フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

5月31日(土) 小雨

2008-05-31 23:09:00 | Weblog
  今日で5月が終わる。5月は長い。複数の授業それぞれがそれなりに軌道に乗るのにエネルギーを使うからである。一応、どの授業も周回軌道に乗ったようであるが、これからはマンネリズムに注意していかなくてならない。
  午後、来週の授業の準備を一つ済ませてから、東京都写真美術館で開催中の森山大道展を観に行く。今年で70歳になる森山の初めての回顧展である。1965年の『カメラ毎日』に載った「ヨコスカ」から、2005年の写真集『ブエノスアイレス』まで、206点の作品を時系列で展示した、見応えのある展覧会である。既存の写真の常識をくつがえし、且つ、一旦確立した自分のスタイルに長く留まらないという、画家でいえばピカソのような、常に「写真とは何か」を問い続けるその批判的精神の軌跡を辿ることができる。いつものように、一回目はすべての作品を、二回目はとくに印象的だった作品を鑑賞したが、70年代初期の「何かへの旅」と題された北海道を舞台にした作品群にとりわけ心ひかれた。心ひかれた理由は「物語性」(文学的あるいは演歌的世界)ということにあると思うが、それは容易にセンチメンタリズムへと傾斜しやすいもので、森山は自身のそうした気質を承知していて、それを乗り越えたいともがいていたから、70年代後半のスランプ(彼の言葉を使えば「写真との肉離れ」)は陥るべくして陥ったものといえよう。80年代初頭の「光と影」と題された作品群は、スランプからの脱出を告げるもので、庭先に咲く花やころがっている空き瓶を穏やかな光の中で撮ったものであるが、それは「物語性」を排除して、つまり前後の時間から切断された(現前の)その一枚の写真だけで自立する作品をめざしたものであった。それはまるで小さな子供がカメラを与えられて、自分の周囲のあれこれのものにレンズを向けて、無心にシャッターを切ったような作品である。あるいは長らく病床に伏せていた人が、しばらくぶりに縁側に出て、カメラを手にしたときのような、病み上がりの写真である。彼は苦しんだのだのだな、ようやく穏やかに呼吸ができるようになったのだな、と観る者を安堵させる作品である。展覧会は6月29日までやっているので、また来ようと思う。
  夜、ビデオに録っておいた山田太一のスペシャルドラマ「本当と嘘とテキーラ」を観る。最近は、彼の作品は2時間(+α)のスペシャルドラマでしか観られなくなった。2時間というのは映画と同じだから、たっぷりあると思いがちだが、しかし、連続ドラマと違って、起承転結のサイクルが一回しかない。だからすっきりしているが、すっきりしすぎている嫌いがある。一難去ってまた一難というか、寄せては返す漣のというか、昼ドラ的なねちねちしたところがない。登場人物はみなものわかりが早い。言葉で(台詞で)わかりあってしまう。だからどうしてもストーリーがきれいごとに見えてしまう。連ドラのときも山田太一の作品にはそういうところが多分にあって、それが魅力でもあるのだが(私も山崎努のように喋れたら気持ちがいいだろうな)、それでも十数回の話となれば、うだうだしたところもないと話を維持できない。それがリアリティを補填してくれていた。スペシャルドラマはそのうだうだが乏しい。うだうだ自体は嫌いだが、うだうだがないと「あれっ?」と思う。『ふぞろいの林檎たち』の続きが観たいと思う。

5月30日(金) 曇りのち小雨

2008-05-31 02:20:34 | Weblog
  昼から大学へ。昼休み、草野先生担当の基礎演習クラスの学生たち5名が研究室にやってくる。プレゼンテーションで私の教材論文を取り上げるのだそうだ。発表のレジュメもすでに出来ていて、きちんと作ってあるのに感心する。3限の授業が始まるギリギリまで質問に答えた。これだったらもう少し時間をとってあげてもよかったかなと思った。
  3限の授業(日常生活の社会学)では、最後のあたりで全員に質問をして、その回答を出席カードの裏に書いてもらった。ところが、授業後にカードを整理してみると、裏が白紙のものが混じっている。どういうことであろうか。居眠りでもしていたのか、授業が終わる頃に出席カードだけを出しに来たのか、あるいは友人に代返を頼んでおいた(あらかじめ名前と学籍番号を記入した出席カードを渡しておいた)のであろうか。いずれにしろ、出さないほうがマシという代物である。もし友人から代返を頼まれていたのであれば、こういう日は出席カードを出さないことが友人のためであると知るべし。
  「メーヤウ」でTAのI君と昼食(インド風ポークカリーとラッシー)をとる。今日はこの時間帯にしては珍しく混んでいた。どこかのサークルがまとまって来店していたためだが、喫茶店じゃないのだから、食後の長居は無用である。階下のうどん屋「ごんべえ」でもときどきそういう学生や高校生たちがいる。お客が入って来ようとして、混んでいるのをみて回れ右をして帰っていく姿を見て、店に損害を与えているのがわからないのであろうか。野暮である。
  5限の卒論演習はいつものように報告者は3人であったが、質疑応答が活発で、1時間ちょっと延長して、終わったのは7時を過ぎていた。夏休み中の9月中旬に合宿をすることも決まった。ただし、鴨川セミナーハウスを申し込むのだが、抽選に外れる可能性もある。そのときのはどうしよう。集中授業形式(2~5限通し)で大学でやることになるのだろうか。演習を終えて、焼肉屋に繰り出すというのも悪くないかもしれない。 

5月29日(木) 小雨

2008-05-30 01:14:04 | Weblog
  午前中、書斎で仕事をしていると母から電話があり、入院中に行なったさまざまな検査の結果は良好で、日曜か月曜に退院と決まったとのこと。
  昼から大学へ。3限の大学院の演習で使っている36号館の8階の部屋の窓からは雨に煙る早稲田の街並みが見渡せる。地上の喧騒はここまでは届かず、実に静かだ。3時から研究室で学部のパンフレットに載せる写真(論系やコースの運営主任は顔写真が載るのだ)の撮影。カメラマンの他に3名のスタッフが同行で、そのうちの一人は、社会学専修の卒業生のT君だった。私の社会学研究の講義を受講していたそうで、顔は覚えていなかったが(なにしろ大きな教室であったから)、名前は記憶に残っていた。出席カードの裏に質問や感想をよく書いてくる学生の名前は自然と覚えてしまうものなのだ。カメラマンの注文に応じて何枚も写真を撮られる。「はい、いい笑顔です」などとカメラマンにおだてられながら、あれこれとポーズをとる。こういうときは照れていてはダメで、羞恥心を捨て、モデルになったつもりで応じなければならない。はい、頑張りました。
  撮影を終え、「メルシー」で遅い昼食をとる。いつものチャーシューメン(680円)ではなく、一番安いラーメン(400円)にしたのは、夕食までの時間を考えてのことであるが、チャーシューも一枚きりだし、トッピングのメンマやもやしやコーンも乏しく、うら寂しい気分だ。せめてもやしそば(430円)にすべきだった。これが今日の教訓だ。
  蒲田に着いて、グランデュオの案内所で商品券を購入。母の担当の医師へのお礼として母に購入を頼まれたのである。ある世代より上の人は必ずこういうことをする。「テラス・ドルチェ」で珈琲を飲みながら、中村古峡の小説『殻』を読む。忘れられた作家の忘れられた作品だが、漱石の紹介で、『行人』(大正2年)に先立って、東京朝日新聞に連載された長編小説で、当時はかなりの注目を集めた。来週の大学院の演習でT君(学部の4年生)がこれを素材にした発表をすることになっている。
  夜、明日の授業(日常生活の社会学)の資料を作成し、日付が変わる数分前にコースナビにアップロードする。滑り込みセーフ!

5月28日(水) 曇り

2008-05-29 11:55:18 | Weblog
  今日は牧阿佐美バレヱ団の10月の公演「ライモンダ」のチケットの会員先行前売開始日である。一般前売は6月18日からだから、それよりも3週間早く買えるわけで、このために会員になっているのである。昼頃、バレヱ団事務所に電話をして、公演初日(10月24日)のチケット(S席)を予約。「ライモンダ」は中世フランスを貴族の館を舞台にしたお姫様と十字軍の騎士の恋物語で、振付師マリウス・プティバ晩年の作品である。ライモンダはお姫様の名前で、もちろん、24日の舞台でライモンダ姫を踊るのはわれらが伊藤友季子である。
  郵便局へ行って『大菩薩峠』の代金を天牛堺書店古書センターへ振り込み、梅屋敷商店街の喫茶店「亜胡」で昼食(ハンバーグ定食と珈琲)をとってから、病院に母を見舞う。インシュリン注射のやり方もだいだいマスターしたようで、お腹の肉をつまんで刺すのだが、全然痛くないそうだ。おまえも覚えたらどうだというので、それが必要になったときに覚えるよと答える。帰宅して、鉢植えの花たちに水をやる。いつもは母がやっている仕事だ。勝手口に来た野良猫に鰹節と刻んだハムをご飯に混ぜて与える。これも母が毎日やっている仕事だ。なんだか定年後の人生の気分がする。
  夜、泉鏡花の戯曲『夜叉ケ池』を読む。面白かった。中里介山『大菩薩峠』の連載がスタートしたのと同じ大正2年の作品である。急速に都市化が進んでいた時代に、峠や山奥の池を舞台にした作品が書かれていたというのは単なる偶然ではないだろう。実際、柳田国男らの『郷土研究』が創刊されたのもこの年である。社会学を専門にしていると、ついつい都会を舞台にした作品にばかり目が向くが、都会と農村、中央と周辺、未来と過去、現世と異界、革新と保守、そういったさまざまな軸の上での微妙なバランスを保ちながら、社会は変動していくのであろう。

5月27日(火) 晴れ

2008-05-28 03:21:22 | Weblog
  昼から大学へ。3限の「現代人間論系綜合講座1」は、前半が、安藤先生のシリーズ(近現代日本の小説に見る「私」の構築)の最終回のお話。続いて、私が安藤先生のお話にコメントを述べるという形で、安藤先生がシリーズの中で取り上げた全作品(夏目漱石『三四郎』、島崎藤村『破戒』、田山花袋『蒲団』、小林多喜二『一九二八・三・一五』、小島信夫『抱擁家族』、庄野潤三『夕べの雲』、吉本バナナ『キッチン』『満月』、三田誠広『僕って何』、村上春樹『ノルウェイの森』、田中康夫『なんとなく、クリスタル』、増田みず子『シングル・セル』、綿谷りさ『蹴りたい背中』)について、私なりの(社会学的な)視点で再解釈を行なった。安藤先生のお話は社会学的な文学研究で、私の話は文学的な社会学研究である。両者は重なるところもあるが、ずれるところもある。その辺りのことが学生にうまく伝わったであろうか。ただ、こういうのは、一種の後出しジャンケンのようなところがあり、後から話をする方が有利なのである。先手の有利は取り上げる作品を指定できることであるが、今回については、私もすでに読んでいる作品がほとんどであったため、戸惑いはなく、先手の指し手(解釈)を見てからそれを批判的に検討できるという後手の有利だけが残った。授業の後、安藤先生が「美味しいところをもっていかれちゃったな・・・」とぼやいておられたが、確かにそういうところはある。すみませんね、安藤先生。来週登場される草野先生(今回はフロアーで聴講されていた)は、文学的な文学研究を展開されるはずで、文学作品を「資料」として取り扱う(今回の)安藤先生や私のやり方は踏襲しないだろう。とりあげる作品はドストエフスキー『白痴』とのこと。草野先生が書かれた『ロシア恋愛小説の読み方』(NHK出版)を読んで予習しておこう。授業後、「フェニックス」で安藤先生、TAのI君と雑談。この雑談が、ここでは書けないようなことばかりで、なかなか面白いのである。イギリス文学というのはゴシップが重要なジャンルなのであろうか。
  帰途、丸の内の丸善に寄る。文房具コーナーをひとわたり見てから(もうモールスキンの2008年7月始まりのスケジュール帳が出ていた!)、店内の喫茶店で休憩する。読むべき本を持ち合わせていなかったので、Ian Burkitt(2008)Social Selves:Theories of Self and Society.Sageを購入。オレンジフロートを飲みながらパラパラと読む。その後、若島正『ロリータ、ロリータ、ロリータ』(作品社)を購入し、電車の中で読む。彼自身が翻訳をした『ロリータ』の研究書だが、最初にナボコフの創作したチェスの次の一手問題の分析から始まっているのがいかにも若島らしい。若島は若い頃、詰め将棋の作家としてアマチュア将棋の世界ではよく知られた人物である。将棋がほとんど唯一の趣味であった学生時代の私は、京都大学の数学科に若島という将棋の強豪がいることを知っていた。その彼が、大学院進学のときに英文学に転じたことを知って非常に驚いた記憶がある。なんで数学から英文学なのだと。もしかしたら若島自身がそのことをどこかで書いているのかもしれないが、私は知らない。しかし、それを知らなくても、その後の若島が英文学の世界で素晴らしい仕事をしてきたことを知っていればそれで十分だ。それにしても、この『ロリータ、ロリータ、ロリータ』は詰め将棋作家であった若島の面目躍如たるものがある。

  「というわけで、『ロリータ』のすべてを論じ尽くすという意図は本書にはまったくない。その代わり、目標は小さく設定し、『ロリータ』のごく一部、新潮文庫版でわずか五ページ足らずの一節を、徹底的に精読する。それはあくまでも読みの実践例であり、ナボコフを、あるいは『ロリータ』をどのように読めばいいのか、一つの方向性と方法を提示するものである。『ロリータ』全体は文庫版で五〇〇ページ以上あるから、ここで示すような精読を一〇〇倍以上積み重ねて、初めて全体が見晴らせる場所に到達できるのだとご了解いただきたい。中間報告にすぎないわたしの実践例を一つのサンプルとしながら、読者が自分の力で『ロリータ』の読み直しにとりかかる。そんな動機付けに本書がなれたとしたら、わたしはそれだけで満足である。」(15頁)

  これが文学的な文学研究の姿勢であるとすれば、社会学者ジンメルの真似をするわけではないけれども、私は文学者にはなれそうもない。いかなる意味でも文学者にはなれそうもない。