6.15(火)
夜の明ける時刻がずいぶんと早くなった。窓から差し込む日射しで、まだ寝足りないのに目が覚めてしまう。午後から大学に出ればよい日は二度寝をするのだが、今日のように午前中から会議のある日は、そういうわけにもいかず、寝不足のまま家を出ることになる。教室会議、教授会、二文の基礎演習のグループ研究の相談、二文の3年生のアドバイザー面談、と用件が途切れることなく8時間続いて、疲労困憊、帰りの電車の中で居眠りをする。
6.16(水)
いま私の財布には千円札が50枚ほど入っている。調査実習のグループ研究で学生が資料として購入した本は実習費から払う(もちろん一定の上限は決めてある)と言ってあるので、その支払いのために昨日銀行で5万円を千円札に両替したのである。千円札50枚というのはかなりの厚みである。で、財布には数枚の一万円札も入っているので、千円札50枚の両側にその一万円札を配置すると、全部一万円札のように見える。カード万能のこの時代に一万円札を50枚も財布に入れて持ち歩いている人間といえば、暴力団の幹部くらいのものであろう。不幸にして、知らない人が見ると、私はその筋の人間に誤解されるような人相をしている(インディアンに似ていると言われることもある)。今日、「五郎八」や「カフェ・ゴトー」で支払いをしたとき、レジの女性は私の財布の中の「50枚の一万円札」を見て(わざと見えるようにしたのである)、一瞬、表情がこわばっていた。この種の悪戯は、私、大好きである。無論、「五郎八」の女将さんや「カフェ・ゴトー」のマスターは、私の正体を知っているから、後日、「早稲田大学の先生の給料はずいぶんといいんですね」と言われると思うが、そのときの返答もちゃんと考えてある。「ええ、使い方がわからなくて、困っています。でも、人生にはお金で買えないものがありますからね・・・・」と、ちょっと寂しげに微笑んでみせるのである。
6.17(木)
東浩紀・笠井潔『動物化する世界の中でー全共闘以降の日本、ポストモダン以降の批評』(集英社新書、2003年)を読んだ。午前中から読み始めて、深夜、日付が変わって2時間ほど経ったあたりで読み終えた。200頁ちょっとの新書なので、一日で読み終えたからといってどうということもないように思われようが、今日は午後から二文の3年生のアドバイザー面談、二文の基礎演習のグループ研究の相談、二文の基礎演習、演習後のクラスコンパ・・・・と終電の時刻間際まで用事が立て込んでいて、その合間をぬって読み続け、読み終えたのである。読み終えずに就寝したくなかったのである。それほど本書は私には面白かった。本書は往復書簡集である。消費社会とポストモダニズムによってもたらされた80年代から90年代への変化を決定的に重要と考える東浩紀(1971年生まれ)と、ポストモダン化はすでに70年代に始まっていた(60年代後半の社会反乱はモダンに対するポストモダンの反乱であった)とする笠井潔(1948年生まれ)との間で交わされた、ギクシャクした往復書簡(合計16信)である。私にはそのギクシャクさ加減が実に面白かった。往復書簡集というものは、相手の顔を立てつつ、そこに自己主張をやんわりと潜ませるという、読んでいてこそばゆい気分になるものがほとんどである。しかしこの往復書簡集は全然違う。話がなかなか噛み合わないことに双方がイライラし、年少者の東が先にそのイライラを相手にぶつけ、一度目は年長者のたしなみでそれをやんわりと受け止めるフリをした笠井が、二度目のストレート攻撃には逆切れして往復書簡の打ち切りを宣言する(実際は続いたのだが)というきわめてスリリングな展開を示すのである。それにしても二人ともよくもあれだけ自分の立場に執着できるものである。ああ言えば、こう言う。意見を異にする二人の人間が、話し合って、歩み寄って、新しい第三の意見で合意するというプロセスは、民主主義的妄想ではないかと思えてくる。ちなみに私には両者の意見とも頷ける部分があったが、どちらかといえば、6歳年上の笠井の意見よりも、17歳年下の東の意見の方が説得的であった。これは自分でも意外だった。
6.18(金)
今週は二文の3年生のアドバイザー面談(初回)を行った。私が担当している学生は5名で、そのうち4名は1年の基礎演習のときの学生である。本当は全員が顔をそろえる場面を設定したかったのだが、スケジュールが会わず、2回に分けて行った。各自の意向を聞いた上で、来月から月に1回のペースで勉強会を開催することになった。
ところで今回、私から学生たちへの連絡はwaseda-netを使って行ったのだが、全員に最初のメールを出したのが5月27日。K君からはその日のうちに返信があり、翌日はYさんから、翌々日にはIさんから返信があった。ここまでは順調だったのだが、あとの2人、M君とSさんから返信があったのは6月6日である。それも、こちらから彼らの自宅等に催促の電話を入れて、ようやくそうなったのである。しかし、アドバイザーの方はまだよい方で、二文の2年生のチューターの方は、4月30日に担当する4名の学生にメールを出したのだが、最初の1人から返信があったのが5月6日、2人目から返信があったのは5月24日で、残りの2名からはいまだに返信がない。
ここには2つの問題がある。第一は、技術的な問題で、waseda-netの利用の仕方にかかわる。学生には全員waseda-netのアドレスが与えられているのだが、いくらこちらがそこにメールを出しても、学生がメールを開いてくれていなければ用件は伝わらない。普段使っているメールが別にあるならば、waseda-netに届いたメールがそちらのメールサーバーに自動転送されるように設定をしておいてくれればよいのだが、そういうこともやっていない。メディアネットワークセンターは、waseda-netが実際に学生にどの程度活用されているか調査するとともに、「自動転送」や「容量制限」についてきちんと教えるべきである。そうしないと、重要な通知をwaseda-netを使って出せないという状態がこの先もずっと続くであろう。
第二は、制度的な問題で、チューター制度やアドバイザー制度の認知の程度にかかわる。本来、私の方から「チューターの大久保です」とか「アドバイザーの大久保です」といったメールを学生に出す必要はないのである。チューターやアドバイザーが決まった旨のお知らせが事務所の掲示板に出され、それを見た学生が事務所の窓口にいって自分のチューターやアドバイザーの決定通知書(教員名とメールアドレスが記されている)を受け取り、学生の方から教員に挨拶のメールを出すというのが本来の手順なのである。ところが、現実は、掲示板を見ていない、あるいは掲示板を見ても事務所の窓口に決定通知書を受け取りにこない学生が大部分なのである。ちなみに今回アドバイザー面談をした5人の学生に、2年生のときのチューターは誰だったのかと尋ねたところ、一人も答えられなかった。というよりも、そもそもチューター制度というものが存在することを知らなかった。開いた口がふさがらないというのはこのことである。しかし学生の怠慢だけを責めるわけにはいかない。アドバイザーの場合は、どの教員をアドバイザーに希望するかを学生に申請させた上で決定するので、学生の関心もそれなりにある。しかし、チューターの場合は学生のあずかり知らないところでランダムに(専修や関心とは関係なく)決められるので、たとえ掲示板を見たとしても、なんのことやらわからないのではなかろうか。そもそもアドバイザーやチューターが決まったから事務所の窓口に来なさいというお知らせが掲示板の片隅にしか掲示されず、学部のホームページに掲載されないのはなぜなのか? 私の感覚ではこの種の通知は、「卒業論文指導教員決定・確認について」(2004.5.14)と同じように学部のホームページに掲載するべきものである(併せてアドバイザー制度やチューター制度についての説明も掲載するべきである)。また、郵便代は高くつくから葉書での通知までは必要ないが、waseda-netの利用状況の調査も兼ねてメールで学生に一斉に通知したらよいのではなかろうか。さらにいえば、学生が窓口に決定通知書を受け取りに来たときに、きちんと記録をとっておいて、一定の期間が過ぎても窓口に来ない学生に呼び出しをかけるといったことも必要であろう。このように周知徹底の方法はいくらでもある。いくらでもあるのに何もしないということは、要するに、本気で取り組んでいないということである。ならば制度を廃止したらよいのではないかと思うが(私の意見としては、少なくともチューター制度は廃止ないし手直しすべきである)、それもしない。不十分な制度、あるいは制度の不十分な運用のツケは、結局、現場の教員と学生が支払うことになる。
6.19(土)
去年の今頃までに提出しなければならなかった書類を、すっかり失念していて、担当の方から督促をいただいて、あわてて書き上げてメールで提出する。遅れるにもほどがある。これからはチューターになっている学生からのメールの返信が1、2ヶ月遅れたからといって文句を言わないことにしよう。
6.20(日)
真夏のような日射しの蒸し暑い一日だった。午後も遅くなってから、日陰が増えたのを見計らって、買い物に出かける妻と一緒に散歩に出る。今日は父の日でデパートのケーキ売場が混んでいる。妻が「ケーキ、どうする?」と聞いたので、「アイスクリームの方がいいな」と答える。栄松堂で本を三冊購入。
(1) 竹内洋『学校システム論 子ども・学校・社会』(日本放送出版協会、2002年)
(2) 刈谷剛彦・志水宏吉『学校臨床社会学―「教育問題」をどう考えるか』(日本放送出版協会、2003年)
2冊とも放送大学の大学院のテキスト。学部用のテキストよりも表紙が上等だ。それにしても自前の大学院用のテキストがあるというのが凄い。普通の大学の大学院では絶対にありえない。だって受講生が10名を越す演習なんてめったにないわけだから(たとえば私の今年度の演習は5名)、そのためのテキストを作ったら単価が一体どのくらいになるかわからない。ちなみに(1)は2200円で、(2)は2500円。一般の市場で売れることを見越しての価格設定である。現にこうして私も購入したしね。放送大学に勤務していたときはテキストは希望すればただでもらえたので、自分の専門とは離れた分野のテキストもたくさんもらったものだが、10年後のいまでもそのよき慣習は残っているのだろうか。
(3) 永江朗『〈不良〉のための文章術』(NHKブックス、2004年)
〈不良〉は「プロ」と読ませる。「プロが書く文章は、貨幣と交換されるためのものです。」非常に明快なスタンスで書かれたプロのライターをめざしている人のための実践的文章作法。そういえば清水幾太郎は自分のことをしばしば「売文業者」と呼んでいた。そこには大学の紀要とか、学会誌とか、思想的同人雑誌に独りよがりの文章を書いている大学教授たちへの強い対抗意識があった。
父の日ということで、今夜はビフテキだった。子どもたちから白い薔薇とネクタイをプレゼントされる。ネクタイの柄と材質から判断して、妻のアドバイスと資金援助があったことは間違いない。ところで父の日に白い薔薇というのは昔からでしたっけ? 私は自分の父親に白い薔薇なんて贈った記憶がない。父親は若い頃はヘビースモーカーだったので、父の日のプレゼントはハイライトをワン・カートンと決まっていたように思う。しかし、いまでは煙草はまったく吸わない。今年は妻が選んでくれたパジャマを贈った。
夜、『オレンジ・デイズ』の最終回を観る。再会のシーンで柴崎コウが橙を木からもいでいたのは、『愛していると言ってくれ』(1995年)の最終回の再会のシーンで常盤貴子がリンゴを木から取ろうとしていたのと重なる。確信犯的な自己模倣である。『オレンジ・デイズ』に漂う一種の懐かしさと古風さは、この自己模倣に由来する。あのときは常盤が取ろうとしてなかなか取れないでいたリンゴを豊川悦司が代わりに取ってやって、それを常盤に放って寄越した。今回は柴崎が妻夫木聡の力を借りずに自力で橙をもぎ取り、それを妻夫木に放って寄越した。10年の歳月の間に女性の自立はさらに進んだのである。変わらないのは果物が障害者から健常者に向かって弧を描いて飛んだことである。両者の共生とは、健常者が障害者に手を差し伸べることではなく、障害者が健常者に向かって投げかけるメッセージを健常者がきちんとキャッチすることである、そう北川悦吏子は考えているのである。
6.21(月)
台風が通過していった。いま真夜中の2時になろうとするところ。雨は夕方には止んだが、風はまだまだ強い。明日は台風一過の夏日になるだろう。
今日は雑用があって大学へ出た。それはすぐに済んで、研究室の窓ガラスを叩く雨音を聞きながら、東浩紀『動物化するポストモダン』(講談社現代新書、2001年)を読んだ。出たときに買ってそのままほうっておいた本だが、数日前に読んだ東浩紀・笠井潔『動物化する世界の中で』(集英社新書、2003年)が本書にしばしば言及していたので、読んでみることにしたのである。一種の文化変動論で、世界史的には、1914年(第一次大戦)以前を「大きな物語」(ツリー・モデル)が支配的だったモダン時代、1914年から1989年(ベルリンの壁の崩壊)までを「大きな物語」から「大きな非物語」(データベース・モデル)への移行期(スノビズムの時代)、1989年以降を「大きな非物語」が支配的なポストモダン時代(動物の時代)として歴史区分する。戦後日本史的には、1945年から1970年代前半(オイルショックと連合赤軍事件)までが「大きな物語」の時代、1970年代前半から1995年(阪神大震災と地下鉄サリン事件)までが「大きな物語」の凋落の時代(スノビズムの時代)、1995年以降が「大きな非物語」と「小さな物語」の解離的共存の時代(動物の時代)ということになる。用語が独特だが、その意味を理解すれば、論旨は明快である。ただし、大塚英志や大沢真幸や宮台真司の論を全部東の用語に置き換えて説明可能なのかどうかはやや疑問である。もし全部説明できてしまうとすれば、東の論が他の論者のものよりも「より深い」ということはツリー・モデルを採らない限り言えないはずだから、東の論は先行する論者のもののシミュラークルであって、「小さな物語」としての説明が横滑りしているだけということになるのではないだろうか。最初からもう一度、読み直してみよう。再読に値する本であることは間違いない。
帰りがけに文学部生協店で、新刊を2冊、ジョン・L・ギャディス『歴史の風景』(大月書店)と山室建徳編『大日本帝国の崩壊』(日本の時代史25、吉川弘文堂)を購入。それと先週末から封切りになった映画『白いカラス』のチケットを購入。
6.22(火)
午前中から会議があって大学へ出る。昼食はひさしぶりで「たかはし」の豚肉生姜焼き定食。ボリュームたっぷりである。なにしろ今日は真夏日である。しっかりスタミナをつけなければ。
研究室で姜尚中(カン・サンジュ)『在日』(講談社、2004年)を読む。彼の自伝である。二文の基礎演習で「在日韓国人」をテーマに発表するグループがあり、彼らが参考文献としてあげているものの一冊がこれだったので、私も読んでおこうと。演習の発表にしろ、卒論にしろ、学生が関心をもつテーマはさまざまである。社会学はそうしたさまざまなテーマを許容できる学問であるが、社会学=私ではないから、こっちも学生と一緒に勉強しないと教師稼業は務まらない。姜は1950年生まれで、大学・大学院は早稲田だったから、彼が語る1950、60年代の在日韓国・朝鮮人集落の様子や、1970年代の大学のキャンパスの雰囲気は私にはよくわかる。しかし、彼がどんな気持ちで生きてきたのかは本書を読んで初めてわかった。本を閉じ缶コーヒーを買いに行く夏の真昼の木漏れ日の道(俵万智風に)。
大学からの帰り、日比谷のみゆき座で『白いカラス』を観た。『在日』は民族差別の問題を扱っているが、『白いカラス』は人種差別の問題を扱っている。「白いカラス」とは「色白の黒人」の意味である。封切られて間もない映画なので、詳しくは紹介しないが、きわめて完成度の高い作品である。「彼女(ニコール・キッドマン)は完璧だった」と原作者フィリップ・ロスが言ったそうだが、実に、まったく、その通りである。
6.23(水)
社会学専修の全学生(約300名)を対象にした懇親会が7月21日(水)の午後6時半から大隈ガーデンハウスで開かれることになった。大きな専修ゆえ、コンパといえばクラコンと決まっていて、卒業のときの謝恩会が唯一大きな会であったが、今回の企画はクラスのみならず学年の仕切も取っ払った大懇親会で、初めての試みである。2年生には今日の3限の社会調査法の授業のときに幹事長のS君が呼びかけを行なった。3年生には調査実習のクラスごとに呼びかけを行うとのことで、5限の私の調査実習クラスで幹事の一人のMさんが呼びかけを行っていた(大方の学生が申し込みをしていた)。4年生には昨年度の調査実習クラスごとに呼びかけを行うとのことなので、私のクラスのメンバーには私が案内のメールを一括してさきほど送ったが、さっそくHさんから「社会学の懇親会が行われるなんて驚きですが、すごく楽しみにしています」との返信が届いた。一番乗りである。4年生にとっては半分同窓会のようなもので、オレンジ・デイズな気分に違いない。
6.24(木)
7限の基礎演習は先週からグループ発表に入っている。グループ発表の出来を評価するポイントは、極端に言えば、1つしかない。「グループの発表」になっているかどうかである。グループで研究を進める場合、必ず「分業」(分担)ということが生じる。問題は「分業」の成果がどれだけ「統合」されるかである。A、B、Cの3人の分業の成果が単純に合計されて「3」になるのか、そこに相互作用(データの共有とディスカッション)の効果が加わって「3+α」になるのか、個々の作業のベクトルが同じ方向を向いていなかったり、作業量がバランスを欠いていたり、作業の成果が十分に共有化されていなかたり、発表の手順がスムーズでなかたりするために「3-α」になるのかということである。「統合」の程度は発表の内容だけではなく、発表のときに配られる資料(レジュメ)に端的に表れるものである。たとえば、表紙に相当するページがあるか、全体のタイトルやメンバー全員の名前が記入されているか、用紙の大きさがそろっているか、ホチキスで綴じられているか、通し番号(ページ数)が打ってあるか、手書きのものとワープロのものが混在していないか、・・・・などなど。経験上、これらを見ただけで、発表の出来をかなりの程度予想することができる。外見が中身を規定するのではなく、中身が外見におのずから表れるのである。個人発表の場合は外見と中身はしばしば食い違うことがあるが、グループ発表の場合は外見と中身の相関は大きい。これは、不思議なことでもなんでもなく、外見をきちんと整えるという努力そのものがチームとしての協同作業を必要とするためである。人(個人)は見かけによらないが、集団(チーム)は見かけによるのである。
6.25(金)
定期券をジャケットのポケットに入れ忘れて家を出てしまった。定期券の区間の切符を自動販売機で買うほど馬鹿馬鹿しいことはない。蒲田―東京間往復420円。まったく無駄な出費である(大手町―早稲田間は定期券ではなく、パスネットを使っている)。これに比べれば、すでに持っている本を間違ってもう1冊購入することの方が、ずっとましである。研究室と自宅の書斎の両方に置いてもいいし(必要なときに手に取ることができて便利だ)、誰かにあげてもいい(お礼に何かもらえるかもしれない)。ああ、420円。君たち(百円玉4枚と10円玉2枚)はこんなことのために私の小銭入れの中にいたのではないはずだ。もっとまっとうな使われ方、たとえば、岩波文庫の今月の新刊『ブレイク詩集』の購入に充てられるとか、「カフェ・ゴトー」のベイクドチーズケーキの支払いに使われるとか、街角の少年が抱える共同募金の箱に投入されるとか、そうしたことを夢見ていたはずだ。すまない。許してくれ。
6.26(土)
私のホームページの「自己紹介」の中の「好きな飲み物」という項目には、これまで「アクエリアス」と書かれていた。今日、それを「珈琲」に書き換えた。というのも、これまでの「アクエリアス」はつい最近、カロリーオフを売り物にした新製品に取って代わられてしまったからである。名前は同じでも、味は違う。長年の「アクエリアス」ファンなら一口飲んだだけでその違いに気づくはずだ。これまでのスッキリした後味(ライバルの「ポカリスエット」にはこれが欠けていた)が消えて、人工甘味料特有の妙な甘さが舌に残るようになった。これは「アクエリアス」の新製品に限らず、カロリーオフやダイエットを売り物にした飲物(たとえばダイエット・コーク)に共通するものである。なんでこんなことをするのだろう。そもそも、カロリーやダイエットを本当に気にしている人間は、喉が渇いたら水や麦茶やウーロン茶を飲むであろう。いま、我が家には昔の「アクエリアス」の2リットル・ボトルが2本ある。ドラッグストアーで安売りをしていたときにまとめ買いをしたものの残りである。これがなくなったら、もう昔の「アクエリアス」を口にすることはできなくなるのだと思うと、ビンテージもののワインを飲むような気分である。さらば、我が愛しの「アクエリアス」。
6.27(日)
疲れがたまっている感じで、本を読みながら、うとうとし、TV(衛星劇場とWOWOW)で映画を観ながら、うとうとし、再び本を読みながら、うとうとし・・・・という調子で一日が終わった。パラパラ読んだ本は、関川夏央『本よみの虫干し』(岩波新書、2001年)、米長邦雄『達人の道』(毎日コミュニケーションズ、2004年)、度会好一『明治の精神異説』(岩波書店、2003年)の3冊。タラタラ観た映画は、大村崑・島かおり主演『秀才はんと鈍才どん』(1961年)、韓国映画『JSA』(2000年)の2本。深夜、コンビニでTV番組雑誌を購入。今週から始まるドラマをチェック。オリンピックがあるせいだろう、夏のドラマはあまり気合が入っていない感じ。人気脚本家のオリジナルのドラマが少なく、『世界の中心で、愛をさけぶ』、『東京湾景』、『人間の証明』、『逃亡者』といった原作のある作品がやたらと目に付く。田渕久美子脚本の『妻の卒業式』(NHK、月曜9:15、全5回)が面白そうではある。
インターネットのニュース速報で、タカハタ秀太監督の『ホテルビーナス』がモスクワ国際映画祭の新人監督部門で最優秀賞を受賞したことを知る。おめでとう。
6.28(月)
野沢尚の自殺の知らせに接して、驚いている。伊丹十三のときと同じ驚き。『坂の上の雲』の脚本の遅延と関係があるのあろうか。44歳。ただただ痛ましい。
6.29(火)
社会学教室の先輩である秋元律郎先生(早稲田大学名誉教授)が亡くなられた。享年72歳。いつもお元気な先生しか知らないから、信じられない気持ちである。私が大学院を受験したとき、二次試験(面接)で一番たくさん質問されたのが秋元先生だった。清水幾太郎とマルクス主義の関係をめぐっての質疑応答だったと記憶している。ちょうど先生の博士論文となった『日本社会学史』の準備をされていたころかと思う。あれから四半世紀が過ぎて、私も日本社会学史に多少ともかかわりのある論文を何本か書いたので、秋元先生とお話がしたいなと思っていた。しかし、それももうできなくなってしまった。先生のご冥福を心よりお祈りいたします。合掌。
6.30(水)
授業の合間に明日の秋元先生のご葬儀の準備。大学からの帰り、成文堂で立ち読みをしていたら、開いている本のページの上に天井のクーラーから水滴が落ちてきた。見ると、平積みになっている本の上にも水滴が落ちている。びっくりしてレジの店員に知らせると、何度もそういうことがあるようで、やれやれまたかという表情で三脚をかついでやってきてクーラーの換気口のところを布で拭き始めた。昔々、社会学研究室(助手室)の上の階のトイレの水が溢れて、天井から落ちてきて大騒ぎになったことがあったのを思い出した。