9時、起床。
今日は今シーズン「まやんち」のピーチメルバが食べられる最後の日。
一週間前から予約をして、論系ゼミ一期生のNさんと開店10分前の11時20分に「まやんち」の入口に到着。予約をしているのだから、開店前から並ぶ必要はないのではと思われるかもしれないが、さにあらず、後から行くと注文の順番が遅くなって、ピーチメルバが運ばれてくるまで時間がかかるのである。私たちの前には女性が一人まだ開いていないドアの横にたたずんでいた。われわれと同じようにピーチメルバ目当ての方かと思い、「予約はされているのですか?」と聞いたら、予約はしていなくて、今日はキッシュを食べたくてきましたとのこと。たしかにキッシュも人気メニューで、たいてい開店から1時間半くらいで売り切れてしまう。「今日はピーチメルバの最終日ですから、もしかすると、すでに予約で満席かもしれませんよ」と私が言うと、彼女は急に不安気な表情になった。彼女はピーチメルバを知らなかった。前回来たのがピーチメルバのシーズンになる前で、そのときにキッシュを食べて、また食べたくなって今日来たというわけだ。私はここぞとばかりに「まやんち」のピーチメルバの美味しさについて、ピーチメルバ教の宣教師のように熱意を込めて語った。そうこうするうちにドアが開き、われわれは店の中に入った。幸い、予約客ですでに満席ということはなく、先頭の彼女も入店できた。
モモコさんが注文を取りに来た。「ピーチメルバを2つ、紅茶は東方美人で」と私は渡されたメニューを開かずに言った。最速の注文である。
Nさんの近況を聞いていると、ほどなくしてピーチメルバとポットに入った紅茶が運ばれてきた。私のブログでピーチメルバの写真は何度も見ていたNさんだが、実物を前にするのは初めて。美しさは写真でも伝わるが、大きさは写真では正確に伝わらない。イメージしていたよりも大きいですねとNさん。そうでしょう、たんと召し上がれ。「美味しい食べ方というのがあるんですよね」と私に確認したので、ピーチ、アイス、紅茶の順で口に運ぶとよいこと、ピーチは手前のものから時計回りに食べるのが作法であると説明する(これは冗談)。
「美味しい!」とNさん。そうでしょう、そうでしょう。
回りを見渡すと半分くらいの客がピーチメルバを注文している。あの先頭に並んでいた女性も、キッシュとピーチメルバを注文していた。また一人、ピーチメルバ教の信者を増やすことに貢献できた。
こうして甲子園球児の夏が終わったように、私のピーチメルバの夏が終わった。
しかし、ランチはこれからである。「まやんち」でランチも一緒にとるか、前回(5月)のときのように「phono kafe」でとるか、あるいはまだ行ったことのない店に行くか・・・あらかじめ聞いておいたのだが、Nさんの希望はなんと下丸子の「喜楽亭」だった。あそこに行きますか。本気ですか。今日、蒲田駅の改札で待ち合わせたときに、「気持ちは変わっていませんか」と念のために確認したくらいである。
というわけで「喜楽亭」。
戸を開けて店内に入る。「思っていたより中は広いですね」とNさん。たぶん、思っていた通り中もきたないですねと言いたかったのかもしれないが、それは言葉にはしなかった。
ご主人に「今日は教え子を連れてきました。この店に来たいというたっての希望でね」とNさんを紹介する。「それは、それは」とご主人も少々戸惑い気味である。とにかくこの店に若い女性の客が来るというのはめったにないことで、来るとすれば、「B級グルメ探険隊」みたいな人と決まっているのである。
Nさんは私と同じチキンカツ定食を注文した(ただしご飯は少な目で)。
Nさんの背後では石油ストーブの上に置かれた古い扇風機が回っている。山の手のお嬢さんがお忍びで(執事を伴って)庶民の暮らしを見学に来ましたという感じである。
「フィールドノート」に頻繁に登場する店で、まだ誰も一緒に来たことのない店というのが何軒かあって、「喜楽亭」はその代表ともいえる店であった。いわば未踏の高峰であったが、ついに登頂する人が現れたのである。いずれ誰かが、もの好きな人が、「喜楽亭に行きたい」と言う日は来るであろうとは思っていたが、それがNさんであるとは予想していなかった。見た目は大人しそうだが、けっこうチャレンジャーで、茶目っ気もある人なのだと、Nさんに対する認識を改めた。
ご主人を交えて3人であれこれおしゃべりをしながら(他に客はいなかった)食事をした。
「喜楽亭」を出て、Nさんはまだ時間があるとのことだったので、下丸子の一つ隣の駅の鵜の木にあるギャラリーカフェ「hasu no hana」に行く。今日から新しい展示会が始まっているはずである。
柵木愛子(ませき・あいこ)個展「あなたの世界にも誰かが宿る」。(下の写真は店主のフクマカズエさんのツイッターから拝借しました)。
Nさんとここに来るのは二回目で、店主のフクマさんも彼女のことを覚えていた。
今回の個展の案内用のポストカードの写真に使われているのは2014年第17回岡本太郎現代美術展の入選作「この街」。
今回の個展では、告白をされた女の子が相手の男の子に自分の秘密(妄想のようなもの)を語るというストーリーの漫画(柵木さんの描いたもの)があって、その物語から溢れ出て来た作品たち(ペインティング、ドローイング、オブジェ)から構成されている。
「さっきのあなたの告白で星が一つ落ちた。でも空気の壁に燃え尽きたの。わかるでしょ、関係があるの。皆私を襲う。だから私がいくら平静を装ったってあなたが私を好きだからこの世界は滅亡する」。
「セカイ系」呼ばれるタイプの物語だろうか。愛し合う(惹かれ合う)少年と少女がいて、二人の関係はセカイ(宇宙)の秩序と直結している(中間項としての社会はほとんど存在感をもたない)。二人のために=宇宙の存亡を賭けて、少女は(少年はではなく)「敵」と戦うのである。これがセカイ系の典型的な物語なのだが、はたして柵木愛子の描く物語がそれと同じタイプのものであるかどうかはわからない。少女は自分の秘密(妄想)を知ってほしいだけなのかもしれない。「だから私のことを愛してはいけない」と言おうとしているようでもあり、「それでも私のことを愛せますか」と問いかけているようでもある。
漫画の最後の頁には爆発する星が描かれているが、ギャラリーの吹き抜けの天井からこの超新星をイメージしたオブジェ(女の子が宿っている)が吊り下げられている。
初日ということで作家さんご本人が在廊されていて、お話をうかがうことができた。3.11の震災の年に美大を卒業して、その前後で自分の作品は明らかに変わりましたと語られた。Nさんも3.11の震災の年に大学を卒業したから、二人は同い年である。
1時間ほど滞在してギャラリーを出る。柵木愛子個展は9月12日(金)まで。
この後、妹さんと銀座で買い物をするというNさんとは下丸子の駅で別れた。
蒲田に戻る、流氷のように空を埋め尽くしていた雲が、しだいに東へ移動して、西の空の低い場所から太陽が顔をのぞかせた。
夕食はカレーライス。