8時、起床。
サラダ、牛乳、紅茶の朝食。
今日の『半分、青い』。和子さん(律の母親)が死んだ。仙吉さんの死は大往生だったが、和子さんの死は早すぎる死である。60代の前半という設定のようだが、とてもそうは見えないので、なおさらである。平均寿命というのは、計算上の数字であり、みんながそのあたりまで生きるというものではない。それを大きく越えて生きる人もいれば、そのはるか手前で死ぬ人もいる。いつか死ぬことは絶対確実だが、いつ死ぬかは不確かである。われわれは漠然と自分が平均寿命あたりまで(少し控え目に平均寿命-10歳くらいあたりまで)は生きるだろうと考えて、日々を生きているが、そんな保証はない。毎日を「今日が人生最後の一日かもしれない」と思って生きるというのは極端だとしても(そうしたら毎日が最期の晩餐で食費がかさみそうだ)、いろいろなことを先延ばしにして不確かな未来の時間を肥大させない方がよいだろう。
ところで律は母親のことをずっと「和子さん」と呼んでいたが、今日初めて「お母さん」と(しかし和子さんのいないところで)呼んで泣いていたが、彼が母親のことを(父親のこともか?)名前で呼んでいるのには何か訳があるのか。ドラマの初めの方で(私は途中から見始めたのでわからない)その訳を説明している回があったのだろうか。学生の中にも私のことを「大久保先生」ではなくて「大久保さん」と呼ぶ者がたまに(ごくたまにだが)いる。たぶん「先生」という言葉に漂う権威性(えらそうな感じ)を排除したいのであろう。「孝治先生」と呼ぶ者もいる。こちらはたぶん親しみの表現であろう。まだ面と向かっていわれたことはないが、学生同士の間では「孝治」と呼ばれているという噂も聞いたことがことがある。「金八先生」が「金八」と呼ばれるようなものだろうか。
11時半に卒業生のカナエさんと蒲田駅で待ち合わせて「まやんち」へ。彼女は卒研を指導した学生で、2016年9月に文化構想学部を卒業し、いまは京都大学の大学院の修士2年生である。8月中旬に上海で学会報告があり、相当なプレッシャーだったらしいが、その後、中国旅行を楽しんで、先週末に帰国した。お疲れ様。また一段成長の階段を上がったようですね。
今日と明日が「まやんち」でピーチメルバが食べられる最後の二日間である。山梨の桃はピークを過ぎてしまったので、わざわざ青森から取り寄せたそうである。
私は今シーズン10個目、彼女は人生初のピーチメルバである。彼女はさっそくインスタにアップしていた。
今シーズン最後から二番目のピーチメルバを「もしかしたらこれが最後かもしれない」と思って口に運ぶ。しみじみと美味しい。
ランチは「パン日和あをや」に食べに行く。
彼女の黄色主体のファッションは果物屋の店先によく似合う。60年代に田代みどり(アイドル歌手の走りだった)が日本語の歌詞で歌ってヒットした「パイナップル・プリンセス」という歌を思い出した(笑)。
京都の生活では原色の服を着る機会はまずないそうである。
線路沿いの道を鹿島田方面に歩く。
町工場が点在している。
踏切を渡るともうすぐだ。
「パン日和あをや」に到着。
二階の畳み席も空いていたが、彼女がパンの話を奥さんとしたいだろうと思って、今日は一階のテーブル席に座った。彼女は京都ではパン教室に通っていて、社会学とパン作りのダブルデグリー(2つの学位取得)を狙っているそうである(笑)。
冷房のほどよく効いた室内。
今日のおすすめメメニュー。
まずは8月のドリンク、自家製ジンジャエールで喉を潤す。
ラッシュ・ディッシュ(オードブルの盛り合わせ)。気分が華やぎます。
ベトナム・コッペ。「バインミー」としてベトナムでは親しまれているものですね。
本日のスープはビシソワース(ジャガイモの冷製ポタージュ)。夏の定番である。
パン盛り合わせ。食パン、クロワッサン、ベーグルの三位一体である。一つ一つの製法について、カナエさんは熱心に臆さ様に聞いている。私の連れてくる卒業生でこういう人は珍しい。「美味しいですね」くらいは誰でもいうが、製法についての感想や質問が的確で、奥様も手ごたえのある相手だとと感じたようである。
パンのおかずに(私には必要だ)ソーセージの盛り合わせも注文。
注文はしていなかったが、サービスでスコーンをいただいた。スコーンについてもカナエさんは的確な感想と質問を発していた。食レポか(笑)。
アイスティーもサービスでいただく。
カナエさん、奥様に気に入られたようである。
どうか社会学とパン作りのダブルデグリーめざして精進してほしい。
店を出る前に奥様に写真を撮っていただく。
さて、時間があるようなら、もう一軒、カフェの梯子をしましょうか。蒲田に戻って「カフェ・スリック」に行くことにした。川崎で乗り換えるときにマダムに電話して席をとっておいてもらう。
移動はやはり喉が渇く。 店に着いてさっそく冷たいドリンクを注文する。私はいつものグレープフルーツ・セパレートティー。彼女はマロウ・カルピス。
黄色の背景に映えますね(笑)。
シフォンケーキは私は紅茶、彼女はプレイン。(「プレインを注文されるお客様は〝おぬし、できなる〟と身構えます」と以前マダムが私に言っていた)。
彼女はお菓子(ケーキ)作りにも熱心である。マダムにあれこれ感想や質問を述べる。
マダムも質問にちゃんと答えている。
身振り手振りを交えてますます熱心に語るカナエさん。
ついにかめはめ波を放とうとしているのか!(笑)
「語るに足る相手」としてマダムに認められようである。よかったね。
今年の京都の夏は尋常でない暑さである。帰ったら修士論文の執筆に引きこもりがちになる日々だろう。でも、あまり根をつめすぎるのもよくないですよ。「はい、月に一回くらい息抜きも兼ねてパン教室に通おうと思います」と彼女は言った。 それはいい。でも、人はパンのみにて息抜きするにあらず(笑)。他にも息抜きがあってもいいんじゃないでしょうか。
蒲田駅で彼女を見送ってから家に帰る。
東の空の低いところに月が出ていた。
夕食はポースソテー、サラダ、玉子スープ、ご飯。
昨日、アマゾンに注文した本がもう届いた。
小林多寿子・浅野智彦編『自己語りの社会』(新曜社)。関東社会学会の研究霊歌と学会大会の成果をまとめたものである。私も一度(二度だったかもしれにない)、一橋大学へ開かれた研究例会に出席したことがあったが、興味深い報告を聴くことが出来た。大学院の演習で読んでみようかしら。
発達障害の自立・就労を試験する本③『発達障害の人の「私たちの就活」』(河出書房新社)。私の知り合いのライター、宇樹義子さんが紙媒介でデビューするというので買い求めた。彼女は高機能自閉症で、自身の経験を「このわがままな身体と生きていく」というエッセーにまとめている。就活で彼女は面接までは進むが、面接官が怒り出し、ことごとく落とされるという経験をする。「私は、初めてシャカイというものを恐ろしいと思った。いままで知らなかったが、シャカイは、私のまったく気づかないうちに、私には理解できない法則で回っているものらしい。怖い、気味が悪い、やっていける気がしない」そう彼女は思った。シャカイについて彼女が感じた不気味さは私にもわかる。それが社会学というものを勉強しようと思ったきっかけの1つであったからだ。
宇樹義子さんのサイトは→こちら
深夜、ウォーキング&ジョギング。
2時半、就寝。