7時半、起床。
トースト、サラダ、牛乳、紅茶の朝食。
朝食の構成は普段と変わりないが、「何かいつもと違う」と思った方は、ブログの熱心な読者であろう。いつもと違うのは光の当たる方向である。今日は右から光が当たっているが、普段は左からである。光は窓から入ってくる光なので、座る場所が普段と違うことを意味する。なぜ違うのかというと、息子がいるからである。そのため座る場所の再配置が行われたのである。南米の先住民がスペイン人の侵入によって居場所を追われたように、私も安住の地を追われたのである。しかも、この再配置を指示したのは妻である。先住民の仲間だと思っていた妻が、息子を嬉々として迎え入れ、私を追いやったのだ。
午後、昼食を食べに出る。今日は曇り日。天気が日替わりで変化する。
「サンロード商店街」の奥、「テラスドルチェ」の並びにある天麩羅の「すずき」に行く。
コの字のカウンターのみの店である。「季節の定食」(1380円)を注文。味噌汁は蜆。
海老。
稚鮎。
半熟玉子。これはとっておいて最後に食べる。
サヨリと茗荷。
筍。
サワラ。
最後は、ご飯を半分(100円)お分かりして半熟玉子の天ぷらと天つゆで卵かけご飯にして食べる。これが美味しいのである(周りを見てもやっている人はいないけど)。
食後のコーヒーを「テラス・ドルチェ」でと思ったが、満席状態だった。では、久しぶりで「リオ」でと思ったら、今日はやっていなかった。「カフェ・ド・コバ」や「グッディ」はすでにない。かといって「ルノアール」の気分ではない。コーヒーはあきらめることにした。
家に戻る途中で「ルージュ・ブランシュ」の前を通る。洋菓子の店だが、店の奥のテーブルでイートインもできる。ここで一服していくことにしよう。
和栗のモンブランと紅茶(ストレート)を注文。紅茶はポットで供される。
まろやかなモンブランである。
帰宅して、少しうたた寝をしてから、吉見俊哉編『平成史講義』(ちくま新書)を読む。「平成」という時代がどういう時代だったのかを、さまざまな角度から検証した本である。
ある時代の特徴は前後の時代との比較において明らかになるが、「令和」はまだ始まっていないので、「前後の時代」との比較はできない。できるのは「昭和」との比較だけである。「昭和」との比較で言えば、「平成」は戦後の安定した構造(政治の分野でいえば「55年体制」)がゆらぎ、崩れていった時代だった。その原因は何かの失敗というよりも、安定した構造を支えていた内外の諸条件(冷戦や出生率)の変化によるもので、同じ安定した構造を復元することはできない(懐かしむことはできるとしても)。
今朝の読売新聞に出ていた世論調査によれば、「令和」が「良い方向」に進むと答えた人は全体の58%で、若者層では8割と高いそうである。それは予想というよりも期待というべきものだろうが、いずれにせよ、未来を明るいものと見ることは精神衛生上よいことである。
夕食は鶏のから揚げ(ねぎソースがけ)、チンゲン菜とエリンギとベーコンと卵の炒め、新玉ねぎとトマトのサラダ、味噌汁、ご飯。
鶏の唐揚げ(ネギソースがけ)は息子の大好物。
トマトが苦手な息子はトマト抜き。
『20世紀ラテンアメリカ短篇集』(岩波文庫)所収の、ミゲル・アンヘル・アストゥリアス「大帽子男の伝説」とアウグスト・モンテローソ「日蝕」を読む。前者はラテンアメリカで初のノーベル文学賞作家の超絶技巧的な文章を堪能し、後者は星新一を思わせるショート・ショートの軽妙なブラックユーモアを味わった。ちなみにモンテローソは、「世界で一番短い小説」の作者としても有名である。その小説のタイトルは「恐竜」。
「目を覚ましたとき、恐竜はまだそこにいた。」
書き出しの一行ではない。たったこれだけ(原文では7語)の小説である。なぜこれが小説と呼べるのか。たぶん物語が存在しているからだろう。物語の存在を読者が強く感じるというべきか。「目を覚ましたとき、彼女はまだそこにいた。」というのと比較すれば、それは明らかだろう。いや、思春期の男の子ならこれでも十分物語を感じるかもしれませんけどね(笑)。
2時、就寝。