フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

4月29日(月) 晴れ

2013-04-30 01:20:34 | Weblog

  8時、起床。パン、ポテトサラダ、レタス、紅茶の朝食。

  11時半ごろ、家を出る。知り合いが出演する新交響楽団の演奏会を聴きに池袋の東京芸術劇場へ。息子からプレゼントされたネクタイを締めていく。

  腹ごしらえをするために神楽坂で途中下車。祝日の神楽坂は歩行者天国でいつもより人が多いが、「SKIPA」は普段とそれほど変わらない。「お仕事の帰りですか?」とのんちゃんが聞くので、「いいえ、これからコンサートを聴きに池袋に行くところです」と答えると、「コンサート、いいですね」とのんちゃん。「SKIPA」はGW中も普段通り木曜が休みである。宙太さんは次の街歩きは三軒茶屋へ行きたいと言う。三軒茶屋はご存知ですかと聞かれたので、一二度、芝居見物で行ったことがあるけれど、駅の周囲は再開発されたところと昔ながらのごちゃごちゃした感じのところが混在していて、面白い街だと思います、街歩きにはいいんじゃないかなと答える。

  チキンカレーと食後にチャイを注文し、30分ほど滞在。 

 

 

   会場には1時15分ごろ到着。入口前のスペースに人だかりが出来ていて、ジャズの演奏が行われていた。

  本日のプログラムは、R.シュトラウスの交響詩「ドン・ファン」と「ばらの騎士」組曲、そしてベートーベンの交響曲「田園」である。受付でチケットを渡して指定席券を受け取る。3階席なので、オペラグラスを忘れたことを後悔する。

  新交響楽団の演奏を聴くのは初めてである。アマチュアのオーケストラであるということしか知らない。しかし、最初の曲「ドン・ファン」の出だしの音を聞いた瞬間、並みのアマチュアのオーケストラでないことはわかった。逡巡するところのまったくない、潔い、厚みのある音だった。

  今日の演奏の中では、「ばらの騎士」組曲が一番楽しめた。歌劇「ばらの騎士」で使われる曲の中からいくつかの場面を、ストーリーとはまったく関係なく、曲としての構成を考えて組み合わされた組曲で、GWの最中に聴くのに相応しい、華麗でメリハリのある演奏だった。ブラボー!

  メインの「田園」は誰もが知っている曲だが、演奏会で通して聴くのは私は初めてだった。管楽器が独奏的に吹かれるパートがところどころに出てくるが、どの奏者も実に安定していて、新交響楽団のレベルの高さを知った。

 

  終演は4時半ごろ。劇場前の広場では古本市をやっていたので、ちょっとのぞいて、4冊ほど購入。

  谷沢永一は歯切れのいい文章で知られるが、親友の開高健を論じて面白くないはずがない。

  堀江敏幸さんは大学の同僚だが、初期の作品は案外読んでいない。芥川賞受賞作の初版を購入。

  黒田恭一のエッセーをぱらぱら読んでいて驚いた。「直立猿人」というジャズの曲の話が出てきたからだ。つい昨日、「あるす」のご主人から昔、蒲田に「直立エンジン」という名前のジャズ喫茶があったという話を伺ったばかりだったからだ。私はそれがジャズの名曲の名前に由来するものであることを知らなかった。「エンジン」が「猿人」であることにも思い至らず、車だがバイクだかの「エンジン」が床の上に直立して置かれている図をイメージしていたのである。シュールレアリズムの作品のようではないか。

  精神科医の中沢正一の本は、単純にタイトルに他人事でないものを感じて購入した。悪いか!?

   蒲田に帰り着いたのが5時半。「グッディ」でコーヒーを飲みながら、木皿泉『昨日のカレー、明日のパン』を読む。この味わい深い小説(きっとTVドラマか映画になるだろう)も今日で読み終わる。もっと読んでいたいが、しかたがない。本には最初の頁があり、そして最後の頁があるのだ。どんなにゆっくりと読んでいても、いずれ最後の頁にたどり着く。

   一樹が子どもの頃(小学校高学年)のある雨の日のエピソードがいい。彼は雨の日が好きな少年だった。

   「傘をさして歩いていると、気持ちが落ち着く。自分の傘に雨粒がはねる音が美しく、そう思うのは、もしかして自分だけかもしれないと思った。しかし、傘の中に一人でいる、そのことを恥じる必要もない。自分の場所がはっきりとわかる雨の日が好きだった。
    いつものパン屋で、五枚切りを一食分買い、それを雨に濡らさないように注意深く歩いていると、突然、後ろからばしゃばしゃと水たまりをけちらす音が近づいてきて、おかっぱ頭の小学校低学年の女の子が、
    「入れてください」
    と傘の中に飛び込んできた。
    一樹が驚いていると、女の子も驚いた様子だった。傘の柄が婦人物だったので、女の人だと思い込んでいたのだろう。でもすぐ、人懐っこい顔でニッと笑ってみせた。よく見ると、その子は、子犬を抱いていた。女の子は、子犬が濡れないよう、不自然な形に体を傾け、一樹の歩調に合わせながら、一生懸命ついてくる。女の子の濡れた髪から、汗の匂いなのか、蒸気のような何かがむわっと傘の中に広がり一樹の顔にかかってくる。運動靴に雨水が入ったのか、歩くたびにキュッキュッと音がして、それが女の子の弾む息と同じリズムで、傘を持つ一樹にぴたりとついてくる。
    「この傘、いい音がするね」
    女の子が、一樹を見上げて、大人びた様子でそう言った。下からにらむような黒目がちの目で、
    「私のも、いい音なんだよ」
    と自慢した。女の子は、かすかにカレーの匂いがした。
    「今日のお昼、カレーだったの?」
    一樹が聞くと、女の子はへへっと笑って、
    「夕べのカレー」
    と歌うように言った。
    「その犬、何て名前?」
    一樹が尋ねると、
    「まだ決めていない」
    と、女の子は子犬を優しくなでた。
    「ふーん、そーなんだ」
    「お兄ちゃんが持っているのは、何て名前?」
    女の子は、一樹が大事そうに持っているパンを見て聞いた。一樹は、ちょっと考えて、
    「明日のパン」と答えた。女の子は、突然、
    「私、こっちだから」とスカートに子犬をくるむと、雨の中へ飛び出して行った。細い足がぴょんぴょんと、泥をけり上げて走ってゆく。急に女の子は立ち止まると、こちらを向いて、
    「パンって名前にしていい?」
    と大声で聞いた。
    「いい名前だと思うよ」
    一樹が叫ぶと、女の子は、また激しい雨をもろともせず走り抜けて行った。その後ろ姿を一樹は、呆然と見送った。何だったんだ、今のは。一瞬、自分も小さな子犬を抱き上げた、不思議な気持ちだった。
    この日の話は、誰にもしていない。していないが、その後もなぜかずっと心に残った。雨の中、水たまりをはねのけるように、地面をけっていた、あの小さな足は何だったんだろう。」(231-233頁)

  明日、新宿発午前10時の特急「あずさ」に乗って茅野へ行く。天気予報が正しければ向こうは雨だ。傘をもっていこう。私も、一樹同様、雨の日が好きである。今日はカレーを食べた。明日は蕎麦を食べるだろう。


4月28日(日) 晴れ

2013-04-29 02:22:51 | Weblog

  8時、起床。GWは序盤と終盤がいいお天気で、中盤が崩れるという。私はその中盤に小旅行をする。まあ、いいか。こんなとき、私はジョン・ラスキンの「雲」という詩を口ずさむことにしている。

    世の人々は今日はよい天気だ
    また、悪い天気だ、などというが
    天気によいも悪いもありはしない
    みなよい天気ばかりである
    種類が違うだけなのだ

    晴れた よい天気
    雨の降る よい天気
    風の吹く よい天気

    という違いがあるだけ

  この思想を「場所」について展開すれば、「住めば都」ということになる。大学を卒業して、いま研修中で、間もなく配属先、勤務地が決まるという人たちは、こうした思想をもったほうがいい。名古屋で暮らすことになった息子には、「とりあえず安くて美味しい定食屋さんを見つけること」とアドバイスをした。

  朝食は抜いて、昼食を久しぶりに「鈴文」で食べる。いつもの150グラムのランチのとんかつ定食(950円)ではなく、200グラムのとんかつ定食(1300円)を注文する。+50グラムの分は夕方にジムに行って落とし前をつければよい。6つに切られて出てきたカツを右側から、まず塩とレモンで一切れ、次に醤油で一切れ、続いてソースと辛子で二切れ、残った小ぶりの二切れは塩と醤油で一切れずつ食べた。いや~、「鈴文」のとんかつを堪能した。ごちそうさまでした。

 

  食後のコーヒーは「あるす」に飲みに行く。

 

   ご主人と奥様に、先日、早稲田のジャズ喫茶「ナッティ」に行った話をした。「ナッティ」のマスター夫妻が大変懐かしがっておりました、ぜひ一度お二人で訪ねてさしあげてください、とお願いした。近々、定休日の木曜日に行かれるのではなかろうか。

   今日もご主人からジャズの話をたくさん伺った。

   「あるす」が開店したのはいまから30数年前のこと。私が結婚したのがちょうど30年前なので(ディズニーランドが開園した1983年である)、そのちょっと前のことである。ご主人は50代、奥様は40代であった。その頃は、ランチなどもやっておられたという。当時、近所を散歩して、「あるす」の存在に気づいていたのかもしれないが、入ったことはなかった。もし入っていれば、開店当初からの客ということになったわけだが、それは「ありえたかもしれない私の別の人生」の物語である。私たちは、そうした仮想的な人生の物語のことをたまに考えながら、現実の人生を生きている。「あるす」との出会いはずいぶんと遅くなってしまったが、それでも、出会えたことを幸運と思う。

  ジャズの話といえば、先日のブログではじめてジャズのCDを購入したという話を書いたら、それを読んだ中学時代の同級生のW君からメールをもらった。

   「最近、JAZZのお話をよくされているので、またメールしてしまいました。MJQの「LONELY WOMAN」。大久保君の「ジャケ買い」のセンスの良さが伝わって来ます。初めて買われたJAZZのレコードがこれとは素敵だと思います。(中略)MJQ(モダンジャズ・カルテット)は「アランフェス協奏曲」などを演奏する、どちらかというと保守的なコンボなんですが、表題曲の「LONELY WOMAN」はオーネット・コールマンというアヴァンギャルドど真ん中のリード管楽器奏者の曲です。MJQはVibraphonを要し、オリジナリティーを押し出しながら、原曲の変拍子を見事に演じていると思います。ですので、JAZZの重要源である「即興」を基軸に置きながらも、クラシックの要素を内在させているMJQが、その対極と言って良い人物の曲を演じたレコードをJAZZとして初めて購入されたとは、ホントに素敵なことだと思います。」

  W君がジャズにこんなに詳しいなんて知らなかった。そういえば、中学時代、休み時間に私が級友と将棋を指していると、そばでW君が指で机を、カタコトカタコト、ドラムを叩くように叩いていたのを思い出した。あの頃から彼は音楽のある生活(NO MUSIC, NO LIFE.)をしていたのだろうか。

  夕方、ジムへ行く。

  筋トレ2セットと有酸素運動(クロストレーナー)を40分。530キロカロリー(うな丼相当)を消費する。

  帰りにくまざわ書店で、沢木耕太郎『旅の空』(幻冬舎)を購入。


4月27日(土) 晴れ

2013-04-28 10:54:12 | Weblog

  7時半、起床。卵焼きだけの朝食。

  昼から大学へ。33号館低層棟の解体工事が始まっている。GW中に一気に工事が進むのだろう。33号館がなくなると、戸山キャンパスで私が学部生のときからある校舎は31号館と32号館だけになる(記念会堂は別として)。


31号館の教室から見る風景  左側の建物が32号館

   12時から研究室で院生のOさんの研究指導。

   1時に卒業生(文構ゼミ3期生)のHさんとiさんが研究室にやってくる。この3月末に卒業して一か月、社会人ほやほやの2人だ。「先生、お久しぶりです」と挨拶されたが、「久しぶり」という感じは私にはない。でも、彼女たちにはそういう思いがあるとすれば、それは彼女たちが3月までの生活とガラリと違った生活を送っているからだろう。人生の新しいステージに立っているということが、彼女たちの時間的な遠近感に影響を与え、わずかひと月前の日々を遠くのものに感じさせるのだろう。とくにいま彼女たちは研修期間の真っただ中で、研修というのは、学生時代と社会人時代の間に明確な区切りを設けるための(学生気分を払拭するための)通過儀礼のようなものであるから、なおさらであろう。

  

  「ずず金」で食事をして、「フロハン」でお茶をする。

  二人は性格が違う。負けず嫌いで活発なHさんとおっとりしているIさん。たぶん性格が違うから仲がいいのだろう。

 

 

  昼間は暖かかったが、すっかり話し込んで、店を出る頃は風がひんやりしていた。馬場歩きの2人とはここで別れた。また、会いましょう。健康管理をしっかりしてくださいね。

   研究室に戻ってしばらく雑用を片付けてから、大学を出る。風がいよいよ冷たくなる。もっと厚手のジャケットを着てくるのだった。

     車中の読書は先日から読み始めた木皿泉『昨夜のカレー、明日のパン』。主人公のテツコとギフの住む家の隣家には元キャビンアテンダントのタカラという女性がいる。

    「タカラは、最近、何をやっても楽しくないということに気がついていた。でも、年をとるということは、そういうことなのかもしれない、とたいして気にしなかった。中堅と呼ばれるようになると、とにかく仕事が忙しく、自分のことはいつも一番最後の後回しになってしまう。上司や部下から信頼されるとうれしく、その実感が、もっともっと欲しくなり、かなり頑張って仕事に打ち込んだ。だから、突然、笑うことができなっくなった時は、何がどうなったのか自分でも理解できなかった。充実した生活を送っていると信じきっていたから、神経クリニックの先生に、「今は、いい薬があるんですよ」と、分厚い薬の見本帳のようなものを見せられて、傷ついた。まさか、自分が、そういう種類の薬をのまねばならなくなってしまうとは思っていなかったからだ。もう終わりだと思った。なのに、先生はネットでTシャツを選ぶみたいに、「小田さんには、こんなのがいいんじゃないかなぁ」とニコニコしながら、薬をすすめる。先生の水玉模様のネクタイに、よく似合いそうな色合いの錠剤を一週間分処方してくれた。」

    感情労働に携わる人たちをリサーチしたホックシールドの『管理される心』の中で、キャビンアテンダントは感情労働の典型として登場する。感情労働というは、接客などの場面で、「心からの笑顔」を求められるようなタイプの労働である。つまり、自分の感情をコントロールするという労働である。私生活で悲しいこと、頭にくることがあっても、仕事の場面ではそれを表に出してはいけない。「心からの笑顔」で接しなければいけない。ある意味、あたりまえの大人の心得のように思えるかもしれないが、感情労働の怖いところは、本当は楽しくないのに楽しいような「ふり」をするというレベルを超えて、本当は楽しくないのに、本当に(心から)楽しくなってしまうというところにあるのだ。感情と人格が分離してしまうといってもよい。通常の感覚では、感情というのは「私」の内部にある。それは内部から自然に発生するものである、と思っている。ところが感情労働に長けてくると、感情が手のひらの上にのっていて、それを見ているような感覚、「ここに私の感情がある」という風に思えてくる。さらに分離が進むと、感情が自分の目の前の空間に浮遊していて、「そこに私の感情がある」という風に見えてくる。自分の感情なのに自分の感情ではないような気分になってくるのだ。そして、ついにタカラさんのように笑うことができなくなってしまう。

   タカラさんの物語は、彼女が自分がひさしぶりに心から笑えていることに気づくところで終わっている。よかった。本当に心から笑えているか、感情が自分のものでなくなってしまっていないか、それは自分の日常生活の健康度をチェックする最重要な項目であるように思う。

   蒲田に着いて、閉店1時間前の「まやんち」へちょっと顔を出し、プリンとマグカップの紅茶を注文して、読みかけの小説を切りのいいところまで読む。

     支払いのとき、新人スタッフのモモコさんに、「私のゼミの女子学生にあなたによく似ている人がいるのです」という話をする。4年生のIさんのことで、昨日、ゼミの後の雑談のときに彼女にもこの話をしたばかりだった。ちょっと年の離れた姉と妹という感じがする。モモコさんは、「学生さんというと20歳くらいですよね。若返ったような気分で、嬉しいです」と笑顔で言われた。たぶん、本当に嬉しかったのだと思う。

   追記:ブログ仲間のカナリアさんが「まやんち」を訪問されたようで、彼女のブログに「まやんち」のアイスクリームのことが書かれていた。

   それから床屋に寄ってから帰宅。

   息子が名古屋から帰っていた。GW中、いるらしい。初任給で家族にプレゼントを買ってきた。祖母には扇子、母親にはバッグ。祖母は大喜び。普段は私が何か身に付けるものをプレゼントしてもそのセンスを問題にして「心からの笑顔」を返さない妻も、素直に喜んでいる(おいおい)。今日から旅行に出かけている姉にも何か買ってきたらしい。父親(私)には注文した品が明日か明後日にこちらに届くらしい。なんだろう。


4月26日(金) 晴れ

2013-04-27 10:21:55 | Weblog

  7時半、起床。パン(ベーグル)、ウィンナー、レタス、紅茶の朝食。

  昼から大学へ。(今日はカメラを忘れてしまった。以下の写真はケータイのカメラで撮ったもの)

  3限は1年生の「必修基礎演習」。教材論文の中から私が書いたものをあらかじ読んできて、グループディスカッションしてもら、グループごとにどんなことが話題になったかを報告してもらう。読むこと、ディスカッションすること、その内容をまとめて報告すること・・・いくつかのタスクが組み合わさって課題であるが、最初の段階である「読む」という課題の遂行が不十分であるという印象を受ける。教材論文はネットで読むことができるのだが、分量のあるものであるから、ダウンロードして、印字して読んだ方がよい。そうすれば書き込みをしながら読むことができる。「なるほど!」と思ったところ、「?」と思ったところに線を引いたり、自分で考えた意見を余白にメモすることもできる。そうやって論文と格闘することである。そうした過程を通してはじめて論文の内容は、あるいは論文を読んで考えたことは、あなたの思考の一部になるだろう。

  4限は空き時間。遅い昼食を「スキッパ」に食べに行く。日替わり定食(メインは鶏肉団子のカレースープ煮)と、食後にチャイを注文。パンケーキがおまけてついてきた。知り合いの方からいただいた粉でやいたのだという。うん、おいしい。お土産に3袋もいただいてしまった。クレープにする場合、パンケーキにする場合、ホットケーキにする場合、それぞれの卵や牛乳の分量について宙太さんから教えていただく。

   「梅花亭」で柏餅とみたらし団子を購入。ついでに「亀井堂」のクリームパンも購入しようと思ったら、本日の分は完売であった。

  5限と6限はゼミ。今日から本格的は発表がスタート。5限は3年生のAんとMさんが報告(テキストの講読と自分が勉強していきたいテーマについて)。6限は4年生のNさんとMさんとN君がゼミ論のテーマについて報告。今日は机をロの字型に配置して、5・6限通して2学年合同で行ったが、6限は同じフロアーに空き教室があるようなので、次回は5限は合同、6限は学年で分かれてやってみよう。その方が3年生は発言がしやすいであろう。


本日のスイーツ

  ゼミが終わったのは8時半。6限は7時45分であるから、7限にだいぶ食い込んだ。それでも8時半である。去年までと比べたら、早い、早い。

  9時ごろま雑用をして大学を出る。夕食は前から気になっていた蒲田の洋食屋「こうらく」で。私が店に入ったとき、客はほかにいなかった。カウンターの中にご主人がひとり。壁のメニューを見て、チキンカツ定食を注文。すると、「ごめんなさい。今日は鶏肉がないんで。買うの忘れちゃって・・・」という。じぇじぇ。それではということで生姜焼き定食を注文。豚肉を細切れにして玉ねぎとからめて焼いているのが特徴である。食べていたら、終盤に来て、ご飯の方が余りそうだったので、しらすおろしを追加で注文する。するとご主人が困ったなという顔をするので、どうしたのかと思ったら、「しらすを切らしているので、なめこでもいいですか」となめこの瓶の蓋を開けながら言う。じぇじぇじぇ。私はしらすおろしは好きだが、なめこおろしはいまひとつである。なのでけっこうです。おかずの足りなくなってしまったご飯の残りは味噌汁をおかずに細々と食べる。先憂後楽ではなく、先楽後優になってしまった。「こうらく」と私との最初の出会いはかようにチグハグなものになった。はたして第2話はあるだろうか。

  10時半、帰宅。

  NPO「健康早稲田の杜」のKさんから1月に受けた人間ドッグの検査結果を観てのコメント(メタボ判定)が届く。2つの項目(腹囲とBMI)で基準値をオーバーしていたものの、メタボには該当しないとのこと。Kさんは私のブログを読まれて私の生活習慣を把握されている。

  「その後お変わりございませんか。ブログではお元気そうですね。血圧、血中脂質、血糖とすべて素晴らしい値です!見ていて気持ちがいいですね。」

  「しっかり歩かれていますね。1日30分以上身体を動かすようにしましょう。ジムに久しぶりに行くと筋肉痛になられてしまいますね。継続は力なりですよ。」

  「食後のデザートの回数を少なくする。」

  「炭水化物が「そば+親子丼」、「もち+うどん」と2つとらないように注意してくださいね。」

  指導がきわめて具体的である(笑)。  


4月25日(木) 晴れ

2013-04-26 08:38:51 | Weblog

 

  8時、起床。ポトフ、ベーグル、牛乳の朝食。 

 

  昼から大学へ。自宅を出て、駅までの道の中間あたりまで行ったところで、定期券を忘れてきたことに気がつき、取りに戻る。

  3限は大学院の演習。さきほどのタイムロスが響いて、5分ほど遅刻。 ごめんなさい。今日は清水幾太郎の二冊目の自伝『私の心の遍歴』(中央公論社、昭和31年)をとりあげて、あれこれおしゃべりをする。Oさんはアマゾンの中古本でこの自伝の初版を購入してきた。2500円ほどしたそうである。なかなか見上げた心がけである。この本の表紙のデザインは恩地孝四郎の手によるもので、清水の著作の中でもっともモダンなものではないかと思う。図書館に入っている本はこの表紙が取り払われている。もったいない。

    授業を終えて、昼食を「メルシー」にとりに行く。前回来たときと同じくタンメンを注文。チャーシューメンからタンメンへ時代は変わろうとしている(?)。

  5限は講義「日常生活の社会学」。今日は90分ちょうどで講義を終わることができた。だいぶ感覚が戻ってきた。

  この講義は38号館AV教室でやっているのだが、同じ教室の4限の授業は講義「メディア論」である。大勢の受講生のいる授業で、内容もエキサイティングなものなのだろう、教室に入ると授業の熱気が籠っていて蒸し暑い。エアコンを入れたり、窓を開けたて外気を入れたりするのだが、なかなか冷めない。今日、教室に来るときに講義を終えた長谷先生とすれ違ったので、「もっとクールな講義をしてね」といっておいた。ちなみに私の講義の後の時間(6限)は38AV教室での授業はないので、いくら熱弁をふるっても大丈夫なのである。今日はミネラルウォーターのボトルをもってくるのを忘れ、授業が終わったときは喉がカラカラだった。

  授業を終わって、同じ5限に演習「現代人と職業」を担当していただいている坂井素思先生(放送大学)を誘って「カフェゴトー」へ行く。 コーヒーだけのつもりだったが、坂井先生、立ち上がって、ケースの中を覗いて、どのケーキを注文しようかと思案されている。ならば私もと坂井先生と同じリンゴとアーモンドのタルトを注文。

  今日は、ジャズと株とヴァイオリンの話をした。坂井先生は学生時代からのジャズファンで、いまでも横浜のジャズ喫茶にときどき行かれる。経済学者としての知識を生かして株をやられている。子どもの頃、ヴァイオリンを本格的に習われていた。ジャズも株もヴァイオリンも私のこれまでの人生には存在しなかった要素である。ジャズは不健全な音楽だったし、株に手を出すことは身の破滅をもたらす所業だったし、ヴァイオリンはお金持ちの子弟が習うものだと思っていた。だから自分とは無縁のもので構成されている人生の物語は興味深かった。

  追記:坂井先生のブログにこのときにことが書かれています。

  8時半、帰宅。夕食をとりながら、坂口憲二・伊藤英明ダブル主演の刑事ドラマ『ダブルス』の第二話を観る(第一話は録画したが観ていない)。まあ、ごく普通のレベルの刑事ドラマですね。たまたま夕食の時間と重なれば観るけれども、わざわざ録画してまで観ようというレベルではない。俳優陣は面白い人が多いのだけれど、脚本に縛られて、与えられたキャラを無難に演じているだけ。俳優が脚本に縛られるのはあたりまえじゃないかというなかれ。最近の例でいえば、『最後から二番目の恋』や『最高の離婚』の俳優たちは、キャラを思い切り楽しんで、徹底的に自分仕様に加工して、演じていた。そういう現場の熱気が伝わってくるドラマだった。

  そんじょそこらのTVドラマよりもずっと面白い物語が、いま、ブログ仲間であるお竜さんのブログ『眺める空に描くもの』で始まった。題して「しごと記」。彼女のこれまでの職業経歴が語られるのだが、読んでいて、思わず「じぇじぇ!」と声が出てしまう。プロの仕事人の話だから、「プロちゃん」というタイトルにしたらどうかと思う。