12.16(金)
3限の大学院の演習はUさんがアトピー性皮膚炎についての言説分析。アトピーから社会が見える。5限の調査実習は音楽班の発表。Jポップから社会が見える。ところで、本日は卒論提出の最終日。一文生は第一会議室に設けられた提出所に午後5時までに卒論を提出しなければならない。時間厳守の故、毎年、悲劇が起きるのだが、今年はどうだったのだろう。私の担当している学生は全員無事提出できたのであろうか。二文生は直接私のところに卒論を持参し、受領書に私が印鑑を押し、それを学生が事務所に提出するシステム。0さんは5限の授業が始まる前に、K君は5限の授業(6限まで延長)が終わった後に、研究室にやってきた。二人とも、とくにK君は、最後の追い込みで精神状態がハイになっているのであろう、卒論の内容についてあれこれ熱っぽく語るので、受領書を事務所に提出し忘れてそのまま帰ってしまわないように注意する。若者よ、落ち着きなさい。
12.17(土)
2限の「社会学基礎講義B」、3限の「社会学研究10」、そして6限の「社会と文化」、すべて今日が最終回(年明け早々に教場試験)。以前は、授業はすべて通年単位だった。それが現在は、いくつかの演習科目を除いて、授業はすべて前・後期の半期制になっている。実質3ヵ月で、TVドラマのワンクールと同じ。あっという間ですね。TVドラマも昔は半年が普通だった。去年、『白い巨塔』が半年間やったが、ワンクールのTVドラマに慣れた視聴者には「大作」って感じを与えたのではなかろうか。都市化とは時間の短縮化である。時間は稀少な資源だから、それを効率よく使おうとする。たとえば、カップ麺にお湯を注いで待つ時間は当初は「5分」が普通だったと思うが、いまでは「3分」が主流になっている。カップ麺ではないが、「玄関開けたら2分でご飯」というキャッチフレーズの商品もある。数分の短縮が人生全体にとってどれほどの意味をもつかは疑問だが、「3分」や「2分」に慣れてしまうと「5分」を長く感じるようになる。一旦、半期制に移行した授業が通年に戻ることはもうないであろう。授業が半期制に移行する一方で、一回の授業の時間はあいかわらず90分のままである。小中高と45分ないし50分を単位とする授業を受けてきた学生には90分の授業は長く感じられるであろう。私自身、大学に入った頃はそう感じた。たんに時間が物理的に長くなっただけでなく、大学の教員は授業に格別の工夫をしない人が多かったから、なおさらである。ひたすら講義ノートを読むだけという授業も珍しくなく、あれはお経を聞いているようだったが、さらに驚いたことには、一部の学生はそれを懸命に筆記していた。私は漫然と聞きながら、たまに「なるほどね」と思ったところだけをメモする程度だったので、ノートは一向に消費されず、試験のときにもあまり役に立たなかった。しかし、後年、自分が試験を採点する立場になって気付いたことだが、自分が授業でしゃべったことがそのままコピーされているだけの答案ほど読んでいて退屈なものはない。記憶力はいいのだろうが、思考力がないのではないかと思ってしまう。ああ、また試験の採点の季節になった。今回は全部で400枚ほどであろうか。私は授業自体は苦ではないが、試験の採点が苦である。採点をしながら、なかなか減らない答案の束を見ていると、何かの呪いではないかと思ってしまう。
12.18(日)
明日から調査実習の合宿で鴨川セミナーハウスに行く。折りしもこの冬一番の冷え込みである。カンパが街にやって来た。ラオックスに注文しておいたレーザープリンターのカートリッジを受け取りがてら散歩に出る。冷え冷えとした空気が気持ちいい。私は寒がりだが、防寒をしっかりして外を歩くのは好きである。駅前の商店街はクリスマスの飾り付けをしていて、それが全然お洒落な感じではなくて、私が小学生の頃もこんなふうではなかったかと思えてきて、なんだか楽しい。熊沢書店に寄って松岡正剛『知の編集術』(講談社現代新書)を購入。つい最近、松岡の「千夜千冊」というサイトを見つけて、すごい読書家がいるものだと感心した。取り上げている本の数もすごいが、一つ一つの書評の分量も半端ではない。しかも更新の間隔が短い。読み飛ばすだけならできるかもしれないが、読んだものについて何ごとかを書くとなると、立ち止まって考える時間が必要である。そう考えると、この更新の間隔の短さは感動的である。感動的といえば、「千一夜」と「千二夜」の間に置かれた番外篇「退院報告と見舞御礼」は必読である。夜、明日の合宿ための資料の作成。ただいまの時刻、19日午前2時半。そろそろ寝なければ・・・・とパソコンの電源を切ろうとしたときに、社会学専修主任の長谷先生にメールを出さなくてはならない用件を思い出した。就寝は3時だな。
12.21(水)
夕方、調査実習の合宿より帰宅。鴨川セミナーハウスでの3日間は天気に恵まれた。演習室の窓からはなだらかな丘陵と海が見える。丘陵には一日中陽があたっている。学生たちの報告を聞きながら、ときどき窓の外に目をやっては、あの丘陵に小さなセカンドハウスを建てて、リビングルームのソファーで本を読んだら気持ちがいいだろうなと考えたりした。海の見える家に住むことは私の人生の夢の一つであるが、妻に言わせると、海辺の家は潮風で傷みが早い上に洗濯物がちゃんと乾かないからダメだとのこと。海辺の家というのは夫婦の一方がロマンティックなだけでは建たないのである。合宿で予定していたことはすべて予定どおり消化できた。26人の学生(1名体調不良で不参加)が各自のインタビュー対象者のライフストーリーを紹介・分析し、それをもとに質疑応答。1ケースに要する時間は30分から40分。学生は自分が報告者を演じるのは26ケース中の1ケースで、残りのケースに関しては聞き手である。このとき積極的に聞き手の役割を演じることが出来るかどうかが重要である。積極的に聞き手の役割を演じるとは、第一に、居眠りをしないということであり、第二、質問や意見を述べるということである。残念ながら居眠りをする者(とくに最終日の午前中)や発言をしない者はいたけれども、総じて言えば、質疑応答は活発であった。特筆すべきは男子が全員発言したことである。26名中男子学生は6名で、日頃は女性のパワーに押されがちなのだが、今回は幹事のS君を筆頭によく頑張った。頑張ったのは演習の時間だけではない。食事の時間も頑張ってお代わりをしていた。唯一の体育会系のG君は、夏の軽井沢合宿では体調不良のため「見かけ倒し」と後ろ指を指されていたが、今回は汚名返上とばかり、お代わりをする度に私に「○杯目です」とアピールをしていた。
12.22(木)
今日は冬至。文学部前の穴八幡神社には一陽来復のお札を求める人たちで混雑していた。私も母親に頼まれてお札を一枚購入。その足で娘へのクリスマス・プレゼントを購入するために生協文学部店へ。昨夜、妻が娘に何が欲しいか尋ねたところ、「本がいい。お父さんに選んでほしい」とのことだったので、通常、人に本をプレゼントすることはしない私なのであるが(押しつけがましい気がするので)、娘の希望とあればしかたがない。さて、どんな本にしよう。思案の結果、以下の6冊(持ち歩きに便利なように全部文庫本)を購入。
川上弘美『蛇を踏む』(文春文庫)
江國香織『泳ぐのに、安全でも適切でもありません』(集英社文庫)
小川洋子『博士の愛した数式』(新潮文庫)
レベッカ・ブラウン『体の贈り物』(新潮文庫)
村上春樹『神の子どもたちはみな踊る』(新潮文庫)
本多孝好『MOMENT』(集英社文庫)
代金は2625円(定価の一割引き)。安上がりなクリスマス・プレゼントである。夕方から現代人間論系運営準備委員会。会議の後、同じメンバーで高田馬場の「欣隆」という台湾料理店で忘年会。久しぶりにビールを飲む。う~ん、美味い。ただし、最初の2杯(コップ)だけだけど。料理も美味しかった。安藤先生の行きつけのお店なのだが、駅からは少々離れており(寒かった)、「こんなところにこんな店があったのか」という感じのお店で、人生が一つ豊かになった気がした。帰宅して、一陽来復のお札を決められた方位の壁に貼り、ゆず湯に入る。
12.23(金)
ひさしぶりの休日。しかし合宿の身体から戻っておらず、朝7時に目が覚め、起床。身体は疲れているのに、神経が鎮静していないのである。昼食(チャーシュー麺)の後、2時間ほど居眠り。夕方、散歩に出る。栄松堂で、杉田弘毅『検証 非核の選択』(岩波書店)と高橋伸彰『グローバル化と日本の課題』(岩波書店)を購入。シャノアールでクリームソーダを飲みながら前者を読む。タイトルは堅いがジャーナリスト(共同通信社ワシントン支局長)の書いたものだけあって読みやすいし、面白い。戦後という時代を考える上で「核」の問題は重要度Aランクであることを再確認した。
インターネットで注文しておいた「ほぼ日手帳」が今日届いた。評判の手帳なので一度自分で使ってみたかったのだ。スケジュール帳としてではなく(それは大学から支給される能率手帳で足りている)、日々の記録帳として使うつもり。「生活を楽しむ手帳」というコンセプトに共感。最近は「目標実現のためのツール」としての手帳が流行しているが、そういうガツガツした感じがないところがいい。
調査実習クラスの学生、SさんとMさんが(並べると変な感じだが)、各自のブログで「今日、久しぶりに吐いてしまった」という話を書いていた。偶然の一致と思うが、合宿の疲れと暴飲暴食(?)にこの寒さが加わって、体調を崩したのかもしれない。Mさんの場合は自宅で吐いたようなのでまだしもだが、Sさんの場合は電車の中(駅のプラットフォームか?)で吐いたらしい。悲惨である。しかも「大丈夫ですか?」と声をかけてくれる人はほとんどいなかったそうだ。若い女の子が飲み過ぎて吐いていると見られたらしい。Sさんの感想。「冷たい社会だなぁ」。ようやく気づきましたか。そう、社会(都市)とは冷たい場所なのである。それはいまに始まった話ではなく、都市が形成された当初からそうなのである。だからこそ人々は暖かい場所としての家庭を必要とした。「冷たい社会と暖かな家庭」は同時発生的なのである。もちろん現実の家庭は必ずしも暖かいわけではない。だから人々は理想の家庭と現実の家庭との間の温度差に苦しんだ。近代小説の一形態としての家庭小説は夫婦や親子の不和や対立をテーマとしているが、そこには家庭への過剰な期待があった。明日はクリスマスイブ。クリスマスケーキを家族で食べるという高度成長期に定着した慣習は、こうした家庭への過剰な期待に応えるための演出の一つである。社会学者の家庭も例外ではない。
12.24(土)
午前、このところ食欲低下の著しい父を車椅子で近所の内科医院へ連れて行き、点滴を打ってもらう。処置室で点滴をしている間、ベッドの脇で本を読んでいたが、隣が診察室で、次々とやってくる患者と医師とのやりとりが全部聞こえてしまう。鼻水とか下痢とかの話ならまだしもシリアスな会話もあってちょっと困った。それにしても年末のお医者さんは大忙しだ。
娘が昨日の夜、体調を崩し、今日は午前中に父と同じ近所の内科医院で診察を受け、家で安静にしていたので、K君との約束はキャンセルしたのだと思っていたら、午後6時を過ぎた頃に、玄関のチャイムが鳴って、ドアを開けるとK君が立っていた。キターーーーー!(2チャンネル風に)。娘が「おいでよ」と呼んだのである。そうか、そうか、そうまでして会いたいのか。仲の良いことである。というわけで、私、妻、娘、息子、母、K君の6名でクリスマスイブの食卓を囲むことになった。最初、緊張から、私の軽口にドギマギしていたK君ではあるが、ワインが回ってくるにつれ口が滑らかになってきた。妻が私に「いまなら本音のトークが聞けそうね」と言ったが、私としてはむしろそれを避けたくて軽口を叩いているのである。何もわかっちゃいないのだから。
12.25(日)
山田昌弘さんから新著『迷走する家族 戦後家族モデルの形成と解体』(有斐閣)を頂戴する。落合恵美子さんが10年前に出した『21世紀家族へ 家族の戦後体制の見かた・越えかた』(有斐閣)が日本の戦後家族の解体を「楽観的」に描いたとすれば、本書は戦後家族の解体を「悲観的に」描いている。「現在起こっている状況は、家族の多様化というより家族の階層化であり、また、家族の変遷(ある形態から別の形態への移行)というよりは、移行先が不明という意味で『家族の迷走』の始まりである」というのが山田さんの見解だ。
迷走とは、従来の家族モデルにすがる人、新しい家族モデルを試す人、そして選択した家族モデルの実現ができる人、できない人、そして家族自体をもちたくてももてない人が混在する状況である。
山田さんの予測では、グローバル化(の一側面としての雇用の不安定化)と、個人化(の一側面としての家族関係の不安定化)の進展によって、「できない人」や「もてない人」が今後ますます増えていく。彼らは新しいライフスタイルを生きているわけではなくて、自分が求めるライフスタイルを生きることができずにいるのだ。山田さんはすでに『希望格差社会』の中でそうした現状を描いているが、その現状の由来(戦後の60年間)を描いたのが『迷走する家族』である。ディープインパクトも負けてしまったことだし、年末年始にペシミスティックな気分に浸りたい人にはお勧めである。
12.26(月)
午前中に年末の墓参りを済ませてから大学へ。卒業生のT君(96年卒)が研究室がやってきたので、「五郎八」で食事をし、「カフェ・ゴトー」でお茶をする。お土産に岩波ホールで上映中の映画『二人日和』の鑑賞券をいただく。お菓子も嬉しいが、こういうのも嬉しい。T君は主演の藤村志保のファンで、『カーテンコール』で映画館のもぎりの役を好演した彼女のことを私がフィールドノート(12.7)で取り上げたことが嬉しかったそうだ。夕方、二文の基礎演習の次回の報告班(労働生活班)の相談。夜、「楠亭」で「正岡先生と35年を語る会」(1月28日)の発起人の打ち合わせ。
12.27(火)
来年3月に定年退職される正岡寛司先生のお顔を初めて間近で拝見したのは、学部の3年生のときに履修した家族社会学の講義のときであったと思います。先生は40歳目前で、そのときの印象は、小太りで、色が黒くて、エネルギッシュで、なんだか炭団(たどん)のような方だなというものでした。
私は社会学専修ではなく人文専修の学生でしたので、そのままいけば、先生との関係もそれだけのもので終わっていたはずなのですが、大学4年の夏、卒論指導をしていただいていた心理学の相場均先生が心臓のご病気で急逝され、正岡先生にピンチヒッターで卒論指導をお願いすることになったのです。後期が始まってすぐに先生の研究室にご挨拶に伺い、卒論の構想についてお話させていただきました。先生は、「テーマが大きすぎる。もう少し禁欲したほうがよい」という趣旨のことをおっしゃいました。研究室に伺ったのはその一度だけで、締め切り前の一ヶ月ほどで400字詰原稿用紙75枚の卒論を一気に書き上げ、提出しました。タイトルは「子供と社会に関する発達社会学的考察」としました。卒論口述試験では、「今回読んだ卒論の中では一番面白かった」と言っていただけました。アドバイスに従ってコンパクトなものにしたのがよかったのでしょう。望外の評価に勇気づけられた私は、一年間の勉強の後に、大学院(社会学専攻)へ進み、今日に至っています。
今年度、私は早稲田社会学会の機関誌『社会学年誌』の編集委員長をしているのですが、正岡先生に論文のご寄稿をお願いしました。頂戴した論文「社会学再考」は通常の倍近いボリュームがありました。私は論文のダウンサイジングをお願いしようかと思いました。しかし、内容に目を通して、考えが変わりました。削るのは無理な注文なのです。本当は、先生は論文のタイトルを「社会学再考(一)」としたかった。(一)は(二)を予告するものであり、さらには(三)(四)・・・・を予想させます。残念ながら『社会学年誌』には連載論文という形式はありませんので、タイトルから(一)は取らせていただきましたが、頂戴した原稿はダウンサイジングすることなくそのまま掲載させていただくことにしました。先生の最終講義(2006年1月28日4限、文学部38号館AV教室)ではその論文の抜き刷りが配られますが、タイトルから察せられる通り、そして実際にお読み頂ければわかる通り、この上なく大きなテーマに取り組んだ、禁欲というものとおよそ無縁な論文です。私は、30年前の卒論指導のときのことを思い出し、呆れると同時に愉快な気分になりました。つまりは感動してしまったのです。
70歳になられた正岡先生は、お痩せにはなられたものの、色はあいかわらず黒く、ますますエネルギッシュで、備長炭(びんちょうたん)のような方という印象です。
12.28(水)
午前、持病の診察で病院へ。病院は明日から年末年始の休みに入るので、さぞかし混んでいるかと思いきや、それほどでもなかった。山田昌弘『迷走する家族』を1時間ほど読んだところで名前を呼ばれる。診察、検査、会計を終え、院外処方の薬を病院のそばの薬局で出してもらい、「やぶ久」で昼食(すき焼きうどん)をとってから、一旦帰宅し、すぐまた散歩に出る。有隣堂で本と雑誌を購入。
塩野七生『ローマ人の物語ⅩⅣ キリストの勝利』(新潮社)
年に一作ずつの書き下ろしもいよいよ次巻で完結である。
岡田恵和『あいのうた シナリオ集』(日テレ)
ノベライズではなく、シナリオそのままなのがいい。
『世界 総目次1946-2005』(岩波書店)
雑誌『世界』の創刊60周年を記念した総目次(著者別総索引付)。もちろん清水幾太郎研究の資料として。
『考える人』2006年冬号(新潮社)
特集「一九六二年に帰る」を読みたくて。
『10年後の日本』(文春新書)
この手の予測本はあたった試しがないのだが・・・・。
ミュリエル・ジョリヴィエ『移民と現代フランス』(集英社新書)
二文の基礎演習でのグループ発表のテーマと関連しているので。
林香里『「冬ソナ」にハマった私たち』(文春新書)
今年度の卒論で「冬ソナ」をテーマにしたものがあるので。
村木和木『「家族」をつくる 養育里親という生き方』(中公新書ラルク)
来年度の卒論で「養子制度」をテーマにしたものがあるので。
さて、明日は書斎の大掃除。窓際に横積みにされた本や書棚に二重置きにされた本をなんとかしなくてはならない。はたしてちゃんと片付くのだろうか。
12.29(木)
書斎の大掃除を始める。本の整理(しかるべき本をしかるべき場所に配置すること)を始めると大仕事になってしまうので、さしあたり机上の書類、窓際に横積みなっている本、書棚に二重置きになっている本の移動に着手する(ただし後ろの本の背表紙が見える程度の二重置きは許容する)。これが今日の成果だ。昨日の写真と比べるとスッキリしたのがわかるでしょ。で、そこにあった本はどこに移動したのかというと、階下の書庫ではなく、書斎のスチール製の本棚の上にダンボールの上置きを作ってそこに収納した。都会と同じで空間の有効活用のため書棚は高層化するのである。これで書斎の四方の壁面はドアと窓の部分を除いて天井まで本で埋まることになった。5年前、この家を建てるとき、こうした事態を予想して、書斎の壁面と床の強度は他の部屋の数倍に設計してもらった。大工の頭領がびっくりしていたのを覚えている。
12.30(金)
我が家は二世帯同居である。三階建て住宅の一階は私の両親の居住スペース(ただし私の書庫がある)で、二階と三階は私と妻と子供たちの居住スペースである。台所と風呂はそれぞれにあるが、玄関は一つで内階段である。こういう形態の同居のため、日頃、宅配便の対応は一階の母がするのだが、届け先は私か妻であることが多く、母にはそれが不満のタネである(インターホンでは「宅配便で~す」と言うだけで、誰へのものかは言わないし、こちらも一々聞かないから)。今日は門松の件で一悶着あった。妻の父が今年の一月に亡くなったので、私たち夫婦は喪中である。年賀状も出さないし、お節料理も作らない。しかし、私の両親は喪中ではないから、神棚の注連縄を新しいものと交換し、鏡餅も飾っている。それはよいと思う。しかし門松を立てるのは遠慮してもらった。私がそれを言ったのは母が門松を近所の花屋から買ってきて、私にそれを門口に立てるように言ったときだったので、不承不承という感じが母にはあったが、門松を立てて角が立ったのでは洒落にならないと思ったのであろう、門松はなしということでコンセンサスを得た。ところで、この喪中なるもの、何はしていけなくて、何はしてよいのか、なかなか難しい。私が祖父母を亡くしたのは小さな子供の頃であったから、今回が実質的に初めての喪中経験である。インターネットのマナーのサイトを調べても、厳格なものからそうでないものまでかなりの幅があるようである。年越し蕎麦はどうなるのだろうか?
12.31(土)
いましがた紅白歌合戦が終わった。一番印象に残ったのは、モーニング娘。の卒業メンバーたちが登場して、新旧のメンバーが一緒になって踊り歌った『LOVEマシーン』であった。1999年の大ヒット曲であるが、光陰矢の如し、彼女たちは最年少の懐メロ歌手であった。一番インパクトのあった歌はグループ魂の『君に缶ジュースを買ってあげる』だった。歌の上手な歌手はたくさんいたが、阿部サダヲほど一生懸命に歌った歌手はいなかった。彼らは白組の勝利に大きく貢献したと思う。さだまさしの『広島の空』もよかった。「蝉は鳴きつづけていたと彼は言った あんな日にまだ鳴き続けていたと 短い命惜しむように 惜しむように鳴き続けていたと」の部分が秀逸。最後のリフレインは、さだまさしの中に長渕剛が入って歌っているようだった。
2005年を振り返ってみると、職業生活の面では、授業と会議と論文作成でこれまでになく多忙であった。一文の調査実習、二文の基礎演習、大学院の演習、演習はどれも例年以上に熱心な学生が多かった。講義科目が後期から週3コマになり、ずっと続けてきた講義記録の作成は無理になった。新学部関連の会議にはずいぶんと時間とエネルギーを投下した。社会学専修を離れて、文化構想学部の現代人間論系の教員になることに決めたので、何もかも一から考えていかなくてはならなかった。新天地の開拓者のような心境であった。学期中は授業に専念し、長期休暇中に論文を書くというペース配分は維持できた。家庭生活の面では、子供たちが一人前になるのはまだ先であり、その一方で両親とくに父の老いが著しく、下の世代の扶養と上の世代の介護の責任を同時に負ういわゆる「サンドイッチ世代」の真っ直中に自分がいることを痛感した。健康面では、ジムに通って筋力をつけつつ5キロのダイエットにも成功したが、持病の結石で二年連続の入院・手術を経験したので、差し引きゼロであろうか。職場と家庭以外の領域では、読むこと、観ること、聴くこと、歩くこと、食べること、人と会うこと、そして「フィールドノート」を書くこと、いずれも相変わらずの調子でやってきた。いや、やってこれた、というべきか。何よりもそのことを感謝しよう。