6.15(日)
夕方、散髪に出かけたが、床屋が混んでいたので、散歩に切り替える。「南天堂」で、江國香織『東京タワー』(マガジンハウス)を500円で、蓮見重彦『夏目漱石論』(青土社)を900円で購入。 「シャノアール」でクリームソーダを飲みながら、しばし蓮見節に耳を傾ける。
「漱石をそしらぬ顔でやりすごすこと。誰もが夏目漱石として知っている何やら仔細ありげな人影のかたわらを、まるで、そんな男の記憶などきれいさっぱりどこかに置き忘れてきたといわんばかりに振舞いながら、そっとすりぬけること。顔色ひとつ変えてはならない。無理に記憶をおし殺そうとするそぶりが透けてみえてもいけない。ただ、そしらぬ顔でやりすごすのだ。それには、首をすくめてその影の通過をじっと待つ。肝腎なのは、漱石と呼ばれる人影との出逢いなど、いずれは愚にもつかないメロドラマ、郷愁が捏造する虚構の抒情劇にすぎない。だが、やみくもに遭遇を避けていればそれでよいというわけのものでもない。漱石と呼ばれる人影のかたわらをそっとすりぬけようとするのには、それなりの理由がそなわっている。それは、ほかでもない、その漱石とやらに不意撃ちをくらわせてやるためだ。漱石を不意撃ちにすること。それも、ほどよく湿った感傷の風土を離れ、人影が妙に薄れる曖昧な領域で不意撃ちすること。だが、なぜ不意撃ちが必要なのか。誰もが夏目漱石として知っている何やら仔細ありげな人影から、自分が漱石であった記憶を奪ってやらなければならぬからである。人影は、いかにもそれらしく夏目漱石などと呼ばれてしまう自分にいいかげんうんざりしている。」
夕食は、父の日ということで、すき焼きだった。娘からハンカチをもらう。
6.16(月)
ただいま午前3時を少し回ったところ。〆切を過ぎていた原稿をようやく書き上げて、夜の道をポストに投函してきたところだ。帰りにコンビニで「大粒いくら醤油漬おむすびごはん」を1つ買ってきて、いま、それを食べた。夜食は体によくないので、いつもは食べないのだが、原稿完成のささやかな宴だ。
6.17(火)
教授会のとき、いつものように本を読んでいたら、近くの席に座っていた安藤先生が「『少年カフカ』買いました?」と話しかけてきた。ああ、『海辺のカフカ』をめぐって村上春樹と読者がやりとりしたメールを本にしたやつか。まだ買っていない。「面白いですよ」と安藤先生。それからしばらくして、また安藤先生が話しかけてきた。「フィールドノートを拝見していると、大久保さんの買っている本はたいてい私も買っています。私、社会学専修に移ってもいいですか?」私は笑って聞き流したが、心の中で呟いた。「安藤さん、あなたは勘違いをしている。あなたが社会学的なのではなくて、私が文学的なのだ。」
午後1時から始まった教授会が4時になってもまだ終わらないので、郵便局に行かねばならない私は、途中で退席。郵便局で用事を済ませた後、「あゆみ書房」に寄って『少年カフカ』を購入し(B5判の大きさの『少年ジャンプ』みたいな体裁の本だ。500頁もあって950円はお得感がある)、「シャノアール」で珈琲ゼリーを食べながら目を通す。しかし、よくもまあ1220通のメールに返事を書くよな・・・・。村上春樹現象を支えている春樹ファンの心理を分析するには欠かせない資料となることだろう。ただ、私自身はそういう分析には興味がなく、もっぱら村上の文章(「Author’s Voice」や「特別インタビュー 村上春樹、『海辺のカフカ』について語る」や「『海辺のカフカ』ができるまで 加藤製本見学記」)を読んだ。
いったん研究室に戻り、雑用を片付けてから、今日は帰りに床屋に寄ろうと、午後5時前に大学を出る。地元蒲田の行きつけの床屋は2600円の低料金(もっと安いところもあるが、安かろう悪かろうになっていく)。今日の私の担当は中国人の女性で、日本語はカタコト。でも、国際情勢について語るわけではないから問題はない。散髪と洗髪がすんだところで、中国人の客が入ってきて、彼女はそちらの担当に回り(たぶんこういう場合のために雇われているのだろう)、髭剃りは別の(日本人の)女性にやってもらった。
床屋を出て、さっぱりしたところで、「書林大黒」をのぞく。今日は文庫を中心に購入。
(1)クラウス・ヴァーゲンバッハ『若き日のカフカ』(ちくま学芸文庫)*600円(買値、以下同じ)
本物の「少年カフカ」の写真が載っている。
(2)池内紀『カフカのかなたへ』(講談社学術文庫)*600円。
カフカつながり。
(3)エーリッヒ・ケストナー『人生処方箋詩集』(ちくま文庫)*250円
詩集の元のタイトルは「ドクトル・エーリッヒ・ケストナーの抒情的家庭薬局(Lyrische Hausapotheke)」。「家庭薬局」とは「家庭的な薬局」のことではなくて「薬箱」のこと。
(4)ヘンリー・ソーロー『市民としての反抗』(岩波文庫)*200円
ソーローは散歩が好きだった。この本に収められている「散歩」という文章の中で、彼はこう書いている。「私は、少なくとも一日に四時間―大ていはそれ以上だけれどーすべての浮世の約束からすっかり解放されて、森の中を通り、丘や田畑を越えてぶらつかないと、自分の健康と元気を保てないように思うのである。それでいったい何をぼんやり考えているのか、一ペニーあげるから言ってごらん、いや千ポンドあげてもいい、と諸君が言うのは尤もなことである。ところが私としては、時々、多くの職人や店主が午前中いっぱい、いや午後もおそくまでーまるで足は立ったり歩いたりするためのものでなく、坐るためのものでもあるようにー足を組んで、彼等の店の中に坐っていることを思い出すと、よくもとっくの昔に自殺しなかったものだと考えるのである。」・・・・同感だね。
(5)カズオ・イシグロ『浮世の画家』(中公文庫)*250円
パッと見たとき、『浮世絵の画家』かと思っちゃいました。An Artist of the Froating World-確かに「浮世の画家」。意訳じゃありませんね。イシグロはアンソニー・ホプキンス主演の映画『日の残り』の原作者。だからこれも英国の話かと思ったら、舞台は戦後の日本だった。
(6)『日本児童文学名作集』上下(岩波文庫)*700円
近代日本における「人生の物語」の生成を論じる上で、児童文学(童話)は欠かせぬ素材。
(7) 芹沢俊介『「イエス」の方舟論』(ちくま文庫)*300円
先日、朝倉喬司「戦後日本における犯罪の変容」という論稿を読んで、「イエスの方舟事件」(1980年)は戦後日本の家族の変容のある一面を象徴する事件であったと思ったので。
(8)中野孝次『ブリューゲルへの旅』(河出文庫)*250円
口絵の「雪中の狩人」が好きなので。
(9)川喜多二郎『発想法』(中公文庫)*180円
新書判では2冊もっているが、文庫判にもなっていたとは知らなかった。
(10)鶴見俊輔編『老いの生きかた』(ちくま文庫)*250円
今年から文学部の専任教員になられた鶴見太郎先生(俊輔氏のご子息)は、今日も教授会にネクタイをして出席されていた。無論、会議中に本なんか読んでいない。背筋を伸ばして前をみておられた。立派だ。
(11)『池波正太郎自選随筆集』上(朝日新聞社)*1000円
立派な箱入りの本。上下揃っていたらこんな値段じゃ買えないだろう。「チキンライス」という一文のなかで、彼は子どもの頃、お子様ランチのチキンライスが大嫌いであったと書いている。「トマトケチャップの匂いが、どうにもきらいだったのである。」それが戦時中に飛騨高山の〔アルプス亭〕で食べたチキンラス(それしかメニューになかった)でチキンライスの美味しさにめざめたのだそうだ。「プリプリと歯ごたえのある鶏肉がたっぷりと入り、トマトケチャップで熱く香ばしく炒めた飯を、あたたかく燃えているストーブの傍らで食べるたのしさ、うまさ、うれしさというものは、たとえようもなかった。以来、私はチキンライスが大好物となった。(中略)レストランで、いろいろ香料をまぜ合わせた上等のチキンライスよりも、私は、トマトケチャップだけで炒めたやつを、田舎の食堂などで食べるのが好きだ。」・・・・明日の昼食はチキンライスで決まりだ。
6.18(水)
夕方からグループ発表の相談をしていたら8時になり、お腹がすいたので、そのまま文学部前の「レトロ」に食事に行く。相談の続きをするはずだったが、結局、雑談になる。女性問題で悩んでいるY君が、「女性は好意をもった男性にどんな風にそれを伝えるのだろう?」と質問すると、Aさんは、「友だちの例だけど」と断った上で、「相手の男性の二の腕に触るようになるの」と答えた。私はそれを聞いていて、二の腕に限らず相手の体に触れるのはその相手に好意(性的関心)をもっているというメッセージだというのは、デスモンド・モリスが『ボディ・ランゲジ』の中で書いていたなと思った。
同時に、私は別のきわめて個人的体験を思い出した。ずいぶん前の話だが、ある女子学生と昼食にうどんを食べていたときのことだ。彼女はうどんを3分の1くらい残して、こう言った。「先生、お食べになりませんか?」、そしてこう付け加えた、「私の食べ残しはおいやですか?」私は一瞬考えた。サンドイッチとか、お寿司とか、そういう個々の単位が分離している料理ならば、何の抵抗もなくいただくところだが、この場合はうどんですからね、うどん。ついさっきまで彼女がずるずるとやっていたその残りですからね。しかし、次の瞬間には、私は彼女の前にある丼を自分の前に引き寄せ、残ったうどんを食べ始めていた。無論、腹が空いていたからではない。ここは食べないわけにはいかないと判断したからである。おそらくあれは踏み絵のようなものだったのだと思う。もし、私がそれを食べなければ、彼女は自分の存在が否定されたと感じるはずだ。「私の食べ残しはおいやですか?」という問いは、そういうことである。怖い問いである。女性はしばしばこうしたやり方で、目の前にいる人間が自分を受け入れてくれる人間かどうかを試すのである。私はY君にこの話をしようかどうしようか迷ったが、しなかった。理由は2つ。第1に、Y君が女性恐怖症になるといけないから。第2に、同席していた3人の女子学生がこれを真似るといけないから。
ところで、昨日のフィールドノートの冒頭で、教授会のときの安藤先生との会話を書いたが、どうも私の記憶に思い違いがあったらしい。私の記憶では、最初に『少年カフカ』についての会話があり、次に彼と私の読んでいる本が同じで云々の会話があるのだが、今日、安藤先生がおっしゃるには、『少年カフカ』についての会話は後で、しかも、彼と私の読んでいる本が同じで云々の会話は2人の間で交わされたのではなくて、私の同僚のM先生が冗談で「安藤先生、社会学専修に移ったら?」と言ったことに対して、「そうね、読んでいる本は大久保先生と同じだし」と答えて言ったものとのこと。私は驚くと同時に、芥川龍之介の「藪の中」という短編を思い出した。それはある殺人事件をめぐって複数の証人の語る内容がそれぞれ異なるという話で、現象学的社会学風に言えば、「現実」というものの多元的構成がテーマの話である。私の専門のライフヒストリー調査などでも、対象者の語る「人生の物語」は当人にとっての主観的事実であり、客観的事実と異なっていてもそれはかまわないという立場が主流である。だから、私と安藤先生との間で2人の会話のストーリーが違っていても問題ではないのだが、しかし、もし英文学専修の他の先生方がこれをご覧になっていて、「なるほど、安藤先生は社会学専修に移りたいと思っているわけね。そうか、そうか」と納得されてしまうと困るので(私は困らないが、安藤先生は困ると思うので)、そういうことはありませんということを書いておきます。
6.19(木)
7限の授業(基礎演習)を終えてから、来週が発表のグループの相談を研究室でやっていたら、11時を回ってしまった。さすがに遅いだろうと(女子学生も2名いるし)、お開きにしたら、彼らはこれからどこかで相談を続けるらしい。青春である。
6.20(金)
夜、地下鉄早稲田駅そばの「五郎八」で社会学専修の同僚と飲む(といっても私はビールを一杯と後はウーロン茶)。暑気払いならぬ、梅雨払い。もうすぐ7月だ。そうすれば、もうすぐ夏休みだ。あとひと踏ん張りだ。頑張ろう。帰宅して、ビデオに録っておいた「ブラックジャックによろしく」の最終回を観る。今期、一番のTVドラマだった。昨日、卒論指導をした二文の学生である看護士さんが、看護士仲間でも評判のドラマだと言っていた。
6.21(土)
卒論ゼミを終えて、「シャノアール」で昼食。持参した新品のノートパソコン(パナソニックのレッツノート・ライトW2)で、今日の1限の「社会学基礎講義A」の講義記録を作成する。ノートパソコンは何台かもっているが、小型・軽量という点だけでいうと、液晶画面のサイズが10インチのもの(重量は1キロを切る)がいいのだが、キーボードの使いやすさ(キーとキーの間隔がある程度必要)を考慮すると12インチのものが最適だと思う。今回購入したレッツノート・ライトW2は、その12インチで、キーピッチがしっかり19ミリあるので入力作業はスムーズだ。また、コンポドライブ内蔵(やはり外付けより便利)なのに重量が1.29キロしかなく、標準で添付されているバッテリーの駆動時間が7.5時間というのも素晴らしい。
ところで、今日の授業では、TVドラマ『彼女たちの時代』(1993年)を教材として使ったのだが、その中で、営業マンのための自己啓発セミナーの参加者ひとりひとりがみんなの前で「私は最低の人間です」というテーマで話をするという場面があった。なかなか印象的な場面ではあったのだが、私が授業の最後に、出席カードを配りながら、「では、カードの裏に自分がいかに最低の人間であるかを書いて下さい」と言ったところ、ほとんどの学生はそれが冗談であることを理解して、何も書かず、あるいは冗談には冗談をという内容のことを書いてきたのだが、何人かの学生がまじめにそれに答えて、それをそのまま講義記録に載せると、懺悔録みたいになってしまうような内容のことを書いてきた。う~ん、これからは、授業中に冗談を言うときは、言った後で、「いまのは冗談です」といちいち断らないといけないかもしれない。
生協で本を4冊購入。
(1)ジョイムス・ホーガン『星を継ぐもの』(創元SF文庫)
高村薫だったかな、新聞の読書欄で名作としてほめちぎっていたのを思い出して。最初の方をちょっと読んでみたら、うん、本当に面白そうな予感。まずい、まずい、いま読み始めたら仕事が滞ってします。ちょっとの間我慢しよう。子供の頃からSFは大好きなのだ。
(2)小栗康平『映画を見る眼』(NHK人間講座テキスト)
私はリアルタイムで観た邦画の中では小栗康平の『泥の河』が一番好きである。小津安二郎の『東京物語』は無論素晴らしい映画だが、いかんせん私が生まれる前年(1953年)に作られた映画だから、まずもって私は歴史的資料としてこの映画を観た(それもビデオで)。これに対して、『泥の河』は1981年の作品で、当時27歳の大学院生だった私はこの映画を(たぶん)新宿ピカデリーで観た。宮本輝の同名小説が原作だが、小さな船に住む姉弟(母はその船を売春宿として使っている)と岸辺のうどん屋の少年との出会い、交流、そして別れを、モノクロ映像で詩情豊かに描いた作品である。姉の松本銀子を演じた柴田真生子はいまどこでどうしているのだろう。
(3)ウヴェ・フリック『質的研究入門』(春秋社)
調査実習でのインタビュー調査の方法論の参考書として。
(4)オスカー・ルイス『貧困の文化』(ちくま学芸文庫)
上に同じ。いよいよ、7月から調査が開始だ。
6.22(日)
梅雨の晴れ間は暑い。先週の「社会学研究9」の講義記録(第9回)をアップロードしてから散歩に出る。TSUTAYAでNiNaのアルバムを借りる。これには昨日授業で使ったTVドラマ『彼女たちの時代』の主題歌「Happy Tomorrow」が入っている。東急プラザ蒲田店6階の「栄松堂」をのぞく。隣のビル(サンカマタ)に強力なライバル店「有隣堂」が入ったので、ちょっと心配だったのだが、大丈夫、たくさんお客さんがいた。私はここの新刊書コーナーの品揃えはけっこう気に入っている。今日は2冊購入。
(1)東海林さだお『もっとコロッケな日本語を』(文藝春秋)
東海林さだおは天才である。彼より漫画がうまい漫画家はいるであろうが、彼より文章がうまい漫画家はいないであろう。いや、彼より文章がうまい作家もそんなに多くないのではなかろうか。
(2)小谷野敦『性と愛の日本語講座』(ちくま新書)
冒頭、こんなことが書いてある。「一九九〇年代に入ってからだと思うが、自分の夫や恋人を『パートナー』と呼ぶ女性(特にインテリ)が増えてきた。最近は男性でもそう言うのがいる。これは私は個人的に気持ち悪い。/米国の日本文学研究者のスーザン・ネイピアさんに、あれ、気持ち悪くないですか、と訊ねたら、気持ち悪い気持ち悪い、と同意してくれた。」そうか、やっぱり気持ち悪いんだ。実は私もそう思っていたので、同士を得たような気分になった。
5階の「シビタス」で、ホットケーキとレモンジュースを注文し、『もっとコロッケな日本語』の冒頭の作品、「ドーダの人々」を読む。「喫茶店、ビアホール、居酒屋、レストラン、料亭、スナック、バー、クラブ、キャバレーなど、いわゆる水商売と言われている店で交わされている会話の八割は自慢話だと言われている。(中略)自慢話は「ドーダ!」である。ドーダ、このようにオレはエライんだぞ、ドーダ、と言っているわけだ。わたくしは長年にわたってドーダ学を研究してきた学究の徒である。」こんな風に始まって、以下、ドーダ学のフィールドワークの成果が報告されるのだが、いや、もう、面白いのなんの。とにかく人間観察が鋭い。社会学者で言えば、アーヴィン・ゴフマンを彷彿とさせる。そう、東海林さだおは漫画界のゴフマンである。「ドーダの人々」はパート2、パート3があるが、途中でホットケーキが運ばれてきたので、読書は中断(両手を使って冷めないうちに平らげないといけないから)。しかし、店内も混んでいるので、ホットケーキを平らげた後、水だけで粘るのはやめて、場所を「シャノアール」に替えて、パート2とパート3を読んだ。
帰宅して、書斎で借りてきたばかりのCDを聴いていたら、娘が「ジュディ・マリの曲?」と聞いてきた。「NiNaというグループの曲だけど、女性2人のボーカルの1人がジュディ・マリのYUKIだ」と教えると、「そうか、そうか、懐かしい!」と言いながら自分の部屋に戻っていった。17歳の女の子も「懐かしい」という言葉を使うのかと、なんだか不思議な気がした(しかも自分の娘だし)。
6.23(月)
眼が覚めると午後1時。しかし、寝坊ではない。睡眠時間は5時間なのだから。つまり、寝たのが午前8時なのだ。徹夜で何をしていたのかというと、調査実習の対象者への依頼状を作成し、それをコンビニで160部コピーし、返信用の葉書を自宅のプリンターで両面印刷し、依頼状を4つ折りにして(これがけっこう時間がかかった)返信用の葉書と一緒に封筒に入れて、テープで封をして近所のポストに投函する、という作業を一人でやっていたら、朝になってしまったのである。本来であれば、先週の水曜日の実習の時間に学生たち(25名)と一緒にやるはずの作業であったのだが、依頼状の作成が遅れたため、その日は封筒の宛名書きと切手貼りしかできなかったからである。明け方、お腹が空いたので、コピーをとりに外出したついでに、吉野家に入って牛丼の大盛(+生卵+けんちん汁+お新香)を食べた。店員の応対がよかったので、ついお新香も注文してしまったが、これは余計だったかもしれない。食べ終わって店を出るまで客は私一人だった。
昼食の後、散歩に出る。「南天堂」をのぞいて古本を6冊購入。
(1)林秀彦『逃げ出すための都』(アーツアンドクラフツ)*200円(買値、以下同じ)
東京をテーマにした随筆集。とくに表題にもなっている「逃げ出すための都―小津安二郎の東京」を読みたくて購入。「深川という、東京としては〝由緒〟ある土地で生まれた彼は、一体どれほど東京を愛していたのだろう?/すこしペダンティックに言えば、ピート・ハミルトンやアーウィン・ショーがニューヨークを愛したようには愛していないのである。もしかすると、東京とはそういう愛しかたのできない街なのかもしれない。」ちなみに著者自身も東京の生まれである。
(2)エリザベス・キューブラ=ロス『エイズ 死ぬ瞬間』(読売新聞社)*500円
彼女はすでに『死ぬ瞬間』で、臨死(dying)における死の受容のプロセスを定式化しているが、本書はそれをエイズ患者に絞って論じたもの。
(3)吉田敦彦『世界の始まりの物語』(大和書房)*600円
宇宙の始まりについての科学的説明と同じくらい、私には、神話や宗教における天地創造の物語が興味深い。
(4)吉田拓郎『もういらないー迷走する壮年』(祥伝社)*500円
「俺にとって、人生の転機は50歳の誕生日だった」と、55歳の吉田拓郎は書いている。「40代後半から、『ついに俺も50を迎えるんだな』って、50代に確実に距離が近づいてきたとき、すごくイヤだった。50になりたくない抵抗があった。/50歳というと、俺の中でカッコいい人物は高倉健とショーン・コネリーぐらいで、他の50代って全然カッコよくなかったんだよ。俺が50になっても高倉健になれるわけがないんだし、彼はある種の遠い存在だからね、映画の中の。憧れではあるけど、俺は間違いなく高倉健にはなれないな、って結論だった。」そういう彼の憂鬱は、TV番組『Love Love 愛してる』でのKinKi Kidsとの共演をきかっけに払拭されていくことになる。本書の発行は昨年の4月5日(彼の56歳の誕生日)。そしてそれから1年後の57歳の誕生日に彼は肺癌を告知される。幸い術後は順調で、今月15日にはラジオ番組に出演し、生歌も披露した。50歳の転機に続く、今回の転機についても、ぜひ本を出してほしい。
(5)南ゆかり『その仕事、好きですか?』(ワニブックス)*500円
雑誌『Oggi』に連載されたさまざまな職業で働く20人の女性へのインタビュー。調査実習の参考書として。
(6)斉藤孝『質問力』(筑摩書房)*700円
帯に「初対面の人と3分で深い話ができる!!」とある。う~む、『声に出して読みたい日本語』の著者はこんな本まで書いているのか。もちろん調査実習の参考書として。もっとも大学教師をしていると、突然見知らぬ学生が研究室のドアをノックして入ってきて、すぐに進路相談とかの「深い話」を始めることがよくあるので、帯の宣伝文句には驚きませんけどね。
6.24(火)
渋谷のル・シネマで『北京ヴァイオリン』を観る。ヴァイオリンの天才少年とその父親の物語。監督は『さらばわが愛 覇王別姫』のチェン・カイコー(音楽学院の教授役で出演もしている)。13年前、北京駅の待合室のベンチの下に男の赤ん坊が置き去りにされていた。傍らにはヴァイオリンのケース。一人の男がそれに気づき、「この子の親はどこだ!」と赤ん坊を抱いて駅構内を歩き回る。結局、男が赤ん坊を引き取り、男手一つで育てる決心をする。母親は少年が2歳のときに亡くなり、ヴァイオリンは母親の形見ということにした。少年は母親恋しさにヴァイオリンを習い、おそらくは音楽家だったであろう母親譲りの才能を開花させた。父親は少年を一流のヴァイオリニストにするべく、全財産(といっても毛糸の帽子の内側に隠せる程度のものなのだが)をもって北京に行き、2人の音楽教師(最初はチアン先生、次にユイ先生)に個人指導を依頼する。一方、少年は北京で美しい(しかしすれっからしの)ずっと年上の女性リリと出会い、淡い恋心を抱く。(こんな調子で書いていったら長くなるので)紆余曲折の末、少年はユイ教授の内弟子となり、国際コンクールの選抜大会への出場が決まる。夢の実現まであと一歩。このとき父親はコンクール出場の費用を稼ぐため(本当は自分が少年の近くにいない方がよいと判断して)田舎に帰ると少年に告げる。少年は淋しくて、父親と一緒に帰りたいとユイ教授に言うと、ユイ教授は父親から聞いていた少年の出生の秘密を話し、お父さんは君を立派なヴァイオリニストにするために今日まで頑張って来られたのだと諭す。少年はショックを受け、教授宅を飛び出し、父親のアパートに行く。しかし、結局、父親の思いに応えるため、迎えに来たユイ教授に連れられて戻っていく。そして・・・・(ここまでにしときます)。
難解なところの1つもない、素直に楽しめる作品。山田洋二の『幸福の黄色いハンカチ』のような作品だ。観客の95%は女性だったが(なにしろ平日の初回ですから)、ラストシーンではみんなハンカチを使っていた。父親役のリウ・ペイチーは、どこかでみたことがあると思ったが、あとでプログラムを見たら、チャン・イーモウ監督の『秋菊の物語』でコン・リーの夫役をやったと書いてあった。そうか、そうか、村長に睾丸を蹴られて寝込んでしまった(コン・リーはそれに憤慨して村長を訴えるために役所に出向くことになる)あの情けない亭主だ。リウ・ペイチーは今回の作品でサン・セバンチェス国際映画祭の主演男優賞を受賞した。それから、これもプログラムを見て知ったのだが、リリ役のチェン・ホンはチェン・カイコー監督の妻なんですね。チャン・イーモウ監督もコン・リーを妻にしているし、やっぱり監督って女優の心を射止めるんだね。ちなみに私がこの作品を『東京ヴァイオリン』としてリメイクするならば(!)、父親役は平田満、リリ役は常盤貴子、チアン先生役は豊川悦司、ユイ教授役は内藤剛を起用するだろう。少年役はもちろんオーデションで選ぶ。・・・・そんなこと考えてどうするんだ(常磐貴子と結婚しようと思っているのか)、という話ですけどね。
映画館を出て、東急本店向かいのブックファースト(TVドラマ『彼女たちの時代』で深津絵里と水野美紀が屋上から「お~い、私はここにいるわよ~!」と叫んだ場所だ)で、梅本宣之『高見順研究』(和泉書院)を購入。駅に戻る途中の北海道ラーメンの店で旭川醤油ラーメンを食べる。それから大学に行き、研究室で二文の基礎演習のグループ発表の相談。発表は明後日なのにまだ内容が固まっていない。叱咤激励する。
6.25(水)
一昨日の朝、調査実習のインタビュー調査の依頼状157通を投函したが、今日、最初の返信があった。依頼状を受け取られたのは昨日であろうから、その場で返信用の葉書に記入して、ただちに投函して下さったに違いない。素早い対応に感謝。で、返信の内容だが、調査に「協力できる」とのこと。幸先のよいスタートである。さっそく今日の調査実習の授業で報告し、担当の学生を決め、今夜中にお礼のメールを送信して、日程の打合せをするよう指示を出す。いよいよこれから調査実習は第2段階に入る。
6.26(木)
早稲田社会学会の機関紙『社会学年誌』の次号の特集の打合せ。道場親信氏、入江公康氏、そして私の3人で「社会学者と社会」(仮題)という共通テーマでそれぞれ論文を書くことになっている。道場氏は新明正道、入江氏は高田保馬、私は清水幾太郎を取り上げる予定。道場氏は、来月2日の早稲田社会学会大会のシンポジウムの報告者の1人で、基本的はその内容を論文にまとめられる予定なので、3人の中で進度は一番速い。ただ、今日、論文の構想をうかがった限りでは、とても400字詰原稿用紙60枚に収まるような内容ではないことが気がかりであった。道場氏は『現代思想』の今月号に戦後の反戦運動の系譜についての論文を寄せているが、予定枚数を大幅にオーバーしたために前半を今月号、後半を来月号、と分割して載せることになったのだそうだ。『社会学年誌』は年1回の発行だから、そういうのはありませんからね、と特集のコーディネーターとして釘を刺しておく。
インタビュー調査の依頼状への返信が、今日は8通。うちOKが7通。順調な滑り出しである。7通のうち3通は関東以外からで、愛知県、福岡県、熊本県である。九州の2県は夏休みを利用してインタビューに行ってもらうしかあるまい。もちろん旅費は実習費から支給する。ついでに九州旅行を楽しんでくればいい。「はい、行きます!」と快活に手をあげてくれる若者がいるといいのだが。
夜、風呂上りに、今年初めてのプラムを3個食べる。とても美味しい。
6.27(金)
今日、大学院の演習があったのだが、課題文献2本のうち、1本を勘違いして別の文献を読んでいたことに、教室に入ってから気づいた。本当は筒井清忠「『恋愛映画』の変貌」という文献を読んでこなくてはいけなかったのだ。しかし、不幸中の幸いというか、担当者の報告内容は文献を読んでいなくてもよく理解できた。というのは、戦後日本における教養主義的恋愛映画からエンターテイメント的恋愛映画への転換を論じて、その明確な転換点を1961年から始まった加山雄三主演の「若大将シリーズ」に求める、というのが論文の趣旨なのだが、実は、私、「若大将シリーズ」は全17作品のほとんどを見ているのである。1960年代は私の小学校・中学校時代と重なっている。東宝の怪獣映画を観にいくと、「若大将シリーズ」と2本立てであることが多かった。前者を観にいった私は、ついでに後者も観て、若大将や青大将(田中邦衛)たちがくりひろげる、恋と、スポーツと、歌と、アルバイトから構成される(勉強も学生運動も存在しない)大学生活なるものを、地上のパラダイスのように眺めていた。1960年代は大学の大衆化が急激に進んだが、「若大将シリーズ」は大学の大衆化の結果ではなく、むしろ原因の1つである。
1973年、私が大学に入学したとき、そこには「若大将シリーズ」的なものは何ひとつとしてなく、前年の11月に文学部のキャンパスで起こった革マル派(文学部自治会)による一般学生のリンチ殺人事件をきっかけとする、革マル派vs他セクトvs一般学生の激しくかつ陰湿な対立があった。大学での4年間、教場で試験を受けたことは数えるほどしかなく(試験妨害やロックアウトで)、始終、振り替えのレポートばかり書いていた記憶がある。
6.28(土)
雨のせいだろうか、今日の卒論ゼミは出席者が半分しかいなかった。しかも、休んでいる学生は何の断りもない。気の向いたときにくればいいのだと思っているとすれば、心得違いもはなはだしい。論文の内容以前に、こういうところから指導していかないとならないのだから、卒論指導も楽じゃない。ゼミ形式は前期でやめて、後期からは個人指導(ただし希望者のみ)に切り替えようかと考えている。
「あゆみブックス」で編集者の評伝を2冊購入。大村彦次郎『ある文藝編集者の一生』(筑摩書房)と、田邊園子『伝説の編集者 坂本一亀とその時代』(作品社)。前者は楢崎勤の出生から書き始め、彼の同時代人を列挙する。
「楢崎勤は明治三十四年(一九〇一)十一月七日、山口県萩市東田町で歯科医楢崎東陽、母ちえの次男として生まれた。この年四月、昭和天皇裕仁が誕生した。同年生まれの作家には梶井基次郎、海音寺潮五郎、川崎長太郎、中谷孝雄、中村正常、村山知義、龍胆寺雄ら、詩人には岡本潤、高橋新吉、富永太郎、村野四郎らがいた。」
一方、後者は坂本の死から書き始め、彼の性格を列挙する。
「坂本一亀は、二〇〇二年九月二十八日、八十歳と九か月でその生涯を終えた。何年も透析に通っていた自宅近くの病院で、安らかに息を引きとったという。彼は二十五歳から三十五年間、出版社で文芸編集者として果敢に生きた。/編集者としての坂本一亀は、ファナティックであり、ロマンティストであり、そしてきわめてシャイな人であった。彼は私心のない純朴な人柄であり、野放図であったが、繊細であり、几帳面であり、清潔であった。」
さて、私が「清水幾太郎とその時代」を書くときにどちらを採るか。あるいは、両者とも違う方法、たとえば清水の人生のハイライトシーンから書き始めるという方法も考えられる。ちなみに、清水は生涯に3冊の自伝を書いたが、最初の2冊では出生から書き始め、最後の1冊では昭和16年12月の忘年会(三木清、中島健蔵、豊島与志雄らと一緒。その2週間前にアメリカとの戦争が始まっていた)から書き始めた。自伝も3冊目となると、そのくらいの工夫、演出が必要となるのだろう。
帰宅すると、インターネットで注文しておいた関川夏央『白樺たちの大正』(文藝春秋)が届いていた。私は関川さんの文章が好きである。彼の本で途中で読むのをやめた本は一冊もない。
6.29(日)
長男の15歳の誕生日。彼は言葉を話し始めるのが遅く、最初のうちは何でも「サーサ」であった。母親も「サーサ」、テーブルも「サーサ」、猫も、杓子も、「サーサ」であった。また、もっと心配したのは、一人で部屋で遊んでいるときに、われわれには見えない何者かと奇妙な表情やジェスチャーで交信することであった。われわれは、彼を言語療法士や精神科医に見てもらい、脳波の測定を受けたりもした。幸い、われわれの心配は杞憂に終わり、ほどなくして彼はうるさいほど喋り始め、奇妙な行動も消失し、普通の幼児になった。現在の彼は、学業成績は優秀だが、運動神経は並で、芸術の才は乏しく、友人は多い方ではない。手に入る限りの星新一のショート・ショートを読破し、日曜日の夕方の「笑点」を楽しみにしている。要するに、昔の自分を見るようである。私は自分が大学教授であることが息子に何らかのプレッシャーを与えているであろうことを知っている。事実、小学校時代、彼は先生や同級生から「教授」と呼ばれていた。来年は高校受験だが、第一志望は私と妻の母校である都立小山台高校らしい。姉の方は、早々に両親と同じ高校には行かないと宣言して、事実、そうしたが、彼にはそういった生意気さは見られない。15歳。『海辺のカフカ』の主人公と同じ年齢である。無限の可能性という言葉は胡散臭くて使う気にはなれないが、それでも、彼の前には彼が思っている以上の可能性がある。人生は可能性の減少の過程だとよく言われるけれども、それは後から振り返ったときの感想で、可能性の渦中にあるとき、おうおうにして人はそのことに気づかないものである。しかし、私はそういうことを彼に言って聞かせようとは思わない。人がたくさんの可能性の中から、結局、1つの可能性を選択するのは、それなりの必然性(という言葉が強すぎるならば、蓋然性)が作用しているからである。私に出来ることは彼の人生の幸運を祈ることだけだ。
6.30(月)
ひさしぶりに「誠龍書林」で古本を購入。ここは店外の格安本の棚に掘り出し物が多い。
(1) 高見順『いやな感じ』(文藝春秋新社)*100円
アナーキストの青年を架空の主人公に設定して、昭和という動乱の時代を描いた「全体小説」。昭和38年刊行の初版本が100円で入手できるとは!
(2) 安岡章太郎『僕の昭和史Ⅱ』(講談社)*100円
Ⅰしかもってなかったので。
(3)松村友視『鎌倉のおばさん』(新潮社)*100円
新刊が出たとき、買おうかどうしようか迷って、結局、買わなかったので。100円なら迷わない。
(4)ジャコ・ヴァン・ドルマン『八日目』(青山出版)*200円
以前、見た映画のシナリオのノベライズ本。この映画を近々授業で使おうかと考えていたところだったので。
(5)小林信彦『植木等と藤山寛美 喜劇人とその時代』(新潮社)*500円
藤山寛美にはそれほど関心がないが、植木等は私の子供の頃、すなわち高度長期を代表するお笑い界の大スターであった。あの頃を「よい時代だった」と回想できるのは、もしかしたら、彼のイメージが時代のイメージと重なっているためかもしれない。
(6)美空ひばり『川の流れのように』(集英社)*500円
私が子供の頃、美空ひばりはただ歌謡界の大御所として存在しているとして思えなかったが、ずっと後になってCDで「東京キッド」(1950年)を聴いたとき、彼女の時代というものが確かに存在したことを知った。
(7)北山おさむ『ビートルズ』(講談社現代新書)*300円
北山おさむは、フォーク・クルセダーズの3人のメンバーの中で、音楽的才能は一番劣っていたが、知的センスは群を抜いていた。彼はフォーク・クルセダーズ解散後、音楽業界を離れ、精神科医となり、現在は九州大学の教授をしている。
(8)亀井俊介『ナショナリズムの文学』(講談社学術文庫)*340円
明治時代のナショナリズムが同時代の文学に与えた影響を論じた本。ここでは店内の文庫は全部定価の半値。
(9)玉村豊男『軽井沢うまいもの暮らし』(中公文庫)*170円
大学院の演習で読んだ文献の中で玉村豊男のことが紹介されていたので。
夜、書斎で躓いて、足の小指の爪を割る。床の上にいろいろなものを置いているからいけないのだ。