12.15(月)
午後、「清水幾太郎の『内灘』」と「特集概要」の初校の校正を済ませて(合わせて27頁で、けっこう時間がかかった)、ポストに投函しがてら散歩に出る。栄松堂で獄本野ばらの『ミシン』(「世界の終わりという名の雑貨店」が入っている彼の最初の小説集)を見つけたので買うことにしたが、帯の「乙女のカリスマが懸命につむいだ魂の恋物語」というコピーが恥ずかしい。レジにはアルバイトの女の子が2人いる。おじさん(私)がこれを差し出したら、彼女たちはどういう反応をするであろうと考えると、気持ちがめげそうになる。そこで、『ミシン』単独ではなく、塩野七生『コンスタンティノープルの陥落』(新潮文庫)と『白州正子自伝』(新潮文庫)も一緒に購入することにした。自意識というものはお金のかかるものである。「世界の終わりという名の雑貨店」は70頁ちょっとの中篇。喫茶店で読むのにちょうどいい長さだ。「シャノアール」に行き、トーストと珈琲を注文し、読み始める。真ん中までいった辺りで、紅茶(小説の主人公の好みを真似てアールグレイ)を追加注文し、1時間半ほどで読み終える。自ら定めたディシプリンに固執して生きる青年と顔の痣のために何もかも諦めて生きてきた少女が「世界の終わり」で出会い、やがて逃避行に出る。二人を繋ぐのはVivienne Westwoodの洋服と空から降る雪。とても清冽な物語だ。熱狂的なファンがいるのは頷ける。したがって拒絶反応を起こす人々もまた多いに違いない。私は拒絶反応を起こすこともなく、かといって途中で涙ぐむこともなく、最後の頁までたどり着いた。読むに値する小説であった。家に帰って、シューベルトの「冬の旅」が聴きたくなった。
家の近所の洋食屋「暢さん」が閉店した。いつのぞいても、客が一人いるかいないかであったので、厳しいだろうとは思っていた。味は決して悪くなかったが、メニューの数の少ないのが常連客が増えなかった原因であろう。「世界の終わりという名の雑貨店」の中で、貸しビルのオーナーが主人公の青年に部屋で何か商売を始めることを勧め、こんな繁華街から外れたエレベーターもないビルの4階で商売が成り立つでしょうかと言う青年に向かって、こんなアドバイスをしている。
「それは心配しないでいい。商売というのは不思議なもので、店を出せばどんな立地だって、何を商っていたって、一ヵ月間、収入ゼロ、誰も来なかったなんてことは起こらないんだよ。富士の樹海の中で床屋を開いたとしても、少ないが客は来る。何故か、来る。何も商うものが思いつかないなら、試しに鴨川に下りて石を拾ってきて、石屋を始めてみればいい。看板をあげれば、必ず誰かやってくるものさ」
たしかに一面の真理ではある。私が大学院生だったころ、自宅の玄関に「勉強教えます」と書いたボール紙の看板を掛けたら近所の小学生が2人、母親に連れられてやってきた。しかし、生活していくためには、たんにお客が来るだけでは不十分で、一定数以上のお客が来なくてはならない。「暢さん」はそれをクリアーできなかった。彼は大阪弁を話す人だったが、またどこか別の土地で再起をはかるのだろうか。
12.16(火)
会議漬けの一日。今年の4月にスポーツ科学部が人間科学部から独立し、来年の4月には国際教養学部が新しく誕生する。法科大学院(ロースクール)ほかの専門大学院もいくつか立ち上がる。このように早稲田大学は(おそらくどこの大学も)、いま、改革の真っ只中にある。もちろん文学部も例外ではなく、学部再編へ向けての議論が活発化している。しかし、なぜ変わらなくてはいけないのか、本当に変わらなくてはいけないのか、変わることでかえって悪くなるかもしれないのではないか、といった疑問を払拭できないでいる。そうした疑問を抱えたまま、どう変わるかという議論だけが進んでいっているので、ひずみというか、ねじれというか、「ふ~む」というか、「あれれ」というか、とにかくしっくりしない感じがしだいに大きくなっている。会議が終わると懐疑的になっている。
12.17(水)
調査実習(社会学演習3D)で学生を叱る。私は学生に好んで嫌われようとは思わないが、こんなことを言うと嫌われるかななどと考えて、叱るべきときに叱らない(あるいは叱れない)というようなことはない。むしろ学生を叱るのは教師の、あるいは大人の重要な役目の一つだと考えている。今回、学生を叱ったのは、実習を無断で休んだり、提出物の〆切を無断で破ったことに対してである。何らかの理由で授業を休まざるをえないことはあるし、〆切が守れないこともあるだろう。実際、私も風邪を引いて休講にすることはあるし、〆切までに原稿を出せないこともある。問題は「無断で」という点である。休むならばこれこれしかじかの理由で休みますというべきであるし、〆切に間に合わないならばこれこれしかじかの理由で間に合いません(申し訳ありません)というべきである。それが共同で一つの仕事をしている者たちへの責任というものである。もし、自分ひとりが無断で休んだところで、自分ひとりが〆切を守らなかったところで、全体に何か迷惑がかかるわけではないと考えているとしたら、それはたんに無責任であるだけでなく、想像力とプライドの欠如でもある。一体、若者から責任感と想像力とプライドを引いたら何が残るというのだろうか。これから彼らは就職活動に本格的に入っていくが、責任感と想像力とプライドのある若者は、大学の教員からだけでなく、企業の人事の担当者からも評価されるはずである。
12.18(木)
夕方、研究室に二文の学生で、私の基礎演習をとっているK君がやってくる。先週、提出しなければならなかったレポートを今日持参したのだ。基礎演習では、レポートは私だけなく、クラスの人数分コピーしてきて、全員に配布し、1週間かけて全員が全員のレポートを読んできて、今日はそれをもとにディスカッションをすることになっている。したがって、今日レポートを提出しても、証文の出し遅れで、あまり意味はないのである。「いまごろ持ってきてもなぁ」と私は浮かない顔でK君からレポートを受け取った。そのときK君がすかさず言った、「先生、甘いものはお好きですか?」 見ると手には何やら紙包みをもっている。「ああ、好きだけど」「和菓子なんかは?」「うん、好きだけど」「実はおはぎを買ってきたんですが」「・・・・・・・」 なるほどね、そういうことね(なんか、このごろ、こういうパターンが多い気がする)。「小田急デパートで買ってきました。僕も大好きなんです。」 そんじょそこらのおはぎではありませんという物言いである。彼が紙包みを開けると、「柿次郎おはぎ」と書かれたパックに粒餡をたっぷりとまとった大振りのおはぎが2つ入っている。お、おいしそうだ。「越後屋、お前も悪よのう」「何をおっしゃいます、お代官様こそ」「むふふふふ・・・・・」の世界である。その後は雑談。まぁ、学生を叱るだけが教師の役目じゃありませんからね。えっ、昨日と言っていることがずいぶんと違うじゃないかって? ええ、それが、何か問題でも?(←おぎやはぎの口調で←おはぎからの連想)。
12.19(金)
4限の大学院の演習を終えて、そのままみんな(7名)で「カフェ・ゴトー」へ行く。今日の授業を最後にカナダの大学に留学するAさんの送別会である。念のために午前中に予約を入れておいて正解だった。いつもは落ち着いた雰囲気の店内が、卒論の提出を終えて(今日は卒論提出の最終日)、ほっと一息という感じで立ち寄ったと思われる学生たちでいっぱいである。しかし、そうと知っていたら、チーズケーキも予約しておくべきだった。ケーキケースの中にはケーキが残り少なく、われわれがパンプキンパイを5個、アプリコットパイとパウンドケーキを各1個注文したら、後にはほうれん草とベーコンのパイしか残らなかった。ヌーの大群が移動した後の草原のようである。とにかくこんなにお客でいっぱいの「カフェ・ゴトー」は初めてだった。
夜、研究室で待っていると、二文4年生のMJさんとMMさんが卒論を提出に来た。一文の場合は、事務所に提出するのだが、二文の場合は指導教員に提出し、題目提出届に印鑑をもらい、それを事務所に提出するというシステムになっているのだ。焼肉屋「ホドリ」で打ち上げ。明日、MJさんは小説『半落ち』を読み、MMさんは映画『ファインディング・ニモ』を観るそうだ。私は年賀状書きだ。
12.20(土)
散歩に出ると、晴れてはいるが、風は思いのほか冷たい。有隣堂で岩波文庫の新刊『日本近代文学評論選 明治・大正篇』、栄松堂で岩波新書の新刊鹿島敬『男女共同参画の時代』を買ってから、「洋麺屋五右衛門」で鱈子と湯葉としめじのスパゲッティーを食べる。昼食には遅い時間帯だったが、店内は混んでいて、一人客は自分だけだった。
夜、年賀状の作成。今回の図柄(妻の担当)は白木蓮。それに歳時記から選んだ長谷川素逝の句「木蓮のつぼみのひかり立ちそろふ」を添える。年内に投函する年賀状は120枚ほど。年齢の割には少ないだろう。交際範囲が狭いのである。おかげで年賀状の作成に膨大な時間をとられることはない。一日かければ終わる作業である。
12.21(日)
まだ来年のカレンダーを購入していなかったので、散歩がてら買いに出る。今日は日差しが暖かい。この数年、山中現という人の木版画が使われているカレンダーを使っているのだが、今年はそのシリーズを見かけない。卓上カレンダーは飾り気のない機能的なものでいっこうにかまわないが、壁掛けカレンダーは美術的な要素がほしい。東口の紀伊国屋書店をのぞいてみる。しばらく来ない間に本の配置がずいぶんと変わった。実用書と文庫本が店舗の中央を占め、専門書は窓際に追いやられていた。老舗の名前が泣いている。手帳コーナーに能率手帳の補充ノート(10冊入り460円)があったので購入。能率手帳はどこでも置いているが、補充ノートを置いてあるところはめったにない。やっぱり老舗だけのことはある。カレンダーのコーナーは品揃えが少なく(もうピークの時期を過ぎたのであろう)、あまり期待しないで見ていたら、大正3年に創刊されて昭和18年まで続いていた『子供之友』という絵本で使われていた12枚の絵で構成されたカレンダーがあった。婦人之友社が出している「せいかつカレンダー」というものだ。12枚の絵の画家は、岡本帰一、亀高文子、小寺健吉、竹久夢二、田中良、本田庄太郎、嶺田弘の7名である。どの絵も楽しく、美しいが、とりわけ田中良の「椿咲くころ」(大正9年)と「小さな陶芸師」(大正9年)は大正ロマンという言葉がピッタリで、思わず見とれてしまう。税込みで1500円。迷わず購入した。それから熊沢書店に寄って、能率手帳の会社が出している「シーズルーム(モダン)」というシンプルな卓上カレンダー(800円)を購入。
12.22(月)
冬至。文学部の向かいの穴八幡神社は「一陽来復」のお札を求めてやってきた人たち(ほとんどがおじさんとおばさん)で大変な賑わいである。母に頼まれたお札はもう少し人の列が短くなった頃に買うとして、とりあえず露店で焼きソバと鯛焼きを買って、それを今日の昼食とする。調査実習の資料を学生に配布するために午後はずっと研究室に詰めていたが、途中でちょっと抜け出して、お札を買いに行き、小高い神社の境内から人気の少なくなった文学部のキャンパスを眺めていたら、「今年も終わりだな」という気分になった。夜、都電の早稲田駅の側の寿司屋で社会学専修の長谷先生、嶋崎先生、土屋先生とプチ忘年会。10時過ぎにお開きとなり、再び研究室に戻って、テーブルの上に散乱している書類の整理。次に研究室に来るのは来年になるかもしれないので、散らかしたままにしておくのは気分が悪い。Hさんからいただいたクリスマスリースを研究室の入口に飾って、11時過ぎに研究室を出る。
12.23(火)
栄松堂の隣の文房具店にモールスキンの方眼紙タイプの手帳があったので購入(1500円)。すでに白紙タイプのものは購入してあるのだが(未使用)、文字をたくさん書くのであれば、方眼紙タイプのものの方が使いやすそうな気がして。スケジュール管理は従来どおり能率手帳(+補充用ノート)を使い、このシンプルで美しいフォルムのモールスキンの手帳はなんでも帳として使おう。前者は未来志向のアイテムで、後者は現在志向のアイテムだが、時間の流れの中で、いずれはどちらも過去志向(あの時、こんなことをしていた、こんなことを考えていた)のアイテムに変容するだろう。
12.29(月)
今週は週の途中で年が替わる。一年の終わりと一年の始まりが同居する週だ。心静に、行く年を回顧し、来る年を展望したいところだが、生憎そうもいっていられない。年内に片付けてしまわないといけない仕事が二つ残っているのだ。
一つは、ある学会の機関誌の投稿論文の査読。この学会からはいつも年末のこの時期に査読の依頼が来る。一応、〆切は1月中旬なのであるが、学期が始まったら忙しくなることは目に見えているし、正月休みは正月らしいことをしたいしで、結局、大晦日までに済ませないとならないのである。投稿論文の査読というのは、投稿論文を読んで、投稿者へのコメント(修正点の指摘が中心)を作成し、編集委員会へ提出する審査用紙に結果を記入するという作業だが、少なくとも半日を要する。素晴らしい内容で何一つ文句はないか、どうしようもない内容で何も言う気がしないか、どちらかであれば話は簡単なのであるが、ほとんどの投稿論文(少なくとも私のところに回ってくるもの)は、この両者の中間に位置していて、したがって、批判的かつ建設的なコメントという微妙なバランスを必要とするものを求められることになる。これ、けっこう骨が折れます。
もう一つは、今朝、学文社から速達で届いた『社会学年誌』の特集論文の再校(および英文サマリーの初校)の校正である。初校の校正から2週間で再校が届くとは思っていなかった(新年早々の仕事の一つに予定していた)。〆切は「1月4日」である。校正は三校まであるのだが、著者校正は再校の段階までなので、万全を期さなくてはならない。それと、英文サマリーの初校の方で問題が1つある。「左派社会党」の英語表記である。周知の通り、1945年11月に結成された日本社会党は、1951年10月に講和問題についての党内の意見の対立から左派社会党と右派社会党に分裂し、1955年10月に再統一されたのだが、分裂前の日本社会党の英語名はSocial Democratic Party of Japanで、再統一後の日本社会党の英語名はSocialist Party of Japanなのである。日本語名は同じなのに英語名は違うところに、日本社会党の複雑な党内事情が伺われる。最初の結成のとき、党名を「日本社会党」とするか「社会民主党」とするかで一悶着あった。党内左派は前者を支持し、党内右派は後者を支持し、前者が通るのであるが、その際、英語名は後者の顔を立てて「社会民主党」にしたのである。それが再統一後は日本語も英語も「日本社会党」になったのは、再統一が左派主導で行われたからである。で、ここまでは私も知っているのであるが、分裂時代、左派社会党と右派社会党がそれぞれ英語の名称をどうしていたのか、自宅にある資料では確認できないのである。図書館で調べればわかるはずだが、年末年始は休館である。上の事情から考えて、たぶん左派社会党はSocialist Party of Japan で、右派社会党は Social Democratic Party of Japanであろうと思うが、「たぶん」では駄目である。どなたかご存知の方、教えて下さい。
・・・・というようなことを書斎に篭ってやっていたら、何やら妻の機嫌が悪い。私が大掃除を手伝わないからである。うっかり、「日本橋の丸善に行って、帰りに有楽町で『ブルース・オールマイティ』でも観て来ようかな」と言ったところ、マジで切れそうになって、怖かった。仕方がないので、申し訳程度に、居間のドアのガラス拭きと、居間と寝室の天井の照明カバーの掃除をする。「浮世離れした学者」というイメージは男女共同参画社会ではもはや容認されないのである。
12.31(水)
午後、日本橋の丸善に出かける。4階の洋書売場で日本の戦後史について書かれた本を探したが、収穫なし。外国人の関心があるのは、せいせい明治時代までの日本、『ラスト・サムライ』で描かれたような日本人であるらしい。ふと、横を見ると、外国人の若い男が平積の本の上に腰を下ろして本を読んでいる。なぜ店員は注意をしないのだろうか。「立ちなさい」と注意をしようと思ったが、相手をよく見ると、スキンヘッドで鼻にはピアス、黒の皮ジャンに腰からチェーンをぶら下げている。君子危うきに近寄らず。大晦日にこんなのを相手に喧嘩をして怪我でもしたら大変と判断し、頭の中で、彼の膝の上に檸檬の形の手榴弾を一つ置いて、ピンを抜き、その場を離れる。社会学のコーナーを覗き、Anthony GiddensのSociologyの第4版(2001)と、Murray KnuttilaのIntroducing Sociologyの第2版(2002)を購入。最近のバンドブックはどれも、従来の文献一覧に加えて関連ホームページのURL一覧が載っているが、ギデンズのものは本書専用のホームページまで開設しているところがすごい。同じ4階でカレンダー展をやっていたので、研究室用に毎日の月の満ち欠けが表示されている壁掛け用カレンダーを購入(陰暦版と太陽暦版があったが実用的な後者を選択)。それから、地下1階の文房具売場で娘が欲しがっていたスケジュール帳(12月終わりのものでなく3月まで記入できるもの)を購入し、そのまま地下鉄の通路に出て、向かいの高島屋の地下食品売場に御年賀用の進物を買いに行く。大変な混雑で、いかにも大晦日という雰囲気である。フルーツパーラーがあったので、ちょっと一服。アイスクリームの周りに、オレンジ、メロン、グレープフルーツ、西瓜、ブルーベリー等を散らし、生クリームをたっぷりかけたもの(名前は忘れた)を注文。カウンターの向こうで個々のフルーツがカットされ、盛り付けられていく過程を眺めつつ待つ。さながら寿司屋のカウンターに座っているようである。この季節に西瓜が食べられるとは思いもしなかったので、その甘さにはちょっと感激。「とらや」の羊羹と「松崎煎餅」の手焼き煎餅を購入し、帰宅。
紅白歌合戦は白組の圧勝に終わる。こんなに大差(ゲスト審査員はほぼ全員が白組に入れたのではないか)は珍しい。私が一番いいと思ったのは、森進一が曲を作った長渕剛をバックコーラス(というよりもデュエットに近かった)にして歌った「狼たちの遠吠え」。初めて聴く歌だったが、2人の共演は圧巻で、これだけでも今年の紅白歌合戦を観た甲斐があった。ほかには、平井堅が映像の坂本九とデュエットした「見上げてごらん夜の星を」、森山直太郎の「さくら(独唱)」、モーニング娘。の「Go Girl~恋のヴィクトリー~」がとくによかったと思う。
紅白歌合戦の結果を見届けてから、近所の女塚神社に一家で初詣に出かける。