昼近くまで寝ている。朝昼兼用の食事(ドライカレー、プリン)をして、清水幾太郎「来るべき社会の主役は何か」(『諸君!』1969年10月号掲載のインタビュー)を読む。読み終わったらジムに行く予定であったが、清水の評論集『人間を考える』(1970年)の長めの「あとがき」を読みはじめたら面白くて、そのまま読書を続ける。その中で清水は「善い編集者」と「悪い編集者」について書いている。「悪い編集者」とは「何でもよいから、先生の好きなことを書いて下さい」と言う編集者である。
「きっと、世間には、こういう編集者を善い編集者と考えるような執筆者もいるのであろう。そして、そういう執筆者は、精神の自発性が強烈なのであろう。彼は、編集者の提供する自由と寛大とを存分に利用する力があるのであろう。つくづく、羨ましいと思う。しかし、精神の自発性があまり強烈でない私は、この自由と寛大との前で手も足も出なくなってしまう。「何でもよいから、先生の好きなことを書いて下さい。」そう言われても、私の方は、是が非でも書きたい、というエネルギーに包まれたトピックを持っているわけではない。私の心中にあるものと言えば、最近の機会に書いた問題で、目下のところ、それで頭の中が一杯になっている始末である。好きなことを書いたら、その文章と瓜二つのようなものが出来上がるに決まっている。」(471頁)
他方、「善い編集者」とは「○○について書いてみませんか」と思いもかけぬ問題を押しつけてくる編集者である。清水は、思いもかけぬ問題を前にして、一瞬、虚を衝かれて、しかし、すぐにその問題が大変面白くて重要な問題であるような気がして、執筆を引き受けることになるのである。
「引き受けたといっても、その問題について私が完全な素人であるのに、それに生涯を費やして来た専門家が何人もいるのである。私の文章は、恐らく、その人たちの眼に触れるであろう。私は笑いものになるかも知れない。それで私の一生が終わるかも知れない。それに、雑誌の場合、締切までの期間は、精々、二十日間ぐらいである。引き受けた以上、この二十日間、昼夜兼行、一生懸命に勉強して、自分の意見らしいものを作り上げ、それを一篇の文章に仕立てねばならぬ。私は、何度、こういう無理な仕事に苦しんだことであろう。それは恐ろしい経験であった。しかし、そういう文章を書く前の私と、書いた後の私とは、少し誇張して言えば、別の人間になっていた。どうして、あの辛い緊張に好んで私は堪えたのであろうか。一つの事情は、新しい問題が現れると、矢も盾もなく、抗し難い興味を感じてしまう私の癖にあろう。物好き、好奇心、知識欲、何と呼んでもよいが、とにかく、面白くなってしまう。この餌に釣られて、自力では這い出すことの出来ぬ溝から、私は何とか救い出されたように思う。もう一つの事情は、文章を書かねば食えないという生活が長く続いたことにあろう。戦前戦後を通じて、月給と呼ぶに相応しいものを貰っていた時期は、皆無と言わないまでも、極めて短い。多くの場合、書くことが食うこと、生きることであった。与えられる問題に選り好みを言っている余裕はない。そのために、あらゆる問題に、無理にでも興味を感じるような癖がついてしまったのであろう。」(472-3頁)
なるほど。「善い編集者」というのは世界に向けられた感度のよいアンテナのようなもので、重要な問題(テーマ)の所在をいち早くキャッチし、自分自身ではその問題について何かを書くことはできなくとも、誰に執筆を依頼したらよいかを瞬時に判断できる人のことなのであろう。それにしても、原稿の注文から締切までが20日間ぐらい(約3週間)というのは恐れ入る。もちろん長さにもよるが、清水が総合雑誌に書いている評論は400字詰原稿用紙換算で50枚前後のものが多いように思う。私なら、自分にとって目新しいテーマで50枚の文章を20日間で書き上げるというのは、とてもじゃないが無理である。最低でも2ヵ月(仕込みに1ヶ月、執筆に1ヵ月)はほしい。それもその仕事だけにかかりきりになれるとしての話だ。もちろんそんなペースで書いていたのでは、売文業者としてやっていくことはできないわけで、大学教師としての定収入があるからこそいえるわがままなのである。
夕方、散歩に出る。ジャケットを着ていても暑くない。湿気もなく、爽やかだ。くまざわ書店で、河崎吉紀『制度化される新聞記者』(柏書房)を購入。階下のルノアール(コーヒーが440円の方)で、持参した清水の論文(『展望』1950年1月号掲載の「庶民」)を読む。「庶民の思想家」という清水の代名詞の由来となった論文である。読むのはこれで3度目だろうか。いや、4度目かもしれない。何度読んでも「庶民」とはミステリアスな名称である。清水曰く、「しかし、それは本当にあるのか。私が作り上げてしまったのか。今となっては、それさえも明らかでない」。
支払いのときレジの女性に「ルノアールは店によってコーヒーの値段が違うのですか?」と思い切って尋ねてみたところ、「はい、そうなんです」と答えたくれたが、その理由までは説明してくれなかった。
書き込みをしないと読んだ気がしない
夕食は、秋刀魚の塩焼き、茄子とベーコンの煮物、ジャガイモとワカメの味噌汁、御飯。私にとっての秋の三大味覚(秋刀魚の塩焼き、松茸御飯、牡蠣フライ)のうちの一つをまずは堪能した。明日は暑さがぶり返すらしい。それはそれで嬉しい。ガリガリ君が食べられるから。