フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

1月30日(土) 曇り

2016-01-31 03:04:14 | Weblog

8時半、起床。

餅(磯辺巻)、サラダ(鶏のササミ、トマト、ベビーリーフ)、お茶の朝食。

いつもであれば朝食はパンなのだが、今日は「パン日和あをや」で昼食を食べるので、餅を食べた。

12時に矢向駅(南武線)で卒業生のIさん(論系ゼミ3期生、2013年卒)と待ち合わせる。川崎から同じ電車(南武線)に乗ったようで、ホームを歩いてくるIさんを発見。

Iさんと会うのは昨年の9月以来だから5カ月ぶりである。

矢向駅から「パン日和あをや」へは徒歩10分。

Iさんは「パン日和あをや」は初めて。遠路はるばる大宮の方からやってきてくれたのである。

 

いつものように入って手前のテーブルを用意していただいていた。

このテーブルの利点は入口のガラス戸から入ってくる光で明るい(写真が撮りやすい)ことである。

注文はお豆のトマトスープから。

マッシュルームとベビー帆立のグラタンパン。初めてのメニューだ。奥さま曰く、「今日は雪になるかもしれない(客足が悪くなる)ので、頑張って作りました」とのこと。

マシュルームのアヒージョ(オリーブオイルとニンニクの煮込み)とパン。これを注文するのは3度目。そのことを奥さまに言うと、奥さまも覚えておられたが、「でも、中身はちょっと違います」とのこと。う~ん、そこまでは覚えていなかった。

サーモンとアボカドとクリームチーズのサンドウィッチ。

定番の美味しさ。

デザート的ドリンクのごまミルク。1月のドリンクなので、次回来るときはもう飲めない。

ごまミルクと一緒に食べようとクロワッサンをキープしておいた。

クロワッサンをごまミクルをつけていただく。

店主さんご夫妻と他のテーブルの常連さんとおしゃべりをしながらの食事はIさんには新鮮で楽しかったようである。

ご主人にツーショットの写真を撮っていただいた。

「パン日和あをや」には2時間ほど滞在。カフェの梯子をしましょうということになり、矢向から蒲田へ向かう。

2軒目のカフェは「phono kafe」。ここは彼女は前回に続いて2度目である。

惣菜3品をお茶うけにして、私は小豆茶、Iさんは紅茶(アールグレイ)を注文。

春巻き。

大根のサラダカレー風味(本当な何か別の名前だったが忘れてしまった)。

ポテトの油包み揚げ。

大原さんにお願いしてツーショットを撮っていただく。

 ちょっと離れてますね。

距離を縮める。

Iさんは私とゼミ生との関係のあり方に一つのヒントというかアドバイスを与えてくれた人である。彼女が4年生の秋、研究室でゼミ論個別指導をしているときに言われた、「みんな先生からの言葉がほしいのです」と。言葉?すぐにはその意味がわからなかったが、どうやら「語りかけ」のことらしかった。自分では気付かなかったが、学生から見て、私はクールというか、学生と距離を置いて接しているとゼミ生たちは感じていたらしいのである。そのため「先生は私(たち)のことをどう思っているのだろう?」という思いというか、もどかしさのようなものをゼミ生たちは感じていたらしいのである。私はちょっと意表を突かれたような気分になった。3年、4年と2年連続のゼミという授業の形式は文化構想学部になって初めて経験するもので(一文、二文時代には1年間の演習しかなかった)、私自身、ゼミの進め方については試行錯誤をしていた。それでも3期生ともなれば、一定のスタイルが定着しつつあると思っていたので、卒業をあと半年に控えたIさんからゼミ生(4年生)との間に距離があると言われて、私は「う~ん」と考え込んでしまったのである。おそらくその当時でも、他の教員から見れば、私は学生との距離が近い教員に見えていたはずで、自分でもそう思っていた。しかし、当の学生からはそうは見られていなかったのである。Iさんの一言で、学生との距離のとりかがた急に変わったということはないが、緩やかな変化の変異点となったことは間違いない。実際、こうして卒業生と会うという習慣も、盛んになった直接のきっかけは2014年春に2000年卒の一文社会学専修の卒業生たちが開いてくれた私の還暦の祝いの会であるが、その1年前、2013年春に卒業したIさんたちゼミ3期生辺りからその下地は準備されていたように思う。

「phono kafe」には1時間半ほど滞在。時刻は午後4時になろうとしていたが、もう一軒、「あるす」に向かう。「あるす」の閉店時間は午後6時と窓ガラスには書いてあるが、これは大分前に書かれたままのもので、実際は、午後5時には閉まっていることが多い。今日のような曇り日のときはもっと早く閉まってしまうので、店の前まで行って「営業中」の札が掛かっているを確認したときはホッとした。Iさんは「あるす」は初めて。

店内にはマスターしかいなかった。

2人ともモカを注文する。

しばらくしてマダムも姿を現し、パンケーキや紅茶のサービスをしていただいた。

いま思えば、Iさんのあの一言は「直訴」のようなもので、よくぞ言った(言ってくれた)ものである。

「あるす」には1時間ほど滞在した。時刻は5時半になろうとしいた。 

7時から渋谷で職場の同期の人たちとの飲み会があるというIさんを蒲田駅まで送る。

改札で握手をしてIさんを見送る。これも以前、卒業生となった後のIさんから言われたことだが、「先生は別れ際があっさりしていますよね」と。「じゃあ、またね」と片手をを上げて、スタスタとその場を去るというのが私のスタイルだったが、そう言われてからは、「じゃあ、またね」と言って(ここまでは同じ)、握手をして、相手の姿が見えなくなるまでその場に留まるようになった(笑)。

ここにしばらく留まっていたが、気付くと、スタンプを押す順番を待っているみたいであった。

6時、帰宅。

夕食は好物のラムチョップ。

でも、2本というのが物悲しかった。昨日、「すぎうら」で食べた海老フライ定食のように4本は欲しいと思った。


1月29日(金) 小雨

2016-01-30 11:08:03 | Weblog

8時、起床。

パン、サラダ(鶏の笹意味、トマト、ベビーリーフ)、紅茶の朝食。

昼前に家を出て、大学へ。

昼食は「すぎうら」で。

海老フライ定食(1200円)を注文。和食の店だが、フライ物もやっている。カキフライ、帆立フライ、ヒレカツ、大山鶏の唐揚げ、キスのフライ・・・いろいろあり、それらを1つずつ食べられるミックスフライ定食というのもあるが、今日は海老フライをがっつり食べたかった。3日前、「西洋料理SUZUKI」でビーフシチューのランチを食べたとき、「海老フライも食べたいな・・・・」という思いがあって、それが今日のランチの注文に影響を与えているのである。

海老フライは中ぐらいのサイズが4本。確かカキフライも4個だった。私がよく行く蒲田の大衆割烹「三州屋」のカキフライ定食のカキは5個で、その感動が、「頼もしや五つ並んだカキフライ」の句を作らせたのだが、たぶん世間一般では「4つ」というのがフライ物の標準なのだと思う。

お盆にはフライ用のウースターソースがのっていたが、私は4本のうち2本は醤油をかけて食べた(その場合はタルタルソースは併用しない)。

美味しかった。「海老フライをがっつり食べたい」という思いが満たされて幸せだった。注文した料理が期待通りの美味しさであったときの幸福は至上のものである。

トンカツに比べて注文する頻度の少ないメニューであるが、私は海老フライが実は好きである。将棋の駒に喩えれば、トンカツは飛車で、海老フライは角である。たぶんこの感覚はごく一部の人にしかわかるまい。飛車は誰でも好きだが、角は使いこなすのにちょっとテクニックがいる。だから角を上手く使った勝ったときの気分は格別である。同様に(?)、美味しい海老フライでご飯を食べた時の喜びも格別なのである。

2時から研究室でAさんのゼミ論相談。

3時からOさんの卒研指導。

5限・6限はゼミ。本日が秋学期の最終回。4年生5名のゼミ論要旨発表。

4年生は卒業旅行をしてきたそうで、本日のスイーツは大分名菓「ザビエル」。

授業を終えて、全員で記念撮影。3年ゼミ長のK君に撮影をお願いする。

左側に3年生(7期生)、右側に4年生(6期生)。教室で全員が顔を合わせるのは今日が最後である。

高田馬場の居酒屋「柚庵」(ゆあん)で打ち上げ。

4年ゼミ長のA君の挨拶で開宴。

さあ、食べよう、さあ、飲もう。

みんな楽しそうだ。いい笑顔だ。

いつかこの夜のことを思い出してきっと泣いてしまう(笑)・・・かもしれない。そんな青春の一コマだ。

12時、帰宅。 今夜はこれから雪になるかもしれない。


1月28日(木) 晴れ

2016-01-29 09:58:08 | Weblog

7時半、起床。

パン、クリームシチュー、サラダ(鶏のササミ、トマト、レタス)、紅茶の朝食。パンは「メゾンカイザー」のリビエラという名前のパンで、白胡麻がまぶされている。

9時半に家を出て、大学へ。

2限は院生の研究指導。授業は今週ですべて終える予定だったが、研究指導は来週もう一回だけやることになった。

昼食はコンビニおにぎりとインスタント味噌汁。 

3限は大学院の演習。今日が最終回。お疲れ様でした。

4限は空き時間。

5限は講義「ライフストーリーの社会学」。テストを行う。試験時間は60分だが、いつも答案回収後の並べ替え(採点簿に転記しやすいように学部別に学籍番号順に並べる)の作業にけっこう時間がかかるのだが、今日は試験監督の院生たちがテキパキやってくれて短時間で終わった。

6時半に研究室を出る。「あゆみブックス」で本と雑誌を購入。

吉田篤弘『電球交換士の憂鬱』(徳間書店)

 「電球交換士」なんていう言葉をよく思いついたものである。まずこの言葉があって、「電球交換士の〇〇」の「〇〇」を考えたに違いない。「休日」とか「午後」とか「備忘録」とか、いろいろ思いつくが、「憂鬱」を思いついて、「これだ!」と吉田は膝を叩いたに違いない。話の内容は、事実なのか、嘘なのか、判然としないところがある。わざとそのようにしているのである。そもそも小説という入れ物が虚構のものであるわけだが、だからといって、漱石の『こころ』の「先生」の遺書の内容が嘘だとは読者は思わないし、村上春樹の『1Q84』の青豆と天吾の語りが嘘だとは読者は思わない。そういう前提でわれわれは小説を読むのであるが、『電話交換士の憂鬱』では主人公の語っていることは嘘なのではないかという疑いを持たず読むことが難しいのである。小説の虚構性を読者に意識させながら小説を楽しく読ませるということを作者はやっているわけで、都会的で洒落た小説ということもできるし、ポストモダンの小説の試みということもできると思う。ちなみに主人公の電球交換士は本人曰く「不死身」だそうだ。

『ユリイカ』2月号(特集:原節子と〈昭和〉の風景)

 先日の「クローズアップ現代」でも原節子の特集をやっていたが、いま、あちこちのメディアで原節子が取り上げられている。エキゾチックな顔立ちと、その時代としては大柄といってもいい身体と、上品で穏やかな、しかし時として緊迫感のある台詞回しが浮世離れした調和(と破調)を生んで、観る者を釘付けにする魅力をもった女優だった。

7時半、帰宅。

夕食は麻婆豆腐。

デザートは苺。


1月27日(水) 晴れ

2016-01-28 00:48:45 | Weblog

7時半、起床。

パン、サラダ(ハム、トマト、レタス)、紅茶の朝食。パンはメゾンカイザーのイチジクのパン。昨日、妻が講習会の仕事で行った池袋の西武デパートで買ってきたパンである。妻はここのパンが好き。

午後、食事をとりがてら散歩に出る。今日は寒さが緩んだ。

「天味」へ行く。

1時20分頃だったが、先客は一人だけ。ランチの営業時間は午後2時までだが、それは店を閉める時間で、1時30分を過ぎると暖簾を外してしまう。今日も1時40くらいに来た客がいて、「すみません。もう終わっちゃたんです」とご主人が謝っていた。

上天丼のかき揚付(1500円)を注文。いつもは天ぷら定食を注文することが多いが、今日は天丼の気分だった。味噌汁の具はシジミ。

この店の天丼用のタレは色が濃い(味は甘め)。「黒天丼」と呼んでもいいかもしれない。店によっては天丼に定食で食べる天つゆと同じものを掛けて出すところもあるが、それなら天丼を注文する意味はない。天丼には天丼用のタレを掛けて出してほしい。

ご飯にタレが掛かって美味しい。

夜のコースは3種類。ときどき妻と来るが、いつも一番安い「季節のコース」(3800円)を注文する。それで十分お腹はよくなる。

食後のコーヒーは「テラス・ドルチェ」に飲みに行く。

途中で前を通る「蒲田食堂」はTVドラマ『下町ロケット』に出てきた店である。

ブレンドを注文して、しばらく読書。

森博嗣という人は1957年の生まれだからまだ60歳になっていないが、隠者のような、現代版『森の生活』のソローのような生活をしている人である。

 「担当編集者から、「先生の隠遁生活について、なにか書いて下さい」と頼まれ、それで考えた結果がこの本になった。
  ・・・(中略)・・・孤独について研究をした覚えはないし、また、「隠遁」なんて言葉は(知ってはいるけれど)一度も使ったことがない。自分は、隠遁しているのだろうか。
  隠居している感覚はときどき仄かにある。たとえば、毎日がほぼ自由時間だし、約束もなく、来る日も来る日も遊んでばかりいる。もちろん、二十代と三十代は、猛烈に働いたし、四十代も嫌々仕事を引き受けた。それから解放されたのだから、隠居には違いない。その後、五年ほどまえになるが、遠くへ引越をして、どこに住んでいるのか明かさないようにした。編集者にも会わないようになった。これは、明らかに、「隠れた」と表現できる状態だ。したがって、やはり隠遁、隠居にほかならない。
  たとえば、二年半ほどまえに、人に会うために東京へ行ったのを最後に、以来ずっと僕は電車というものに乗っていない。大勢の人が集まる場所へはもともと出ていかない、一人が好きな人間だったが、それでも世間の柵(しがらみ)があり、仕事でしかたなくつき合うことも少なくなかった。そういった義理と不可抗力を一切断ってしまったのが、今の生活の始まりである。
  こういうことができたのは、人に会わなくても生活できる基盤を築けたからであって、普通の人に「楽しいからやってみなさい」と気楽にすすめられるものではないことくらいは理解している。若い人の中には、僕の今の生活に憧れている奇特な人も見受けらえるけれど、ここへ至るのに何十年もかかったし、また、今がベストの状態、つまり目指していた人生のゴールだともさらさら考えていない。昔よりは、(僕としては)多少「良い環境」になったと感じているけれど、一般的な感覚ではたぶんそんな判断はマイナスだろう。ただ、小金を稼いで、田舎に引っ越して遊んでいるだけ、ようするに世捨て人のように映っているはずだ。それが客観的な観測ではないか。
 しかし、僕はそもそもそういった社会の目、人の目というものを、ほとんど気にしない。これは、どうしてこうなったのか自分でもよくわからないが、両親の影響が半分、また、残りの半分は、自分の経験した孤独の中から育ってきた価値観のように思われる。」(3-5頁)

 本書は著者が「自分の経験した孤独の中から育ってきた価値観」について書いた本である。面白かった。一読の価値は十分にある。

 著者のライフスタイルは常人が簡単にマネできるものではないが、その志向するところは、大変まっとうなものであると私は思う。

 「僕が、この本で書いた「孤独」というのは、社会を拒絶することではなく、また他者を無視することでもない。社会における最低限の関係は、そもそも拒絶できなものだ、という前提に立っている。だから、そういった社会への貢献、他者の尊重の上に、自分の思い描いた「自由」を築く必要がある。僕が書いてきた「良質な孤独」とは、社会との共生だといっても良い。
  科学技術の発達が、この社会との共生できる孤独を可能にしたのである。昔は、そんなことはとうてい望めなかった。孤独を楽しむには、並大抵の苦労ではなかった。
  逆に言えば、この情報過多の現代では、孤独指向の生き方をしないと、自分を保てない人が増えてくるだろう。みんなと一緒では面白くない、なにか自分だけの領域を持ちたい。なにもかも受け入れるばかりではお腹が一杯になってしまうのだ。そうなると、自分でその情報を遮断できる能力が要求される。これはつまり、孤独になれる能力のことである。
  ポテンシャルとしては、孤独の方が高い。孤独から、協調への移行は簡単だ。周囲の人に合わせるだけである。孤独が嫌になったら、街へ出ていけば良い。ちょっと話を合わせて笑顔で対応していれば、すぐに仲間もできる。みんな基本的につながりたいと思っている人ばかりだから、必ず手を差し伸べてくれるだろう。
  しかし、そういった協調の中から、孤独への移行は困難を極める。一度できた絆は切りにく。どうしたんだ、水臭いな、と言われるだろう。自分の中にも、どうしても不安が生じる。一人で大丈夫だろうか、もう仲間には戻れないのではないか、と。
  今は、まったくその心配はない。自分からアプローチをすれば、必ず仲間にしてもらえる。基本的に社会は友好的になり、差別をしないし、親切になった。気持ち悪いくらいに親切になった、と僕などは感じるくらいだ。
  だから、一度、部分的でも良いから、孤独を感じてみるのは良いことだと思う。ちょっと無理だと思ったら戻れば良い。少なくとも、そういった予行練習をしておけば、いずれ訪れる避けられない孤独の耐性が育つだろう。」(177-179頁)

孤独な状態というのは協調している状態よりもポテンシャル(位置エネルギー)が高い、だから、孤独から協調への移行は簡単だが、その逆は大変だという指摘は理系の人らしくてなるほどと思った。家族の時間、仕事の時間、社交の時間、孤独の時間というは私が考える生活の4つの時間的次元だが、ポテンシャルという概念を導入して考えると、4つの次元はフラットな平面上にあるのではなく、仕事の時間<家族の時間<社交の時間<孤独の時間という階層構造になっているように思う。「仕事だから」といえば、それがどんなにくだらない仕事でも、家族の時間や社交の時間や孤独の時間を犠牲にする言い訳になるようなところがわれわれの社会にはある。   

帰宅の途中で見た光景。

なんだかハラハラした。

帰宅すると、玄関の前になつがいて、私の顔を見てニャンと鳴いたので、エサを与える。 

何かのおまじないだろうか、必ず少し残すのである。

夕食はメゾンカイザーのパンありきで、私のリクエストでクリームシチューにしてもらった。

野良猫のなつとは違って、躾のよい私は食事はいつもきれいに平らげる。ごちそうさまでした。


1月26日(火) 晴れ

2016-01-27 09:24:23 | Weblog

7時半、起床。

雲の多い朝の空である。

トースト、サラダ、紅茶の朝食。

午後、食事をとりがてら散歩に出る。「西洋料理SUZUKI」に向かう。ときどきちゃんとした洋食を食べたくなって、ここに来る。

いつものように本日のランチ(今日はハンバーグとホタテのグラタン)を注文したが、すぐに思い直して、ビーフシチューのランチコースを注文する。前回ランチで食べたビーフシチューがとても美味しかったからだ。

サザエとキノコ(エノキ)とニンニクの壺焼き。食欲を刺激するオードブルだ。

サーモン、生ハム、イナダのカルパッチョ。ますますお腹が空いてきた。

コーンポタージュ。ほっと一息つく。これでパンを食べれば、軽めの昼食としては十分かもしれない。

待ってました。この店の看板料理のビーフシチュー。どのくらいの時間煮込んだらこんなに柔らかくなるのだろう。付け合せの野菜も美味しい。

サラダとパン(あるいはライス)が付く。ビーフシチューのときは、皿がきれいになるまで食べたいので、たいていパンをチョイスする。

 

コーヒーとデザート(プリンアラモード)。

ごちそうさまでした。とても美味しかったです。

これで3000円は、もちろん普段の昼食としては高いが、「たまに食べたくなるちゃんとした洋食」としてはとてもリーズナブルな値段ではないだろうか。ちなみにビーフシチューを単品で注文すると1800円である。会計のとき、ビーフシチューを他の料理、たとえばエビフライ(1600円)や鯛のポワレ(1600円)と差し替えてランチコースとして注文することもできるのですかと尋ねたら、それはできないそうである。ビーフシチューをメインにした場合だけのサービス価格のようである。でしょうね。

夜のメニューの「シェフのおまかせコース」もそのうち食べてみたい。

美味しい料理を食べた後の満たされた気分で家路に着く。

街の写真を撮りながら、ぶらぶらと帰る。

昼間は仮眠中の飲み屋街を歩く。

 

世俗の街を抜けて、神社の前に出る。

鳥居の両側に紅梅と白梅が咲いている。

神社の猫たちが虎視眈々と(?)狙っているのは・・・

鳩の夫婦(だろう)である。

私が近づくとパッと飛び立った。猫ちゃん、ごめんね。

自宅の近所の内科医院が年末に閉院した。若い頃、お世話になった医院であるから、本当に相当の高齢であると思う。ありがとうございました。お疲れ様でした。

夕食はカニ玉。色合いが昼間食べてビーフシチューに似ている。

火曜日の夜は、木曜日の講義の準備をするのであるが(なぜ前日ではなく前々日の夜なのかというと、「あっ、あれがない」とかなったときに慌てるからである)、次回は試験なのでその必要はない。試験が終わると採点に追われることになるが、授業の準備をしなくていいというのはいいものである。