8時、起床。ベーコン&エッグ、わらびと蕗の煮物、ご飯の朝食。
昼前に自宅を出る。大学へ向かう前に池上に寄り、「甘味あらい」に顔を出す。3週間ぶりである。豆寒を注文し、客は私一人だったので、昨日、鎌倉で2箇所の甘味処へ行った話をして、ご主人と甘いもの談義をする。八幡宮の近くにご主人のお知り合いの方がやっている「ことのは」という甘味処があるそうなので、今度鎌倉に行ったときに、寄ってみることにしよう。
早稲田に着いて、「五郎八」で昼食。天せいろを注文するつもりで、天ざると言ってしまったので、蕎麦の上に刻み海苔が載って出てくる。私の好みとしては、刻み海苔はそばの上にではなく、他の薬味同様、皿に載っていた方がいい。蕎麦を箸でつけ汁に運ぶときに邪魔なのである。今日はキスの天ぷらがとても美味しかった。思わず、キスの天ぷらだけ追加注文しようかと思ったほどである(わがままなので堪えた)。
教務室にちょっと顔を出してから、研究室で雑用を片付ける。ゼミで使うテキストが生協から届いたので、ゼミ生たちにGW前に取りに来るようにメールで連絡する(みんなちゃんとメールを見ているだろうか?)。
節電で廊下が暗い。静かだ。出入り口のところが明るくて、幻想的な雰囲気がある。希望へのエクソダス(脱出・出口)。でも「立入禁止」のところもある。村上龍『希望の国のエクソダス』(2000)の中の「この国には何でもある。本当にいろいろなものがあります。だが、希望だけがない」という一節は有名で、いろんな人がいろんな所で引用しているが、それで思考を停止してしまうのはお手軽だろう。気の効いたフレーズを引用して、したり顔をするのではなく、「本当にそうだろうか?」と自問してみることが大切である。
今日は午後6時から「高田牧舎」で現代人間論系の教員懇親会がある。会場に向かいながら、馬場下の交差点で振り返ると、雲が夕日に染まっていた。今日は晴れたり、曇ったり、雨が降ったりの不安定な天気の一日だった。春にはこういう日がときどきある。
懇親会は、例年、「西北の風」を会場にしているのだが、地震の日以来、夜の営業の自粛が続いている。これからの季節、15階から眺める夕暮れの景色は格別なので、もうそろそろ平常営業に戻っていいのではなかろうか。
本日の懇親会の出席者は25名(専任と非常勤の先生が半々)。放送大学時代の同僚だった坂井素思先生がいらしてくれたので(春期の演習「現代人と職業」を担当される)、久しぶりでお話をする。二人ともブログをやっているのだが、坂井先生はこのところ大変お忙しくて、ブログの更新がままならない。元々「日曜ブロガー」なのだが、最近は「月イチブロガー」せいぜい「隔週ブロガー」である。「あなたも相当忙しいはずなのにバランスが崩れないね」と坂井先生に言われる。まあ、確かに、ブログは毎日更新している。ただし、これはバランスが崩れていない証拠ではなく、バランスを崩さないようにと心がけている結果である。仕事の時間、家族の時間、個人の時間、この三点からなる三角形をできるだけ正三角形として維持すること、これが日常生活において私が心がけていることである。ブログを更新することは、一種の自己モニタリング行為で、野球の選手が鏡の前で素振りをしたり投球フォームをチェックするみたいなものである。
ところで、坂井先生は横浜にお住まいなのだが、坂井先生によると横浜の住民は鎌倉に対抗意識みたいなものがあって、私のようにホイホイと鎌倉に出かけることが難しいのだそうだ。私から見ると、横浜と鎌倉はずいぶんとタイプの違う街で、競合関係にはないように思えるのだが、地元民の意識というのは外側からは簡単に推し量れないもののようである。坂井先生は横須賀美術館によく行かれる。横浜市民は、鎌倉の向う、横須賀や逗子に親近感があるようである。横浜には「ブルーライト・ヨコハマ」(いしだあゆみ)、横須賀には「横須賀ストーリー」(山口百恵)という名曲がある。しかし鎌倉にはそれに相当するものがない(ないよね?)。比較都市社会学的な考察のポイントはとりあえずこの辺りにあるだろう。(以下、続くということはありません)
間もなく授業開始。みなさんよろしくお願いします。