昼から、娘の出演するドラマティック・カンパニー・インハイスの第6回公演「愛の歌」を観に阿佐ヶ谷の「プロント」に妻と母と三人で出かける。受付でパンフレットをもらって今回の芝居が朗読劇であることを知る。
役者たちが台本をもって舞台に登場して台詞を朗読するのだ。ただし、ただ突っ立って、あるいは椅子に座って、朗読するのではなく、インハイスの芝居ではお馴染みの動きだが、役者たちは舞踏のような身体所作をしながら頻繁に舞台上でのポジションを変化させ、台詞に合わせて表情も作る。
台詞は主としてモノローグで、喪失感と感傷に満ちた抒情詩が、沈んだピアノの単調な旋律をBGMにして、語られる。語り手は複数いるが、語られる物語は別々の物語で、互いに交わることはない。いつもの左観哉子の脚本であれば、ジグソーパズルの断片たちが時間の経過とともに一つの物語に収斂していくのであるが、今回は、複数のモノローグから構成されるオムニバス的な作品で、われわれが生きている世界の孤独な状況(失われた愛について語る孤独な人々)を浮き彫りにしている。
しかし、都市的世界では、孤独なモノローグ同士がときに響きあうことがあるのをわれわれは知っている。私はこの朗読劇を見ながら(ときに目を瞑って聴きながら)、村上春樹の『アフターダーク』の世界を連想していた。村上春期が長篇小説と長篇小説の間に中篇小説や短篇小説集を書くことを、書くことを生理的に必要としていることを、彼の読者は知っている。『オペラエレクトラ』(第3回公演)、『夜見の鳥』(第4回公演)、『機織り淵の龍の華』(第5回公演)と濃密な長篇を書き続けてきた左が、ここに来てなぜオムニバス的な朗読劇を書いたのか、そこには彼女の人生に最近起こった出来事(父の死と母の大病)の影響もあるのかもしれないが、朗読劇に取り組むことで自身の演劇的世界に新鮮な空気を取り入れたいという強い欲求があったと考えるのが自然だろう。
私は朗読劇というものを観るのが初めてだったので、観ながら、もし役者が台本を持たずに同じ芝居をしたらどうなるのだろうと考えていた。それは朗読劇とは言わないのだろうか。手に台本をもって芝居をすることが朗読劇であることの象徴なのであろうか。それとも、手に台本を持たずとも、朗読するように台詞をしゃべればそれは朗読劇なのだろうか。ピアノニストはコンサートのときに楽譜を譜面台に置くが、楽譜は全部頭の中に入っているはずで、朗読劇における台本もそれと同じことなのだろうか。終演後、K君に「台詞は全部覚えているの?」と尋ねたところ、「9割くらいです」とのことだった(娘は「95%くらい」と答えた)。そうか、不確かな部分はあるのか。朗読劇は台詞を忘れてしまうことの不安から役者を解放する。だからその分、「語り」の細部の工夫にエネルギーを集中できるというメリットがある。実際、今日の彼らの台詞回しはいつもの芝居のときよりも繊細さが感じられた。他方、役者同士の目線がぶつかり合うことはなく、台本の上と目の前の空間を顔の上下動に合わせて移動するだけなので、躍動感のようなものには乏しい。ただし、それは朗読劇の宿命ではなく、工夫次第でなんとでもなりそうな気もする。今回はモノローグ主体の朗読劇だったが、ダイアローグや「しゃべり場」のような朗読劇もありえるだろう。もっとも役者同士の視線や身体のぶつかり合いを朗読劇に導入すればするほど、それは台本片手の立ち稽古と区別がつかないものになってしまう恐れもある。やっぱり朗読劇にはモノローグが合っているのだろうか。・・・とあれこれ考えさせてくれる今回の公演だった。
阿佐ヶ谷の駅に戻る途中の商店街で、母が一軒の蒲鉾屋を見つけた。昔、蒲田の駅前にあった蒲鉾屋の主人とよく似た人がいたので声をかけたらその人の息子さんだった(年齢は60代くらい)。新潟に住んでいる私のいとこ(父の姉の子ども)が蒲田にあった蒲鉾屋のさつま揚げが大好きで、母はよく送ってあげていたが、その店が商売をやめてからは、他の店のものを何回か送ったのだが、どれもいとこの舌を満足させなかった(甘いさつま揚げはダメなのだそうだ。私もそう思う)。息子さんがやっている蒲鉾屋なら大いに期待がもてそうということで、5千円分ほど購入した帰る。帰宅して、食べてみたが、なかなかいける。でも、時代に合わせてか、変り種のさつま揚げも多いので、はたしていとこの口にあるかどうかは微妙なところである。