フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

1月30日(土) 晴れ

2010-01-31 11:49:29 | Weblog

  9時、起床。ハムトーストと紅茶の朝食をとりながら、フィールドノートの更新。昼から大学へ。1時から大学院社会学コースの修士論文の判定会議。その後、引き続いて教室会議。終ったのは3時ごろ。
  あゆみ書房で、荒川洋治『文学の門』(みすず書房)と内田樹『邪悪なものの鎮め方』(バジリコ)を購入し、二階の「シャノアール」で読む。タマゴトーストと珈琲を注文。
  『文学の門』に収められた「午前10時の波」というエッセーは高見順の詩をテーマにしたものである。高見のいくつかの詩が紹介されていたが、次の「楽しみ」という詩は初めて目にした。

  眼で指を覆い
  指の間から外を見る
  楽しみ

  涙の間から
  ものをぼやけさせて見る
  楽しみ

  つらくても生きていける
  生きてけることを そっとたしかめる
  楽しみ

  「高見順の詩は、小説家の余技であり、それ以上のものではないとする見方や、ものを徹底させる感じがないという批判があるが、少しだけ向うへ行くという、詩のなんかに漂う空気を見過ごしてはならない。つねに『見る人』でありつづけようとした人の、世界に対する積極的な姿勢を見のがしてはならない」(41頁)。同感。

  『邪悪なものの鎮め方』の「あとがき」の中で内田はこんなことを書いている。

  「「コミュニケーション能力」という言葉をほとんどの人は「言いたいことをはっきり言って他人に伝える」能力のことだと思っている。でも、僕は、それは少し違うのではないかと思っています。たしかにコミュニケーション能力は「他人に何かを伝える力」のことです。けれども、他人にいちばん伝えたいと思うのは、「自分が知っていること」ではないんじゃないかと僕は思います。自分が知り始めていて、まだ知り終わっていないこと。そういうことがコミュニケーションの場に優先的なトピックスとして差し出されるのではないでしょうか。ちょうど巨大な船について記述するときのように、船首について話し始めたときには、船尾はまだ視野に入っていない。そういうことについて語るのが僕たちがいちばん高揚するときなのではないか。僕は何だかそんな気がします。/別の言い方をすれば、コミュニケーション能力というものは本質的に時間的な現象なのではないかということです。「言いたいこと」がある。でも、自分が何を言いたかったのかは言い終わってみないとわからない。言い始めたときには、自分のセンテンスがどこかに「ぴたり」と着地するであろうということについては確信がある。でも、それが「どこか」はまだ見えない。何を直感したのだが、何を直感したのかは、言葉を統辞的に適切に配列し、カラフルな喩えを引き、リズミカルな音韻を整えないと自分にもわからない。」(123-124頁)

  この箇所を読みながら、私はゼミのときの風景を思い浮かべていた。ゼミの基本は「報告+ディスカッション」だが、ディスカッションの場面で発言をするというのはそれなりの覚悟が必要だ。ちょうどプールの壁にしがみついている子どもが覚悟を決めて向うの壁めがけて飛び出していくときのように。向うの壁まで泳ぎ切ることができなくて途中で立ってしまうかもしれない。いや、立てる深さのところならいいが、そうでなかったら溺れてしまう。そんなことを考えているとなかなか壁から手が離れない。でも、何人かは臆することなく飛び出していく。そして途中で泳ぎが乱れて立ってしまう。ゼミにもそういう学生が何人かいる。話し始めて、かなり進んだところで、「何を言っているのかわからなくなりました・・・」と言って、頭をかく。みんなが笑う。私も笑う。でも、これは馬鹿にした笑いではない。内田樹のような思考のプロなら、具体的な着地点が見えていない状態でも、どこかに着地するであろうという確信のもとに話し始めて、見事に着地することができるが、アマチュアはそういうわけにはいかない。途中で方向がわからなくなったり、着地に失敗することもある。しかし、めげずに(たいていそういう子はめげないのだ)トライを続けてゆけば内田がいう意味での「コミュニケーション能力」が身についていく。ゼミはそういう練習場である。決して失敗が許されない本番の舞台ではない。頭をかいて、笑われよう。

  蒲田に着いて、有隣堂とくまざわ書店をのぞいて、以下の本を購入。

  『加藤周一自選集』5(岩波書店)
  松田久一『「嫌消費」世代の研究』(東洋経済)
  鈴木貞美『戦後思想は日本を読みそこねてきた 近現代思想史再考』(平凡社新書)
  北折一『最新版 死なないぞダイエット』(メディアファクトリー)

  北折のダイエット本はNHKの『ためしてガッテン』で取り上げられて話題になった「計るだけダイエット」の改訂版である。現在の体重の5%分の減量を3ヶ月かけてゆっくりと、無理なく、したがってリバウンドなしに行うことを目指すものである。タイトル中の「死なないぞ」は「メタボ→心筋梗塞→突然死」ということにならないぞ、という意味。先日の人間ドックの結果を受けて、去年同様、4月になったら「NPO法人健康早稲田の森」のKさんから呼び出しのメールが来るのは必至なので、それまでに減量して、「先生、すごーい!」と言われようと思っているのである。   


1月29日(金) 曇り

2010-01-30 09:54:22 | Weblog

  8時、起床。ハムトースト、紅茶の朝食。今日、論系進級希望者の第2次集計結果が発表になった。現代人間論系は1次の139名から19名増えて158名となった。論系定員が156名なので2名オーバーだが、実際には、希望は出したものの進級に必要な単位が不足して進級できない者が何人か出るであろうから、定員=希望者ということになりそうな予感がする。もしそうなったらピタリ賞はいただけるのだろうか。
   今日は「ライフストーリーの社会学」の試験がある。万一、電車のトラブルがあるといけないので、いつもより早めに家を出る。登録者281名中、本日の試験を受けた者273名。受験率97.2%は驚異的である。でも、普段の授業の出席率は7割くらいではなかろうか。だめもとで試験だけ受けに来た学生が相当数いる計算になる。たぶんだめでしょう。試験はA~Dの4問の中から1つを選んで解答する形式だが、特定の問題に集中するということはなかった。試験時間は60分で、答案回収後に解説を行った。試験だけでは授業としてカウントしてもらえないからである。「Aを選んだあなたは几帳面な性格の持ち主です。いきなり答案を書き始めることはなく、全体の構成をきちんと考えてから書き始めるタイプです。・・・」
  昼食は「メルシー」のチャーシューメン。夕方からのゼミの時間まで研究室や教員ロビーで読書(研究室より教員ロビーの方が暖かい)。
  今年度最後のゼミ。4冊目のテキストを読了する。あっと言う間の1年だった。読んで、考えて、書く、話す。そういう訓練を一貫して続けてきた。秋期にはライフストーリー・インタビュー調査も経験した。4月からの次の1年はそうしたことをもっと意識的・戦略的・生産的に行うことになるだろう(無我夢中ではなくて)。


本日のスイーツはマフィン


振り返って見る


春になったらまた会おう  


1月28日(木) 曇り

2010-01-29 02:39:39 | Weblog

  昨日同様、親不知を抜いた痕の痛みで、6時ごろ目が覚める。まだ4時間しか寝てないのに・・・。3限の大学院の演習は休講と決め、メールで連絡する。ところが一人の学生のワセダネットのメールサーバーが容量オーバーでメールが戻って来てしまった。こうなるとお手上げである。相手に連絡する手段がない。この容量の小ささ(5M)はどうにかならないものか。学生はgmailやhotmailの類を使っている人が多いと思われるが、だったらそちらに転送設定をして、ワセダネットのメールサーバーにはメールを残さないようにすれば、容量オーバーで大事なメールが受信できないという事態はなくなるのだが。ところがこの転送・削除の設定の仕方を知らない学生がとても多いのだ。ぜひワセダネットの講習の重点項目にしてほしい。
  9時、起床。カレー、トースト、牛乳の朝食。フィールドノートの更新をして、昼前に家を出る。大学院の演習の教室に行ってみると、案の定、O君が待っていた。かくかくしかじかの理由で今日は休講にします。早朝にメールを出したのだが、かくかくしかじかの理由で君に届かなかった。レポートの課題についても説明する。
  昼食をとりに「西北の風」に行くと、この3月で定年退職される日本史学の安在先生が学生たちと会食をされていた。安在先生が立ち上がって挨拶をされ、女子学生が花束を贈呈し、記念写真が撮られた。私は茄子とベーコンのスパゲッティを食べながらその様子を見ていた。別れの季節だ。安在先生が退席されるとき、私も立ち上がって、先生にご挨拶を申し上げた。


キャンパスにはもうすぐ八重椿が咲く

  6限の演習「ケーススタディの方法」は今日が最終回。教場提出のレポートを受け取る。各自のレポートのテーマと知見を全員に手短に報告してもらった。21名が登録し、インタビュー調査のケース報告までいったのが17名。そのうち今日レポートを提出したのが15名(数日遅れでもう1名出す予定)。作業量の多い演習で、4分の3の学生が最後まで残ったのはなかなかである(私の当初の予想は3分の2であった)。みんなよく頑張った。これだけやって単位を落としたら彼らもショックであろう。しかし、レポートの出来が悪ければ不可である。ただし、それで終わりということにはしない。なぜ不可なのかを説明し、再提出のチャンスを与えることにしている。一発勝負の試験とは違って、レポートとは本来そういうものであろう。


各自のレポートのタイトル(寄せ書き風)

  今日は全然寒くない。帰りは寒くなるだろうと着込んで来たが、裏目に出た。夕食は「とん清」の牡蠣フライ定食。帰宅すると、人間ドックの結果が郵送されてきていた。細かく見るといろいろ問題はあるが、格別大きな問題はないという結果だった。中年としてはこれでよしとしなければならないが、また、「メタボ予備軍」ということで呼び出しがかかるのだろうな。


なぜ美味しいものはカロリーが高いのか


1月27日(水) 晴れ

2010-01-28 11:40:04 | Weblog

  6時ごろ目が覚める。親不知の抜いたあたりがじわじわ痛む。起きて、鎮痛剤を飲み、また眠る。9時、起床。卵焼き、トースト、ホットミルクの朝食。今夜の区民会議のための資料を作成し、担当課にメールで送る。放送大学の教務課のS氏から放送大学叢書の件でメールが届く。折り返し電話をして不明の点を尋ねる。だいたいわかったが、当初のイメージとは大分違う。
  午後から大学へ。途中、品川駅のエキュートでダロワイヨのマカロンを購入。「生活設計論」の宮城まり子先生へのお土産である。教員ロビーで宮城先生の授業(試験)が終るのを待っていると、某先生が通りかかって、ちょうどよかった、ちょっと相談したいことがあるというので、先生の研究室へ。初めて聞く話で、それがほんとなら(ほんとらしいが)困ったことになった。やれやれと嘆息しつつ、教員ロビーに戻る。ほどなくして答案用紙をたくさん抱えた宮城先生が現われたので、今期の授業のお礼を述べ、来期の授業のご要望をうかがう。今期は453教室という階段教室で授業をされたのだが、机が固定しているためグループ・ディスカッションには不便だったので、来期は机の動かせる教室を希望された。さっそく事務所へ行って、その旨を伝える。おそらく151教室あたりが割り当てられることになるだろう。
  生協で以下の本を購入。帰りの電車の中で読む。

  荒川洋治『読むので思う』(幻戯書房)
  西村大志編『夜食の文化史』(青弓社)
  阿部真大『ハタチの原点』(筑摩書房)

  「なるべく人と話さない。そんな世の中なので、ぼくもあまり人と話さなくなった。だから、ことばと会える機会も、だんだん少なくなった。」

  荒川洋治のエッセー「駅から歩く」はこんなふうに始まる。いきなり読み手の心をつかむ文章だ。

  「先日ひさしぶりに郷里に帰り、町中を歩いた。そこは自分の生まれたところと少し離れている。中学に通っていたころ。一度くらいは通ったことのある、というようなところだった。雨が降ってきた。傘をさした。
  向うから、おばあさんが歩いてきた。
  このあたりに住む人だろう。
  傘をさしているので、お互いに顔は見えない。すれちがいざまだった。その婦人はぼくに声をかけた。
  『だんなさん、電車降りてきなさったんか』
  と。声をかけたまま、通り過ぎた。ぼくは『はい』と、あいまいな返事をした。
  知らない人だ。こんなところで話しかけられるとは、ゆめにも思わなかったので、少しおどろいた。おどろきがおさまったあとで、ぼくはそのことばを振り返った。」

  荒川はなぜおばあさんが自分に『電車降りてきなさったんか』と声をかけたのかをあれこれ考えた。あれこれの部分を具体的に引用すると長くなるので(ほんとにあれこれかんがえるものだと私は感心した)、割愛するが、「ぼくには、なにかしら『駅の匂い』がしたのだと思う。このへんを歩きなれていないことを、足どりから感じたのかも。」という考えには、なるほど、と思った。あれこれ考えた末に荒川はこう思う。

  「でも、そこまでこまかく考える必要はない。おばあさんは、見知らぬ人にもちょっとしたことばをかける人なのだ。昔の人はみな、そういう、やさしいところ、あたたかい気持ちがあった。でもそれ以上に、このことばは、よいものだとぼくは感じた。
  こちらの姿を見つけてから、近寄る間に、どんなことばをかけようかと考えるはずはない。おのずから生まれたことばだろうが、『電車降りて』という表現はこの場合にふさわしい。あいさつとして、ありきたりではない。なかみがある。こころもある。それがあのおばあさんのことばだったのだと思った。」

  普通のエッセーならば、ここで終るだろう。でも詩人のエッセーはもっと余韻のある終わり方をする。

  「しばらくすると『めがね橋』という小さな橋の下に、三国港駅のこれまた小さな駅舎が見えた。路地を降りると、日本海が見える。浜辺に出た。ほとんど人はいない。そこでぼくはバスを待った。電車を降りた男は、いまはバス停にいた。雨はまだ降っていた。」


ひと頃に比べると日が長くなった

  夜、大田区男女平等推進区民会議。今日は大田区役所の職員会議の方々との懇談。第6期(平成23ー28年)の男女共同参画推進プランの下案を作るのは職員会議の仕事なので、彼らとの懇談は重要な意味をもつ。今日の会合だけで懇談は終わりということではなく、プラン作りが本格化する4月以降、継続的に会合をもっていきたい。


1月26日(火) 晴れ

2010-01-27 02:22:09 | Weblog

  7時、起床。昨日は早寝をしたので、いつもより早く目が覚める。ジャガイモとワカメの味噌汁に卵を落としてグツグツ煮る。卵が半熟になったところでご飯にかけて食べる。これがうまいのだ。フィールドノートの更新。12時に歯科へ。親不知を抜いた痕のチェック。とくに問題なし。消毒をしてもらって、1週間後に抜糸の予約。昼食は「オレンチーノ」に食べに行く。味噌煮込みうどん(牡蠣を追加)とご飯。ご飯には自家製のフリカケをかけて食べる。南天堂書店(古本)で以下の本を購入。「シャノアール」で読む。

  笠智衆『大船日記』(芙蓉社)
  『モーリス・ベジャール自伝』(劇書房)

  笠智衆は小津安二郎の映画には、監督2作目の『若人の夢』(昭和3年)から遺作となった『秋刀魚の味』(昭和37年)まで、ほとんどすべての作品に出演している。最初の頃は通行人程度の役だったが、『一人息子』(昭和11年)で始めての大きな役をもらう。この作品は小津の最初のトーキー作品で、何回か授業の教材として使ったことがある。かなり画質が悪く、方言の多い台詞はいまの学生には外国語のように聞こえるらしいが、上京=成功の物語の破綻を母子関係の哀切を通して描いた傑作である。笠智衆が演じるのは信州の小学校の大久保先生(!)で、大志を抱いて小学校の先生を辞めて東京へ出て行くが、立身出世の夢破れて場末のとんかつ屋の主人になる。前半の凛々しい姿と後半のうらぶれた姿の対照がとても同じ人物とは思えない。当時、笠は32歳。しかし、このうらぶれた大久保先生役が好評を博したせいだろう、以後、「フケ役」は笠の定番になる。『東京物語』(昭和28年)で尾道から上京してくる老夫婦役をやったとき、笠はまだ49歳だった。いまの私より6つも若いのだ。しかし、どうみたってあの老夫婦は70代である。老夫婦の長男の町医者を演じた山村聡は当時43歳。笠とは6つしか違わないのだ。それでもちゃんと親子に見えた。笠の「フケ役」の凄さがわかるだろう。
  ところでさきほど書いたように『一人息子』は小津の最初のトーキー作品である。つまり笠はこのとき初めて台詞のある演技をしたのである。

  「サイレント映画のホンは、トーキーのものとはずいぶん様子が違っていました。一応、台詞は書いてあるのですが、それは画面に文字タイトルで出る。ですから俳優は、撮影の時、別に台詞を言わなくてもいいわけです。完成した映画では、俳優がしゃべり始めるとパッと画面が切り変わり、タイトルになる。それでも、気持ちを作るために、台詞に近いことを言うのですが、スターさんのなかには、「早くメシにしようぜ」などと、適当なことをしゃべっている人もいました。僕も、台詞を覚えたりはしませんでしたね。」(34頁)

  『一人息子』は小津の最初のトーキー作品であると同時に、松竹蒲田撮影所での最後の作品となった。蒲田撮影所は線路(東海道線)の側にあったために、同時録音のトーキーには不向きで(電車の音が入ってしまう)、『一人息子』の撮影は終電から始発の間の深夜に行われたのである。

  「サイレントからトーキーになる時、やめていった俳優さんも多かったようです。立ってるだけなら絵になるが、台詞をしゃべるとダメになる人もたくさんおりました。僕は、トーキーになって「しめた」と思ったくらいです。表現方法がひとつ増えたと考えたからです。けっして台詞が上手なわけではないのですが、動きだけより言葉が加わるほうが、少しでも多くのことを伝えられるのではないでしょうか。僕の場合、サイレントがもっと長く続いたら、逆に、消えていった俳優かもしれません。」(41頁)

  トーキーになって笠にも困ったことはあった。出身地の熊本訛りなかなか直らなかったことだ。しかし、小津は笠の訛りを注意しなかった。

  「きっと、僕の演技には注文することが多過ぎて、訛りにまで気がいかんかったのでしょう。それとも、訛りも僕の〝味〟だと考えてくださったのでしょうか。それに、小津作品の台詞には、独特の節があるので、僕が多少訛っていても、観ているお客さんには、あんまり気にならんかったと思います。」(43頁)

  小津は脚本も自分で手がけた。「独特の節」とは、「洗練されたぶっきらぼうさ」とでもいうようなもので、たぶん山田太一はそれを継承している。


笠智衆(りゅう・ちしゅう)1904-1993