フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

2004年1月(後半)

2004-01-31 23:59:59 | Weblog

1.15(木)

 二文の「社会・人間系基礎演習4」は本日が最終日。早稲田駅側の「フォレスト」で最後の授業。飲食をしながらのディスカッション(コンパとも言うらしい)。出席者25名。寄せ書きの色紙が回され、私の隣にいたIさんが最後に書き込みをして、「はい」と手渡される。みんな、てんでに喋っていて、誰も注目していない。こういうときは、みんなで拍手をするとか、なんらかの演出があってしかるべきではと思ったが、「どうもありがとう」と受取る。帰りの地下鉄の車内で、鞄から色紙を取り出して、一人一人の書き込みを読ませてもらった。照れ臭いので引用はしない。一年間の授業のあれこれの場面が、古風な比喩で恐縮だが、走馬灯のように浮かんできた。みんな、お疲れ様。しばしの休息の後、2年目の大学生活が始まる。気持ちを新たにして、それぞれの場所で、元気でやっていってほしい。

 

1.16(金)

 生協文学部店で井上和男編『小津安二郎全集』(新書館、2003年)と倉田稔『小林多喜二伝』(論創社、2003年)を購入。小津安二郎と小林多喜二はともに1903年(明治36年)の生まれである。つまり両書は彼らの生誕100年を記念して出版されたものである。小津が監督した映画の脚本の全集としては同じ編者による『小津安二郎作品集』全4巻(立風書房、1983-4年)があり、所有もしているのだが、今回の「全集」には、小津以外の者が単独で脚本を書いて小津が監督した作品や、小津が脚本を書いて他の監督が撮った作品や、フィルムも脚本も残っていない(ただし当時の映画雑誌など粗筋だけはわかっている)小津の作品なども網羅されている。まさに「全集」である。一方、小林多喜二の伝記で一番定評があるのは手塚英孝『小林多喜二』(新日本社、1963年)だが、手塚のものは小樽時代の記述が不十分であると考えた倉田は、小樽時代に主眼を置き、東京時代は太い輪郭で描いたそうだ。確かに、913頁の大著であるが、小樽時代の記述がなんと721頁までを占めている。

 

1.17(土)

 娘がセンター試験を慶応大学の三田校舎で受けるので、朝、一緒に家を出て、田町で途中下車して、正門のところまで送っていく。トイレが混んでいたら(実際、入試のときの女子トイレは廊下まで列ができるのである)、休み時間ではなく、試験が始まってから手をあげてトイレに行く(試験監督員が案内してくれる)方が、多少時間をロスしても得策であると「伊東家の食卓」的裏技を伝授する。その際、「小」の場合は右手を、「大」の場合は左手を挙げる決まりになっているのだと教えようかと思ったが、真に受けて、いざその場になったときに、どっちの手をあげるんだったっけといらぬ混乱をきたすといけないので、止めておいた。今日は午後2時から大隈小講堂で人間科学部の濱口晴彦教授の最終講義がある。それまで時間があるので、有楽町のシャンテシネで「イン・アメリカ」の初回(9:30から)を観ようかとも考えたが、娘が試験を受けている時間に映画を楽しむというもの気がひける。そのまま研究室に直行し、年末に翻訳の出たケネス・ルオフ『国民の天皇 戦後日本の民主主義と天皇制』(共同通信社)を読む。実に面白い本だ。結局、楽しんでいる。そうそう、天皇制といえば、これまでその即時廃止を唱えてきた日本共産党が、今日の党大会で、「当面は容認する」に党の方針を変更しましたね。自衛隊についても同様。共産党は先の衆議院議員選挙で議席を20から9に減らしてしまった。生き残りをかけて必死なのは企業や大学だけではないのだ。生き残るためなら、牛丼屋が牛丼以外のメニューを増やさないといけないように、政党もアイデンティティなんて青臭いものにこだわってはいられない。そのうち党名も「協賛党」にするつもりかもしれない。

 

1.18(日)

 妹夫婦来訪。都合があって正月に来られなかったので、遅ればせの年始の挨拶。残り物のおせち料理が食卓に並んで、なんだか正月気分が戻ったよう。

 散歩に出て、書林大黒と南天堂書店で古本を8冊購入。

(1)        小林勇『竹影』(筑摩書房、1965年)*500円×0.5

(2)        小林勇『彼岸花』(文藝春秋、1968年)*500円×0.5

(3)        小林勇『雨の日』(文藝春秋、1961年)*500円×0.5

小林勇といってもいまの大学生は知らないであろうが(新撰組の隊長じゃない)、戦前から戦後のある時期まで、岩波書店の大番頭だった人である。実に味わいのある文章を書く人で、とくに追悼文の名手だった。古本屋の主人には彼のファンが多い。『小林勇文集』全11巻は神田の古本屋で購入して所有しているのだが、彼の本は単行本でも揃えておきたい。

(4)        平林たい子『宮本百合子』(文藝春秋、1972年)*1000円×0.5

 平林たい子は1905年(明治38年)の生まれで、諏訪高女を卒業後、社会主義運動を志して上京し、職業を転々としながら、最初はアナーキスト、後に労農派の作家として活躍した。本書は、「日本虚無党顚末」「エロシェンコ」「宮本百合子」の三篇からなる。「アナ派とボル派との分裂が行われた大正十一年ころ、思想青年の大部分はアナ派に近かった。今思い出してみるとあれは不思議な時代だった」という書き出しで始まる「日本虚無党顚末」を読む。そうなのである、平林と生年の近い、清水幾太郎も高見順も(ともに1907年生まれ)マルクス主義に接近する以前(中学生の頃)、アナーキズムに大いに惹かれていた。「一と思いに破壊したら、落葉の下から芽が出るように社会が生まれ変わってそれと一緒に自分たちも甦ることができるかもしれぬという渇望につながれていたのだ。それ程彼等は自身にも苛立っていた。また空しさに苦しんでもいた」。しかし大杉栄を失ってから、アナーキズムは急速に求心力を失い、アナーキストたちは組織力に欠けるゴロツキのテロリストの群れになっていった。

(5)        高橋英夫『異郷に死す 正宗白鳥論』 (福武書店、1986年)*1300円×0.5

高橋英夫の評論は明晰な上に芸がある。

(6)        キース・トーマス『歴史と文学 近代イギリス史論集』(みすず書房、2001年)*5000円×0.5

 みすず書房の定価9000円の本が2500円で手に入るというのはすごい。

(7)        リチャード・ホーフスタッター『アメリカの反知性主義』(みすず書房、2003年)*2900円

1963年の本だが、邦訳は昨年末に出たばかりだ。いま、定価4800円で店頭に平積みになっている。マッカーシズムの旋風が吹き荒れた1950年代の政治的・知的状況に触発されて書かれた本で、1964年のピューリッツァー賞受賞作品。

(8)        ハワード・シュルツ『スターバックス成功物語』(日経BP社、1998年)*200円

 アメリカ版「プロジェクトX」。

 夜、TVドラマ『砂の器』の初回を観る。主人公の和賀英良は、同じスマップなら、中居正広よりも木村拓哉の方が適役だと思うが、映像は素晴らしい。映画ではラスト30分に使われた日本の各地を放浪する親子の姿(の一部)とピアノ協奏曲「宿命」(の主題部分)が早くも初回で使われている。蒲田でのロケも地元民として嬉しい(ただし、和賀と三木の辿った、大田区民ホールで待ち合わせ、スナック「ゆうこ」(実在する店)で酒を飲み、蒲田操車場の横の道を並んで歩くという順路は、地元の地理を知っている者には非常に不自然なものである。一体、2人はどこへ向かって歩いていたのだろう)。ところで、原作では和賀が昔世話になった村の駐在さんを殺害するのは、自分が癩病(ハンセン氏病)の父親の子供であることが世間に知られることを恐れてのためだが、現在、その設定は到底使えるものではないから、それに代わる何らかの「過去」を新たに設定しないとならないわけだが、それは何なのであろう。以前、別の民放が『砂の器』をドラマ化(そのときは連続ドラマではなく長時間ドラマで、和賀役は田村正和、刑事今西役は田中邦衛)したときには、窃盗であったと記憶しているが、殺人の動機としてはいかにも弱く、和賀が父親への思いを込めて作る「宿命」という曲のタイトルとも不調和であった。「過去」が明らかになるのはドラマの最終回だが、ドラマの成否を決する最大のポイントになるだろう。

 

1.19(月)

 今朝の新聞(読売)の社会面に「早大授業料タダ 入試上位91人」という大きな見出しの記事が出ていた。「91人」というのは入学者の1%に相当する人数である。そうなんだ、知らなかった。もしかしたら教授会で報告があったのかもしれないが、私は(このフィールドノートを読んで下さっている方ならご存知のように)教授会を途中でよく抜け出すので、初耳である。白井総長の談話。「特別奨学生には学生の中核として頑張り、将来は社会に貢献する人材に育ってほしい」。なるほど、今後、彼らのことを「中核派」と呼ぶことにしよう。「中核派」の諸君、大いに頑張ってくれたまえ。しかし、知っていてほしいのだが、君たちに授業料相当の奨学金が支給される一方で、われわれ教職員の年末手当がカットされていることを。予算というものはそのようにしてバランスが保たれているのである。誰かの幸福は誰かの不幸によって支えられている。それが世の中の仕組みである。だから幸福というものを過度に求めてはいけない。そして自分が幸福なときは、それを独り占めしないで、誰かに分けてあげようとする心がけが大切なのだ。総長の談話を私なりに解説するとこのようになる。

 今夜、我が家の食卓に緊張が走った。妻が新しいメニューにチャレンジしたのである。これは非常に珍しいことである。前回がいつのことであったか私も子供たちも思い出せない。私と子供たちは目配せをして、「迂闊な感想は禁物である」ことを確認しあった。妻は傷つきやすい性格で、料理雑誌と首っ引きで作った料理が不評だと、「もうこの料理は二度と作らない」と言って、拗ねてしまうのである。改良、修正、再挑戦といった志向は彼女にはない。一回勝負である。今回、妻がチャレンジした料理は、すりおろした蕪と海老に泡立てた卵白を掛けて蒸かして、煮込んだもの。それなりの手間がかかっている。みんな最後の晩餐のような厳粛な面持ちで最初の一口を食す。・・・・味が薄い。よく言えば上品で淡白な味ということになるのだろうが、有体に言えば、美味しくない。子供たちもおそらくは同じことを思っていて、どう感想を述べたらよいものか適当な言葉を探しあぐねている様子だ。妻はその空気を敏感に察して、「うん、もうこの料理は二度と作らない」と宣言した。祭りは終わったのである。落胆と安堵の入り混じった気分の中で、われわれは倒産した会社の社員が残務整理をするように、目の前の料理を黙々と口に運んだ。

 

1.20(火)

 わが社会学専修は1学年あたりの学生数が約100名。2年生、3年生、4年生(以上)合わせて約300名(1年生はまだ特定の専修に所属していない)。専任教員は12名、助手が2名。文学部の中では大きな専修である。そのため(というのも変なのだが)、専修の全学生、全教員が一堂に会するということがこれまでなかった。いや、一つの学年に限っても、そういうことは、卒業式の日に専修別に各教室に分かれて行われる学位記(卒業証書)授与式のときしかない。大学生活最後の日に自分が所属していた専修の教員全員の顔を初めて見るのである。「ああ、○○先生ってこの人か」と。・・・・これってやっぱりおかしくないか、と常々思ってきた。で、今日の専修の会議で提案した。試しに、これまで学年別に時間をずらして行ってきた専修ガイダンス(今回は3月26日の予定)を全学年一緒にやらせて下さい。その際、専修主任(私)と助手だけでなく、専任教員は全員出席し、自己紹介(担当科目や専門分野について)をして下さい、と。改革案に対してはとりあえず懐疑的な反応をするというのが大人の社会である。「教員全員が自己紹介をするとけっこう時間がかかると思うけど、学生は大人しく聞いているかな」とか、「全学年が一緒だと、資料の配布が大変じゃありませんか」とか、・・・・とかとか。どれも予想された反応である。確かにそうかもしれない。しかし、そうでないかもしれない。前例がないのだから、やってみないとわからない。やってみて、やっぱり従来のやり方がよいということになれば、そうすればよいのだ。とにかく、一度、やらせてみて下さい、ということで了承を得る。また、3月末のガイダンスとは別に、夏休み前に、3年生を対象にした卒論ガイダンスを来年度はやることになっている(これまで3年生は夏休みが明けるとすぐに、卒論計画書なるものを、よくわけのわからないままに書き上げて提出しなければならなかった)。それから、これはまだ実現するかどうかわからないが、新2年生を対象にしたウェルカム・パーティというアイデアもある。とにかく、自分が属する小集団(演習)以外のことはよく知らないという大衆社会的状況を打破したいと考えている。というわけで、専修の学生諸君、よろしくね。

 

1.21(水)

 昼過ぎ、自宅から駅に向かう途中、吉野屋の前を通ったら新メニューであるカレー丼のポスターが目にとまった。早くから牛丼以外のメニューを積極的に展開してきたライバル松屋と違って、あくまでも牛丼をメインに据えてきた吉野家は、今回のアメリカ産の牛肉の輸入禁止で大きな痛手を蒙った。大変だろうなと思う。よし、ここはひとつ吉野家に声援を送るつもりでカレー丼を食べてみようと店内に入る。カレー丼は400円。高くはないが安くもないという価格である(松屋のヘルシーチキンカレーは「並」が290円、「大」が390円である)。さて、肝心の味の方は・・・・美味しかった。「スパイシーなのに後味まろやか」というのがキャッチフレーズだが、確かにその通りである。このまろやかさは玉葱がトロトロニなるまでよく煮込んであるからだろう。この玉葱(たっぷり入っている)のトロトロ感と甘味はハヤシライスのそれに近い。ハヤシ風カレー丼と呼んでよいのではなかろうか。私はけっこう好きですね、この味。

 本日は補講期間だが、5限の調査実習は通常どおりやる(延長もいつもどおりで午後8時ごろまでやる)。今日でケース報告は終了。報告されたケースは全部で90ケース以上。最初の報告が7月だったから、半年かかったことになる。ふぅ、お疲れ様である。しかし、これで実習は終わりではない。報告書を書き上げねばならない。今後、2週間はグループ単位、および個人単位で分析を進め、2月の初旬に丸4日間かけて報告書の原稿(草稿)の報告会を行う。おそらく完成度はまちまちであろう。完成度の高いものはそれがそのまま最終稿になる。一方、完成度の低いものは、当然、書き直しである。書き直した原稿がやはり一定水準に達しないものであれば、再び書き直しである。しかし、それをいつまでも繰返すわけにはいかない。報告書の刊行は3月末と定めてある。したがって、報告書に原稿が載らない学生が出ることは可能性としてはありうる。報告書は卒業文集ではなく、研究成果として外部に発信するものであるから、そういうことになっても仕方がない。さらなる書き直しか、没か。ある段階で(3月上旬あたりか)、その決断をしなくてはならない。願わくば、その手前で全員の原稿が出揃いますように。

 

1.22(木)

 大学生協に注文しておいたプリンターが届いたので、さっそくセッティングして、文書を印字してみた。購入価格が2万数千円のページプリンターなのに、吃驚するくらい印字速度が速い。年々コンパクトになり、価格は低下し、性能は向上しているのには感心する。昔々、ドットプリンターや熱転写プリンターを使っていた頃とは隔世の感がある。壊れたインクジェットプリンターを捨てるついでに、放送大学から早稲田大学に移った頃から使っているウィンドウズ95の入った古いパソコンも廃棄処分にしようと思い、そのためにはハードディスクの中のデータを消去しなくてはと、久しぶりに電源を入れて、「マイドキュメント」のフォルダーを開いたところ、手紙とかメモとかいろいろ出てきて、ちょこちょことクリックして読み返していたら、古いアルバムを見ているようで、これを全部消去するのはもったいなく思えてきた。しかしワードで作成した文書はほとんどすべて昔流行したウィルスに感染していて、まずそのウィルスを除去してからでないと別のパソコンに保存はできない。その作業は時間ができてからにしようと、もうしばらく研究室に置いておくことにした。自宅にも2台のデスクトップ・パソコンと、4台のノート・パソコンがある。しかし、実際に使っているのは、1台のデスクトップ(書斎用)と1台のノート・パソコン(居間用)だけである。ならば残りは廃棄処分にしてしまえばいいのにと自分でも思うのだが、電源を入れたらまだ動くものを捨てることに抵抗がある。壊れていれば、捨てることの抵抗はかなり弱まるのだが(古いOA機器は修理して使うよりも新品を購入した方が経済的)。いっそのこと壊れてくれないだろうか。気のせいか、昔の製品は壊れにくく、今の製品は壊れやすいように思う。メーカーの陰謀じゃあるまいね。

 

1.23(金)

 帰宅して、夕刊(読売)を広げると、一面トップに、「面接で寄付金350万円要請 早実初等部入試」という記事が載っていた。保護者同伴の面接試験のときに、350万円の寄付を要請し、合格者108人のうちの9割程度がそれ以上の寄付を申し込んだのだそうだ。東京都は寄付金の納付が事実上の強制の疑いがあるとして、私学助成金の一部1億200万円の返還を求めているとのこと。学校側は「強制はしておらず、寄付金の納入を入学条件にもしていない」と回答しているが、合格者の「9割」が寄付をしたことは、そこに強制力が働いたと判断するのが妥当である。「寄付しろ」とは言っていないから強制ではないと言い張るのは、「金を出せ」とは言っていないから恐喝ではないというヤクザの理屈と同じである。早稲田実業学校は早稲田大学の系属校で、理事長は早稲田大学総長である。大学はいま創立125周年事業のための寄付金集めに躍起になっていて、OBだけでなく、在校生の親、そして教職員に対して寄付金を求める手紙を繰り返し送りつけている。教職員は、大学年金の支給額をカットされ、各種手当てをカットされ、ベースアップを抑えられ、事実上、そういう形で「寄付金」を強制的に徴収されている。今回の一件は、こうした大学の姿勢が系属校にまで波及した結果である。先頃話題になった、法科大学院の授業料値下げや、学部入学者の成績上位1%の授業料免除などは、同じコインの一方の面である。不適切なやり方で節約し、徴収した金が、そういうスタンドプレーの穴埋めに使われているのである。

 

1.24(土)

 ドラッグストアーで箱入りのティッシュ・ペーバーを大量に(50箱!)買ってくる。書庫の棚にこれを並べて段差を作り、文庫本を前後二列に並べるためである。いま主流の薄型の箱のものでは後列の文庫本の背表紙が十分に見えないので、昔ながらの厚型の箱のものを探していたら、妻がヨーカ堂の側のドラッグストアーで安売り(5箱で400円弱)しているのを発見したのだ。50箱には店員も驚いていた様子だった。何だと思っただろう。自転車の荷台に縛り付けて家まで運ぶ。

 矢作俊彦『ららら科学の子』(文藝春秋、2003年)を読み始める。1968年に東大の学生だった男が、もののはずみで機動隊員に大怪我を負わせ、殺人未遂で指名手配となり、文化大革命(実は粛清運動だったなんてことは当時はわからなかった)の最中の中国へ密入国し、下放政策で僻村に追いやられ、中国人マフィアの手引きで30年ぶりに日本に帰って来たところから、この小説は始まる。一種の浦島太郎物語であるわけだが、68年当時を知っている人間(私は中学生2年生だった)にとっては、実に面白い小説だ(最初、書店で本書を見たときは、タイトルからして小説だとは思わなかった)。まもなく午前3時。まだ読み終わっていないが、もう寝なければ。続きは明日のお楽しみだ。

 

1.25(日)

 矢作俊彦『ららら科学の子』読了。「彼」が日本を離れたのは1968年の年の瀬。「彼」は19歳だった。「彼」が日本に帰ってきたのは1997年の春。「彼」は49歳になっていた。この小説は、2つの時点を直線で結んで、その落差を描く。30年の間に消失したものと出現したもの、それを「彼」の目を通して読者に明示する。われわれは30年かけて坂道を歩いてきたが、「彼」の目にはその落差が絶壁のように(あるいは崖のように)映り、しばしばその前で立ち尽くす。われわれも本当は立ち尽くすべだったのかもしれないが、いや、実際、立ち尽くしたことも一度ならずあったはずだが、遅かれ早かれ変化に適応しながら歩いてきた。見事といえば見事であり、無様といえばこの上なく無様である。われわれは「彼」を通して、われわれ自身のそうした見事さや無様さに思い至るのである。

ところで、私はこの作品を読んでいて、庄司薫『赤頭巾ちゃん気をつけて』を思い出していた。1969年の芥川賞を受賞したこの作品を、「彼」は読んでいなくても、矢作俊彦は読んでいるはずである。私が文学部に入学したとき(1973年)、語学のクラスでこの小説を読んでいない者は一人もいなかったと記憶している。最大瞬間風速で測るなら、当時の庄司薫の人気はいまの村上春樹以上だった。『ららら科学の子』の「彼」は30年後の「薫くん」である。「彼」の記憶の中の小さな妹は、銀座の旭屋書店の前の舗道で「薫くん」の生爪を剥がしている方の足の親指を思い切り踏んづけてしまった小さな女の子である。「彼」が牛丼屋で知り合った「少女」は「薫くん」のガールフレンドだった「由美」の現代版である。・・・・間違いない(永井秀和の口調で)。そして、物語の最後で、「薫くん」が「海のような男になろう」と決心したように、「彼」も一つの決心をして飛行機に乗り込むのである。

 『ららら科学の子』を読み終えて、夕方の散歩に出る。有隣堂で、小川洋子『博士の愛した数式』(新潮社)、保坂和志『カンバセイション・ピース』(新潮社)、沢木耕太郎『杯(カップ)』(朝日新聞社)、モールスキンの手帳(罫線)を購入。それから駅前の八百屋で妻に頼まれたホウレン草を一束買って帰る。

 

1.26(月)

 今日は研究室で卒論を読む予定でいたのだが、朝起きたとき、ちょっと喉が痛み、軽い寒気がした。風邪はひきはじめが肝心である。朝食をとってから、パブロンゴールドを3錠飲んで、再び蒲団に戻り、昼まで寝ていたら復調した。たんなる寝不足であったかもしれない。「やぶ久」で昼食(すき焼きうどん)を食べ、郵便局に行って先週末に届いた古書の代金を払い込み、さて、映画を観に出かけようか、家で本を読もうか少考し、昨日購入した小川洋子『博士の愛した数式』(新潮社)を読むことにした。

17年前の交通事故で新しい記憶を80分しか保持できなくなった64歳の数学者と、28歳の独身の家政婦と、彼女の10歳になる息子、それから数学者の72歳の義姉、これが主たる登場人物。数学者というのは変わり者というイメージが世間にはあるが、本書の主人公もそのイメージを裏切らない。博士が初対面の家政婦にした最初の質問は「君の靴のサイズはいくつかね」だった。「24です」と彼女が答えると、「ほお、実に潔い数字だ。4の階乗だ」と彼は言い、続いて「君の電話番号は何番かね」と彼は質問し、「576の1455です」と彼女が答えると、「5761455だって? 素晴らしいじゃないか。1億までの間に存在する素数の個数に等しいとは」と彼は言った。これだけでも十分風変わりだが、彼は翌日も、翌々日も、同じ質問を彼女にするのだ。なぜなら、新しい記憶を80分しか保持できない彼にとって、その家政婦は一夜明ければ初対面の人物だからである。喜劇と悲劇が出会う場所に彼は立っている。彼の専門は数論で、彼が家政婦とその息子に語る「友愛数」や「完全数」や「双子素数」についての話はどれも静謐な美しさをたたえていて、読者はずっとその話に耳を傾けていたい気分になる。しかし、あるとき家政婦は気づく、彼の記憶の保存時間がしだいに短くなっていっていることに・・・・。切なくて暖かいエンディングは、ダニエル・キースの『アルジャーノンに花束を』(ただし、私はユースケ・サンタマリア主演のTVドラマでしか知らない)に似ている。

 私が小説を読むスピードは、単行本の場合、だいたい1頁1分である。筋を追うだけなら、もっと早く読めるだろうが、読書の目的は最後の頁に早くたどりつくことではない。『博士の愛した数式』は251頁なので、午後3時ごろから読み始めて、風呂と夕食を間に挟んで、午後10時頃に読み終わった。ラスト30分あたりは、最後の頁にたどりつくのが、残念な気がした。楽しい散歩だった。

 

1.27(火)

 調査実習のグループ発表の事前相談があり、大学に出る。1時間半の予定が2時間半になったが、ここには雑談の時間も含まれている。その雑談の1つに今期のTVドラマの話題があった。視聴率が20%を越えるドラマが4本もあるのだ。「プライド」(主演:木村拓哉)、「白い巨塔」(主演:唐沢寿明)、「砂の器」(主演:中居正広)、「新撰組」(主演:香取真吾)である。「白い巨塔」以外の3作品はSMAPのメンバーが主役を演じている。これにやはり視聴率好調(18%)の「僕と彼女と彼女の生きる道」(主演:草彅剛)を加えると、まさにSMAPさまさまである。このうち、私が観ているのは「白い巨塔」、「砂の器」、「僕と彼女と彼女の生きる道」である。「プライド」は初回だけ観て、観るに値しないと判断した。「新撰組」は、三谷幸喜の脚本だからきっと面白いのだろうが、一年間もつきあうのはしんどいので、最初から観ていない(最後に観た大河ドラマが何であったか、思い出せない)。観ている3作品の中で、「白い巨塔」と「砂の器」はリメイクだから、「これからどういう展開になるのだろう」と思いつつ観ているのは「僕と彼女と彼女の生きる道」だけである。早くも2回目で、主人公の銀行員は一人娘との関係修復に向けて動いた(土手に並んでハーモニカを吹く)。ドラマの展開として早過ぎないかと思ったが、今日の4回目を観て、彼には娘のほかにも父親や職場の同僚や、そして別れた妻といった、関係を修復していかなくてはならない人々がたくさんいることを知った。そうした他者との関係の修復を通して、自分自身が生まれ変わっていくのであろう。

 4年生のTさんから卒論指導のお礼にマフラーをいただく。どんなお菓子だろうと思って紙袋を開けたらマフラーだったので吃驚した。家に帰って娘に見せたら、端から端までじっくり点検し、「手編みだ」と呟き、首に巻いて、「お母さんに報告だ」と言って階段を昇っていった。

 

1.28(水)

 今日も調査実習のグループ発表の事前相談で大学に出る。京浜東北線の王子駅で人身事故があった関係で、約束の時間(午後1時)に15分ほど遅刻。昼食をとらずに、すぐにミーティング開始。終わったのが午後3時。生協文学部店に資料のコピーを取りにいくIさんにパンと飲み物を買って来てくれるように頼んで、そのまま次のグループのミーティングに入る。それが終わったのが午後6時半。東京から新幹線(のぞみ)に乗って博多に着くまでの間、ずっと喋り続けていた計算になる。私はふだんは口数の少ない人間であるが、それは性格が内向的なためというよりも、たんに一人で過ごす時間が多いためで、話す相手が目の前にいて、話す必要に迫られている状況では、いくらでも話していられるということがわかった。しかし、そうやって長時間喋り続けた後は、放出してしまった言葉を補充するように、静かに本が読みたくなる。夜、沢木耕太郎『杯(カップ)』を読む。2002年のワールドカップの期間中、雑誌『アエラ』に連載された日記形式の観戦記だが、スタイリッシュな文体は相変わらずである。

 

1.29(木)

 研究室に置いてある卒論(15本)を読むために大学に出る。地下鉄の駅を上がって、「すず金」に立ち寄ると、学生部長の岩井先生がお一人で鰻重を食べおいでだったので、相席させていただく。岩井先生は私が第二文学部の学生担当教務主任をしていたときの政治経済学部の学生担当教務主任で、戦友の一人である。教務主任の任期が終わって、私を含めてほとんどの学担は待ちに待った普通の教員の生活に戻ったが、岩井先生は学生部長の重職に就かれた。「よくお引き受けになりましたね」と私が聞くと、苦笑しながら(笑顔のやさしい方である)、「断ってはならんと言われたもので・・・・」と言われた。昨年は「スーパーフリー」の一件を筆頭にあれこれ学生がらみの事件の多い年であった。さぞかしお疲れのことと思う。どうかお体を大切にと申し上げる。「すず金」を出て、「あゆみブックス」で小川洋子の短篇集『まぶた』(新潮社、2001年)の冒頭の作品を立ち読みし(それほど感心しなかったので、買わずに棚に戻す)、「am.pm.」でアクエリアスのペットボトル(2リットル)を2本買ってから、研究室に向かう。

 卒論の分量は平均100枚(400字詰め原稿用紙換算)で、1時間で1本は読める。しかし、必ずしも面白さにひかれて一気に読めるものばかりではなく、星一徹のようにちゃぶ台をひっくり返したくなる気持ちをグッとこらえながら、あるいは瀕死の驢馬のようにその場にへたり込みそうになる気持ちに鞭打ちながら、頁をめくっていかなくてはならないものもある。だからときどき息抜きに研究室の外に出る。階段の途中で、露文の草野先生と今期のTVドラマについて立ち話。「白い巨塔」の今後の展開はどうなるのか、なぜ財前教授と里見助教授とではあんなに暮らし向きに差があるのか、大久保先生は石田ゆり子のような涼しげなタイプの女優がお好きでしょ、等々の質問に答えてさしあげる(ちなみに草野先生は大沢たかおとオダギリジョーがお好きである)。生協文学部店で、若島正『乱視読者の英米短編講義』(研究社)、ジョナサン・カラー『文学理論』(岩波書店)、ドミニク・スナチトリ『ポピュラー文化論を学ぶ人にために』(世界思想社)を購入。生協文学部店を出たところは、文学部キャンパスで一番広々とした空間である。私の研究室の窓からは2メートル向こうの隣の建物の壁しか見えないので(ただし静かで読書には適している)、ここに来ると清々しい気分になる。時計を見ると午後4時半。ちょっと前ならそろそろ日が暮れかかる時刻だが、まだ空は明るい。これからは一日一日、昼間の時間が長くなっていくのだと思うと、嬉しい。

 

1.30(金)

 今日は修士論文の口述試験。今回、社会学専攻で修士論文を提出した院生は6名。1名に付き主査+副査2名の計3名で1時間ほど面接をする。私は今回は主査にも副査にもかかわっていないので、一番最後の組の主査である長谷先生と副査の奥村隆先生(立教大学)と専修室で雑談。雑談の話題の1つにゼミ制度があった。立大の社会学科では、今年度から3年次・4年次通しのゼミ制度をスタートさせたのだそうだ。うちの場合、ゼミといっても、2年生のゼミ、3年生のゼミ、4年生のゼミと1年単位で、法学部や政治経済学部のような3年生と4年生が個々の教員の下で一緒に勉強をするゼミがほしいという声をときどき耳にする。それのよいところは、(1)ひとつのテーマを2年間かけて勉強できること(3年生で調査をやって4年生でそのデータを使って論文を書くとか)、(2)教員だけでなく先輩にも指導を仰げること、(3)卒業後も「○○ゼミ」という繋がりが強いこと(就職のときのOB・OG訪問などもやりやすいかもしれない)、などがあげられる。一方、そのようなゼミ制度にした場合の問題点は、(1)教員の人数だけゼミができるため個々のゼミが小規模になり(社会学の3年生と4年生は合わせて約200名で専任教員は12名だから、平均16、7名のゼミになる。現在の3年生の調査実習ゼミは4クラスなので平均25名)、規模の大きな調査がしにくくなること、(2)ゼミに所属しない、あるいは希望のゼミに入れない学生が増えること(にもかかわらず就職面接のとき「ゼミではどんなことを勉強しているの」と質問されたりする)、(3)ゼミが連続的なのでゼミのテーマの変更がしにくいこと(したがってゼミのテーマは教員の専門とほぼ一致することになるだろう)、などがあげられる。一長一短だが、私個人としては、自分がいままで経験したことのない2年間通しのゼミというものを試みてみたい気がする。一学年の定員は10名にしよう。面接のとき(3月か?)「今年になって読んだ本の中で面白かったものを5冊上げて下さい」と質問しよう(映画で代替も可)。「鶴田真由と米倉涼子、好きなのはどっち」という質問はやめておこう。

 

1.31(土)

 沢木耕太郎『杯(カップ)』(朝日新聞社)読了。しばらく前に彼がNHKの朝の番組(「てるてる家族」に引き続いてやっている)にゲスト出演して、亡くなった自分の父親のことを書いた『無名』(幻冬社)について語っている姿を見て、こういう56歳もいるのだと感心した。若々しいというのとは少し違う。シャイというのとも少し違う。「清廉」という言葉が一番ぴったりくる。56年も生きてきた人間が清廉でありうるのかと人は疑問に思うかもしれないが、ありうるのである。彼の清廉さは、天賦のものでも、偶然のものでもなく、彼が清廉な生き方を自分に課して今日まで生きて来た結果だと思う。私はこういう人間を少なくともあと2人知っている。高倉健と吉永小百合である。高倉健の「不器用」と吉永小百合の「清純」と沢木耕太郎の「清廉」は同じ系譜に属している。どのような自己イメージもそれを何十年も演じ続ければ、それが実体となるのだ。

 夜、テレビ朝日開局45周年記念ドラマ、山田太一脚本の『それからの日々』を観た。定年を2年残してリストラされた夫、熟年離婚を望む妻、呆けの始まった父親、転職を繰返す息子、22才も年上の3人の子持ち男性と付き合っている娘、・・・・現代家族の諸問題が凝縮された「山田太一ワールド」を堪能した。


2004年1月(前半)

2004-01-14 23:59:59 | Weblog

1.1(木)

 薄曇の穏やかな元旦。おせち料理を食べ、年賀状の返信を書き、居眠りをし、TVの正月番組(たとえば「欽ちゃんの仮装大賞」)を見、原稿の校正をし、・・・・こうして一年の最初の一日が終わった。「元日の心失せつつ午後になる」(今井つる女)

 

1.2(金)

 鷺沼の妻の実家を一家で訪問。蒲田―(多摩川線)―多摩川園―(東横線)―自由が丘―(大井町線)―二子玉川―(田園都市線)―鷺沼―(バス)―すみれが丘、という頻繁に乗換えをする1時間ほどの道のりであるが、今年高校受験の長男は乗り物酔いをしやすい体質で(遺伝ですね)、最初の乗換えの多摩川園のホームですでに乗り物酔いの前兆である生あくびが出始め、田園都市線の車内で気分が悪くなり、バスに乗り込むときにはかなり切羽詰った状態になっていた。いたしかたないので、途中の停留所でバスを降りて、歩くことにした。コートのいらない暖かな日差し。田園都市線沿線の昔からの住宅街は、起伏に富み(開発前は栗山だったと聞く)、道幅が広く、どの家にも庭があり、三階建て住宅が建てられないためもあって、見上げる空が蒲田よりもずっと広いので、歩いていてゆったりした気分になる。これが郊外というものだ。「二日の光坂広ければ低きかに」(中村草田男)

 

1.3(土)

 今日もコートのいらない陽気である。去年の今日は小雪の降る中を箱根駅伝(復路)の選手たちは走っていたが、今日はどの選手もこの陽気を考量して前半を押さえ気味で走っていた(結果は、駒大3連覇、わが早大は来年もまた予選会からの出直しである)。「武蔵野の鏡の空の三日かな」(広瀬一郎)

アメリカの大学院を受験する卒業生のKさんに推薦状を郵送しようとして、封筒を切らしていることに気づき、有隣堂に行って購入。ついでに社会学の棚をのぞいて、伊藤公雄・橋本満編『はじめて出会う社会学』(有斐閣)を購入。これを来年度の二文の基礎演習のテキストにしようと思う。

 年末から読み始めた塩野七生『コンスタンティノープルの陥落』を読了。1453年5月29日のビザンチン帝国(東ローマ帝国)の帝都コンスタンティノープルの陥落に至る経緯を、その前年の夏から、次の9人の人物の視点から描いた歴史物語。

ヴェネツィア共和国艦隊の医師ニコロ。

フィレンツェ商人テラルディ。

セルビアの騎兵隊長ミハイロヴィッチ。

ビザンチン帝国を救うためギリシャ正教会とカトリック教会の合同を画策するイシドロス枢機卿。

コンスタンティノープルの修道士で合同反対派のゲオルギオス。

ゲオルギオスの弟子のイタリア人留学生ウベルティーノ。

コンスタンティノープルとは金角湾を挟んで対岸にあるガラダのジェノヴァ居留区の代官ロメリーノ。

ビザンチン皇帝、コンスタンティヌス11世の側近フランゼス。

トルコ帝国のスルタン、マモメッド二世の小姓トルサン。

 これだけの数の視点を設定して、求心力を失わず、スリリングな物語として構成した力量は見事というほかはない。もし、NHKの大河TVドラマが日本史以外に素材を求める日が来るとしたら(来ないとは思うが)、『コンスタンティノープルの陥落』は間違いなく候補作の一つにあがるだろう。

 

1.4(日)

 午前中に短い原稿を一本書き上げ、近所のポストに投函して戻ってくると、郵便受けに年賀状が届いていた。日曜日でも年賀状の配達はあるのだと知る。今日届く年賀状は大晦日近くに出されたもののようで、卒業生からのものが大分混じっている。高校教師になって6年目のS君によると、早稲田の文学部を目指している生徒も多いとのこと。そうすると教え子の教え子を教えることになるのだろうか。NTTデータに勤めて5年目のFさんは、今年は少しスローライフを心がけ、自分を見つめ直す一年にしたいと思っている。彼女、いかにもバリバリ仕事をやっている感じだものなぁ。電通マンのF君は卒業3年目にしてすでに一児の父親になった。卒論は2年かかったくせに、家族形成はスピーディーである。ゼロックスの営業ウーマンになって2年目のAさんは、支店での成績が一番で、白井総長にも研究室用のコピー機を買ってもらったそうだ。やるじゃありませんか。さっそく返信を書いて、再び近所のポストまで出かける。昨日よりも、少し雲が多く、少しだけ寒い。「夕鴉午後に二た声四日かな」(阿部みどり女)

 

1.5(月)

 短篇小説というのは余韻がすべてである。「しみじみとした」余韻、「さわやかな」余韻、「切ない」余韻、・・・・いろいろな余韻があるが、とにかく、読み終わってしばらくそれに浸っていたいような何かしらの余韻がそこに残るかどうか、そこに短篇小説の成否がかかっている。そして、そうした余韻をかもしだせるかどうかは、ひとえに作家の才能にかかっている(もちろん読者にもそれなりの感受性が必要だが、それについてはひとまず措く)。長篇小説を書くために必要な才能が「構想力」であるとすれば、短篇小説を書くために必要な才能は「観察力」である。日常生活の中で、凡人が見過ごしているもの、見てはいてもありきたりの視線で見ているもの、そうしたもの(外部のものとは限らない)に焦点を当て、くっきりと、クローズアップし、読者の目をそこに釘付けにする力、それが「観察力」である。・・・・というようなことを、江國香織の最新短篇集『号泣する準備はできていた』(新潮社)を読みながら思った。たとえば、「煙草配りガール」という作品は、「私」と「夫」と「百合」(私の幼なじみ)と「明彦さん」(百合の夫)が薄暗いバーのテーブルで交わす会話で成り立っている。「私」は再婚で、「夫」は初婚だが「私」と結婚する前に12年間付き合っていた女性がいた。「百合」も初婚だが結婚を考えた男性が少なくとも過去に二人おり、「明彦さん」は再婚である。そういう4人が交わす会話だから、大学生がキャンパスの芝生の上で交わす会話とは違って、親密な険悪さとでもいおうか、撤去し忘れた地雷をいつ踏むかわからない雰囲気がある。そんな雰囲気の中で、「私」はふとこんなことを思う。

 「急に、いまここで百合の横にすわっているのがあの男でないということが奇妙に思えた。あるいはいっそ、学生時代に百合がまるまる四年間つきあい、「将来絶対結婚する」と宣言していた男ではないことが奇妙に思えた。いまトイレにいっている男がかつての夫と別人であることも、明彦さんの隣にいるのが彼の一人目の妻―百合は二人目だーではないことも、そしてここに坐っている私が、夫と十二年間つきあって別れたという京都出身のーそういう女がいたそうだなのだがー女でないことも。」

 この感覚は、多かれ少なかれ、誰もが経験したことのあるものではなかろうか。自分の周囲の世界から、現実感が薄らぐ感覚。周囲の世界を構成する個々の事物と自分との関係が必然的なものではなくて、他の関係と置き換え可能な、偶然的なものに過ぎないという感覚。精神科医ならば「離人症的感覚」というかもしれないし、哲学者ならば「実存的不安」というかもしれない。われわれは、家庭の居間で、職場で、通勤電車の中で、こういう感覚とたまに遭遇する。そしてそれを「疲れ」のせいにして、やりすごす。しかし、江國香織はやりすごさない。読者は、彼女に連れられて、日常ののっぺりとした空間に一瞬生じた裂け目の中に入っていく。彼女の短篇を読むことはとてもスリリングだ。そして読み終わった後には、「何ともいえない」余韻が残る。「何時となく常に戻りて五日かな」(和田うた江)

 

1.6(火)

 川崎チネチッタで『ブルース・オールマイティ』を観た。40歳を前にして仕事に行き詰まりを感じている男(ジム・キャリー)の前に神様(モーガン・フリーマン)が現れ、全能の力を与えるから自分の代わりをしばらく務めるように言う。ただし、自分が神様であることを人に言ってはいけない、人の意志を操ることはできないと、釘を刺す。しかし、男はやりたい放題、自分の出世のためにその力をフル活用する。もちろんそれで話が終わろうはずはなく、やがて愛する女性は彼の許を去り、彼の仕業が原因で街の秩序は大混乱に陥る。男は本物の神様に助けを求める。神様は男にアドバイスをする。「君のやってきたことは手品に過ぎない。奇跡というのは額に汗をして成し遂げるものだ」。男はまず飼い犬のトイレの躾と、ずっと放っておいた彼と彼女のアルバムの整理に着手する。そして・・・・、という映画である。まあ、お正月向きの映画ですね。

 あおい書店の映画本のコーナーで『大友柳太郎快伝』(ワイズ出版、1998年)という本を見つける。大友柳太郎は年配のファンには「むっつり右門」や「丹下左膳」や「快傑黒頭巾」といった1950年代の時代劇映画の当たり役でお馴染みの俳優だが、私にとっては、TVドラマ『北の国から』(1982年)の笠松杵次(蛍と結婚することになる笠松正吉の祖父)であり、映画『タンポポ』(1985年)の冒頭に登場するラーメンの正しい食べ方の先生である。たぶん不器用な役者だったのだろうが、その立派な面構えと、存在感は格別のものがあった。TVドラマ『外科医城戸修平』で大友と共演した中村雅俊へのインタビューが最初に載っていたので読んでいたら、「大友さんが自殺されたときは」という質問が出てきて吃驚した。そうだった、すっかり忘れていたが、大友は『タンポポ』の撮影直後、老人性の鬱病が原因で(「ダメだ、台詞が覚えられない」と連日嘆いていたという)、自宅のマンションから投身自殺をしたのであった。『タンポポ』は彼の遺作になった。400頁近い本だが、彼と縁のある人たちへのインタビューから構成されている本なので、30分ほど立ち読みしたら、読みたいところはほぼ読めてしまった。しかし、これだけ読んでおいて、棚に戻すというのは仁義に反するような気がして、結局、購入(3800円)。一緒に、嶽本野ばらの一番最近の小説『カルプス・アルピス』(小学館)も購入。田仲容子という画家が描いた装画がなんとも魅力的。

 夜、草彅剛主演のTVドラマ『僕と彼女と彼女の生きる道』の第1回を観る。脚本は『僕の生きる道』と同じ橋部敦子。草彅の相手役は小雪。私は矢田亜希子のファンだが、小雪のファンでもあるので、よしとする。矢田には『白い巨塔』(後編)で頑張ってもらおう。『僕の生きる道』で医者の役をやった小日向文世が今回は銀行の上司の役で出ているが、医者のときのようないい人役ではなさそうだ。草彅の娘(7歳)役の美山加恋の目一杯の演技は実に切ない。ところで、タイトルの『僕と彼女と彼女の生きる道』の「彼女と彼女」とは、小雪とりょう(草彅の妻)のことなのか。であるとすると、娘も入れて、『僕と彼女と彼女と彼女の生きる道』とすべきじゃないのか。あんなに健気に生きているのだから。

 

1.7(水)

 本来の冬の寒さに戻る。散歩にもコートとマフラーが必要だ。20年使っている腕時計を分解掃除に出す。ムーブメントだけでなく、文字盤の錆も落としてもらうことにする。4、5万かかりますと言われたが、婚約のとき妻から(指輪のお返しに)もらった時計で、愛着がある。セイコーの「クレドール」という最上位モデルで、当時で20万くらいした。電池を街の時計屋で交換してもらうたびに、主人から「いい時計ですね」と言われるので気分がよかった。4、5万出せばそこそこの新品が買えるが、気に入ったものを修理しながら長く使い続ける方がいい。

 栄松堂でひさしぶりに雑誌『将棋世界』を買う。米長邦雄(60)の現役引退の特集記事が載っていたので。米長はプロ棋士の中で一番好きな棋士だった。米長より強い棋士は何人かいたが(大山、中原、谷川、羽生・・・・)、米長ほど魅力のある棋士はほかにはいなかった。男の私がそう思うのだから、女性ならなおのことで、彼の周りにはいつも美しい女性たちがいた。彼が己の勝負哲学を書いた『人間における勝負の研究』を私は何度読んだかわからない。彼がいまの私と同じ年のとき、生涯のライバル中原誠を破って念願の名人のタイトルを手に入れたときは、喝采をあげたものだった。彼が羽生に名人位を奪われ、やがてA級を陥落してからは、私も将棋への情熱、将棋界への関心を失った。

 「書林大黒」の閉店セールは年が明けても続いていて(いつ閉店なんだ?)、しかも、2割引が5割引になった。5割引ですよ、5割引! もちろん全品! 次の4冊を購入。合計で1500円。

(1)北杜夫『消えさりゆく物語』(新潮社、2000年)*500円×0.5

 私の世代の人間には北杜夫のファンが多いはずだ。私は、中学生時代、彼の「ドクトルマンボウ」シリーズに夢中になった。大学3年のとき、はじめての外国旅行に向かう飛行機の中で、彼の小説『木霊』を読んで感動し、予定を変更して、小説の舞台であるドイツのチュービンゲンを訪ねたりした。

(2)安岡章太郎『志賀直哉私論』(文芸春秋、1968年)*500円×0.5

 高校生の頃、志賀直哉の短篇は全部読んだ(といっても寡作の作家だから、全部といっても高が知れているのだが)。いつくかの作品(「網走まで」とか「豊年虫」とか「真鶴」とか)は繰り返し読んだ。ジャコメッティの彫刻のように贅肉を極限まで削ぎ落とした彼の文体にひたすら憧れた。

(3)江藤淳『崩壊からの創造』(勁草書房)*500円×0.5

 戦後日本には、進歩的知識人はたくさんいるが、保守的知識人となると、福田恆存がまっさきに浮かぶが、あとがなかなか続かない。江藤淳は福田より若い世代の保守的文化人の代表格といえよう。

(4)外山滋比古『お山の大将』(みすず書房、2002年)*1500円×0.5

  英文学者のエッセー集。

 「シャノアール」に入って、『将棋世界』を読む。本を読むには、ここが一番だ。

 

1.8(木)

大学に出る。仕事始。葉っぱを落としたメタセコイアの巨木を通して見上げる冬の青空が美しい(文学部のホームページのキャンパス・フラッシュに写真が載っています)。でも、思い切り寒い。

文学部生協店で本を7冊購入。ここでの買い初めなり。

 (1)森岡正博『無痛文明論』(トランスビュー)

 (2)ジル・リポヴェツキー『空虚の時代』(法政大学出版局)

 (3)ケネス・ルオフ『国民の天皇 戦後日本の民主主義と天皇制』(共同通信社)

 (4)ジョージ・リッツア、丸山哲央編著『マクドナルド化と日本』(ミネルヴァ書房)

 (5)ランドル・ケネス『ダーウィンと家族の絆』(白日社)

 (6)東谷護『ポピュラー音楽へのまなざし』(勁草書房)

 (7)『村上春樹全作品 1990-2000 6 アンダーグラウンド』(講談社)

 教員ロビーで7限の基礎演習の授業で使う教材をコピーしていたら、英文学の安藤先生に声を掛けられ、「もう来年度の講義要綱の原稿は出しましたか」と聞かれる。「明日が〆切ですよね」と聞き返すと、「いいえ、今日が〆切です」と言われる。「僕は紙の原稿ではなくて、ネット上で入力作業を行うから、〆切は多少遅いはずでしょ」と重ねて聞き返すと、「ええ、去年は確かにそうだったんですが、今年は一律に8日〆切です。私もそれはおかしいじゃないかと思うんですけどね」との答え。あわてて事務所からの書類(ちゃんと読んでいなかった)で確認すると、確かに安藤先生の言われる通りである。7限の授業が終わったら入力作業をしなければ・・・・。7限の授業はいつも時間が押し気味だから、研究室に戻るのが午後9時半として、「ごんべえ」で夕食を食べて、帰宅するのは11時近く。それからひと風呂浴びてから、パソコンの前に座って・・・・と段取りを考えていたら、安藤先生が恐ろしいことを言った。「今夜の12時がリミットですね。それ以降はネット上での編集作業ができなくなります」。う、嘘でしょ。まさかそんなに厳格ではないでしょ。私はこれまでも各種の書類の提出を締切日の翌日の午前中に事務所に提出してことなきを得てきたのだ(全然えばることじゃないが)。しかし、相手は人間じゃなくて、コンピューターだからな。8日の24時をもって編集回路へのアクセスが遮断されるようにあらかじめプログラミングされているとしたら・・・・。しかし、それは杞憂であった。24時を過ぎてもアクセスは遮断されることはなかったし(ホッ)、このフィールドノートを書いている9日午前9時現在も、編集作業は可能な状態にある。こういうアバウトさは大切ですよ。そうでないと息が詰まってしまう。それにしても安藤先生、よくも脅かしてくれましたね。来年度の私の講義要綱は今年のものと大きく違わないが、それは多分に安藤先生のせいなのである。

 

1.9(金)

 大学院の演習は残すところ3回だが、この3回でダニエル・ベルトー『ライフストーリー:エスノ社会学的パースペクティブ』(ミネルヴァ書房、2003年)を読む。付録の論文「パン屋のライフストーリー」の中でベルトーはこう言っている。

「私たちのアプローチは断固として構造主義的である。つまり私たちの究極の目的は、結局、パンの塊で終わる日常のプロセスの根底にある社会構造的パターンを明らかにすることである。つまりこれらのパターンの構造と理論を理解し、それらの矛盾を指摘し、そして歴史時間をつらぬくダイナミクスをあとづけることを意味している」。

彼がマルクス(階級論)とミルズ(社会学的想像力)から大きな影響を受けていることは明らかだ。彼にとって「すべては一九六八年五月にはじまった」のだそうだ。いうまでもなくパリの「五月革命」のことを彼は言っている。そのときベルトーは29歳だった。

「霧の日に突然、一筋の日の光が射すように、一九六八年五月は大衆消費社会の思い覆いを短い間に引きちぎった。九〇〇万の労働者が街頭に出て、国中すべてがストップした後、階級構造はいまだ深くしみこんだままの現実であり、階級の矛盾はいまだフランス社会の中核にあることが突然あきらかになった。数日間続いただけだったが、そのあいだに社会の風景全体が照らし出され、主要な構造的特徴が明白に見えるようになった。それで一般のストライキと社会運動は終わり、ものごとは『ふつう』にもどった」。

しかし、「ふつう」に戻らなかった人々もいる。一瞬、垣間見えた社会の仕掛け(罠)の正体をよりはっきりと見定め、それに異議申し立てを行いたいと考えた若者たちだ。ベルトーもその一人だった。

「一九六〇年代にはたくさんの国の数千の学生が社会学にたどりついた。なぜなら人びとがいかに生き、社会生活が具体的にどのようなものであるかをみいだしたかったからである。しかし、彼らは、期待したことではなくて、アカデミックな社会学をみいだした。さらなるコメントをする必要があるだろうか? 幻滅は期待とおなじくらい大きかった」。

この種の幻滅は、自分が生きている社会に対して疑問や不信や憤りを抱き、批判的分析(=異議申し立て)のツールとしての社会学を学ぼうとする者が、多かれ少なかれ経験するものであろう。問題は、幻滅に順応して「社会学学者」になっていくか、幻滅を乗り越えて「社会学者」であろうとするかだ。ベルトーはオスカー・ルイスの『サンチェスの子どもたち』を読むことで幻滅を乗り越えることができた。人々のライスストーリーを収集、分析して、全体社会の構造や変動に迫るというアイデアを得たのである。しかし、そのアイデアを現実のものにするのは簡単ではなかった。

「一九七〇年代初めのアカデミックな世界ではこのようなアプローチに対して敵意が向けられたので、パン屋業界におけるライフストーリーの収集は、パートタイムの活動としておこなった」。

現在、ライフストーリー研究はアカデミックな社会学の中で一定の地位を得ているように見える。アカデミックな社会学へのライフストーリー研究の組み込まれは、方法論への過度の関心という形で現れている。方法論への関心は、それがある水準を越えると、神学論争のようになってしまい、鑑賞するだけで、実際の使用には耐えない代物ばかりが並ぶことになる。初心忘るべからず。

 

1.10(土)

 テアトル蒲田で『半落ち』を観た。地元の映画館(自宅から徒歩10分)なので、封切りの日の初回でも楽に観ることができる。前評判どおりのいい映画である。今年観た映画の中で一番である(・・・・といっても『ブルース・オールマイティ』に続いて2本目なのだが)。アルツハイマー病にかかった妻(原田美枝子)を殺した警察学校の教官(寺尾聰)が自首をした。白血病で亡くなった息子のことを自分がまだ覚えているうちに殺してほしいと妻に頼まれての嘱託殺人だった。しかし犯行から自首までの2日間の行動については黙秘を続ける。その「空白の2日間」をめぐって、刑事(柴田恭平)、検事(伊原剛志)、新聞記者(鶴田真由)、弁護士(國村隼)、判事(吉岡秀隆)が容疑者と対峙する。同時に、彼らは容疑者と対峙することを通して、自分自身の人生の問題と対峙する。このことによって、この映画はたんなるサスペンス映画以上のものになった。形式上の主人公は妻殺しの警察官だが(寺尾聰は日本アカデミー賞の主演男優賞に間違いなくノミネートされるだろう)、この映画は群像劇なのである。一人一人に見せ場がある。いや、彼らだけでなく、彼らとかかわりのある人々、容疑者の義姉(樹木希林)、刑事の上司(石橋蓮司)、検事付きの事務官(田山涼成)、新聞記者の上司(田辺誠一)、弁護士の妻(高島礼子)、判事の妻(奥貫薫)にもちゃんと見せ場が用意されている。森山直太郎の歌うエンディングテーマ「声」も秀逸。

 映画館を出て、鈴木ベーカリーで昼食用のサンドイッチを買い、南天堂で古本を8冊購入。

 (1)『はばたけ!わが革命的左翼 革マル派結成四〇周年記念論集』上下巻(解放社、2003年)*2冊で10000円→6000円

 へぇ、こんな本が出たんだ(80へぇ)。学生担当教務主任を経験した者としては買わない訳にはいきません。昨日の敵は今日の友(笑)。

 (2)ヤスパース『精神病理学研究』1・2(みすず書房、1969)*2冊で13200円→7900円

 学部の学生のとき相場均教授(故人)の心理学の授業をとっていた。相場先生は北杜夫の友人で、哲学や文学にも通じていて、たんなる心理学者とは一味違う雰囲気があり、おそらくご自身もそのことを意識されていたと思う。あるとき、先生が学生たちに言った。「ヤスパースの『精神病理学研究』を探しています。古本屋で見つけたら買っておいていただけませんか。『精神病理学総論』ではなく『精神病理学研究』の方です。お間違えのないように」。先生のファンであった私は、さっそく早稲田の古本屋街を探して廻ったが、『総論』は何冊も見かけたが、『研究』の方は見つからなかった。相場先生には私の卒論の指導教授になっていただいたが、その年の夏休み、先生は心臓の発作で急逝されてしまった。昨年の10月、みすず書房の「基本図書限定復刊」の企画によって、本書が復刊された。相場先生、30年目にして、ようやく『研究』を古本屋で見つけました。冒頭の論文「懐郷と犯罪」は社会学の道に進んだ私にも興味深いです。

 (3)E.J.ホブズホーム『資本の時代1848-1875』1・2(みすず書房、1981-2年)*2冊で9200円→5400円

 これも「基本図書限定復刊」もの。

 (4)E.J.ホブズホーム『帝国の時代1875-1914』1・2(みすず書房、1993年、1998年)*2冊で9600円→5600円

 これも「基本図書限定復刊」もの。あと『革命の時代』が手に入るとホブズホームの19世紀三部作が全部揃うのだが、それは棚にはなかった。[後記:『革命の時代』はみすず書房ではなく、1968年に『市民革命と産業革命』というタイトルで岩波書店から刊行されていることがわかったので、「日本の古本屋」で調べて八王子の「まつおか書店」から4500円で購入した。]

 

1.11(日)

 NHK将棋トーナメントの3回戦、中原誠(16世名人)対中井広恵(女流名人)の対局を観る。中井は1回戦で畠山鎮6段を、2回戦で青野照一9段を破っての3回戦進出である。これがいかに快挙であるかを将棋界の事情に通じていない人に説明するのは難しい。もし、今日、中原にも勝ったら、数年前、中原と林葉直子(元女流名人)のスキャンダルが発覚したときくらいの衝撃が再び将棋界に走ることになる。固唾を呑んで見守った。しかし、大番狂わせは起きなかった。中原は、変則的な序盤から、右玉に組み、中井の攻めに乗じて反撃し、銀捨てから飛車を成り込み、中井の意図する飛車交換を封じて、飛車角交換を余儀なくさせ、以後、二枚飛車で一気に寄せ切った。畠山と青野はテレビ対局で女流棋士に負けるわけにはいかないというプレッシャーに負けたが、中原は稽古将棋の上手のような指し回しで、中井を一蹴した。

 夕方、散歩に出る。新年の新鮮さはすでに薄れているが、あいかわらず快晴の日々が続いている。復活書房で片山恭一『世界の中心で、愛をさけぶ』(小学館)を購入。気恥ずかしいタイトルだが、ミリオンセラーなので資料として購入。帯に、「泣きながら一気に読みました。私もこれからこんな恋愛をしてみたいなって思いました」という柴咲コウのコメントが載っている。作者は若い人かと思ったが、私と5つしか違わないと知って吃驚。

 

1.12(月)

 年末にやろうと思っていてできなかった書庫の整理。書斎の床の上に積まれている本や、書架に二重に並べられている本を書庫に移動する。書斎は2階、書庫は1階なので、本を詰め込んだ紙袋を両手に提げて階段を何度も往復する。同じジャンルの本は同じ場所に並べておく必要があるので、若干の配置替えも行う。書庫には暖房がないので、長くいると体が冷えてくる。可動式の書架15面のうちの12面がすでに埋まってしまった。文庫本は棚に段を作って前後二列に並べるとか、将棋雑誌のバックナンバーや百科事典の古い版は廃棄するとか、妻所有のコミック本には退去願うとか、何らかの対処をしなければならない。

 夕方、散歩に出る。昨日と同じく復活書房に行って、江國滋『おい癌め酌みかはさうぜ秋の酒 江國滋闘病日記』(新潮社、1997年)と岡田恵和・丹後達臣『ビーチボーイズ』(フジテレビ出版、1997年)を購入。江國滋は江國香織の父親で、『俳句とあそぶ法』や『日本語八ツ当たり』などで知られる随筆家。1997年2月6日に食道癌の告知を受け(医師の第一声は「高見順です」だった)、同年8月10日に亡くなった(辞世の句が書名になった)。「療養俳句」の金字塔と言われる石田波郷の『惜命』の向こうを張って、著者は闘病生活の中で句作に励む。著者曰く、「この重大事に、よく俳句など詠めるものだ、と人さまは感心してくれるかもしれないが、自分の本心は自分でわかっている。現実と相対する勇気がない上、何か考えはじめたら、どうしたって『死』に行きつく、それが怖いために、現実逃避のために、俳句を選んだというだけのことだと自覚している」。照れではなく、本心であろう。高見順は詩を作り、江國滋は句を作った。「残寒やこの俺がこの俺が癌」。復活書房を出ると、細かい雨が降り始めていた。

 

1.13(火)

 昼過ぎから始まった会議は1時間ほどで終わり、早稲田軒に昼食(ワンタンメン)を食べに出る。帰りに「ルネサンス」に立ち寄ると、床の上にかなり本が積まれている。最近、どこかの新聞で紹介されたらしく、本を売りに来る客が増えたらしい。9冊購入。全部で8000円。そのまま「シャノアール」に行って、買ったばかりの本にひとわたり目を通す。

(1)        塩野七生『ローマ人の物語Ⅰ ローマは一日にしてならず』(新潮社、1992年)

(2)        塩野七生『ローマ人の物語Ⅱ ハンニバル戦記』(新潮社、1993年)

このシリーズは、「一年一冊」のペースを守って、現在、12巻まで出ている。第7巻までは文庫化されているが、やはりこのシリーズは単行本でゆったりと読みたい。

(3)        須賀敦子『トリエステの坂道』(みすず書房、1995年)

本書は新潮文庫にも、白水社のUブックスにも入っており、Uブックスのものはもっているのだが、装丁の美しさはやはり単行本が一番だ。カラヴァッジョの「果物籠」という絵が表紙を飾っている。

(4)        マーク・ゲイン『ニッポン日記』(筑摩書房、1963年)

著者は「シカゴ・サン」の特派員。1945年12月から1年余日本に滞在して記事を書いた。本書はそのときの体験を日記風にまとめたもの。

(5)        リースマン夫妻『日本日記』(みすず書房、1969年)

『孤独の群集』の著者の2ヶ月間(1961年10月4日から12月2日まで)の日本滞在記。

(6)        安岡章太郎『自叙伝旅行(文藝春秋、1973年)

転々と移り住んだ土地を再訪しながら語る自叙伝。最初の章は5、6歳の頃まで住んでいた「市川」の話。私はついこの間まで、13年間、総武線で市川の2つ隣の下総中山に住んでいて、ときどき市川にも散歩の足を延ばしていたので、親しみが湧く。

(7)        越沢明『東京都市計画物語』(日本経済新聞社、1991年)

同じ著者が同じ年に出した『東京の都市計画』(岩波新書、1991年)は面白い本だった。著者に言わせると、両書は相互補完的な関係にあるそうなので、こっちも読んでおこうと。

(8)        『伝記・自叙伝の名著』(自由国民社、1993年)

海外の代表的な伝記と自叙伝の紹介本。欧米では伝記は人気のあるジャンルだが、日本ではそうではない。思うに、子供の頃に「偉人伝」を読まされる(おまけに感想文まで書かされる)せいで、伝記は子供が読むものというイメージがあるためではなかろうか。

(9)        早稲田の杜の会編『60年安保と早大学生運動』(KKベストブック、2003年)

学生運動の本は全学連主流派(=反日本共産党系)の立場で書かれたものが多いが、本書は反主流派(=日本共産党系)の立場から書かれている。60年前後の早稲田大学の一政、教育、一文など自治会は反主流派が掌握していたのである。

 研究室に戻り、明日の「社会学研究10」の試験問題を作成し、印刷する。今回は難問である。きっと単位を落とす学生が続出するであろう(嘘です)。

 

1.14(水)

 3限の「社会学研究10」は教場試験。いつもより学生の数が2割くらい多い。問題は決して難しくないが、それは授業にちゃんと出ていればの話で、そうでない学生が試験だけ受けに来て及第点を取るのは難しいのだが・・・・。さっそく答案用紙と問題用紙を配る。問題用紙は裏にしたままと指示したが、裏からでも問題文は透けて読めていた。試験開始。とりあえず教室の中を巡回する。昔、非常勤で教えていたある大学では、カンニングが横行しており(机の中に開いたままのノートを入れておくとか、カンニングペーパーを答案用紙の下に潜ませておくとか、隣同士で答案用紙を交換するとか・・・・)、「達磨さんが転んだ」ではないが、巡回しながら、急に後ろを振り返ると(私が通り過ぎたので油断したのであろう)、カンニングをしている学生を発見することがよくあった。しかし、わが文学部の学生たちは品行方正で、あるいはカンニングをしてまでよい成績を取ろうという世俗的欲求に乏しいため、巡回をしていても張り合いがない。しかし、教壇で黙って坐っているのも退屈なので、散歩のつもりで何度か巡回をする。試験終了。答案を研究室に持ち帰って、さて、昼食に出ようかと思っていると、ドアをノックする音がした。おそらくいまの試験を受けた4年生(以上)の誰かが、「自分は卒業のためには1つも単位を落とせない状況にありまして、つきましては・・・・」という話をしに来たのだろうと思ったら、本当にそうだったので、自分の勘のよさに驚いた。試験の出来はどうだったのかと尋ねると、小問は5題中ちゃんと書けたのは2題、大問の方は3題中2題しか書けなかったという。おいおい、大問は1題選択ってアンダーラインを引いてあったの読まなかったのかい? 彼、悲鳴に似た声を上げる。「4年生以上は再試験(8単位まで)という制度がありますから、もし落としたら、再試験を申請して下さい」と言ってお引取り願う。