フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

11月28日(金) 曇り

2014-11-29 02:51:08 | Weblog

8時半、起床。

鱈子の佃煮のお茶漬け、サラダ(炒り卵、トマト、ベビーリーフ)の朝食。

午後、家を出て、大学へ。

昼食は「SKIPA」で食べるつもりだったが、駅まで行くと、京浜東北線は人身事故で止まっている。復旧までにもうしばらくかかりそうなので、「phono kafe」で食べていくことにした。

厚着をして出てきてしまったせいで、蒸し暑い。食事の前にぶどうジュースのフロートを飲む。

ご飯セットを注文。

チョイスした惣菜三種は、蓮根の摘み揚げ、ポテトtの包み揚げ、そらから・・・

紅芯大根のサラダ。いいチョイスだった。どれも美味しかった。

店を出て、再び駅へと向かう。

この看板の「チャーハン定食」というのがいつも気になる。食べてみたいということではなくて、これを「定食」と呼ぶのはおかしいのではないかということだ。「ラーメン・チャーハンセット」ではないかと思う。百歩譲って、これを「定食」と呼ぶことを認めるとして、なぜ「ラーメン定食」ではなくて、「チャーハン定食」と呼ぶのかが疑問である。見た目(大きさ)から言えば、ラーメンが主であって、チャーハンは従ではないかと思うのである。

5限・6限はゼミ。今日はゼミ風景をお見せしよう。

私「今日は人生の物語の話をしよう。近代社会における人生の物語には二つの大きなテーマがある。一つは「成功」だが、もう1つは何かな?」

私「はい、君」

学生A「幸福です」

私「そのとおり。では、幸福の物語の主要な舞台はどこかな?」

大久保「はい、君」

学生B「家庭です」

大久保「そのとおり。だから幸福の物語を生きようとすれば、結婚して家庭という舞台に立つことが一般的な道筋とされてきた。けれど近年、これがなかなか困難なルートになってきている。おそらく君たちの世代は男性の30%、女性の20%が生涯を独身で送ることになるだろう。」

学生たち「・・・・・」

私「ところでつい最近、君たちの先輩で、ゼミ一期生のRさんの結婚の知らせを聞いた。心からおめでとうと言いたい。君たちも一緒にRさんを祝福してあげてほしい。」

全員(Vサインを示しながら) 「Rさん、結婚おめでとうございます!」

全員(隣りの人と思い思いにハートマークを作りながら)「Rさん、いつまでもお幸せに!」

 

私「みなさん、ご協力ありがとう。この写真はRさんの結婚披露宴で使わせてもらいます」

5限は3年生の個人発表。Tさん、Iさん、A君が発表。これで全員の発表が終わった。

本日のスイーツはKさんが用意してくれたミニ鯛焼き。

うん? この漫画は何だろう?

TAP-LOVERSというサークルの公演のチラシみたいだ。いつ、どこで、やるのだろう?

12月23日(火)、大隈講堂。開場15:00、開演15:30とのことである。しかも無料らしい!

・・・ゼミ3年のFさんの所属サークルの公演の宣伝でした。

6限は学年に分かれてのゼミ。3年生はテキストの講読。4年生は私がゼミ論の書式について説明する。

ゼミ論の書式の改訂版をコースナビにアップしてから、9時に大学を出る。

遅い夕食は蒲田に着いてから「つけ麺大王」で食べる。

肉入りつけ麺を注文。

10時半、帰宅。


11月27日(木) 晴れ

2014-11-28 08:59:44 | Weblog

8時半、起床。

カレー、トースト、サラダ(トマト、ブロッコリー、レタス)、牛乳の朝食。

11時半頃、家を出て、大学へ。今日は昨日とは一転して暖かい。小春日和というのは好きな言葉だ。

  小春日の駅まで続く道なりき  たかじ 

39号館の脇の公孫樹の黄葉が太陽に照らされて美しい。紅葉も美しいが、黄葉も美しい。

  一年がめぐり公孫樹の輝けり  たかじ

3限は大学院の演習。そえを終えて、再び公孫樹のところに来てみると、陽は傾いて、木のてっぺんあたりだけが輝いている。 

いただきもののケーキを昼食代わりに食べる。

一つでは足りず、もう一つ食べる。ケーキバイキングというのを経験したことがないが、この調子で三つ、四つと食べていくのだろう。口直しにケーキ以外のものもあるのだろうか。サンドウィッチとか、パスタとか。

5限はCさんの卒業研究指導。すでに分量的にはOKです。

6時、大学を出る。夜桜ならぬ夜公孫樹。

  街灯に冬の公孫樹の立ち尽くす  たかじ

7時過ぎに帰宅。

今夜の献立は麻婆茄子。昼食がケーキ2つだけだったので、腹ペコである。


11月26日(水) 雨

2014-11-27 11:17:38 | Weblog

8時半、起床。

鶏肉団子スープ、トースト、サラダ(トマトとレタスとブロッコリー)の朝食。

今日は朝から冷たい雨が降っている。野良猫のなつも家の中に入りたいようである。

10時に家を出て、大学へ。

11時からS君の卒業研究指導。文化構想学部の卒研と文学部の卒論の提出日は12月の11日(木)と12日(金)の2日間である。11日に提出するつもりでスケジュールを組むことである。製本した論文の表紙に貼るシールは12月8日(月)から配布が始まる。お忘れなく。

なお、文化構想学部のゼミ論の提出日ならびに提出方法は論系ごと(あるいはゼミごと)に定められている。

昼休みに来年度の卒業研究を履修するK君の仮指導を行う。正式スタートは4月からだが、それまでに文献リストの作成等の課題を与える。

1時半に大学を出て、池袋のサンシャインタウンで今日から始まった東京書作展に出かける。このブログにもしばしば登場する卒業生で書家のTさんの作品が今回見事「特選」に入ったのだ。

 会場には先に到着したTさんがいた。

これが今回、特選に入った中原中也の詩「憔悴」を書いたTさんの作品。

「憔悴」とはこんな詩である。 

    Pour tout homme, il vient une ※(アキュートアクセント付きE小文字)poque
    o※(グレーブアクセント付きU小文字) l'homme languit. ―Proverbe.
    Il faut d'abord avoir soif……
         ――Cath※(アキュートアクセント付きE小文字)rine de M※(アキュートアクセント付きE小文字)dicis.

私はも早、善い意志をもつては目覚めなかつた
起きれば愁(うれ)はしい 平常(いつも)のおもひ
私は、悪い意志をもつてゆめみた……
(私は其処(そこ)に安住したのでもないが、
其処を抜け出すことも叶(かな)はなかつた)
そして、夜が来ると私は思ふのだつた、
此の世は、海のやうなものであると。
私はすこししけてゐる宵の海をおもつた
其処を、やつれた顔の船頭は
おぼつかない手で漕ぎながら
獲物があるかあるまいことか
水の面(おもて)を、にらめながらに過ぎてゆく
※(ローマ数字2、1-13-22)
昔 私は思つてゐたものだつた
恋愛詩なぞ愚劣なものだと

今私は恋愛詩を詠み
甲斐あることに思ふのだ

だがまだ今でもともすると
恋愛詩よりもましな詩境にはいりたい

その心が間違つてゐるかゐないか知らないが
とにかくさういふ心が残つてをり

それは時々私をいらだて
とんだ希望を起させる

昔私は思つてゐたものだつた
恋愛詩なぞ愚劣なものだと

けれどもいまでは恋愛を
ゆめみるほかに能がない
※(ローマ数字3、1-13-23)
それが私の堕落かどうか
どうして私に知れようものか

腕にたるむだ私の怠惰
今日も日が照る 空は青いよ

ひよつとしたなら昔から
おれの手に負へたのはこの怠惰だけだつたかもしれぬ

真面目な希望も その怠惰の中から
憧憬(しようけい)したのにすぎなかつたかもしれぬ

あゝ それにしてもそれにしても
ゆめみるだけの 男にならうとはおもはなかつた!
しかし此の世の善だの悪だの
容易に人間に分りはせぬ

人間に分らない無数の理由が
あれをもこれをも支配してゐるのだ

山蔭の清水(しみづ)のやうに忍耐ぶかく
つぐむでゐれば愉(たの)しいだけだ

汽車からみえる 山も 草も
空も 川も みんなみんな

やがては全体の調和に溶けて
空に昇つて 虹となるのだらうとおもふ……
※(ローマ数字5、1-13-25)
さてどうすれば利するだらうか、とか
どうすれば哂(わら)はれないですむだらうか、とかと

要するに人を相手の思惑に
明けくれすぐす、世の人々よ、

僕はあなたがたの心も尤(もつと)もと感じ
一生懸命郷(がう)に従つてもみたのだが

今日また自分に帰るのだ
ひつぱつたゴムを手離したやうに

さうしてこの怠惰の窗(まど)の中から
扇のかたちに食指をひろげ

青空を喫(す)ふ 閑(ひま)を嚥(の)む
蛙さながら水に泛(うか)んで

夜(よる)は夜(よる)とて星をみる
あゝ 空の奥、空の奥。
※(ローマ数字6、1-13-26)
しかし またかうした僕の状態がつづき、
僕とても何か人のするやうなことをしなければならないと思ひ、
自分の生存をしんきくさく感じ、
ともすると百貨店のお買上品届け人にさへ驚嘆する。

そして理窟はいつでもはつきりしてゐるのに
気持の底ではゴミゴミゴミゴミ懐疑の小屑(をくづ)が一杯です。
それがばかげてゐるにしても、その二つつが
僕の中にあり、僕から抜けぬことはたしかなのです。

と、聞えてくる音楽には心惹かれ、
ちよつとは生き生きしもするのですが、
その時その二つつは僕の中に死んで、

あゝ 空の歌、海の歌、
ぼくは美の、核心を知つてゐるとおもふのですが
それにしても辛いことです、怠惰を※(「二点しんにょう+官」、第3水準1-92-56)(のが)れるすべがない!
 
(「青空文庫」からコピペしました)
 
規定の大きさ紙にこの長い詩の全部を収めている。時間にすると90分ほどかかるそうだ(それを何枚も書くわけである)。彼女のこれまでの作品の中では一番の大作(長作というべきか?)とのこと。実際、他の入選作の中にもこれに並ぶ緻密な作品は見当たらなかった。大きな文字の作品は見栄えはするけれども、それは一瞬の気合(集中力)があれば書けるが、Tさんのような作品は集中力の持続が必要なわけで(90分の持続!)、それがいかに大変なことであるかは、素人にも想像がつく。
 
「ぼくは美の、核心を知つてゐるとおもふのですが それにしても辛いことです、怠惰を※(「二点しんにょう+官」、第3水準1-92-56)れるすべがない」という詩の最後の二行がクローズアップされて、作品の核心として位置付けられている。
 
これだけのものを書いた、書き切ったことにTさんは満足を覚えているが、いま改めて会場という空間で作品を眺めると「揺れ」が足りないとも感じているそうだ。「揺れ」というのは垂線を引いた場合に書の行が左右にスイングするような技法のことを指すらしいが、そうすることで作品に躍動感が出るわけだ。ただ、素人の私が思うに、「揺れ」を出すためには、それなりの余白が必要なわけで、それは作品全体の文字数×文字の大きさ=密度と関連しているから、もしこの作品で「揺れ」をもっと出そうとしたら、字をさらに小さくするとか、クローズアップを止めてその余白を他に回すなどの処理が必要になってくるのではなかろうか。私が今回の作品から受ける印象は、窓ガラスをつたって滴り落ちる雨のしずくである。それを眺める静かな憔悴と怠惰な気分。ならば「揺れ」はほどほどがよいと思う。

 

 自分の作品をスマホで撮るTさん。自宅ではこうやって作品を眺めることができない(床に置いて斜め上から眺めることしかできない)のである。

ローアングルで。

超ローアングルで。

自作を眺めるTさんの表情は達成感や満足感であふれているように見えた。

 

 

ちなみにこちらはTさんが尊敬する先生の作品。「風神雷神」。常に自分のスタイルを更新し続ける姿勢がすごい、と思うそうだ。

 

「腹がへった」(孤独のグルメ風に)。昼食がまだなのだった。

下の階のレストラン街で、中華料理の店に入る。

私は海老そば。Tさんは担担麺。

レタスと海鮮の炒飯を一人前注文し、分けて食べる。

空腹は満たされたが、スイーツは別腹である。

時刻は5時。Tさんは6時から会社で打ち合わせがある。帰りは一緒の山手線に乗って、彼女は渋谷で降りた。

夕食は温泉湯豆腐(?)。チーズホンデュみたいに見えるが、中には豆腐が沈んでいる。

ポークソテーも一緒に。

 


11月25日(火) 小雨

2014-11-26 21:42:53 | Weblog

8時半、起床。

昨日のカレー、今朝のパン、サラダ(トマトとレタス)、牛乳の朝食。

雨の中、駅まで行き、みどりの窓口の自販機で、箱根旅行のための蒲田⇔小田原の乗車券と踊り子号の特急指定券(川崎⇔小田原)を購入。小田原から先は箱根周遊券を使う。

箱根周遊券は小田急電鉄の各種の乗り物が2日間あるいは3日間、乗り放題という優れものである。ただし、これを使いこなすのは事前の学習が必要である。それぞれの連結関係について頭に入れておかねばならない。それはちょうど上京したばかりの人間が東京メトロや都営地下鉄を使いこなすのが大変なのと似ている(私は東京で生まれて60年だが、増殖を続けている地下鉄をちゃんと使いこなせているとは言い切れない)。

箱根旅行は小学生の頃の家族旅行以来である。そのとき、芦ノ湖の遊覧船乗り場の売店で初めて飲んだコカコーラがびっくりするほど美味しかったことを鮮明に覚えている。芦ノ湖は加山雄三主演の「若大将シリーズ」の始まりの作品『大学の若大将』(1961年)のロケ地である。当時の箱根プリンスホテルが物語の舞台の1つになっていた。

周遊券をどう活用するかは、箱根のどこへ行くかということ、旅行中の行動プランと密接にかかわっている。蒲田と箱根エリアの入り口である小田原の往復の予定は決まったが、箱根での三日間をどう過ごすかはまだ決まっていない。これが一人旅であれば、成り行き任せでよいのだが、今回は妻と一緒の旅行なので、妻がどこに行きたいか、どういう旅を楽しみたいのかを優先して、プランを考えなくてはならない。旅行者というよりもツアーコンダクターの気分なり。

昼食はテイクアウトの握り鮨。

夕食は仕事帰りに妻が買ってきた鰹のたたき。

昼食の鮨には鰹は入っていなかったが、ニアミスである。

鰹のたたきのときはたいてい豚汁と決まっているが、今日は鶏肉団子スープ。

アボカドのサラダ。

デザートは白桃のゼリー。


11月24日(月) 曇り

2014-11-25 09:40:35 | Weblog

8時半、起床。

朝食はとらず、朝食兼昼食を「phono kafe」に食べに行く。今日一人目の客。

おにぎりセット+惣菜一品(里芋と蓮根の摘み揚げ)。

食後にハニーブッシュとウサギ&クマのクッキー。

 

店を出て、駅の方へ。

おしゃべりカフェの後は物思いカフェだ。「ルノアール」でしばらく読書。

弘前大学の高瀬君からいただいた郡千寿子・仁平政人編『寺山修司という疑問符』(弘前大学出版会)所収の高瀬君の論稿「レンズ越しの「宇宙人」」を読む。寺山の青森高校時代の同級生で、後に写真家となった藤巻健二へのインタビュー及び藤巻が撮った寺山の写真から高校時代の寺山について考察したものである。タイトルにある「宇宙人」は藤巻の語りの中に出てくる。

「本人は自分は偉くなると思ってたはんでね。すごいね。天才だようや感じでいるんだから。あれ、生きていればすごいよね。棟方志功やピカソやらを飛び越したぐらいのものができる。頭の中、わけわかんない、天空のこと考えてるものな。宇宙人だもん。あんな発想、出るもんでないな。目立ちたがり屋なところでさ、自分では天才だと思ってるだもの。宇宙人、空の上を飛んでるわけだ。もったいないね。病気してももっと早く完全に治せばいいんだけど、病気しちゃったから。」(49頁)

高校時代の同級生は寺山を「宇宙人」として語るが、高瀬君は同級生の撮った寺山の写真から人間くささ、「地球人」的なものも読み取って、「明るさ」と「暗さ」、「知性」と「俗っぽさ」、「大人っぽさ」と「子どもっぽさ」、「質素さ」と「豪奢さ」、「無頼さ」と「自意識」、こうした二項対立的な要素の併存を指摘する。

「こうした両義性は、単に寺山の両極端の姿を表しているということではない。これらの「両極」の間で、寺山の生は多面的・重層的な位相を見せる。そうして積み重ねられる様々な表情が、人々に寺山の高校時代への関心を抱かせる要素となっているのではないか。それでは、このような振り幅の大きさをもたらしていたものは何か。寺山個人に即して言えば、この時期にすでに両極を行き来できr「演技力」のようなものを身につけていた、ということなのかもしれない。そして高校という環境についていえば、当時の学校生活の回顧のなかで頻繁に語られる「自由な雰囲気」が、寺山に創作活動の機会を与えたばかりでなく、アンビバレントなものを許容し、包み込んでいたのかもしれない。」(48-49頁)

「ルノアール」を出て、東急プラザの「くまざわ書店」で雑誌やメモ帳を購入。もう「12月号」だ。

  冬至までひと日ひと日の日暮れかな  草間時彦

駅前の人だかりは共産党の演説を聴く人たちである。動員された人たちが多いのであろうが、それだけではないようである。たぶん今度の選挙で共産党はまた議席を増やすだろう。 

いったん自宅へ戻る。

  薄日射す狭き舗道の落葉かな  たかじ

自宅の二軒隣のアパートが取り壊されて空き地になった。建売住宅が三棟建つらしい。

ジムの支度をして、再び家を出る。

  冬の川曇天の町を映しけり  たかじ

久しぶりのジムでは、軽めの筋トレを1セットと、有酸素運動を40分ほど。年末年始、週2ペースでやっていこう。

ジム帰りに今日二度目の「phono kafe」。昼間と夕方では客層が違う。最近、見なくなった母子の常連客は、離婚して実家(秋田)に帰ったという話を聞いた。「深夜食堂」みたいだ。

夕食はカレーライス。

明日の朝食はカレーとパンで決まりだ。パンは明日の朝に買う。「昨日のカレー、今朝のパン」だ。