9時、起床。ハムトーストと紅茶の朝食をとりながら、フィールドノートの更新。昼から大学へ。1時から大学院社会学コースの修士論文の判定会議。その後、引き続いて教室会議。終ったのは3時ごろ。
あゆみ書房で、荒川洋治『文学の門』(みすず書房)と内田樹『邪悪なものの鎮め方』(バジリコ)を購入し、二階の「シャノアール」で読む。タマゴトーストと珈琲を注文。
『文学の門』に収められた「午前10時の波」というエッセーは高見順の詩をテーマにしたものである。高見のいくつかの詩が紹介されていたが、次の「楽しみ」という詩は初めて目にした。
眼で指を覆い
指の間から外を見る
楽しみ
涙の間から
ものをぼやけさせて見る
楽しみ
つらくても生きていける
生きてけることを そっとたしかめる
楽しみ
「高見順の詩は、小説家の余技であり、それ以上のものではないとする見方や、ものを徹底させる感じがないという批判があるが、少しだけ向うへ行くという、詩のなんかに漂う空気を見過ごしてはならない。つねに『見る人』でありつづけようとした人の、世界に対する積極的な姿勢を見のがしてはならない」(41頁)。同感。
『邪悪なものの鎮め方』の「あとがき」の中で内田はこんなことを書いている。
「「コミュニケーション能力」という言葉をほとんどの人は「言いたいことをはっきり言って他人に伝える」能力のことだと思っている。でも、僕は、それは少し違うのではないかと思っています。たしかにコミュニケーション能力は「他人に何かを伝える力」のことです。けれども、他人にいちばん伝えたいと思うのは、「自分が知っていること」ではないんじゃないかと僕は思います。自分が知り始めていて、まだ知り終わっていないこと。そういうことがコミュニケーションの場に優先的なトピックスとして差し出されるのではないでしょうか。ちょうど巨大な船について記述するときのように、船首について話し始めたときには、船尾はまだ視野に入っていない。そういうことについて語るのが僕たちがいちばん高揚するときなのではないか。僕は何だかそんな気がします。/別の言い方をすれば、コミュニケーション能力というものは本質的に時間的な現象なのではないかということです。「言いたいこと」がある。でも、自分が何を言いたかったのかは言い終わってみないとわからない。言い始めたときには、自分のセンテンスがどこかに「ぴたり」と着地するであろうということについては確信がある。でも、それが「どこか」はまだ見えない。何を直感したのだが、何を直感したのかは、言葉を統辞的に適切に配列し、カラフルな喩えを引き、リズミカルな音韻を整えないと自分にもわからない。」(123-124頁)
この箇所を読みながら、私はゼミのときの風景を思い浮かべていた。ゼミの基本は「報告+ディスカッション」だが、ディスカッションの場面で発言をするというのはそれなりの覚悟が必要だ。ちょうどプールの壁にしがみついている子どもが覚悟を決めて向うの壁めがけて飛び出していくときのように。向うの壁まで泳ぎ切ることができなくて途中で立ってしまうかもしれない。いや、立てる深さのところならいいが、そうでなかったら溺れてしまう。そんなことを考えているとなかなか壁から手が離れない。でも、何人かは臆することなく飛び出していく。そして途中で泳ぎが乱れて立ってしまう。ゼミにもそういう学生が何人かいる。話し始めて、かなり進んだところで、「何を言っているのかわからなくなりました・・・」と言って、頭をかく。みんなが笑う。私も笑う。でも、これは馬鹿にした笑いではない。内田樹のような思考のプロなら、具体的な着地点が見えていない状態でも、どこかに着地するであろうという確信のもとに話し始めて、見事に着地することができるが、アマチュアはそういうわけにはいかない。途中で方向がわからなくなったり、着地に失敗することもある。しかし、めげずに(たいていそういう子はめげないのだ)トライを続けてゆけば内田がいう意味での「コミュニケーション能力」が身についていく。ゼミはそういう練習場である。決して失敗が許されない本番の舞台ではない。頭をかいて、笑われよう。
蒲田に着いて、有隣堂とくまざわ書店をのぞいて、以下の本を購入。
『加藤周一自選集』5(岩波書店)
松田久一『「嫌消費」世代の研究』(東洋経済)
鈴木貞美『戦後思想は日本を読みそこねてきた 近現代思想史再考』(平凡社新書)
北折一『最新版 死なないぞダイエット』(メディアファクトリー)
北折のダイエット本はNHKの『ためしてガッテン』で取り上げられて話題になった「計るだけダイエット」の改訂版である。現在の体重の5%分の減量を3ヶ月かけてゆっくりと、無理なく、したがってリバウンドなしに行うことを目指すものである。タイトル中の「死なないぞ」は「メタボ→心筋梗塞→突然死」ということにならないぞ、という意味。先日の人間ドックの結果を受けて、去年同様、4月になったら「NPO法人健康早稲田の森」のKさんから呼び出しのメールが来るのは必至なので、それまでに減量して、「先生、すごーい!」と言われようと思っているのである。