8時半、起床。
ひつまぶし+とろろ、サラダ(トマト、レタス)、豚汁の朝食。
8月は初旬が猛暑で、下旬が秋冷。気温差は10度以上あった。今日も涼しいが、それはたぶん私が風邪気味のせいもあるだろう。腹筋・胸筋・背筋の痛みとこわばりはまだ残っていて、少々寒気がする。
昼食は、温かいうどんが食べたくなって、「吉岡家」へ行く。
鍋焼きうどんを注文。それしても8月に鍋焼きうどんとはね・・・。
美容院帰りの妻と駅で待ち合わせて、「まやんち」へ。
今シーズン最後の(「まやんち」では)ピーチメルバを食べる。
これが10皿目のピーチメルバである。店主のまゆみさんによると、2位の客は現時点で6皿なので、最終日(明日)を待たずに今シーズンの「キング・オブ・ピーチメルバ」は私に決定したとのこと。賞状(?)の授与は来月に来店したときにとのこと。ホントの話だったんだ。
「くまざわ書店」と「有隣堂」に寄って、高橋源一郎『100分de名著 太宰治 斜陽』(NHKテレビテキスト)と山崎ナオコーラの新作『反人生』(集英社)を購入。
高橋源一郎と太宰治という組み合わせに興味があった。
「『斜陽』は、太宰治の小説群の中で、永遠に輝きつづける恒星であるようにぼくには思える。一方で『人間失格』という、暗さを突き詰めた、この社会の真理に激突すると、どうなるかを身をもって教えてくれる小説を書きながら、太宰は、「人間らしく生きたい」と願う、すべての読者の期待に応えるために『斜陽』を書いた。長い戦争の時代があった。「あの戦争」から、もう七十年がったのだ。それは、日本人にとって、ただ戦闘に巻きこまれた、ということ以上に過酷な体験だった。・・・(中略)・・・みんなが少しずつ手を汚したいた。みんながどこかでなにか「悪」に染まっていた。なにより大切なのは自分だとおもっていたんじゃないか。他の人間なんかどうでもいいと思わなかったやつがいるだろうか。でも、今度こそ、一からやり直したい。身も心も綺麗にして、ほんとうに恥ずかしくない人間として生きていけるのだ。戦争が終わったとき、日本人の心の中には、そんな呟きが溢れていたのである。けれども、そうはならなかった。希望していることは起こらなかった。古いものがすぐに復活しようとしていた。「元の木阿弥」・・・そんなことばがみんなの脳裏に浮かんだとき、太宰治は『斜陽』を書いたんだ。心の底から「生きていたい」と願う人たちすべてに向かって、『斜陽』という作品は書かれている。『斜陽』の中で、太宰治がやろうとしたのは、ひとことでいうなら「革命」だと思う。政治的な「革命」じゃない。人間のもっと深いところからの「革命」を、太宰治は小説の中に書きこもうとした。それができるのは、ほんとうに絶望したことのある人間だけだ。この社会はおかしい。この世界はどうかしている。そんな気持ちを人びとが抱きつつける限り、『斜陽』はいつまでも読まれるだろう。もちろん、現在もだ。」(高橋 pp.9-10)
いつ降り出してもおかしくないような空の下を帰る。
帰宅する前に「phono kafe」にちょっとだけ顔を出す。来週の土曜日の予約をするためだ。
人参サラダとあずき茶を注文。
夕食はハンバーグ。
デザートは梨。
夕食後、来年度のゼミ要項を作成して事務所にメールで送る。
明日から茅野と松本で友人に会ってきます(ブログの更新はお休みします)。