8時半、起床。
トースト(はちみつ&オリーブオイル)、スクランブルエッグ、サラダ、牛乳、紅茶の朝食。
ごく自然な感じでチャイがテーブルに上がってくる。おいおい。
猫を招く猫の箸置き。でも、チャイは必ずこれをテーブルの下に落とすのである。私が拾い上げてテーブルの上に置くと、再び落とす。ただし、私が見ている前ではしない。私がいない隙に落とすのである。まるで「私は何もしていません。こいつが勝手に落ちたのですよ」といわんばかりに。
私が椅子から腰を上げると、代わってチャイが座る。おっかっけか。
昨日のブログを書いていると、チャイが書斎にやってくる。誰もいない部屋(居間)に置いておかれることがイヤなのだろう。
8月3日以来、すっかり「チャイのいる生活」になった。
一階の和室と掘炬燵の掃除。
一階と二階のトイレの掃除。
2時を回った頃、昼食を食べに出る。
「プリミエールカフェ」に行く。ここは年末は大晦日まで営業している。
海老ドリアのセットを注文。ドリアは焼き強めでお願いする。
二杯目のコーヒーを飲んでから、ご主人と奥様に「よいお年を」のご挨拶をして店を出る。新年の営業は5日(水)から。
近所の酒屋でお神酒を買って帰る。
本を書庫に運んでいると、ついつい目についた本を手に取って読んでしまう。「あるある」である。
手に取ったのは佐伯彰一『伝記のなかのエロスー奇人・変人・性的人間』(筑摩書房、1990)。「800円」の値札がついているから、どこかの古本屋で購入したものである。冒頭の一篇、「ジェイムズ・ボズエル-伝記作家のエロス」を読む。ボズエルは伝記文学の白眉『ジョンソン伝』の著者として知られるが、同時に、彼の死後に発見され、長い年月の後に出版された赤裸々な日記の著者としても知られている。佐伯の評論は、伝記という他人の人生について書く文章と日記(その長期にわたる集積としての自伝)という自分の人生について書く文章との違いと共通点について論じたもので、一種の「ライフストーリー論」として興味深く読んだが、その内容とは別に、私は佐伯の饒舌な文体に目がいった。
「とにかくケタ外れに面白い人物だったと、最初に申し上げておきたい。好き嫌いはあっても、無関心でやりすごすことは、まず不可能だろう。この人物の姿を現すところ、何らかのドラマが起こらずにはすまなかった。いや、中にはずい分下らないファルスやメロドラマも多かったのではないかと、半畳入れる向きもあるに違いないけれど、この人物の周囲には自ずからドラマがひしめき合っていた気配を、ぼくなどは感じとらずにいられない。天性のドラマ人間、いやいま風にいわせて頂くなら根っからのパフォーマンス人間という所だろうか。」(7頁)
このとき思い出したが、佐伯は庄司薫『赤頭巾ちゃん気をつけて』(1969)の文庫版(1973)の「解説」を書いていた。
「庄司氏の小説の口語体は(中略)あまりに都会的で、いわば甘えっ児の饒舌体には違いないけれど、それが全体としていかにも軽やかに使いこなされている。甘ったれたおしゃべりにも、自己満足の押しつけがましさとならずに、機智とユーモアの余裕があり、遊びとなっている」(187頁)。
引用した部分にはないけれど、佐伯は「解説」の中で自分のことを「ぼく」と書いている。最初、佐伯は庄司の饒舌な文体に影響されているのかと思ったが、佐伯は1922年生まれ、1937年生まれの庄司よりも15歳年長であることを考えると、それは考えにくい。このことを確認するためには、『赤頭巾ちゃん気をつけて』と出会う前の佐伯の文章を読んでみることだろう。
書庫を探すと、講談社版『日本現代文学全集』に『現代文藝評論集』という巻があって、その中に、佐伯の「伝記と分析の間」(1967)という文章が収められていた。ラッキー。
「あるいは、確たる主張や、批評家の立場という問題ではなかったのかも知れない。たんなる個人的な好み、さらには体質的な傾向のせいにすぎなかったかも知れない。ぼくはかねがね伝記的な批評というものが大きらいであった。伝記的な批評というのは、作家の伝記を基軸にして作品を解釈し、位置づけようというやり方であり、しばしば作品の中にまた裏側に伝記的な事実を探し出すことに熱中し、作品は、つまりは作家の個性に至りつくための媒材と見なされがちになる。」(379頁)
引用したのは冒頭の部分である。冒頭で「あるいは」という語を使うのは奇をてらった書き方で、一種の倒置法なのだが、何に対して「あるいは」なのか読者をして面食らわせる。「ぼく」の使用といい、佐伯はすでに饒舌体の文章を書いていた。むしろ庄司薫の方が佐伯の文体の影響を受けていたのかもしれない。『赤頭巾ちゃん気をつけて』がサリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』の影響を受けていることは周知のことだが、アメリカ文学研究の専門家である佐伯がサリンジャーと庄司薫を媒介する役割(アメリカの作家の文体を日本語に変換するための)を果たしていたと考えることは検証してみるに足る仮説ではなかろうか。
だいぶ道草をしてしまった。
今夜収録する予定の放送原稿に手を入れる。
夕食は麻婆茄子、小松菜と玉子の炒め、春雨サラダ、味噌汁、ごはん。
食事をしながら『岸辺露伴は動かない』第4話(録画)を観る。去年の年末からの続編である。
オンデマンド授業「ライフストーリーの社会学」の年明けの講義の収録。パソコンを2台使って、少し凝った収録になる。テイク1はミスをして、テイク2でOK。収録時間は33分48秒。
風呂から出て、今日の日記を付ける。
2時過ぎに就寝。