8時、起床。ハンバーグ、目玉焼き、トースト、紅茶の朝食。今日が締め切りの書類を事務所に提出するために大学に出るつもりであったが、とりあえず添付ファイルで送れば、捺印は5月2日(授業のある日)でいいですということになり、今日一日の過ごし方の自由度が増す。それにしても、われわれの社会に残存している捺印という制度はこれから先もずっと存続するのであろうか。大学関係の書類でも、捺印の指示があるものとないものがあるが、両者にとくに重要度の違いがあるようには思えないのだが・・・。しかも登録している印鑑でないとダメというのであればまだ話はわかるが、どんな印鑑でも構わない場合が大部分で、そうなると捺印の意味って一体何なのだろう。
8年前に一文の社会学専修を卒業したTさんからメールが届く。卒業以来だろうか。4年前に結婚し、いまは関西在住とのこと。去年、私のブログの存在を知り、いつも見てくれているそうで、3月27日の「シュルレアリスムと写真」展(東京都写真美術館)の話を読んでメールを出したくなったのだという。Tさんの卒論(私が指導教員だった)のテーマがシュルレアリスムだったのだ。毎年、たくさんの学生を送りだしているが、卒業後は音信不通になる場合が大部分である。それは自然の理というもので、もしも卒業後も在学中と同じ調子で彼ら彼女らと連絡をとりあっていたら、教師の生活はそれだけで手一杯になってしまうだろう。しかし、さまざまな理由で、どうしているだろうと気になる卒業生というものはいるもので、Tさんはその一人であった。今日、遠い宇宙の彼方から発信された電磁波のような彼女からのメールを受信したことで、気がかりだったことの一つが解消された。ところで、Tさんからのメールを読んで改めて思ったのだが、フィールドノートの読者が(私にとって既知の人であれ未知の人であれ)私にメールを送信するためには、何かしらの「接点」を必要とするらしいということであった。今回のTさんの場合、それは「シュルレアリスム」であったわけだが、「接点」となるものはあまりに一般的なものはだめで、たとえば、「先生は朝食はトースト派ですね。私もトースト派です」というのは「接点」というには弱く、「先生の哲学的な立場はストア派ですね。私もストア派です」くらいマニアックであることが必要とされるようである。未知の読者が、あるいは既知であっても自分のことは忘れてしまっているのではあるまいかと危惧する卒業生が、メールを送信するというのはそれくらい強度の「接点」を必要とする行為らしいのだ。その心理はわからないではないけれども、私としては、そうした「接点」がなくても、読者から、あるいは卒業生からメールをいただくことは単純に嬉しいですけどね。
昼食にざるそばを食べてから、ジムへ行く。7キロ半のウォーキング&ランニング。特筆すべきは、最初の15分間のウォーキング(時速6キロ)の後、30分間ノンストップでランニング(時速8.5キロ)をしたことだ。それがどうしたというなかれ。30分間ノンストップで走り続けることはけっこう大変なのである。ジムでのトレーニングを始めたときの私がそうだったが、3分も走れば足が重くなり、息があがる。普段、電車に乗り遅れそうなときくらいしか走ることをしない大人はたいていそうである。それが、いまや30分間ノンストップである。しかも残り15分間をウォーキンングとランニングのインターバルに切り替えたのはヘトヘトに疲れてもう走れなくなったからではない。まだ余裕はあったが、走り高跳びのブブカ選手と同じで、記録の更新はちょっとずつにした方が新記録の感激を何度も味わえるからだ。目標は60分間ノンストップ。それが達成できたら、今度は速度を上げてゆく。目標は時速10キロ。時速10キロで60分間ノンストップで走れた暁には・・・「24時間テレビ愛は地球を救う」の出演依頼を待つ。でも、武道館に定刻よりもずいぶんと早く到着してしまったら番組としては盛り上がりに欠けるであろうから、本気は出せないな、と妄想はとめどがない。
トレーニングを終えて「ルノアール」で読書。十川信介『近代日本文学案内』(岩波文庫別冊)を読む。夏目漱石の『三四郎』(明治41年)は三四郎が汽車に乗って九州から上京してくる場面が冒頭で描かれる。そこで三四郎はたまたま向かいに座った女から相宿を頼まれるのである(しかも彼はその申し出を受ける!)。志賀直哉の『網走まで』(明治43年)は主人公(自分)が上野から宇都宮までの車中でたまたま向かいに乗り合わせた母子の様子を観察する話である。そして宇都宮で主人公が下車するとき、彼はその女から彼女が車中で書いた二通の葉書の投函を頼まれる。こうした見知らぬ同士の一種の親密な関係性の形成が当時の汽車の中では行なわれていた。この話はそのうち「日常生活の社会学」の中で使えそうだ(だからここではこれ以上は語らないことにしよう)。「TAKANO」でケーキを買って帰る。
8年前に一文の社会学専修を卒業したTさんからメールが届く。卒業以来だろうか。4年前に結婚し、いまは関西在住とのこと。去年、私のブログの存在を知り、いつも見てくれているそうで、3月27日の「シュルレアリスムと写真」展(東京都写真美術館)の話を読んでメールを出したくなったのだという。Tさんの卒論(私が指導教員だった)のテーマがシュルレアリスムだったのだ。毎年、たくさんの学生を送りだしているが、卒業後は音信不通になる場合が大部分である。それは自然の理というもので、もしも卒業後も在学中と同じ調子で彼ら彼女らと連絡をとりあっていたら、教師の生活はそれだけで手一杯になってしまうだろう。しかし、さまざまな理由で、どうしているだろうと気になる卒業生というものはいるもので、Tさんはその一人であった。今日、遠い宇宙の彼方から発信された電磁波のような彼女からのメールを受信したことで、気がかりだったことの一つが解消された。ところで、Tさんからのメールを読んで改めて思ったのだが、フィールドノートの読者が(私にとって既知の人であれ未知の人であれ)私にメールを送信するためには、何かしらの「接点」を必要とするらしいということであった。今回のTさんの場合、それは「シュルレアリスム」であったわけだが、「接点」となるものはあまりに一般的なものはだめで、たとえば、「先生は朝食はトースト派ですね。私もトースト派です」というのは「接点」というには弱く、「先生の哲学的な立場はストア派ですね。私もストア派です」くらいマニアックであることが必要とされるようである。未知の読者が、あるいは既知であっても自分のことは忘れてしまっているのではあるまいかと危惧する卒業生が、メールを送信するというのはそれくらい強度の「接点」を必要とする行為らしいのだ。その心理はわからないではないけれども、私としては、そうした「接点」がなくても、読者から、あるいは卒業生からメールをいただくことは単純に嬉しいですけどね。
昼食にざるそばを食べてから、ジムへ行く。7キロ半のウォーキング&ランニング。特筆すべきは、最初の15分間のウォーキング(時速6キロ)の後、30分間ノンストップでランニング(時速8.5キロ)をしたことだ。それがどうしたというなかれ。30分間ノンストップで走り続けることはけっこう大変なのである。ジムでのトレーニングを始めたときの私がそうだったが、3分も走れば足が重くなり、息があがる。普段、電車に乗り遅れそうなときくらいしか走ることをしない大人はたいていそうである。それが、いまや30分間ノンストップである。しかも残り15分間をウォーキンングとランニングのインターバルに切り替えたのはヘトヘトに疲れてもう走れなくなったからではない。まだ余裕はあったが、走り高跳びのブブカ選手と同じで、記録の更新はちょっとずつにした方が新記録の感激を何度も味わえるからだ。目標は60分間ノンストップ。それが達成できたら、今度は速度を上げてゆく。目標は時速10キロ。時速10キロで60分間ノンストップで走れた暁には・・・「24時間テレビ愛は地球を救う」の出演依頼を待つ。でも、武道館に定刻よりもずいぶんと早く到着してしまったら番組としては盛り上がりに欠けるであろうから、本気は出せないな、と妄想はとめどがない。
トレーニングを終えて「ルノアール」で読書。十川信介『近代日本文学案内』(岩波文庫別冊)を読む。夏目漱石の『三四郎』(明治41年)は三四郎が汽車に乗って九州から上京してくる場面が冒頭で描かれる。そこで三四郎はたまたま向かいに座った女から相宿を頼まれるのである(しかも彼はその申し出を受ける!)。志賀直哉の『網走まで』(明治43年)は主人公(自分)が上野から宇都宮までの車中でたまたま向かいに乗り合わせた母子の様子を観察する話である。そして宇都宮で主人公が下車するとき、彼はその女から彼女が車中で書いた二通の葉書の投函を頼まれる。こうした見知らぬ同士の一種の親密な関係性の形成が当時の汽車の中では行なわれていた。この話はそのうち「日常生活の社会学」の中で使えそうだ(だからここではこれ以上は語らないことにしよう)。「TAKANO」でケーキを買って帰る。