フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

8月31日(木) 晴れ

2006-08-31 23:59:59 | Weblog
  このところ明けても暮れても清水幾太郎の文章を読んでいるせいであろう、とうとう夢の中にまで清水が出て来た。何かの懇親会か研究会で同席している夢である。会が終わって、会場の出口の辺りで清水と、二言三言、言葉を交わした。内容は覚えていないが、フランクな口調だったので、初対面ではなく、知り合いのようである。「僕のこと、ちゃんと書いて下さいよ」と言われたのかもしれない。

          
      「頼るべきは、先人の遺した文字と諸君自らの思考とである。」

  川越に住んでいる妹がやって来たので、昼食に寿司の出前を取る。帰るとき、妹は玄関先のフラワーポットに咲いているポーチュラカを何本か折って、水を含ませた脱脂綿と一緒にビニール袋に入れて持って帰った。ポーチュラカは生命力が強く、折ってそのまま挿し木をすれば根付くのだそうだ。

          
               ポーチュラカの花言葉は「可憐」

8月30日(水) 曇り

2006-08-31 00:53:57 | Weblog
  朝から曇天でときおり雨がぱらつく空模様だったが、夕方になって晴れたので、散歩に出る(たぶん晴れなくても散歩に出たと思うが)。駅へ向かう人と、駅から自宅へ向かう人とで、駅周辺は賑やかである。シャノアールで清水幾太郎「戦後の教育について」(『中央公論』1974年11月号に掲載)を読む。
  8月は、一度六本木へ出かけた以外は、ずっと地元のこの街で過ごした。自宅で本を読んでいるか、居眠りをしているか、本屋で立ち読みをしているか、喫茶店で本を読んでいるか、ジムでトレーニングをしているか、自宅と本屋と喫茶店とジムを結ぶ線上を散歩しているか、たいていそのいずれかだった。9月もあいかわらず蒲田中心の生活ではあるが、活動の中心は読書(インプット)から執筆(アウトプット)に移行する。消費型の「シンプル・ライフ」から生産型の「シンプル・ライフ」へ。エネルギー・レベルを上げねばならない。

          
                路地裏を行き交う人たち

8月29日(火) 晴れ

2006-08-30 01:51:23 | Weblog
  青空が戻ってきた。歯科での治療を済ませてから、「日本の古本屋」で購入した本の代金を振り込みに、駅とは反対方向にある住宅街の中の郵便局(ここはいつも空いている)まで自転車を走らせる。

          
                  ひさしぶりの青空

  夕方、母の散歩につきあって、やはり駅とは反対方向にある観音通り商店街を歩く。なかなかの賑わいである。駅からある程度離れていた方が商店街の自律性が高まるのであろう。私の散歩はたいてい本屋をめざして歩くので、必然的に駅の方向に行くことになるのだが、純粋に散歩を楽しむのであれば、こういう商店街を歩く方がよい。

          
                  ひさしぶりの夕焼け

  午後11時過ぎ、書斎で清水幾太郎『社会学入門』(1959年)を読んでいたら、ケータイが鳴った。メールではなく電話である。こんな時刻に誰だろうと表示を見ると、この3月に大学を卒業して外資系の証券会社に就職したAさんからである。出ると、何やらかしこまった声で、お願いしたいことがあるのですがと言う。時刻から考えて、結婚式のスピーチとか、留学の推薦状とか、大学院の受験とかではなさそうである。何だい? と努めてフランクな調子で尋ねたところ、メディアの利用状況に関する統計資料を探していて、それはどこを探したらよいかという質問であった(子ども電話相談室か!)。上司から今日それを揃えておくように指示されて、明日の9時までに提出しないとならないのだが、どうやって探したらいいのかわからなくて困っているというのである。職場からかけているのである。明日までということは、本屋とか図書館とかではなく、インターネットからダウンロードできる資料でないとならないわけだ。となれば総務省の情報通信統計データベースである。ということで、この件は一件落着したのだが、それにしても、いつもこんな調子で仕事をしているのと尋ねたら、そうなんですと言う。今日もあと2時間くらい仕事をしてから帰るそうだ。しかも明日は朝イチだ(大変だなあ…)。めげてるのかい? と単刀直入に尋ねてみたら、いえ、まだ大丈夫です、という返事が返ってきた(「まだ」大丈夫か…)。時間ができたら研究室の方に顔を出しますと言ったので、こんな調子ではとてもそんな時間はないだろうとまぜっかえしたら、Aさんはちょっと笑って、いえ、大丈夫ですと言った。電話を切ってから、『社会学入門』の続きを読む。心持ち気合を入れて読む。

          
            学生時代に読んだ最初の社会学の本

8月28日(月) 曇りのち晴れ

2006-08-29 02:40:56 | Weblog
  昼近くまで寝ている。朝昼兼用の食事(ドライカレー、プリン)をして、清水幾太郎「来るべき社会の主役は何か」(『諸君!』1969年10月号掲載のインタビュー)を読む。読み終わったらジムに行く予定であったが、清水の評論集『人間を考える』(1970年)の長めの「あとがき」を読みはじめたら面白くて、そのまま読書を続ける。その中で清水は「善い編集者」と「悪い編集者」について書いている。「悪い編集者」とは「何でもよいから、先生の好きなことを書いて下さい」と言う編集者である。

  「きっと、世間には、こういう編集者を善い編集者と考えるような執筆者もいるのであろう。そして、そういう執筆者は、精神の自発性が強烈なのであろう。彼は、編集者の提供する自由と寛大とを存分に利用する力があるのであろう。つくづく、羨ましいと思う。しかし、精神の自発性があまり強烈でない私は、この自由と寛大との前で手も足も出なくなってしまう。「何でもよいから、先生の好きなことを書いて下さい。」そう言われても、私の方は、是が非でも書きたい、というエネルギーに包まれたトピックを持っているわけではない。私の心中にあるものと言えば、最近の機会に書いた問題で、目下のところ、それで頭の中が一杯になっている始末である。好きなことを書いたら、その文章と瓜二つのようなものが出来上がるに決まっている。」(471頁)

  他方、「善い編集者」とは「○○について書いてみませんか」と思いもかけぬ問題を押しつけてくる編集者である。清水は、思いもかけぬ問題を前にして、一瞬、虚を衝かれて、しかし、すぐにその問題が大変面白くて重要な問題であるような気がして、執筆を引き受けることになるのである。

  「引き受けたといっても、その問題について私が完全な素人であるのに、それに生涯を費やして来た専門家が何人もいるのである。私の文章は、恐らく、その人たちの眼に触れるであろう。私は笑いものになるかも知れない。それで私の一生が終わるかも知れない。それに、雑誌の場合、締切までの期間は、精々、二十日間ぐらいである。引き受けた以上、この二十日間、昼夜兼行、一生懸命に勉強して、自分の意見らしいものを作り上げ、それを一篇の文章に仕立てねばならぬ。私は、何度、こういう無理な仕事に苦しんだことであろう。それは恐ろしい経験であった。しかし、そういう文章を書く前の私と、書いた後の私とは、少し誇張して言えば、別の人間になっていた。どうして、あの辛い緊張に好んで私は堪えたのであろうか。一つの事情は、新しい問題が現れると、矢も盾もなく、抗し難い興味を感じてしまう私の癖にあろう。物好き、好奇心、知識欲、何と呼んでもよいが、とにかく、面白くなってしまう。この餌に釣られて、自力では這い出すことの出来ぬ溝から、私は何とか救い出されたように思う。もう一つの事情は、文章を書かねば食えないという生活が長く続いたことにあろう。戦前戦後を通じて、月給と呼ぶに相応しいものを貰っていた時期は、皆無と言わないまでも、極めて短い。多くの場合、書くことが食うこと、生きることであった。与えられる問題に選り好みを言っている余裕はない。そのために、あらゆる問題に、無理にでも興味を感じるような癖がついてしまったのであろう。」(472-3頁)

  なるほど。「善い編集者」というのは世界に向けられた感度のよいアンテナのようなもので、重要な問題(テーマ)の所在をいち早くキャッチし、自分自身ではその問題について何かを書くことはできなくとも、誰に執筆を依頼したらよいかを瞬時に判断できる人のことなのであろう。それにしても、原稿の注文から締切までが20日間ぐらい(約3週間)というのは恐れ入る。もちろん長さにもよるが、清水が総合雑誌に書いている評論は400字詰原稿用紙換算で50枚前後のものが多いように思う。私なら、自分にとって目新しいテーマで50枚の文章を20日間で書き上げるというのは、とてもじゃないが無理である。最低でも2ヵ月(仕込みに1ヶ月、執筆に1ヵ月)はほしい。それもその仕事だけにかかりきりになれるとしての話だ。もちろんそんなペースで書いていたのでは、売文業者としてやっていくことはできないわけで、大学教師としての定収入があるからこそいえるわがままなのである。
  夕方、散歩に出る。ジャケットを着ていても暑くない。湿気もなく、爽やかだ。くまざわ書店で、河崎吉紀『制度化される新聞記者』(柏書房)を購入。階下のルノアール(コーヒーが440円の方)で、持参した清水の論文(『展望』1950年1月号掲載の「庶民」)を読む。「庶民の思想家」という清水の代名詞の由来となった論文である。読むのはこれで3度目だろうか。いや、4度目かもしれない。何度読んでも「庶民」とはミステリアスな名称である。清水曰く、「しかし、それは本当にあるのか。私が作り上げてしまったのか。今となっては、それさえも明らかでない」。
  支払いのときレジの女性に「ルノアールは店によってコーヒーの値段が違うのですか?」と思い切って尋ねてみたところ、「はい、そうなんです」と答えたくれたが、その理由までは説明してくれなかった。

          
            書き込みをしないと読んだ気がしない

  夕食は、秋刀魚の塩焼き、茄子とベーコンの煮物、ジャガイモとワカメの味噌汁、御飯。私にとっての秋の三大味覚(秋刀魚の塩焼き、松茸御飯、牡蠣フライ)のうちの一つをまずは堪能した。明日は暑さがぶり返すらしい。それはそれで嬉しい。ガリガリ君が食べられるから。

8月27日(日) 曇り

2006-08-28 02:37:41 | Weblog
  昼食を取りがてら散歩に出る。もう日中でもそれほど暑くはない。次の週末はもう9月なのだ。やぶ久ですき焼きうどんを食べてから、サンライズ商店街にある、いまや蒲田駅周辺で唯一の真っ当な古本屋になってしまった南天堂に行く(JRの線路沿いの誠龍書林の入っていたビルも例の地上げ攻勢でなくなってしまったのだ)。以下の本を購入。

  スティーヴン・マーカス『もう一つのヴィクトリア時代』(中央公論社、1990年)
  松本健一・高崎通浩『[犯罪]の同時代性』(平凡社、1986年)
  アラン・ライトマン『アインシュタインの夢』(早川書房、1993年)
  鶴見俊輔『隣人記』(晶文社、1998年)
  西部邁『学者 この喜劇的なるもの』(草思社、1989年)

          

  シャノアールで、持参した清水幾太郎『倫理学ノート』(1972年)の「余白」と題する長いあとがきを読む。例によってたくさんの傍線とメモを書き込む。「余白」は次のような文章で終わっている。

  「自然的欲望からの自由において、自ら高い規範を打ち樹て、それへ向かって自己を構成して行こうと努力する少数者と、自然的欲望の満足に安心して、トラブルの原因を外部の蔽うもののうちにのみ求め、自己の構成に堪え得ない多数者。飢餓の恐怖から解放された時代の道徳は、すべての「大衆」に「貴族」たることを要求するところから始まるであろう。しかし、それが不可能であるならば、「大衆」に向かって「貴族」への服従を要求するところから始まるであろう。」(講談社学術文庫版、437頁)

  この黙示録的文章の大方の評判はよろしくない。第一に、多数者の少数者への服従は戦後民主主義の多数決原理に反するし、第二に、「貴族」VS「大衆」というオルテガ流の図式は戦後民主主義の平等原理に反する。実際、清水は『倫理学ノート』以後、戦後の教育(および戦後思想)についての批判を開始するのだが、なぜ「庶民の思想家」(南博)である清水が大衆批判を行うに至ったのか。それが今度の論文のテーマである。

          

  夜、清水の最後の著書(書き下ろし)である『「社交学」ノート』(1986年)を読む。窓から入ってくる夜気はひんやりとしている。