フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

3月30日(火) 晴れ

2010-03-31 00:00:01 | Weblog

  9時半、起床。朝食はとらず、10時に予約してある歯科医院へ。フィールドノートの読者の方は私が頻繁に歯科医院へ行くことに気づいているであろう。年に一回は定期健診で行くようにしているのだが(虫歯が進行してからいくと治療が辛いから)、今回は昨年の5月に定期健診に行ってから、虫歯の治療のほかに、途中でマウスピースを作ったり、親不知を抜く決断をしたり(かつ抜歯のタイミングが諸般の事情で延び延びになったり)で、ずいぶんと治療が長期化した。しかしそれもついに今日で終わりである。医師が「今日で卒業です」といってニッコリした。もっとも次回の定期健診(年末になるだろう)で「復学」するわけであるが。今日は「武蔵村山さん」に歯の全体を掃除してもらった。ずいぶんと丁寧に時間をかけてやってくれた気がしたが、彼女曰く、「せっかく親しくお話ができるようになったのに、今日でしばらくお会いできなくなるのは淋しいです。新たな虫歯が見つかったらまた来週も来ていただけるので、一生懸命捜したのですが、見つかりませんでした。残念です(笑)」。う~む、Wエンジンのチャンカワイなら間違いなく「惚れてまうやろ~」と(心の中で)叫ぶところだ。「歯の磨き方、本当に上手になりましたよ~」と最後にまたほめてもらう。はい、ばぶ~。帰宅して、朝食兼昼食の炒飯を食べる。
  3時を過ぎた頃、ジムへ行く。筋トレを2セットとウォーキング&ランニングを35分。もり蕎麦一杯分のカロリーを消費。「ヒツジ・キッチン」のシェフに似た人を見かける。ランチタイムが終って、ディナータイムまでの間の時間に、ジムで体を鍛えているのかしら。声を掛けてみようとして、でも、似ているだけで、たぶん別人という気がしたのでやめておいた。私自身が、ジムで知らない人から「ケーキ屋のご主人ですよね」と声を掛けられたことがある。それも一度ではなく二度もだ(しかも別々の人から)。蒲田のどこかに私によく似たケーキ屋さんがいるらしい。酒場のご主人なら出会う確率は小さいが、ケーキ屋のご主人となるとそのうち店先で出会いそうな予感がする。そのとき互いに相手が自分に似ていることに気づくだろうか。ちょっと気まずい空気がその場を支配したりするのだろうか。一日だけ、互いに相手に成りすまして、別の人生を生きてみようかといった話になったりするのだろうか。・・・まさかね。


蒲田陸橋を渡る


もうすぐ我が家      


3月29日(月) 曇り 一時小雨

2010-03-30 13:35:43 | Weblog

  9時、起床。卵焼き、トースト、紅茶の朝食。
  家の前の道でご近所の方と世間話をしていたら、妹さんが私のブログの愛読者である女性(ときどき登場する方です)が通りかかり、「先生、小野竹喬展にいかれましたよね」と聞かれる。「はい、行きましたが」「ちょうど同じ頃に妹も小野竹喬展に参りまして、偶然、先生が買われたのと同じ絵葉書を何枚か買ったそうです。自分は先生と趣味が似ているようだと言っておりました」「そ、そうですか。同じ絵葉書を買ったという以前に、同じ展覧会に行ったという時点で趣味が似ていると考えてよいように思いますが・・・」という会話に始まって、私が通っている歯科医院、「ヒツジ・キッチン」、「ムッシュ・ノンノン」、「グッディ」などブログにしばしば登場する場所が話題に上る。「先日、妹が蒲田に来ましたので、グッディに行きましょうと言ったら、もし大久保先生がいらしたら恥ずかしいと言って、結局、行きませんでした」と言うので、「グッディに入りびたっているわけではありませんから、そんな偶然まずないですよ」と答えながら、なんだか自分が蒲田の不良かチンピラのように思えてきた。
  午後、散歩に出る。朝食が遅かったので、そんなに腹ペコではない。「ZOOT」で味玉ラーメンを食べる。トロリとしてすっきり味の独特のスープである。食後の珈琲は「テラス・ドルチェ」で。

  その後、ジムへ行こうかともちょっと考えたが、空気がかなり冷たいので、シャワーを浴びた帰り道に湯冷めをして風邪を引くといけないので(健康状態良好のまま新学期を迎えたい)、おとなしく自宅に帰って、雀と戯れる。


なで肩ですね

  夜、先日録画しておいた山田太一のスペシャルドラマ「遠まわりの雨」を観る。蒲田の町工場が舞台で、見知った風景がたくさん出てきた。仕事も家庭もパッとしない不器用な男を渡辺謙が好演していた。現代版の高倉健である。山田太一のドラマでは常連とも言える俳優たちがそこここで登場していたのも楽しめた。「中年の恋はドラマのようにはいきませんよ」というメッセージが込められたドラマである。


草平(渡辺謙)が蒲田滞在中に泊まった「ホテル末広」


草平が蒲田での最後の夜に謎の女(YOU)と出会った「豚番長」


3月28日(日) 曇り

2010-03-29 11:02:07 | Weblog

  9時、起床。パン、ピーナッツバター、紅茶の朝食。1次登録の申請状況を見て、何人かの演習担当の先生に電話やメールで定員のプラス・アルファをお願いする。どなたも当方の提案した人数で了承していただけた。ありがとうございます。これで少しでも選外を減らせます。
  午後、散歩に出る。「鈴文」で昼食(ランチのとんかつ定食)。私が暖簾をくぐったのは1時45分であったが(ランチタイムは2時まで)、ほぼ満席で、その後に4人来て、タイムアウトとなった。タイムアウトの後に2人か3人来たが、「すみません、もう終っちゃったんです」と言われていた。
  ユザワヤ11号館(文具・画材)に行って、ノートや手帳を数点購入。私の場合、何か特定の使途があって、その使途にあったノートを捜すのではなく、まず心惹かれるノートがあって、それを購入してから、さて、何に使おうかしらと考える。存在が目的に先立つのである。


「コーネル・メソッド・ノート」(学生の発表を聞くときのメモとか)


インデックス付き手帳(書こうとしている本の章ごとのメモとか)


「ホワイト・レポート」(シンプルな表紙、50シートで160円という安価)


五線譜ノート(ふと心に浮かんだメロディーを書き留めておくためというのは嘘。カラフルな表紙に惹かれて)

  一二三堂で、『月刊テレビジョン』と『婦人公論』を購入。「シャノアール」で読む。

  では、恒例の春のTVドラマ・チェックとまいりましょう。以下は初回は観てみようとチェックを入れたもの。

  月 9時(フジ系) 「(タイトル未定)」 主演:木村拓哉
    いつかの「チェンジ」と同じく、他のドラマより遅れてスタートするのあろう。
 
  火 9時(フジ系) 「絶対零度~未解決事件特命捜査」 主演:上戸彩
    上戸が明るい性格の刑事を演じる。たたき上げの刑事を演じるのは「コードブ  ルー」でガッキーの父親役だった中原丈雄。私はこの人のファンである。

    10時(NHK) 「八日目の蝉」 主演:檀れい
    角田光代の小説のドラマ化。不倫相手の子どもを連れ去って5年半の逃避行をする女を檀れいが演じる。

  水 10時(日テレ系) 「Mother」 主演:松雪泰子
     自分の担任のクラスの女子生徒がその子の母親の恋人から虐待を受けていることを知った小学校教師が、女の子を誘拐して逃避行をする話。ここでも女と少女の逃避行だ。擬似的母子関係を描くには逃避行がもってこいなのだろうか。

  木 9時(テレ朝系) 「同窓会~ラブアゲイン症候群」 主演:黒木瞳
    中学校の30年ぶりの同窓会で再開した4人の男女のラブミステリー。サブタイトルが恥ずかしいが、共演の三上博史に注目したい。

    10時(フジ系) 「素直になれなくて」 主演:上野樹里・瑛太
    ツイッターで知り合った5人の若者たちの群像ドラマ。脚本は北川悦吏子だが、旬の「ツイッター」をもってくるところがかえって野暮ったいと感じてしまのは私だけだろうか。上野樹里に期待。

  土 9時(NHK) 「チェイス・国税調査官」 主演:江口洋介
    国税調査官と脱税コンサルタントの攻防を描く社会派エンターテーメント。脱税コンサルタントを演じるARATAに注目したい。

  日 9時(TBS系) 「新参者」 主演:阿部寛
    東野圭吾の原作のドラマ化。日本橋という下町の警察署の刑事を阿部寛が演じる。共演は黒木メイサ。

    10時(WOWOW) 「パンドラⅡ 飢餓列島」 主演:佐藤浩市
    WOWOWを契約してないと観られませんが、絶対面白いと思います。

  番外 NHKの朝の連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」 主演:松下奈緒
      8時15分からではなくて、8時ちょうどからになるんだね。


小雀のお勧めは「素直になれなくて」のようです。


3月27日(土) 晴れ

2010-03-28 02:39:48 | Weblog

  9時、起床。久しぶりに何も用事の入っていない一日。仕事がらみの用事はもちろんだが、墓参りに行くとか、歯医者さんに行くとか、コンサートに行くとかであっても、何か用事のある一日というのは、その用事を核として、一日が編成されるようなところがある。何の用事も入っていない一日は、その核になるものがない。解放感があるといえばあるし、締りがないといえばない。だらだらと過ごしたいような、そうしてはいけないような、新学期の最初の授業まであと10日というのは、そんな時期だ。
  遅めの朝食はベーコン&エッグ、トースト、紅茶。それから大して間をおかない昼食は朝からバーゲンで出かけていた妻が買って帰ってきた握り寿司。


妻が書斎でネットを始めると必ず小雀がそばに来る

  3時を過ぎた頃に散歩に出る。晴れてはいるが、風は思いのほか冷たい。「シャノアール」に入って、小沼先生からちょうだいした春秋社の宣伝雑誌「春秋」2009年12月号に載っている神谷信行という弁護士が書いた「「影」を切り捨てた男―『砂の器』―」(星の時間の読書会6)を読む。松本清張の原作を野村芳太郎監督が映画にした『砂の器』(1974年)を取り上げて、主人公=殺人犯の和賀英良の殺人の動機を理解しようとする。

  「この映画を観る人の多くは、和賀英良の過去について、「同情」はできても、人を殺すことは許されないという思い抱き、彼に共感することは少ないと思われる。」
  「和賀英良が、自分の成功のために他人を道具とすることに共感できないため、自分の素性を知っている元巡査を殺したことについて弁護の余地はないと短絡する人が多いことであろう。この事件がもし「裁判員制度」による裁判にかけられたとしたら、おそらく裁判員たちも、そう感じるのではないかと思われる。
  しかし、公正な審理のためには、裁判員は「和賀英良」の少年期・本浦秀夫の立場にわが身をおいて、「自分が秀夫だったらどうだったであろうか」という問いを自らに投げかけてみなくてはならない。自分の父がハンセン病に罹り、母を離縁して実家に帰し、父と一緒に巡礼乞食の旅に出、学校を行き過ぎる時に楽しく遊んでいる同年の子どもを羨ましげに見やり、食物の喜捨を求めて戸口に立ち、雨や雪の降る中を父と歩き、一腕の粥を父と分けあって食べ、村の悪童から石を投げられ、意地悪な駐在には村を追われ、そして、純朴な駐在によって父と別れさせられたとしたら、「自分」は、どのような行動をとったであろうか。父と別れて「巡査の子」になることができたか。父を追って巡査の家を出はしなかったか。「ハンセン病は遺伝する」という誤解がまかり通っていた時代、この病気は完治するものであることを知らず、自分の過去を隠して生きることを選ばなかっただろうか。
  このような問いを自分に投げかける時、生まれてこの方の全人生を秀夫少年の人生と付き合わせ、検討することが求められる。」
  「差別される体験を共にした父と別れる時の秀夫の辛さは、言語に絶するものであったろう。秀夫はその辛さを噛みしめたうえ、父と別れて「別の人間」として行きようとしたのである。しかし、“父を断念する”ことの痛みは、あの純朴な巡査に伝わっていなかった。秀夫に食事を勧め、盥で秀夫の体を洗っている時の楽しそうな巡査の顔に、秀夫の痛みへの共感はない。
  秀夫は、父を忘れるのにどれかけの努力をしてきたことだろう。『宿命』という曲は、秘かに父を思って作った曲である。その創作中に、年老いたあの純朴な巡査が突然現れ、「父と会え」と言いに来た。「お前に会いたがっている。頸に縄を付けてでも連れていく」と、年老いた元巡査は鬼のような形相で秀夫に迫った。
  ここで秀夫はどのように思ったか。私は、このように考える。(あの時、父と自分を引き裂いておきながら、今度は「父と会え」と強く迫る。自分がこれまでどのような思いをして父を諦めたのか、この人は何もわかっていない。自分は過去の自分を捨て去り、自分でここまで成功してきた。今ここで、俺の「仮面」を剥ごうというのか。善意の押し売りもいい加減にしろ!!)
  こうして「本浦秀夫」としての憤怒がこみ上げ、「和賀英良」は純朴な元巡査を殺したのだと思われる。
  彼の動機は、このように了解できるのであり、私は十分に和賀英良の弁護は可能であると考える。」

  映画では、純朴な元巡査を緒方拳が演じていた。確かに、神谷が指摘しているように、その純朴な元巡査は、かつて本浦秀夫=和賀英良とその父親を無理矢理に引き離した人であり(それが少年の将来のためだという判断の下に)、いま和賀英良=本浦秀夫とその父親を無理矢理に再会させようとしている人である(それが余命いくばくもない父親のためだという判断の下に)。元巡査が善意の人であることは間違いないが、その善意には独善的な面があり、いや、すべての善意は独善的なものを本質的に含んでいるといってよく、そのことに本人が気づいていないとき(それがほとんどであろう)、善意は脅迫的な力となる。その脅迫的な力からわが身を守ろうとして和賀英良は元巡査を殺害したのであると。なるほど、そう考えると、情状酌量の余地のある殺人である。
  弁護士の神谷がこの文章を書いたのは「裁判員制度」を意識してのことであるが、私が神谷の文章を取り上げたのは、ゼミの学生たちが取り組むライフストーリー・インタビューを意識してのことである。他者が語る人生の物語を「わかる」「わからない」というとき、どれだけ相手の人生の文脈に身をおいて考えているのかということを自問してみなくてはならない。それは「わからない」場合だけではなく、「わかる」場合にも必要な自問である。なぜなら、自分がわかるような仕方で安易に相手をわかってしまっている可能性があるからだ。「簡単に私のことを理解してほしくない」と相手は思っているかもしれない。

  「シャノアール」を出て、「ベルフォセット」にケーキを買いに行く。明日は母の誕生日(83歳)で、全員がそろって夕食を食べられる今夜、一日早い誕生祝をしようということになったのである。


前列左から、タルト・オ・デコポン、抹茶の雫、レアチーズ
後列左から、春のめぐみ、テ・ショコラ、ゆずづくし、フランブラン

  夕食は「オレンチーノ」に食べに行く。私以外は全員初めて。娘が味噌煮込みうどん、あとの者は醤油煮込みうどん。その他に一品料理で、出汁巻き玉子、鶏の唐揚げ、枝豆、塩辛を注文。娘は日本酒の冷やをグラスで。店からのサービスでカボチャと切干大根のおやき。

  今日、妻がケータイを紛失した。auに連絡して、ケータイを使用できないようにしてもらったが、データのバックアップをとっていなかったので、知り合いのケータイの番号やメルアドがわからず、このことを連絡できない。中には私のブログを見ている方もいるようなので、ここでお知らせしておきます。


3月26日(金) 曇り

2010-03-27 02:57:00 | Weblog

  10時、起床。クリームシチューライスの朝食。11時に家を出て、大学へ。蒲田駅のホームで電車を待っているとき、線路の脇の雑草の実をついばむ二羽の雀がいた。街を歩いているときに雀の姿を見かけると、じっと観察する癖がついている。冬を1つ乗り越えて、何度目の春なのだろうか。

  研究室で同志社大学から交換留学で現代人間論系にやってきたAさんと面談。彼女は金沢の出身で、私のブログの金沢旅行の写真を見て、金沢が恋しくなったという。これから1年間、東京で頑張ろうとしている学生に望郷の念を抱かせてしまうとは、罪なブログである。金沢出身の詩人室生犀星は、「ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの」とうたっている。
  同志社のAさんと入れ替わりに院生のAさんがやってきて、研究についての相談。
  2時を回った頃、昼食をとりに外出。朝食がご飯だったので、昼食は「maruharu」のサンドイッチにしようと思う。


maruharu」は馬場下の交差点から高田馬場方面へ20メートルほど行ったところ

  先日のパーティー料理のお礼を言って、本日のサンドイッチとスープを注文する(サンドイッチはホットで)。いい塩加減のポテトとインゲンのスープと、ハッシュドビーフのホットサンドイッチ。ちゃんと調理されたサンドイッチというのは美味しい。デザートに先日のパーティーで食べ損ねたケーキを食べようかと思ったが、イチゴのムースもありますよと言われて、そちらにする。もちろん珈琲も。イチゴのムースは淡い春の味わい。

  「maruharu」はこの夏で開店して2年。お客さんは近所の住人とサラリーマンが中心で、学生さんは期待していたほど来てくれませんとのこと。美味しくてヘルシーだから、もっと戸山キャンパスの女子学生に人気が出てもよいと思うのだが、テイクアウトして食べる場所が校内には少ないのかもしれない。テイクアウト中心で考えていたのだが、実際にはテイクアウトと店内で食べていく人が半々だという。ブログをやっているのですが、写真を撮らせていただいてもよろしいですか、あっ、はい、どうぞ。マダムにカメラを向けると、いえ、いえ、私なんか・・・。もしかしてサンドイッチ屋さんのマダムというのは世を忍ぶ仮の姿で、世間にお顔が出るのはまずいですか?、ハハハ、そんなことはありませんけど・・・。では、お願いします。はい、わかりました。 


「大久保先生のブログを見て来ました」と言えば、マダムの笑顔が増量になります(たぶん)。

  3時に研究室に戻って、左右社のK氏をお迎えして、1時間半ほど放送大学叢書の打ち合わせ。400字詰原稿用紙280枚、締め切りは10月初旬。執筆は夏休みの仕事だが、夏休みに入る前に仕込みは終えていないとならないだろう。


キャンパス夕景

  7時半、帰宅。風呂に入ってから、夕食。今日は餃子だ。一人当たり15個ほど食べる。我が家はみんな餃子が大好きなのだ。
  ビデオに録っておいた『コードブルー』の最終回を観る。今シーズンの『コードブルー』は毎回、名場面集のような構成だった。音楽でいえば、サビの連続のような構成だった。多様な登場人物たちそれぞれに毎回見せ場がある。感動の連続。ただし、感動の連続は感動の弛緩を生む。感動の技法がちょっと鼻についたりもする。山Pの表情と語り口はクールでかっこいいが、少しだけ笑顔も見たかった。
  夜更かしの小雀だが、さすがに11時を過ぎると自分から籠の中に入って、もう寝ようと思いますので、籠に布をかけてくださいとアピールする。よし、わかった、ネンネの時間だ。おやすみ、チュン。