フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

10月30日(木) 晴れ

2014-10-31 08:47:52 | Weblog

7時、起床。

ベーグル、サラダ(鶏のささみ、ベビーリーフ)、紅茶の朝食。

デザートにみかんゼリー。

朝食をとりながら、『深夜食堂』第二話(録画)を観る。漫画家になることを諦める青年の物語。『深夜食堂』らいしエピソードだ。プチトマトのベーコン巻が食べたくなる。トマトは焼くと甘くなるらしい。

昼から大学へ。

今日は体育祭で授業はないのだが、会議室を借りての(教室はすべて体育祭で借りられている)自主ゼミと研究室でのゼミ論指導。

S君の指導を終えてから、昼食を食べに出る。「フロハン」こと「フロム・ハンド・トゥ・マウス」へ行く。

食事クレープ。

コーヒー。

早稲田通り沿いの、昔、車のショールームがあった場所は、いまは大学の施設になっている。

「いいじゃ~、ないか~」

「だめよ~、だめ、だめ」

という声が聞こえてきそうだ。

Tさん(論系ゼミ3期生)が研究室にやってくる。

Tさんはこの10月から新しい会社に勤め始めた。上野になるアクセサリーのパーツの卸しの会社である。正社員だが、5時半に定時退社できるそうだ。だからこうして仕事終わりに研究室に顔を出すことができるわけだ。夜のプライベートな時間が会社に浸食されないというのは健全な生活の重要な指標である。浸食されて、そのことを苦痛と感じる神経も麻痺してしまい、健康を害して倒れるまで「元気で」働き続ける・・・そういう例を私はたくさん見て来た。

ハロウィン仕様のゴディバのチョコレートをお土産にいただいた。

しばらくおしゃべりをしてから、「お腹がペコペコです」というTさんの声に促されて、「五郎八」に食事に行く。

板わさと枝豆はお通し。

田楽。

薩摩揚げ。

鴨のつくね。

田楽を持ちながら、ある「決意」について語るTさん。

私はその姿を見て謎掛けを考えた。

はい、整いました。

「田楽とかけて、恋愛から結婚へのプロセスと解く」

その心は

「こんにゃく(婚約)が肝心でしょう」

うまい!

*謎かけとNさんの決意表明は無関係です。

私は京にしんそば、Tさんは鴨南蛮そば。

「決意」がいい結果につながりますように!

10時過ぎに帰宅。明日から二泊三日の信州旅行(ブログの更新は休みます)。


10月29日(水) 晴れ

2014-10-30 22:56:34 | Weblog

8時、起床。

10時に蒲田の「ルノアール」で地元のタウン誌『あっとWOO』編集者のIさんと会う。「カフェ」をテーマにした原稿の依頼だったが、単発ものになるか連載ものになるか、一般論(カフェ文化論)で行くか特定のカフェの紹介で行くか、企画として通るかどうかを含めて未定の部分が多い。あれこれおしゃべりをしたが、具体的な話は私が信州旅行から帰って来てからということになる。

昼から大学へ。

大隈会館で行われる「永年勤続者表彰式」に出る。

 勤続20年目の教職員が対象で、全員、1994年の嘱任である。ただし、嘱任時の年齢はさまざまで、大学卒業してすぐの人たち(職員の方の多くはそうであろう)は現在40代の前半であるが、私のように外から早稲田大学に移ってきたという人たち(教員には多いケース)は現在50代、60代ということになる。

鎌田総長から一人一人に表彰状が手渡され、総長の挨拶に続いて、教員・職員の代表(各1名)が謝辞を述べた。教員の代表は文学学術院の同僚の工藤先生だった。工藤先生は私より3つ年長である。こういう場合、最年長の者が謝辞を述べることが多いから、おそらく今日の出席者の中では工藤先生が最年長なのだろう(27名中13名が出席)。自分にその役目が回ってくることはあるまい(60歳が最年長ということはあるまい)と気楽な気分で出席したが、危ないところだった。もっとも万が一ということもあるので(謝辞を予定されていた方が急用で欠席とか)、来るときの電車の中で、謝辞のピンチヒッターを頼まれた場合を想定して、スピーチの下案は考えておいた。

幻のスピーチとなったわけだが、そのポイントは、20年という年月は決して「あっと言う間でした」という常套句で片付けられるものではないということにあった。20年という年月には、やはり、それなりの「幅」というか、「厚み」があるということである。表彰式の後の懇親会の席では、あちらでも、こちらでも、「あっと言う間でした」という会話が交わされていたが、確かにそういう面はあるものの、でも、やはり、「あっと言う間でした」とは言えないよなと私は心中思っていた。

用意された食事はなかなかに美味しいものだったが、場所柄を考えて、写真は撮らなかった。でも、最後に、一枚だけ、デザートのケーキの写真は撮っておいた。

懇親会は1時半ごろに退席して、研究室に戻って、来年度からのゼミの申請者(2年生)の面接を行う。申請者は16名だったが、そのうちの2名は1年生のときに私の選択基礎演習を履修しているので面接は不要だった。一人当たり15分で、約4時間をかけて、全員の面接を終わらせた。彼らはゼミ7期生となるわけだが、一人一人の輪郭がはっきとした、楽しみな代になりそうだ。

しかし、これで今日の仕事が終わったわけではない。6時15分からNさんのゼミ論指導が入っている。ミルクホールでカレーパンとドーナツとコーヒーを買ってきて腹ごしらえ。それに加えて、Nさん持参のパンプキンのモンブラン+プリン。

1時間程度のつもりで始めたがのだが、結局、2時間かかった。終わったのは8時半だった。一昨日のゼミ論指導(4名)も疲れたが、今日も疲労困憊である。途中で、何度か意識を失いかける。でも、そのときでも、私はしゃべり続けていた。一種の臨死体験のように、意識が身体から離脱する感覚があり、しゃべり続けている自分を見ているのである。「あっ、自分、まだ話し続けているな」と。「戦争・・・」という言葉が私の口からふいに出た。しかし、どう考えても、Nさんのゼミ論のテーマと「戦争」は何の関連もないのである。私は一体、何を語ろうとしたのだろうか。

意識を失いかけながら、口(身体)は語りをやめないというのは、教師の身体化というべき現象であり、永年勤続者(教師)として表彰されるに値するものではないだろうか。

9時に大学を出て、地下鉄に乗る前に、「北京」で夕食をとっていくことにする。

五目うま煮定食。

毎月29日は「肉の日」だが、今日、10月29日はこの3月に29歳で亡くなった教え子のMさんの誕生日である。彼女も肉は好きだった。でも、大病をされてからは肉や魚は遠ざけて野菜中心の食事をされるようになった。Mさんのことを思い出しながら五目うま煮定食をぱくぱく食べた。

Mさんと最後に一緒に食事をしたのは2年前の5月28日、高知の「草や」という店だった。日替わり定食一種のみの女性に人気の店だったが、主菜は魚料理で(その日はシイラのムニエル)、私をもてなそうとしてくださったのだろうが、彼女自身、たまには魚を食べみたいと思ったのかもしれない。

食べたいものが食べられるというのはありがたいことである。


10月28日(火) 晴れ

2014-10-30 01:50:18 | Weblog

8時、起床。

サラダ(トマトとベビーリーフ)とマフィンと紅茶の朝食。

10時半頃、家を出て、「中央線沿線ぶらり途中下車の旅」に出かける。

途中下車する予定の駅は荻窪、日野、三鷹である。それぞれの街で教え子、職場の仲間(とそのご家族)、ブログ仲間・・・とタイプの違う方々と会うことになるだろう。

冬近し会いたき人の二三人  たかじ

まずは荻窪。この街にお住いの卒業生のMさんとランチの約束をしている(昨日の夜に約束したのだ)。

約束の時間は11時20分だったのだが、時間的な目測を誤って10分ほど遅れる。あいにく家を出るときにケータイを忘れてしまい、少し遅れますという連絡をとることができなかった。ごめんなさい。 

Mさん一押しの「タマーム」というカレー屋さんに向かう。当初(昨日の夜にメールで)、カフェごはんができる店をリクエストしたのだが、Aさんは私と違ってお酒を飲める店については詳しいのだが、カフェはあまり詳しくない。では、食事メインの店ということで、このインド・ネパール料理の店に決まったのである。

11時半の開店で、われわれが一番乗りだった。

店内は薄暗く、逆光気味のこともあり、写真のMさんは「さあ、これからタロット占いを始めるわよ」という雰囲気である。

ランチは4種類のカレーの中から2種を選ぶシステム。私はチキンと挽肉のカレー、Mさんは野菜とマトンのカレーをチョイス。辛さは5段階の3(中辛)をチョイス。

お店の方に「タマーム」という店名の意味を尋ねたら、「「問題ない、大丈夫」という意味とのこと。「ノープロブレム」か。

焼き立ての大きなナン(ライスも可)とラッシーが付いてくる。

Mさんの一押しだけあって、ととも美味しいカレーであり、ナンだった。カレーは味わい深く、ナンはもっちりの部分とサクサクの部分のコントラストがいい感じだった。

あとからどんどん客が入ってきて、すぐに満席になった。

ランチを終えて、駅に向かう。私は次の予定があり、Mさんもお子さんのお迎え(今日は幼稚園の遠足なのだった)がある。荻窪は面白そうな街なので、別の機会にゆっくりと散歩してみたい。

今日はどうもありがとう。

次の駅は日野。今日のメインイベントだ。

「1時前後」に日野駅に着きますとAさんには伝えてあるが、アバウトないい方で、本来であれば、荻窪を出るときに到着時間の確認のメールを出すつもりであった。

日野には1時ちょうどに着いた。改札口にお子さんを抱っこしたAさんの姿があった。

Aさんの案内で「井上源三郎資料館」へ向かう。井上源三郎とは日野が発祥の地である新選組の副長助勤で六番隊組長だった人物である。Aさんのお父様はその井上源三郎の5代目の子孫で、10年前(2004年)にNHKの大河ドラマ「新選組」の放送を契機に、ご自宅(Aさんのご実家)の敷地内の土蔵を改築して資料館を作られたのである。

Aさんは大学の職員で、今年の1月に長男を出産されて現在は育休中である。産休に入る前の去年の10月29日にお会いして以来であるから、ちょうど一年ぶりの再会である。当時はお顔がずいぶんとふっくらとされていたが、痩せて、元に戻られていた。

あつと君。赤ん坊から幼児への移行期にある。しっかりとした顔をしている。とても機嫌がいい。自慢するわけではないが、私はこのくらいの年齢のお子さんとはすこぶる相性がいい。たぶん顔の筋肉を柔軟に動かし、目玉をパチクリして、いろいろな表情をして見せることができるからだと思う。

Aさんのお母様も一緒に。おきれいな方である。

Aさんのお父様も一緒に。私と同じく今年還暦を迎えられた。偉丈夫で、男前の方である。

資料館の中にいれていただく。通常は館内での撮影は禁止だが、特別に許可をいただいた。

写真の人物は源三郎の兄松五郎の次男泰助晩年のもの。泰助は甥っ子の中で一番源三郎に似ていたそうで、写真の残っていない源三郎の面影を伝える資料として展示されている。余談だが、私の父の名前も泰助である。

近藤勇が松五郎に贈った刀「大和守源秀国」(秀国は会津藩の刀工)を持たせていただく。重い!びっくりするくらいの重量がある。これを思いのままに操るためにはものすごい腕力が必要であろう。稽古に使われた木刀も持たせていただいたが、太くて、重かった。それはそうで、真剣と同じ(あるいはそれ以上の)重さの木刀でなくては、修行にならないであろう。

平野勝『多摩・新選組紀聞』(東京新聞出版局)をちょうだいする。

お父様の運転する車に乗って、「日野市立新選組のふるさと歴史館」を訪れる。

ロビーにある記念撮影コーナーでAさん、日野史跡公認ガイドの芹川孝一さんと。芹川さんにはこの後、館内を案内していただいた。

見学を終えて、再び記念撮影コーナーで。新選組の羽織を着させていただきました。あまり様になっているとは言い難い。

再び車に乗って、日野宿本陣へ。

都内に唯一現存する本陣建築である。

お名前は失念してしまったが(名刺の交換をしなかったので)、ここでも専門のガイドさんにご案内をいただいた。

ガイドさん曰く、「日野本陣は休憩所で、宿泊はしなかったんです。なぜだかわかりますか?」。「江戸から近い距離だからでしょうか」「いえ、そうではなくて、芸者などの女子衆がいなかったからです。日野は清く正しい宿場だったのです。でも、それでは殿方はつまらないでしょ?」「・・・(はい、とも言えず)」。ガイドさんと私のやりとりを傍らで聴きながら、Aさんがニヤニヤしている。

あちこちにクギ隠しの細工があるんです。

これはうさぎの細工。干支が細工に使われているようである。

ここでも羽織を来て、記念写真。Aさんとあつと君はお宮参りみたいです。

時刻は4時。日野には3時間滞在したことになる。駅まで車で送っていただく。お世話になりました。

改札口でAさんとあつと君とお別れする。これから寒くなりますが、どうぞお元気で。今度は大学でお会いしましょう。

しばらく職場を離れておられて、ちゃんと職場復帰ができるか、Aさんは心配されているようだが、大丈夫、みんなあなたの復帰を心待ちにしていますよ。

電車の車窓から。日暮れである。

本日最後の途中下車は三鷹駅。

ホームの見える線路沿いの道にある立ち飲み酒場「笑門」を訪れる。

開店の5時まで少し待つ。

一番乗りの客として中に入る。

ご主人が私を見てびっくりする。

ご主人の多田さんとは互いのブログを毎日読んでいる間柄であるが、お会いするのは今日が二度目。去年の6月に私が『日常生活の探究』(左右社)を出版したときのトークイベントを渋谷のジュンク堂でやったときにご来場いただいたのが最初である。

日野での滞在時間がどのくらいになるかわからなかったので、「笑門」訪問は事前にお知らせしていなかった。下戸の私が立ち飲み酒場を訪れるなどとは予想もされていなかったと思う。

多田さん夫妻。ブログで知るかぎり、お二人はしばしば美術展などにご一緒に出掛けていらっしゃるようである。

お酒は飲めないが、食べたいものはたくさんある。

とりあえず、おでん(6種)、竹輪のの天ぷら、お新香、ウーロン茶。ウーロン茶はウェルカムドリンクということでサービス。ありがとうございます。

ほうれんそうの胡麻和え。

ブリの刺身。

焼き鳥。

お酒を注文しない客というのはどうなのでしょうと多田さんに尋ねたところ、食べて頂けるならOKですとのこと。

これに味をしめて蒲田の飲み屋さんにも行ってみようかしら。

だんだんお客さんも増えて来たので、30分ほどおしゃべりをして、失礼する。またふらりと訪問させていただきますね。

ちなみに多田さんのブログはこちら

ケータイを忘れたので、久しぶりに駅の公衆電話から妻に帰宅の予定時刻を伝える。

7時、帰宅。

夕食は鶏鍋。「笑門」でけっこう食べたけれども、夕食も普通に食べた。

Aさんにお土産にいただいた「高幡まんじゅう」を食後にいただく。

実は、Aさんのご実家を訪問するにあたって手土産にもっていったマカロンを鞄に入れたまま持って帰ってしまった。日野のホームで上りの電車を待っているときに「あっ!」と気付いたのだが、後の祭りだった。

今日の「中央線沿線ぶらり途中下車の旅」はとても楽しかった。社交というものの可能性を広げることの出来る旅だった。お世話になったみなさんに改めて感謝。

さて、次はどの沿線にぶらりと出かけようかしら。


10月27日(月) 曇り

2014-10-28 09:46:32 | Weblog

7時、起床。

サラダ(炒り卵、トマト、ベビーリーフ)の朝食。

食後(?)にナボナと紅茶。ナボナはやっぱりお菓子のホームラン王です(という宣伝文句はもう使われていないのだろうか)。

妻が「あっ、私の湯呑使ってる!」と言った。

11時に家を出て、大学へ。普段は月曜日は出勤日ではなく、週末の一部なのだが、今日は午後にゼミ論指導の予約が4名入っている。本当は5名だったのだが、今朝、Sさんからメールが来て体調不良でキャンセルになった(病院に行ったところウィルス性の胃腸炎と診断されたそうである)。

神楽坂で途中下車して「SKIPA」で昼食をとる。

シークワ―サーソーダ。今日も暖かい。

 定食を注文。今日のメインは鶏肉団子と大根のオイスタースープ煮。ビーフシチューがおまけでついてきた。

デザートの白桃もおまけ。

客は私しかいないというのがこうしたおまけがたくさん出てくる日の条件である。

このところ神楽坂はあれこれの催しが続いて、お店もてんてこ舞いの忙しさだったそうだ。だから今日はホッと一息なのだそうだ。

食後にアイスチャイを注文して、のんちゃんたちとおしゃべり。のんちゃんの話がとても面白かったのだが、オフレコなので、ここでは書けません。

宙太さんが「ドイツはもう寒いでしょうね」と言った。Kさんのことを考えての発言である。ええ、冬に向かって一直線みたいですよ。週に一度は泣いているらしいです(『昨日のカレー、明日のパン』を観て)。

大学のメールボックスに筑波大学の岡本智周先生から新著が届いていた。ありがとうございます。

1時からゼミ論個別相談の開始。

一番手はHさん。生菓子を食べながら。

二番手はMさん。栗のお菓子を食べながら。

三番手はN君。おかきを食べながら。ここで辛いものが入ったのはナイスチョイス。

最後はもう一人のN君。プリンを食べながら。ずっと日本茶だったがここで紅茶になる。

6時半、終了。途中休憩なし(!)の5時間半はさすがに疲れた。

8時、帰宅。

夕食は鱈のソテーのあんかけ。

ご飯を軽くお替りして蜆の佃煮でお茶漬け。

そろそろ木枯らし一号が吹くかもしれない。


10月26日(日) 曇り

2014-10-27 08:20:36 | Weblog

9時、起床。

サラダ(トマトとベビーリーフ)だけの朝食。今日は午前中に昼食をとることになるので、朝は軽めに。

10時半頃、母と妻と3人で鶯谷の菩提寺のお十夜法要に出かける。

お十夜法要というのは浄土宗の念仏会(ねんぶつえ)で、十日十夜念仏を唱えることは仏の国で千年間善行をすることに匹敵するという教えに基づく、いわば「ポイント3万6千5百倍」の法要である。もちろんそれは本物の僧侶さんたちがすることで、われわれ檀家はそれを少しばかり疑似体験するという行事である。

鶯谷駅は上野恩賜公園とラブホテル街の狭間にある。

 陸橋の階段を下りると雑然として一角がある。

『孤独のグルメ』の鶯谷編で紹介された「鳥椿」。午前中からお酒を飲んでいる人たちでいっぱいだ。

言問通り。

下谷界隈。

泰寿院。

まずは墓参りを済ませる。

昼食(おとき)をいただく。「京樽」のおにぎり弁当。

本日のプログラム。

清興とは余興のこと。落語や手品などのことが多いのだが、本日は日本舞踊だ。檀家の一人である若柳吉千明さんが「助六」(アンコールで「木遣りくずし」)を踊られた。

続いて住職の法話。「十悪」のお話など。

そして百万遍くり念仏。

最後に浄土宗のお寺の僧侶さんたちによる念仏会。

3時ちょっと前に終了。

お彼岸の墓参りのときなどは時間があるのでアメ横などを回って母の買い物に付き合うのだが、今日は母も疲れたようで、そのまま帰ることにする。

私と妻は大井町で途中下車して、ヤマダ電機(LABI)に年賀印刷に備えてカラープリンターを買いに行く。長年、プリントごっこでやってきたのだが、もう製造が中止になり、買いだめておいたフラッシュの球やインクがもう一回分くらいしかなくなったのだ。

お店の人に薦められるままにブラザーの新しい機種を購入。 けっこう重いので宅配にしてもらう。たまったポイントで住所管理ソフトを購入。

少しばかり時間は早いが、「phono kafe」に寄って食事をしていくことにする。

私も妻もご飯セット。全種類(6種)を二人でシェアして食べる。

私が一番美味しかったのはおからボールの豆乳煮。

だんだん夕食を食べに来る人たちで混んできたので、食事の後のお茶は頼まずに店を出る。

コンビニでスイーツ(モンブラン)を購入し、帰宅してからお茶にする。

深夜、『昨夜のカレー、明日のパン』第4話(録画)を観る。ギフの亡妻やテツコの亡夫の幽霊が出てくる。原作にはない話で、最初はどうなることかと思ったが、脚本も原作と同じ木皿泉なので、最後は原作のテイストを損なうことなく話は収まった。