フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

2月27日(木) 曇りのち小雨

2014-02-28 10:32:38 | Weblog

       8時、起床。

       ソーセージ、マフィン、サラダ、ジャム、紅茶の朝食。ジャムはアプリコット、夏みかん、キュウイの三種。

      昼食は母が作ってくれたものをいただく。あれこれの小鉢が並ぶ。左から、キュウリと若芽の酢の物、蕗の薹の煮物、豆腐の卵とじ、南瓜の煮付け、ブロッコリー。この後(食べ始めてから)さらにニシンの佃煮が出て来た。

     午後、散歩に出る。

     サンライズカマタ商店街の「一二三堂」に本日発売の雑誌を買いに行く。その雑誌とは・・・

     『大田区本』(出版)である。先日、「phono kafe」に取材に来ていたところに遭遇し、出版を楽しみにしていたのである。

      レジの前にも置かれていた。2冊購入。

      駅の東口の階段の下にも駅ビルの「くまざわ書店」の出店が大々的にキャンペーンをやっていたので、もう1冊購入。

     購入したばかりの『大田区本』に目を通すために「まやんち」へ行く。

     ガトー・バナーヌ(キャラメル・アイスクリーム添え)とダージリンの夏摘みを注文。

     「phono kafe」の記事は110頁に出ている。丸々一頁が割かれている。すごいじゃないですか。しかも、カフェとしてではなく、「大田区印の美食案内」の中で「落ち着いた空間で食べる癒し系自然派料理」の店として紹介されている。

     「蒲田駅から住宅街に少し入った場所にある空色の壁が目印の『フォノカフェ』。レトロな引き戸を開ければ、心地いいヒーリング系音楽と独特の空気感で、店内の時間は驚くほどゆるやか。オーナーの大原さんがお客さんに微笑みかける笑顔もこの店の雰囲気の良さを作っているのだろう。
     こちらでは食事以外にも、焼き菓子が人気で、特に最近始めたといマフィンはすぐになうなってしまうほど。ドライクランベリーも砂糖漬けではないもので、甘いものが苦手な人でもサラッと食べられる。そして席に案内されたらオーダーするのは「ご飯セット(800円)」6品のおかずの中から3品選ぶシステムになっていて、有機味噌のみそ汁と玄米ご飯がセットで付く。他にもパン、おにぎり、カレー、蒸しパンサンドなどバラエティに富んだセットもオーダー可能だ。野菜は長野や千葉の農家から仕入れ、極力無農薬のものをセレクトする。これらの野菜が見た目も美しく絶妙な調理味付けをされ、テーブルに並ぶ。爽やかな場所で感応するには最適な料理である。」 

     蒲田(周辺)を取り上げたタウン雑誌はこれまでも何冊かあるが、二番煎じ、三番煎じを避けるためだろうか、定番の名店たち、とんかつの「鈴文」、鰻の「寿々喜」、天ぷらの「天味」、カフェでいえば「まやんち」も「テラスドルチェ」も「ムッシュのんのん」も載っていない。その代わりに、「phono kafe」がそうであるように、新しい店やこれまで見過ごされてきた老舗(たとえば天ぷらの「天義」など)が取り上げられているのが特色だろう。取材は丁寧で、写真もいい。850円は安い。

     さっそく「phono kafe」に顔を出す。

     大原さんに『大田区本』のことを言ったら、明日が発売日だと思っていて、まだ見ていなかった。出版社からもらえるのかと思ったらそうではないようだった。私が買った三冊の中の一冊を進呈する。あと一冊は街歩きが趣味の「SKIPA」の宙太さんに進呈しようと思う。

     大原さん、「phono kafe」の頁を見て、ご満悦である。

     「これでお客さんが急に増えたらどうしましょう。一人で対応できるかしら・・・」とはやくもトラウマならぬトラカワが始まった(←「トラカワ」とは「とらぬ狸の皮算用」の略です)。楽天的な心配性である。

     先週来たときより、室内の装飾品が増えている。

     カウンターの上の天上近くに鉄道模型が置かれている。

     入口の右側の壁に新しい棚が置かれている。

 

        テーブルの上に花や水草が置かれている。

 

      これらはすべて常連客の一人、さすらいの整体師&流木アーティストの鈴木さんの仕業である。閉店時刻の7時まで、3人でおしゃべりする。

   我が家の夕食の献立は、焼き魚(エボダイ)、アスパラのベーコン巻、サラダ、冷奴+納豆+オクラ、茄子のみそ汁、ご飯(十五穀米)。4


2月26日(水) 曇り

2014-02-27 12:09:43 | Weblog

      8時半、起床。

      先日、卒業生のFさんからメールをいただいた。2010年の卒業生だが、ゼミとか卒論を指導した学生ではなく、大教室での講義を履修していた学生である。私がFさんのことを覚えていたのは、彼女から彼女のお祖母様の句集をいただいたことがあるからである。なぜ句集をいただいたのか、その理由は覚えていないが、『春の風』というタイトルの句集に収められた次の一句は鮮明に覚えている。

          点滴はいのちのしずく花の雨  芙蓉

      病床という小さな空間が豊かな創造的空間に変容する瞬間に立ち会った気がした。病床で詠まれた句としては正岡子規のものがよく知られているが、どのような限定された空間、不自由な身体であっても、そこに俳句的世界を展開することは可能であるということ。最近、私は俳句の実作を始めたわけだが、いつでも、どこでも、その気にさえなれば(ここが肝心なわけだが)、そこに俳句的世界を展開することが可能なのだということを、改めて実感している。そして芙蓉の句を思い出すことがたびたびあったから、Fさんからメールをいただいときは、その偶然の共振作用に驚いたものである。

      Fさんからのメールには、冒頭、こんなことが書かれていた。

      「先生のブログは「ネット上の同窓空間」のような感覚をわれわれ卒業生に与えるらしく、私の周囲の友人はみな時々思い出したように先生のブログをのぞいては、そうか、いま早稲田はこうなっているのか、ふむふむ、じゃあ明日もがんばるか、という感じでやっているようです。」

      「ネット上の同窓空間」、そうか、そういう感覚なのか。そういう需要があるのであれば、もっとキャンパスの風景や早稲田界隈の写真をアップしなくちゃなと思った。

      で、Fさんのメールの本題は、私のブログが大学時代の友人との再会のきっかけになったという報告だった。今年の1月4日の「フィールドノート」に卒業生からいただいた年賀状への返信についてこんなことを書いた。

     「深夜、年賀状の返信を近所のポストに出しに行く。返信の必要な新たな年賀状は今日あたりが最後だろう。「今年(こそ)はお会いしたいものです」と書かれている年賀状には、「では、会いましょう」と具体的な日程の提案を書いて返信することにしている。「いつか」「そのうち」ではまた一年が経ってしまう。(中略)いつかしたいこと、そのうちしたいことは、本当にしたいなら、いますることです。」

     この記事を読んだFさんの大学時代の友人がFさんに「会おう」というメールをくれたことで、先日、二人は久しぶりの再会を果たしたそうだ。その友人はすでに結婚し、少しばかり遠い場所にいて、小さなお子さんもいる。だから会うためには、Fさんが動かなくてはならない。

     「すごくすごく、うれしかったのです。私はとても出不精で体力もなく、長距離移動には勇気とガッツがいるのですが、そのどちらも、あっという間に出ました。」

     Fさんのエネルギーは友人の「会おう」というメールで一挙に高まったのだ。ネット空間でのコミュニケーションは、いまや総量において、リアルな空間でのコミュニケーションを凌駕するものになっている。ネット空間がなかったら、二度と会うことがなかった人と、いや、一度も会うことのなった人とも、私たちはコミュニケーションをとれるようになった。けれど、私たちの感覚では、依然として、リアル空間でのコミュニケーションの方が、ネット空間でのコミュニケーションよりも、上位に位置している。リアル空間でのコミュニケーションが本来のもので、ネット空間でのコミュニケーションはそれを補完するものという感覚がある。いずれそういう感覚を持たない人類が出現してくるかもしれないが、私たちの感覚はまだそこまでは「進化」していない。リアル空間で会うことは大切だ。ネット空間でのコミュニケーションが気軽にできるようになればなるほど、費用(時間とお金とエネルギー)のかかるリアル空間でのコミュニケーションは貴重なものになってくる。

    「会おう」というメールを送ることは、少しばかり勇気がいる。拒絶される可能性があるからだ。「会う」という行為が実現するためには、自分がそう思うだけではだめで、相手にそれを伝え、相手もそう思ってくれなくてはならない。もし相手がそう思ってくれなかったら・・・そういう危惧が「会おう」というメールを送信することをためらわせる。「会いたい」という気持ちを温存したまま、たぶん相手もそう思っていてくれるだろうと検証されない空想的な世界の中に引きこもることを選択する人の方が圧倒的に多いのは、忙しからではなく、相手に同意してもらえず、自己が傷つくことを恐れるからである。そういう意味では、Fさんと友人の再会における一番のポイントは友人がFさんに「会おう」というメールを送ったことである。私のブログはその後押しをしたに過ぎない。内在的な力がなければ、後押しに意味はない。

     「私たちはこれからも、名はなくとも、無力でも、毎日を一生懸命すごしていくと思います。そして時に先生の言葉を思い出して、具体的に計画をたてて、会うと思います。楽しい一日のきっかけをありがとうございました。」

     朝食はとらず、お昼に家を出て、大学へ。今日は論系の会議と、夕方からこの3月で定年退職される同僚の長田先生の送別会がある。

     蒲田駅で買った崎陽軒のシュウマイ弁当を研究室で食べる。味噌汁は研究室に常備しているフリーズドライのもの。

     1時半から5時過ぎまで現代人間論系の教室会議。いつにもまして長い会議だった。ふぅ。

     6時から、高田馬場の「土風炉」で送別会。料理はコースではなく、メニューをみながらそれぞれが食べたいものを注文して、シェアした。年配の男性ばかりだったせいだろうか、ヘルシーな料理が多い中、私はマグロのレアカツを注文した(写真一番下)。

 

     送別会は、最後に長田先生からのご挨拶の言葉があって、9時を少し回った頃にお開きになった。長田先生には教員生活最後の10年近くを現代人間論系の運営のためにご尽力いただきました。本当にありがとうございました。


2月25日(火) 晴れ

2014-02-26 11:50:56 | Weblog

      8時、起床。

      今日は暖かい。飼い猫のはるの行動にもそれは表れる。寒い日はベランダに出してやってもすぐに室内に戻ってくるが、今日の「視察」は長い。

     マフィン、ソーセージ、レタス、夏みかんのマーマレード、(昨日のんちゃんからいただいた)キュウイのジャム、紅茶の朝食。

       午後、散歩に出る。

      昼食はメキシコ家庭料理の店「ハリスコ」で。「つけ麺大王」の並びにある小さな店で、前から気になっていたが、入るのは今日が初めて。これまでためらっていたのは、看板にある「テキーラ」の文字のせいである。テキーラといえば強い酒の代名詞のようなもので、下戸の私には入店の資格がないのではないかとビビッていたのである。きっと店には「ガルシア」という名前の男がいて、飲み物は何にするかと聞いてきて、私が水でいいと答えると、怖い目で睨むのである。そういう想像が私に二の足を踏ませていたのである。最近、「phono kafe」の大原さんご夫婦が「ハリスコ」に行ったという話を聞いた。メキシコ人の母親と日本人とのハーフの娘さん二人でやっている店で、とてもフレンドリーだったそうだ。そうか、「ガルシア」はいないんだ。というわけで、今日の訪問となったのである。

     カウンター6席だけの狭い店内には三人の先客(若い女性の二人連れと外国人の男性)がいた。彼らの間に座る。みな常連さんのようで、メキシコ人のお母さんとハーフの娘さんとおしゃべりをしている。娘さんは身重のようである。そのうちウッディ・アレンみたいな顔をしたやつれた感じの日本人の男性が入ってきたが、彼も常連さんのようで、席に着くなり「今日調子悪くてさあ」みたいな話を始めた。

      週替わりランチの「さくさくチキンカツピリ辛トマトソース&とろーりチーズのせ、メキシカンライス付」を注文するつもりだったが、それはもう終わってしまっていたので、もう一つの週替わりランチ「牛ステーキとサボテン、セボンジータの鉄板焼き、メキシカンライス付」を注文する。まずポテトサラダと鶏ガラスープが出て来た。このスープが熱くて美味しい。飲み物はピンクグレープフルーツジュースをチョイス。

 

      常連さんたちのおしゃべりを聴きながら(恋バナからスペイン美術まで)、待つことしばし、料理が出て来た。あらかじめ包丁の入ったステーキには、アボカドを使ったものだろうか、緑色のソースがかかっている。スパイシーで美味しい。緑色のそばのようなものはサボテンである。サボテンを食べるのは初めて。固有の味はなく、シナ竹をもう少し柔らかくしたような食感。緑の葉の野菜はセボジータというメキシコ産の玉ねぎ。「この辺りまでは食べられます」とハーフの娘さんが教えてくれたが、結局、私は残さず全部を食べた。トルティア(トウモロコシの薄焼きパン)はサービスで付いた来て、さらにあとから追加でもう一枚いただいた。肉や、野菜や、ライスをはさんで食べてねと教えられる。ライスまではさむとは知らなかった。メキシコの家庭料理を家庭的な雰囲気の中で満喫した。

     支払いのとき、娘さんに、ご予定はいつですかと聞いたら、6月ですとのこと。「元気なあかちゃんを」と言うと、ニッコリとされた。彼女が産休に入る前にまた来ようと思う。

     鵜の木のギャラリーカフェ「hasu no hana」へ行く。

     その前に、天気がいいので、鵜の木の商店街を抜けて、多摩川の堤に出てみることにした。

 

 

 

 

 

       春風や堤長うして家遠し  蕪村

       散歩を終えて、「hasu no hana」へ。

       新垣美奈展「Lights,Windows,Darkuness at Nigite」(3月14日まで)。

           夜に浮かぶ光は、生きているものの存在や痕跡を表している。
           夜の闇はただ黒いだけではなく、光を際立たせ、
           あらゆるものを包み込んでいる。
           夜の窓のあかりの中に、人々の生活を垣間見る。
           それを目にする私は、外側にいる者である。
                                 (案内用のポストカードに印刷された作者の言葉)          


「たくさんの暮らしの気配」(キャンバス25枚、2013年)


「たくさんの暮らしの気配」(部分)

     ついさきほど多摩川の土手を歩いていたときたくさんのマンションの窓を見たが、昼間は、窓の中は暗くて、人々の生活を感じることはできない。夜の窓というのはその意味で魅力的なモチーフであると思う。


Hoses and Construction at Night(木パネル組作品、2014年)


いろいろな空き箱を使った立体作品群

       「hasu no haha」はカフェとしてのレベルも高い。何も展示がないときも来てみたいギャラリーカフェである。オレンジコンフィとラム漬けイチジクのブラウニーを注文。今週のコーヒーはタンザニア。

      あとから追加で紅茶を注文(メニューには載っていないが注文できます)。

      作家さんご本人が在廊中だったので、いろいろお話をうかがえた。

      卒業制作の頃からの作品を写真でみせていただいたが、すでに夜の窓はそのときから描いておられた。自分自身の作風、モチーフを卒業までに見出ださねばならないのですかと質問したら、そういうプレッシャーはありますとのことだった。そうやって見出した作風やモチーフを、追求し、確立する時期があって(卒業6年目の新垣さんはいまそういうステージにいるのだろう)、さらに、そこからまた新しい作風やモチーフを探究する時期がいずれくるのだろう。素人の私のあれこれの質問に誠実に答えてくださって、どうもありがとうございまいた。

     蒲田に戻り、ジムへ行く。 

      東急プラザの屋上の観覧車は3月2日で営業終了(休止)である。先の話はまだわからない。

 

       筋トレ2セットと有酸素運動45分(650キロカロリーを消費)。

       夕食はキノコのおろしハンバーグ。


2月24日(月) 曇り

2014-02-25 12:31:28 | Weblog

    7時半、起床。

    マフィン、サラダ、(あるすのマダムにいただいた)夏みかんで作ったマーマレード、紅茶の朝食。

     バター容器の空虚さについてときどき考える。かつてバターは容器の上辺近くまであった。それがバターの実質的な値上げでバターの厚みが減り、お湯の少ないバスタブのような、このような隙間が出来てしまったのだ。バターに限らず、まず価格は変わらないが分量が減り(第一の値上げ)、続いて、価格が上がる(第二の値上げ)というのは食料品における値上げの一般的なパターンである。第一の値上げに気づかない人もいるが、バター容器はそのことを教えてくれる。ところで、いま売られてるバター容器は、昔の規格のままなのだろうか、それとも、新しい(厚みの減じたバターに対応した)規格のものなのだろうか。空虚な隙間が生じないような浅いバター容器がほしいのだが、そうしたものは存在するのだろうか。昔のままの規格で相変わらず作られているとしたら、いつの日か再び、バターの厚みが増す日がやってくることを、人々は期待しているということだろうか。

     昼前に家を出て、大学へ。

     1時から教授会。

     教授会は3時半頃までかかった。もう少し早く終わるだろうと思って、3時から「ナッティ」で卒業生と会う約束をしていたのだが、30分ほど遅れる。

     ゼミ二期生のU君である。在学中より「ナッティ」によく来ていたと「ナッティ」のマスターから聞いていたので、待ち合わせの場所にはちょうどいいだろうと思った。私が遅れても、マスターとおしゃべりをしながら、待っていてもらえた。

     N君は学生時代は書店でアルバイトをし、卒業後は出版社に就職し、そこを去年の暮に辞めて、いまは本の取り次ぎ店でアルバイトをしている。出版社の仕事はとにかく忙しかったようで、身体も壊したようだが、いまは9時ー5時の規則正しい生活をしているという。うん、まずは健康が大切だ。給料とか、仕事のやりがいとかは、その上でのものである。

     他のお客さんも入ってきたことだし、私も昼食抜きだったので、場所を替えて話を続けようということで、「maruharu」へ行く。私はホットドックとコーヒー。U君はケーキとコーヒーを注文。

    U君は本が好きで、実際、私の歴代のゼミ生の中でも一番よく本を読む学生であったと思うが、出版社に勤めてからはかえってプライベートで本を読む時間がなくなってしまった。好きなことを仕事にすることのパラドクスである。年末に出版社を辞めて、最初にしたことは、図書館で山のように本を借りて、それをむさぼるように読むことであったそうだ。

    リハビリの期間もそろそろ終わりで、次のステップに踏み出そうとしているようだ。とにかく健康第一でねと言って、「maruharu」の前で別れる。

    私たちと入れ替わりにこーちゃん一家がやってきた。こーちゃんも葵ちゃんも私のことをよく覚えていない様子である。こーちゃんはまだしも、葵ちゃんに忘れらるるのは悲しい。もっとも私も二人の弟を「しんちゃん」と呼んで、「しゅんちゃんだよ」と叱られる。

     「夜トンボロ」へ寄って行く。まだ小腹が空いているので、あんぱんとホットミルクを注文。

     のんちゃんからお手製のキュウイのジャムをいただく。明日の朝が楽しみだ。

     8時、帰宅。本日のメインは青椒肉絲。

     いただきものの鶴牧(つるまき)煎餅を食べながら、パソコンに向かう。「埼玉県米菓品評会知事賞受賞」とある。埼玉の煎餅といえば草加煎餅が全国的に有名だが、草加が地名であるのに対して、鶴牧は高見町にある煎餅店の一家の名前である。

      先日「スキッパ」で会ったEさんから、結婚式の日取りが決まりましたというメールが届く。10月の最初の土曜日。4月始まりのまだ使い始めていない新しい手帳にその予定を書き入れる。 


2月23日(日) 曇り

2014-02-24 10:28:50 | Weblog

    5時に目が覚めて、2時間ほど机に向かった後、二度寝して、9時起床。

    朝食はとらず、昼食を食べに出る。

    近所の家の庭に梅の花が咲いている。梅を詠んだ句といえば、蕪村の辞世の句「しら梅に明くる夜ばかりとなりにけり」がすぐに思い浮かぶが、服部嵐雪の「梅一輪一輪ほどのあたたかさ」も有名だ。

    現代俳句にはどんな作品があるだろうかと歳時記を見たら、こんな句があった。

      青天へうめのつぼみがかけのぼる  新田祐久         

     蒲田西口駅前のサンライズカマタ商店街の一番奥(アーケードは途切れている)に新しいスーパーマーケットが出来て、人の流れがそちらまで行くようになったようである。

     新しいスーパーの近くに「和蘭豆」が出店したのも人の流れを見越してのものだろう。

     イトー・ヨーカドーが撤退した跡に入っていたつるかめランドが今日で閉店することになったのも、新しいスーパーマーケットの誕生のせいだろう。

    「西洋料理スズキ」はそのサンライズカマタ商店街を出て、さらに池上線の踏切を越えたあたりにある。ディープな場所にあるが、料理は本格的である。昨日、「フィールドノート」によく登場する食事処のリストを作っていて、しばらくスズキに行ってないことに気づいた。

     店の前に出ていた本日のランチ(1500円)を注文する。料理はスープ、サラダ、メインディッシュの順に運ばれてくる。  

      コーンポタージュスープ。

      サーモンのサラダ仕立て。

      ハンバーグステーキ。パンをチョイス。

      食事の後、コーヒーを追加注文(400円)すると、デザートがサービスで付いてくる。

      ごちそうさまでした。蒲田にはかなり有名なレストランが一軒あるのだが、そちらはここの倍くらいの値段で、少々敷居が高い。ひとりランチで、気楽に、ちゃんとした洋食が食べたいときは、「西洋料理スズキ」がいい。30代半ばくらいの男性シェフとそのお母様(たぶん)のお二人でやっているお店である。

      「花見煎餅」で煎餅を買って帰る。

     帰宅して、煎餅をかじりながら、録画しておいた山田太一のドラマ「時は立ちどまらない」を観る。東北の海沿いの街。結婚を約束した若い男女とそれぞれの家族。両家の挨拶がすんでから数日後にあの地震が起こる。若い女性の方の一家は4人(祖母、両親、娘)とも無事で、家も壊れなかったが、若い男性の方の一家は、男性本人が死亡、祖母も母親も亡くなり、祖父、父親、弟だけが生き残る。家は全部津波でもっていかれた。親戚になれなかった二つの家族は、一体、どうつきあっていけばいいのか。主人公は婚約者を失った若い女性ではなく、彼女をその一部として含むところの、二つの家族なのである。山田太一の家族ドラマの世界に震災というモチーフを取り込んだらどういうことになるのか、これまで山田太一の家族ドラマは基本的に登場人物たちの個人的な出来事によってドラマが展開してきたが、震災という社会的な出来事がモチーフとなったとき、どういうことが起きるのか。期待と不安があった。不安というのは、山田太一の世界と震災とが不協和音を起こすのではないか、震災というモチーフは山田太一の世界の内部では処理しきれないのではないかという不安である。しかし、それは杞憂であった。山田太一の世界は崩れなかった。それは山田太一の世界が強固であるためというよりも、柔軟であるためだろう。ドラマの最後の場面で、死んだ若い男性の方の家があった場所に両家の者たちが勢ぞろいするのだが、生き残った若い娘が妻と嫁と孫を失くした祖父(義理の祖父になれなかった老人)に両家の挨拶のときに撮った集合写真(それは震災後にゴミの中から見つかったものである)を手渡すのだが、このシーンを観て、ああ、これは「海辺のアルバム」なのだな、と思った。

     夕食は湯豆腐。普通の湯豆腐ではなく、お湯に入れるととろりとなる豆腐を、鶏のスープで煮たもの。初めて食べたが、とても美味しい。

      深夜、コンビニ行って、ハーゲンダッツの新製品、クランチ―クランチ(ストロベリーミルク)を買ってきて食べる。ツイッターでゼミの卒業生たち(二期生のSさんと三期生のNさん)が「美味しい!」と騒いでいるのを見て、興味をそそられたのである。老いては教え子に従え。なるほど、美味しかった。ほどよい甘さとカリカリ感がいい。「買った、食べた、美味しかった」と二人に返信する。ツイート・オブ・スイーツ。

    2月はあと一週間ある。客観的には一番短い月だが、1月よりも長く難じるのはなぜだろう。大雪が二度も振ったりしで、波瀾万丈だったせいだろうか。