7.15(木)
「テアトル蒲田」で『69』を観た。平日の場末の映画館の初回(11:15から)だけあって、観客は自分を入れて5人。宮藤官九郎の脚本でおそらく観客がたくさんいれば随所でドッと笑いが起こるところなのだが、いかんせん5人ではクスリ、ニヤリと個人的な笑いを誘発するに止まる。客席の人口密度というのは実に重要な変数である。映画を観終わってから大学へ。「五郎八」で遅い昼食(揚げ茄子のみぞれおろし蕎麦)。他学部から文学研究科の社会学専攻を受験する学生の相談。修士論文の副査を担当しているKさんから中間報告。二文の基礎演習は今日が前期最後のグループ発表。授業の後、前々回発表したグループが講評をしてほしいというので研究室で話をする。大学を出たのは午後11時。遅い夕食を「スパイシー」でとる(チキンカツカレー)。らっきょうが有料(50円)であるのに驚いた。カレーを注文したら福神漬けとらっきょうはサービスと昔から決まっていたが、ついにその規範が破られたのである(ただし福神漬けはサービス)。歴史的事件といえる。私は記念にその有料のらっきょうを注文した。とくになんの変哲もない小ぶりのらっきょうが8個ほど出てきた。1つ1つ味わうようにいただく。らっきょうは何にも言わないけれど、らっきょうの気持ちはよくわかるような気がした。長年の盟友である福神漬けを一人残して自分だけ「出世」してしまったことをらっきょうは恥じているように思えた。
7.16(金)
3限の大学院の演習と5限の卒論演習の間に「フェニックス」でビザと珈琲の昼食をとっていたとき、近くに座っていた男女の会話が自然と耳に入ってきた。
男「なぜレコードから音楽が再生されるのかわからないんだ」
女「それはレコードに溝があるからじゃない」(私は椅子から転けそうになった)
男「レコードに溝があるのは知っている。問題はなぜ音が、それも複数な音楽が、レコードの一本の溝として記録できるのかということなんだ」
私もレコードの原理というものがわからない。なぜ電話で話ができるのかも、なぜTVで映像が見えるのかもわからない(きちんと説明できない)。しかし、わからなくても困らない。原理がわからないとレコードを聴けない、電話がかけられない、TVが見られないわけではないからだ。そしてこういうことは機械の仕組みに限らず、自然の仕組み(なぜ雨が降るのか)や、身体の仕組み(なぜ目で物が見えるのか)や、世の中の仕組み(なぜ株価が上がったり下がったりするのか)についてもいえるだろう。いくつかの事柄については学校で習う。しかしもう忘れてしまった。いや、当初からわかってはおらず、わかったような気になっていたに過ぎないだろう(本当にわかっていたのなら簡単には忘れないはずだ)。おまけに自分だけでわかったような気になっているならまだしも、わかったような口調で人に語ったりしている。だから自分にはレコードの原理がわからないときっぱりと言う人に出会うとハッとする。ソクラテスみたいじゃないですか。
7.17(土)
勢古浩爾『思想なんかいらない生活』(ちくま新書、2004年)を読んだ。「思想」を商売にしている人たち(人文系の学者や評論家)の文章を次々に俎上に載せて、「わからない」「無意味」と言い放った本。快著というべきか、怪著というべきか。先月出たばかりの本だが、全国紙の書評子は知らんぷりを決め込んでいるようだ。あたらぬ神に祟りなしかということか。しかし、著者の言っていることはしごくもっともなことである、と私は思う。
「思想なんかなくてもきちんと生きていける。あたりまえのことだ。ほとんどの人が、思想などと関係なくきちんと生きているのだから。しかし、だからといって無知であっていいはずはない。世界の『問題』をいささかも必要としなくても、関心はもったほうがいいに決まっている。そして人々は実際に関心をもち、知識を吸収しようとしている。しかし、それも自分の『ふつう』の生活を維持していくためであり、本来からいうと、それは余剰なことなのだ。」
社会学というのも「思想」の一種である。ふつの生活をしていく上では余計なものである。「思想」は社会や人生に問題を見つけ出し、それに何らかの解釈を施す。面白い人には面白いだろうが、余計なお世話と思う人も少なくないであろう。なぜそんことをするのかといえば、それが私の商売だからである。それで飯を食い、妻子をやしなっているからである。そのことを棚に上げて、エラソーに「思想」を語る人間が勢古には我慢ならないのである。
「一生ひとの頭を刈り続ける理髪店の仕事があり、一生ひとの口のなかばかり見ている歯医者の仕事がある。恫喝し殴りつける仕事があり、昆虫の観察をする仕事があり、野菜や米を作り続ける仕事があり、下着ばかりを作る仕事があり、配達する仕事があり、ボールを蹴ったり投げたりする仕事があり、芝居ばかりしている仕事があり、歌ばかり歌っている仕事があり、絵を書いたり、将棋を指したり、本ばかり読んでいたり、ビルや橋を作ったりする仕事がある。『思想』もそれと変わらぬただの仕事ではないのか。」
然り。その通りである。昔、清水幾太郎が『本はどう読むか』(講談社現代新書、1972年)の中で同じことを言っていた。
「世の中には、一生を通じて、深刻な面持ちで人生の諸問題を論じている人間が何人かいるけれども、この人たちは、そういう問題で本当に苦しんでいるのではなく、それを論じるのが、彼らの『職業』なのである。それを論じることによって収入を得て、それで家庭を支えているのである。そういう人たちのペースに巻き込まれてはいけない。」
もっとも清水自身が「思想」を商売にしていた人だから、「クレタ人の言うことを信用してはならない、と或るクレタ人がいった」という自己言及的命題特有のジレンマが清水の発言にはあるのだが。それはそれとして、私が勢古という人間を信用してもいいと考える根拠の一つは、彼がTVドラマ『僕の生きる道』を高く買っている点である。人が人を判断する基準というのはけっこう単純なのである。
7.18(日)
蒸し暑い。沢木耕太郎『1960』(沢木耕太郎ノンフィクションⅦ、文藝春秋)の中の「危機の宰相」という実に興味深い作品(「所得倍増」という戦後最大のコピーをめぐる話)を読んでいるので、どうにか集中力が保たれている。途中で書斎の掃除をし、シャワーを浴び、コンビニのかき氷を食べる。
夜、社会学教室の同僚の浦野先生から電話。お父様が亡くなられたという連絡だった。享年87歳。お悔やみを申し上げ、お手伝いの件は引き受けましたとお応えする。助手のS君、Sさんに電話をし、大学院生で手の空いている人を集めてほしいと伝える。教室の先生方、大学の事務所の方にメールで連絡する。
7.19(月)
「海の日」だそうだ。「山の日」もあったらよいのに・・・・と思うのは私一人ではないらしく、すでに山梨県、滋賀県、和歌山県はそれぞれ独自に「山の日」を設けている(山梨県は8月8日、滋賀県は10月1日、和歌山県は11月17日)。「月の日」や「花の日」や「星の日」や「宙(そら)の日」もあったら、宝塚みたいで華やかだろう・・・・と思って調べたら、「花の日」と「空の日」はちゃんとありました。仏教では4月8日が「花の日」(花祭り)で、キリスト教(メソジスト派)では6月第二日曜日が「花の日」とされている。国土交通省は9月20日を「空の日」(旧称「航空日」)と定めている。知らなかった。じゃあ「風の日」や「雲の日」はどうか。これはまだないようだ。よかった(って何が?)。たんに「風の強い日」や「曇りがちの日」と間違われそうだが、私のイメージとしては、『北斗の拳』の登場人物、「風のヒューイ」と「雲のジュウザ」(ともに南斗最後の将を守る五車星のメンバー)にちなんでいる。無敵のラオウを相手に彼らはよく闘った。
先日、アマゾンに注文した『名もない道』(二見書房)という写真集が今日届いたのだが、それをパラパラながめながら、「道の日」というのもあったらロマンチックだと思った。「道」をテーマにした歌はたくさんあるが、私がよく口ずさむのは、北原白秋作詞・山田耕筰作曲の「この道」と、小林亜星作詞・作曲の「どこまでも行こう」(ブリジストンタイヤのCMソング)だ。同じ「道」でも前者は過去志向の歌であり、後者は未来志向の歌である。趣はずいぶんと異なる。それぞれの歌を口ずさんでいるときの私の気分もきっと違うにちがいない。ああ、もう一曲、私がよく口ずさむ(ただしごく小さな声で)歌に、童歌「みっちゃんみちみち」がある。これを忘れちゃいけない。歌詞を引くのはちょっとはばかられるので、英訳歌詞(そんなのがあるのだ)を引くと、Miss Mitchan took a crap along the road. Since she had no paper, she wiped it off with her hand. And then she didn’t want to waste it, she licked it all.(小泉文夫編『わらべうたの研究』1969年)。「ミチコ」という名前の女性が目の前に現れると、反射的に頭の中でこの歌が聞こえてきて、困ることがある(嘘です)。
『危機の宰相』の続きを読む。学者や作家の評伝はよく読むが、政治家の評伝はほとんど読んだことがない。しかしこれは面白い。さすがに沢木耕太郎だ。夕食は妻と娘と外に食べに出る(息子は高校のクラスのコンパに行っている)。「五右衛門」でスパゲッティーを食べる。食後、有隣堂に寄る。直木賞を受賞したばかりの奥田英朗の旧作『イン・ザ・プール』(文藝春秋、2002年)を購入。帰宅して、冒頭の表題作を読む。精神科医「伊良部一郎」というキャラクターが始めて登場した作品である。サラサラと読める。水泳の話だからスイスイ読めると言うべきかもしれない。
7.20(火)
本日の東京の最高気温、39.5度。観測史上最高だそうだ。長い会議の合間に廊下に出ると身体が生温い空気に包まれるのがわかる。屋外に出ると熱波が四方から襲いかかってきて、まるで電子レンジの中に入れられたコンビニ弁当のような気分になる。アカンて! もうアカンて!(松本人志の口調で)。
夕方、とは言っても空はまだまだ明るいが、浦野先生のお父様のお通夜に行く。練馬高野台駅から徒歩5分の場所にある東高野会館。隣が長命寺という大きなお寺である。お焼香の開始までだいぶ時間があったので、境内を歩いてみる。イチョウやケヤキの大木が素晴らしい。そして気持ちのよい風が吹いている。東京でも、ちゃんと土と木のある場所には、こんなに気持ちのよい風が吹いていることを知った。
7.21(水)
午前、浦野先生のお父様の告別式。練馬高野台という昨日初めて降りた駅も、二度目の今日は、馴染みの駅のような感じがするから不思議なものだ。今日も暑い。日陰になっているところを辿りながら、東高野会館までの道を歩く。会館の隣の長命寺の境内には昨日と同じ気持ちのよい風が吹いていた。
午後5時から321教室で社会学専修の3年生を対象にした卒論ガイダンス。西向きの窓のせいだろうか、クーラーがあまり効いておらず、室温がかなり高い。卒論計画書の書き方を中心に1時間ほど話をする。6時半から大隈ガーデンハウスで社会学専修の2年生・3年生・4年生合同の懇親会。参加者は100名を越えていた。できるだけ多くの学生と話をする機会をもちたいと思ったが、実際はなかなかそうもいかず、2時間の会だったが、あと1時間くらい時間があったらと思った。
7.22(木)
今日は気温が31.7度までしか上がらなかった。なにやら涼しい感じさえする。フジテレビの昔のTVドラマの再放送をやっている枠があるが、そこで野沢尚脚本の『恋人よ』(1995年)をやっていた。鈴木保奈美も、鈴木京香も、岸谷五朗も、佐藤浩市も、みんな若い。野沢尚も35歳だった。夕方、散歩に出て、誠竜書林の店頭に並んでいる100円本の中から、『早稲田文学』1983年6月号、さくらももこ『そういうふうにできている』(新潮社、1995年)、北村薫『秋の花』(東京創元社、1991年)の3冊を購入。『早稲田文学』はこの号だけがポツンとあった。1983年は私たち夫婦の結婚した年である。これも何かの縁という気がして購入したのだが、これがなかなか面白かった。なかでも福島泰樹の「中也断唱」はめっけものだった。中原中也の来歴を9節112首の短歌で再構成するという試み。各節から1首ずつ引いてみる。
ゆくのだよかなしい旅をするのだよ大正も末三月の事
喪われたものはかえって来ぬからに茫然自失の黄昏である
鉄橋のようにわたしは生きるのだ辛い三月四月を終えて
牛乳屋納豆売りの声も去り麦酒の瓶と向かい合いたる
やせぎすの年増女だったよグレタガルボによく似た女と人は言ったが
咲かすべきなにもなければはやばやと真冬のうちに去りし花園
走り来よ走り来たれよ人力車枯野の中をゆく影もなし
憧憬は茜の空に煙突のけむりのようにたなびいていた
中也死に京都寺町今出川スペイン式の窓に風吹く
7.23(金)
3限の大学院の演習は今日が前期の最終回。大学院の授業は学部の授業と違っていつまでやるのかがはっきりしていない。学部の前期授業の最終日(7月17日)までなのか、それとも学部の試験期間の最終日(7月29日)までなのか。私は後者の立場なのだが、前者の立場の教員もいて、院生にはその方がありがたいらしく、私が先週の授業で「来週の報告者は?」と確認したら、何人かの学生が「えっ? 今日で終わりではないのですか?」といった顔をした。いや、顔だけでなく声に出して言った者もいた。教授と学生の間の敷居もずいぶんと低くなったものである(それは悪いことではない)。昼食は先週と同じく「メルシー」のチャーシューメン。独特のスープは黒胡椒との相性が抜群で、とくに夏の暑い日の食欲を刺激する。5限の卒論演習も今日が前期の最終回。M君、もう一人のM君、K君の3人が報告。サッカー、同性愛、POG(競馬のペーパー・オーナーズ・ゲーム)。いずれも社会学の卒論のテーマの主流からは外れている(それは悪いことではない)。帰りの電車の中で見田宗介『現代社会の理論』(岩波新書、1996年)を読む。昔、この本が出たばかりの頃、朝日新聞の書評欄で作家の日野啓三が「これは理論ではなく、祈りに過ぎない」と批判していた。そのことが記憶にあってずっと手を出さずにいたのだが、先日、見田の「現代日本の感覚変容―夢の時代と虚構の時代」という文章(『現代日本の感覚と思想』所収)を読んで得るところがあったので、こちらも読んでみようかという気持ちになったのである。
7.24(土)
学会関連の会合があって大学へ。土曜日の午前の電車は空いている。試験期間に入り、キャンパスも閑散としている。会合は1時間ほどで終わり、雑談をしながら「たかはし」のお弁当を食べ、午後は研究室で山積みになっている書類の整理。世の中の多くの人が休んでいる時に仕事をするのは嫌いではない。それは私がワーカホリックだからではなく、日頃、遅寝遅起き、世の中の多くの人が仕事をしている時に休んでいて、ときに遊んでいて、そのことにいくらか良心の呵責を感じているからである。われわれの仕事は「9時から5時まで」という明確な就労時間をもたない。したがって残業という概念もない(給料明細には「超過勤務手当」という項目があるが、これは担当している授業のコマ数を反映したものであって、何時まで研究室に残って仕事をしているかとは関係ない)。一日の中で読書に費やす時間は多いが、その時間が労働時間なのか余暇時間なのか判然としないことが多い。ある本を次回の講義の資料として読んでいれば明らかに労働であろうが、たとえば村上春樹の新作を読んでいるときも、それがいつか何かの拍子に講義の資料となる可能性を意識していないわけではないのである。同じようなことは、映画やTVを観ている時にも、CDを聴いている時にも、あてはまる。労働と余暇は対立概念ではなく、容易に一方から他方へと転化しえるものである。さらに言えば、社会学者にとって、散歩は路上観察であり、食堂で飯を食べることは参与観察である、と強弁しようと思えばできなくはない(実際、この「フィールドノート」はその記録である)。ただし、昼飯代の領収書を経理に回しても個人研究費では落ちないし、散歩が長引いて夕食の時間に遅れると妻の機嫌が悪くなる。だからそこまでは強弁しないが、大学教師という仕事は見た目ほど暇ではないのだということはいっておきたい。しかし、見た目というのは重要で、どうしても暇だと思われてしまう。悔しい。他者にどう思われようと気にしないという人がいたら、それは嘘である。それは「他者にどう思われようと気にしないかっこいい自分」を他者にアピールしているにすぎない。暇だと思われて悔しいのは、現代社会では多忙さが善であるからである。忙しさが有能であることの指標になっているからである。だから今日のように世の中の多くの人が休んでいる時に働くことは、ささやかな自己満足をもたらすのである。帰りがけに「あゆみブックス」で山口二郎『戦後政治の崩壊』(岩波新書、2004年)を購入し、電車の中で読む。労働としての読書である。
深夜、「オン・エア・バトル(爆笑編)」を見たら、笑い飯が初オンエアを獲得していた。ところが、そのネタというのが、数時間前に「笑わず嫌い王決定戦」(生放送)で彼らがやっていたネタと前半が同じものだった。思わず一緒に観ていた娘と顔を見合わせて「サイテーだな」と言ってしまった。生放送の方を別のネタでやらなきゃだめじゃないか、笑い飯。さらに深夜、「FNS27時間テレビ」の中の明石家さんまの出演するコーナーを見た。やはり彼は天才である。今年で彼も49歳のはずだが、まったく若手の追随を許さない。恐るべし、明石家さんま。
7.25(日)
自宅から一番近いコンビニはセブンイレブン西蒲田店である。徒歩150歩。距離にして約100メートル。このところ冷たい飲物やかき氷を買いに一日一度は出かける。熱いアスファルトの道路から冷房の効いた店内に一歩入ると、確かにコンビニは都会のオアシスとして機能していることを実感する。
コンビニは雑貨屋の現代版である。私の母の実家は群馬県の農村で雑貨屋を営んでいた。お菓子、パン、文房具、煙草、ガソリンなどが売れ筋商品であった。私は小学校の夏休みに母の実家に遊びに行くことを習慣としていたが、そのとき雑貨屋の店番をよくしたものである。村の子供たちは「売っとくれ」とぶっきらぼうに言いながら店に入ってくる。東京の子供たちなら「ちょ~だ~いな~」(山の手の子供たちなら「く~ださ~いな~」)と独特の柔らかい節回しで言うところである。「ちょう~だ~いな~」とはいっても、タダでもらえるはずはなく、そこに貨幣と商品の交換が存在することは自明のことなのだが、売買という経済的行為を前面に出さないことが都会的たしなみというものであった。私は「売っとくれ」という言い方に粗野なものを感じたが、それ以上に、「ちょ~だ~いな~」が消費者の立場から発せられる声であるのに対し、「売っとくれ」が小売業者の立場に身を置いて発せられる声であることに、すなわちその「コペルニクス的転換」に新鮮なものを感じた。私が村の子供たちを新奇なまなざしで見ていたように、彼らもまた私を新奇なまなざしで見ていた。彼らは丸刈りで、私は坊ちゃん刈りであった。彼らはランニングシャツを着ていて、私は半袖シャツを着ていた。「東京から来たんかい?」と彼らは上州弁で私に尋ね、「うん、そうだよ」と私は東京弁で彼らに答えた。村の女の子と話をした記憶は残っていない。男女の間に仕切が存在することについては東京と地方の違いはなかった。
セブンイレブン・ジャパンが1号店を江東区豊洲に出店したのは1974年、いまからちょうど30年前のことである。現在、セブンイレブンの店舗数は一万店を越え、群馬県勢多郡粕川村にさえ2軒のセブンイレブンが出店している。「日本中にコンビニがあり、人々が自動車によって便利な生活をするという意味で、全国の均質化が進んでいる。他方で、地方経済の行政依存は深まり、人々は公共事業削減におびえている。こうした状況はなぜもたらされたのだろうか」と山口二郎は『戦後政治の崩壊』の中で問うている。
「自民党は保守政党でありながら、平等を志向し、そのための積極的な財政政策を展開するという、他国の保守政党とは異なる特徴を持ってきた。・・・・ただし、自民党が追求した平等の中身は、持てるものと持たざるものとの格差是正を追求した本来の社会民主主義とは異なっていることを理解しておく必要がある。戦後の自民党にとって最も重要なスローガンは『国土の均衡ある発展』であった。これは日本全体の空間的な平等を表す言葉であった。そして、これを実現するための最大の手段が公共投資であった。・・・・所得格差の縮小や生活様式の平準化は、こうした空間的平等の波及効果として現れたということができる。」
私はこの本を後期の「社会学研究10」の講義資料として読んでいるのだが、とても興味深い指摘に満ちている。「社会学研究10」のメインテーマは「戦後日本における人生の物語の変容」である。「人生の物語」は文化の領域に属するが、文化領域における変動は政治や経済の領域における変動と密接にリンクしているから、戦後の政治史や経済史についてある程度の知識がないと話が通じにくい。ところが、文学部の学生(社会学専修の学生も例外ではない)は政治や経済の話を毛嫌いする傾向がある。食わず嫌いの拒絶反応である。その結果、文化変動を文化に内在する要因のみによって説明するというトートロジー的思考に陥りやすい。学生が卒業論文で試みる「カルチュラル・スタディーズ」はたいていそのようなものである。
7.26(月)
朝方、急に強い雨が降った。それで気温が一時的に下がったが、徐々に上昇し、湿度も高くなった。気温が高いのはけっこう平気なのだが、湿度が高いのは閉口する。午後、大学へ。教室会議と二文の3年生の勉強会(6月にアドバイザーの面談をしたとき、毎月勉強会をやろうという話になったのである)。Yさんが「DV加害者の自助グループ」について、Iさんが「日常空間のテーマパーク化」について、Sさんが「スポーツメディアの問題点」について、K君が「映画にみる外国人の日本人イメージ」について、それぞれ報告をした。勉強会が終わったのは午後の8時で、それからみんなで「ホドリ」(焼肉屋)に繰り出す。いろいろ話をしたが、将来の志望という話題になり、Yさんは「レコード会社で働く」、K君は「映画会社で働く」、Sさんは「スポーツ新聞の記者になる」と即答したが、大学受験の直前まで理系志望だったIさんは「自分がこれからどういう道に進みたいのかがわからないんです」と気持ちの揺れを正直に語った。そのIさんが私に「先生は大学の教師以外の職業に就くとしたら何になりたいですか?」と尋ねてきたので、「神様が希望を叶えてくれるなら」と断った上で、「パン屋さん」と答える。これはその場の思いつきではなく、この種の質問をされたときには、いつもこう答えているものである。なぜパン屋さんなのか。第一に、パンは人が生きていく上でなくてはならないものである。第二に、パン屋さんは朝早く起きて仕事をする。第三に、焼きたてのパンはとても美味しい。10時、散会。カルピスチューハイが回ってきて電車の中で居眠りをする。
7.27(火)
文部科学省の試算によると、高卒者における短大・大学への進学志望者数と短大・大学の入学定員数が2007年度に一致する。いわゆる「大学全入時代」の到来である。もっとも受験生は一部の大学に集中するから、あいかわらず浪人生は生まれるし、その一方で定員割れを起こす大学も出てくる。早稲田大学は「一部の大学」に入っていて、志願者数は毎年10万人を数え(日本一)、定員割れの心配はないが、少子化と短大・大学進学率(昨年度は51.3%)の頭打ちによる志願者数の減少(=受験料収入の減少)は長期的には避けられない。いまのところは学部の新設とセンター入試の導入によってしのいではいるが、その効果の持続性は定かではない。カンフル剤や強壮剤を使用して、一時元気になったように見えても、基礎体力が低下していてはすぐに腰砕けになってしまうだろう。基礎体力を決めるのは、カリキュラムの構成と個々の科目を担当する教員のエネルギーである。我が文学部に関して言えば、科目の数が多すぎる。もっとスリムにして、個々の教員の負担(担当科目数)を減らさなければダメである。私はいま一週間に5つの授業を担当しているが、事前の準備やアフターサービス(講義記録の作成など)に要する時間を考えると、これがいっぱいいっぱいである。しかし、文学部には週に7つ8つの授業を担当している教員がたくさんいる。みんな疲れ気味である。元来、大学の教員は自分の好きなことを職業にすることのできた幸運な人間である。もっと楽しそうに見えていいはずだ。
7.28(水)
TSUTAYAで『リーグ・オブ・レジェンド』と『キル・ビル』のビデオを借りて観る(昨日一本、今日一本)。
前者は、ショーン・コネリーのファンとしては、『エントラップメント』のときのようなかっこいい彼を期待していたのだが、いまひとつだった。彼が演じるのはH・R・ハガードの冒険小説『ソロモン王の洞窟』の主人公アラン・クォーターメイン。つまり架空の人物である(確かインディー・ジョーンズの祖先てことになっていたはず)。彼と、ジュール・ヴェルヌの『海底二万里』のネモ船長、ブラム・ストーカーの『吸血鬼ドラキュラ』のミナ・ハーカー、H・G・ウェルズの『透明人間』のロドニー・スキナー、マーク・トウェインの『トム・ソーヤーの冒険』のトム・ソーヤー、オスカー・ワイルドの『ドリアン・グレイの肖像』のドリアン・グレイ、R・L・スティーブンソンの『ジキル博士とハイド氏』のジキル、以上の7名が英国政府の依頼を受けて、死の商人ファントム(その正体はシャーロック・ホームズの宿敵ジェームズ・モリアーティ教授)と闘うという荒唐無稽のストーリー。『007』と『七人の侍』を連想させるが、なにせ一人一人のキャラが濃すぎるのである。したがってチームプレーをしていても、『オーシャンズ11』のようなスマートさはなく、大味なオールスターゲームを見物しているような感じである。
後者は、面白いという評判は聞いていたが、確かに面白かった。藤純子主演の任侠映画をユア・サーマンの主演で撮って、一部にアニメを挿入し、カンフーやワイヤーアクションを使いながらも基調はあくまでも日本風(怪しげな)で、音楽は哀愁を帯びた演歌。『スケバン刑事』のヨーヨー風の鉄球を操る女子高生(これが相当の手練れ)とか、『蒲田行進曲』で平田満がやったみたいな大階段落ちシーンとかも出てくる。要するにタランティーノ監督がやりたい放題をやった映画である。昔、NHKのフランス語講座のアシスタントをしていた才色兼備のジュリー・ドレフェスが悪の一味で出演していたのが、個人的には懐かしく嬉しかったが、その彼女、ユア・サーマンに両腕を切り落とされてしまうのである。夏の暑さを一瞬忘れる映画である。
7.29(木)
台風10号が伊豆諸島の辺りをふらついている。おかげで急に強い雨が降ったり、日が差したりを繰り返す一日だった。夕方、ベランダから西の空を見ると、いかにも風雲急を告げるっていう感じの空模様だった。ジョン・ギャディス『歴史の風景』(大月書店、2004年)の表紙に使われているフリードリヒの『霧の海の上の漂泊者』を彷彿とさせる。
「私にとって、フリードリヒの漂泊者がとるポーズはー描き手の芸術家と、その作品をじっと見ている人たち全員に対してくるりと背を向けているというこの大胆な構図はー歴史家の姿勢に〈似ている〉。私も含めてたいていの歴史家は、結局のところ、自分たちがこれから行くことになるかもしれない場所には背を向けて、自力で見つけられる見晴らしの利く地点から、自分たちがたったいままでいた場所に関心を集めることが仕事だと心得ている。経済学や社会学や政治学を専門とする同僚たちとは違って、将来を予測しようなとど企てるようなことは決してないことを、私たちは誇りとする。」
夜、『人間の証明』を観る。今期のTVドラマではこれが一番面白い。
7.30(金)
オープンキャンパス初日。午前10時から102教室で社会学専修の説明会。私、助手のS君、4年生のT君とIさんの4人で応対。受験生からの質問で多いのは、(1)社会科学部と社会学専修の違いは? (2)社会学専修の学生の卒業後の進路は? (3)希望の専修に進めないこともあるんですか? の3つ。たまに「社会学ってどういう学問なんですか?」というのもある。今日、その質問をされたT君が、「先生、社会学ってどういう学問ですかって聞かれたんですけど・・・・」と言いに来たので、「アホか!」と一喝しようと思ったが(自分で答えなさい!)、受験生の手前そういうわけにもいかず、プチ社会学入門の授業みたいなことをやらされるはめになる。
卒業生のT君が説明会場に顔を出す。昨年、オックスフォード大学の大学院で人類学の修士号を取って帰国し、しばらくNPOの活動に参加していたT君だが、この9月から朝日新聞の記者として岐阜支社に赴任することが決まったのでその報告に来たのである。実は彼、今月、結婚と父親の死を経験している(父親が亡くなる前にT君の結婚式に列席したいと希望されたので、急遽、かねて婚約中の彼女と結婚式を挙げたのである)。彼は学生時代に私の授業でやったホームズの「社会的再適応尺度」の話を覚えていて、「この一年間で立て続けにいろいろなライフイベントを経験して、しんどかったです」と言った。どのようなライフイベントも生活構造の変化を伴い、その変化に適応するための努力を人に強いる。そのストレスの大きさをライフイベントごとに数値化したのがホームズの「社会的再適応尺度」で、たとえば、親族の死63、結婚50、転職36、卒業26、住居の変化20・・・・というような具合で、1年間の合計点数が300を越えると精神衛生上きわめて危険な状態と診断される。T君は300までは行っていないが、200は越えているかもしれない。間違っても離婚73や解雇47という事態にならないようにしないといけない。「じゃあ、頑張って」と握手をする。
午後1時から社会学演習室で調査実習の前期最終報告会(受験生の相談は浦野先生、長谷先生にバトンタッチ)。今日と明日の2日間で5つの班が報告する。今日は定位家族班と結婚家族班の報告。予定では1班あたりの報告時間は1時間、質疑応答の時間を入れて全体で3時間という目算だったのだが、1時間半ほど予定をオーバーして、5時半頃までかかった。寝不足気味なのであろう、数名の者が途中で机に突っ伏して居眠りをしていた。腕組みをして目を閉じる程度は黙認するが、こういうマナー違反は当然注意する。人が発表をしているときに目の前で居眠りをすることは、私の感覚では、「ありえない」ことである。
引き続いて、研究室で一文のY君、二文のSさんの卒論指導を各1時間。さすがにくたびれる。お腹もへったので、Sさんの卒論指導は途中から「フェニックス」に場所を移して行う。私はサラミのピザと珈琲を注文したが、Sさんはカフェオレのみ。聞くと、夏バテでこのところ食欲がまったくないのだそうだ。しかも来週、友人とソウルに旅行することになっているそうで、「お粥でとおそうと思います」とのこと。ちょっと悲壮な覚悟である。「夜は出歩かないでホテルの部屋で卒論の参考文献を読みます」。ますます悲壮である。
7.31(土)
オープンキャンパス二日目。私、助手のSさん、4年生のH君とKさんの4人で応対。教室前の廊下で呼び込み役をしていたら、男子3人組が窓越しに中を覗いて、Kさんを見て、「あっ、かわいい!」などと言っている。高校生からそんなふうに言われるのは心外なのではないかと思ったが、Kさん、素直に喜んでいる。そうなんだ・・・・。今日、私が応対した受験生は総じて学問的関心が旺盛だった。たとえば民俗学(ことに柳田国男)に関心があり、社会学専修と人文専修で迷っている女子高生がいたので、二者択一なら社会学の方が相応しいと思うが、日本史学専修に鶴見太郎という若手の先生がいて、『柳田国男とその弟子たち』などの本を書いていらっしゃるという話をしたら、彼女の目が途端に生き生きとしてきたので、講義要項で鶴見先生の授業を調べて、その解説をしてさしあげた。「日本史学演習4C」のテーマは「橋浦泰男関係文書を読む」。思わず「う~ん、シブイな~」と言ったら、彼女、嬉しそうにニッコリしていた。
午後1時から社会学専修室で昨日に続いて前期最終報告会(受験生の相談は長谷先生にバトンタッチ)。今日は学校班、職業班、心身班の報告。途中で二度休憩を入れつつ、6時過ぎまでかかる。来週の月曜日に編集担当の学生5名と私とで原稿に赤を入れる作業を行い、その原稿を各班に戻し、加筆修正をした最終原稿を夏休み明けに提出。前期は新聞の人生相談記事を分析したが、後期はライフストーリー・インタビューを行う予定。