10.16(日)
妻と母と三人で娘が出ている芝居(大学の演劇研究会の公演)の見物に三軒茶屋に行く。「大家族」というタイトルで、祖母、父、(母もいるようだが登場はしない)、長男、長女、次女、次男、それに居候と祖父の幽霊という大家族の物語。次男の担任の先生に次女が一目惚れする話が軸になって、それぞれに訳ありの家族員たちのぶつかり合いが描かれている。上演時間を知らずに見始めたら、1時間で終わってしまったので、「えっ」という感じがした。漠然とあと30分は芝居が続くものと勝手に思い込んでいたからだ。芝居でも映画でもTVドラマでも、われわれはふつうそれが何時間何分のものなのか(全何回の第何話であるのか)を知った上で観ていることが多い。小説なども、単行本であれば、残りのページ数を意識しながら読んでいる。だから、まだ一山も二山もあるなとか、そろそろ結末が近づいているなとか、そういう気持ちで作品に向かっている。今日は上演時間を知らずに、したがって一般的な上演時間(1時間半から2時間)を想定して観ていたら、芝居が終わって、役者たちが整列をして客席に向かってお辞儀をしたので、あっけにとられた。これだけ訳ありの登場人物たちを配しているのだから、もっと個々の物語を膨らませて、あるいは掘り下げて、それぞれの間にリンクを張って、もっと豊穣な物語世界を構築できたのではないか。逆に、1時間という枠でやろうとするのであれば、登場人物やエピソードはもっと少ない方がいい。短い時間の中でそれぞれの登場人物に見せ場を作ろうとすると、どうしてもショートコント集のようになってしまう。個々の場面が面白くてもその総和としての芝居が面白いとは限らない。芝居の面白さとは場面の展開(ストーリー)の面白さである。今回の芝居は、個々の登場人物が風変わりな割に、ストーリー自体はいたって淡泊であったと思う。それと、「母」を登場させないことの意味(効果)が、結局、わからなかった。現代家族は「小家族で父親不在」を特徴とするから、その反対の「大家族で母親不在」という設定にしたのかと推測するが、であれば、「母」の声(セリフ)を欠落させることで、その空白(不気味さと言ってもいい)の効果が演出されなくてはならないはずである。・・・・というような感想をアンケート用紙に書こうとしたけれど、妻と母が待っているので一言二言書いただけで劇場を出た。三軒茶屋の商店街はレトロな雰囲気が漂っていた。
10.17(月)
ジムの帰り、有隣堂で川上弘美『東京日記 卵一個ぶんのお祝い』(平凡社)を購入し、「カフェ・ド・クリエ」で読む。月刊雑誌『東京人』連載の「東京日記」の最初の三年分。石清水のようにさらさらしていて、味わい深い文章。ブログを始める人が文章のお手本にするといいかもしれない。簡単に真似できそうで、真似しようとすると、そうは問屋が卸さないということがわかるはずだ。
三月某日 晴
寒い日。
両国の江戸東京博物館に行く。
行きつけの電車の中で、「大福おじさん」を見る。背広を着て、鞄を持って、姿勢よく立って、混んだ電車の中で大福を食べているおじさんである。
おじさんはまず、鞄の中から、ゆっくりと大福を取り出す。一個、食べる。二個めに、かかる。三個めも、全部きれいにたいらげる。合間に、缶入りの十六茶も飲む。
合計六個、おじさんは大福を食べた。食べおわると、ハンカチで口のまわりをはらい、次に停車した駅で降りていった。最後までおじさんの背筋はぴんと伸びていた。
帰りに両国の駅で「どすこいせんべい」(バラ売り)五枚をおみやげに買う。
四月某日 晴
電車に乗る。暖かな日。暑いくらいだ。
おかっぱの女の子が二人、乗りこんでくる。顔も服装もそっくりに二人である。ふとももの丈のミニスカート、グレーのセーター、黒いハイソックスにトートバッグ。どれもそっくり同じものだ。
よく見ると、片方の女の子の方がいくらか年上である。皺が、口の端や目のあたりに、少しある。しばらく二人でくっつきあってぺちゃくちゃお喋りをしていたが、やがて若い方の子が、「ママー、あたし、おなかすいちゃったなー」と言ったので、仰天する。
十一月某日 晴
仕事に行こうと地下鉄に乗る。
とてもすいている。土曜日の夕方である。ぼんやりとトンネルの中の暗さを感じていると、足もとに流れてきたものがある。
黄色い、隣の車両のはじっこから静かに流れてきたそれは、おしっこらしかった。
匂いが、たしかにおしっこである。
地下鉄が揺れるたびに、おしっこは伸びたり戻ったりする。
誰のおしっこかしらんと探してみるが、おしっこを今さっきしたように見える人は、一人もいない。まばらにいる人たちは、誰もが整然とした様子で、おしっこのことなど見向きもせずに座っている。
おしっこはかすかに湯気をたてていた。
確かな観察眼とデッサン力。「日常生活の社会学」をテーマにしている私の二文の基礎演習の学生諸君、本書を副読本に指定したいと思う。ギデンズ『社会学』だけ読んでいれば社会学が身に付くと思ったらとんでもない間違いである。
十月某日 雨
引っ越し。
朝から雨がしとしと降っている。私はけっこう雨女なのである。
昼ごはんを、アパートの数軒先にある「丸幸」というラーメン屋で食べることにする。
きっと「丸幸」でニラ炒め定食を食べるのは今日で最後になるだろうな、とセンチメンタルになりながらお店の前まで歩いたら、「本日臨時休業」の札が下がっていた。
がっかりして、コンビニでおむすびを買ってくる。がらんとした部屋で、ぼそぼそとおむすびを食べる。
十月某日 晴
引っ越し先の近所を散歩する。
商店街に、小さな傘屋や八百屋へ鶏屋が並んでいる。春乃湯という銭湯もある。よさそうな町、と思いながら歩く。でも実は心が晴れない。「丸幸」に心が残っているのである。
どこかの店に入って昼ごはんでも、と思うのだが、どうしても入れない。コンビニでおむすびを買って、ダンボールに埋もれてながらぼそぼそと食べる。
十月某日 晴
原稿を書く。原稿を書きはじめると、こんどは引っ越しをしたことをすっかり忘れてしまう。一度に一つのことしか考えられない質なのだ。
ようやく書きあげてファックスで送る。
疲れたから「丸幸」でニラ炒め定食でも食べようか、と思って玄関を出たとたんに、引っ越したことを思い出す。
思い出したとたんに「丸幸」に行きたくて、矢も盾もたまらなくなる。さんざん思い悩んだ末、電車で「丸幸」に行くことにする。
「丸幸」に入っていくと、おねえさんが「まいどー」と言う。まいどー、なんて言わないでよ、またセンチメンタルになっちゃうじゃない、と心の中で思うが、ニラ炒め定食が来たとたんにセンチメンタル関係のことは忘れてしまう。一度に一つのことしか感がえられない質なのだ。
ある人が私のフィールドノートを読んで、「どこで何を食べたかという話がよく出てきますよね」と言った。どうしてそんな些末なことを書くんですかという感じが漂っていた。「人生の重大事だからです」とだけ私は答えた。どんなに見かけが素敵な女性でも、「お昼何食べようか」と聞かれて、「何でもいいわ」と答えたならば、私はその女性に対する一切の関心を喪失するだろうと思う。食いしん坊というのとは違う。無論、グルメなんて話でもない。哀愁の町に霧が降るのだ。川上弘美にはそれがわかっている。
10.18(火)
午前中から大学へ。社会学専修の教室会議。来年度の時間割と卒論指導の割り振り。私の担当科目は週7コマで、今年と同じく木・金・土に配置。火が会議日なので、大学へ来るのも今年と同じく週4日。フィールドノートの読者ならご存じと思いますが、念のために言いますと、週休3日じゃありませんから。大学に来ない日は自宅で研究ないし授業の準備をしているのです。くれぐれも誤解なきように。担当する卒論は16本。これに人文専修から依頼のあった1本と二文の社会人間系専修の3本を加えると20本になる。個人的にはこれが上限と思う。ただし、二文の場合は来年の4月の段階でも卒論履修の追加申請の制度があるので、プラスαの可能性を考えておかなくてはならない。それから今年の卒論を落として再履修となる学生もいるので、プラスβの可能性も考えておかなくてはならない。午後、社会人間系専修委員会と教授会。帰りがけに学生会館へ行って、調査実習の合宿(12月19~21日、鴨川セミナーハウス)の申し込み手続きをする。あゆみ書房で、野田正彰『この社会の歪みについて 自閉する青年、疲弊する大人』(ユビキタ・スタジオ)を購入。帰りの電車の中で読む。読みながら、来年度、私がコーディネーターになって新規に立ち上げる科目「現代人の精神構造」(一・二文合併科目)のことを考える。山田真茂留先生(社会学)、御子柴善之先生(倫理学)、藤野京子先生(心理学)とのコラボレーションである。具体的な内容はこれから相談して決めていくのだが、ユニット名は4人の頭文字をとってMOFYに決定(嘘です)。きっと面白い授業になると思う(宣伝です)。
10.19(水)
いま、20日の午前3時半。明日が締め切りの研究費(平成18年度科学研究費補助金)の申請書類を書いている。分量が半端ではない。論文一本書き上げるぐらいのエネルギーを必要とする。生憎、風邪気味である。パブロンゴールドとチオビタドリンクを飲んで頑張っている。これが通れば、200万円ほどの研究費がいただけるのである。だから、いまやっている申請書類の作成作業は、時給に換算すれば数十万円の作業なのである。そうやって自分を叱咤激励している。事務所のKさんからも励ましの(たぶんそうだと思う)メールを何度もいただいているしな。でも、健康も大切だから、4時間ほど横になろうかな。うん、そうしよう。
10.20(木)
朝8時に起きて、自宅で昼過ぎまでかかって研究費の申請書類を書き上げ、大学に出かける。電車の中で読み直していたらいくつか修正すべき箇所があったので、研究室でその作業をしようとしたら、メモリースティックに申請書類のファイルが保存されていないことが判明。あわてて妻に電話をし、書斎のパソコンのハードディスクに保存されている申請書類のファイルをメールに添付して送ってくれるように頼んだら、やりかたがわからないという。添付ファイルの仕方がわからない人がいまどきいるのかと思ったら、そうではなくて、添付ファイル云々の前にそもそもアウトルックエクスプレスでメールを作成するやり方がわからない(正確には、忘れた)というので、びっくりする。しかし、考えてみると、妻はインターネットで買物をして、業者から届くメールを読み、それに返信することは毎日のようにしているが、自分から誰かにPCでメールを出すことがほとんどないのであった(メールはもっぱらケータイ)。私は深呼吸をしてから、電話を通して妻にメールの作成とファイルの添付の仕方の説明を始めた。「画面左下のスタートをクリックすると、アイコンの一覧が出る。その中にアウトルックエクスプレスのアイコンがあるからそれをダブルクリックして・・・・」パイロットが心臓発作で倒れたので、旅客機の操縦の仕方を乗客に無線で指示して飛行場に無事着陸させようとしている管制官のような気分だった。失敗すれば、200万円の研究費がパーである。・・・・天は私を見捨てなかった。ほどなくして申請書類のファイルが添付されたメールが届いた。修正すべき箇所を修正し、両面印刷で印字した申請書類を事務所のKさんに提出した。時刻は午後4時。どうにか間に合った。人生、ずっとこんな調子で来ているような気がして、われながら情けない思いがしたが、トイレで長谷先生にあったら、「う~ん、今日中には申請書類を出せそうもありません」と言ってヘラヘラと笑っていた。上には上が(下には下が、というべきか)いるものである。
5限は卒論ゼミ。いまやっているのは3回目の報告で、今回で見通しが立てば、4回目の報告は免除であとは執筆に専念してもらう。私がNGと判断した場合、ないし本人がそれを希望した場合は、来月に4回目(これが最後)の報告をしてもらう。今日は3人報告し、うち2人はもう一度報告ということになった。6限まで延長してやったので食事に出る時間がなくなった。研究室でカップヌードル(塩味)を食べる。塩味は初めて試したがけっこういける。7限は社会人間系の基礎演習。新しく決まった8つのグループの準備運動を兼ねた報告会(文カフェあるいは教室での人々の相互作用を観察して、その空間を支配している暗黙の規範について考察)。ガーフィンケルの違背実験(たとえば他学部の大教室の授業にもぐって、途中で、レーザー・ラモンHGのマネをして、それに対する反応を観察するとか・・・・)をやったグループがいくつかあったが、そういう場合は、実験の後にそれが実験であることを相手に説明しなくてはならない。しかし、どのグループもそれはやっていないようで、それではたんなるイタズラである。イタズラも笑えるものならよいが、人を不快にさせたり、不安にさせたりするものはNGである。各グループの報告時間は10分。この限られた時間をいかに有効に使うのかというのが私の最大の関心事であったが、10分の報告ならなんとかなるという甘い認識で望んでいるグループが半数を占めていた。発表の予行練習を時計を使ってやったグループがどれだけあったのだろうか。「爆笑!オンエアバトル」に出ている若手芸人たちの必死さを見習ってほしいと思う。
10.21(金)
創立記念日で大学は休み。天気もよく、散歩日和なのだが、今日中に書き上げなくてはならない原稿があって、午前10時前にTSUTAYAにCD(ミスチルの新しいアルバム)を返却に行った以外は、ずっと自宅にいた。ところが、夕方、明日の研究会は中止というメールが届いた。ああ、こんなことならジムに行ってトレーニングをするのだった。最近は、食事の後に体重を測っても70キロ台の前半をキープできるようになった。筋肉が増えて基礎代謝がアップしたせいであろう。それと新蕎麦の季節になって外食のとき蕎麦の頻度が増えていることもあるだろう。好物を食べてダイエットになるのだからありがたい。
10.22(土)
3限(社会学研究10)と6限(社会と文化)の間の3時間ちょとをどう過ごすか。これ、毎週土曜日の問題である。今日は3時間を3分割して、最初の1時間は研究室のリクライニングチェアーで昼寝(寝不足の解消)。真ん中の1時間は「カフェ・ゴトー」で戸山図書館の学習図書の選定作業(珈琲とチーズケーキを注文)。最後の1時間は研究室の整理整頓(これをやっておくと来週研究室に来たときに気分がいい)。まあ、こんなもんかな。夕食は蒲田の「とん清」(東急プラザ7階)で牡蠣フライ。「毎週土曜日の夜9時頃に一人でやって来る客」として認知されているに違いないと思う。帰宅して、風呂を浴び、録画しておいた『野ブタ。をプロデュース』(第2回)を見る。女王なき『女王の教室』という感じのドラマだ。
10.23(日)
大久保家の菩提寺(下谷の泰寿院)のお十夜法要に出席。お十夜法要とは、全国の浄土宗の寺でこの時期に行われる法要で、元々は陰暦10月5日の夜から15日の朝まで10日間連続で行われる念仏修行。この世での十日十夜の念仏修行はあの世での千年の修行に相当すると言われている。ただし、現在では念仏修行の期間は5日、3日、1日と短縮され、今日、われわれ檀家が「南無阿弥陀仏」を唱えていたのは30分弱であった。10日が千年に相当するなら、わずか30分でも二年に相当する。『ドラゴンボール』に「精神と時の部屋」(そこでの1日の修行は下界での1年の修行に相当する)というのが出てくるが、鳥山明は浄土宗なのかもしれない。ところで泰寿院の現住職は去年住職を継いだばかりの24歳の若い方なのだが、近々結婚されることになったそうで、法要の合間に、婚約者の紹介があった。住職よりも一つ年下の大変に美しい女性である。美男美女のカップルの誕生で下町のお寺もにわかに華やいだ雰囲気になることだろう。お墓参りの人たちも増えるのではなかろうか。
10.24(月)
午前、ちょっと風邪気味(喉の腫れ、寒気、節々の痛み)という感じが続いているので、近所のかかりつけの内科医院で抗生物質と鎮痛剤を処方してもらう。午後、ジムでのトレーニングは休みにして、ギデンズ『社会学』の最終章「社会学における理論的思考」を読む(授業の下調べ)。ギデンズのいう社会学理論上の4つのディレンマ(絶えず論争や論議の的になっていることがら)について改めて考える。
ディレンマ1「構造と行為」・・・・私たちは、人間として、自分の生活条件をどの程度まで能動的に統制できる創造的行為者なのか。それとも、私たちがおこなうことがらのほとんどは、はたして私たちには統制できない社会のもつ普遍的な力の結果なのか。
ディレンマ2「合意と葛藤」・・・・社会学の一部の見地はー機能主義を含めー人間社会に内在する秩序と調和を強調する。このような見解をとる社会学者は、たとえ社会が時間の経過とともにどれだけ変化しても、持続性と合意を社会の最も明白な特徴とみなしている。それにたいして、他の社会学者たちは、社会的葛藤の浸透を強調する。この人たちは、社会を、分裂や緊張、闘争に苦しむ存在とみなす。
ディレンマ3「ジェンダーの問題」・・・・すべての文化に、アイデンティティや社会行動の面で男性と女性を分け隔たる特徴は存在するのだろうか。あるいは、ジェンダーの差異は、もっぱら社会を分断する(たとえば、階級区別のような)他の差異の面から、つねに説明されるべきなのか。
ディレンマ4「近現代社会の形成」・・・・近現代社会はマルクスが分析した経済的要因―とりわけ、資本主義的経済企業活動のメカニズムーによってどの程度まで形成されてきたのか。いいかえれば、経済的要因以外の(たとえば、社会的、政治的、文化的要因の)影響力は、近現代社会の社会発達をどの程度まで方向づけてきたのか。
いずれもディレンマと呼ばれるものだけに満場一致の「解」の存在しない問いであるが、それぞれの社会学者は自分なりの暫定的な「解」をもってはいる。しかし、理論そのものが研究テーマである人でない限り、その「解」の妥当性をそんなに突き詰めては考えていないだろう。考え始めたら仕事(実証研究)が二進も三進もいかなくなるからだ。ニワトリが先か卵が先かという問いに結論が出なくても、料理人は親子丼を作らなければならないし、実際、作れるのだ。そしてときたま思い出したように、ニワトリと卵のディレンマについて思いをめぐらし、自分が料理人としてどういう流派に属しているのかを考えるのだ。今日はそういう午後だった。
夜、明日の会議の資料に目を通す。議題の山。「馬に食わせるほどある」という表現はこういう場合に使うのだろう。
10.25(火)
午前11時からカリキュラム委員会。引き続き、午後1時半から現代人間論系運営準備委員会。お昼は二つの会議の継ぎ目の時間(5分ほど)に研究室でおにぎり3個(鱈子、昆布、梅干)。会議が終わって(3時頃)、生協文学部店で荻野昌弘『零度の社会 詐欺と贈与の社会学』(世界思想社)を購入し、教員ロビーでしばらく読む。マルセル・モースが『贈与論』の冒頭で引用したのと同じ北欧神話『エッダ』の一節を荻野も冒頭で引用している。
よいか、お前が信頼できる友を持ち、彼から良いことを期待しようと思ったら、その友と心を通わせ、贈り物をやりとりし、足しげく会いにいかねばならぬ。もし、信頼できぬ友を持ちながら、彼から良いことを期待しようと思うなら、口先だけ綺麗事を言って心では欺き、ごまかしにはごまかしで酬いるべきだ。(最高神オーディンが吟遊詩人ロッドファーヴニルに語ったことば)
モースがここから贈与の社会学、贈与を分析して社会の原理を解明する社会学を展開したのに対して、萩原は詐欺の社会学、詐欺を分析して社会の原理を解明する社会学を展開していこうとする。意表を突いた導入だ。詐欺という行為を考えることが、「資本主義の成立」というマックス・ウェーバー以来の社会学の王道的テーマと結びついていることを、『曾根崎心中』を引き合いに出して論じる辺りも実に機敏である(心中事件の発端は男が詐欺に遭い、しかも詐欺師扱いされたことにある。商人の町大阪では詐欺は日常茶飯の出来事だった)。そうかと思うと、一転して、著者自身が経験したゴーギャンの絵画をめぐる詐欺事件のエピソードを語る。緩急自在の才能とサービス精神に溢れた文章だ。
夕方、今春大学院の修士課程を卒業して出版社で働いているAさんと、修士3年のTさんが、研究室に顔を出す。二人とも私の指導学生ではないが、私の演習に出ていたことがあり、専攻は違うが研究会仲間でもある。「紅閣」で食事をしながらあれこれの話。10時帰宅。風呂を浴び、日曜日に録画しておいた『恋の時間』(主演は黒木瞳と大塚寧々)を見る。
10.26(水)
午前、歯科。あと一回で終わりとのこと。午後、大学病院。執刀医との面談および術前一週間前の各種検査。それを済ませて、梅屋敷商店街の「さぬきや」という店で遅い昼食(鴨南蛮とミニ天丼)。蕎麦にしようかうどんにしようか迷ったが、新蕎麦の季節なので蕎麦にした。初めて入る店だったが、食材にいろいろこだわっているようである(鴨肉はどこどこ産の生食用、海老は天然もの、野菜は無農薬)。店名から知られるように汁は関西風。いつも食べている「五郎八」とは対照的な太くて黒っぽい蕎麦で、歯ごたえがあって、しかし決して硬くはない。天ぷらも上手に揚がっている。とくにカボチャが旨かった。鴨南蛮が1400円、ミニ天丼が650円と場所柄を考えるとやや高めの価格設定だが、店を出るとき、次に来たときは何を食べようかなと考えていた。家からは自転車に乗って来たのだが、後輪のタイヤが空気漏れをする。ちょうど自転車屋があったので修理をしてもらう。自転車屋の主人は私と同年配のようで、作業をしながら、近所の人らしい先客と「40代はあっという間でしたね」とか話をしている。私はその話を聞くともなく聞きながら、まったくですねと胸の中で同意した。20代の頃はサラリーマンをしていたが、自転車屋をやっていた父親が亡くなって、母親に頼まれて会社を辞めて自転車屋を継いだのだという。私が子供の頃、どこの商店街にも必ず一軒は自転車屋があった。いつの頃からかスーパーマーケットで安い自転車が売られるようになり、街の自転車屋はしだいに姿を消していった。自転車屋のない商店街も珍しくなくなった。私が思うに、活気のある商店街とそうでない商店街の違いは自転車屋の有無にある。自転車屋の有無が商店街の活気を生むわけではない。そうではなくて、その商店街が地元住民とどれだけ密接なつながりがあるか、その指標が自転車屋なのである。だから梅屋敷の商店街は歩いていて楽しい。来月上旬、『ALWAYS 三丁目の夕日』という昭和33年の東京の下町を舞台にした映画が封切られるが、きっとその下町の商店街にも自転車屋があるはずだ。今夜の我が家の夕食のメインディッシュは鰺の胡麻干し。飼い猫のはるも行儀良く食卓に着いていた。
10.27(木)
午後、大学に出る途中、東京駅八重洲口の高架線下の飲食店街にある長崎チャンポンの店に昼食を食べに入る。皿うどんを注文。皿うどんは東京でカタ焼きそば(あんかけ)と呼んでいるのと同じもので(そうですよね?)、私の好物の一つなのだが、久しぶりで注文して量が多いのに驚いた。さすがに半分では足りないが、3分の2で十分と思う。私は食べ物を残せない質なので、全部食べたが、お腹一杯になった。食べ終わった直後にお腹一杯というのは、明らかに食べすぎで、少し時間が経つとお腹の中で食べたものが膨張するから、かなりしんどくなる。一般にオフィス街のサラリーマン相手の店は客に満腹感を与えなくてはならないと思い込んでいるところが多く、ありがた迷惑な話である。腹八分目でちょうどよいのだ。値段はそのままで、いまの8割の量を標準にして、「大盛り」をサービスにすればよいと思う。・・・・こんな感想をもつのも、いまの私が腹一杯になるまで食べることを無意識のうちに抑制しているからだと思う。ジムでトレーニングするだけで、特にダイエットはしていないと思っているが、客観的に見れば食べる量が以前よりも少なくなっているに違いない。10食べていたのが8くらいになっているはずだ。最初の頃はもう少し食べたいのを我慢して、意志の力で実行していたものが、やがてそれに慣れて、8でちょうどよくなったのだ。カロリー摂取量が減って、その一方でカロリー消費量は増えているのだから、体脂肪が減らない道理がない。しかし、体脂肪が減ってひとつだけ困ることがある。寒さを感じやすくなることだ。悪玉扱いされる体脂肪にもプラスの機能があって、それは防寒である。いまの時期、自然界の動物たちは一生懸命食べて、体脂肪を付け、冬場を乗り切るのだ。いまの時期のトレーニングとダイエットは反自然的行為である。風邪を引くのはそのツケが回ってきたのである。今日は昼から雨が上がり、気温もあがって助かったが、軽い咳が残っている。
10.28(金)
先日、近所の内科医院で風邪薬を処方してもらったとき、いまの風邪は治りかけに咳の症状が出ることがあるのでそのときはまた来て下さいと言われ、実際そのとおりになったので、大学へ出る途中、内科医院へ寄って咳と痰の薬を処方してもらう。娘も同じ症状なので分けてやることにする。
3限の大学院の演習は、今日は高度成長期前半(1955-64)の時代の「人生の物語」がテーマで、60年代前半に一世を風靡した「青春歌謡」を取り上げて私が報告をした。4限は研究室で二文の卒論指導(4人担当しているのだが、全然音沙汰のない人がいる。どうしているのかな? もしこれを見ていたら至急連絡を下さい)。5限は調査実習。6限は研究室で調査実習のキャッチコピー班の相談。相談が終わって、解散というときに、学生の一人が「研究室に来たときから気になっていたことがあるのですが伺ってもいいでしょうか」というので、「なんだい?」と聞いたら、「これは先生が読まれるんですか?」と机の上の『妊すぐ』という雑誌を指さした。妊娠した女性が読む雑誌である。火曜日に大学院の卒業生のAさんが来たときに、いまこういう雑誌を作る出版社で働いていますと言って名刺代わりに置いていったものである。しかし、私はそのことは言わずに、「どういう理由で私がこの雑誌を読んでいるかわかりますか?」と逆に学生たちに質問してみたところ、「何かの研究のためですよね」という答えが返ってきた。「研究の資料にはなるかもしれないが、さしあたってはそのためではない」と言うと、「じゃあ、娘さんが妊娠をされたとか」と次の答えが返ってきた。「もしそうだったら、雑誌を読むべきは娘本人であって私ではないでしょう。それに娘は君たちより学年が一つ下だよ。」どうも正解は出なさそうなので、「単純な理由だよ。こういう雑誌をパラパラ眺めるのが好きなんだ」と冗談を言ったところ、学生たち(全員女子学生)が「エッー!」と叫んで引いてしまった。九十九里浜の向こう端とこっち端くらい引いてしまった。「お~い、戻って来いよ~」とあわてて正解を説明する。一同一安心。この実験(?)からわかったことは、何か不可解な事物が眼前に出現したとき、人は既存の世界の秩序(そこには私という人間のイメージも含まれる)を混乱させない説明を求める傾向があるということである。今度は、レイザー・ラモンHGの写真でも机の前の壁に貼っておこうか。
10.29(土)
いまの時期、専修進級で悩んでいる一文の1年生から「社会学専修か××専修かで迷っているのですが・・・・」という相談をときどき受ける。今日も2限の「社会学基礎講義」(1年生対象の科目)の後に「社会学専修か人文専修か」で迷っている学生から相談を受けた。私はいまでこそ社会学専修の教員だが、学部時代は人文専修の学生であった。で、こういう場合は次のように答えることにしている。「もしあなたが一人で好き勝手に勉強するというスタイルを好む人であれば、人文専修へ進まれるのがいいでしょう。そうではなくて、仲間たちと一緒に一つのプロジェクトに取り組むというスタイルを好む人であれば、社会学専修へ進まれるのがいいでしょう。」今日もそう答えた。
いまの時期、卒論に取り組んでいる4年生から、「先生の授業で卒論のためのアンケートをとらせていただけませんでしょうか」という依頼をときどき受ける。昨日も心理学専修の学生からそういう依頼のメールが届いた。2年前に私の授業を受講した学生らしい。で、こういう場合は次のように答えることにしている。「私は授業の組み立て(展開と時間配分)はかなり綿密に計算して臨むタイプの教員です。したがって授業時間を使ってのアンケート調査というのは授業の妨げとなりますので、お断りいたします。悪しからずご了承下さい。ただし、3限の私の授業の始まる前、昼休みの終わり頃に、教室に早めにやってきている学生にあなたがアンケートの依頼をすることは私の関知するところではありません。なお、私は教室には5分程度遅れていくことにしています。」昨日のメールにもそう返信した。はたして3限の「社会学研究10」の授業のために581教室に行くと、入口のところに女子学生が立っていて、「どうもありがとうございました」とお辞儀をされた。私は、「えっ、何のことでしょう?」と言って教室に入った。
いまの時期、二文の1年生は専修変更で悩む。一文と違って二文は一年のときから専修が決まっているのだが、そのかわり、二年に進級するときに専修変更ができる。専修変更の届けを事務所に出すだけでいいのだが、その際、基礎演習の教員(担任)の判子をもらう必要がある。私はずっと基礎演習を担当しているので、社会人間系専修から他専修へ所属を変更する学生だけを見てきた。しかし、今年は講義科目も担当しているので、他専修から社会人間系専修に所属を変更したいのですがという学生からの相談も受けるようになった。今日も6限の「社会と文化」の授業の後にそういう相談を受けた。社会学に興味をもっていただけたらしい。ところがよく話を聞いてみると、1年生ではなく、学士入学(3年編入)の学生とのこと。であれば、専修変更という制度の適用外である。本人もそれは承知していて、もう一度学士入学の試験を受け直して社会人間系専修の学生になろうか、いまの専修のままで卒論の指導教員を社会学の教員にお願いしようか、迷っているとのことだったので、私は躊躇うことなく後者を薦めた。一文の場合は自分の専修の教員が卒論の指導教員になるのが原則だが、二文の場合は専修間の垣根はずっと低いのが特徴である。この特徴を生かさない手はない。
いまの時期、早稲田祭2005の準備に燃えている学生は多い。今日もスロープを歩いていると、早稲田祭2005の運営スタッフであろうか、チラシを配っていた。私も早稲田もんき~というサークルが早稲田祭2005に参加するにあたっての顧問を引き受けている。聞くところによると、早稲田もんき~は去年パフォーマンスにちょっとした問題があって、今回の参加が危ぶまれていたらしいのだが、今年代表を務めているK君というのが1年生のとき私の基礎演習の学生であったので、その信頼関係の中で私が顧問を引き受けることにしたのである。10時から17時までの時間帯、本部キャンパス16号館301教室で、早稲田もんき~はドリフターズの番組をパロディー化したパフォーマンス(1回20分程度)を行うそうである。加藤茶のマネをして「ウンコ、ちんちん」とかやるのかと尋ねたら、そういう下品なやつではないらしい(無論、ドリフターズのパロディーであれば上品ということはありえないであろうが)。入場料は100円とのこと。今日、6限の授業の後、研究室にやってきたK君から報告を受けた。成功を祈る。
10.30(日)
夕方、散歩に出る。有隣堂で数冊本を買って、カフェ・ド・クリエで読む。
『ALWAYS 三丁目の夕日 夕日町オフィシャルガイドブック』(メディアファクトリー)は、11月5日封切りの映画『ALWAYS 三丁目の夕日』のガイドブックで、夕日町三丁目の詳細マップと登場人物らの紹介。東宝の一番大きなスタジオを使って、ディテールに徹底的にこだわって、当時の町並みを再現したところが凄い。『クレヨンしんちゃん嵐を呼ぶモーレツ!大人帝国の逆襲』では、イエスタディワンスモアという組織が地下に高度成長期の夕暮れの町並み(そこでは時間はいつも夕暮れ時なのだ)を再現していたが、それを実際にやってしまったようなものだ。監督(山崎貴)がインタビューの中で、「2時間限定のタイムトラベルに行くつもりで観てほしい」と語っているが、確かにその通りだと思う。英文学専修の安藤先生などは、このガイドブックを眺めているだけで、涙が出そうになるそうだが、安藤先生は私より三つ年下の昭和32年のお生まれで、しかも三重だったか岐阜だったかその辺りのご出身で、映画の舞台である昭和33年の東京の下町の風景などご存じないはずだが・・・・と先日質問したところ、地方の東京化というのだろうか、昭和33年当時の東京の下町の商店街の風景は、安藤先生の子供時代の地方都市の商店街の風景と酷似しているのだそうだ。そうだったのか。
小沼丹『黒と白の猫』(未知谷)は、「大寺さんもの」と呼ばれる小沼の全12作品を1冊にまとめたもの(これまでは『懐中時計』『銀色の鈴』『藁屋根』『木菟燈籠』『埴輪の馬』の5冊の作品集に分散していた)。今回の作品集のタイトルにもなっている「黒と白の猫」は最初の「大寺さんもの」で、「妙な猫がゐて、無断で大寺さんの家に上がり込むやうになつた。或る日、座敷の真中に見知らぬ猫が澄して坐つてゐるのを見て、大寺さんは吃驚した。」というのんびりした調子で始まる話。私小説風の身辺雑記かと思わせておいて、途中で友人の奥さんが急に亡くなり、大寺さんの奥さんまで亡くなってしまう。ところが、文章ののんびりした調子は少しも乱れない。
細君が死んだと判つたとき、大寺さんは茫然とした。何故そんなことになつたのか、さつぱり判らなかつた。
この淡泊さは尋常ではない。配偶者が死んだのである。並の作家ならいくらでも深刻な大仰なタッチの文章になりえるところである。「黒と白の猫」は小沼が実生活で経験した妻の死を乗り越えて生きていくために書いた作品である。最初は一人称で書くつもりだったらしいが、それだとどうしても湿っぽい文章になってしまうので、「大寺さん」という三人称で書いたのである。「いろんな感情が底に沈殿した後の上澄みのような所が書きたい。」と小沼は考えたのである。もちろん三人称で書いたからといって誰にもそのような芸当ができるものではない。「黒と白の猫」を初めて読んだのは学部の学生の頃だったと思うが、剣の達人が道端の木の枝を無造作に折って、それで突進してくる猪の鼻の頭をピシリと叩くと、猪は急におとなしくなって山の中に帰っていく・・・・そんな情景を目を丸くして見つめる子供のような気分がしたものだ。
今夜の我が家の夕食は松茸御飯と天ぷら。再三にわたって私が妻にリクエストした献立である。なかなか応えてくれないので、昨日の夜は、大学からの帰りに釜飯屋に一人で入って食べようかとまで思い詰めていた(結局、「つけ麺大王」でレバ焼定食を食べた)。新米がいい具合に炊けて、松茸の味と香りが御飯全体に行きわたっている。思わず目を閉じて、しみじみと味わって食べる。
10.31(月)
午前、歯科。今回の治療はこれで終了。帰宅して、二日前から風邪気味で腰痛の父を近所の内科医院へ連れて行く。午後、2週間ぶりのジム。通常の7割くらいのトレーニング量にしておく。ウォーキングマシンに乗りながらデジタル画面をテレビモードにして組閣のニュースを見る。麻生太郎の外相と猪口邦子の少子化・男女共同参画担当相には違和感を覚えた。トレーニング後に更衣室で体重を量ったら73キロをわずかに切っていた。ジム通い開始後の最低記録を更新。75キロをわずかに切ったのが7月25日だったから、そこから2キロの減量に3ヵ月かかったことになる。無理のないペースといえよう。外に出て、夕暮れ時の舗道を歩くと、風が冷たい。気温も湿度も高かった7月とはずいぶんと違う。チケットぴあで『ALWAYS 三丁目の夕日』の前売り券を購入。熊沢書店で、加藤周一『日本その心とかたち』(徳間書店)、森正蔵『あるジャーナリストの敗戦日記1946-1946』(ゆまに書房)、飛矢崎雅也『大杉栄の思想形成と「個人主義」』(東信堂)を購入。カフェ・ド・クリエに行って読む。飛矢崎(ひやざき)は明治大学大学院博士課程在学中の31歳の研究者。本書は博士論文としてまとめられたもの。大杉栄研究の襷は若いランナーに手渡された。購入したくて店頭になかった新井敏記『人、旅に出る 「SWITCH」インタビュー傑作選』(講談社)は帰宅してからAmazonで中古本を注文する。