フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

9月29日(金) 晴れ

2023-09-30 11:38:28 | Weblog

7時半、起床。

バタートースト、カレー、目玉焼き、サラダ、牛乳、珈琲の朝食。

『らんまん』最終回。

冒頭で新種のササの発見。

スエコザサと名づけられることにな。

沼津から竹雄と綾がやって来た。「竹」が続く。

新しい酒「輝峰」を持って。

本当はこの席には「輝峰」の共同開発者である藤丸がいるべきだが、彼は昨日登場したから、最後は家族水入らず(酒だけに)ということだろう。万太郎は初めて酒を「うまい」と感じた。

最後の10分は縁側で万太郎と寿恵子の二人だけのシーン。図鑑が完成した。

たくさんの人への謝辞の最後に寿恵子と園子の名前。

「私がいなくなったら、万太郎さん、いつまでも泣いてちゃだめですからね」

最終回まで寿恵子を登場させてくれてよかった。寿恵子亡きあとの万太郎の長い余生については描かれることはなかった。『らんまん』は万太郎と寿恵子の物語だったから。

妻に先立たれるというのはつらいことだろう。確率としては小さいが、考えたくない。

紅茶を淹れて、書斎に移動し、昨日のブログを書いてアップする。

11時半に家を出て、矢向へ行く。放送大学時代の同僚の坂井素思さんと「パン日和あをや」で12時に待ち合わせている。

線路沿いの道を鹿島田の方に歩く。

小さな町工場が多い。

路傍の花も多い。

曼殊沙華ひとむら燃えて秋陽つよしそこ過ぎてゐるしづかなる径 木下利玄

坂井さんもちょうど鹿島田駅からやってきたところだった。

「パン日和あをや」は12時開店である。

 

9月のドリンクはセパレートティー(オレンジジュース&紅茶)。

本日のスープは舞茸のポタージュ。

フランスクッペ(りんご、ブリーチーズ、ルッコラ、はちみつ)。坂井さんはロースハムとカマンベールチーズの全粒粉クッペ。

最後はあんぱんと珈琲。坂井さんはブラウニーと珈琲。

坂井さんと合うのは2年ぶりである、と坂井さんから言われて驚いた。そんなに会っていなかったか。それぞれが松本にいったときなどに「いまチーアンに来てます」とか「いま栞日に来てます」とラインで写真を送ったりしているので、会っているような気がしていたのだ。

坂井さんは最近デッサンの教室に通っているそうで、「パン日和あをや」の外観を描いたものを何枚ももってきた。教室の展覧会に出したいそうで、「パン日和あをや」という名前を出していいですかと奥様の許可をとっていた。

奥様を交えてあれこれおしゃべりをして、滞在時間は2時間を越えた。

2軒目のカフェは坂井さんがまだ行ったことのない「ハナコーヒー」をリクエストされたので、蒲田に戻って、池上線で池上へ。

ハロウィンの骸骨のデュオがわれわれを出迎えてくれた。

私は巨峰とパルフェと紅茶(アールグレー)。

坂井さんは台湾カステラ(ホイップクリームをトッピング)とアメリカン。

坂井さんは私より4つ年上だが、放送大学を定年退職されてかも、神奈川大学で非常勤講師を続けられている。これから計画している本の執筆のことなどを元気に話された。「ハナコーヒー」にも2時間近く滞在した。

横浜の方に返る坂井さんを蒲田駅の改札で見送る。またお会いしましょう。

今夜は満月である。

夕食は豆腐とニンニクの茎のすき焼き風味の炒め、薩摩揚げ、ポテトサラダ、玉子とワカメのスープ、ごはん。

新作である。豆腐とニンニクの茎の食感の組み合わせがいい。

食事をしながら『晩酌の流儀2』(録画)を観る。観ている夏ドラマはほぼ終わり、残っているのは遅くスタートした『何曜日に生まれるの』だけである。

デザートはシャインマスカット。

明日の「現代人間論系総合講座」の収録の準備(他の3人の先生と一緒に座談会風で行う)。

夜のウォーキングはお休み。昼間だけで6240歩いったから、まあ、いいかと。秋学期が始まると、なかなか夜のウォーキングの時間をとるのが難しくなりそうだ。

風呂から出て、山下達郎の『サンデーソング・ブック』をタイムフリーで聴きながら、今日の日記を付ける。

1時半、就寝。


9月28日(木) 晴れ

2023-09-29 10:15:16 | Weblog

8時半、起床。

ロールパン、目玉焼き、ソーセージ、サラダ、牛乳、珈琲の朝食。

本日の『らんまん』。今日を入れて残り2回となった。寿恵子が生きている間に図鑑を完成させたいという万太郎の願いが仲間を集めた。

間宮がやってきた。植物画を描くためである。

虎鉄は「一番弟子」として参加できることを喜んだ。

藤丸がやってきた。

波多野が院生を連れてやってきた。

何の役なのかよくわからないが、ムロツヨシも大河の撮影の合間にやってきた(笑)。

万太郎が理学博士になった祝いにやってきた佑一郎は、事情を聞いて、図鑑の索引作りを申し出た。

完訳した『シェークスピア全集』を手土産にやってきて、そのまま図鑑作りを手伝うはめになったかつての長屋仲間の丈之助は、早稲田大学に演劇博物館を作りたいと熱く語る。モデルはもちろん坪内逍遥である。

若い頃からの仲間とはよいものである。

綾と竹雄は明日かな。

昨日のブログを書いてアップする。

2時半頃、昼食を食べに出る。

「暑さ寒さと彼岸まで」と思ったのも束の間、真夏日が戻った。

「プリミエールカフェ」に顔を出す。

まだランチタイムだった。

マスター一押しのスパゲッティグラタン(略称「スパグラ」)を注文する。

マカロニではなく、ミートスパゲティが入っている。

コーヒーをお替りして、ちょっと一服。

帰り道で「雪ひつじ」という名前の店を見つけた。ジンギスカンの店だが、情緒のある名前である。ロゴもかわいい。

羊といえば、「hitsuji kitchen」のロゴもかわいい。

これはどうかな。ロゴはかわいいのだが、残酷なシーンを連想してしまう。

猫じゃらしを一本摘んで帰る。

お土産だよ。

「いただきます!」

放送原稿を書く。

夕食はカレーライス。

「アジア大会」で『プレバト』がお休みなので、『どうする家康』(録画)を観る。タイトルは「於愛日記」。家康の側室となった於愛(広瀬アリス)の笑顔の陰のエピソードを軸に女たちの物語。こういうサイドストーリーが折々挿入されるのが今回の大河の特徴である。脇役人それぞれに見せ場があるというのは現場のモチベーションを高めることだろう。

オンデマンド授業「ライフストーリーの社会学」の初回(イントロダクション)の収録。35分32秒。通常は前回の復習のパート1と、その回のテーマについての話のパート2の二部構成だが、初回はパート1に相当するものないので、この1本だけ。公開は10月5日から。

夜のウォーキングはお休み。本日の歩数は2830歩。

風呂から出て、「ジェットストリーム」を聴きながら、今日の日記を付ける。

2時、就寝。


9月27日(水) 晴れ

2023-09-28 13:12:01 | Weblog

8時半、起床。

朝食用のパンを切らしたので、近所のコンビニに買いに行く。帰りに猫じゃらしを一本摘み取る。

チャイと遊んでやる。猫じゃらしの学名は「エノコログサ」で、「犬っころ草」に由来する。猫じゃなくて犬なんだ。犬も猫と同じようにじゃれるのだろうか。

ロールパン、ソーセージ、目玉焼き、サラダ、牛乳、珈琲の朝食。

本日の『らんまん』。波多野がもってきた理学博士の件、万太郎はいったん断るが、寿恵子に説得されて申請することにした。あれっ、寿恵子の白髪が減っている。撮影の順序が違うためと思うが、白髪染めを使うようになったのだと考えることにしよう。

ロケで使われたこの建物には見覚えがある。小石川植物園の本館である。

この建物の前で万太郎の理学博士授与の後の記念講演が行われた(本館が完成したのは昭和12年だからあくまでも架空のシーンですけど)。

波多野と藤丸、そして徳永(すでに定年退職して名誉教授になっている)も出席。前列の子どもたちは万太郎の親類縁者だろうか。寿恵子と千鶴は出席しているが、千歳や虎鉄、二人の息子の姿はなかった。

晴れの舞台で着るこの服を万太郎はわざわざ銀座に出かけて仕立てたのである。「英国屋」あたりだろうか。えらくお金がかかったはずである。まるで文化勲章の授与式みたいである。当時の「博士」とはそのくらい価値のあるものだったのだろう。「末は博士か大臣か」という慣用句があった時代である。私が子どもの頃でさえ、町医者の家の表札に「医学博士〇〇〇〇」とわざわざ書いてあったのを覚えている。

今日は王座戦第3局の日。図は昼食休憩前の局面。後手番の永瀬が雁木模様から袖飛車に変化して、あまり見ない形、いわゆる力戦形になっている。

永瀬の昼食。対局は名古屋で行われているのだが、ご当地名物のひつまぶしをオーダー。本来、何を注文してもいいはずだが、一種のサービス精神であろう。対局者というのはこういうことにも気を遣うのである。「カップヌードルと麦茶を」なんてことは口が裂けてもいってはいけないのだ。

藤井はあいち牛のハヤシライスに名古屋コーチンのオムレツのせ。藤井は愛知県瀬戸市の出身。だから名古屋は地元といってよい。不思議なことに、高勝率を誇る藤井だが、地元での対局は五分五分の勝率である。地元の応援を意識してのことだろうか。

私の昼食はカップヌードルに麦茶。

おやつのオーダーが発表された。永瀬はオレンジジュースとアイスティー。昼食のときにフルーツ盛り合わせをすでに食べている。

藤井はガトー・ポム、オレンジジュース、アイスコーヒー。

2時から教授会(オンライン)。しっかり5時半まで。

帰宅して妻が「庭に蛙がいるわよ」と言った。草むしりをしたので発見されやすくなったのだろう。近所の雑草の多いお宅の庭に引越しさせる。元気でね。

対局者の夕食。永瀬はハンバーガーとオレンジジュースとアイスティー。彼にしては軽食である。一局目の陣屋での戦いのときは、昼食と同じ同じ陣屋カレー(伊勢海老付き)を短時間の夕食にも注文して周囲をびっくりさせたものである。

藤井はきしめんとアイスティー。

夕食休憩後の盤面。AIの判断は永瀬優勢である。しかし、解説の村田六段は対局者には数字ほどの差は感じていないはずであると言っていた。彼は王座戦挑戦者決定トーナメントの準決勝で、勝率5%のところまで藤井を追い詰め(つまり95%村田の勝ちだった)、しかし、藤井の放った鬼手「6四銀」への対応を間違え、逆転負けを食うという痛い経験をしている。「藤井さんに勝つのは大変なんです」という彼の言葉には重みがある。彼はまた「6一の金が壁金になっている点が気になります」とも言っていた。つまり永瀬玉が画面右側から攻められた時、左側に逃げ出すことができないということである。

私の夕食はチャーハン、サラダ、味噌汁。

形勢不利を自覚した藤井が4五銀の勝負手を放った。

しかし永瀬の沈着冷静な対応で、AIの形成判断は永瀬有利にさらに傾いた。この局面から永瀬は6六飛、同歩、5八銀成、同金、5七金と決めに行った。

デザートはシャインマスカット。

藤井は5六飛と香車を取り、同金に3三桂成、同桂に2一飛と王手に打った。形勢はさらに開いて永瀬の勝率が95%になった。3一歩と金底の歩を打って受けられると攻めの継続は難しそうだ。藤井の表情や仕草からは負けを覚悟しているように見える。彼はけっこうその辺は表に出るタイプである。決して「死んだふりをして一発狙っている」というタイプではない。

ところが永瀬は3一歩ではなくて、4一飛と打った。魔が差したとしかいいようがない。同飛、同玉となればよいが、藤井がそんな手を指してくれるわけがなく、6五角と打たれた。守りの要の3ニ金と攻めの拠点の5六金の両取りである。AIの形成判断が一瞬で五分五分に戻った。ここで、永瀬が冷静さを失わずに、5六金が取られる前に7七桂と王手をして、藤井玉の上部脱出を抑えておけば、五分五分の局面が続いたであろう。しかし、ミス(4一飛)に動揺したのだろう、5四歩としたために、藤井に4一飛成、同玉、5六角とされてしまった。

永瀬の遅ればせの7七桂に藤井はまっすぐ6八玉。すでに5六金がいないので、6九飛と打たれても、5七玉と上に逃げることができる(実際に、そのように進んだが、これで藤井玉は捕まらなくなった)。形勢が一挙に傾いた。

この後、数手で永瀬は投了する。これが投了図(藤井が3四歩と打ったところ)。

大逆転だが、藤井がイチかバチかの鬼手を指したからではなく、第2局と同じく、優勢な永瀬が自分で転んでしまったような逆転劇だった。決して永瀬の終盤が弱いというわけではない。永瀬の意識の中に「藤井のとてつもない終盤力」というものがあって、それが永瀬から冷静な読みを奪ってしまったのではないのかと思う。相手が藤井でなかったら、95%勝ちの局面から普通に指し普通に勝っただろうと思う。解説の村田が言った「藤井さんに勝つのは大変なんです」というのはそういうことである。

これで5番勝負は藤井の2勝1敗。番勝負で負けたことのない藤井にリードを許したら「もうだめ」というものだが、このところの藤井は調子を落としているように見える。決して藤井らしい勝ち方をしていない。第4局(10月11日)は永瀬の先番である。これをものにしすれば、最終局はどうなるかわからない。

そして、第4局の前に、藤井は竜王戦の第一局10月5日・6日)を伊藤匠七段と戦わなくてはならない。伊藤は竜王戦の挑戦者決定三番勝負で永瀬に2-0で完勝している。現時点で最強の相手といっていい。タイトル戦の挑戦を受けるというのはつねにその時点の最強の相手と戦うということであるが、伊藤匠は藤井よりも1歳年下で、自分の後ろからやってくる相手と戦うのは藤井にとって初めての経験である。今後の将棋界を牽引していくであろう二人の対決として注目される。

今日はウォーキングはお休み。

風呂から出て、今日のブログを書く。

1時半、就寝。


9月26日(火) 晴れ

2023-09-27 12:29:24 | Weblog

8時45分、起床。

チーズトースト、目玉焼き、ソーセージ、サラダ、牛乳、珈琲の朝食。

家にはタバスコが常備されていなかったのだが(辛い物を好んで食べないので)、チーズトーストを食べるようになって買ってみた。

本日の『らんまん』。紀子は標本の整理をするにあたって採集地を特定する必要があり、万太郎の日記を参照することになった。日記というのは、通常、行動の記録と心情の記録であると思うが、万太郎の日記は行動記録中心なのだろうか。

万太郎の評伝を書こうとする者にとっては第一級の資料である。それを読めるなんて役得だな。

一頁に二日タイプの日記である。震災のあった日も日記を付けていたのか。後日、振り返って付けただろうか、当日は、あの様子では、日記を付けている余裕などなかったように思うが、牧野富太郎の本物の日記なのだろう、書かれていることはドラマの内容と同じではない。当日は家の近くの広場で過ごし、二日目に代々木の方(練兵場だろう)へ避難したと書かれている。

ドラマの舞台は昭和2年に戻る。

波多野と藤丸がタクシーに乗って大泉の万太郎の家にやってきた。いまさらだが、「藤丸」は苗字なのね。藤丸次郎。下の名前かと思っていた。

昨日のブログを書いてアップする。

今日は大学で会議ある。大学に出るのは8月5日以来である。

家を出るのが遅れて、途中でどこかの店で昼食を食べている時間がなさそうだったので、電車に乗る前に、駅ビルに入っている街中華の「你好」のテイクアウト専門店でチャーハンを購入し、イートインコーナーで食べることにする。

熱々ではないけれど、美味しいチャーハンである。706円(税込み)。

現代人間論系の教室会議。

引き続いて、現代人間論系総合講座の打ち合わせ。

6時半頃、大学を出る。

庄司武史さん(川村女子学園大学准教授)から論文の抜き刷りをお送りいただいた。「財団法人二十世紀研究所の事業と思想 終戦直後における知識人活動の一事例」。「二十世紀研究所」というのは清水幾太郎が終戦から数年間、所長を務めて活発に活動した知識人の組織である。戦中から戦後の清水の活動を架橋するものとして重要なものだが、意外に資料が乏しいのである。今回、庄司さんは国立公文書館に保管されていた資料を発見して、それを使って本稿を書かれた。清水幾太郎の研究者にとっては非常に興味深い論稿である。地下鉄の中で読み始め、大手町を乗り過ごして、日本橋まで行ってしまった。

夕食はジンギスカン風肉野菜炒め、白菜の漬物、味噌汁、ごはん。

食事をしながら『転職の魔王様』最終回(録画)を観る。来栖の転職相談を未谷が受けるという展開。来栖は昔の夢を求めるのではなく、いまの仕事に留まることになった。二人の恋の行方も見届けれたように思う。

デザートは梨。アジア大会卓球女子団体は3-0で中国に負けはしたものの、どの試合もセットを1つないし2つ取る接戦で、王者中国も必死だったようである。

大学に出た日は歩数はそれなりにいっているので、夜のウォーキングはいつものコースを3周するだけで、8000歩をクリアーした。

風呂から出て、桑田佳祐の『やさしい夜遊び』をタイムフリーで聴きながら、今日の日記を付ける。

1時45分、就寝。


9月25日(月) 晴れ

2023-09-26 13:17:01 | Weblog

8時半、起床。

チーズトースト、目玉焼き、ソーセージ、牛乳、珈琲の朝食。

本日の『らんまん』。時代は一挙に昭和33年(1958年)。牧野富太郎が亡くなった翌年だ。

ナレーションを担当していた宮崎あおいが登場。大泉の万太郎の家を訪ねる。

迎えるのは万太郎の次女の千鶴。結婚して数年で出戻ってこの家で暮らしているということ。演じるのは松坂慶子。祖母のタキとの二役だ。

宮崎あおい演じる藤平紀子は万太郎の遺品整理のアルバイトに応募してやってきたのだ。持参した履歴書はきれいな字で書かれている。昭和2年の生まれだから、このとき31歳である。ちなみに私の母も昭和2年の生まれである。

昨日のブログを書いてアップする。

放送原稿を書く。

昼食は近所の「吉岡家」に食べに行く。

うな丼とざる蕎麦のセット(1100円)。

ごはんは軽めで。

食後の散歩は「昔日の客」まで足を延ばすことにした。店を出て、女塚通り商店街を駅とは反対の方へ歩くと、呑川に出る。双流橋を渡る。住居表示が「西蒲田」から「中央」に変る。

橋を渡って、右に行くと、左に入る道がある。

錦栄会通り商店街。

とはいっても、住宅化が進んで、商店は少ない。

途中で信号のある道を渡ると、観音通りと名前が変わる。ここは商店がまだ残っている。

途中にお地蔵さんの横を通る。それで「地蔵通り」とよく勘違いする。

観音様は奥にいる。

塀に絵の描かれた小学校の横を通ると観音通りの出口が見えて来る。

池上通に出る。信号を渡って、右へ。

入新井特別出張所のところの信号を渡って、左へ。

カフェ「昔日の客」に到着。前回来たのがコロナ禍の入口の2020年3月だったから、3年半ぶりである。あのとき、ここで、先日コンサートを聴きに行った樫村さんと高校卒業以来の再会をしたのだった。

奥様が店番をされていた。「お久しぶりです」のご挨拶と、樫村さんのコンサートに行ってきましたという報告。

この場所は昔、「山王書房」という古書店だった。「昔日の客」のオーナーの関口直人さんのお父様、関口良雄さんが店主をされていた。音楽業界でお仕事をされていた直人さんが、退職後、ここにカフェを開いた。「昔日の客」という店名は良雄さんの著書(エッセー集)からとった名前。

これが創業当時の「山王書房」。

アイスコーヒーを飲みながら、奥様としばらくおしゃべりをしていると、

奥様が連絡したのだろう、直人さんが自宅からいらしてくれた。小山台高校、早稲田大学の先輩である。

直人さんは今夏の大森まつりのために「わがまち新井宿音頭」という曲を作詞・作曲された。→こちら

「昔日の客」は小さなブックカフェである。尾崎一雄(萩原魚雷編)『新編 暇な老人』(中公文庫)と、神林暁傑作小説集(山本善行編)『孤独先生』(夏葉社)を購入。

入新井特別出張所の向いは「大田文化の森」。旧大田区役所の跡地に立っている。昔、大森区と蒲田区が合併して大田区になったとき、大森と蒲田の中間にあるこの場所に区役所が建てられた。それでこの場所も「新井宿」から「中央」というとってつけたような無機質な地名になったのである。

来たときと同じ道を通って蒲田に帰る。

呑川のところまで戻って来た。

帰宅して、一服してから、草取りにとりかかる。雑草という名の草はないが、草取りはしなくてはならない。

草取りを終えると、日暮れだった。

夕食まで原稿書き。

夕食はシシャモ、とろろ芋、サラダ、玉子と玉ねぎの味噌汁、ごはん。

食事をしながら、アジア大会女子卓球団体準決勝の日本対韓国の第4試合(平野美宇vsシン・ユビン)を観る。大接戦の末、3-1で平野が勝ち、団体も3-1で決勝に進出した。

チャイの毛玉取りをしながら、『何曜日に生まれたの』第7話をTVerで観る。瑞樹と悠馬の離婚の真相が瑞樹の口から語られる。瑞樹は子供をほしくなかったのだ。仕事優先とかではなく、本当に子供をほしいとは思わない、子供を愛せるとは思わないからである。しかし、子供好きの悠馬にそななことは言えず、浮気を装って、離婚したのである。そして、今日のラストですいはあのバイク事故のとのきの衝撃の事実を思い出す。崖下から道路に這い上がって、ちょうどそこを通りがかった車に助けを求めたのだが、そのときの車を運転していたのが公文だったのである。彼は10年前からすいのことを知っていたのである。そして彼にはすいと同じように(もっと強烈な原因で)病院で引きこもりの生活を送り続けている妹(蕾)がいた。ストーリーはどんどん奥へ進んでいく。

ウォーキングに出る。東の空に明るい星が浮かんでいる。木星である。

昼間だいぶ歩いたので、いつものコースを3周で8000歩を越える。

購入したばかりの神林暁傑作小説集から表題作の「孤独先生」を読む。中学時代の各務(かがみ)嘉太郎という名の数学の先生の思い出が語られている。彼は生徒たちから「カッカ先生」と呼ばれて、慕われていた。なぜ「孤独先生」なのかというと・・・

「各務先生は、下宿住いであった。N中学に奉職中、三十年に余る間、下宿の独り暮らしであった。そうは言っても、独身なのではなかった。奥様や子供さん達(みんな女の子供さん達だと聞いていた)は、郷里であるK市に置いてあって、手許に呼ぶことはなければ、休暇に帰省する以外はには、会いに帰ることもなかった。僕たちを引率して、K市へ修学旅行に行った時も、一週間許(ばか)り滞在している間に、自宅に立ち寄るなどということは一遍もなかった」(324頁)

ずいぶんと(呆れるほど)長い単身赴任生活である。なんらかの家庭の事情というものがあるのかもしれないが、その点には触れられていない。

風呂から出て、今日の日記を付ける。『村上RADIO』を繰り返し聴く。ながら聴きなので、3回くらい聴いて全部の曲やトークが頭に残る。

1時半、就寝。