フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

2004年8月(後半)

2004-08-31 23:59:59 | Weblog

8.15(日)

 明け方からひさしぶりの雨が降って、涼しい一日になった(東京の真夏日の連続記録は40日で止まった)。今日は妻の父親の誕生日で、妻は鷺沼の実家に朝から出かけた。雨は午後には止み、娘は高校時代の友人たちと六郷の花火大会に出かけた。私も散歩に出た(息子は自宅で過ごすのが好きらしい)。栄松堂で、小谷野敦『俺も女を泣かせてみたい』(筑摩書房)、角田光代『All Small Things』(講談社)、『デザインステーショナリー』(枻出版)を購入。「五右衛門」で昼食(タラコとシメジと湯葉のスパゲッティ、珈琲)をとりながら、買ったばかりの本に目を通す。小谷野の歯に衣着せないエッセーは面白く、角田の連作恋愛小説は洒落ていて、美しいデザインの文房具の写真は眺めていて飽きない。喫茶店であれば珈琲一杯でもっと粘るのだが、レストランではそういうわけにもいかない。蒲田は本屋は充実しているのだが(有隣堂、栄松堂、熊沢書店、紀伊国屋)、残念ながらロディアを買える文房具店がない。今日も栄松堂と同じフロアーにある文房具店でA5サイズのロディアを買おうと思ったのだが、A4サイズのものしか置いていなかった。有隣堂の文房具コーナーではロディアは扱っていない。ユザワ屋の11号館も覗いてみたが、国産の安価な文房具しか置いていない。ロディアに似たものならある。しかし、たとえば、用紙を綴じているホチキスの針の先の処理一つをとってみても、ロディアは表面に出ないような処理をされているが、まがい物は表面に出ている。机の上に置いて使ったら机の表面に細かい傷ができるし、手のひらに持って使っていたら何かの拍子に怪我をするかもしれない。そういうことである。蒲田の街の今後の発展は、案外、こんなところにかかっているのではなかろうか。

 

8.16(月)

 オリンピックのTV放送をかけながら、本を読んでいたら、就寝が午前5時になってしまった。今日は昼からギデンズ『社会学』の読書会があるので、午前9時には起きる。寝足りないが、しかたがない。日本人選手の活躍も痛し痒しだ。午後1時から4時半頃まで、Oさん持参の船橋屋の葛餅を賞味しつつ、読書会。狩猟採集社会から産業社会までの社会類型の変遷を論じた第3章と、ゴフマンやガーフィンケルの理論を用いて日常の相互作用行為を分析した第4章を読む。抽象度の高い説明と具体的な(そして有名な)研究例の紹介の組み合わせが絶妙。版を重ねているだけのことはある。帰路、日本橋の丸善に寄って、いろいろのサイズのロディアをまとめ買いする。これで一安心。それぞれのサイズのロディアに一番ふさわしい使い方は何か。それはこれから考えよう。ロディアに関しては、存在が目的に先立つのである。

 

8月17日(火)

 オリンピックのTV放送を観ていると仕事にならないので、書斎のTVのスイッチはずっとオフにしている。しかし、居間のTVでオリンピック番組を観ている妻が、何か新しい展開があると、「愛ちゃんが3回戦を勝ったよ」とか、「ソフトボールはカナダにも負けちゃった」とか、逐一報告に来るので落ち着かない。それにしても男子体操の団体戦の戦いぶりは見事だった。首位を争っているルーマニアや米国の選手が、終盤、プレッシャーからミスを連発していたのとは対照的に、日本の選手は「最後に勝つのは自分たちだ」と確信しながら演技をしていたように見えた。ルーマニアのエース、ドラグレスクは「日本には抜かれるだろう。技のレベルが違う」と思っていたと試合後に語っていた。東京オリンピックの団体戦優勝メンバーの一人、早田卓次(日本体操協会副会長)は「体操日本の復活というより、僕たちを超えてしまった」と感想を述べている。どちらも正直な感想であろう。一方、連覇を狙って5位に終わった中国チームの最年長選手、黄旭は「失敗しなければ我々が勝っていたはずだ」と語っていた。「負けなければ勝っていた」というのとほとんど同じではないかと思うが、悔しい気持ちはよく伝わってくる。北京オリンピックの体操競技場の異様な熱気がいまから予想できる。ところで、男子体操団体戦の優勝で日本は今大会5個目の金メダルを獲得したとメディアは伝えているが、団体戦のメンバー6人には一人一人に金メダルが授与されたのだから、獲得した金メダルは合計10個と考えてはいけないのでしょうか。

 数と言えば、土星に新たに2つの衛星が確認され、これで土星の衛星は33個になった。一体、いつの間にこんなに増えたのだろう。私が子供の頃、土星の衛星は9個であった。天文少年であった私は、その9個の衛星の名前を全部諳んじることができた。ミマス、エンケラドス、テチス、ディオーネ、レア、タイタン、ヒペリオン、ヤペタス、フェーベである。他の子供たちが太陽系の9個の惑星の名前を太陽から近い順に全部言えるかどうかを競っていたときの話だから、「レベルが違う」こと体操男子団体戦における日本チーム以上のものがあった。思えばよい時代であった。いまでは33個ですかね(ちなみに木星の衛星は61個。これも私が子供の頃は12個だった)。とても覚えられません。そもそもちゃんと全部に名前が付いているのだろうか。・・・・いま、インターネットで調べたら、ちゃんとした名前の付いている土星の衛星は18個で、今回発見された2個を含めて残りの15個の衛星は暫定名称(たとえば「S/2000S1」。これは「2000年に発見された土星の衛星のうちの最初の1個」の意味)しか付いていないことが分かった。命名する方も食傷気味なのかもしれない・・・・というのは冗談で、軌道の最終的な確認作業が済んでいないのであろう(後記:2003年7月の国際天文学連合年次会議でさらに土星の12個の衛星に正式名称が付けられたので、現在、暫定名称の衛星は3個である)。

昔から衛星の名前はギリシャ神話の登場人物の名前にちなんで付けられていたが、惑星探査機や宇宙望遠鏡の登場で新しい衛星がどんどん発見されるので、ギリシャ神話だけでは対応しきれなくなったのか、天王星の衛星にはシェークスピアの作品の登場人物の名前(ジュリエット、オフェーリア、コーディリア・・・・)が使われている。原則として新しい天体の名前は発見者に命名権があるので、今後、日本人が発見者となって日本の文学作品の登場人物の名前の付いた衛星というものが誕生する可能性はある。その場合、いくら発見者が村上春樹のファンであっても、「ボク」とか「ネズミ」とは命名しにくいであろうし、「カフカ」では日本文学に由来する名前ではなくなってしまうから、やはり『源氏物語』の登場人物の名前ということになるのではなかろうか。星の名前で「ヒカル」。これ以外にはないでしょうね。・・・・と無駄話をしていたら、たったいま、女子柔道63キロ級の谷本歩実が6個目(私流の計算では11個目)の金メダルを取った。おめでとう! 新しいスターの誕生である。

 

8.18(水)

 高温多湿強風の一日。寝不足のせいもあって、夏バテ気味。一歩も外に出ずに過ごす。このところ一日の最初にギデンズ『社会学』の1つの章を読むのが習慣になっている。二文の学生とやっている読書会のテキストだが、頭の朝の体操としてちょうどよい。開業医が、初心に返って、医学総論の教科書を読むようなものである。昼食の後、昼寝をして、内田隆三『国土論』(筑摩書房、2002)を読む。570頁の大著。同じ時期に出た960頁の大著、小熊英二『〈民主〉と〈愛国〉』(新曜社)の陰に隠れてしまった感があったが、二十世紀の日本の持続と変容を独特の視点から論じたとても読み応えのある本である。しかし、如何せん今日は腹に力が入らない。

 

8.19(木)

 湿度は昨日ほどではないが、高温強風の一日。朝食も昼食もお粥、夕食はおじや(卵とシラス干し入り)。上司小剣(かみつかさ・しょうけん)らが明治39年11月に創刊した『簡易生活』という雑誌を読む。

 「生活を簡易にするのは、人生の幸福を得る早や路です。此の雑誌は日常の生活を簡易にして、しかも趣味と快楽とをうしなわないやうにする方法を説いたものです。一層わかり易く伝へば、手軽に面白く此の世を送る道しるべです。/併しながら、此の雑誌は貧しき人に向つて、アキラメ主義を説くのでは無く、富みたる人に向つて、シワンボウを教えるのでも無く、最も堅実に、最も穏健に、最も痛切に、進歩したる生活法を研究するのです。」

 「シワンボウ」とは「けちん坊」の意である。前年にシャルル・ワグネル『単純生活』が翻訳されているので、雑誌のタイトルはそれを拝借したものだが、ワグネルがあくまでも資本主義社会の枠内で余計な物を持たない生活、余計な関係を絶つ生活を主張しているのに対して、小剣は究極的には「共同生活」の実現をめざす社会主義運動の一環として「簡易生活」を位置づけている。

 「人は幾十年、幾百年の後に於いて、大いなる家を建つるを目的として、杉の苗を植ゑざるべからざるとゝもに、また明日喰うを目的として、糠味噌の大根をも漬けざるべからず。杉の苗を植うる人はえらきに相違無きも、糠味噌の大根を漬ける人、また捨つるべきにあらず。我輩は当分の中、糠味噌の大根を漬ける人に満足せんと欲す。」

 で、具体的にどういうことを主張しているのかというと、小さな家に住もうとか(家賃が収入に占める比率が大きすぎる)、玄関なんて余計なものは廃止しようとか(来客は縁側で応対すればよい)、内湯なんていらないとか(銭湯で十分)、そういったことである。実際、彼自身が雑誌の刊行と相前後して、小さな家に移り住んで、玄関を物置兼子供の遊び場に改造し、簡易生活を開始している。

 「前の家では、妻に向つて、『奥様今日は如何さまで・・・・』と恐る恐る云つて、高いものを売りつけて居た八百屋が、今度の家では『おカミさん、小松菜を買つてくんないか。負けておくぜ、』と云ふ調子である」と、小剣は面白がって書いている。妻の雪子も「簡易生活日記」を連載している。思想と生活の解離がないところが立派だ。ただし、小さな家での生活は二ヶ月しか続かず、『簡易生活』も六号をもって終刊となった。雑誌を発行するということ自体が簡易なことではなかったようだ。

 

8.20(金)

 生協文学部店で本を立ち読みしていたら、どこからかロック・ミュージック(エレキギターとボーカル)が聞こえてきた。書店でウォークマンをこんな大きな音量で聴いているのは一体どこのどいつだと音のする方に目を向けたが(私の側にいた学生もやはり訝しそうに音のする方に目を向けていた)、そこには誰もいない。あれっ? と思ってよく見ると、入口の横にCDラジカセが置かれていて、それが「真犯人」であることが判明した。店内にロック・ミュージックを流すとは・・・・。書店は図書館ではない。だから静寂である必要はない。音楽を流すのもよいだろう。しかし、ロックであの音量はないだろう。もしかして新手の立ち読み防止策だろうか。ほら、カラスの嫌いな音を流してカラスを追い払うやり方があるじゃないですか。あれですよ、あれ。効果はてきめん、長居は無用と、購入を決めた本を一冊だけもってカウンターに行った。いままで私は店内でウォークマンを大きな音量で聴いている学生がいたら注意してきたのだが、これからはもうそれはできなくなる。レジの人に「この音楽は書店で流すには不向きだと思いますが」と言ってみたが、「そうですか?」と言われてしまった。私の感覚がおかしいのだろうか。

 

8.21(土)

 午前中、内田隆三『国土論』の「成長と神話」の章を読んでいて、家を出るときになっても読み終わっていなかったので、鞄に入れて家を出る。ところが土曜日にもかかわらず、京浜東北線の車内はけっこう混んでいて、この大部の本を立ったまま読むことになった。読みながら本に書き込みをするのだが、電車が走っているときは車体が揺れて書き込みがしにくいので、電車が駅に停車している間に一生懸命書き込みをする。なかなか骨が折れる。途中で、目の前の優先席が空いたので、周囲に優先されるべき人がいないことを確認して、腰を下ろす。

 社会学専修を卒業して5年目、いまソニーマーケティングの宣伝部で働いているYさんが研究室にやってきた。大学時代から通っているバレエスクールが高田馬場にあって、お稽古前の時間に立ち寄ってくれたのだ。先日、たまたま私のホームページをのぞいたら、バレエの話が載っていて、嬉しくなったらしい。ふ~む、どこで誰が読んでいるかわからないものである。実は彼女、去年の暮れに練習中に膝を怪我して、手術を受け、ようやく最近になって練習を再開したのだという。怪我のために海外公演に行けなくなったことは、「人生で初めての挫折でした」とのこと。でも、27歳まで挫折らしい挫折がなかったというのも珍しいのではなかろうか。私がそれを言うと、Yさんは「そうですね」と神妙な顔で頷いた。それから場所を「カフェ・ゴトー」に移して、バレエのお稽古の時間になるまでおしゃべりをした。

 

8.22(日)

 散歩の途中で近所のラーメン屋に入る。ここは「180円ラーメン」が謳い文句の店なのだが、安い店というのは味もチープという先入観があって、入るのは初めて。メニューにカレーラーメンがあったので、注文する。以前から不思議に思っていたのだが、普通のそば屋にはカレー南蛮(そば・うどん)があるのに普通のラーメン屋にはカレーラーメンがない。ラーメンは醤油ラーメン、塩ラーメン、味噌ラーメンの3種が基本メニューで、カレーラーメンというのは変わり種というか、むしろ邪道扱いされているような気がする。普通の中華料理屋におけるソース焼きそばと似たポジションと言ってもいいかもしれない。カレーラーメンは280円。それでも安いことに変わりはない。調理場はカウンターの向こう側で、見習いのおじさんといった感じの人が作っている。指導にあたっている人から、「かき混ぜないと固まっちゃうからね」とか言われている。カレー粉のことを言っているのだろうか。客を不安にさせるやりとりであったが、「はい、おまちどうさま」とカウンター越しに渡されたカレーラーメンは、トッピングは最小限(小さなチャーシュー1枚、メンマ少々)で見た目の魅力は乏しいものの、肝心の麺とスープはちゃんとしていた。スープを全部飲み干すと、器の底から溶けきらなかったカレー粉の小さな塊がいくつか現れたが、まあ、この程度はノープロブレムでしょう。見習いのおじさん、頑張って下さい。

 TSUTAYAで松田優作主演の『人間の証明』(佐藤純也監督、1977年)を借りて観た。いま放送されているTVドラマ版と違うのはもちろんだが、原作とも違うんだね。原作では八杉恭子は家庭問題評論家だが、映画版ではファッションデザイナーになっている(TVドラマ版では県知事選挙候補者)。多数の黒人モデルを使ったファッションショーの場面にかなりの時間をかけている。家庭評論家よりファッションデザイナーの方が「映像的」だと考えてのことと思うが、いかにも安易な、あるいは角川映画な発想である。現在の成功を守るために突然目の前に現れた過去の自分を知る人間を殺すという物語は、『砂の器』(野村芳太郎監督、1974年)や『飢餓海峡』(内田吐夢監督、1964年)と同じだが、その二作の重厚さに比べて、『人間の証明』はいかにも軽く、ちょっと予算をかけた火曜サスペンスドラマという感じである。でも、出てくる俳優が懐かしいので十分に楽しめる。

 

8.23(月)

 近所の歯科医院に定期検診に行く。虫歯はなかったが、昔被せた金属が外れやすくなっている箇所があったので、新たに型を取って、作り直すことになった。少し歯を削る。「痛かったら左手を挙げて下さい」と言われ、実際、少し痛かったが、男の子なので我慢する(うっかり手を挙げて、麻酔の注射をされるのが嫌だったのだ)。いったん帰宅してから、自転車に乗って郵便局に行く。今日の気候は避暑地の夏の終わりのようにさわやかだ。女塚通り商店街が旧軽銀座のように思えなくもない。「ルモンド」でサバランとエクレアを買って帰る。

 黒沢明が1947年に作った『素晴らしき日曜日』をビデオで観る。敗戦後間もない東京の風景だけでも一見の価値があるが、結婚を約束した若いカップルにとって、住宅問題がどれほど切実なものであったかがよくわかる。後期の「社会学研究10」は戦後日本の人生の物語がテーマだが、この映画は教材に使えそうだ。人生の物語の半分は幸福の物語であり(もう半分は成功の物語)、幸福の物語の主要な舞台は家庭で、家庭の物質的側面は住宅であるからだ。焼け跡のバラックから始まって郊外の一戸建住宅まで、幸福な家庭の実現と自宅の購入はしばしば表裏一体のものとして認識されてきた(マイホーム主義)。いや、それだけでなく、立派な家に住むことは成功の指標でもあった。以前、朝のワイドショーに「宮尾すすむのニッポンの社長」という人気コーナーがあったが、その中で宮尾は社長のお宅を拝見して喚声をあげるのを常としていた。類似の番組、企画はいまでもたくさんある。戦後も60年になろうとしているが、住宅への欲望は衰えていない。

 

8.24(火)

 新聞に石川真澄『戦後政治史 新版』(岩波新書)の広告が出ていたので、昼食の後、栄松堂に買いに行く。同じコーナーに置いてあったちくま新書の新刊も2冊購入。水谷三公『丸山真男―ある時代の肖像』と加藤秀一『〈恋愛結婚〉は何をもたらしたかー性道徳と優生思想の百年』。同じフロアーの文具店をのぞいたら、舶来物の2005年の手帳が入荷していた。ずいぶんと気の早い話だ。フライングじゃないのか。来月になれば国産の手帳やカレンダーも店頭に並ぶに違いない。そうなるとなんだか10月、11月、12月が消化試合のような気分になる。

帰りに誠竜書林で3冊100円の文庫本を購入。山本周五郎『さぶ』(新潮文庫)、吉行淳之介『技巧的生活』(新潮文庫)、源氏鶏太『二十歳の設計』(集英社文庫)。いずれも1960年代に書かれた小説である。文庫本自体の出版年は『さぶ』が一番古く(1972年)、売り物にできるギリギリの痛み具合である(頁が一枚取れて挟んであるし、表紙は湿気を吸ってゴワゴワしている)。しかし、先日読んだ瀬尾まいこ『図書館の神様』の中で『さぶ』の話が出てきて印象に残っていたのと、書き出しの一行、「小雨が靄のようにけぶる夕方、両国橋を西から東へ、さぶが泣きながら渡っていた。」というのが気に入って、購入することに決めた。

 将棋の木村義雄十四世名人の自伝『将棋一代』の書き出しの一行は、「十二歳の少年が、父に連れられて、両国橋を渡った。」である。ただし、彼はさぶとは反対に、両国橋を東から西へ、つまり現在の墨田区両国から中央区東日本橋の方へ渡ったのである。両国橋という名前は武蔵の国と下総の国をつなぐ橋であることに由来する。江戸の下町の庶民の目から見ると、橋の東側は「川向こう」、すなわち場末であった。本所の下駄屋の息子である十二歳の木村少年が、「父に連れられて、両国橋を渡った」のは、プロ棋士の入門試験を受けに行くためであった。大正6年のことである。両国橋を東から西へ渡ることは、社会の周辺から中心への道を歩むことであった。それから2年後の大正8年の6月、清水幾太郎(当時11歳)の一家は家財道具を積んだ馬車の後について、両国橋を西から東へ渡った。「父にとっても、私にとっても、これは最初の引越しであった。単なる引越でなく、落ちて行くような引越であった。橋の途中で、妹は、『いつ日本橋へ帰るの』と私に聞いたが、私は聞こえない振りをしていた」(『わが人生の断片』)。引越は、一家が日本橋薬研堀で営んでいた家業の竹屋を廃業し、本所で新しい商売(洋品店)を一から始めるためであった。「橋を渡る」という行為にはドラマがある。ちなみに、さぶは日本橋小舟町の経師屋「芳古堂」の奉公人で、おかみさんに叱られて、店を飛び出し、葛西にある実家に帰ろうと両国橋を渡ったのである。

 

8.25(水)

 8月も残り少なくなった。一年は12ヶ月だから月末も12回あるわけだが、8月の終わりと12月の終わりは格別の感慨がある。「夏が終わる」という思いと、「一年が終わる」という思いである。「夏が終わる」というのは、もの悲しい。「一年が終わる」というのはしみじみとした気分にはなっても、もの悲しくはない。むしろ年末の街は活気にあふれている。しかし、8月の終わりの街は、縁日の屋台が後片づけを始めたときのような、それまでの非日常的気分が急速に色あせていくような、もの悲しさがある。こればかりはいくらサザンオールスターズやチューブの曲を店頭で流しても、いかんともしがたい。日の暮れる時刻が早くなってきたなと思いながら、散歩に出る。ブックオフ蒲田東口店で、岡田恵和『君の手がささやいている』(テレビ朝日、1999)、北杜夫『マンボウ阪神狂時代』(新潮社、2004)、土屋賢二『ツチヤの軽はずみ』(文藝春秋、1999)、氷室冴子『冴子の東京物語』(集英社、1989)を購入。岡田のシナリオ本(550円)以外は100円コーナーにあったもの。岡田の『彼女たちの時代』のノベライズ本(フジテレビ出版から1999年に出た)を探しているのだが、なかなか出くわさない。そんなに昔の本ではないが、もう版元に在庫はなくて、けれどちゃんとした古本屋が扱うような本ではない(「日本の古本屋」のサイトに登録されていない)、・・・・そういう本というのが一番探すのが難しいのだ。

 

8.26(木)

 午後、研究室で仕事をしていると、誰かがドアをノックした。丸善の営業のFさんだった。いまの時期、わざわざ大学の研究室に来て仕事をする文学部の教員は少ないから、営業の方にはお気の毒である。「モダニティ」をキーワードにして作成した社会学文献のリストを頂戴する(もっとも「モダニティ」というのはキーワードとしてはいささか大きすぎて、「モダニティ」とかかわりのない社会学の文献というのは珍しいのではないかと思うのだが・・・・)。椅子を勧めて、しばし雑談をした。9月14日に東京駅丸の内北口の旧国鉄本社跡地のオフィスビルの中にオープンする丸善本店のことも話題になった。私は通勤のとき、丸の内北口を出て東西線の大手町駅までそのビルの横を歩いているので、今回の移転は大歓迎である。ビルの1階から4階に丸善が入るそうで、総面積1750坪は国内最大級とのこと。最近の大型書店は、万引きの防止のためもあってか、書棚の背が低いところが多いが、パンフレットに描かれた室内予想図では書棚の一番上の段は踏み台を使わないと手が届かないくらいの高さになっている。これならただフロアーが広いというだけでなく、本の量も大したものだろう。現在の日本橋本店の洋書コーナーは、子供の絵本か何かのコーナーに圧迫されて、ずいぶんと貧弱なものになっているが、丸の内本店では「洋書の丸善」の面目を取り戻すらしい。Amazonなどのネット販売で洋書が手軽に安く入手できるようになったとはいえ、一冊一冊実物を手にとって吟味できる場所というのはこれからも必要だ。気になるのは、日本橋丸善4階の喫茶コーナーの名物のハヤシライス(丸善が元祖とされている)はどうなってしまうのかだが、これは丸の内丸善4階のカフェに引き継がれるそうだ。それはよかった。

 夜、「食わず嫌い王決定戦」を観る。今日のゲストは香取真吾と田中麗奈で、香取の嫌いなものは茄子のみそ汁、田中の嫌いなものはトムヤンクンだった。私はこの番組のファンで、もし自分が出演することになったら(絶対にありえない話なのだが)、どういうメニュー構成にしようかとよく考える。私が苦手なものは「セロリ」以外にはないのだが、他の3品が「ヒレカツ」「天ぷら」「鮨」であったら番組にならないであろうから、それらしいもの(人によって好き嫌いが分かれそうなもので好きなもの)を混ぜないとならない。「タイ風レッドカリー」「レバニラ炒め」「鰹のたたき(ニンニクで)」なんかはどうだろう。あるいは、「あんドーナツ」「子羊のロースト」「蜜柑の缶詰」なんていうのはどうだろう。はたまた、「らっきょう」「浅蜊の佃煮」「生卵かけご飯」なんていうのは・・・・これはやはり地味過ぎるだろうか。と、思案は続く。

 

8.27(金)

 小谷野敦の新刊『すばらしき愚民社会』(新潮社)を読む。「○○は近代の産物だ」という言い方を社会学者はよくする。もちろん私もする。しかし、本当にそうだろうか、と小谷野は問う。そう断定できるほどあなたは前近代(近世)の社会のことを知っているのかと。

 「私は「恋愛」の研究をしてきて、日本の社会学者などの議論の多くが、西洋における恋愛の近代化の研究を参照した後、突如日本の近代を論じはじめることに驚き呆れてきた。何度も書いたことだが、具体的に言えば、橋爪大三郎の『性愛論』(岩波書店)や加藤秀一の『性現象論』(勁草書房)、上野千鶴子の一連の仕事などである。のみならず、西洋文学者あるいは日本近代を専攻する学者の仕事もおおむねこんなものだ。私が高く評価している井上章一の仕事でさえ、前近代を参照せずに「近代においては」と述べる弊を免れておらず(たとえば『美人論』朝日文芸文庫)、私の指摘で井上はその点を反省してさえいる(『キリスト教と日本人』講談社現代新書)。・・・・(中略)・・・・日本特有の問題として、近代の始まりが、明治維新という形であまりにはっきりとしているためか、ある種の学科において、近代ばかりを重視する傾向があり、それは八〇年代以降の、フーコーの近代化論や柄谷行人の『日本近代文学の起源』(講談社文芸文庫)の影響で、さらに強まった。ドイツやイタリアが近代国家として成立したのが日本と同じ頃だと言っても、その国の人文・社会科学者が、ナポレオン戦争やゲーテやローマ教皇についてほとんど知らないなどありえない。けれど、日本ではそれがありえてしまうのだ。」

 お説ごもっとも。私は学部に入学した当初は、日本文学の研究を志していて、とくに短詩型文学(短歌・俳句)に興味があったので、俳諧関係はそこそこ詳しいが、漢詩や浮世草子はちゃんと読んだことがない。歌舞伎や人形浄瑠璃のこともよく知らない。江戸の食生活については『鬼平犯科帳』を通じて知っているに過ぎず、一般庶民があんな旨そうなものを毎日食べていたとは到底思えない。それなのに「近代日本における人生の物語」なんかを論じている。反省せねばなるまい。とりあえず、山本周五郎の『さぶ』を読もう(って、これ、あまり反省したことにならないか)。

 

8.28(土)

 雨の降る、涼しい週末。吉川弘文館の「歴史文化ライブラリー」の一冊、藤野敦『東京都の誕生』(2002)を読んだ。江戸が東京と改称された慶応4年(1868年)7月17日からではなく、小田原攻めを終えて秀吉に関東転封を命じられた徳川家康が江戸に入った天正18年(1590年)8月1日、後に「八朔」(はっさく)と呼ばれる江戸幕府公認の江戸の誕生日から話が始まっている。近世を踏まえて近代を考える必要は、昨日、私が小谷野敦から学んだ点であるが、それをさっそく実行に移すところ我ながら殊勝である。明治以降の東京という都市の変貌については、越沢明の『東京の都市計画』(岩波新書)と『東京都市計画物語』(ちくま学芸文庫)、藤森照信『明治の東京計画』(岩波同時代ライブラリー)に詳しくかつ興味深く述べられているが、江戸および江戸から東京への移行期の話はそこでは語られていない。『東京都の誕生』はその部分の記述が厚い。たとえば、江戸に堀が多いのは城内への敵の侵入を防ぐためだけではなく、低湿地の排水を兼ねていたからだという記述には、「あっ、そうか」と思った。参勤交代の制度化によって、総人口でわずか10%前後の武士(=非生産者)が江戸では50%を占めるという特殊な人口構成が生まれ、江戸を巨大な消費都市へと変貌させていったという説明も、「なるほど」と思った。現在の東京都の職員は東京都の人口の0.1%に相当する一万二千人だが、それと比べて江戸の町役人の驚くべき少なさ(町奉行は南町奉行所・北町奉所各1名。与力は各25名。同心は各100~120名)は、当時の地域社会(町)が高度な自治機能を持っていたからであるという指摘も、「そうだったのか」と思った。なかんずく、江戸市中と近郊農村は、後者が前者に農作物を提供し、前者が後者に下肥を提供するという共存関係にあったが、明治に入って武士人口が急減したため、下肥肥料が高騰し、農村の経営は逼迫したという記述には、「う~ん」と唸った。以前、山口孤剣『東都新繁盛記』(1918)という本を読んでいたら、警視庁が発表した各区の糞尿の価格(肥桶一杯分の値段であろう)が載っていて、一番高いのは日本橋区の50銭、一番安いのは本所区の35銭だった。つまり貧乏人の住む地区の糞尿は栄養価が低いから下肥としての買い取り値段も安くなるということだ。これは大正に入った頃の話だが、江戸の糞尿の値段にもこういう格差はあったのだろうか。残念ながら、そこまでは触れられていなかった。

 

8.29(日)

 小雨の降る日曜日。傘をさして散歩に出る。栄松堂で新刊書を4冊購入。

(1)       エリック・ボブズホーム『わが二十世紀・面白い時代』(三省堂)

「自伝の国」イギリスの高名な歴史家の自伝。

(2)       渡辺治編『高度成長と企業社会』(日本の時代史27、吉川弘文館)

毎月1巻のペースで出ているシリーズもので、あと3巻で完結する(ただし私が購入しているのは近世以降の巻のみ)。

(3)       中村うさぎ・石井政之『自分の顔が許せない!』(平凡社新書)

「美容整形の女王」と「顔のアザのあるジャーナリスト」の対談。顔および身体(外見)の問題は、社会学の重要なテーマである。なぜなら、ゴフマンが言っているように、人は自分が他者にどのように見られているかに非常に気を遣う(印象管理に多大なエネルギーを費やす)動物だからである。

(4)       香山リカ『〈私〉の愛国心』(ちくま新書)

香山リカの黒縁の眼鏡は人に強い印象を与える。サングラスは自分の視線を隠蔽するが、黒縁の眼鏡は逆に強化する。ただし大きな裸眼で見つめられるときとは違って、黒縁の眼鏡を通過した視線は体温を50%ほどカットされている。「香山リカ」という人工的(人形的)なペンネームも著者の体温をカットする効果があるのは明らかだ。しかし、彼女の文章は決してクールではない。思うに彼女は自分の熱くなりやすい体質をよく自覚していて、眼鏡やペンネームはそれをコントロールするための工夫なのであろう。

 ここ数日の国民的関心事に決着がついた。ハンマー投げで金メダルをとったハンガリーの選手がドーピング違反で失格となり、2位だった室伏選手に金メダルが与えられることになったのだ。ドーピング発覚によるメダル剥奪は今大会7件目で、過去最多である。ドーピングは、記録至上主義(あるいはメダル至上主義)を背景としてスポーツと科学が結びつくとき、ほとんど不可避的に発生する行為である。マラソンの選手がレース中に飲む「特別ドリンク」と禁止薬物の区別は絶対的なものではないし、高地トレーニングその他の科学的トレーニングはそれを利用できる選手とそうでない選手との間に不公平を生んでいるという意味においてドーピングと似た側面をもっている。今回の事件で、ドーピングの検査はより一層厳密なものになっていくであろうが(DNA鑑定の導入)、同時に、近代スポーツに内在している「自然」と「人為」の間の線引きの欺瞞性も隠しようのないものになっていくだろう。

 

8.30(月)

 金沢の加能屋書店から田村泰次郎『肉体の文学』(草野書店、1948)が届く。初版本であるが、価格は意外に安く、2000円である。当時の価格は100円。戦後のインフレを反映した価格である(この年の暮れ、GHQは経済安定九原則を発表して一挙にインフレの抑制を図ることになる)。田村泰次郎は中国から帰還してすぐに『肉体の悪魔』(1946)や『肉体の門』(1947)といった小説を発表して、一躍時の人となった作家である。とくに『肉体の門』は「パンパン」と呼ばれた米兵相手の街娼たちを描いて新鮮な衝撃を与えた(その『肉体の門』の初版本もネットで別の古書店に注文しているが、こちらは2100円)。ヤミ市の時代の日本人のメンタリティをよく示している点において、田村泰次郎は坂口安吾と双璧ではないかと思う。

 「私は思想といふものを、自分の肉体だと考へてゐる。自分の肉体そのもの以外に、どこにも思想といふものはないと思つてゐる。従つて、私は自分の肉体性が、まだ十分作品行動として具体化されてゐないといふことで、私の小説はまだ十分に思想的ではないとは自覚してゐるが、まつたく「思想がない」とは考へてゐない。私は自分の肉体をどこまでも追求することで、思想を探求することが出来ると思つてゐる。いや、自分の肉体を考へずに思想といふものの存立さへも私には考へられない。/私はこの戦争の期間を通じて、肉体を忘れた「思想」が、正常の軌道を踏みはづしたやうな民族の動きに対してなんの抑制も、抵抗もなし得なかつたのを見た。また長い戦争の生活で、私はもつともらしい「思想」や、えらさうな「思想」をかかげてゐる日本人が、獣になるのを体験した。私もその獣の一匹であつた。私は戦場で、幾度日本民族の「思想」の無力さに悲憤の涙にかきくれながら、日本人であることの宿命をなげいたことであらう。私は、既成の「思想」なるものが、私たちの肉体となんのつながりもなく、そしてまた、私たちの肉体の生理に対して、なんの権威もないものであることを、いやといふほど知らされた。復員してからも同じことだ。これまでの「思想」が、今日のこのヤミと、強盗と、売春と、飢餓の日本を、すこしでもよくしたらうか。ところが、既成の「思想」は相変わらず旧態依然たるお説教と、脅かしとを、私たちの前にくりひろげてゐるだけである。けれども、もはや私たちは誰も「思想」を信じない。」(「肉体が人間である」)。

 「思想」を信じないということは、自分の経験と判断を信じて、欲望に正直に生きるということである。パンパンが米兵を相手にしたことと、一般の庶民がアメリカ的生活様式に憧れたことは、同じ現象である。パンパンはやがて社会の表面から姿を消したが、アメリカ的生活様式への憧れは戦後の非常に長い期間を通じて庶民の中に存在しつづけた。

 

8.31(火)

 台風一過の真夏日。しかし、一歩も外に出ず、前期試験の採点を終わらせる。200枚近い答案を採点すると、どうしても途中から採点の基準が変化してしまう。故に、全部採点し終わってから、最初から見直す作業が必要になる。今回は最初のうちが辛く、途中から甘めになったので、甘めの基準で統一した。もっとも、甘めとはいっても、AとBばかりというのではありませんけどね。Bが一番多くて、AとCが同じくらいで、少数ながらDやFも付けました。


2004年8月(後半)

2004-08-31 23:59:59 | Weblog

8.15(日)

 明け方からひさしぶりの雨が降って、涼しい一日になった(東京の真夏日の連続記録は40日で止まった)。今日は妻の父親の誕生日で、妻は鷺沼の実家に朝から出かけた。雨は午後には止み、娘は高校時代の友人たちと六郷の花火大会に出かけた。私も散歩に出た(息子は自宅で過ごすのが好きらしい)。栄松堂で、小谷野敦『俺も女を泣かせてみたい』(筑摩書房)、角田光代『All Small Things』(講談社)、『デザインステーショナリー』(枻出版)を購入。「五右衛門」で昼食(タラコとシメジと湯葉のスパゲッティ、珈琲)をとりながら、買ったばかりの本に目を通す。小谷野の歯に衣着せないエッセーは面白く、角田の連作恋愛小説は洒落ていて、美しいデザインの文房具の写真は眺めていて飽きない。喫茶店であれば珈琲一杯でもっと粘るのだが、レストランではそういうわけにもいかない。蒲田は本屋は充実しているのだが(有隣堂、栄松堂、熊沢書店、紀伊国屋)、残念ながらロディアを買える文房具店がない。今日も栄松堂と同じフロアーにある文房具店でA5サイズのロディアを買おうと思ったのだが、A4サイズのものしか置いていなかった。有隣堂の文房具コーナーではロディアは扱っていない。ユザワ屋の11号館も覗いてみたが、国産の安価な文房具しか置いていない。ロディアに似たものならある。しかし、たとえば、用紙を綴じているホチキスの針の先の処理一つをとってみても、ロディアは表面に出ないような処理をされているが、まがい物は表面に出ている。机の上に置いて使ったら机の表面に細かい傷ができるし、手のひらに持って使っていたら何かの拍子に怪我をするかもしれない。そういうことである。蒲田の街の今後の発展は、案外、こんなところにかかっているのではなかろうか。

 

8.16(月)

 オリンピックのTV放送をかけながら、本を読んでいたら、就寝が午前5時になってしまった。今日は昼からギデンズ『社会学』の読書会があるので、午前9時には起きる。寝足りないが、しかたがない。日本人選手の活躍も痛し痒しだ。午後1時から4時半頃まで、Oさん持参の船橋屋の葛餅を賞味しつつ、読書会。狩猟採集社会から産業社会までの社会類型の変遷を論じた第3章と、ゴフマンやガーフィンケルの理論を用いて日常の相互作用行為を分析した第4章を読む。抽象度の高い説明と具体的な(そして有名な)研究例の紹介の組み合わせが絶妙。版を重ねているだけのことはある。帰路、日本橋の丸善に寄って、いろいろのサイズのロディアをまとめ買いする。これで一安心。それぞれのサイズのロディアに一番ふさわしい使い方は何か。それはこれから考えよう。ロディアに関しては、存在が目的に先立つのである。

 

8月17日(火)

 オリンピックのTV放送を観ていると仕事にならないので、書斎のTVのスイッチはずっとオフにしている。しかし、居間のTVでオリンピック番組を観ている妻が、何か新しい展開があると、「愛ちゃんが3回戦を勝ったよ」とか、「ソフトボールはカナダにも負けちゃった」とか、逐一報告に来るので落ち着かない。それにしても男子体操の団体戦の戦いぶりは見事だった。首位を争っているルーマニアや米国の選手が、終盤、プレッシャーからミスを連発していたのとは対照的に、日本の選手は「最後に勝つのは自分たちだ」と確信しながら演技をしていたように見えた。ルーマニアのエース、ドラグレスクは「日本には抜かれるだろう。技のレベルが違う」と思っていたと試合後に語っていた。東京オリンピックの団体戦優勝メンバーの一人、早田卓次(日本体操協会副会長)は「体操日本の復活というより、僕たちを超えてしまった」と感想を述べている。どちらも正直な感想であろう。一方、連覇を狙って5位に終わった中国チームの最年長選手、黄旭は「失敗しなければ我々が勝っていたはずだ」と語っていた。「負けなければ勝っていた」というのとほとんど同じではないかと思うが、悔しい気持ちはよく伝わってくる。北京オリンピックの体操競技場の異様な熱気がいまから予想できる。ところで、男子体操団体戦の優勝で日本は今大会5個目の金メダルを獲得したとメディアは伝えているが、団体戦のメンバー6人には一人一人に金メダルが授与されたのだから、獲得した金メダルは合計10個と考えてはいけないのでしょうか。

 数と言えば、土星に新たに2つの衛星が確認され、これで土星の衛星は33個になった。一体、いつの間にこんなに増えたのだろう。私が子供の頃、土星の衛星は9個であった。天文少年であった私は、その9個の衛星の名前を全部諳んじることができた。ミマス、エンケラドス、テチス、ディオーネ、レア、タイタン、ヒペリオン、ヤペタス、フェーベである。他の子供たちが太陽系の9個の惑星の名前を太陽から近い順に全部言えるかどうかを競っていたときの話だから、「レベルが違う」こと体操男子団体戦における日本チーム以上のものがあった。思えばよい時代であった。いまでは33個ですかね(ちなみに木星の衛星は61個。これも私が子供の頃は12個だった)。とても覚えられません。そもそもちゃんと全部に名前が付いているのだろうか。・・・・いま、インターネットで調べたら、ちゃんとした名前の付いている土星の衛星は18個で、今回発見された2個を含めて残りの15個の衛星は暫定名称(たとえば「S/2000S1」。これは「2000年に発見された土星の衛星のうちの最初の1個」の意味)しか付いていないことが分かった。命名する方も食傷気味なのかもしれない・・・・というのは冗談で、軌道の最終的な確認作業が済んでいないのであろう(後記:2003年7月の国際天文学連合年次会議でさらに土星の12個の衛星に正式名称が付けられたので、現在、暫定名称の衛星は3個である)。

昔から衛星の名前はギリシャ神話の登場人物の名前にちなんで付けられていたが、惑星探査機や宇宙望遠鏡の登場で新しい衛星がどんどん発見されるので、ギリシャ神話だけでは対応しきれなくなったのか、天王星の衛星にはシェークスピアの作品の登場人物の名前(ジュリエット、オフェーリア、コーディリア・・・・)が使われている。原則として新しい天体の名前は発見者に命名権があるので、今後、日本人が発見者となって日本の文学作品の登場人物の名前の付いた衛星というものが誕生する可能性はある。その場合、いくら発見者が村上春樹のファンであっても、「ボク」とか「ネズミ」とは命名しにくいであろうし、「カフカ」では日本文学に由来する名前ではなくなってしまうから、やはり『源氏物語』の登場人物の名前ということになるのではなかろうか。星の名前で「ヒカル」。これ以外にはないでしょうね。・・・・と無駄話をしていたら、たったいま、女子柔道63キロ級の谷本歩実が6個目(私流の計算では11個目)の金メダルを取った。おめでとう! 新しいスターの誕生である。

 

8.18(水)

 高温多湿強風の一日。寝不足のせいもあって、夏バテ気味。一歩も外に出ずに過ごす。このところ一日の最初にギデンズ『社会学』の1つの章を読むのが習慣になっている。二文の学生とやっている読書会のテキストだが、頭の朝の体操としてちょうどよい。開業医が、初心に返って、医学総論の教科書を読むようなものである。昼食の後、昼寝をして、内田隆三『国土論』(筑摩書房、2002)を読む。570頁の大著。同じ時期に出た960頁の大著、小熊英二『〈民主〉と〈愛国〉』(新曜社)の陰に隠れてしまった感があったが、二十世紀の日本の持続と変容を独特の視点から論じたとても読み応えのある本である。しかし、如何せん今日は腹に力が入らない。

 

8.19(木)

 湿度は昨日ほどではないが、高温強風の一日。朝食も昼食もお粥、夕食はおじや(卵とシラス干し入り)。上司小剣(かみつかさ・しょうけん)らが明治39年11月に創刊した『簡易生活』という雑誌を読む。

 「生活を簡易にするのは、人生の幸福を得る早や路です。此の雑誌は日常の生活を簡易にして、しかも趣味と快楽とをうしなわないやうにする方法を説いたものです。一層わかり易く伝へば、手軽に面白く此の世を送る道しるべです。/併しながら、此の雑誌は貧しき人に向つて、アキラメ主義を説くのでは無く、富みたる人に向つて、シワンボウを教えるのでも無く、最も堅実に、最も穏健に、最も痛切に、進歩したる生活法を研究するのです。」

 「シワンボウ」とは「けちん坊」の意である。前年にシャルル・ワグネル『単純生活』が翻訳されているので、雑誌のタイトルはそれを拝借したものだが、ワグネルがあくまでも資本主義社会の枠内で余計な物を持たない生活、余計な関係を絶つ生活を主張しているのに対して、小剣は究極的には「共同生活」の実現をめざす社会主義運動の一環として「簡易生活」を位置づけている。

 「人は幾十年、幾百年の後に於いて、大いなる家を建つるを目的として、杉の苗を植ゑざるべからざるとゝもに、また明日喰うを目的として、糠味噌の大根をも漬けざるべからず。杉の苗を植うる人はえらきに相違無きも、糠味噌の大根を漬ける人、また捨つるべきにあらず。我輩は当分の中、糠味噌の大根を漬ける人に満足せんと欲す。」

 で、具体的にどういうことを主張しているのかというと、小さな家に住もうとか(家賃が収入に占める比率が大きすぎる)、玄関なんて余計なものは廃止しようとか(来客は縁側で応対すればよい)、内湯なんていらないとか(銭湯で十分)、そういったことである。実際、彼自身が雑誌の刊行と相前後して、小さな家に移り住んで、玄関を物置兼子供の遊び場に改造し、簡易生活を開始している。

 「前の家では、妻に向つて、『奥様今日は如何さまで・・・・』と恐る恐る云つて、高いものを売りつけて居た八百屋が、今度の家では『おカミさん、小松菜を買つてくんないか。負けておくぜ、』と云ふ調子である」と、小剣は面白がって書いている。妻の雪子も「簡易生活日記」を連載している。思想と生活の解離がないところが立派だ。ただし、小さな家での生活は二ヶ月しか続かず、『簡易生活』も六号をもって終刊となった。雑誌を発行するということ自体が簡易なことではなかったようだ。

 

8.20(金)

 生協文学部店で本を立ち読みしていたら、どこからかロック・ミュージック(エレキギターとボーカル)が聞こえてきた。書店でウォークマンをこんな大きな音量で聴いているのは一体どこのどいつだと音のする方に目を向けたが(私の側にいた学生もやはり訝しそうに音のする方に目を向けていた)、そこには誰もいない。あれっ? と思ってよく見ると、入口の横にCDラジカセが置かれていて、それが「真犯人」であることが判明した。店内にロック・ミュージックを流すとは・・・・。書店は図書館ではない。だから静寂である必要はない。音楽を流すのもよいだろう。しかし、ロックであの音量はないだろう。もしかして新手の立ち読み防止策だろうか。ほら、カラスの嫌いな音を流してカラスを追い払うやり方があるじゃないですか。あれですよ、あれ。効果はてきめん、長居は無用と、購入を決めた本を一冊だけもってカウンターに行った。いままで私は店内でウォークマンを大きな音量で聴いている学生がいたら注意してきたのだが、これからはもうそれはできなくなる。レジの人に「この音楽は書店で流すには不向きだと思いますが」と言ってみたが、「そうですか?」と言われてしまった。私の感覚がおかしいのだろうか。

 

8.21(土)

 午前中、内田隆三『国土論』の「成長と神話」の章を読んでいて、家を出るときになっても読み終わっていなかったので、鞄に入れて家を出る。ところが土曜日にもかかわらず、京浜東北線の車内はけっこう混んでいて、この大部の本を立ったまま読むことになった。読みながら本に書き込みをするのだが、電車が走っているときは車体が揺れて書き込みがしにくいので、電車が駅に停車している間に一生懸命書き込みをする。なかなか骨が折れる。途中で、目の前の優先席が空いたので、周囲に優先されるべき人がいないことを確認して、腰を下ろす。

 社会学専修を卒業して5年目、いまソニーマーケティングの宣伝部で働いているYさんが研究室にやってきた。大学時代から通っているバレエスクールが高田馬場にあって、お稽古前の時間に立ち寄ってくれたのだ。先日、たまたま私のホームページをのぞいたら、バレエの話が載っていて、嬉しくなったらしい。ふ~む、どこで誰が読んでいるかわからないものである。実は彼女、去年の暮れに練習中に膝を怪我して、手術を受け、ようやく最近になって練習を再開したのだという。怪我のために海外公演に行けなくなったことは、「人生で初めての挫折でした」とのこと。でも、27歳まで挫折らしい挫折がなかったというのも珍しいのではなかろうか。私がそれを言うと、Yさんは「そうですね」と神妙な顔で頷いた。それから場所を「カフェ・ゴトー」に移して、バレエのお稽古の時間になるまでおしゃべりをした。

 

8.22(日)

 散歩の途中で近所のラーメン屋に入る。ここは「180円ラーメン」が謳い文句の店なのだが、安い店というのは味もチープという先入観があって、入るのは初めて。メニューにカレーラーメンがあったので、注文する。以前から不思議に思っていたのだが、普通のそば屋にはカレー南蛮(そば・うどん)があるのに普通のラーメン屋にはカレーラーメンがない。ラーメンは醤油ラーメン、塩ラーメン、味噌ラーメンの3種が基本メニューで、カレーラーメンというのは変わり種というか、むしろ邪道扱いされているような気がする。普通の中華料理屋におけるソース焼きそばと似たポジションと言ってもいいかもしれない。カレーラーメンは280円。それでも安いことに変わりはない。調理場はカウンターの向こう側で、見習いのおじさんといった感じの人が作っている。指導にあたっている人から、「かき混ぜないと固まっちゃうからね」とか言われている。カレー粉のことを言っているのだろうか。客を不安にさせるやりとりであったが、「はい、おまちどうさま」とカウンター越しに渡されたカレーラーメンは、トッピングは最小限(小さなチャーシュー1枚、メンマ少々)で見た目の魅力は乏しいものの、肝心の麺とスープはちゃんとしていた。スープを全部飲み干すと、器の底から溶けきらなかったカレー粉の小さな塊がいくつか現れたが、まあ、この程度はノープロブレムでしょう。見習いのおじさん、頑張って下さい。

 TSUTAYAで松田優作主演の『人間の証明』(佐藤純也監督、1977年)を借りて観た。いま放送されているTVドラマ版と違うのはもちろんだが、原作とも違うんだね。原作では八杉恭子は家庭問題評論家だが、映画版ではファッションデザイナーになっている(TVドラマ版では県知事選挙候補者)。多数の黒人モデルを使ったファッションショーの場面にかなりの時間をかけている。家庭評論家よりファッションデザイナーの方が「映像的」だと考えてのことと思うが、いかにも安易な、あるいは角川映画な発想である。現在の成功を守るために突然目の前に現れた過去の自分を知る人間を殺すという物語は、『砂の器』(野村芳太郎監督、1974年)や『飢餓海峡』(内田吐夢監督、1964年)と同じだが、その二作の重厚さに比べて、『人間の証明』はいかにも軽く、ちょっと予算をかけた火曜サスペンスドラマという感じである。でも、出てくる俳優が懐かしいので十分に楽しめる。

 

8.23(月)

 近所の歯科医院に定期検診に行く。虫歯はなかったが、昔被せた金属が外れやすくなっている箇所があったので、新たに型を取って、作り直すことになった。少し歯を削る。「痛かったら左手を挙げて下さい」と言われ、実際、少し痛かったが、男の子なので我慢する(うっかり手を挙げて、麻酔の注射をされるのが嫌だったのだ)。いったん帰宅してから、自転車に乗って郵便局に行く。今日の気候は避暑地の夏の終わりのようにさわやかだ。女塚通り商店街が旧軽銀座のように思えなくもない。「ルモンド」でサバランとエクレアを買って帰る。

 黒沢明が1947年に作った『素晴らしき日曜日』をビデオで観る。敗戦後間もない東京の風景だけでも一見の価値があるが、結婚を約束した若いカップルにとって、住宅問題がどれほど切実なものであったかがよくわかる。後期の「社会学研究10」は戦後日本の人生の物語がテーマだが、この映画は教材に使えそうだ。人生の物語の半分は幸福の物語であり(もう半分は成功の物語)、幸福の物語の主要な舞台は家庭で、家庭の物質的側面は住宅であるからだ。焼け跡のバラックから始まって郊外の一戸建住宅まで、幸福な家庭の実現と自宅の購入はしばしば表裏一体のものとして認識されてきた(マイホーム主義)。いや、それだけでなく、立派な家に住むことは成功の指標でもあった。以前、朝のワイドショーに「宮尾すすむのニッポンの社長」という人気コーナーがあったが、その中で宮尾は社長のお宅を拝見して喚声をあげるのを常としていた。類似の番組、企画はいまでもたくさんある。戦後も60年になろうとしているが、住宅への欲望は衰えていない。

 

8.24(火)

 新聞に石川真澄『戦後政治史 新版』(岩波新書)の広告が出ていたので、昼食の後、栄松堂に買いに行く。同じコーナーに置いてあったちくま新書の新刊も2冊購入。水谷三公『丸山真男―ある時代の肖像』と加藤秀一『〈恋愛結婚〉は何をもたらしたかー性道徳と優生思想の百年』。同じフロアーの文具店をのぞいたら、舶来物の2005年の手帳が入荷していた。ずいぶんと気の早い話だ。フライングじゃないのか。来月になれば国産の手帳やカレンダーも店頭に並ぶに違いない。そうなるとなんだか10月、11月、12月が消化試合のような気分になる。

帰りに誠竜書林で3冊100円の文庫本を購入。山本周五郎『さぶ』(新潮文庫)、吉行淳之介『技巧的生活』(新潮文庫)、源氏鶏太『二十歳の設計』(集英社文庫)。いずれも1960年代に書かれた小説である。文庫本自体の出版年は『さぶ』が一番古く(1972年)、売り物にできるギリギリの痛み具合である(頁が一枚取れて挟んであるし、表紙は湿気を吸ってゴワゴワしている)。しかし、先日読んだ瀬尾まいこ『図書館の神様』の中で『さぶ』の話が出てきて印象に残っていたのと、書き出しの一行、「小雨が靄のようにけぶる夕方、両国橋を西から東へ、さぶが泣きながら渡っていた。」というのが気に入って、購入することに決めた。

 将棋の木村義雄十四世名人の自伝『将棋一代』の書き出しの一行は、「十二歳の少年が、父に連れられて、両国橋を渡った。」である。ただし、彼はさぶとは反対に、両国橋を東から西へ、つまり現在の墨田区両国から中央区東日本橋の方へ渡ったのである。両国橋という名前は武蔵の国と下総の国をつなぐ橋であることに由来する。江戸の下町の庶民の目から見ると、橋の東側は「川向こう」、すなわち場末であった。本所の下駄屋の息子である十二歳の木村少年が、「父に連れられて、両国橋を渡った」のは、プロ棋士の入門試験を受けに行くためであった。大正6年のことである。両国橋を東から西へ渡ることは、社会の周辺から中心への道を歩むことであった。それから2年後の大正8年の6月、清水幾太郎(当時11歳)の一家は家財道具を積んだ馬車の後について、両国橋を西から東へ渡った。「父にとっても、私にとっても、これは最初の引越しであった。単なる引越でなく、落ちて行くような引越であった。橋の途中で、妹は、『いつ日本橋へ帰るの』と私に聞いたが、私は聞こえない振りをしていた」(『わが人生の断片』)。引越は、一家が日本橋薬研堀で営んでいた家業の竹屋を廃業し、本所で新しい商売(洋品店)を一から始めるためであった。「橋を渡る」という行為にはドラマがある。ちなみに、さぶは日本橋小舟町の経師屋「芳古堂」の奉公人で、おかみさんに叱られて、店を飛び出し、葛西にある実家に帰ろうと両国橋を渡ったのである。

 

8.25(水)

 8月も残り少なくなった。一年は12ヶ月だから月末も12回あるわけだが、8月の終わりと12月の終わりは格別の感慨がある。「夏が終わる」という思いと、「一年が終わる」という思いである。「夏が終わる」というのは、もの悲しい。「一年が終わる」というのはしみじみとした気分にはなっても、もの悲しくはない。むしろ年末の街は活気にあふれている。しかし、8月の終わりの街は、縁日の屋台が後片づけを始めたときのような、それまでの非日常的気分が急速に色あせていくような、もの悲しさがある。こればかりはいくらサザンオールスターズやチューブの曲を店頭で流しても、いかんともしがたい。日の暮れる時刻が早くなってきたなと思いながら、散歩に出る。ブックオフ蒲田東口店で、岡田恵和『君の手がささやいている』(テレビ朝日、1999)、北杜夫『マンボウ阪神狂時代』(新潮社、2004)、土屋賢二『ツチヤの軽はずみ』(文藝春秋、1999)、氷室冴子『冴子の東京物語』(集英社、1989)を購入。岡田のシナリオ本(550円)以外は100円コーナーにあったもの。岡田の『彼女たちの時代』のノベライズ本(フジテレビ出版から1999年に出た)を探しているのだが、なかなか出くわさない。そんなに昔の本ではないが、もう版元に在庫はなくて、けれどちゃんとした古本屋が扱うような本ではない(「日本の古本屋」のサイトに登録されていない)、・・・・そういう本というのが一番探すのが難しいのだ。

 

8.26(木)

 午後、研究室で仕事をしていると、誰かがドアをノックした。丸善の営業のFさんだった。いまの時期、わざわざ大学の研究室に来て仕事をする文学部の教員は少ないから、営業の方にはお気の毒である。「モダニティ」をキーワードにして作成した社会学文献のリストを頂戴する(もっとも「モダニティ」というのはキーワードとしてはいささか大きすぎて、「モダニティ」とかかわりのない社会学の文献というのは珍しいのではないかと思うのだが・・・・)。椅子を勧めて、しばし雑談をした。9月14日に東京駅丸の内北口の旧国鉄本社跡地のオフィスビルの中にオープンする丸善本店のことも話題になった。私は通勤のとき、丸の内北口を出て東西線の大手町駅までそのビルの横を歩いているので、今回の移転は大歓迎である。ビルの1階から4階に丸善が入るそうで、総面積1750坪は国内最大級とのこと。最近の大型書店は、万引きの防止のためもあってか、書棚の背が低いところが多いが、パンフレットに描かれた室内予想図では書棚の一番上の段は踏み台を使わないと手が届かないくらいの高さになっている。これならただフロアーが広いというだけでなく、本の量も大したものだろう。現在の日本橋本店の洋書コーナーは、子供の絵本か何かのコーナーに圧迫されて、ずいぶんと貧弱なものになっているが、丸の内本店では「洋書の丸善」の面目を取り戻すらしい。Amazonなどのネット販売で洋書が手軽に安く入手できるようになったとはいえ、一冊一冊実物を手にとって吟味できる場所というのはこれからも必要だ。気になるのは、日本橋丸善4階の喫茶コーナーの名物のハヤシライス(丸善が元祖とされている)はどうなってしまうのかだが、これは丸の内丸善4階のカフェに引き継がれるそうだ。それはよかった。

 夜、「食わず嫌い王決定戦」を観る。今日のゲストは香取真吾と田中麗奈で、香取の嫌いなものは茄子のみそ汁、田中の嫌いなものはトムヤンクンだった。私はこの番組のファンで、もし自分が出演することになったら(絶対にありえない話なのだが)、どういうメニュー構成にしようかとよく考える。私が苦手なものは「セロリ」以外にはないのだが、他の3品が「ヒレカツ」「天ぷら」「鮨」であったら番組にならないであろうから、それらしいもの(人によって好き嫌いが分かれそうなもので好きなもの)を混ぜないとならない。「タイ風レッドカリー」「レバニラ炒め」「鰹のたたき(ニンニクで)」なんかはどうだろう。あるいは、「あんドーナツ」「子羊のロースト」「蜜柑の缶詰」なんていうのはどうだろう。はたまた、「らっきょう」「浅蜊の佃煮」「生卵かけご飯」なんていうのは・・・・これはやはり地味過ぎるだろうか。と、思案は続く。

 

8.27(金)

 小谷野敦の新刊『すばらしき愚民社会』(新潮社)を読む。「○○は近代の産物だ」という言い方を社会学者はよくする。もちろん私もする。しかし、本当にそうだろうか、と小谷野は問う。そう断定できるほどあなたは前近代(近世)の社会のことを知っているのかと。

 「私は「恋愛」の研究をしてきて、日本の社会学者などの議論の多くが、西洋における恋愛の近代化の研究を参照した後、突如日本の近代を論じはじめることに驚き呆れてきた。何度も書いたことだが、具体的に言えば、橋爪大三郎の『性愛論』(岩波書店)や加藤秀一の『性現象論』(勁草書房)、上野千鶴子の一連の仕事などである。のみならず、西洋文学者あるいは日本近代を専攻する学者の仕事もおおむねこんなものだ。私が高く評価している井上章一の仕事でさえ、前近代を参照せずに「近代においては」と述べる弊を免れておらず(たとえば『美人論』朝日文芸文庫)、私の指摘で井上はその点を反省してさえいる(『キリスト教と日本人』講談社現代新書)。・・・・(中略)・・・・日本特有の問題として、近代の始まりが、明治維新という形であまりにはっきりとしているためか、ある種の学科において、近代ばかりを重視する傾向があり、それは八〇年代以降の、フーコーの近代化論や柄谷行人の『日本近代文学の起源』(講談社文芸文庫)の影響で、さらに強まった。ドイツやイタリアが近代国家として成立したのが日本と同じ頃だと言っても、その国の人文・社会科学者が、ナポレオン戦争やゲーテやローマ教皇についてほとんど知らないなどありえない。けれど、日本ではそれがありえてしまうのだ。」

 お説ごもっとも。私は学部に入学した当初は、日本文学の研究を志していて、とくに短詩型文学(短歌・俳句)に興味があったので、俳諧関係はそこそこ詳しいが、漢詩や浮世草子はちゃんと読んだことがない。歌舞伎や人形浄瑠璃のこともよく知らない。江戸の食生活については『鬼平犯科帳』を通じて知っているに過ぎず、一般庶民があんな旨そうなものを毎日食べていたとは到底思えない。それなのに「近代日本における人生の物語」なんかを論じている。反省せねばなるまい。とりあえず、山本周五郎の『さぶ』を読もう(って、これ、あまり反省したことにならないか)。

 

8.28(土)

 雨の降る、涼しい週末。吉川弘文館の「歴史文化ライブラリー」の一冊、藤野敦『東京都の誕生』(2002)を読んだ。江戸が東京と改称された慶応4年(1868年)7月17日からではなく、小田原攻めを終えて秀吉に関東転封を命じられた徳川家康が江戸に入った天正18年(1590年)8月1日、後に「八朔」(はっさく)と呼ばれる江戸幕府公認の江戸の誕生日から話が始まっている。近世を踏まえて近代を考える必要は、昨日、私が小谷野敦から学んだ点であるが、それをさっそく実行に移すところ我ながら殊勝である。明治以降の東京という都市の変貌については、越沢明の『東京の都市計画』(岩波新書)と『東京都市計画物語』(ちくま学芸文庫)、藤森照信『明治の東京計画』(岩波同時代ライブラリー)に詳しくかつ興味深く述べられているが、江戸および江戸から東京への移行期の話はそこでは語られていない。『東京都の誕生』はその部分の記述が厚い。たとえば、江戸に堀が多いのは城内への敵の侵入を防ぐためだけではなく、低湿地の排水を兼ねていたからだという記述には、「あっ、そうか」と思った。参勤交代の制度化によって、総人口でわずか10%前後の武士(=非生産者)が江戸では50%を占めるという特殊な人口構成が生まれ、江戸を巨大な消費都市へと変貌させていったという説明も、「なるほど」と思った。現在の東京都の職員は東京都の人口の0.1%に相当する一万二千人だが、それと比べて江戸の町役人の驚くべき少なさ(町奉行は南町奉行所・北町奉所各1名。与力は各25名。同心は各100~120名)は、当時の地域社会(町)が高度な自治機能を持っていたからであるという指摘も、「そうだったのか」と思った。なかんずく、江戸市中と近郊農村は、後者が前者に農作物を提供し、前者が後者に下肥を提供するという共存関係にあったが、明治に入って武士人口が急減したため、下肥肥料が高騰し、農村の経営は逼迫したという記述には、「う~ん」と唸った。以前、山口孤剣『東都新繁盛記』(1918)という本を読んでいたら、警視庁が発表した各区の糞尿の価格(肥桶一杯分の値段であろう)が載っていて、一番高いのは日本橋区の50銭、一番安いのは本所区の35銭だった。つまり貧乏人の住む地区の糞尿は栄養価が低いから下肥としての買い取り値段も安くなるということだ。これは大正に入った頃の話だが、江戸の糞尿の値段にもこういう格差はあったのだろうか。残念ながら、そこまでは触れられていなかった。

 

8.29(日)

 小雨の降る日曜日。傘をさして散歩に出る。栄松堂で新刊書を4冊購入。

(1)       エリック・ボブズホーム『わが二十世紀・面白い時代』(三省堂)

「自伝の国」イギリスの高名な歴史家の自伝。

(2)       渡辺治編『高度成長と企業社会』(日本の時代史27、吉川弘文館)

毎月1巻のペースで出ているシリーズもので、あと3巻で完結する(ただし私が購入しているのは近世以降の巻のみ)。

(3)       中村うさぎ・石井政之『自分の顔が許せない!』(平凡社新書)

「美容整形の女王」と「顔のアザのあるジャーナリスト」の対談。顔および身体(外見)の問題は、社会学の重要なテーマである。なぜなら、ゴフマンが言っているように、人は自分が他者にどのように見られているかに非常に気を遣う(印象管理に多大なエネルギーを費やす)動物だからである。

(4)       香山リカ『〈私〉の愛国心』(ちくま新書)

香山リカの黒縁の眼鏡は人に強い印象を与える。サングラスは自分の視線を隠蔽するが、黒縁の眼鏡は逆に強化する。ただし大きな裸眼で見つめられるときとは違って、黒縁の眼鏡を通過した視線は体温を50%ほどカットされている。「香山リカ」という人工的(人形的)なペンネームも著者の体温をカットする効果があるのは明らかだ。しかし、彼女の文章は決してクールではない。思うに彼女は自分の熱くなりやすい体質をよく自覚していて、眼鏡やペンネームはそれをコントロールするための工夫なのであろう。

 ここ数日の国民的関心事に決着がついた。ハンマー投げで金メダルをとったハンガリーの選手がドーピング違反で失格となり、2位だった室伏選手に金メダルが与えられることになったのだ。ドーピング発覚によるメダル剥奪は今大会7件目で、過去最多である。ドーピングは、記録至上主義(あるいはメダル至上主義)を背景としてスポーツと科学が結びつくとき、ほとんど不可避的に発生する行為である。マラソンの選手がレース中に飲む「特別ドリンク」と禁止薬物の区別は絶対的なものではないし、高地トレーニングその他の科学的トレーニングはそれを利用できる選手とそうでない選手との間に不公平を生んでいるという意味においてドーピングと似た側面をもっている。今回の事件で、ドーピングの検査はより一層厳密なものになっていくであろうが(DNA鑑定の導入)、同時に、近代スポーツに内在している「自然」と「人為」の間の線引きの欺瞞性も隠しようのないものになっていくだろう。

 

8.30(月)

 金沢の加能屋書店から田村泰次郎『肉体の文学』(草野書店、1948)が届く。初版本であるが、価格は意外に安く、2000円である。当時の価格は100円。戦後のインフレを反映した価格である(この年の暮れ、GHQは経済安定九原則を発表して一挙にインフレの抑制を図ることになる)。田村泰次郎は中国から帰還してすぐに『肉体の悪魔』(1946)や『肉体の門』(1947)といった小説を発表して、一躍時の人となった作家である。とくに『肉体の門』は「パンパン」と呼ばれた米兵相手の街娼たちを描いて新鮮な衝撃を与えた(その『肉体の門』の初版本もネットで別の古書店に注文しているが、こちらは2100円)。ヤミ市の時代の日本人のメンタリティをよく示している点において、田村泰次郎は坂口安吾と双璧ではないかと思う。

 「私は思想といふものを、自分の肉体だと考へてゐる。自分の肉体そのもの以外に、どこにも思想といふものはないと思つてゐる。従つて、私は自分の肉体性が、まだ十分作品行動として具体化されてゐないといふことで、私の小説はまだ十分に思想的ではないとは自覚してゐるが、まつたく「思想がない」とは考へてゐない。私は自分の肉体をどこまでも追求することで、思想を探求することが出来ると思つてゐる。いや、自分の肉体を考へずに思想といふものの存立さへも私には考へられない。/私はこの戦争の期間を通じて、肉体を忘れた「思想」が、正常の軌道を踏みはづしたやうな民族の動きに対してなんの抑制も、抵抗もなし得なかつたのを見た。また長い戦争の生活で、私はもつともらしい「思想」や、えらさうな「思想」をかかげてゐる日本人が、獣になるのを体験した。私もその獣の一匹であつた。私は戦場で、幾度日本民族の「思想」の無力さに悲憤の涙にかきくれながら、日本人であることの宿命をなげいたことであらう。私は、既成の「思想」なるものが、私たちの肉体となんのつながりもなく、そしてまた、私たちの肉体の生理に対して、なんの権威もないものであることを、いやといふほど知らされた。復員してからも同じことだ。これまでの「思想」が、今日のこのヤミと、強盗と、売春と、飢餓の日本を、すこしでもよくしたらうか。ところが、既成の「思想」は相変わらず旧態依然たるお説教と、脅かしとを、私たちの前にくりひろげてゐるだけである。けれども、もはや私たちは誰も「思想」を信じない。」(「肉体が人間である」)。

 「思想」を信じないということは、自分の経験と判断を信じて、欲望に正直に生きるということである。パンパンが米兵を相手にしたことと、一般の庶民がアメリカ的生活様式に憧れたことは、同じ現象である。パンパンはやがて社会の表面から姿を消したが、アメリカ的生活様式への憧れは戦後の非常に長い期間を通じて庶民の中に存在しつづけた。

 

8.31(火)

 台風一過の真夏日。しかし、一歩も外に出ず、前期試験の採点を終わらせる。200枚近い答案を採点すると、どうしても途中から採点の基準が変化してしまう。故に、全部採点し終わってから、最初から見直す作業が必要になる。今回は最初のうちが辛く、途中から甘めになったので、甘めの基準で統一した。もっとも、甘めとはいっても、AとBばかりというのではありませんけどね。Bが一番多くて、AとCが同じくらいで、少数ながらDやFも付けました。


2004年8月(前半)

2004-08-14 23:59:59 | Weblog

8.1(日)

 夏休み中に予定している仕事の1つに、日本家族社会学会が行った「戦後日本の家族の歩み」調査(NFRJ-01)の第2次報告書用の論文の執筆がある。自分の論文の執筆だけならそれほどのことでもないのだが、報告書の編集も担当しているので、論文執筆予定者(14名)への連絡や論文の取りまとめという少々気の重い仕事がある。今日、執筆予定者のリストを作成し、それを全員にメールで送るとともに、今後のスケジュールを連絡する。人のことは言えないのだが、大学の教員というのは総じて原稿の締め切りを守らない。1ヶ月の遅れなんかはざらである。1年遅れることも珍しくない。それでも書き上げるだけまだましで、途中で、「書けません。ごめんなさい」なんて悪びれずに言ってのける人もいる。もしメーカーが製品の納期を守らなかったら、ただでは済まないだろう。しかし、論文という製品についてはわれわれの業界はとてもルーズなのである。理由はいくつか考えられるが、大学の教員は授業という労働をすることで生計を立てているのであって、論文を生産し、それを売って生計を立てているのではないことが一番の理由だろう。だから学期中は忙しくて論文が書けないという言い訳が成り立つ。それから、これは文系の教員に限った話であろうが、論文というものを小説と同じもの、すなわち一種の「作品」として考えており、論文をサクサクと量産することを軽蔑するような風潮がある。たくさん書いて、しかも締め切りをきちんと守るなんていうのは、大衆文学の作家の作法であって、純文学の作家は編集者泣かせと相場が決まっていると。締め切りは守るためではなく、守らないためにあるのだと。実際、われわれの業界の締め切りには3種類あって、(1)表向きの締め切り、(2)本当の締め切り、(3)担当者の堪忍袋の緒が切れる限界ギリギリの締め切りである。(1)と(2)、および(2)と(3)の間には通常一ヶ月の間隔がある(というのが私の経験的認識である)。私の場合、(1)に間に合えば画期的であり、(1)と(2)の間に書き上げることができれば御の字である。しかし、しばしば(2)と(3)の間に突入してしまい、素潜りのダイバーのように窒息しそうになりながらどこまで限界に迫れるかチャレンジする羽目になる。

 

8.2(月)

 午後1時から6時まで、研究室で、4人と学生と調査実習の報告書原稿(前期分)の点検作業。5つの班から提出された原稿のうち3つの班の分がどうにか終わる。残りの2つの班の原稿の点検は木曜日の午前中に行う。5つの班の間での書式の不整合、そして文章の誤字脱字の点検だけであれば、それほど時間がかからず済んだはずなのだが、それだけでは済まなかった。第一に、1つの班の原稿の内部での書式の不整合が散見された。個々の班は5名の学生で構成されているのだが、その学生間で書式の統一が出来ていない班がある。第二に、これがより重要な問題だが、報告書の原稿であるにもかかわらず、口頭報告用のレジュメの域を出ていないものが多い。私の感覚では、いや、各班を代表して出てきた編集担当の学生たちの目から見ても、報告書の原稿としての水準をクリアーしているものは5本中1本しかなかった。残りの4本は、程度の差こそあれ、口頭報告用のレジュメと報告書の原稿の中間段階にあった。口頭報告用のレジュメは、それ単独で読まれるものではなく、口頭での説明とワンセットのものである。だから図表だけが貼ってあっても、説明が箇条書きであってもかまわない。むしろその方がスッキリしていてよい。しかし、報告書の原稿となるとそういうわけにはいかない。それ単独で読んで十分に意味が通じるものでなくてはならない。隅々までしっかりと文章化されていなくてはならない。ところが提出された原稿はその点が不十分なのである。不十分であるということがわかっていないのか、それとも不十分であるとは知りながらも時間がないので不十分なまま提出してしまったのか、理解に苦しむところである。幸い本日編集作業に当たった学生たちは、自分たちの班が提出した原稿が不十分なものであることを認識していたから、改善は期待できるだろう。問題はすでに夏休みに入っているので原稿の加筆修正作業がきちんと行われるかである。責任感のある学生や気の弱い学生が作業を背負い込むようなことがあってはならない。

 昨日、二文3年生のOさん(基礎演習のときの学生)からF君(彼も基礎演習のときの学生)とギデンズの『社会学』(而立書房)をテキストにした勉強会を始めたのだが、進め方がわからず困っているというメールをもらった。アドバイスのメールの中で、「君たちにやる気と根気があるのなら、私の研究室で勉強会をやってもよい」と書いたら、一晩考えて、「よろしくお願いします」というメールが返ってきた。さっそく来週から始めることになった。ギデンズの『社会学』は21の章から成る大著(656頁)であるが、彼らのやる気と根気が本物ならば、毎週一章のペースで進めて今年中には読み終わるはずである。もし読み終えることができたら、来年度、これを二文の演習のテキストに使うことにしよう。私にとっては一種のプリテストである。

 

8.3(火)

 馬場下の交差点にある「銀だこ」で昼食用にネギたこ(10個入り)を買う。「銀だこ」のたこ焼きは周りがカリカリで、普通のたこ焼きの方が私は好みなのだが、このネギたこは大根おろしの入った天つゆにつけて食べるもので、カリカリ感が生きている。薬味のネギ、柚入り唐辛子も天つゆによく合っている。

 ネギたこを平らげてから、今日から大学院で集中講義をお願いしている神戸大学の油井清光先生に教員ロビーでご挨拶をする。私より1つ年上であることは知っていたが、学部が一文の社会学であったということは今日伺って初めて知った。では、スロープですれ違ったり、同じ授業を聴いていたかもしれませんね、という話でひとしきり盛り上がる。あの頃は内ゲバ騒動でキャンパスが荒廃していて、定期試験はたいてい中止で、振替のレポートばかり書いていた記憶があるが、授業にはろくに出ていなかったから、レポートのおかげで卒業できたようなものかもしれない。それは油井先生も同じだったようで、そういう学生がいま教壇に立っているのだからおかしな話ですね、と顔を見合わせて苦笑する。

 研究室に戻り、私が修士論文の副査になっている大学院生のAさんの中間報告を聞く。テーマは「中絶」で、データは中絶を主題とするインターネットサイトのBBSの語りである。準備状況はやや遅れ気味という感じだが、8月、9月で挽回してほしい。夕方まで「研究9」の試験の採点作業。作業に飽きると、生協文学部店をのぞきに行く。瀬尾まいこ『卵の緒』(マガジンハウス、2002年)、同『図書館の神様』(マガジンハウス、2003年)、和田哲哉『文房具を楽しく使う』(早川書房、2004年)の3冊を購入。

 夜、日本対バーレーンのサッカーの試合(アジア杯準決勝)を見る。延長戦の末、4-3で日本が勝つ。死闘であった。新聞で知ってはいたが、ライブで目の当たりにすると、中国人観客の日本チームへのブーイングは確かに異様である。しかし、ここまでされると、選手たちはかえって開き直れるのかもしれない。7日の決勝戦の相手は地元中国である。競技場の雰囲気がいまから目に見えるようである。四面楚歌の状況で闘うわれらがイレブンに1億2千万の日本国民はパワーを送ってあげる必要がある。彼らが北京の競技場の上空に元気玉をこしらえられるように。

 試合を見終わった後、『卵の緒』の冒頭の表題作(坊ちゃん文学大賞受賞作)を読む。70頁弱の中編小説なので時間はかからない(私は小説を読んでいる途中で就寝するのがイヤで、長編小説を読むときは、読む日を決め、その日は他に何の用事も入れないで、朝食を食べ終わったらすぐに読み始める。夕食後に読み始めるのは短編・中編小説に限られる)。最初、普通の児童文学かと思ったが、最後は不思議な高揚感に満たされて読み終わった。希有の才能と出会った気がした。初めて吉本ばななの作品を読んだときも、こんな気分だった。

 

8.4(水)

 「ル・シネマ」で『バレエ・カンパニー』を観た。ストーリーはどうってことのないものだったが、ジェフリー・バレエ・オブ・シカゴの団員たちのバレエには魅了された。私が初めて映画館で観た洋画は『ウエストサイド物語』だったが、あの映画も「物語」自体はいたってシンプルなものだったが(二派に分かれた若者たちの抗争とその渦中で生まれる悲しい恋)、スクリーンいっぱいに繰り広げられる踊りに小学生だった私は圧倒された。跳んだり、跳ねたり、回ったりという身体の動きがなぜこれほど人を惹きつけるのだろう。

 ついでにBunkamuraで開催中の「ニューヨーク・グッゲンハイム美術館展」を見物する。印象派からポップアートまでの有名な画家たちの有名な作品が展示されている。やっぱりピカソがピカ一である。ことに『黒いマンティーラを掛けたフェルナンド』の存在感は凄い。楽しい気分になるのはカンディンスキー。リズムを内在した音楽的な絵画だ。一枚もらって帰って、研究室の壁に掛けるなら、モンドリアンの『コンポジション8』がいい。静かな秩序がある。いや、静かな秩序そのものである。

 

8.5(木)

 午前中から調査実習の報告書の原稿(前期分)の編集会議。3日前の続きで、すでに全体に共通する書式の検討は終わっており、今日は残りの2つの班の原稿の内容の検討のみだったので、昼には終了。連れだって「五郎八」に食事に行くと、集中講義の油井先生と大学院生の一団がいた。みんな私が来ることを予想していたらしく、私の顔を見て、ニヤニヤしている。午後、Hさんが卒論の相談にやってくる。彼女のテーマは「親の死」。ことに成人期への移行期の過程(就職や結婚の前)で経験される「親の死」に彼女の関心はある。それは彼女自身が大学1年生のときにそうした経験をしたからである。「家族の死」は、喪失的なライフイベントの代表的なものだが、「配偶者の死」や「子どもの死」が残された者に与える影響の研究に比べて、「親の死」についての研究は(自殺などの特殊な死を除いては)少ない。帰りに日本橋の丸善に寄って、ロディアのメモパッドを購入。小さい方から2番目のNo.12で、価格は200円。3冊購入して、娘に1冊やる。ロディア・クリック・ブロックというマウスパッド仕様の製品も面白そうだったので購入。インターネットで調べものをしながら、メモをするときに便利だろう。用紙は25枚で、厚みは3ミリ。マウスを操作しているときにページがめくれないように下辺と左辺がのり付けされており、さらに裏面に滑り止めの加工がされている。500円。研究室で使うためのポータブルのホワイトボードも購入。何かを説明しているときにあると便利ではないかと。1200円。こうやって身の回りに物は増えていくのである。

 

8.6(金)

 「恵比寿ガーデンシネマ」に『ベジャール、バレエ、リュミエール』を観にゆく。一昨日、『バレエ・カンパニー』を観て、急にバレエへの関心が高まったである。私にはこういうことがよくある。たぶんショックに弱い体質なのであろう。「ベジャール」とは映画『愛と哀しみのボレロ』(1981)でジョルジュ・ドンが踊った「ボレロ」などで知られる天才振付師モーリス・ベジャール。「リュミエール」(=光)とはそのベジャールが振り付けを行った新作(2001年6月初演)のタイトル。この映画は「リュミエール」の公開初日までの半年間を追ったドキュメンタリー作品、いわば「リュミエール」のメイキング・ビデオである。主役はもちろん77歳のベジャール。振付師にもいろいろなタイプの人がいるのであろうが、稽古場でダンサーに振付をしながらああでもないこうでもないと呻吟する彼の姿は、私が(おそらく世間の多くの人が)「振付師」というものに対して抱いているイメージそのままである。もしかしたらベジェールは「天才振付師モーリス・ベジャール」を意識的に演じているのではないかと思えてくるほどだ。三浦雅士『バレエの現代』(文藝春秋、1995)という本を読んで学んだことだが、振付師には物語性を重視するタイプとしないタイプ、男性舞踊手の性的魅力を強調するタイプとしないタイプ、に分かれる。ベジェールは物語性を重視し、男性舞踏手の性的魅力を強調するタイプの振付師である。実際、映画の中でも、身体の動きは常に「何か」を表現するものであったし、女性舞踊手を指導する場面よりも男性舞踊手を指導する場面の方が長かった気がする。この点はアメリカ・モダンバレエの創始者であるジョージ・バランシンや、その後継者であるマース・カニンガムとは対照的である。バランシンは、「薔薇は何も表現していないけれどそれ自体で十分に美しい。それと同じように、身体の動きもそれ自体で十分に美しい」と言って、身体で「何か」(とりわけ思想)を表現することを拒否した。私はそのストイックな抽象主義に惹かれるが(ダンサーが猫やライオンの衣装を着て跳びはねる舞台には全然興味がない)、抽象主義もやはり一種の思想であることは忘れない方がよい。映画を観終わって、同じガーデンプレイス内にある東京都写真美術館に行ってみたが、特に興味を惹かれる催しはやっていなかった。でも、館内にあるカフェ「シャンブル・クレール」で食べた生ハムのオープンサンドはとても美味しかった。

 

8.7(土)

 立秋である。しかし秋の気配はどこにも感じられない。子供の頃からこのことに違和感があった。一年を24の節気に区切るのはよい。一日は24時間という発想と親和性がある。問題は各節気のネーミングなのである。一番昼の長い日を夏至、一番夜の長い日を冬至、夏至と冬至の中間点を春分、秋分と呼ぶ。そして冬至と春分の中間点を立春、春分と夏至の中間点を立夏、夏至と秋分の中間点を立秋、秋分と冬至の中間点を立冬と呼ぶ。変化の余地のない展開に思えるかもしれないが、私に言わせれば(言わせてほしい)、一番昼の長い日を夏至と呼ぶのがそもそもの誤解の始まりなのだ。最初のボタンを掛け違っているのだ。われわれが季節を感じるのは、日照時間の長さによってではなく、気温の高低によってである。日照時間と気温は一致しない。太陽光によって大気が暖まるのには時間がかかるのだ。気温の観点からすれば、夏至は夏のピークではなく、本格的な夏の始まりである。もっとも昔の人もそのことはわかっていて、夏至と秋分の間の2つの節気を小暑、大暑と名付け、大暑(今年は7月23日)を一年中で一番暑い日とした。しかし、われわれの感覚では7月下旬はまだ暑さのピークではない。8月こそ盛夏と呼ぶにふさわしい。それなのに8月に入ってほどなくして立秋だと宣告される。そ、そんな、と夏の好きな私は思ってしまう。おそらく24の節気の発祥の地、殷の時代の黄河中流地帯では7月下旬が暑さのピークだったのであろう。しかし、それをそのまま3千年後の日本に適用するのは無理である。内陸性気候と海洋性気候の違いがあるし、地球温暖化も進行しているはずだ。では、どうしたらよいか。私に考えがある。24節気の古代中国版を一つ後ろにずらして現代日本版を作ったらどうだろう。つまり立秋を大暑にしてしまうのである。それから夏至は夏始(げし)、冬至は冬始(とうじ)と表記する。それでは立夏や立冬はどうなるのか、紛らわしいじゃないかという質問が出そうだが、そのへんは気にしないことにしよう。いい加減なことを言うなと、立腹しないでほしい。

 夜、サッカーのアジア杯決勝戦をTV観戦する。3-1で日本が中国を下して優勝を果たした。見事な勝利であった。「君が代」が流れているときのブーイングは、戦後60年を迎えようとしている現在でも、戦争の傷跡は癒えていないことをわれわれに教えた。「百年河清を待つ」という言葉が中国にはあるが、あと40年経ったらブーイングは沈静化するであろうか。

 

8.8(日)

 私が常用している能率手帳では1週間の始まりは月曜日であるが、書斎の壁に掛かっているカレンダーでは1週間は日曜日から始まる。後者の方が一般的な考え方なのであろうが、休日というのは労働に対するご褒美という感覚があるため、一週間が休日から始まるというのはピンと来ない。双六でいきなり「一回休み」みたいなもので、出鼻が挫かれる。やはり今日は8週間の夏休みの2週目の最初の日ではなくて、1週目の最後の日でなくてはならない。会議やら調査実習の会合で3日間大学へ出たせいか、この1週間はあっという間に過ぎた。夏休みも残すところあと7週間だ。頑張って原稿を書こう(長短5本の原稿をかかえている)。しかし、頑張るのは明日からにして、とりあえず今日は瀬尾まいこ『図書館の神様』(マガジンハウス、2003)を読むことにした。「バレエ」と「瀬尾まいこ」はこの夏のマイ・ブームである。『卵の緒』では彼女の才能の片鱗を垣間見た思いがしたが、この『図書館の神様』で全貌が明らかになった気がした。繊細で後ろ向きの小説や、大雑把で前向きの小説はたくさんあるが、彼女の作品は繊細で前向きだ。繊細さは生来の気質であろう。前向きさは意志的なものに違いない。油断をするといくらでも後ろ向きの作品になる可能性のあるところを、「前向きに書くのだ」と覚悟を決めて取り組んでいる感じがする。村上春樹は小説を書くことは自己表現ではなくて、自己変革であるとどこかで書いていたが、瀬尾まいこもきっと同じ意見のような気がする。

 

8.9(月)

 自宅の無線LANの調子が悪い。ADSLのモデム(ルータータイプ)とハブと無線アクセスポイントは書斎にあり、私が使っているデスクトップPCはハブからLAMケーブルで繋いでいるので問題はないのだが、居間で妻と息子が使っているノートPCと、娘が自室で使っているノートPCからインターネットへの接続ができなくなり、頻繁に書斎の私のPCを使わせてくれとやってくるので、こっちの仕事に支障が出る。応急処置として、娘のノートPCを書斎に持って来させて、直接ケーブルで繋いだ。書斎には机が2つ面と向かう形で配置してある(作業の種類で使い分けている)。その一方に私、他方に娘が座ってそれぞれのPCに向かっていると、書斎ではなくて、小さな事務所のようである。夜、窓の外から虫の音が聞こえてくる。ああ、やっぱり一昨日は立秋だったのだ。

 

8.10(火)

 インターネットのニュース(ロイター発)でフェイ・レイというアメリカの96歳の女優が亡くなったことを知った。映画『キング・コング』(1933年)でキング・コングに捕まってエンパイアー・ステート・ビルの屋上に連れて行かれるヒロインを演じた女優だ。何度か見た映画だが、女優の名前は今日初めて知った。多数のホラー映画に出演し、「叫びの女王」の異名を取ったそうだ。彼女は1907年9月15日の生まれで、清水幾太郎と生年が同じである(清水は7月9日生まれ)。『キング・コング』が封切られた1933年(昭和8年)は、清水にとって波乱の多い年だった。3月に東京大学社会学研究室の副手の職を解任され(主任教授戸田貞三との折り合いが悪かったらしい)、6月に父親が急逝し(まだ49歳だった)、9月にデビュー作『社会学批判序説』(理想社)が出版された。副手は無給だったが、副手解任と前後して大小の収入の道を失い、アカデミックな世界とも無縁になった彼は、家庭教師と文筆活動でかろうじて生きていくフリーのジャーナリストになったのである。そのとき清水は25歳だった。今日、8月10日は、清水の16回目の命日である。彼の墓は東京都八王子市の高尾霊園にある。

 

8.11(水)

 大学に行く途中、東京ステーションギャラリーで開催中の『真鍋博展』に立ち寄る。私にとっての真鍋博は、新潮文庫の星新一のショート・ショート作品集のイラストレーターである。ミステリー好きの人にとっては、『ミステリマガジン』やアガサ・クリスティーの本(ハヤカワ・ミステリー文庫)の表紙を描いていた人かもしれない。大阪万国博覧会のポスターも有名だ。晩年(彼は2000年に68歳で亡くなった)には、スピッツのシングルCD「夢じゃない」のジャケットを手がけたりもしている。3つのセクションに分かれた展示室を一渡り見た後、カタログ(186頁のオールカラーで2000円は良心的な価格だ)を購入して、館内の喫茶室でパラパラとながめる。彼の描く未来の風景は、カラリとした明るさの陰に不気味さが潜んでいて、思いもかけない展開を予感させるものがあった。そして、未来の風景であるにもかかわらず、どこか懐かしい。

 夕方から研究室で二文3年生のOさん、F君とギデンズ『社会学』の読書会。0さんより一足早く研究室にやってきたF君と雑談中に、彼がギデンズをウェーバーやデュルケムと同時代の社会学者だと勘違いしていることが判明(!)。ブレア首相のブレーンの一人で、イギリスを代表するバリバリの社会学者であることを説明する。ふぅ、始める前に気がついてよかった・・・・。読書会は、初回なので仕方がないが、本に書かれている内容に関して2人が私に質問をして、私がそれに答える場面が多かった。しかし、それだけでは授業になってしまう。読書会というのは、各自が本を読んで考えたことを論じ合うところである。テキストの正確な理解はそのための準備作業である。不明の箇所を私に尋ねるのはよいが、その前にもっと自分の頭で考えないといけない。とことん考えた後で私の答えを聞けば、「あっ、そういうことだったのか」とか、「いや、それは違うんじゃないですか」とか、もっとメリハリのあるコミュニケーションが生まれるはずだ。Oさんが手土産にもってきた「笹つゝみ」という名前の麩まんじゅう(ヒンヤリとして美味!)を食べながら、読書会は3時間ほど続いた。その後、「ホドリ」で食事。最初、F君が肉や野菜を鉄網の上に並べる係をやっていたが、途中から、Oさんに交代する(自然とそうなった)。さすがお母様の実家の旅館の手伝いやパーティー・コンパニオンのアルバイトをしているだけのことはあり、見事な手際である。割り箸の袋で折り紙をして小さな箸置きを作り、小皿の上の私の箸をそこに置いてくれた。しばらくして私が箸置きの存在を忘れていると、再び小皿の上にあった私の箸を黙ってそこに移した。もう一度やったら叱られるのではないかと思い、緊張しながら食事をした。ぜひ読書会の方もこんなふうにテキパキと仕切ってもらいたい。午後10時散会。来週は3章と4章を読む。

 

8.12(木)

 昼寝の後に遅い昼食(そうめん)を食べてから、瀬尾まいこ『天国はまだ遠く』(新潮社、2004)を読む。主人公の千鶴は保険会社に勤める23歳のOL。日々の生活の何もかもが嫌になり、疲れ果て、死ぬことを決意して日本海に面した木屋谷という名の小さな集落にやってくる。一軒しかない民宿「たむら」の二年ぶりの客として投宿したその日の夜に、睡眠薬を14錠飲んで自殺を図るが、翌々日の朝にスッキリと目が覚め、民宿の主人が作った朝食(みそ汁、ご飯、白菜の漬け物、卵焼き、鰺の干物)を残らず平らげた。こうして木屋谷での彼女の日々が始まった。

 「朝、早く起き、男の用意した食事を食べ、自分の物を洗濯して、外へ出る。集落の周りをゆっくり回り、おばあさんに挨拶し、有機栽培のパン屋を覗く。おばあさんの挨拶はいつも一緒で、パン屋は一向に開店しない。集落を一回りしたら、原っぱでこれからのことを考えようと試みる。だけど、思考はちっとも進まない。頭が考えようとしないのだ。今の私は答えを見つける力がない。死ぬ気もなければ、何かを始める気も起きなかった。/昼前に宿に戻ると、男の用意してくれた食事がテーブルに載っている。おにぎりとか、サンドイッチとか、簡単で冷めてもおいしく食べられるものだ。それを食べて、また外へ行く。何も考えず、ただ歩く、昼からは村がそれなりに活気づく。お年寄りばかりだが、何人かが畑で動く姿を目にする。人が働く姿を見ると、さすがに活動しなくてはいけないって気持ちになる。だから、私も少し一生懸命歩き回る。くたびれたら、そこら辺りに座り込んで、ただ、景色を眺める。時々、細い雨が降ったりするが、気にはならなかった。ただそれだけで、日々は過ぎていった。」

 彼女は生と死の間にいる。生物学的にはちゃんと生きているが、社会学的には「民宿の客」として、つまり地域共同体の外部から一時的にやってきた人間としてのみ存在する。彼女は社会から遊離している。物語は彼女が再び社会へかかわっていこうと決意するまでを描く。すなわち再生の物語である。前作『図書館の神様』も再生の物語であった。再生(再起)の物語は大衆文学の王道である。「忠臣蔵」も「プロジェクトX」も再生の物語である。われわれは再生の物語が好きなのだ。だが、そうであればこそ、再生の物語は大量生産され、マンネリになりがちである。読者はたんに再生の物語であるというだけでは感動しない。再生の過程をいかに瑞々しく、いかに繊細に、いかに説得的に描けるかが重要である。瀬尾まいこはそれをなんなくやってのける。才能というしかないが、彼女がこれから先ずっと才能だけでやっていけるとは思えない。どんな作家も自己模倣に陥る可能性はある。はたして彼女が次にどんな物語を書くのか、注目して待ちたいと思う。

 『天国にはまだ遠く』を読み終えて、シャワーを浴びてから、夕方の散歩に出る。今年の夏は遠出の予定はないが、もしリゾート地に行ったとしても、そこですることは、読書と昼寝と散歩で、要するに東京にいるときと変わらない。有隣堂で新刊本を4冊購入。片岡義男『自分と自分以外 戦後60年と今』(NHKブックス)、ジュンパ・ラヒリ『その名にちなんで』(新潮クレスト・ブックス)、中西新太郎『若者たちに何が起こっているのか』(花伝社)、丸山俊『フリーター亡国論』(ダイヤモンド社)。文房具のコーナーを見ていたら、携帯電話が鳴った。妻からで、そろそろ夕食の時間だから帰ってきなさいという電話だった。自分が社会から遊離しているわけではないことを実感する瞬間である。

 

8.13(金)

 夕食の後、TSUTAYAにCD(平原綾香のアルバム「ODYSSEY」)を返しに行って、ついでにパリオ5階の熊沢書店を覗く。ここは文庫と新書が充実している。森村誠一『人間の証明』(ハルキ文庫)、嶽本のばら『カフェー小品集』(小学館文庫)、角田光代『キッドナップ・ツアー』(新潮文庫)の3冊を購入。同じ駅ビルの本屋でも、東急プラザ6階の栄松堂は午後8時まで、サンカマタ6階の有隣堂は午後8時半までだが、ここは午後10時までやっているので、夕食後の散歩にはありがたい。私は夜の散歩はめったにしないが、今日のように昼間ずっと本を読んでいて、散歩に出られなかった(読書の切りが悪かったのだ)ときは、夕食後に散歩に出ることがある。蒲田駅周辺は、昼は繁華街だが、夜は歓楽街に変貌する。賑やかなのは嫌いではないが、客引きがしつこいのには閉口する。男の客引きはキャバクラ関係が多く、女の客引きはマッサージ関係が多い。前者は無視して歩いていれば向こうから離れていくが、後者は腕を持って引っ張ったりするので厄介だ。回り道をすれば、駅まで客引きに遭わずにすむルートもあるのだが、なんでこっちがそんなことをしなくちゃいけないのかという気持ちがあって、めったに使わない。しかし、最近になって気づいたのだが、こっちがジャケットを着ているときと着ていないとき(とくにTシャツ姿のとき)では客引きに声を掛けられる頻度が全然違うのである。服装でこちらの懐具合を判断しているのであろう。今夜はTシャツと麻のズボンとサンダルという「万全の」スタイルだったので、無事帰還することができた。人は見かけではないというが、嘘である。少なくとも夜の世界では、見かけが重要なのだ。

 

8.14(土)

 妻が友人と日本橋に買い物に行っているので、今日の昼食は娘が冷やし中華を作った。錦糸卵を焦がしてしまい、「卵はなしね」と言ったので、卵なしの冷やし中華はないだろうと、朝食の残りのオムレツを刻んで代用にする。昼寝から起きて、沢木耕太郎『テロルの決算』を読んでいたら、川越から妹夫婦がやってきた。モモという小さな犬も一緒だ。ウチの飼い猫のはるが階段の踊り場から顔だけ出して下の様子を伺っている姿がかわいかった。両親、妹夫婦、私たち一家4人の合計8人で「とん清」に食事に行く。混んでいるかと思ったが、全員がまとまって座ることができた。お盆休みで東京の人口は減っているようだ。妻も今日は電車がいつもより空いていたと言っていた。妹の夫が特上ロースカツ定食を注文し、私は特上ヒレカツ定食を注文した。「特上」を注文したのはわれわれ2人だけで、他の面々は「特上」の付かないロースカツ定食やヒレカツ定食を注文した。たかだか数百円の違いにすぎないのだが、みんなが世帯主に敬意を払ったような形になった。専門店で食べるトンカツはやはり旨い。ステーキは肉さえ上等なら家で焼いても旨いが、トンカツの場合はそうではない。トンカツを揚げるのは技術がいる。旨いトンカツを食べることは、人生の楽しみの中でもかなり上位にランクされる。ベスト10に入るほどではないとしても、ベスト50には間違いなく入るだろう。