1. 15(日)
今日はよく寝た。朝は普通に8時に起きたが、朝食の後、仕事をしていたら眠くなったので昼まで蒲団に潜り込んで寝て、午後も一仕事した後に1時間ばかりソファーで居眠りをし、夕食の後も蒲団に入ってウトウトしていたら、今日から始まるTVドラマ『輪舞曲(ロンド)』の時間になって妻に起こされた。先週は火曜日から土曜日まで毎日大学に出て、夕食を家で食べた日が一日もなかったから、疲れがたまっていたのだろう。『輪舞曲』はなかなか緊張感のあるドラマだが、子どもの頃に父親を殺された主人公(竹野内豊)が成長して刑事になるという設定は、やはり竹野内が主人公の刑事を演じた『人間の証明』と同じで、どうなのかと思った。石橋凌や橋爪功といった渋い脇役陣の中に入るには、組織のドン(杉浦直樹)の息子役の速水もこみちの演技力は心許ない。同じ若手でも竹野内の弟分役の佐藤隆太とは大分差がある。このドラマの最大の目玉はヒロインのチェ・ジウだが、気品があって気丈夫な役柄ははまり役かと思う。ただ照明の加減によってオバサンぽく見えてしまう場面があった。30代の女優さんはこういうのを気にするはずである。
1.16(月)
予約日ではないのだが、診察してもらいたいことがあって、父を車椅子に乗せて病院へ。11時で受付が終わってしまうのだが、支度に手間取って家を出たのがその15分前。一人でスタスタ歩いてもそのくらいかかる。飛ばしました。車椅子をあのくらい速く押している人間を街で見かけることはそうないだろうというくらいのスピードで飛ばしました。滑り込みセーフ。今日はいつも診てもらっているN医師が外来の担当の日ではないのだが、看護師さんが気を利かせてくれて、N医師がいまやっている手術を終えるまで待ってN医師に診てもらういことになった。待つこと2時間半。診察、検査を終えたのが午後2時。帰宅して、遅い昼食をとったら、3時になっていた。今日は久しぶりにジムへ行こうかと考えていたのだが、遅くなったし、何だかんだで疲れたので、やめにした。一つ隣の駅のキネカ大森に『有頂天ホテル』を観にいくこともチラッと考えたが、やはりやめておいた。映画を観るときもコンディションというのは大切なのだ。
夜、ビデオに録っておいたTVドラマ『小早川伸木の恋』(木曜10時)の初回を観る。『白い巨塔』で財前五郎を演じた唐沢寿明が同じく大学病院の外科医を演じているが、手術の腕が確かであること以外は、キャラクターはまるで違う。よき夫、よき父親でありたいと思いながら、ままならず、職場の人間関係にも辟易している。そんな彼の前に突然一人の魅力的で謎めいた女性(紺野まひる)が現れる。となれば、ストーリーはおのずから決まってくる。病院ドラマ+不倫ドラマである。両方とも好きな人には一粒で二度美味しいドラマであろう。紺野まひるがいい。これまで「これ」という当たり役に恵まれなかった彼女だが、こんどの役は彼女の魅力を十分に引き出している。
ところで、今夜、私が妻から今月分の小遣いを受け取ったとき(我が家ではそういうシステムなのだ)、その場に居合わせた娘が、その額の少なさに驚き、もっとあげるべきだ、その分お母さんがショッピングを控えるべきだ、という意見を妻に向かって言った。まことに正しい見識と言わねばならない。さすがに成人しただけのことはある。
1.17(火)
ある若手の社会学者の奥さん(彼女は私の教え子)から聞いた話。夫の小遣いは月額3万円(別途、学会費などのために毎月5000円を積み立て)。ただしその3万円を一度に渡すのではなく、1万円は彼名義の郵便貯金にして通帳は妻が管理している。残りの2万円を千円札20枚にして4つの袋に分割して、毎週一袋(5000円)ずつ渡している。こうすることによって彼が無計画に本を買って月の途中でその月の小遣いがなくなってしまうことがないようにしている。月1万円の郵便貯金は何のためかというと、妻への誕生日やクリスマスのプレゼントを購入する(させる?)ための予算なのだそうだ。・・・・私はこの話を聞いて、人間というものはどのような隷属的境遇にも適応できる動物なのだということを改めて認識したが、一つだけ、彼女に意見をした。社会学者には一見無関係に見える世の中のさまざまな事象の間に張り巡らされている見えない連鎖を読み解く能力、社会学者ミルズが「社会学的想像力」と呼んだところの精神の資質が求められる。そうした資質の涵養のためには、「無計画な本の購入」は必要な行為なのである。常に自分の周囲にアンテナを張って、そこに引っかかった書籍を迷わずに購入することは、社会学者のハビトゥス(身に付いた振る舞い)といってよいものである。だから社会学者の妻たるものが夫の足を引っ張るようなことはしてはいけません、と。彼女の夫は、昨日の私のフィールドノートの最後の部分を読んで、「全米が泣いた感動巨編やで!!」と生来の関西弁で彼女に訴えたそうだが、私もまた彼のために涙したことを告白しておこう。とくに「毎週一袋ずつ」というところには泣かされた。いや、泣いているのか、笑っているのか、わからない感じだった。織田作之助の名作、『夫婦善哉』を読んでいるような気分だった。
1. 18(水)
キネカ大森で『THE有頂天ホテル』を観た。大ヒットしている映画なので内容の紹介は不要だろう。大晦日の一夜、都心のホテルで展開されるさまざまな人間ドラマを緻密に計算された構成で相互に結びつけて「人間讃歌」という名の一枚のタペストリーに仕上げた三谷幸喜ワールドである。社会学者の仕事が一見無関係に見える世の中のさまざまな事象の間に張り巡らされている見えない連鎖を発見することにあるとすれば、劇作家の仕事は、いや、三谷幸喜という劇作家の仕事は、一見無関係に見える世の中のさまざまな事象の間に目に見える連鎖を張り巡らすことである。この二つは似て非なるものである。前者に必要なのは社会学的想像力であり、後者に必要なのは演劇的創造力である。三谷幸喜ワールドのもう一つの特徴は、オールスターキャストということである。ただしそれはたんに有名な役者がたくさん出演しているということではない。出演している役者のそれぞれに見せ場が用意されているということである。だから役者たちが全員、有名であるが故にではなく、生き生きとしており、それが三谷幸喜ワールド全体の輝きとなっている。これはおそらく三谷が劇団出身の脚本家であることと関係しているだろう。という意見を、連れの若い女性(彼女は大学の演劇研究会に所属していて役者であると同時に脚本も手がけている)に言ったところ、彼女は肯いていたので、たぶんあたっていると思う。最後に、誰もが気付いていることだが、三谷幸喜の「不幸」についても述べておくべきだろう。それは上手すぎるということだ。超絶的な技巧をもったピアニストは聴衆を感動させるよりも感心させてしまうのである。映画が終わり、私は売店でマスコット(映画の中に登場したダブダブという名のアヒル)付きの携帯ストラップを買って、連れの女性にプレゼントした。われわれは同じ電車に乗って、同じ駅で降り、同じ道を歩いて、同じ家に帰り、同じ食卓に着いて、同じ夕食を食べた。
1.19(木)
また財布を家に忘れてしまった。研究室の机の抽出の中にあった小銭をポケットに入れて、近所のコンビニへ行き、マルちゃんの赤いきつね(150円)を購入。7限の授業が始まる前に、研究室のトースターで常備食の切り餅を一個焼いて、力うどんにして食べた。これが本日の夕食。わびしい。もし銀行のカードや信販会社のカードを財布の中ではなく、たとえば定期券のケース(身分証や生協の組合員証などが入っている)の中に入れておけば、今日のようなことにはならないわけだが、カードはマネーの一形態であり、したがって財布に入れておくものという固定観念がある。・・・・と、ここまで書いてきて思い出したのだが、今日行ったコンビニはファミリーマートだったから、スイカ(JRの定期券)で支払いができたはずだ。私はまだ一度もスイカで買い物をしたことがない。今度、おにぎりを購入するときに試してみよう。
7限の基礎演習は本日で最終回。すでに補講期間で、この授業は一度も休講をしていないから本来は補講の必要はないのだが、グループ報告の数の問題で補講期間も使わないと終わらなかったのである。最終回のグループ報告は「郊外」の景観の均質性(全国どこでも同じ)をテーマにしたものだった。均質性の原因だけでなく、その是非(価値判断)や改善策にも踏み込んだ報告だったので、当然、質問や意見があれこれあって、時間を20分ほど延長した。私はずっと二文の基礎演習を担当しているが、今年度のクラスはなかなかよいクラスだった。他の学生の報告に対して質問や意見を言うというのは、当然そこに批判的なものが含まれることがしばしばだから、あたりさわりのない人間関係を志向する傾向の強いいまの若者たちの苦手とするところなのだが、今年度のクラスにはちゃんと自己主張のできる学生が多かった。残りの3年間、それなりの努力を怠らなければ君たちはいい線までいくだろう、と私は授業の最後に学生たちに言った。「金八先生」の最終回であれば、一人一人の学生の名前を呼びながら、それぞれに声をかけるところだ。そういう「感動のフィナーレ」もギャグとして面白かったかもしれないなと、研究室に戻る途中で考えた。
1.20(金)
3限の大学院の演習はOさん(学部生)がバブル期に流行したファションを素材にした自己論の報告を行った。びっくりしたのは、演習に参加している女子学生だけでなく、男子学生もファションに詳しい(関心のある)ことである。私が学生の頃もファションに詳しい男子学生はいたが、彼らはマイノリティであった。現代思想や文学に詳しい学生は一目置かれていたが、ファッションに詳しい男子学生についてはそういうことはなかった。むしろ蔑視の対象にさえなっていたように思う。一体、いつ頃からいまのようになったのだろう。5限の調査実習は全員がそろっての授業形式は今日が最後。これからは報告書の作成に向けてのグループ単位および個人単位の作業になる。最近実家から蜜柑がダンボール箱で送られてきたTさんから蜜柑のお裾分けをいただく。小振りで、皮の薄い、蒲郡産の蜜柑である。蜜柑らしい蜜柑である。とっても美味しい。何個でも食べられそう。授業を終えて、大隈会館の楠亭でやっている「正岡先生と35年を語る会」の発起人会(最終打合せ)に顔を出す。本番(1月28日)まであと一週間。細かな段取りを詰める。私の担当は「文集」。全体会の後、シャノアールで文集班の詰めの打合せ。文集の完成は本番の前日というタイトなスケジュールである。打合せを終わって外に出ると、夜空から小雪がちらほら落ち始めていた。
1.21(土)
降りしきる雪の中、午後から会議があり大学へ。メタセコイヤの並木が雪化粧をしている。東京育ちの私には雪は叙情的な対象である。舗道を歩いていると、頭の中で、「雪の降る町を」が聞こえる。♪雪の降る町を、雪の降る町を、思い出だけが通り過ぎてゆく・・・・。とくに雪にまつわる格別な思い出があるわけではないが、気分はすでにして高倉健である。自分は不器用な生き方しかできませんから、と誰かに言ってみたくなる。
1.22(日)
一年前に亡くなった義父の法要で三沢墓地へ行く。雪の墓地を歩く。昨日なら大変だったろう。夜、「正岡先生と35年を語る会」への出欠のハガキの通信欄に書かれたメッセージを文集用に編集する。150人以上のデータがあり、18ページにもなった。一昨日の打合せでは、この部分は3ページの割当だったのだが、まあ、文集に厚味が出るからよいのではないだろうか。深夜、編集長のTさんに18ページの原稿をメールで送る。もし「当初の予定どおり3ページに収めて下さい!」という返事が返ってきたら、私、泣きますね。いや、ぐれてやる。
1. 23(月)
予定では今日からジムでのトレーニングを再開するはずであったが、父の体調が芳しくなく、そうもいかなくなった。夕方、息抜きに散歩に出る。シャノアールで日誌(ほぼ日手帳を使っている)を書く。これは「フィールドノート」とは違って、普通の感覚でいう日記に近い。もちろん非公開である。日誌は家の外で書くことが多い。日誌を書くことは私にとって日常生活を客観的に見る行為であるから、家という日常的空間の外部での方が書きやすいのである。筆記具には万年筆かボールペンを使っているが、万年筆で書くときと、ボールペンで書くときとでは、文章のタッチに違いがあることに最近気がついた。筆圧との関係かと思うが、万年筆で書くときの方が肩の力が抜けている。こう書くと、万年筆で書いたときの文章の方がいいように聞こえるかも知れないが、必ずしもそうではなくて、肩の力を抜いて書くべき事柄と、多少力んで(文章を書くという行為に意識的になって)書くべき事柄で、筆記具を使い分けているのである。今日は、焼き餅入りぜんざいと日本茶のセットを注文して、万年筆を使って書いた。有隣堂で、保坂正康『東条英機と天皇の時代』(ちくま文庫)、畑中史代『差別とハンセン病 「柊の垣根」は今も』(平凡社新書)、岩間夏樹『新卒ゼロ社会 増殖する「疑似社員」』(角川書店)、高橋呉郎『週刊誌風雲記』(文春新書)を購入。売り場の隅っこで今年のカレンダーや手帳がまだ売られている。カレンダーは半額セールになっているものもあるが、手帳は安売りしないことになっているらしく、定価のままである。売れ残りは全部廃棄処分されるのであろう。コンビニの弁当と同じだ。手帳の定価はこうした大量の売れ残りを見越して最初から高値に設定されているのである。
1.24(火)
午前11時からカリキュラム委員会。それが終わって、10分ほどの間に文カフェで昼食(鶏肉うどん)をとり、午後1時からの入試関連の会合に出る(少し遅刻)。ついあれこれ発言してしまい、危うく分科会の世話役にされそうになり、とんでもないと固辞する。仕事を増やしたくなければ、会議で発言しないことである。少なくとも提案めいたことは言わないことである。これ、穏やかな人生を送るための鉄則である。しかし、発言らしい発言をしないのであれば、会議に出ている時間は人生の中の無意味な時間になってしまう。多忙を覚悟で意味を求めるか、多忙を回避して無意味を甘受するか。それが問題だ。2つ目の会議が終わってから、家に電話を入れ、父の様子を尋ねる。近所のY医院の先生に往診を頼んで来てもらっているところだとのこと。Y先生と替わってもらって電話で話を聞く。すぐに帰宅する必要はないようなので、夕方まで、研究室で期末試験の採点。帰りがけにあゆみ書房で、堀江珠喜『純愛心中 「情死」はなぜ人を魅了するのか』(講談社現代新書)、本田由紀・内藤朝雄・後藤和智『「ニート」って言うな!』(光文社新書)、四方田犬彦『「かわいい」論』(ちくま新書)、三浦展『ファスト風土化する日本 郊外化とその病理』(洋泉社)、香山リカ『貧乏クジ世代 この時代に生まれて損をした!?』(PHP新書)、ジャウジン・サルダー+ボリン・ヴァン・ルーン『カルチュラル・スタディーズ』(作品社)、純文学研究所編『15歳からのニッポン文学 勝手に純文学ランキング』(宝島社)を購入。『カルデュラル・スタディーズ』の帯には「1時間で、あの「カル・スタ」の全貌がわかる!」と書いてあったので、ほんとうだろうかといぶかりつつ、電車の中で30分、帰宅してからさらに30分、計1時間けっこう集中して読んでみたが、半分(90頁)しか読めなかった。もっとも帯には「1時間で読み終えることができる」とは書かれていないし、半分読んだだけで「全貌」がわかってしまう頭のいい人も世の中にはいるかもしれないので、「広告に偽りあり!」とは言えない。この本は「マンガ版」で活字が少ないので、1分で3頁のペースで読めば、1時間で読み終えることができる計算になる。しかし、読書というのは、読みながらときどき立ち止まって考える時間が大切というか、それが読書の醍醐味ではないかと思うので、ハイペースかつノンストップの読書というのは、充実しているように見えて、やはり意味に乏しい時間のように思える。多忙さと充実感はしばしば混同されやすいものである。
1.25(水)
父を車椅子に乗せて病院へ。80歳を越えた人間の病気に「治癒」を期待することはできない。いかに「小康状態」を、相対的に快適な状態を保つかということである。待合所の椅子に座って、母が、「以前は病院の廊下をよたよた歩いている老人を見ると気の毒だなと思っていたけれど、いまは自分の足で歩けるだけ立派だと思うようになったわ」と言った。確かにその通りだと私も思った。病院から帰って、遅い昼食をとりに「やぶ久」へ。腹ぺこだったので、いつものすき焼きうどんにご飯を追加注文した。腹一杯食べられることの幸福を感じながら食べた。
1.26(木)
昼から大学へ。昼食は高田牧舎でハヤシライスと珈琲。夕方まで研究室で試験の採点。途中、息抜きに、文カフェでおでん(大根、玉子、竹輪、ロールキャベツ)を食べ、生協文学部店で便利グッズ(携帯電話の乾電池式携帯充電器、ストラップ用のミニ・ボールペン)を購入。便利グッズは携帯電話に装着したところを撮りたかったのだが、人間が自分の顔を自分の目で直接見ることができないように、携帯のカメラで携帯自身を撮ることはできないのである。夕方から「正岡先生と35年を語る会」の打合せ。文集は明日一日で印刷と製本(200部ほど)をしなければならない。出よ! 火事場の馬鹿力。夕食は五郎八で天せいろ。数年前まで二文の事務所の職員でいまは理工学部の事務所にいるHさんと一緒になる。ここの蕎麦のファンでよく来るのだという。Hさんの定番はきざみ鴨せいろである。カウンターでしばし蕎麦談義。修論と卒論を紙袋に入れて、自宅に持って帰る。ずしりと重い。
1.27(金)
昼から大学へ。昼食は「ほづみ」の塩ラーメンと半チャーハン。ここはカウンター席のみの店で、他に客がいないと、カウンターの向こう側の方々(ご家族3名ほど)と対座する形で食べることになり、少々緊張するのだが(「携帯のスイッチは切って下さい」という貼り紙も緊張感を増幅させる効果がある)、今日は先客が5人ほどいたので、安心して暖簾をくぐる。午後2時頃から文集の作成に入る。当初は、片面印刷で部数も40部の予定だったので、夕方までには終わると踏んでいたのだが、土壇場になって、両面印刷で部数も220部と技術的にも量的にも要求水準がアップした。4台のプリンターを動員して印刷を行ったが、カラー写真を組み込んだページの印刷に恐ろしく時間がかかったり、プリンターが途中で動かなくなったり、トナーが切れたり、両面印刷のページの組み合わせを間違ったり・・・・およそ考えられる限りのトラブルが次々に発生し、これはとても今日中に終わらないのではいかと絶望的な気分になったりしたが、夕食の弁当を食べるあたりから作業が軌道に乗り、午後11時を少し過ぎた頃、ようやく最終段階のホチキス止めの作業が始まった。残念だったのは、終電の関係で、最後の一冊のホチキス止めが終わるのを見届けられなかったことだ。A4判、74ページの立派な冊子に仕上がった。今日の作業を手伝って下さったみなさん、とくに正岡ゼミの学生諸君、どうもありがとう。
1.28(土)
昼から大学へ。昼食は五郎八の天せいろ。今日はこれからいろいろ行事があるので、せいろは普段より一枚多い三枚にしてもらった。午後1時から長田先生の研究室でN君の修士論文の口述試験。それを終えてから、2時40分からの正岡寛司先生の最終講義に出席。たくさんの卒業生(歴代の正岡ゼミの方々)で38号館AV教室が埋まった。引き続き、夕方から場所を九段会館に移して、「正岡先生と35年を語る会」が開かれた。これは歴代の正岡ゼミの合同懇親会というべきもので、出席者は150人を越えていた。昔、私が大学院生として参加させていただいたゼミもいくつかあり、また、最近の卒業生は講義や演習で顔見知りだから、私自身にとっても楽しい会だった。2時間はあっという間に過ぎた。おそらく正岡先生にとっては35年という教員生活もあっという間に過ぎたのかもしれない。
1. 29(日)
朝食を済ませて、パソコンに向かっていると、頭痛がした。私にしては珍しいことである。サイコロジカルな意味で頭の痛いことはしばしばあるが、フィジカルな意味で頭が痛いことはめったにない。「頭痛にノーシン」とかのコマーシャルを見ているときも頭痛とはそんなにつらいものなのかと他人事として見ている(同じことは二日酔いの薬のコマーシャルについても言える。ただしそれは私が酒に強いからではなく、酒を飲まないからである)。それでも、ごくたまに、頭の一区画がドックンドックン痛むことがある。そして、「ああ、これが偏頭痛というやつか」と珍しい蝶々を捕まえた昆虫学者のような気持ちで頭痛を受け止める。さて、どうしたものか。とりあえず横になってみるかと、蒲団に入って昼まで寝直したら、頭痛はきれいさっぱり消えていた。雲散霧消とはこういうときに使う言葉だろう。スッキリした頭で昨日の「正岡先生と35年を語る会」で久しぶりで再会した人たちの顔を思い浮かべた。あらためていい会だったと思う。
1.30(月)
昨日今日といい天気なのだが、一歩も外へ出ていない。髭も剃っていない。父を介護し、庭の鉢植えに水をやり、ベランダに居着いてしまった野良猫(仔猫二匹)の相手をしていると、何となく一日が過ぎていく。陰鬱で、長閑な、そんな一日。
1.31(火)
ちょうど2ヵ月前、12月1日のフィールドノートで、二文の学生Kさんがミス日本コンテストの全国大会に出場が決定した話を書いた。その全国大会が昨日行われ、私の(希望的)予測どおり、Kさんがミス日本グランプリを受賞した。彼女の名前は小久保利恵さん。社会人間系専修の2年生で、昨年度、私の基礎演習の学生だった。小久保という姓がいかにも教え子という感じがするではないか。これから忙しい日々が始まるであろうが、健康に気をつけて、そして自分を見失わずに、頑張っていってほしい。
明日は卒論の口述試験の日。学生の一人からメールが来て、何時からどこでやるのですかと訊いてきた。そんな重要なことも知らないのかと唖然とする。文学部ホームページに載っている(ただし集合時刻のみ。場所はキャンパスの掲示板)。返信のメールにその旨を書き、冗談で、「場所はカフェ・ゴトーです」と書いたら、すぐにまたメールが届き、カフェ・ゴトーでやっていただけるとはとても嬉しいですと書いてあった。どうも冗談が通じていないようである。冗談の解説をするなんて・・・・と思いつつ、再び返信のメールを送る。