フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

12月31日(水) 晴れ

2008-12-31 23:59:43 | Weblog
  大晦日である。毎月の最後の日を晦日、最後の月の最後の日を大晦日という。「今日で3月も終わりか」「今日で8月も終わりか」と晦日はそれぞれに感慨深いが、大晦日は1年の終わりでもあるから、感慨もひとしおである。終わりよければすべてよし。大晦日をどう過ごすかは重要である。恋人とのクリスマスイブをどう過ごすかと同じくらい重要である。
  9時半、起床。昨日で大掃除は終わっている。すっきりした書斎は気持ちがいい。とくにドアを入ってデスクのところまで何も踏まずに歩けるのがいい。こんなに気持ちがいいなら、毎月の晦日に大掃除をしてもよいくらいだ。

         

  紀要に載せる原稿の再校をチェックし、ポストに出しがてら散歩に出る。工学院通り商店街にまた一つ空地が出来た。お好み焼きの「サザン」の隣の無残な空地。いつもは唸り声を上げている工事現場のクレーン車たちも今日は静止している。巨神兵の休日。近所のビルの外階段から工事現場の全景を見てみる。かつてここにたくさんの飲み屋があり、簡易旅館があり、煙草屋があり、和菓子屋があり、雀荘があり、ラーメン屋があり、薬局があり、ラブホテルがあり、コンビニがあり、歯科医院があり、美容院があり、工務店があり、ダンス教室があり、とんかつ屋があり、花屋があった。店舗だけでなく、アパートがあり、民家があった。つまり、人々の日々の暮らしがあった。いまは、グランド・ゼロだ。63年前の焼け野原に戻った。歴史の消滅。地上げというのはそういう行為なのだ。

         

         

         

  「テラス・ドルチェ」で昼食(炒飯と珈琲)をとりながら、加藤周一『日本その心とかたち』(徳間書店)を読む。彼の代表作『日本文学史序説』で文学作品を素材として行った日本人の精神史の分析を、美術や建築の分野で展開したものである。加藤周一は今月5日に89歳で亡くなった。哀悼の気持ちを込めて、今年最後の読書はこの本と昨日の夜から決めていた。大部の本なので全部は読めない。終わりの二章、「東京・変わりゆく都市」と「日本の20世紀」を読む。

  「東京という都市の第三の特徴は、都市計画というものの不在である。丸の内や新宿副都心など部分的な計画はあるが、基本的には東京は計画性のないまま自然発生的に拡大する。無秩序な区画の上に高層コンクリート建築が建ち、新幹線が走り、その脇の細い路地には木造平屋の家がひしめいている。このような二つの要素が共存しているのは東京だけのことではないが、東京に特徴的なことである。そこには積極的意味もある。都市がすべて高層建築と碁盤状もしくは放射線状に走る広い道路のみから成っているとすれば、その印象は冷たいものになるだろう。人は路地を歩いて、なにかを発見したり、だれかに出会ったりするものだ。路地には人のぬくもりや生活の匂いがある。それはその街で生きている人間にとって決定的に大事なものだろう。」(264頁)

  「第六の特徴は、変化の速度にある。東京の街は絶えず大きく変化している。その変化の速さは、この街の経済的「ダイナミズム」と、建築が周囲との美的調和という観点からほとんど規制を受けないことに起因している。東京は過去にこだわることなく万事を更新する。新しいもののためには古いものを壊さなければならず、それこそが都市の「進歩」だと考えられているかのようである。・・・(中略)・・・都市景観に持続性がなければ、一世帯の記憶さえも結びつく場所を失う。その意味で、東京は記憶喪失症の都市である。・・・(中略)・・・私たちが心すべきことは、都市の変化の速度がある限度を越えれば、たとえそればよりよい変化であったとしても、市民の心理やその文化の性質に大きな作用を及ぼすに違いないということである。そしてたとえば、進むことを考えて振り返ることを知らない文化の一種の浅薄さ、心理的不安定と神経症の流行が目立ってきたとしても、それはおどろくにはあたらない。すなわち一つの都市としての東京の美的感覚は、経済の活力を示すものではあるが、一方でその消費社会の表層性や近視眼を映してもいるのである。」(265-267頁)

  『日本その心とかたち』の出版は2005年だが、元になっているのは、1987-88年にかけ10回に分けて放送されたNHK特集「日本 その心とかたち」で加藤が話した内容である。バブル崩壊前の、東京のそこかしこで地上げが行われていた時代である。いまのわれわれには「進歩」に対する素朴な信仰はもはやない。明日が今日よりもよくなっているというふうに考える人を見つけることは困難だろう。「進歩」に対する懐疑はしばしば「懐旧」の情を生む。「あの頃はよかった」と。しかし、消費社会のメカニズムはそうした「懐旧」の情さえも商品化しながら、あいかわらず表層的かつ近視眼的に東京という街を変貌させ続けている。
  栄松堂で以下の本を購入し、「カフェドクリエ」で読書の続き。

  フィッツジェラルド『若者はみな悲しい』(光文社古典新釈文庫)
  筒井清忠『西條八十』(中公文庫)
  『ポケットダイアリー(1ページ1日タイプ)』(高橋書店)

  夜、一階の居間の掘り炬燵で「紅白歌合戦」を観る。心に沁みたのは、木山裕策「home」、秋元順子「愛のままで」、いきものがかり「SAKURA」、前川清「東京砂漠」、ジェロ「海雪」、森山直太郎「生きていることが辛いなら」、アンジェラ・アキ「手紙~拝啓十五の君へ~」、平原綾香「ノクターン」、中島美嘉「ORION」、石川さゆり「天城越え」などだが、一番はMr.Children「GIFT」。最初は、どうして別スタジオで歌うのだろう、メインステージで歌えばいいのにと思って聴いていたのだが、スタジオの壁全部(360度)をスクリーンに使った、コロシアム型の観客席を設けた演出が見事だった。白組圧勝の立役者といっていいだろう。「紅白」を観終って、恒例の女塚神社への一家での初詣。冬の星空が、東京にしては、美しかった。

12月30日(火) 晴れ

2008-12-31 03:03:35 | Weblog
  9時半、起床。ハムトーストと紅茶の朝食。今日も暖かな暖かな大掃除日和だ。書斎の床と窓の掃除をする。
  床の掃除といっても、すぐに掃除機が使えるわけではなく、その前に、床のあちこちに置かれている紙袋やダンボール箱を片付けることから始める必要がある。中身は書類の類が大部分だ。その95%は処分して何らさしつかえないものだが、残り5%は保管が必要で、それ故、右から左へ廃棄処分というわけにはいかず、一応、全部に目を通さないとならない。保管すると決めたものについては、分類をして、しかるべき保管場所に納める。一方、95%の方だが、溜め込んでおいて結局捨てるのであれば、最初から処分しておけばよかったのにと思われるかもしれないが、当初は、保管しておく意味があったのだ。その意味が時間の経過とともに減じ、ついに消失したのである。捨てるためには一定の保管期間がどうしても必要だったのである。
  書斎の窓には雨戸がなく、ガラス戸や網戸は適度に雨で洗われているため、掃除は比較的楽である。ただ、隅々まで拭くためには窓の外に出る必要がある。窓の下には傾斜した小さな屋根があり、そこに立ってやるのが一番効率がいい。でも、ちょっと怖い。明日が大晦日という日に屋根から滑り落ちて怪我でもしたら大変だ。慎重に作業をした。ガラス戸と網戸の汚れが落ち、そこに洗濯したレースのカーテンを付けると書斎が明るくなった。このまま散歩に出たい気分だったが、妻に居間と寝室にも掃除機をかけるように言い付かっているので、そうもいかない。冷蔵庫の中の整理に協力して、冷凍の小さなピザを2枚トースターで焼き、インスタントコーヒーで腹に流し込んでから、ミッションにとりかかる。結局、今日は散歩には出なかった。
  夕食はすき焼。毎年、12月30日のわが家の夕食はすき焼と決まっている。妻はこのために午前中に駅ビルの肉屋「ニュークイック」へ100グラム970円の牛肉を1キロ買いに行った。100グラム1000円を切る点が私には少々不満であったが、妻が言うには、これは特売価格であって普段は1000円以上する肉であるらしい。ならばいいかと思っていたら、妻が実際に買ってきたのは100グラム750円の肉であった。は、話が違うじゃないか、と私が詰め寄ると、妻は店頭で見比べてみたら750円の肉の方が美味しそうだったからと答えた。う~ん、本当だろうか。「事件は会議室で起こっているんじゃない。現場で起こっているんだ」と青島刑事は言ったが、購入する牛肉の値段は自宅の居間で両性の合意の下に決定したのであって、現場で勝手に変更してはいけないのである。そこまでの権限は妻にはないはずである。少なくとも携帯電話を使って私の了解を得てからにすべきであった。しかし、いまさら何を言っても後の祭りである。世の中には、ここに来て職を失い、寝る場所も失った人たちがたくさんいるのだ。肉の値段のことで不平を言ったら罰が当たろう。私はそう自分に言い聞かせ、食べごろになった最初の肉の一片を口に運んだ・・・。これが、美味しいのである。100グラム750円の牛肉で十分に美味しいのである。例年食べている100グラム1200円前後の牛肉と比べると、口の中でとろける感触にはやや乏しいものの、十分に甘味があって柔らかな肉である。これなら合格である。期末テストの成績でいえば、「A」をつけてもいい(「A+」に次ぐ成績)。ただし、来年の買出しは私がやろうと思う。

12月29日(月) 晴れ

2008-12-30 02:44:46 | Weblog
  今週は、前半が2008年、後半が2009年、週の途中で年が替わる。いよいよ今年も大詰めである。冬休みというのは夏休みや春休みと違って、長さも短く、また学期の途中にあるので、授業のことは忘れて研究中心の生活というわけにはいかない。年賀状書きや、大掃除や、墓参りや、親戚との付き合いもある。それでも忙中に閑ありで、今年一年を振り返り、来年のプランを考えたりする時間は十分にある。これは私に限ったことではなく、日本中の人がそうなのだ。そこかしこで「よいお年を」の挨拶が交わされる。いまや数少なくなった共同体的感情が街中にあふれている。年末年始の散歩の楽しみはここにある。
  午後、妻にやっておいてねと言われた寝室と居間とダイニングとキッチンの蛍光灯のカヴァーの掃除をすませてから、外出する。自転車に乗って、池上の「甘味あらい」に行く。今年最後の贅沢あんみつを食べる(あとから磯部巻きも)。ちょうど店が混んでいる時間で、唯一空いていたカウンターの一番手前、入り口に近い席に座ったのだが、なんだか足元が冷える。入り口の引き戸から隙間風でも入ってくるのだろうか、それとも側で回っている換気扇のせいだろうか。いったん脱いで椅子の背もたれに掛けたハーフコートを膝掛け代わりにしたが、それでも寒かった。もしかして風邪を引いたのか。支払いを済ませ、店を出て、向かいの「蓮月庵」に飛び込み、きつね蕎麦を注文する。店内には石油ストーブが置かれていて、しばらくその前に立って暖を取る。ああ、暖かい。

         

         

  きつね蕎麦を食べてさらに身体が暖まったので、日暮れ間近の本門寺の境内を散歩する。初詣を前に露店の準備が始まっていたが、人影はまばらで、史上最大の作戦前夜のノルマンディーの海岸のようである。本堂にお参りし、手を合わせる。昨今の社会状況を考えると、「来年もよい年でありますように」とは祈れず、「来年は少しでもよい年になりますように」と祈る。

         

         

         

         

         

  自宅に戻り、自転車を置いて、駅の方へ散歩に出る(駅の周りには駐輪する場所がないのである)。ツタヤでリラクゼーション系のCD(宗次郎、喜多郎、久石譲)を4枚借りる。一泊二日と思ったが、店員が一泊二日の料金で一週間レンタルできますといったので、そうしてもらう。パソコンで文章を書いているときは集中力の妨げになるので音楽はまず聴かないが、フィールドノートの更新をするときは別で、音楽(ただし楽器演奏のみのもの)をよく聴く。有隣堂で以下の本を購入し、「カフェドクリエ」で読む。

  植田正治『小さい伝記』(阪急コミュニケーションズ)
  『カメラピープル みんなのまち』(ピエ・ブックス)
  香山リカ『親子という病』(講談社現代新書)
  橋本治『あなたの苦手な彼女について』(ちくま新書)
  鴨下信一『誰も「戦後」を覚えていない〔昭和30年代編〕』(文春新書)
  『勝間和代 成功を呼ぶ7つの法則』(マガジンハウス)

  夜、来年度の講義要項の作成に着手する。たくさん科目がある上に、今度から全15回の授業のシラバスの作成を求められているので、なかなか大変なのだ。どんなにきっちりとしたものを書いたとしても、授業は生き物だから、決してその通りにはいくはずがなく、たぶんそんなことはみんなわかっているはずなのに、『風のガーデン』のルイの偽の結婚式でルイとバージンロードを歩く貞美のように、わかっていないふりをして、求められるままにシラバスを作成するのである。

12月28日(日) 晴れ

2008-12-29 02:38:58 | Weblog
  今日も晴天で、しかも昨日より暖かい。大掃除日和だ。
  8時、起床。カレー、トースト、牛乳の朝食。フィールドノートの更新をしてから、母の居住空間(一階)の大掃除の手伝い。ガラス戸や網戸の掃除は昨日息子がやったので、今日は台所。換気扇の油汚れを「洗剤革命」という強力な洗剤を使って落とし、ガス台と流し台と周辺のタイル壁の油汚れには「マジックリン」を吹きかけ乾いた布で拭く。新しい注連縄を神棚に飾る。最後に玄関の掃除。靴を玄関の外に出して並べて、玄関に水を撒いて箒で掃き出していると、家の前の道を通る近所の人が玄関先にいた母に向って、「いい息子さんでお幸せですね」と声をかける。親孝行の息子を演じてしまった。倉本聰もびっくりのシナリオどおりの展開である。
  昼食は講習会から帰ったきた妻が買ってきた鮨。昼寝の後、大学関係の書類の作成に取り掛かる。A4判で2枚程度の書類だが、細心の注意を払って作成する必要があり、けっこう骨が折れる。妻が夕食は「鈴文」に食べに行きたいようなことをいう。私は昨日の昼に行って「よいお年を」と挨拶をすませたので、年内はもう行かない。明日の昼までやっているそうだから、息子と二人でいってみたらどうかと言ったら、明日は年内最後のジムに行くつもりだからその前にとんかつは重いとのこと。結局、夕食は牡蠣とウィンナーソーセージのフライになった。私は家で食べるフライの中ではウェインナーソーセージのフライが一番好きである。とんかつや牡蠣フライは外でよく食べるが、ウィンナーソーセージのフライは外では食べない。というか、普通の洋食屋のメニューにはないように思う。家庭の味なのだ。深夜、書類を書き上げ関係者にメールで送る。

12月27日(土) 晴れ

2008-12-28 11:26:03 | Weblog
  8時半、起床。9時に近所の耳鼻科に診察券を出しに行く。すでに前に10人ほどいるということで(これは予想していた)、診察券だけ出して一旦自宅に戻り、朝食をとり、部屋の片付けなどをしてから、1時間後に再び耳鼻科へ。目算を少々誤り、すでに名前を呼ばれていた。少し待ってから、診察室へ。帯状疱疹が疑われた左耳は、外耳道や鼓膜の赤味もだいぶ薄くなっていて、これなら心配いらないでしょうとのこと。元々、帯状疱疹に特有のピリピリした痛みもないので、たぶん単純な外耳炎だったのではないかと思う。月曜日にジムへ行ったとき、シャワーを浴びて(そのとき耳の中によく水が入るのである)すぐに寒い戸外へ出たのが原因ではなかろうか。症状は改善されたものの、例の高額の抗ウィルス剤をあと数日服用するよう処方される(成人の帯状疱疹では7日間の服用がセオリーなのだそうである)。思わぬ散財だ。
  昼食は「鈴文」で。今年のとんかつの食べ納めである。年内の営業は29日のランチまで、新年は3日からとのこと。ご主人に「よいお年を。来年もよろしくお願いします」と挨拶すると、満面の笑みで応えてくれた。8月にご主人の体調不良で閉店となったときは、もう二度と「鈴文」のとんかつを食べることはできないのだと思っていた。望外の幸せというのはこういうことをいうのだろう。
  昼過ぎ、昨日注文した液晶テレビとブルーレイーディスクプレーヤーを届けに電気屋さんがやってきた。店長と2人の店員(一人は店長の息子さん、もう一人は店長の弟さん)でテキパキと搬入、設置の作業を進める。これまで私の書斎のTVに付けていたケーブルテレビのチューナーを新しいTVに付け替えてもらう。いままでリビングにあったTVは1階の母の和室へ。その和室にあったTVは1階のダイニングキッチンへ。店長さんは大変お若くみえるが来年70歳と聞いてびっくりする。60歳前後だと思っていた。同様に、20代後半くらいと思っていた息子さんも37歳と聞いてびっくりした。若く見える家系なのだろう。このあとに行く家はアンテナの設置の作業があり(私の家はケーブルテレビなのでアンテナはない)、それも勾配のきつい滑りやすい屋根なのでいまから緊張していますとのこと。落ちたことはあるのですかと尋ねたら、もし落ちていたらこうして仕事はしていませんと笑っておられた。実際、落ちて亡くなる同業者もいるとのこと。どうぞお気をつけてと見送る。さっそくデジタル放送を観てみる。やはり綺麗だ。アナログ放送も観ることができるが、液晶画面でアナログ放送を観ると従来のTVより画像が荒くなる。わざわざこちらで観る人はいないだろうと思うが、デジタル放送の美しさを再確認するために観るのかもしれない。ツヤタで借りておいた『かもめ食堂』のDVDを観た。液晶テレビ+ブルーレイディスクプレーヤーのシステムで観る最初のDVDだ。映像も綺麗だが、画面の横幅があるので映画らしい感じがするのがいい。
  夕方、DVDの返却がてら散歩に出る。駅ビル西館のパン屋で食パンを、無印良品でスタンドファイルボックス(3個)を購入し、「カフェドクリエ」で一時間ほど読書。メアリー・C・ブリントン『失われた場を探して ロストジェネレーションの社会学』(NTT出版)。筆者はハーバート大学ライシャワー研究所教授で、30年以上にわたって日本社会を研究のフィールドにしている。最近、久しぶりに東京にやってきて、最初は、「意外なことに、なにも変わっていないように見えた」という。しかし・・・、

  「ある訪問先に向かうために東京の地下鉄に乗ったとき、はじめて気づいた。
   なにかがおかしい。
   このとらえどころのない居心地の悪さはなんなのだろう。
   しばらく考えて、ようやく思い当たった。地下鉄の車内がやけに静かなのだ。他愛のないおしゃべりの声も聞こえないし、ほかの乗客と視線が合うこともない。誰も彼もが黙りこくって携帯電話をいじり、ちっぽけな画面を見つめている。最新の携帯電話でゲームに没頭し、自分の世界に入り込んでいるのだろうか。あるいは、同じように静かな電車の中や、混み合った街中やオフィスにいる誰かに、携帯メールを打っているのだろうか。そのどちらにしろ、自分のすぐそばの人たちと人間らしい接触もなく会話もない静まり返った車内の光景に、私は強烈な違和感を覚えた。
  ここには「場」がない。
  周囲の空間や人々との結びつきがない。
  とても奇異な感じがした。
  「それがどうした」と言われるかもしれない。たしかに、まわりの空間や人間との深い結びつきを失いつつあるのは、日本人だけではない。東京の声なき地下鉄で私が感じた違和感は、世界中で起きている現象の一つのシンボルにすぎない。私たちは、テクノロジーを介してほかの人と結びつくようになって、足元や周囲の現実と結びつきをなくしはじめているように見える。
  しかし日本の社会にとっての「場」の喪失は、アメリカやその他の先進国とはまったく違う意味をもっている。・・・(中略)・・・日本の社会では、学校や職場、家庭生活などの安定した「場」に属することが人々のアイデンティティーや経済的な成功、心理的な充足感の源泉としてきわめて重要な意味をもってきた。日本人にとって、「場」の喪失がもつ意味は大きい。」(6-8頁)

  社会学の用語で、人が学校・職場・家庭・地域社会といった集団から離脱していく、あるいは排除されていく過程を「個人化」と呼ぶ。この個人化という現象は、不登校や学級崩壊の広がり、失業者や非正規雇用者の増加、未婚率や離婚率の上昇、町内会・自治会の機能低下という形で現われているが、子どもから大人の世界へ移行途中の若者たちにとって、とくに深刻な影響があるとブリントンは考える。日本人の人生というものは、高度成長期を中心として、「場」から「場」への移行として標準化(パターン化)されていたが(卒業→就職→結婚→子どもの誕生)、近年、その仕組みが崩れることによって、経済的な面だけでなく、心理的な面においても人々は不安にさらされている。ブリントンが焦点をあてている「ロストジェネレーション」とは、日本社会の仕組みが大きく変化した1990年代に子どもから大人への移行の途上にあった世代(現在、20代後半から30代後半の世代)のことであり、彼らは寄る辺なき漂流者である。まったく新しい社会環境の中で、彼らが如何に悪戦苦闘しているか、如何に適応しようとしているか、そして彼らのために(=それはわれわれのためにでもある)どのような政策が必要で有効なのかをブリントンは論じている。ゼミで取り上げる文献のリストに加えることにしよう。

              
                       町の電気屋さん