フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

11月29日(日) 曇り

2009-11-30 11:09:55 | Weblog

  昼から、娘の出演するドラマティック・カンパニー・インハイスの第6回公演「愛の歌」を観に阿佐ヶ谷の「プロント」に妻と母と三人で出かける。受付でパンフレットをもらって今回の芝居が朗読劇であることを知る。


開演前

  役者たちが台本をもって舞台に登場して台詞を朗読するのだ。ただし、ただ突っ立って、あるいは椅子に座って、朗読するのではなく、インハイスの芝居ではお馴染みの動きだが、役者たちは舞踏のような身体所作をしながら頻繁に舞台上でのポジションを変化させ、台詞に合わせて表情も作る。
  台詞は主としてモノローグで、喪失感と感傷に満ちた抒情詩が、沈んだピアノの単調な旋律をBGMにして、語られる。語り手は複数いるが、語られる物語は別々の物語で、互いに交わることはない。いつもの左観哉子の脚本であれば、ジグソーパズルの断片たちが時間の経過とともに一つの物語に収斂していくのであるが、今回は、複数のモノローグから構成されるオムニバス的な作品で、われわれが生きている世界の孤独な状況(失われた愛について語る孤独な人々)を浮き彫りにしている。
  しかし、都市的世界では、孤独なモノローグ同士がときに響きあうことがあるのをわれわれは知っている。私はこの朗読劇を見ながら(ときに目を瞑って聴きながら)、村上春樹の『アフターダーク』の世界を連想していた。村上春期が長篇小説と長篇小説の間に中篇小説や短篇小説集を書くことを、書くことを生理的に必要としていることを、彼の読者は知っている。『オペラエレクトラ』(第3回公演)、『夜見の鳥』(第4回公演)、『機織り淵の龍の華』(第5回公演)と濃密な長篇を書き続けてきた左が、ここに来てなぜオムニバス的な朗読劇を書いたのか、そこには彼女の人生に最近起こった出来事(父の死と母の大病)の影響もあるのかもしれないが、朗読劇に取り組むことで自身の演劇的世界に新鮮な空気を取り入れたいという強い欲求があったと考えるのが自然だろう。
  私は朗読劇というものを観るのが初めてだったので、観ながら、もし役者が台本を持たずに同じ芝居をしたらどうなるのだろうと考えていた。それは朗読劇とは言わないのだろうか。手に台本をもって芝居をすることが朗読劇であることの象徴なのであろうか。それとも、手に台本を持たずとも、朗読するように台詞をしゃべればそれは朗読劇なのだろうか。ピアノニストはコンサートのときに楽譜を譜面台に置くが、楽譜は全部頭の中に入っているはずで、朗読劇における台本もそれと同じことなのだろうか。終演後、K君に「台詞は全部覚えているの?」と尋ねたところ、「9割くらいです」とのことだった(娘は「95%くらい」と答えた)。そうか、不確かな部分はあるのか。朗読劇は台詞を忘れてしまうことの不安から役者を解放する。だからその分、「語り」の細部の工夫にエネルギーを集中できるというメリットがある。実際、今日の彼らの台詞回しはいつもの芝居のときよりも繊細さが感じられた。他方、役者同士の目線がぶつかり合うことはなく、台本の上と目の前の空間を顔の上下動に合わせて移動するだけなので、躍動感のようなものには乏しい。ただし、それは朗読劇の宿命ではなく、工夫次第でなんとでもなりそうな気もする。今回はモノローグ主体の朗読劇だったが、ダイアローグや「しゃべり場」のような朗読劇もありえるだろう。もっとも役者同士の視線や身体のぶつかり合いを朗読劇に導入すればするほど、それは台本片手の立ち稽古と区別がつかないものになってしまう恐れもある。やっぱり朗読劇にはモノローグが合っているのだろうか。・・・とあれこれ考えさせてくれる今回の公演だった。

  阿佐ヶ谷の駅に戻る途中の商店街で、母が一軒の蒲鉾屋を見つけた。昔、蒲田の駅前にあった蒲鉾屋の主人とよく似た人がいたので声をかけたらその人の息子さんだった(年齢は60代くらい)。新潟に住んでいる私のいとこ(父の姉の子ども)が蒲田にあった蒲鉾屋のさつま揚げが大好きで、母はよく送ってあげていたが、その店が商売をやめてからは、他の店のものを何回か送ったのだが、どれもいとこの舌を満足させなかった(甘いさつま揚げはダメなのだそうだ。私もそう思う)。息子さんがやっている蒲鉾屋なら大いに期待がもてそうということで、5千円分ほど購入した帰る。帰宅して、食べてみたが、なかなかいける。でも、時代に合わせてか、変り種のさつま揚げも多いので、はたしていとこの口にあるかどうかは微妙なところである。


11月28日(土) 晴れ

2009-11-29 11:01:17 | Weblog

  今日は昼から、社会学専修の卒業生のHさんの結婚披露宴に出席するため、六本木のミッドタウンにあるリッツ・カールトン東京へ出かける。と、すらっと書いたけれど、東京ミッドタウンもリッツ・カールトンも行くのは初めてで、六本木の駅を降りてから披露宴会場にたどり着くまでに、インフォメーションや従業員の人たちに何度も道を尋ねた。彼らはみな親切で、知らない村を訪れた旅人に道を教えてくれる村人たちのようであった。
  受付を済ませて、Hさんと同期だった社会学専修の卒業生たちとおしゃべりをする。「私たちのこと、おぼえたらっしゃいますか?」と最初に聞かれたが、たかだか卒業3年目の学生たちのことを忘れるはずがないではないか。みんなフルネームで覚えている。それぞれの近況をうかがう。
  披露宴のテーブルにつくと、そこにはHさん手書きのメッセージカードがあって、ひとりひとりに違うことが書かれている。準備は大変だったろう。最初に新郎の職場の上司の方が挨拶をして、続いて私が(新婦の大学時代の恩師として紹介され)挨拶をする。卒業生の結婚式に招かれるときはたいていこういう役回りである。二番手というのは一番手よりも気が楽で、上司の方の挨拶が硬い内容のものであれば柔らかい内容を、長めの挨拶であれば短めの挨拶を、と相補的であることを心がけていれば間違いない。
  挨拶では、卒論演習のときのエピソードを3つ紹介した。第一に、Hさんがいつも私から見て右側のテーブルに座っていたこと(左側の横顔に自信があるのかもしれない。現にいまも私の場所からは新婦の左側の横顔がみえる)。第二に、Hさんはピンクの色の服を好んでいたこと(今日のお色直しもピンクのドレスではなかいと予想される。←これはズバリと当たった)。第三に、卒論のテーマが「中年期の夫婦関係が良好なものであるためにはどうしたらよいか」というものであったこと。Hさんは自分のご両親を夫婦の理想的なモデルと考えていて、卒論の内容もそれを反映したものであった(お父様とは披露宴が始まる前にロビーでお話をしたが、娘が卒論を見せてくれないんですよとぼやいておられた)。こういう場合の挨拶の常として、何かしら教訓めいたことをいわなくてはならないのだが、自分が育った家族を当たり前、普通、理想と考えていると、きっと新婚生活で「あれっ?」と思うことがあると思うが、それはお相手の方も同じなので、寛容ということが大切です、15年後、中年期のご夫婦になったときに、あなたが卒論で書いた理論がいかに実証されたかを報告してください、そのころ私は定年を迎えるので、最終講義の中であなたのそのレポートを使わせていただきますから、と述べた。


HさんとS君


11月27日(金) 晴れ

2009-11-28 11:00:55 | Weblog

  8時、起床。ベーコン&エッグ、トースト、紅茶の朝食。フィールドノートを更新し、授業の仕度をして、正午に家を出る。
  3限は講義「ライフストーリーの社会学」。4限の空き時間は、教員ロビーの無人販売所で購入した(ポストに硬貨を入れるのだ)菓子パンをかじりながら、基礎演習のレポートの添削。今日から30日までが提出期間なのだが、昨夜、添削依頼のメールがどっとやってきたのである。5限はその基礎演習。最後の4人のプレゼン。これで一応全員が自分のレポートの内容についてプレゼンしたことになる。人前で自分の考えを筋道立てて話すことができるようになるためには、理屈を学ぶだけでは不十分で、場数を踏む必要があるが、前期にグループ報告で1回、個人報告(夏休みのレポートのテーマの説明)で1回、後期に個人報告(レポートの成果)で1回、学生数27人のクラスではここまでが精一杯である。個人差はあるが、総じて、それほど物怖じせずに発言はできているように思う。2年に上がると専門演習を半期で2つほど履修するようになるから、そこでどれだけ発言ができるかである。教師から指名されなくても発言ができる学生になってください。
  6限・7限はゼミ。前半のテーマはライフストーリーにみる女性性の問題。当然、ゼミ生たちの関心度は高い。ただし、テキストで取り上げられていたような不妊の問題への関心は低いようである。現時点では、みんな、結婚すれば子どもは普通にできるものだと思っているようである。また、結婚にしても、結婚したいと思っていれば、遅かれ早かれ結婚できるものだと楽観しているふしもある。そうした前提の上に立って、「仕事と家庭」の両立について発言している。確率論的にはそれでかまわないのだが、「思ってもいなかった人生」について想像をめぐらしておくことも大切だろうと思う。存外、人生にはそういう面があるからだ。


本日のスイーツはプリン

  後半のテーマは「社会運動」。現代の大学生にはあまり縁のないテーマである。とはいうものの、自分たちが社会運動に積極的でないことを問題だと感じているところはあり、それはなぜなのか、そういう自分たちでも参加しようと思える新しいタイプの社会運動とはどのようなものか、という方向で話は展開した。現代の大学教員だってそれは同じことで、いま理事会では教職員の給与の引き下げが提案されていると組合ニュースが報じていたが、一致団結して反対に立ち上がろうという雰囲気にはない。引き下げ額は私の年代で年間40万円ほど。個人研究費相当の額だ。たぶんこれは偶然の一致ではなくて、大学は個人研究費を廃止して、「研究費は教員各自が自己努力で外部から調達してください」といいたいのではないか。だったら、ストレートに個人研究費廃止といえばよいものを、それでは教員の反発は必至だし、社会的な波紋も大きいので、「いまのご時勢ですから」を錦の御旗(隠れ蓑というべきか)にして便乗値上げならぬ便乗値下げを断行しようとしているのであろう。これまでも、年度末手当廃止や試験監督手当て廃止やその他諸々の経費削減にうんざりしつつもそれに慣れっこになってしまったわれわれは、今回の件も、「やれやれ・・・」という気分で受け入れることになるのだろうか。そろそろ堪忍袋の緒が切れてもいいのではないだろうか。
  帰りがけに、あゆみ書房で以下の本を購入。

  西研・菅野仁『社会学にできること』(ちくまプリマー新書)
  内田樹『日本辺境論』(新潮新書)
  永江朗『書いて稼ぐ技術』(平凡社新書) 


11月26日(木) 曇り

2009-11-27 11:18:18 | Weblog

  8時、起床。炒飯の朝食。あれこれのメールの返事を書いていたら午前中が終る。社会学専修の卒業生(98年卒)のKさんから結婚&転居の通知が届いた。結婚式のときの写真付きで、新郎は優しそうな感じの方である。Kさんは在学当時の雰囲気そのままの、穏やかやで控えめな笑顔の美しい花嫁である。どうぞお幸せに。
  昼過ぎに家を出る。昼食は「中華つけ麺大王」でサービス定食(550円)を食べる。木曜日のサービス定食は肉野菜炒めであるが、同じ名前で「サービス」が付かないやつは800円である。おそらく肉の分量が違うのだろうと想像したが、そのとおりであった。野菜がたっぷりで、健康にはよかったのではないかと思うが、肉汁の量が乏しいので、最後、汁をご飯にかけて食べるときの充実感がいまひとつだった。
  5限は卒論指導。今日を入れてあと2回だが、H君は体調を崩してここ3回連続で欠席。Fさんはここに来て自分が何を論じているのかわからなくなった。K君はまだ論文中の一番の山場の手前にいる。そろそろ火事場の馬鹿力を出すべきときがきた。
  6限の演習「ケーススタディの方法」は、今日から机の配置をロの字型にする。この方が演習らしい。資料を読んできて各自がコメントを述べるのだが、ひとりひとりがコメントを順番に述べるのではなく(そういうぶつ切り型は演習の醍醐味がない)、他の学生が述べたコメントにつなげる(関連させる)形で自分のコメントを述べることができるかどうかが、ポイントである。そのためには、コメント(話の種)は3つくらい準備して演習に臨む必要がある。当然、そのためには、資料を丹念に読んでおかなくてはない。順番に全員がコメントを述べるというぶつ切り型の方式であれば、1つのコメントを用意しておけば、その場はしのげるであろうが、それ以上話を展開させていく余力がないから、一度発言してしまったら、あとは黙っているほかはない。一度は発言するといのは演習では最低限の責務であって、そこに標準を合わせて準備をしてくるようではだめである。・・・という話を今日はした。
  夕食は外でとって、10時少し前に帰宅。『不毛地帯』を観る。壱岐正(唐沢寿明)がモテモテである。千里(小雪)、紅子(天海優希)、佳子(和久井映見)、3人の女性から思われている。あの朴念仁がどうしてこうももてるのか不思議である。
  娘が帰宅して、居間にいる私に、K君からもらったというぬいぐるみを見せにきた。こういう場合、父親はどう反応すべきか難しい。壱岐正ならば、「フン」という反応をするのであろうが、私は壱岐正とは違う。というのは、妻が娘の年齢だった頃、妻(まだ妻ではなかったが)にぬいぐるみをプレゼントしたことがあるからだ。サイのようなぬいぐるみであったと記憶している。妻はとても喜んだ。世代を超えて、なぜ若い女はぬいぐるみが好きなのか、私には大いなる謎である。


かわいい(のかもしれない)  


11月25日(水) 雨のち晴れ

2009-11-26 10:52:56 | Weblog

  8時、起床。喉が少々いがらっぽい。ソーセージとキャベツの炒め、トースト、紅茶の朝食。パブロンを3錠と前に耳鼻科でもらった去痰剤を1錠飲む。
  先週の作文コンクールのときの講評をあらためて文章にして(元原稿に当日のアドリブ部分を加えて)事務局に送る。これで誰かがテープ起こしの作業をしなくてすむはずである。どんな仕事でも誰かの役に立っているのである。
  昼食は「東行」に食べに行こうと考えていたのだが、母が煮物を作ったというので、それを食べることにした。昼食を外に食べに出るのは私にとって格好の息抜きなのだが、親子関係のメンテナンスも必要なのである。月9ドラマ『東京DOGS』で、小栗旬演じる職務中の刑事のケータイにしばしば母親から電話がかかってくるが、あのシーンは身につまされる。昼食をとりに1階に下りていくとき、子雀も肩に乗せて連れて行く。いつもと違う環境が珍しいのであろう、あちこち探索していた。先日、たまには外の空気を吸わせてやろうと、子雀を手の平に乗せ、玄関先に出てみたところ、最初は興味深々で周囲を眺めていたが、玄関先からさらに道路に出ようとすると、何か危険を感じたのか、急にそわそわ、あせあせし始めたので、家の中に引き返した。子雀にとって、外の世界は自由な場所なのではなく、危険な場所なのであろう。


安住の場所

  夜、区役所で、大田区男女平等推進区民会議。今年度はこれが第7回。けっこうまじめに取り組んでいる。今回は人事課と福祉課の課長さんに来ていただいて、ヒアリングを行った。12月はお休みで、次回(1月)は職員会議のみなさんとの懇談を予定している。