1.15(木)
二文の「社会・人間系基礎演習4」は本日が最終日。早稲田駅側の「フォレスト」で最後の授業。飲食をしながらのディスカッション(コンパとも言うらしい)。出席者25名。寄せ書きの色紙が回され、私の隣にいたIさんが最後に書き込みをして、「はい」と手渡される。みんな、てんでに喋っていて、誰も注目していない。こういうときは、みんなで拍手をするとか、なんらかの演出があってしかるべきではと思ったが、「どうもありがとう」と受取る。帰りの地下鉄の車内で、鞄から色紙を取り出して、一人一人の書き込みを読ませてもらった。照れ臭いので引用はしない。一年間の授業のあれこれの場面が、古風な比喩で恐縮だが、走馬灯のように浮かんできた。みんな、お疲れ様。しばしの休息の後、2年目の大学生活が始まる。気持ちを新たにして、それぞれの場所で、元気でやっていってほしい。
1.16(金)
生協文学部店で井上和男編『小津安二郎全集』(新書館、2003年)と倉田稔『小林多喜二伝』(論創社、2003年)を購入。小津安二郎と小林多喜二はともに1903年(明治36年)の生まれである。つまり両書は彼らの生誕100年を記念して出版されたものである。小津が監督した映画の脚本の全集としては同じ編者による『小津安二郎作品集』全4巻(立風書房、1983-4年)があり、所有もしているのだが、今回の「全集」には、小津以外の者が単独で脚本を書いて小津が監督した作品や、小津が脚本を書いて他の監督が撮った作品や、フィルムも脚本も残っていない(ただし当時の映画雑誌など粗筋だけはわかっている)小津の作品なども網羅されている。まさに「全集」である。一方、小林多喜二の伝記で一番定評があるのは手塚英孝『小林多喜二』(新日本社、1963年)だが、手塚のものは小樽時代の記述が不十分であると考えた倉田は、小樽時代に主眼を置き、東京時代は太い輪郭で描いたそうだ。確かに、913頁の大著であるが、小樽時代の記述がなんと721頁までを占めている。
1.17(土)
娘がセンター試験を慶応大学の三田校舎で受けるので、朝、一緒に家を出て、田町で途中下車して、正門のところまで送っていく。トイレが混んでいたら(実際、入試のときの女子トイレは廊下まで列ができるのである)、休み時間ではなく、試験が始まってから手をあげてトイレに行く(試験監督員が案内してくれる)方が、多少時間をロスしても得策であると「伊東家の食卓」的裏技を伝授する。その際、「小」の場合は右手を、「大」の場合は左手を挙げる決まりになっているのだと教えようかと思ったが、真に受けて、いざその場になったときに、どっちの手をあげるんだったっけといらぬ混乱をきたすといけないので、止めておいた。今日は午後2時から大隈小講堂で人間科学部の濱口晴彦教授の最終講義がある。それまで時間があるので、有楽町のシャンテシネで「イン・アメリカ」の初回(9:30から)を観ようかとも考えたが、娘が試験を受けている時間に映画を楽しむというもの気がひける。そのまま研究室に直行し、年末に翻訳の出たケネス・ルオフ『国民の天皇 戦後日本の民主主義と天皇制』(共同通信社)を読む。実に面白い本だ。結局、楽しんでいる。そうそう、天皇制といえば、これまでその即時廃止を唱えてきた日本共産党が、今日の党大会で、「当面は容認する」に党の方針を変更しましたね。自衛隊についても同様。共産党は先の衆議院議員選挙で議席を20から9に減らしてしまった。生き残りをかけて必死なのは企業や大学だけではないのだ。生き残るためなら、牛丼屋が牛丼以外のメニューを増やさないといけないように、政党もアイデンティティなんて青臭いものにこだわってはいられない。そのうち党名も「協賛党」にするつもりかもしれない。
1.18(日)
妹夫婦来訪。都合があって正月に来られなかったので、遅ればせの年始の挨拶。残り物のおせち料理が食卓に並んで、なんだか正月気分が戻ったよう。
散歩に出て、書林大黒と南天堂書店で古本を8冊購入。
(1) 小林勇『竹影』(筑摩書房、1965年)*500円×0.5
(2) 小林勇『彼岸花』(文藝春秋、1968年)*500円×0.5
(3) 小林勇『雨の日』(文藝春秋、1961年)*500円×0.5
小林勇といってもいまの大学生は知らないであろうが(新撰組の隊長じゃない)、戦前から戦後のある時期まで、岩波書店の大番頭だった人である。実に味わいのある文章を書く人で、とくに追悼文の名手だった。古本屋の主人には彼のファンが多い。『小林勇文集』全11巻は神田の古本屋で購入して所有しているのだが、彼の本は単行本でも揃えておきたい。
(4) 平林たい子『宮本百合子』(文藝春秋、1972年)*1000円×0.5
平林たい子は1905年(明治38年)の生まれで、諏訪高女を卒業後、社会主義運動を志して上京し、職業を転々としながら、最初はアナーキスト、後に労農派の作家として活躍した。本書は、「日本虚無党顚末」「エロシェンコ」「宮本百合子」の三篇からなる。「アナ派とボル派との分裂が行われた大正十一年ころ、思想青年の大部分はアナ派に近かった。今思い出してみるとあれは不思議な時代だった」という書き出しで始まる「日本虚無党顚末」を読む。そうなのである、平林と生年の近い、清水幾太郎も高見順も(ともに1907年生まれ)マルクス主義に接近する以前(中学生の頃)、アナーキズムに大いに惹かれていた。「一と思いに破壊したら、落葉の下から芽が出るように社会が生まれ変わってそれと一緒に自分たちも甦ることができるかもしれぬという渇望につながれていたのだ。それ程彼等は自身にも苛立っていた。また空しさに苦しんでもいた」。しかし大杉栄を失ってから、アナーキズムは急速に求心力を失い、アナーキストたちは組織力に欠けるゴロツキのテロリストの群れになっていった。
(5) 高橋英夫『異郷に死す 正宗白鳥論』 (福武書店、1986年)*1300円×0.5
高橋英夫の評論は明晰な上に芸がある。
(6) キース・トーマス『歴史と文学 近代イギリス史論集』(みすず書房、2001年)*5000円×0.5
みすず書房の定価9000円の本が2500円で手に入るというのはすごい。
(7) リチャード・ホーフスタッター『アメリカの反知性主義』(みすず書房、2003年)*2900円
1963年の本だが、邦訳は昨年末に出たばかりだ。いま、定価4800円で店頭に平積みになっている。マッカーシズムの旋風が吹き荒れた1950年代の政治的・知的状況に触発されて書かれた本で、1964年のピューリッツァー賞受賞作品。
(8) ハワード・シュルツ『スターバックス成功物語』(日経BP社、1998年)*200円
アメリカ版「プロジェクトX」。
夜、TVドラマ『砂の器』の初回を観る。主人公の和賀英良は、同じスマップなら、中居正広よりも木村拓哉の方が適役だと思うが、映像は素晴らしい。映画ではラスト30分に使われた日本の各地を放浪する親子の姿(の一部)とピアノ協奏曲「宿命」(の主題部分)が早くも初回で使われている。蒲田でのロケも地元民として嬉しい(ただし、和賀と三木の辿った、大田区民ホールで待ち合わせ、スナック「ゆうこ」(実在する店)で酒を飲み、蒲田操車場の横の道を並んで歩くという順路は、地元の地理を知っている者には非常に不自然なものである。一体、2人はどこへ向かって歩いていたのだろう)。ところで、原作では和賀が昔世話になった村の駐在さんを殺害するのは、自分が癩病(ハンセン氏病)の父親の子供であることが世間に知られることを恐れてのためだが、現在、その設定は到底使えるものではないから、それに代わる何らかの「過去」を新たに設定しないとならないわけだが、それは何なのであろう。以前、別の民放が『砂の器』をドラマ化(そのときは連続ドラマではなく長時間ドラマで、和賀役は田村正和、刑事今西役は田中邦衛)したときには、窃盗であったと記憶しているが、殺人の動機としてはいかにも弱く、和賀が父親への思いを込めて作る「宿命」という曲のタイトルとも不調和であった。「過去」が明らかになるのはドラマの最終回だが、ドラマの成否を決する最大のポイントになるだろう。
1.19(月)
今朝の新聞(読売)の社会面に「早大授業料タダ 入試上位91人」という大きな見出しの記事が出ていた。「91人」というのは入学者の1%に相当する人数である。そうなんだ、知らなかった。もしかしたら教授会で報告があったのかもしれないが、私は(このフィールドノートを読んで下さっている方ならご存知のように)教授会を途中でよく抜け出すので、初耳である。白井総長の談話。「特別奨学生には学生の中核として頑張り、将来は社会に貢献する人材に育ってほしい」。なるほど、今後、彼らのことを「中核派」と呼ぶことにしよう。「中核派」の諸君、大いに頑張ってくれたまえ。しかし、知っていてほしいのだが、君たちに授業料相当の奨学金が支給される一方で、われわれ教職員の年末手当がカットされていることを。予算というものはそのようにしてバランスが保たれているのである。誰かの幸福は誰かの不幸によって支えられている。それが世の中の仕組みである。だから幸福というものを過度に求めてはいけない。そして自分が幸福なときは、それを独り占めしないで、誰かに分けてあげようとする心がけが大切なのだ。総長の談話を私なりに解説するとこのようになる。
今夜、我が家の食卓に緊張が走った。妻が新しいメニューにチャレンジしたのである。これは非常に珍しいことである。前回がいつのことであったか私も子供たちも思い出せない。私と子供たちは目配せをして、「迂闊な感想は禁物である」ことを確認しあった。妻は傷つきやすい性格で、料理雑誌と首っ引きで作った料理が不評だと、「もうこの料理は二度と作らない」と言って、拗ねてしまうのである。改良、修正、再挑戦といった志向は彼女にはない。一回勝負である。今回、妻がチャレンジした料理は、すりおろした蕪と海老に泡立てた卵白を掛けて蒸かして、煮込んだもの。それなりの手間がかかっている。みんな最後の晩餐のような厳粛な面持ちで最初の一口を食す。・・・・味が薄い。よく言えば上品で淡白な味ということになるのだろうが、有体に言えば、美味しくない。子供たちもおそらくは同じことを思っていて、どう感想を述べたらよいものか適当な言葉を探しあぐねている様子だ。妻はその空気を敏感に察して、「うん、もうこの料理は二度と作らない」と宣言した。祭りは終わったのである。落胆と安堵の入り混じった気分の中で、われわれは倒産した会社の社員が残務整理をするように、目の前の料理を黙々と口に運んだ。
1.20(火)
わが社会学専修は1学年あたりの学生数が約100名。2年生、3年生、4年生(以上)合わせて約300名(1年生はまだ特定の専修に所属していない)。専任教員は12名、助手が2名。文学部の中では大きな専修である。そのため(というのも変なのだが)、専修の全学生、全教員が一堂に会するということがこれまでなかった。いや、一つの学年に限っても、そういうことは、卒業式の日に専修別に各教室に分かれて行われる学位記(卒業証書)授与式のときしかない。大学生活最後の日に自分が所属していた専修の教員全員の顔を初めて見るのである。「ああ、○○先生ってこの人か」と。・・・・これってやっぱりおかしくないか、と常々思ってきた。で、今日の専修の会議で提案した。試しに、これまで学年別に時間をずらして行ってきた専修ガイダンス(今回は3月26日の予定)を全学年一緒にやらせて下さい。その際、専修主任(私)と助手だけでなく、専任教員は全員出席し、自己紹介(担当科目や専門分野について)をして下さい、と。改革案に対してはとりあえず懐疑的な反応をするというのが大人の社会である。「教員全員が自己紹介をするとけっこう時間がかかると思うけど、学生は大人しく聞いているかな」とか、「全学年が一緒だと、資料の配布が大変じゃありませんか」とか、・・・・とかとか。どれも予想された反応である。確かにそうかもしれない。しかし、そうでないかもしれない。前例がないのだから、やってみないとわからない。やってみて、やっぱり従来のやり方がよいということになれば、そうすればよいのだ。とにかく、一度、やらせてみて下さい、ということで了承を得る。また、3月末のガイダンスとは別に、夏休み前に、3年生を対象にした卒論ガイダンスを来年度はやることになっている(これまで3年生は夏休みが明けるとすぐに、卒論計画書なるものを、よくわけのわからないままに書き上げて提出しなければならなかった)。それから、これはまだ実現するかどうかわからないが、新2年生を対象にしたウェルカム・パーティというアイデアもある。とにかく、自分が属する小集団(演習)以外のことはよく知らないという大衆社会的状況を打破したいと考えている。というわけで、専修の学生諸君、よろしくね。
1.21(水)
昼過ぎ、自宅から駅に向かう途中、吉野屋の前を通ったら新メニューであるカレー丼のポスターが目にとまった。早くから牛丼以外のメニューを積極的に展開してきたライバル松屋と違って、あくまでも牛丼をメインに据えてきた吉野家は、今回のアメリカ産の牛肉の輸入禁止で大きな痛手を蒙った。大変だろうなと思う。よし、ここはひとつ吉野家に声援を送るつもりでカレー丼を食べてみようと店内に入る。カレー丼は400円。高くはないが安くもないという価格である(松屋のヘルシーチキンカレーは「並」が290円、「大」が390円である)。さて、肝心の味の方は・・・・美味しかった。「スパイシーなのに後味まろやか」というのがキャッチフレーズだが、確かにその通りである。このまろやかさは玉葱がトロトロニなるまでよく煮込んであるからだろう。この玉葱(たっぷり入っている)のトロトロ感と甘味はハヤシライスのそれに近い。ハヤシ風カレー丼と呼んでよいのではなかろうか。私はけっこう好きですね、この味。
本日は補講期間だが、5限の調査実習は通常どおりやる(延長もいつもどおりで午後8時ごろまでやる)。今日でケース報告は終了。報告されたケースは全部で90ケース以上。最初の報告が7月だったから、半年かかったことになる。ふぅ、お疲れ様である。しかし、これで実習は終わりではない。報告書を書き上げねばならない。今後、2週間はグループ単位、および個人単位で分析を進め、2月の初旬に丸4日間かけて報告書の原稿(草稿)の報告会を行う。おそらく完成度はまちまちであろう。完成度の高いものはそれがそのまま最終稿になる。一方、完成度の低いものは、当然、書き直しである。書き直した原稿がやはり一定水準に達しないものであれば、再び書き直しである。しかし、それをいつまでも繰返すわけにはいかない。報告書の刊行は3月末と定めてある。したがって、報告書に原稿が載らない学生が出ることは可能性としてはありうる。報告書は卒業文集ではなく、研究成果として外部に発信するものであるから、そういうことになっても仕方がない。さらなる書き直しか、没か。ある段階で(3月上旬あたりか)、その決断をしなくてはならない。願わくば、その手前で全員の原稿が出揃いますように。
1.22(木)
大学生協に注文しておいたプリンターが届いたので、さっそくセッティングして、文書を印字してみた。購入価格が2万数千円のページプリンターなのに、吃驚するくらい印字速度が速い。年々コンパクトになり、価格は低下し、性能は向上しているのには感心する。昔々、ドットプリンターや熱転写プリンターを使っていた頃とは隔世の感がある。壊れたインクジェットプリンターを捨てるついでに、放送大学から早稲田大学に移った頃から使っているウィンドウズ95の入った古いパソコンも廃棄処分にしようと思い、そのためにはハードディスクの中のデータを消去しなくてはと、久しぶりに電源を入れて、「マイドキュメント」のフォルダーを開いたところ、手紙とかメモとかいろいろ出てきて、ちょこちょことクリックして読み返していたら、古いアルバムを見ているようで、これを全部消去するのはもったいなく思えてきた。しかしワードで作成した文書はほとんどすべて昔流行したウィルスに感染していて、まずそのウィルスを除去してからでないと別のパソコンに保存はできない。その作業は時間ができてからにしようと、もうしばらく研究室に置いておくことにした。自宅にも2台のデスクトップ・パソコンと、4台のノート・パソコンがある。しかし、実際に使っているのは、1台のデスクトップ(書斎用)と1台のノート・パソコン(居間用)だけである。ならば残りは廃棄処分にしてしまえばいいのにと自分でも思うのだが、電源を入れたらまだ動くものを捨てることに抵抗がある。壊れていれば、捨てることの抵抗はかなり弱まるのだが(古いOA機器は修理して使うよりも新品を購入した方が経済的)。いっそのこと壊れてくれないだろうか。気のせいか、昔の製品は壊れにくく、今の製品は壊れやすいように思う。メーカーの陰謀じゃあるまいね。
1.23(金)
帰宅して、夕刊(読売)を広げると、一面トップに、「面接で寄付金350万円要請 早実初等部入試」という記事が載っていた。保護者同伴の面接試験のときに、350万円の寄付を要請し、合格者108人のうちの9割程度がそれ以上の寄付を申し込んだのだそうだ。東京都は寄付金の納付が事実上の強制の疑いがあるとして、私学助成金の一部1億200万円の返還を求めているとのこと。学校側は「強制はしておらず、寄付金の納入を入学条件にもしていない」と回答しているが、合格者の「9割」が寄付をしたことは、そこに強制力が働いたと判断するのが妥当である。「寄付しろ」とは言っていないから強制ではないと言い張るのは、「金を出せ」とは言っていないから恐喝ではないというヤクザの理屈と同じである。早稲田実業学校は早稲田大学の系属校で、理事長は早稲田大学総長である。大学はいま創立125周年事業のための寄付金集めに躍起になっていて、OBだけでなく、在校生の親、そして教職員に対して寄付金を求める手紙を繰り返し送りつけている。教職員は、大学年金の支給額をカットされ、各種手当てをカットされ、ベースアップを抑えられ、事実上、そういう形で「寄付金」を強制的に徴収されている。今回の一件は、こうした大学の姿勢が系属校にまで波及した結果である。先頃話題になった、法科大学院の授業料値下げや、学部入学者の成績上位1%の授業料免除などは、同じコインの一方の面である。不適切なやり方で節約し、徴収した金が、そういうスタンドプレーの穴埋めに使われているのである。
1.24(土)
ドラッグストアーで箱入りのティッシュ・ペーバーを大量に(50箱!)買ってくる。書庫の棚にこれを並べて段差を作り、文庫本を前後二列に並べるためである。いま主流の薄型の箱のものでは後列の文庫本の背表紙が十分に見えないので、昔ながらの厚型の箱のものを探していたら、妻がヨーカ堂の側のドラッグストアーで安売り(5箱で400円弱)しているのを発見したのだ。50箱には店員も驚いていた様子だった。何だと思っただろう。自転車の荷台に縛り付けて家まで運ぶ。
矢作俊彦『ららら科学の子』(文藝春秋、2003年)を読み始める。1968年に東大の学生だった男が、もののはずみで機動隊員に大怪我を負わせ、殺人未遂で指名手配となり、文化大革命(実は粛清運動だったなんてことは当時はわからなかった)の最中の中国へ密入国し、下放政策で僻村に追いやられ、中国人マフィアの手引きで30年ぶりに日本に帰って来たところから、この小説は始まる。一種の浦島太郎物語であるわけだが、68年当時を知っている人間(私は中学生2年生だった)にとっては、実に面白い小説だ(最初、書店で本書を見たときは、タイトルからして小説だとは思わなかった)。まもなく午前3時。まだ読み終わっていないが、もう寝なければ。続きは明日のお楽しみだ。
1.25(日)
矢作俊彦『ららら科学の子』読了。「彼」が日本を離れたのは1968年の年の瀬。「彼」は19歳だった。「彼」が日本に帰ってきたのは1997年の春。「彼」は49歳になっていた。この小説は、2つの時点を直線で結んで、その落差を描く。30年の間に消失したものと出現したもの、それを「彼」の目を通して読者に明示する。われわれは30年かけて坂道を歩いてきたが、「彼」の目にはその落差が絶壁のように(あるいは崖のように)映り、しばしばその前で立ち尽くす。われわれも本当は立ち尽くすべだったのかもしれないが、いや、実際、立ち尽くしたことも一度ならずあったはずだが、遅かれ早かれ変化に適応しながら歩いてきた。見事といえば見事であり、無様といえばこの上なく無様である。われわれは「彼」を通して、われわれ自身のそうした見事さや無様さに思い至るのである。
ところで、私はこの作品を読んでいて、庄司薫『赤頭巾ちゃん気をつけて』を思い出していた。1969年の芥川賞を受賞したこの作品を、「彼」は読んでいなくても、矢作俊彦は読んでいるはずである。私が文学部に入学したとき(1973年)、語学のクラスでこの小説を読んでいない者は一人もいなかったと記憶している。最大瞬間風速で測るなら、当時の庄司薫の人気はいまの村上春樹以上だった。『ららら科学の子』の「彼」は30年後の「薫くん」である。「彼」の記憶の中の小さな妹は、銀座の旭屋書店の前の舗道で「薫くん」の生爪を剥がしている方の足の親指を思い切り踏んづけてしまった小さな女の子である。「彼」が牛丼屋で知り合った「少女」は「薫くん」のガールフレンドだった「由美」の現代版である。・・・・間違いない(永井秀和の口調で)。そして、物語の最後で、「薫くん」が「海のような男になろう」と決心したように、「彼」も一つの決心をして飛行機に乗り込むのである。
『ららら科学の子』を読み終えて、夕方の散歩に出る。有隣堂で、小川洋子『博士の愛した数式』(新潮社)、保坂和志『カンバセイション・ピース』(新潮社)、沢木耕太郎『杯(カップ)』(朝日新聞社)、モールスキンの手帳(罫線)を購入。それから駅前の八百屋で妻に頼まれたホウレン草を一束買って帰る。
1.26(月)
今日は研究室で卒論を読む予定でいたのだが、朝起きたとき、ちょっと喉が痛み、軽い寒気がした。風邪はひきはじめが肝心である。朝食をとってから、パブロンゴールドを3錠飲んで、再び蒲団に戻り、昼まで寝ていたら復調した。たんなる寝不足であったかもしれない。「やぶ久」で昼食(すき焼きうどん)を食べ、郵便局に行って先週末に届いた古書の代金を払い込み、さて、映画を観に出かけようか、家で本を読もうか少考し、昨日購入した小川洋子『博士の愛した数式』(新潮社)を読むことにした。
17年前の交通事故で新しい記憶を80分しか保持できなくなった64歳の数学者と、28歳の独身の家政婦と、彼女の10歳になる息子、それから数学者の72歳の義姉、これが主たる登場人物。数学者というのは変わり者というイメージが世間にはあるが、本書の主人公もそのイメージを裏切らない。博士が初対面の家政婦にした最初の質問は「君の靴のサイズはいくつかね」だった。「24です」と彼女が答えると、「ほお、実に潔い数字だ。4の階乗だ」と彼は言い、続いて「君の電話番号は何番かね」と彼は質問し、「576の1455です」と彼女が答えると、「5761455だって? 素晴らしいじゃないか。1億までの間に存在する素数の個数に等しいとは」と彼は言った。これだけでも十分風変わりだが、彼は翌日も、翌々日も、同じ質問を彼女にするのだ。なぜなら、新しい記憶を80分しか保持できない彼にとって、その家政婦は一夜明ければ初対面の人物だからである。喜劇と悲劇が出会う場所に彼は立っている。彼の専門は数論で、彼が家政婦とその息子に語る「友愛数」や「完全数」や「双子素数」についての話はどれも静謐な美しさをたたえていて、読者はずっとその話に耳を傾けていたい気分になる。しかし、あるとき家政婦は気づく、彼の記憶の保存時間がしだいに短くなっていっていることに・・・・。切なくて暖かいエンディングは、ダニエル・キースの『アルジャーノンに花束を』(ただし、私はユースケ・サンタマリア主演のTVドラマでしか知らない)に似ている。
私が小説を読むスピードは、単行本の場合、だいたい1頁1分である。筋を追うだけなら、もっと早く読めるだろうが、読書の目的は最後の頁に早くたどりつくことではない。『博士の愛した数式』は251頁なので、午後3時ごろから読み始めて、風呂と夕食を間に挟んで、午後10時頃に読み終わった。ラスト30分あたりは、最後の頁にたどりつくのが、残念な気がした。楽しい散歩だった。
1.27(火)
調査実習のグループ発表の事前相談があり、大学に出る。1時間半の予定が2時間半になったが、ここには雑談の時間も含まれている。その雑談の1つに今期のTVドラマの話題があった。視聴率が20%を越えるドラマが4本もあるのだ。「プライド」(主演:木村拓哉)、「白い巨塔」(主演:唐沢寿明)、「砂の器」(主演:中居正広)、「新撰組」(主演:香取真吾)である。「白い巨塔」以外の3作品はSMAPのメンバーが主役を演じている。これにやはり視聴率好調(18%)の「僕と彼女と彼女の生きる道」(主演:草彅剛)を加えると、まさにSMAPさまさまである。このうち、私が観ているのは「白い巨塔」、「砂の器」、「僕と彼女と彼女の生きる道」である。「プライド」は初回だけ観て、観るに値しないと判断した。「新撰組」は、三谷幸喜の脚本だからきっと面白いのだろうが、一年間もつきあうのはしんどいので、最初から観ていない(最後に観た大河ドラマが何であったか、思い出せない)。観ている3作品の中で、「白い巨塔」と「砂の器」はリメイクだから、「これからどういう展開になるのだろう」と思いつつ観ているのは「僕と彼女と彼女の生きる道」だけである。早くも2回目で、主人公の銀行員は一人娘との関係修復に向けて動いた(土手に並んでハーモニカを吹く)。ドラマの展開として早過ぎないかと思ったが、今日の4回目を観て、彼には娘のほかにも父親や職場の同僚や、そして別れた妻といった、関係を修復していかなくてはならない人々がたくさんいることを知った。そうした他者との関係の修復を通して、自分自身が生まれ変わっていくのであろう。
4年生のTさんから卒論指導のお礼にマフラーをいただく。どんなお菓子だろうと思って紙袋を開けたらマフラーだったので吃驚した。家に帰って娘に見せたら、端から端までじっくり点検し、「手編みだ」と呟き、首に巻いて、「お母さんに報告だ」と言って階段を昇っていった。
1.28(水)
今日も調査実習のグループ発表の事前相談で大学に出る。京浜東北線の王子駅で人身事故があった関係で、約束の時間(午後1時)に15分ほど遅刻。昼食をとらずに、すぐにミーティング開始。終わったのが午後3時。生協文学部店に資料のコピーを取りにいくIさんにパンと飲み物を買って来てくれるように頼んで、そのまま次のグループのミーティングに入る。それが終わったのが午後6時半。東京から新幹線(のぞみ)に乗って博多に着くまでの間、ずっと喋り続けていた計算になる。私はふだんは口数の少ない人間であるが、それは性格が内向的なためというよりも、たんに一人で過ごす時間が多いためで、話す相手が目の前にいて、話す必要に迫られている状況では、いくらでも話していられるということがわかった。しかし、そうやって長時間喋り続けた後は、放出してしまった言葉を補充するように、静かに本が読みたくなる。夜、沢木耕太郎『杯(カップ)』を読む。2002年のワールドカップの期間中、雑誌『アエラ』に連載された日記形式の観戦記だが、スタイリッシュな文体は相変わらずである。
1.29(木)
研究室に置いてある卒論(15本)を読むために大学に出る。地下鉄の駅を上がって、「すず金」に立ち寄ると、学生部長の岩井先生がお一人で鰻重を食べおいでだったので、相席させていただく。岩井先生は私が第二文学部の学生担当教務主任をしていたときの政治経済学部の学生担当教務主任で、戦友の一人である。教務主任の任期が終わって、私を含めてほとんどの学担は待ちに待った普通の教員の生活に戻ったが、岩井先生は学生部長の重職に就かれた。「よくお引き受けになりましたね」と私が聞くと、苦笑しながら(笑顔のやさしい方である)、「断ってはならんと言われたもので・・・・」と言われた。昨年は「スーパーフリー」の一件を筆頭にあれこれ学生がらみの事件の多い年であった。さぞかしお疲れのことと思う。どうかお体を大切にと申し上げる。「すず金」を出て、「あゆみブックス」で小川洋子の短篇集『まぶた』(新潮社、2001年)の冒頭の作品を立ち読みし(それほど感心しなかったので、買わずに棚に戻す)、「am.pm.」でアクエリアスのペットボトル(2リットル)を2本買ってから、研究室に向かう。
卒論の分量は平均100枚(400字詰め原稿用紙換算)で、1時間で1本は読める。しかし、必ずしも面白さにひかれて一気に読めるものばかりではなく、星一徹のようにちゃぶ台をひっくり返したくなる気持ちをグッとこらえながら、あるいは瀕死の驢馬のようにその場にへたり込みそうになる気持ちに鞭打ちながら、頁をめくっていかなくてはならないものもある。だからときどき息抜きに研究室の外に出る。階段の途中で、露文の草野先生と今期のTVドラマについて立ち話。「白い巨塔」の今後の展開はどうなるのか、なぜ財前教授と里見助教授とではあんなに暮らし向きに差があるのか、大久保先生は石田ゆり子のような涼しげなタイプの女優がお好きでしょ、等々の質問に答えてさしあげる(ちなみに草野先生は大沢たかおとオダギリジョーがお好きである)。生協文学部店で、若島正『乱視読者の英米短編講義』(研究社)、ジョナサン・カラー『文学理論』(岩波書店)、ドミニク・スナチトリ『ポピュラー文化論を学ぶ人にために』(世界思想社)を購入。生協文学部店を出たところは、文学部キャンパスで一番広々とした空間である。私の研究室の窓からは2メートル向こうの隣の建物の壁しか見えないので(ただし静かで読書には適している)、ここに来ると清々しい気分になる。時計を見ると午後4時半。ちょっと前ならそろそろ日が暮れかかる時刻だが、まだ空は明るい。これからは一日一日、昼間の時間が長くなっていくのだと思うと、嬉しい。
1.30(金)
今日は修士論文の口述試験。今回、社会学専攻で修士論文を提出した院生は6名。1名に付き主査+副査2名の計3名で1時間ほど面接をする。私は今回は主査にも副査にもかかわっていないので、一番最後の組の主査である長谷先生と副査の奥村隆先生(立教大学)と専修室で雑談。雑談の話題の1つにゼミ制度があった。立大の社会学科では、今年度から3年次・4年次通しのゼミ制度をスタートさせたのだそうだ。うちの場合、ゼミといっても、2年生のゼミ、3年生のゼミ、4年生のゼミと1年単位で、法学部や政治経済学部のような3年生と4年生が個々の教員の下で一緒に勉強をするゼミがほしいという声をときどき耳にする。それのよいところは、(1)ひとつのテーマを2年間かけて勉強できること(3年生で調査をやって4年生でそのデータを使って論文を書くとか)、(2)教員だけでなく先輩にも指導を仰げること、(3)卒業後も「○○ゼミ」という繋がりが強いこと(就職のときのOB・OG訪問などもやりやすいかもしれない)、などがあげられる。一方、そのようなゼミ制度にした場合の問題点は、(1)教員の人数だけゼミができるため個々のゼミが小規模になり(社会学の3年生と4年生は合わせて約200名で専任教員は12名だから、平均16、7名のゼミになる。現在の3年生の調査実習ゼミは4クラスなので平均25名)、規模の大きな調査がしにくくなること、(2)ゼミに所属しない、あるいは希望のゼミに入れない学生が増えること(にもかかわらず就職面接のとき「ゼミではどんなことを勉強しているの」と質問されたりする)、(3)ゼミが連続的なのでゼミのテーマの変更がしにくいこと(したがってゼミのテーマは教員の専門とほぼ一致することになるだろう)、などがあげられる。一長一短だが、私個人としては、自分がいままで経験したことのない2年間通しのゼミというものを試みてみたい気がする。一学年の定員は10名にしよう。面接のとき(3月か?)「今年になって読んだ本の中で面白かったものを5冊上げて下さい」と質問しよう(映画で代替も可)。「鶴田真由と米倉涼子、好きなのはどっち」という質問はやめておこう。
1.31(土)
沢木耕太郎『杯(カップ)』(朝日新聞社)読了。しばらく前に彼がNHKの朝の番組(「てるてる家族」に引き続いてやっている)にゲスト出演して、亡くなった自分の父親のことを書いた『無名』(幻冬社)について語っている姿を見て、こういう56歳もいるのだと感心した。若々しいというのとは少し違う。シャイというのとも少し違う。「清廉」という言葉が一番ぴったりくる。56年も生きてきた人間が清廉でありうるのかと人は疑問に思うかもしれないが、ありうるのである。彼の清廉さは、天賦のものでも、偶然のものでもなく、彼が清廉な生き方を自分に課して今日まで生きて来た結果だと思う。私はこういう人間を少なくともあと2人知っている。高倉健と吉永小百合である。高倉健の「不器用」と吉永小百合の「清純」と沢木耕太郎の「清廉」は同じ系譜に属している。どのような自己イメージもそれを何十年も演じ続ければ、それが実体となるのだ。
夜、テレビ朝日開局45周年記念ドラマ、山田太一脚本の『それからの日々』を観た。定年を2年残してリストラされた夫、熟年離婚を望む妻、呆けの始まった父親、転職を繰返す息子、22才も年上の3人の子持ち男性と付き合っている娘、・・・・現代家族の諸問題が凝縮された「山田太一ワールド」を堪能した。