとしと日曜日~、といえばザ・タイガースの『モナリザの微笑』(1967年)であるが、日曜の昼間、ベランダに出て、しとしと降る雨をながめていると、時間がゆっくりと流れていく感覚がある。ヒートアップした都市の日常生活を雨がクールダウンしてくれるせいかもしれない。雨の中を仕事に出かけるのは憂鬱だが、休日の雨は嫌いではない。外出などせず家で休んでいなさいと、神様が言っているような気がする。「アーメン」から「雨」を連想するのは、私だけでしょうか(代田ひかるの口調で)。
5.17(月)
蒸し暑い一日だった。昼食のサンドイッチを「鈴木ベーカリー」に買いに行ったら、また「本日休業」の張り紙が出ていた。家族に体調の悪い人でもいるのだろうか。さて、どうしようと少し考えて、近くのステーキハウスに入った。昼食に肉を食べるのはひさしぶりである。蕎麦やスパゲッティーやピザの昼食と違って、腹持ちがよく、夕食まで間、途中で一度も空腹を感じなかった。980円の薄い肉とはいえ、さすがにステーキだけのことはある。
雑用の合間に『ジャンプ』を読み終える。うん、面白い話だった。失踪した恋人を探す男の話だが、村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』をどこか彷彿とさせるところがある(あちらは失踪した妻を探す話だった)。佐藤正午も村上春樹に勝るとも劣らないストーリーテラーである。あちこちに張られた伏線が最後に一つの物語として収斂していく手際は実に見事だし、主人公とさまざまな登場人物の間で交わされる会話も洗練されている。ただし、『ジャンプ』には『ねじまき鳥クロニクル』のような、モンゴルの平原で人間の皮を生きたまま剥ぐ場面や、オカルトチックな場面はない。村上春樹の世界をあくまでも世俗的というか、形而下的な世界で展開したら佐藤正午の世界になるのではなかろうか。そんな気がする。
ところで、映画の方はどうしよう。これまで、先に小説(原作)を読んでから映画を観て、よかったという経験がほとんどないのだ。だから今回も止めておこうかと思う。ちなみに主人公の三谷純之輔は、映画では原田泰造が演じているが、小説を読んでいるときの私の頭の中では、途中からユースケ・サンタマリアに替わっていた。
5.18(火)
午前、社会学専修の教室会議。7月21日(水)に3年生を対象に「卒論ガイダンス+懇親会」を実施することが決まる。3年生は夏休みが明けるとすぐに卒論計画書という書類を事務所に提出しなくてはならないのだが、毎回、付け焼き刃なものが多く、事前のガイダンスが必要であろうということになり、今年から実施することになった。ついては、日頃、調査実習のクラス単位で固まってしまっている傾向の強い3年生がせっかく一堂に会する機会なのだから、ガイダンスの終了後、懇親会をやろうということになった(自分の卒論のテーマを教員に相談する機会でもある)。ガイダンスは教室でやるとして、懇親会はどこでやろう。全員参加したら100人規模の懇親会になるから、会場探しは一苦労かもしれない。
午後、教授会。いつもと同じような顔ぶれが、いつもと同じようなことを喋っている。しかし、「挑発的な発言は、それが似合う人と似合わない人がいる」というK先生の言葉は、本日一番の名言であった。メモ帳に書き留めておこうと思う。
「社会学研究9」の講義記録(4)をアップロードする。
5.19(水)
3限の「社会学研究9」は、ワイヤレスマイクの電池がなくなりかけていて、交換用の電池もなく、しかたがないので地声を張り上げて講義を行った。いつもの1.5倍くらいの疲労感。
昼食は「メーヤウ」に行く。本日のタイムサービス(750円→600円)のカリーは、ちょうど食べたいと思っていたタイ風レッドカリーだった(ラッキー!)。「メーヤウ」の一番人気はタイ風レッドカリーよりもワンランク辛いインド風ビーフカリーのようだが、私はタイ風レッドカリーが一番味わい深いと思う(ナンプラーを小さじ2杯加えるとさらに味わい深くなる)。
5限の調査実習は、前期の活動(戦後の身上相談の分析)のためのグループ分け。25人を5班に分けるので、1班5人ずつだが、性別構成も考慮しないとならないので(考察にジェンダー的偏りが生じるのを避けるため)、それが少々やっかい。女子学生16人、男子学生9人と男子の方が稀少なので、男子は1つの班に2人までという制限を設定した上で、各自が所属する班の希望を募る。案の定、人数も性別構成にも偏りが生じたが(定位家族班と結婚家族班に女子学生が集中してしまったのである)、私の巧みな説得(あるいは誘導)と、学生たちの分別ある思慮(あるいは自己主張の弱さ)によって、それほどもめることもなく、おさまるべきところにおさまった。
疲れていたのであろう、帰りの地下鉄で居眠りをしてしまい、大手町を3つ乗り越して門前仲町まで行ってしまった。やれやれ。日本橋まで戻り、銀座線に乗り換えて新橋まで行き、そこでJRに乗り換えた。いつも思うのだが、東京の地下鉄は地方からやってきたばかりの人の目には迷宮のように見えるのではなかろうか。帰宅すると、妻が私に、「明日、築地に行く用事があるのだけれど、日比谷線の東銀座で降りればいいの?」と聞いてきたので、質問の意図がよくわからず、「隣の駅が築地なのになぜわざわざ1つ手前の駅で降りるの?」と逆に尋ねたら、「えっ、築地っていう駅があるの?!」ときた。これでも彼女、東京の生まれである。
5.20(木)
午前中、自宅に某家庭教師派遣会社のYと名乗る男から電話がかかってきた。私が出ると、「○子(娘の名前)さんはいらっしゃいますか」と言う。もう大学に出かけたと答えると、「では、御伝言をお願いできますか」というので、何かと聞くと、「時給2000円の家庭教師のアルバイトがあります」とのことだった。なぜ私の家の電話番号を知っているのかと尋ねると、「○子さんご自身が登録用紙に書かれたのです」とのこと。登録用紙? どこで書いたのかと重ねて尋ねると、「大学です」という。大学? はは~ん、そういうことか・・・・。念のために、そちらは大学と関係のある組織なのかと尋ねたら、「いえ、大学とは関係ありません」と正直に答えた。私の応対が冷たかったためだろうか、そのYと名乗る男は、「また電話します」ではなく、「関心がおありでしたら、この番号にお電話下さるようお伝え下さい。・・・・」とフリーダイヤルの番号を言って、電話を切った。夜、娘に聞くと、授業初日、30代くらいの男女3人組が教室にやってきて、家庭教師や塾の講師や就職セミナーの情報を紹介するから登録用紙に必要事項(氏名、住所、電話番号、メールアドレスなど)を記入して下さいと言って用紙を配って、回収したのだという。彼らのことを何者か疑わなかったのかと尋ねると、「大学の許可を得てやっているのだろうと思った」という。ふ~む、そんなことがあるわけないではないか。早稲田大学では、今年、同様の行為をやっていた連中が、建造物侵入の現行犯で逮捕されたのである。入学式のときにそういう個人情報を集める連中に注意するよう言われなかったのかと尋ねると、「宗教団体についてはずいぶんうるさく言われたけど、家庭教師派遣業者については何も言われなかった」とのこと。ガードが甘いな。念のため、インターネットで調べたところ、件の家庭教師派遣会社は、たんに家庭教師を派遣するだけでなく、むしろそれはダミーで、家庭教師の派遣先の親に何十万円もする教材(参考書・問題集)を売りつけて利益を得ているらしいことがわかった。要するに、家庭教師に雇われた学生は、そうしたぼったくり商法の片棒を担がされるわけだ。娘には、明日大学に行ったら、学生部の窓口に行って、これこれしかじかのことがあったと報告しておくように言う。もし窓口の対応が事態の重要さに気づいていないようであれば、元学生担当教務主任の私としては、担当者に電話をして、迅速な対処(大学として件の家庭教師派遣会社に強く抗議し、登録用紙をすべて回収するとともに、学生に注意を呼びかける)を求めるつもりだ。
5.21(金)
昨日の話の続編。娘の大学の学生部のN課長と電話で話す。授業初日に某家庭教師派遣会社の3人組が教室に侵入して学生たちの個人情報を収集していた事実は知っていたという。当日、その不審な3人組が構内を歩いているところを捕まえ、持っていた登録用紙を回収したそうだ。そうか、それはよかった。しかし、それならなぜ昨日私の家にその業者から電話がかかってきたのだろう? 何枚回収したのかと尋ねると、「3枚です」とN課長が答えたので、唖然とした。たったの3枚! 彼らは善意のボランティアではないのである。おそらく登録用紙1枚につき100円の歩合制で雇われているアルバイトである(3人のうち1人は正社員である可能性もある)。わざわざやってきて、3人で3枚なんてことがあるわけがない。実際、娘のいた教室だけでも数十人の学生が登録用紙に記入していたという。百枚単位で集めているはずである。私は小さく溜息をついてから、登録用紙を3枚回収して、それからどうしたのかと尋ねた。「二度とこういうことをしないよう、厳重に注意して帰しました」とN課長。・・・・(絶句)。近所の悪ガキが花壇に入ってチューリップを引っこ抜いちゃったという話ではない。学外者が教室に侵入して学生から個人情報を収集したのである。これ、立派な犯罪である。なぜ警察に引き渡さなかったのか。もしや3人の中にそちらの学生がいたのか(だから警察沙汰にしなかったのか)。「いえ、3人とも学外者でした」とN課長。「彼らが言うには、はじめ校門の外の路上で登録用紙を配っていたのだが、なかなか記入してもらえなかったので、ついキャンパスに入ってしまったそうなんです」。・・・・(絶句)。そんな言い訳を真に受けるとは、さすがにキリスト教系の大学の学生課長である。まず人を信じること。すべてはそこから始まるのであろう。たまたま彼らは授業初日にやってきた。そして、つい魔が差してキャンパスに入ってしまった。そしてたまたま入った教室がまだ右も左もわからない1年生が受講生の多数を占める一般教養科目の大教室であった。しかも彼らが教室に入った時間帯というのが、たまたま、学生たちはすでに教室にそろっているが、教員はまだ来ていない、ほんのつかの間の、個人情報を集めるには一番効率のいい時間帯であったと。う~ん、多摩川のタマちゃんもびっくりの「たまたま」の連続ですな・・・・って、そんなわけないでしょ! 彼らは事前にそちらの大学の大学歴と時間割と教室の配置図を入手した上で、3人一組で、分刻みで行動しているのである。「ミッション・インポッシブル」のトム・クルーズみたいな連中なのである。もちろん大学関係者に捕まった場合の対策も用意してある(収集した登録用紙の一部を返却し、ついキャンパスに入ってしまいました、もう二度といたしません、ごめんなさいと、打ちひしがれてみせればよい)。N課長、あなたはアマチュアで、向こうはプロだ。あの大学はたとえ捕まっても警察沙汰にはしない大学だ、甘ちゃんの大学だ、という情報は彼らの業界に行き渡るであろう。そして来春、新年度の授業初日、今回に倍する便所ハエみたいな連中が群れをなしてキャンパスにやってくるであろう。それを防ぐ方法は一つしかない。いまからでも遅くないから、某家庭教師派遣会社に電話をして、3人組の氏名を言って、おたくの社員が違法な手段で入手したうちの学生たちの登録用紙をすべて返却せよと迫ることである。同時に、学生たちに告示を出して、訳もわからないままに某家庭教師派遣会社の登録用紙に個人情報を書いて渡してしまった者は学生部に名乗り出なさいと呼びかけることである。大切なことは、そういうリアクションをする大学であるということを世間にアピールすることである。そうすれば、あの大学は手強いぞということになり、便所のハエどもは近づき難くなる。ちなみに、今日、娘が学生部に事件の報告に行ったところ、N課長が応対に出てくれたまではよかったが、「ああ、その件ね」と言った後、「で?」と娘に尋ねたそうだ。
5.22(土)
一昨日、昨日の話の続編。N課長の応対に心許なさを感じた私は、今日、都心にある本校舎の学生課に電話を入れ、応対に出たY氏に、事件の経緯を説明し、大学としてしかるべきアクションを起こしてほしい旨を告げた。Y氏はこの件を学生部長に伝えてしかるべく対処したいと答えた。課長レベルから部長レベルに案件が持ち上がるのは前進である。しかし、ここで、よろしくお願いしますと言って電話を切ったのでは、中途半端である。組織を相手にするときには、もう一押しが必要である。「ところで、先日、6月5日の保証人会定期総会のご案内をいただいたのですが・・・・」と私は切り出した。「議題は決算報告、予算審議、役員改選などとありますが、保証人の一人として今回の事件について発言したいのですが、そのような機会は与えていただけますか。」Y氏は、ちょっと困惑気味に、限られた時間ですが、保証人総会ですから出席された保証人の方が発言することはもちろんできます、と答えた。「であれば、ぜひ発言したいと思います。保証人会の役員の方々はおそらく今回の事件についてご存じないでしょうから、事件の経緯についてお話させていただいた上で、大学としてどのように対処したのかを質問したいと思います。いきなりこのようなことを質問して、学生部の面目を潰すようなことになっては申し訳ありませんので、事前に申し上げておきたいと思います。すでにかくかくしかじかの対処をしたのでご安心下さいとお答えいただければ、総会に出席した保証人の皆さんも、驚きはするでしょうが、安堵もされるでしょう。総会まであと2週間あります。どうかよろしくお願いいたします。」・・・・これ、ほとんど脅しである。総会屋の手口である。自分のちょっと芝居がかった言い回しに、思わず苦笑すると、Y氏も電話の向こうで苦笑した。
5.23(日)
高橋源一郎『一億三千万人の小説教室』(岩波新書)を読んだ。いわゆる「小説の書き方」という類の本から連想されるようなこと(たとえば、筋の組み立て方とか、会話の書き方とか)についてはまったく触れられていない。ただひたすら文章と戯れる方法(あるいは心まがえ)について論じた本である。小説を書きたいという欲求をもつ人は、たいてい小説を読むことが好きだ。好きが高じて、消費者であることに飽きたらず、生産者を志すのである。私も少年の頃、小説を書いてみたいと思ったことがあった。しかし、書けなかった。いま思うに、私は小説を書きたかったのではなくて、実は、文章を書きたかったのだ。当時読んでいた文章の大部分が小説であったために(それ以外の文章は少年には難解だった)、小説によって文章を代表させてしまっていたに過ぎないのだ。もし子供でも面白く読める社会学の本を読んでいたら、私は10年早く社会学者(社会学的な文章を書く人)を志したかもしれない。面白い文章とは、何か面白いことが書いてある文章ではなく、何かを面白く書いてある文章である。文章の魅力とは文体の魅力にほかならない。『小説教室』の主張は、魅力的な文体とたっぷりと戯れ、その文体を模倣しなさいということにほぼ尽きるが、最後に、「自分のことを書きなさい。ただし、ほんの少しだけ、楽しいウソをついて」というアドバイスが添えられている。
『小説教室』と楽しく戯れた後、もっと彼の文体と戯れたくて、書庫から『文学がこんなにわかっていいかしら』(福武文庫)を取り出してきて、「蓮實先生の大著を論ず」の章を読んだ。「蓮實先生」とは蓮實重彦のことで、「大著」とは『凡庸な芸術家の肖像 マキシム・デュ・カン論』のことである。高橋は、蓮實節をちょっと真似た文体で、「大著」の二重の迂回性(マキシムの人生の迂回性と、蓮實がマキシムの人生を記述する方法の迂回性)や、蓮實の「大著」とマルクスの「大著」(『資本論』)の類似性(「これはわれわれ自身の物語なのである」という著者たちの呟き)を指摘してみせる。舌を巻くしかない芸で、小説と文芸評論という2つのジャンルで一流の域に達している稀有の例である。小説を読まなくても小説は書けるが、文芸評論は書けない。実際、高橋の読書量は凄まじい。
「私はこの四十年ほど、ほとんど毎日、小説を読んできました(小説だけではありませんが)。あらゆる時代のあらゆる小説を。そして、結局、小説を書くことを職業に選んだのですが、ただ小説を書くだけでは満足できなくなったのでした。/小説を書きながら、相変わらず、他の作家の書いた小説をどんどん読み、また、ただ読むだけでは満足できず、この小説はどう書かれているんだろう、と何度も読み返し、古い時計を分解するように細かい部品まで分解して、一つ一つの部品を点検し、それから同種の他の小説とチェックしたりしました。/どうやったら、その小説のような小説が書けるようになるのか、自分でそっくりに書いたりもしました。/そして、その小説家のことがわかったと思うと、また別の小説家の小説を読み、点検し、分解し、それから再び組み立て、また別の小説家に向かいました。/(中略)そんなことをやっていておもしろいのか、あるいは、そんなことをやっている暇があったら、自分の小説を書いたらどうかといわれても、止めることができない。/それは、小説というものがあまりにおもしろいものだからです。」(『小説教室』「少し長いまえがき」より)
何かを面白いと感じられることも一つの才能である。戯れるという行為にも才能が必要なのだ。その点において、高橋は天才である。福田和也が『作家の値打ち』(飛鳥新社)という本の中で、高橋のことを「現在の日本文学のみならず、文化全体の『疲弊』と『不毛』を象徴する存在である」と酷評しているが(ただしデビュー作『さようなら、ギャングたち』については「文句のつけどころのない現代文学の傑作」と評している)、こうしたものの言い方は、一体、どこから来るのだろうと不思議に思っていたが(まさか私生活でひと悶着あったんじゃないだろうね)、ここに来て、ようやくわかった。この「ひと月百冊読み、三百枚書く」売れっ子の文芸評論家にとっては、書くことはもちろん、読むことも仕事である。しかし、高橋にとっては、読むことも、書くことも、遊びである。楽しくてしかたがないのだ。福田はその高橋の文章と戯れることの才能に嫉妬している。その嫉妬があまりに激しいために、嫉妬の対象そのものを否定して、自分が嫉妬していることを忘れようとしているのだ。おそらく高橋の戯れが小説の範囲にとどまっている間は、福田もそれほど嫉妬せずにすんでいたのであろうが、高橋が『文学がこんなにわかっていいかしら』(1989年)や『文学じゃないかもしれない症候群』(1992年)によって文芸評論でも脚光を浴びるようになったのがいけなかったのだ。論壇という制度の中で江藤淳の後継者をもって自他ともに任じる福田にとっては、高橋の遊び半分の(いや、遊びそのものの)文章がもてはやされるという事態は、「作家・文化人を極度に甘やかし、軽佻さを善しとした時代の科(とが)」として決して許すわけにはいかないのである。
5.24(月)
階下に住む今年81歳になる私の父親は居眠りばかりしている。居間の座椅子に座っているときは無論のこと、劇場や映画館のシートでも眠るし、法事の最中にも眠る。最近では食事中にも眠る。そのうち歩きながら眠れるようになるかもしれない。あまりに居眠りばかりしているので、母親が呆れて、昔懐かしい映画なら眠らないのではないかと考え(やはり眠ると思いますけどね)、書庫にある小津安二郎のビデオで何か適当なものはないかと私に聞いてきたので、『早春』(昭和31年)なんかがいいんじゃないかと(当時の蒲田駅が出てくるので)、ビデオの再生の仕方を教える。昔の映画はたいていそうだが、最初に配役が紹介される。「みんな死んじゃったな・・・・」と父親。「主演の池部良や岸恵子や淡島千景なんかはまだ死んじゃいないよ」と私。「この間、三橋達也が死んだときに、淡島千景がTVに出てたんだけど、すっかり老人になっていたんで驚いた」と母親。「そりゃあ、そうだよ。淡島千景って、お父さんやお母さんと同世代でしょ」と私。死んだとか、年取ったとか、どうも映画の見方が後ろ向きでいけない。後から、『早春』の感想を父親に尋ねたら、「短い映画だったね」と言った。144分の映画だから、決して短くはないはずなのだが、途中で居眠りをしていたに違いない。もっとも私も人のことは言えない。寝不足気味で、昼食の後、居間のソファーで何も掛けずにうたた寝をしていたら、どうも風邪を引いたようである。
5.25(火)
近所の内科医でいつもと同じ抗生物質と消炎剤を処方してもらう。市販の総合感冒薬は効いているのかいないのかわからないが、こちらは効き目がすぐに出る。
このところ、夕食の後、TVで男子のバレーボールの試合(オリンピック最終予選)を観ることが多い。これは完全な録画放送ではないものの、TVが第三セットをやっている頃には、すでに決着がついていて、インターネットで結果がわかってしまう。手に汗握る試合のときは、結果がわかってしまっては興ざめなので、知らない方がいいのだが、ついついパソコンのスイッチを入れてしまう。そして、2-3のフルセットで敗れたことを知って、がっかりする。TV画面の中の、飛び跳ねる選手たちや、熱狂的な声援を送る観客たちを見ながら、「彼らは自分たちの1時間後を知らないのだ」と思うと、不思議な感じがする。で、ここでTVのスイッチを消したらよさそうなものだが、たいてい私は最後まで観てしまう。どういうふうに負けるのかを見届けたいという一種自虐的な気分になるのであるが、最終セット、4-1といきなり日本がリードしたりすると、もしかして結果が覆るのではないかと(一瞬だが)考えてしまったりするから、不思議である。
5.26(水)
文学部のスロープを上っていくと、去年の調査実習ゼミの学生だったY君とM君がいた。M君はすでにY新聞社から内定をもらっているが、Y君の方はどうなのだろう。今日はラフな服装をしているので、もう内定が出たのかいと聞いたら、「はい、T印刷から内定をもらいました」というので、おめでとうと握手をする。M君が言うには、うちのゼミはもう大体みんな内定をもらっていて、それもいいところばかりですとのこと。ホント? それは優秀だ。もともと優秀な学生が集まったのだろうか、それとも一年間のゼミの活動が優秀な学生を育てたのだろうか・・・・と言ったら、二人とも笑っていた。笑いは私の台詞の後半に生じたから、彼らは前者だと思っているようだ。人は真実になかなか目がいかないものである。
5.27(木)
今日の二文の基礎演習の時間に、デュルケイムのいう「社会的事実」について説明したのだが、そこで「社会的事実」の代表的例として言葉を採り上げた。言葉は個人に対して外在的で(はじめから言葉を知っている人間はいない)、かつ強制力をもっている(「禁煙」の張り紙のある場所ではタバコを吸ってはならない)。言葉を学習することによって、われわれはものを考えられるようになり、他者とコミュニケーションができるようになる。別の言い方をすると、特定の言葉を学習することによって、われわれは特定の仕方で世界を認識するようになる。たとえば、日本人の耳には犬はワンワンと吠え、鶏はコケッコッコーと鳴いているように聞こえるが、アメリカ人の耳には犬はバウバウと吠え、鶏はクックドゥードゥルドゥーと鳴いているように聞こえる。日本人の目には虹は七色に見えるが、アメリカ人の目には虹は六色に見える。これは両者の聴覚や視覚の器官的違いによるものではなく、人間と世界との間に置かれた言葉というフィルターの違いに由来するものである。・・・・・と話を展開しようとしたのであるが、虹の色のところで話が一時停止してしまった。「虹の七色って何?」と学生たちに尋ねたのだが、こちらが期待したような答えが返ってこないのである。「赤、青、黄色・・・・」、「それから?」、「黄緑?」、「黄緑は七色に入ってない。緑だね。それから?」、「紫?」、「そうそう。それから?」、「オレンジ?」、「オレンジね。いいけど、日本語で言おうよ。」、「・・・・」、「橙(だいだい)色って言うんだ。オレンジデイズ、橙色の日々。では、最後の一色は?」、「白?」、「白! 初めて聞いたね。正解は藍(あい)色だ」。・・・・これは一人の学生と私とのやりとりではない。一人でちゃんと答えられる学生がいなかったので、複数の学生とのやりとりをつないだものである。う~ん、と私は思わず唸ってしまった。「虹の七色」(外側から並べると、赤、橙、黄、緑、青、藍、紫)は、私にとっては「社会的事実」、すなわち一種の制度なのだが、学生たちにとってはそうではないのかもしれない。「藍」が最後まで出てこなかったというのは、たんなる偶然ではないだろう。アメリカ人の目に虹は六色に見えるといったが、それは彼らが「青」と「藍」を別の色として見ないからである。「藍」は「deep blue」あるいは「indigo blue」と言うが、要するに「濃い青」のことであり、「青」に含まれる。おそらく学生たちの視覚もアメリカナイズされているのであろう。もしかしたら彼らの世界では鶏もクックドゥードゥルドゥーと鳴いているのかもしれない。
5.28(金)
大学院を休学して、昨年末からカナダの大学へ留学中のAさんが一時帰国したので、3限の大学院の演習の後、「カフェ・ゴトー」で会う。ほどよく日に焼けて、顔の色つやもよく、元気そうである。グレープフルーツジュース(Aさん)とパイナップルジュース(私)で再会の乾杯。同級生のAさん、I君もやってきたので、それぞれケーキと飲み物を注文する。半年前の歓送会もここでやったのだが、その日はちょうど卒論の提出日であったため、店内は大変な混雑で、ケーキもほとんど残っていなかったのだが、今日はよりどりみどりである。私は焼きたてのアップルパイを注文した。直前までベイクドチーズケーキを注文するつもりだったのだが、店員さんに「いまアップルパイが焼き上がりました」と言われ、「焼きたて」という言葉に弱い私は、瞬時に宗旨替えをしたのである(そのほかに私が弱い言葉に「・・・・始めました」がある)。四方山話で盛り上がっているうちに5限の始まる時刻になったので、3人を残してお先に失礼する。Aさんは8月末まで日本で何かフルタイムの仕事をして学費を稼ぐそうなので、近いうちにまた会えるであろう。
5限の卒論ゼミで、一つの実験が行われた。われわれのメンバーの一人であるM君は女の子を下の名前で呼ぶことができない(という話をH君から聞いた)。たとえば白鳥麗子さんのことを、「白鳥」とは呼べても、「麗子」、「麗子さん」、「麗子ちゃん」とは呼べないのだという。名前を構成する姓と名のうち、姓は公的で、名は私的なパーツであるから、それほど親しくない女の子を下の名前で呼べないというのは普通の感覚だといえるが、しかし、M君の場合は、親しく付き合っている女の子に対してもそうなのだという。相手のことをずっと「君」と呼んでいたのが原因で(というのはM君の解釈だが)彼女と別れたことがあるらしい。ふ~む、それはちょっと問題であろう。そこで(何が「そこで」なのか?)、今日のゼミではM君には内緒で一芝居打つことにした(M君が定刻に遅れたので、彼を待っている間に皆で打ち合わせをしたのである)。報告の後のディスカッションのときに、ゼミの女の子(3人いる)のことを下の名前で呼ぶことにしたのである。もちろん私も例外ではなく、普段は「Mさん、あなたの意見は?」と言うところを、今日は「かおり、君はどう考える?」と言うのである(みんな、思わず吹き出しそうになるのを、ぐっと堪えている)。心理学ではこの種のイタズラ、いや、実験はよく行われていて、たとえば、スクリーンに2つの黒点を映して、どちらが大きいかを尋ね、明らかに左側の黒点の方が大きいのに、自分以外の全員が右側の方が大きいと回答するという状況に置かれると、自分の視覚がおかしいのかと疑心暗鬼になり、あるいは左側の方が大きいとは思いながらも、仲間外れになりたくないので、右側の方が大きいと答えてしまうことがある。さて、はたしてM君は集団に同調してゼミの女の子を下の名前で呼んだであろうか。・・・・ディスカッションは30分ほど続いたが、M君は最後まで、一人だけ、ゼミの女の子を姓で呼び通した。ある意味、見事である。ディスカッション終了後、私はいまの実験についてM君に種明かしをした(この種の実験を行う場合には、必ず実験の直後に種明かしをしなければならない)。M君は、「そうだったんですか・・・・そんなに違和感はありませんでした」と言った。「私がMさんのことを『かおり』って呼んだことも?」と尋ねると、「あっ、そのときは、『あれっ?』と思いました。もしかしてお二人はそういう関係なのかなぁと・・・・」と答えたので、一同爆笑。「ところで先生は奥様のことを何と呼んでいるのですか」と別のM君から聞かれたので、「幸子と呼んでいる」と答えた。結婚前からそうであったと記憶している(妻は私のことを「孝治さん」と呼ぶが、付き合い始めた当初は、「先輩」と呼ばれていた)。女の子を下の名前でどうしても呼べないM君は、将来、結婚したときに相手のことを何と呼ぶのであろうか。しかし、その頃には、選択的夫婦別姓制度が実現していて、夫婦が互いを姓で呼び合っても不自然ではなくなっているかもしれない。
5.29(土)
散歩に出て、京急蒲田駅の方まで足を伸ばす。先日読んだ佐藤正午の小説『ジャンプ』の冒頭に書かれている、京急蒲田駅から主人公の彼女のマンションまでの道筋を歩いてみる。すでに地図の上で、小説の記述の正確さについては確認済みであるのだが、それとは別に、私には一つ気になっていることがあった。リンゴのことである。
「蒲田駅の寂しいほうの出口から外へ出て、第一京浜にかかる歩道橋を渡り」、「南蒲田のほうへ歩道橋を渡りきり、パチンコ屋の手前で右に折れて、駅前通り商店街に入」り、「南雲はるみに寄り添われてしばらく歩くと、右手にコンビニの明かりが見えてきた」。このコンビニはファミリーマート南蒲田店である。「ファミリーマートの前を通り過ぎ、またしばらくあるいた。商店街の道幅がやや広くなり、やがて今度は左側にコンビニの明かりが近づいた」。このコンビニはサンクス南蒲田店である。「サンクスを過ぎてまもなく左の脇道に入った。それから呑川(のみがわ)という名の川にかかる橋の手前でまた脇道に入ると、すぐこそが南雲はるみの住む五階建ての白いマンションだった。・・・・南雲はるみの部屋は一番上の階の503号室だった」。そのものずばりのマンションは存在しないが(さすがにそこまではね)、モデルになったマンションはたぶんこれだなというのはわかった。で、ここからが問題の場面である。マンションの入り口まで来て、彼女はリンゴを買うのを忘れたことを思い出し、「先にあがって待ってて。駆け足で行って戻って来るから」と言って、サンクスにリンゴを買いに行くのである。しかし彼女はそのまま戻ってこなかった。失踪したのである。
さて、私が気になっていることとは、「サンクスでリンゴを売っているのか」ということである。小説の中ではそういう設定になっている(一週間後、彼女の当夜の足取りを求めて、主人公と彼女の姉がサンクスを訪れ、彼女がリンゴの二個入りパックを購入したことを確認している)。しかし、実際にはどうなのだろう。私がふだんよく利用する自宅や大学周辺のコンビニ(セブンイレブン、am.pm、スリーエフ、ファミリーマート、ローソン)でリンゴを見たことはない。だからリンゴを買いにコンビニに行くという感覚に違和感があるのだ。リンゴは果物屋ないし八百屋(あるいはスーパー)で買う物である。実際、南蒲田の駅前商店街にも小さいが果物屋(八百屋だったろうか?)があり、ランニングシャツに短パン姿の太った男が店先の椅子に座って、TVを観ていた。しかし「蒲田駅についたのは夜十一時から十二時の間だった」という設定になっているので、一般の商店は閉まっている。だからコンビニなのであろうが、買い忘れたのが牛乳かなんかであれば、何の違和感もないところを、リンゴですからね、リンゴ。『ジャンプ』の単行本の表紙は、路上のマンホールの上に置かれたリンゴの写真である。どうしたって山田太一の名作『ふぞろいの林檎たち』を連想してしまう。佐藤正午は私とは一つ違いの1955年生まれだから、山田太一のTVドラマを20代の頃に観た世代である。小説的世界の出来事としては、彼女がサンクスに買いに行ったものは、やっぱり、牛乳やバターなんかではなく、リンゴでなくてはならなかった、という感覚は理解できないわけではない(毎朝リングをかじるのが主人公の日課である、という設定になっている)。
そうした複雑な思いを胸に、私はサンクス南蒲田店に入っていった。鍵の字型の店内をゆっくりと見て回る。ない。リンゴは置いてない。リンゴだけでなく、そもそも果物や野菜の類が置かれていない。小説の世界と現実の世界はやはり違うのだ。予想していたこととはいえ、私はちょっと落胆した。そして、せめてもの記念として、デザートのコーナーで見つけた「朝食りんごヨーグルト」を1つ購入して店を出た。帰り道、念のために、サンクス京急蒲田西口店も覗いてみたが、結果は同じだった(ここでは「蕗味噌おにぎり」を1つ購入。呑川の橋の上で、川面を眺めながら食べたが、なかなか美味しかった)。やはりサンクスにはリンゴは置いていないのだ。しかし、と私は思った、『ジャンプ』が雑誌(Gainer)に連載されていた時期(1999年1月~2000年8月)にはリンゴが置いてあったのかもしれない。現在はないからといって、当時もなかったと考えるのは実証主義的ではない。私は帰宅してから、「朝食りんごヨーグルト」のレシートに印刷されているサンクス南蒲田店の電話番号を回した。電話に出たのはアルバイトの青年であった。「ちょっと伺いますが、そちらには果物は置いてありますか?」と尋ねると、近くにいる別の店員に確かめてから、「バナナならありますが」と答えた。そうか、バナナはあったのか。どこに置いてあったのだろう。「リンゴとかはありますか?」と尋ねると、「いえ、果物はバナナくらいしか置いていなくて」と彼は申し訳なさそうに答えた(道楽に付き合わせて申し訳ないのはこっちである)。「以前は置いてあったような気もするんですが、置かなくなっちゃったんですか?」と、一番聞きたかったことを尋ねた。しかし、青年は「以前のことはよくわからないんです」と至極当然の回答をした。「どうもありがとう」と言って、私は電話を切った。もし私が『漱石とその時代』を執筆中の江藤淳であったら、店のオーナーに尋ねるとか、サンクス本社に問い合せるとか、徹底的に調査をするところであるが、今回はこの辺りが潮時である。そういうエネルギーは『清水幾太郎と彼らの時代』のために温存しておかなくてはならない。それよりも「朝食りんごヨーグルト」を冷たいうちに食べることにしよう。
5.30(日)
学芸大学の山田昌弘さんから新著『家族ペット』(サンマーク出版)が送られてきた。「家族ペット」とは「飼い主によって家族同様に愛されている小動物」のことである。先々週の「社会学研究9」の授業で、近代家族について話をしたのだが、そのとき学生たちに「あなたの家族は誰ですか?」という質問をした。家族とは主観的なものであることを例証したかったのだが、そのとき、ペットをあげた学生が何人かいた。近代家族の特徴の1つは、親密性(愛情)の重視である。実際に親密であるかどうかではなく、親密であるべきだという観念である。そうした観念は、家族の外部、すなわち地域社会が都市化し、人々がお互いの生活に干渉しない「冷たい社会」に変貌していく過程で、その反作用として出現したものである。「冷たい社会」と「暖かな家族」。だから現実の家族が「暖かな家族」ではないとき、それは「本当の家族」ではないと感じられる。われわれは自分の家族が「本当の家族」らしく見えるように一生懸命に演技をしなくてはならなくなった。かつて、模範となるべき「暖かな家族」は、テレビのホームドラマの中にあった。しかし、TVドラマも山田太一の『岸辺のアルバム』(1977年)あたりから現実の家族を描くようになり、いまでは、「暖かな家族」はNHKの朝ドラと家庭向け商品のコマーシャルの中にしか残っていない。そんな状況の中で、異彩を放っているのが、「どうする?アイフル!」のCFである。清水省吾演じる初老の男性とペットのチワワ犬「くぅ~ちゃん」の関係は、現実のペットと飼い主の関係をデフォルメしてはいるが、大方のペットの飼い主から共感をもって見られているのではなかろうか。そう、ペットと飼い主の関係こそ、乳幼児期の親子関係を別にすれば、「暖かな家族」のほとんど唯一の現実的形態なのである。我が家にも「はる」という3歳になる猫がいるが、「はる」を一番溺愛しているのは階下に住む私の母親である。本当は、孫たちが「おじいちゃん、おばあちゃん」と階下に頻繁に顔を出せばいいのであるが、大学生と高校生となるとそうもいかない。そこで縄張りの巡回とカツオ節を目的に毎日階下に降りていく「はる」が孫の代替物となるのである。山田さんは次のように書いている。
「人々がペットをかわいがる状況は、私がパラサイト・シングルと呼んだ状況と非常に似ている。夫婦が子どものためにお金をかけつづけ、子どもを楽にさせることが、子どもの自立心をそぎ、子どもをスポイルしている。それが大量のパラサイト・シングルを生んでしまった。(中略)子どもにお金をかえるなら、ペットにかけたほうがはるかにいい。なぜなら、ペットはもともと自立しないことを前提につくられた存在だからである。どうせお金をかけて絆を認識するのなら、未婚の自分の子どもにお金をかけてスポイルするより、ペットにかけてほしい。そのほうが結果的に、自立した大人が増える。もしかしたらそれがペット家族の最大の効用かもしれない。家族ペットが不況で暗い日本社会を救う手立てになる。そう考えるのは楽観的すぎるだろうか。」
ちなみに山田家には「まり」という名前の猫(チンチラと日本猫のミックス)がいる。山田さんが毎朝6時に起きるのは、「まり」に起こされるからだ。主人(あるいは父親)を6時まで寝かせておいてくれるとは、思いやりのある猫である。我が家の「はる」は、私が書斎を出て寝室に入る頃(午前2時から3時の間)、それが合図であるかのように、寝ている妻を起こして、朝食(!)を要求するのである。
5.31(月)
月曜は授業のない日なのだが、今日までに事務所に提出しなくてはならない書類があり、自宅で昼食をとってから大学へ出る。書類の提出をすませて研究室に戻る途中で、二文のA事務長に声を掛けられる。6月1日付けで、本部の総務課に異動されるとのこと。A事務長は4年前に人科から二文に移ってこられ、私が二文の学生担当教務主任をしていた2年間(2000年9月~2002年9月)、「戦友」として助けていただいた。いろいろなことがありましたねと、しばし立ち話をする。教員の場合は、大学に就職したときの学部に定年まで所属することがほとんどだが(途中で新設学部に移ることはある)、事務の方の場合は、原則として5年以内に次の部署に異動になる。そうやって学内のいろいろな仕事を覚えていくのである。早稲田大学のような大きな組織になると、部署の異動は、普通の会社員にとっての転職と同じくらい、仕事内容ならびに職場の人間関係の変化を伴う。つまりはストレスフルな出来事なのだ。だから今日のA事務長はメランコリックなムーミンのようなお顔になっている(失礼)。お貸ししてあるコンピューターの将棋ソフトで大いに研鑽を積まれて、また私に挑戦して下さい。いつでも二枚落ちからお相手いたします。今回の異動では、文研事務所のKさん、一文事務所のNさん、二文事務所のSさんなども他箇所に移られることになった。いずれも私が大変お世話になった方々である。自分のことを棚に上げて言うのだが、教員にはわがままな人間、ずぼらな人間が多いから、事務の方のご苦労は並大抵ではないであろう。机の上にいつも栄養剤のビンが並んでいるのを見るにつけ、そう思う。書類の提出期限を守り、試験の採点期日を守り、休講はせず、教室のクーラーが作動しなくても、ワイヤレスマイクの電池が切れかかっていても、ホワイトボードのマーカーのインクの出が悪くても、黙々と授業をする、そういう教員に私はなりたい。