7時45分、起床。
一階の雨戸を開けると、チャイが出窓のところに座った。「これでよろいですか?」
チーズトースト、目玉焼き、ソーセージ、サラダ、牛乳、珈琲の朝食。
本日の朝ドラ。航一の娘が怒鳴り、泣き、心を開く。連鎖反応で義母も真情を吐露した。これで星家の問題は解決した。
最近、必要があって清水幾太郎『社会的人間論』を読み返したのだが、その中で、家族集団についてこんなことが書かれていた。
「家族集団の内部にある暗さが存在する場合、それがいかに微妙なものであっても子供に影響せぬことはまれであると言わねばならぬ。(中略)一般に他の人間の内部を洞察することができず、あるいは逆に他の人間によって自己の内部を理解されぬ場合の苦悩が問題になるにもかかわらず、真に深い苦悩は相互にその内部を理解しうる場合に生じるものである。他の人間の内部が明らかに洞察されかつそこに自己の欲求とは反対の動きが見られ、しかも強い愛情をもってこの人間と結びつけられている時、他の人間の内部は自己に対して環境としての重圧を帯びてくることを避けえない」。
社会学者ジンメルを彷彿とさせる哲学的な文体であるが、考察の内容は田山花袋が『生』三部作で描いたような家族の重く暗い側面である。家族は卑近と言えばこれ以上ないほど卑近なものであるが、人生問題の大半はここに発するのである。
卒論の参考文献として大学3年生の頃に読み、そのときの書き込みの残っている角川文庫版で読み返したのだが、活字が小さい小さい。よくこんな小さな字を読んでいたものである。
1時を回った頃、昼食を食べに出る。
下丸子の「喜楽亭」に行くことにする。月イチで行っているのだが、今月はまだ行っていない。
ホームに置かれている東急沿線情報誌『SALUS』の最新号を手に取る。
下丸子に住んでいる人や職場のある人で駅の改札の横のこの建物を知らない人はいないだろう。でも、「喜楽亭」の暖簾をくぐったことのある人は少ないだろう。レトロというよりも廃屋の雰囲気が漂っているからだ(笑)。
注文をしてからテーブルの上で『SALUS』を開く。「沿線街さんぽ」のコーナーは大井町線の「上野毛・等々力」だった。6月に卒業生のユリカさん(with長女ホノカちゃん)とカフェ巡りをした街である。
いつものチキンカツ定食(1100円)。
いつものようにご主人とおしゃべりをしながら食べる。
普通の食堂なら30分ほどで店を出るところだが、「おしゃべり食堂」なので滞在時間は1時間。私にとってはカフェみたいな食堂である。
蒲田に戻って、今日が今季のピーチメルバの提供される最後の日である「まやんち」に顔を出してみようかとも考えたが(予約はしていないのでベンチに座って待つことになるだろう)、駅の構内で売っている「梅園」のあんみつを2つ買って帰ることにした。
台風の直接の影響ではないが、雨模様の空である。
昼寝をしていた妻に声をかけて、あんみつを食べる。「ピーチメルバを一人で食べるより、あんみつを二人で食べる方がいいかなと思って」というと、妻は涙ぐんだ(嘘です)。「私も家族の一員ですよ」とチャイがテーブルの上に上がって来た。
あんみつは「組み立て式」である。
チャイは黒蜜の容器をなめている。
夕刊の一面が再び「金」の記事になった。パラリンピックが開幕したのだ。
夕食はカツオのたたき、玉子豆腐、豚汁、ごはん。
戻りカツオの季節になった。
食事をしながら『新宿野戦病院』第9話(録画)を観る。聖まごころ病院ではめったにしないカンファレンスで、各医師が担当したケースが報告されるという形式の回だった。「戦士たちの休息」のひと時という雰囲気であったが、ドラマの最後で時代が「2025年」に飛び、新たな感染症(コロナよりも恐ろしいルミナ)が日本を襲う日々が描かれることが予告される。新宿で「ルミナ」ですか。そのネーミング、大丈夫なの?(笑)
原稿は一頁(A4)進んだ。明日で第二章が書き終わるだろう(だといいな)。
風呂から出て、今日の日記は付けず(それをしていると2時を回りそうだったので)、寝ることにした。
1時50分、就寝。