フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

3月30日(金) 雨のち晴れ

2007-03-31 03:06:28 | Weblog
  9時半、起床。朝食は鰯の梅じそ煮、豆腐と若布の味噌汁、ご飯。朝方、強い雨音がしていたが、起きるころには晴れ間が見え始めていた。午後は快晴とのこと。東京の桜はここ数日が満開だ。となれば花見に行きたい。しかし本も読みたい。二つの欲求を両立させるには、本を持って花見に行けばよい。桜の木の下で本を読むのだ。
  午後、散歩に出る。どこで花見をしよう。オルセー美術館展(東京都美術館)の招待券が1枚あり、4月8日までなので、上野に行くことにした。美術展は、2月8日に来たときも混んでいたが、今日はさらに混んでいた。とくにく音声ガイドのある作品の前は二重三重、いや、三重四重の人垣ができている。全部を観ることは早々に断念して、5つのセクションの中で、前回来たときに一番面白かった「芸術家の生活」のセクションに直行し、そこだけ観て(やっぱり面白い)、美術館を出た。滞在時間は20分くらいだったろうか。館内のレストランで昼食をとるつもりでいたのだが、行列ができていたので、予定を変更して、動物園入口前の売店でフランクフルトソーセージと肉まんとラムネを買い求め、桜の木の下で食べる。アウトドアの食事は久しぶりである。東京随一の花見の名所だけあって、平日だというのに、かなりの人出である。

 

  美術館の人混みは閉口だが、花見の人混みは嫌いではない。なんだかウキウキした気分になる。電車の車窓から観る街角の桜並木や、近所を散歩していて出くわす小さな公園の桜や、誰かの家の庭に咲く桜も味わいがあるが、やはり桜の名所の賑わいは格別だ。地には人。仰ぎ見ると、青空と桜。

 

 

  桜並木を2往復する。桜の木の下には今夜の花見の宴のためシートが敷かれていて、それぞれに場所取り係の人が座っている。花見の場所取りといえば、新入社員の役目と相場が決まっていたものだが、近頃はホームレスの人をアルバイトに雇うところがあるそうで、確かに、それらしい人が場所とりをしているシートもある。場所取りの人が誰もいないシートもあるが、そこには「○○組」と書かれた貼り紙がしてあったりする。たぶん建設会社ではなくて、地元のその筋の方々のものに違いない。そうではないかもしれないが、そういう可能性は捨てきれない。この場所を横取りするのは相当の覚悟を必要とするだろう。
  不忍池の方に下りてみる。池の周りの桜並木は、さきほどの上野の山の桜並木よりも密度においては劣るが、空と水の間にあって、開放感にあふれている。これはこれで素敵だ。

        

  池之端まで来たついでに、旧岩崎邸庭園(明治29年完成の三菱財閥岩崎家本邸の一部)に行ってみる。さきほどまでのお花見の喧噪が嘘のような静謐な空間である。目黒にある東京都庭園美術館(朝香宮邸)と違って、絵画や彫刻が展示されているわけではなく、室内はがらんとしている。さながら「華麗なる一族」の夢の跡である。

           

           

           

  旧岩崎邸を出ると少々冷えてきた。風も出て来たようだ。蒲田に戻り、シャノアールで1時間ほど読書をしてから、帰宅。夕食は鰹のたたき、若竹煮、茄子の味噌汁、ご飯。NHKの「春うた」という特番はなかなかよかった。大学の事務所のKさんからメールが届く。コース・ナビという新しいシステムのことで問い合わせをしたのだが、その返事である。発信時刻を見たら午前1時を回っている。もちろん事務所からであろう。科目登録関係の業務で大変なのだ。すみません、お花見なんてしてて・・・。もう少し本を読んでから寝ることにしよう。

3月29日(木) 晴れ

2007-03-30 02:33:13 | Weblog
  9時半、起床。暖かだが風が強い。朝食は自家製コロッケパン、紅茶。念のために言うと、「自家製」は「コロッケ」にではなく「コロッケパン」全体にかかる。スーパーで買ってきたコロッケをトースターで温め(電子レンジだと中のジャガイモがホカホカになって衣がグシャッとなってしまう)、トーストの上にキャベツの千切り、マヨネーズ、とんかつソース、温めたコロッケ、再びとんかつソースの順で載せ(かけ)、オープンサンド状態でかぶりつく。
  昨日、書斎のパソコンの配置換えをしたばかりだが、今日、修正を施した。新しいパソコンは画面に光沢があって(最近のパソコンはたいていそうである)、映像やホームページを見るにはよいのだが、長時間文章を書いていると目が疲れる。ちょうど原稿用紙に字を書くときに(ずいぶん昔の話だ)、白い光沢のある紙よりもクリーム色の紙や、ツヤ消しの施してある紙の方が目が疲れないのと同じだ。また17インチの画面というのも、15インチに慣れているせいか、文章を書くためには不必要な大きさのように思える。というわけで、机の正面には従来のパソコンを置き、その右側に(ディスプレーを30度ほど内側に向けて)新しいパソコンを配置することにした。それまでその場所にあったプリンターは別の机に移動した。で、原稿書き(フィールドノートの更新も)は従来のパソコンを使い、それ以外のこと(メールの送受信、サイトの閲覧、辞書や辞典の検索、CDやDVDの視聴、地上デジタル放送の視聴など)は新しいパソコンを使うという方針でいってみることにした。

           
                      朝令暮改

  昼食は3時ごろに外に食べに出る。蕎麦を食べようと思ったが、「やぶ久」は定休日なので、「満月」に行く。おろし蕎麦を注文。蕎麦そのものは「やぶ久」よりも旨い。ただし、値段が高いことと、週刊誌を置いていないことが減点材料となって、お馴染みの店になってはいないのである。いったん家に戻り、夕方になってまた散歩に出る。近所の呑川沿いの桜並木を歩く。キシフォトでDVD-RAMを、ラオックスでスイッチングハブとフラッシュメディア・カードリーダーを購入。新しいパソコンのハードディスクに録画したデジタルテレビの番組を、DVD-Rではなく、DVD-RAMでもう一度試みたら、今度は移動ができた(説明書にはDVD-Rにも書き込めると書いてあるのだが)。しかし30分の番組の書き込みになぜ1時間もかかるのだろうか。まだ何か勘違いしているのかもしれない。夕食は金目の煮付け、生ハムとトマトとレタスのサラダ、豆腐と若布の味噌汁、ご飯。卒業生からメールが届く。読んで、返信をした後、「卒業生」のフォルダーに仕舞う。ついこの間までなら「学生」のフォルダーに仕舞っていたメールだ。

           
                    街灯と月と桜と

3月28日(水) 晴れ

2007-03-29 03:57:51 | Weblog
  9時半、起床。朝食はウィンナーとキャベツの炒め、茄子の味噌汁、ご飯。基礎演習の教材として文化構想学部と文学部の67名の専任教員が書いた論文の一覧に目を通す。両学部の専任教員は合わせて約160名なので、4割の教員が執筆をしたことになる。これが「基礎演習データベース」という名前でサーバーにアップされているのだ。基礎演習ではこの中から授業やレポートで取り上げる論文を教員や学生が随時選んでいくわけだが、手前味噌を承知で言えば、自前でこれだけのものを用意できる学部はざらにはあるまい。学生は2年生にあがるときに専門を決めるのだが、「基礎演習データベース」はいってみれば「学問への招待」という名の展覧会場であり、学生たちはここを見て回りながら自分が研究してみたいテーマを探すのである。「基礎演習データベース」は学生のみならず、教員にとっても面白い。同じ学部の一員であっても、他の教員がどんな研究をしているのかは知らない場合がほとんどである。「哲学」や「日本文学」や「社会学」をやっているのだということは知っていても、具体的にどんな研究テーマに取り組んでいるのかを知る機会は存外少ない。私が今回、基礎演習を担当する楽しみの一つは、他の先生方の論文を読むことにあるのである。今日は各論文のタイトルと概要(これが付いているのはありがたい)にざっと目を通しただけだが、面白そうなものが目白押しである。授業でテキストとして取り上げられるのはせいぜい一割であろう。どれにしようか非常に悩ましい。
  昼食は朝と同じウィンナーとキャベツの炒め(朝食用に3人分作ってあったのだが、娘が食べなかったのだ)、トースト、牛乳。同じおかずでもご飯と味噌汁でもパンと牛乳でも食べられるところがいい(って何が?)。食後、昨日録画しておいたNHKの夜の連続ドラマ(全5回)『グッド・ジョブ』(第2回)を観た。同じ職場で働く一般職の女性たちが主人公の物語で、毎回、テーマがあるようだ。この回のテーマは職場のコミュニケーションで、「感情労働」の見本のような物語であった。これは絶対教材に使えると、パソコンのハードディスクからDVDに移動させようとしたのだが、なぜかうまくいかない。説明書を読んでもよくわからない。おかしいなあ。このままでは宝の持ち腐れである。
  夕方、散歩に出る。春だ。カフェ・ド・クリエで『基礎演習ガイドブック』を読む。フランス文学の鈴木先生、英文学の水谷先生、私の3人で執筆したもので、「読む」「話す」「書く」を基礎演習での一連の習得すべきリテラシーとして論じているところがミソである。今日は鈴木先生の担当した「論文を読む」の章を読んだのだが、そうか、論文とはこのように読むものなのかと、改めて教えていただいた気がする。ほんと、勉強になるなあ(って感心してどうする)。新学部の1年生だけでなく、私の担当する社会学演習ⅠBや卒論演習の学生にも読ませようと思う。絶対に役にたつはずである。
  夕食は豚しゃぶ。控えめに食べるつもりだったが、食べ始めると好物なので、いつもと同じように食べてしまった。い、いかん。食後、書斎のパソコンの配置換え。メインで使うパソコンをいままでのソーテックのものから年末に購入した富士通のものに替える、ソーテックの方はサブマシンンとしてまだしばらくは使うだろう。なお、新しいマシンもあいかわらずXPである。VISTAに乗り換える理由がないのである。

           
                     気分一新

3月27日(火) 曇り

2007-03-28 04:07:30 | Weblog
  9時、起床。朝食はサーモンのソテー、トースト、紅茶。新年度の授業の準備を本格的に着手。まずは前期の担当科目(週6コマ)の具体的な授業計画の一覧表をエクセルで作成する。一部の科目については講義要項に毎回のシラバスを掲載しているが、ほとんどの科目は大雑把なスケジュールを載せているだけなので、ゴールデンウィークに入るまでの3回の授業について、具体的な内容を詰めておく。それ以降については、あまりリジッドに設計してしまうと、授業は生き物であるから、せっかくの自然な流れがギクシャクしてしまうことになるので(とくに演習に関してはそういうことがいえる)、ほどほどがよい。詳細は現場(教室)で学生たちの顔を見てからだ。
  昼食は卵かけ御飯ですます。お彼岸のおはぎなどの甘味の過剰摂取に加え、3月下旬は職場や親族のつきあいで会食する機会が多く、スローダイエット計画が頓挫しそうになっている。人間関係がからむとダイエットは著しく困難さを増すのである。ここは意志の力でもって何とか踏みとどまらねばならない。食後、ジムへ行き、筋トレを3セットとウォーキングを40分(エビチリ一皿分のカロリーを消費)。帰りにシャノアールでレモンスカッシュを飲みながら社会学演習ⅠBのテキスト『自己と他者の社会学』(有斐閣)の「第4章 感じる私」(井上俊)に目を通す。タイトルだけ聞くと怪しげだが、内容は感情社会学の話である。本書は14の章を14人の執筆者が書いているので、章によって文体も面白さの水準も違う。全部の章を読むつもりはないのだが、この章は学生に読ませようと決め、参考文献をチェックしておく(未読のものは読まねばならないし、持っていないものは購入しなければならない)。
  帰宅し、夕刊を開いて、驚いた。訃報欄に「達正光(たち・まさみつ)」という名前があったからだ。41歳のプロ棋士(6段)である。死因は「心不全」となっている。私はこの人が4段(一人前のプロ棋士)になる前後に何回か指導将棋を受けたことがある。あれは1984年のことであった。前年の12月に結婚し、東横線の綱島に所帯をもった私は、毎週末、渋谷の道玄坂にあった高柳将棋道場に通っていた。そこで指導将棋を担当していたのが奨励会3段の達正光だった。達は小学生名人(第2回)と中学生名人(第3回)のタイトルをひっさげて、1978年に5級で奨励会に入った。13歳だった。当然、将来の名人候補である。ちなみにいまをときめく羽生善治三冠は第7回の小学生名人、渡辺明竜王は第19回の小学生名人である。4段になったのは1984年7月。達は19歳になっていた。10代での4段は決して遅くはない。むしろ立派なことである。しかし名人候補(エリート)であり続けるためにはもっと早くに駆け抜けていなければならなかった。私が達から指導将棋を指してもらっていたのはそのころのことである。いつも飛車落ちであったと記憶している。めったに勝たせてはもらえなかった。負け続けるとやる気をなくしてしまう者が多いので、適度に勝たせてやるのが指導将棋の心得なのだが、達にはそういうところがなかった。私はそれを好ましいことだと思った。むしろ素人相手の指導将棋の仕事は後輩の奨励会員に早いところ譲って、トーナメントプロとして精進してほしいと思っていた。私は達が19歳にしては大人びていること、周囲の大人たちとの会話に馴染んでいるようなところが、気になっていた。もっと尖ったところというか、周囲の雰囲気から超然としているところが欲しいと思った。ほどなくして達は指導将棋の仕事を後輩と交代し、私も転居をして高柳将棋道場からは自然と足が遠のいた。しかし将棋雑誌などで彼の戦績はいつも気にしていた。達は、最初の数年こそ、まずまずの戦績を上げていたが、しだいに凡庸な棋士になっていった。それは端から見ていても辛いものがあったが、本人にはさぞかし忸怩たるものがあったろう。大学教師にはプライドの高い人が多いが、プロ棋士はそれ以上だ。「将棋に負けると自分がダメな人間になったようで悲しい」と言ったのは大山康晴十五世名人である。達の通算戦績は347勝377敗(勝率0.479)。ここ3年間は勝率2割台と低迷していた。最後の対局は3月6日のC級2組順位戦10回戦の対横山泰明4段戦であった。達はこの対局に負け、順位戦3勝7敗で降級点をとっている。順位戦は棋士にとっての本場所ともいえるもので、A級、B級1組、B級2組、C級1組、C級2組の5つのリーグから構成されている。毎年、A級で第一位となった棋士が名人挑戦者となり、リーグ間でメンバーの入れ替え(昇級と降級)も行われる。達はついにC級2組から上に昇ることができなかった。名人の座は彼にとってあまりに遠かった。達正光の冥福を祈りたい。合掌。

3月26日(月) 晴れ

2007-03-27 01:18:30 | Weblog
  9時、起床。朝食はハムトースト。今日は母の傘寿と息子の大学入学の祝いを兼ねて、昼食を外でとることになっているので、朝食はいつにもまして軽めである。家を11時頃に出て、私にとってはいつもの通勤電車に乗って、ちょうどお昼に早稲田に着く。穴八幡神社で去年の一陽来復のお札を納めてから、大隈庭園に隣接するリーガロイヤルホテル東京の「なにわ」で食事。私と娘は筍御前という懐石のコースを注文したが、見た目にも美しく、とくに前菜盆は食べてしまうのがもったいないと思えるほどの細工が施されていて、しばらく眺めていたかったが、これを食べないと先へ進まないので、しかたなく(?)口に運んだ。強肴は海老と筍の天ぷらであったが、これが実に美味しかった。コースも中盤を過ぎて、お腹も大分よくなり、ここで天ぷらは少々重いかもと思っていたが、そんなことは全然なかった。軽く、サックリと揚がった、淡雪のような(変な比喩か)天ぷらであった。娘も「思わず笑みがこぼれてしまう」と言っていた。その後の筍と山菜の御飯と赤出汁も美味しかったが、最後の水菓子(抹茶アイス・大納言・苺)は私には(娘にも)少々甘味が強すぎた。もう少しさっぱりしたもの、たとえば桜のシャーベットとかで終われるとよかったのだが、懐石料理では抹茶アイスが破格の限界なのだろうか。大学周辺の桜はまだ見頃にはなっていないが、早稲田高校横のこぶしの並木が見事に満開であった。春に咲く花は桜だけではない。

          
                    こぶしの並木

  帰りに九段下で下車して千鳥ヶ淵を少し歩いた。大学の周辺の桜よりも多少開花の進度は速いが、まだ二、三分程度である。武道館で明治大学の卒業式をやっていて、ちょうど式典を終えた卒業生たちが出て来るところだった。妹の上の息子がこの中にいるはずだだが、もちろんわからない。妹も来ているかもしれないと、携帯に電話を入れると、妹は家にいた。昨日、うちの大学の卒業式でたくさんの父兄を目にしたけれども、たぶん女子学生の親が多いのだろう。お堀端には昨日の謝恩会の会場だった九段会館がある。大学卒業後の人生の最初の一日をみんなどのように過ごしているのだろう、と思ったりした。しかし、しんみりしている暇もなく、あと2週間で新年度の授業開始である。「お元気で」そして「はじめまして」、このギアの切り替えにはかなりのエネルギーを必要とする。地球のみんな、オラにちょっとずつ元気をくれ。

          
                    千鳥ヶ淵の桜