今日は日曜日だが、文化構想学部の夜間特別枠入試の面接試験が午前中にあり、朝から大学へ出かける。休日出勤だ。休日出勤はこれまでも入試関連ではしばしばあった。しかし、来年度からは、半期15回の授業回数を確保するために、国民の祝日をいくつか潰して授業を行うという「嘘でしょ? 嘘だといってよ、あなた」「ワセダよ、おまえもか」的方策がとられようとしている(もちろん教員組合は反対している)。そうなると、こういう朝の風景を目にする機会も増えるということだ。かつて日本人がエコノミック・アニマルと揶揄され、労働時間の削減が声高に叫ばれた時代があった。学校教育にも週休二日制や「ゆとり教育」が導入された。それがいまや国民の祝日を潰して授業をやれと言われる。隔世の感あり。一身二生とはこのことか。
日曜午前9時の丸の内オアゾ
面接試験は午前中に終わり、長居は無用と蒲田に帰る。昼食は新規開店の「鈴文」で。私が店に入ったときはそれほどでもなかったが、ランチのとんかつ定食を注文して待っている間に、どんどん客がやってきて、カウンター席は全部埋まり、店内で立って待っている客が数人いるという状態になった。前の店はカウンター席の背後はテーブル席で、空間的にゆったりしていたが、今度の店はカウンター席の背後はすぐ壁で、その壁のところに席が空くのを待っている客が立っている。私はゴルゴ13ことデューク東郷と同じで、背後に立たれることを好まない。落ち着かないのだ。久しぶりの「鈴文」のとんかつだったが、じっくり賞味することができなかった。次は平日に来よう。(夜、二文の卒業生のHさんの夫という方から、土曜の夜に夫婦で「鈴文」に行ってきましたという内容のメールが届いた。Hさん夫妻は私のブログの読者で、かつて蒲田に住んでいたこともあって、「鈴文」や「甘味あらい」のファンである。それが「鈴文」閉店のニュースを聞いて落胆していたが、「鈴文」再開のニュースを知ってさっそく昨日の夜に訪れたというわけだ。おりしも私が「鈴文のとんかつ」VS「妻の炒飯」の間で板ばさみになってまだ「鈴文」を訪れていないと知って、レポートしてくだったのである。それにしても、私は基礎演習の受講生だったHさんのことを覚えているが、Hさんの夫という方には面識はないので、卒業した女子学生の夫からメールをもらうというのは不思議な感じがした。いや、別に、後ろめたいようなことは何もないんですけどね)。
食後の珈琲をルノアールで飲みながら、明後日の演習(現代社会のセラピー文化)で取り上げる水野敬也『夢をかなえるゾウ』(飛鳥新社)を読む。小説の形式をとった自己啓発本で、帯に「150万部突破!」と印刷されている。私の『日常生活の社会学』(学文社)の1000倍である。いや、150万部というのは刷った数ではなくて売れた数であろうから、そうなると2000倍である。う~む。私はページをめくりながら、この本が150万部も売れた理由について一生懸命考えた。たぶん発表を担当する学生たちもそのことを考えているはずだ。この本に登場するガネーシャという名前のゾウに似た神様のキャラの面白さというのが理由の1つであることは間違いないが、TVドラマ版ではそれを古田新太が演じていて、実にピッタリのキャスティングなのである。ところがTV版ではガネーシャの特訓を受ける主人公は水川あさみ演じるOLになっている(小説ではサラリーマンの「僕」)。このことがもっている意味についても考えみる価値は十分にあるだろう。いま、ここで、私が自分の意見を書いてしまうと、せっかく学生たちが自分の頭で考えようとしているのを邪魔することになるので、それは控えておく。ただ、1つだけ、深遠なことを述べれば(よ~く、聞きなさい)、もし本のタイトルが『夢をかなえマス』で、神様が魚のマスに似ているという設定であったら、絶対に150万部は出なかったはずである。これは自信をもって言える。
有隣堂で、新井素子編『ほしのはじまり 決定版星新一ショートショート』(角川書店)、山田邦紀『明治時代の人生相談』(幻冬舎文庫)を購入。それから今夜は妻と娘の合同誕生日会なので、二人にプレゼントするチョコレートの詰め合わせと、バースデーケーキを東急プラザで買って帰る。
日曜午前9時の丸の内オアゾ
面接試験は午前中に終わり、長居は無用と蒲田に帰る。昼食は新規開店の「鈴文」で。私が店に入ったときはそれほどでもなかったが、ランチのとんかつ定食を注文して待っている間に、どんどん客がやってきて、カウンター席は全部埋まり、店内で立って待っている客が数人いるという状態になった。前の店はカウンター席の背後はテーブル席で、空間的にゆったりしていたが、今度の店はカウンター席の背後はすぐ壁で、その壁のところに席が空くのを待っている客が立っている。私はゴルゴ13ことデューク東郷と同じで、背後に立たれることを好まない。落ち着かないのだ。久しぶりの「鈴文」のとんかつだったが、じっくり賞味することができなかった。次は平日に来よう。(夜、二文の卒業生のHさんの夫という方から、土曜の夜に夫婦で「鈴文」に行ってきましたという内容のメールが届いた。Hさん夫妻は私のブログの読者で、かつて蒲田に住んでいたこともあって、「鈴文」や「甘味あらい」のファンである。それが「鈴文」閉店のニュースを聞いて落胆していたが、「鈴文」再開のニュースを知ってさっそく昨日の夜に訪れたというわけだ。おりしも私が「鈴文のとんかつ」VS「妻の炒飯」の間で板ばさみになってまだ「鈴文」を訪れていないと知って、レポートしてくだったのである。それにしても、私は基礎演習の受講生だったHさんのことを覚えているが、Hさんの夫という方には面識はないので、卒業した女子学生の夫からメールをもらうというのは不思議な感じがした。いや、別に、後ろめたいようなことは何もないんですけどね)。
食後の珈琲をルノアールで飲みながら、明後日の演習(現代社会のセラピー文化)で取り上げる水野敬也『夢をかなえるゾウ』(飛鳥新社)を読む。小説の形式をとった自己啓発本で、帯に「150万部突破!」と印刷されている。私の『日常生活の社会学』(学文社)の1000倍である。いや、150万部というのは刷った数ではなくて売れた数であろうから、そうなると2000倍である。う~む。私はページをめくりながら、この本が150万部も売れた理由について一生懸命考えた。たぶん発表を担当する学生たちもそのことを考えているはずだ。この本に登場するガネーシャという名前のゾウに似た神様のキャラの面白さというのが理由の1つであることは間違いないが、TVドラマ版ではそれを古田新太が演じていて、実にピッタリのキャスティングなのである。ところがTV版ではガネーシャの特訓を受ける主人公は水川あさみ演じるOLになっている(小説ではサラリーマンの「僕」)。このことがもっている意味についても考えみる価値は十分にあるだろう。いま、ここで、私が自分の意見を書いてしまうと、せっかく学生たちが自分の頭で考えようとしているのを邪魔することになるので、それは控えておく。ただ、1つだけ、深遠なことを述べれば(よ~く、聞きなさい)、もし本のタイトルが『夢をかなえマス』で、神様が魚のマスに似ているという設定であったら、絶対に150万部は出なかったはずである。これは自信をもって言える。
有隣堂で、新井素子編『ほしのはじまり 決定版星新一ショートショート』(角川書店)、山田邦紀『明治時代の人生相談』(幻冬舎文庫)を購入。それから今夜は妻と娘の合同誕生日会なので、二人にプレゼントするチョコレートの詰め合わせと、バースデーケーキを東急プラザで買って帰る。