7時半、起床。塩バターパン、洋風和菓子2個、紅茶の朝食。
午後、散歩に出る。
まずは昼食をとりに下丸子の「喜楽亭」へ。壁の蔦がずいぶんと赤くなった。
引き戸を開けて、店内に入って、驚いた。客が3組もいるではないか。実に珍しいことだ。ご主人も忙しそうに動いている。「ご繁盛ですね」と言いながら、ロースカツ定食を注文すると、「すみません。ロースカツはもうなくなってしまって」と言う。「じゃあ、チキンカツ定食を」と注文し直す。これで5回連続のチキンカツ定食だ。今日も本心ではチキンカツ定食を注文したかったのだが、たまには他のメニューも注文しなくてはいけないかなという気持ちが働いてロースカツ定食を注文したまでなので、これでよかったのである。
私のチキンカツ定食が運ばれてきたときにはすでに先客はみな食事を済ませて店を出ていたので、いつものように、ご主人とおしゃべりをしながらの食事となる。「こんなときもあるんですね」と私が言うと、ご主人はまんざらでもなさそうな顔で、「昨夜なんかは、駅前の区民センターで練習していたオーケストラの若い人たちがやってきて、冷蔵庫にあったビールが全部なくなりました」と言った。
田園調布まで行き、駅前から千歳船橋行きのバスに乗って、世田谷美術館に「松本峻介展」を観に行く。バスは20分に一本の間隔で出ている。田園都市線の用賀駅から歩くという手もあったが、久しぶりでバスに乗ってみたかった。私は自分で自動車の運転をしないし、バスも日常的に使っていないので、道路網というものが頭の中にない。私の頭の中の地図は鉄道中心なのだ。なのでバスによる移動は新鮮だ。鉄道を使うと離れているように思われる地点も、道路を使うと、意外に近いということがわかる。
田園調布駅から美術館入口までは停留所は15。所要時間は30分弱。
世田谷美術館は砧公園の中にある。
美術館い着いたのが3時。閉館は6時なので、じっくりと鑑賞することができた。
松本峻介は1912年に生まれて1948年に死んだ。今年が生誕100年ということで、油彩約120点、素描約120点、スケッチ帖や所管などの資料約180点からなる大規模な回顧展だ。7月に神奈川県立近代美術館(葉山館)で観ているが、その後、宮城県立美術館、島根県立美術館を廻って、世田谷美術館にやってきたので、再度の訪問となった。
36年の生涯を、(1)前期(1927年~1941年頃)、(2)後期:人物(1940年頃~1948年)、(3)後期:風景(1940年頃~1947年)、(4)展開期(1946年~1948年)という4つの章(時期×モチーフ)に分けて、松本峻介の画業の変遷を辿っている。どの章にも心惹かれる作品があるが、とくに(1)の都市を「モンタージュ」の技法を使って描いた作品や、(3)の橋や運河や工場を静謐なタッチで描いた作品の前で長い時間立ち止まった。
彼の「モンタージュ」は、われわれが生きている「現実の世界」を描くのに効果がある。われわれは職場で仕事をしながら家庭のことを考えたり、その逆もある(現実の世界の複合性)。また、目の前の世界に対応しながら頭の中の世界に反応したりもする(現実の世界の多元性)。いま目の前にあるものだけが現実なのではない。複合的で多元的な現実の世界を一枚の画布に描こうとすれば、「モンタージュ」の技法が使われるのは必然的なことのように思える。こんなことを言えば笑われそうだが、松本の「モンタージュ」の作品を観ていると、シャガールの作品が思い浮かぶ。シャガールにとっての動物は、松本にとっての建物ではないかと思うのである。
彼は中学生のときに聴力を失ったが、彼の描く橋や運河や工場の風景が静謐なのはそのためではない。実際、「モンタージュ」の技法を駆使して描いていたときの都市の風景は喧騒に満ちていた。彼の関心は、都市の中心の喧騒から、都市の周辺の静寂に移っていったのだと思う。しかし、そのベクトルは都市を離れて田舎へ向かうことはなかった。あくまでも彼の関心は都市の内部に留まっていた。彼は永井荷風の読者だったのではないか、荷風もまた松本峻介の作品を気に入ったのではないかと、妄想をしたりする。
2時間ほどかけて展示会を観てから、売店でポストカードなどを購入し、地階の「セタビカフェ」で一服してから美術館を出る。まだ5時半だが、日はすっかり暮れて、公園に人影はほとんどなかった。
帰りも来たときと同じ路線バスで、30分弱で田園調布駅に着いた。
蒲田に着いて、「一二三堂」で図書カード(娘の誕生日のプレゼント)と、小川洋子の新作『ことり』(朝日新聞出版)を購入。
自宅に到着するちょっと前に妻からケータイに電話があり、「いま、どこ?」というので、「家の目の前」と答えると、「スーパーでじゃが芋を買って来て」と言われ、商店街の方へ逆戻りする。
7時、帰宅。夕食はフライの盛り合わせで、さきほど買ってきたじゃが芋もポテトフライになって出てきた。