8時半、起床。
ハムトーストと牛乳の朝食。
紅茶は昨日のブログを書きながら。
大掃除の今日のミッションは一階の掘り炬燵の掃除。20年近く前、この家を建てたとき、母が大いに喜んだ掘り炬燵である。
天板を外す。
枠組みも外す。
すのこも外す。ヒーターが2台、むき出しになる。ほこり、落下物、蜘蛛の巣も張っている。全部きれいにする。
掃除完了。見た目はビフォーとアフターも同じである。
家を出るとき、レターパックが届いた。学文社で『社会学年誌』のゲラが送られてきたbのだ。いつものことだが、年末ぎりぎりまで(おそらく社長は年末年始も)お仕事をされているのだ。そのまま鞄に入れて出かける。
下丸子の「喜楽亭」に昼食を食べに行く。月イチのペースで今日が今年最後の訪問だ。
チキンカツ定食。今年はこれ以外のものを注文しなかった。
トンカツソースをかけて食べる。(とんかつ専門店でロースカツを食べるときのように、塩→醤油→ソースという細かい段取りはチキンカツの場合は不要)
大根と厚揚げの煮物。定食の名脇役だ。
香の物。奈良漬け、たくさん、はくさいの三種盛り。心強いご飯の友である。
レタスと水菜のサラダ。健康への配慮が感じられる。
味噌汁。何からを箸をつけるかは自由だが、普通はまず味噌汁を一口飲む。それが「美味しい」と思えることはよい定食の必須条件である。
ご飯は軽めでおねがいした。
ご主人に「よいお年を」のご挨拶をして、店を出る。
多摩川線、東横線、井の頭線を乗り継いで下北沢へ。今日はここで卒業生のサワチさん(論系ゼミ7期生)の出演する芝居があるのだ。
会場まで1時間ほどあるので、カフェでゲラの校正作業をしようと商店街を歩く。
若者が多い街である。
住みたいとは思わないけれど、たまに訪れるには(たいてい観劇のためだが)楽しそうな街である。
「これ以上可愛くなってもいいですか」ですと。化粧品の広告かと思ったらプリクラの宣伝だった。「いいとも」。
「完全閉店」ですと。ウソっぽい感じがぬぐえない。
商店街をしばらく歩いて、いい感じのカフェを見つけた。 『孤独のグルメ』の井之頭五郎がよい飲食店を見つけ出す触覚をもっているように、私は自分好みのカフェを見つけ出す触覚をもっている。
「カフェ・トロワ・シャンブル」。ネーミングからしていい。
ほとんど満席だったが、カウンター席の端っこが空いていて(いま空いたのかもしれない)そこに案内される。コーヒーを注文して、さっそくゲラを広げる。7月の早稲田社会学会大会のシンポジウム『社会学研究と社会学教育』で報告した「大学生が社会学と出会うとき」に加筆したもので、3月に刊行される『社会学年誌』60号に掲載される予定の原稿である。
「です・ます調になっていますが、よろしいですか?」と編集者からの伝言メモがある。それは意図的にやっていることで、口頭報告のときの臨場感を生かしたいと思ったのである。機械的に「である調」に変換することはできないことはないが、文体と内容とは密接に結びついているので、内容はそのままに文体(文末)だけ換えると違和感が大きくなる。今回はこのままで。
ブレンドコーヒーを注文したとき「渋みの強いものと弱いもの、どちらがよろしいですか?」と聞かれた。深煎りか浅煎りかということであろう。浅煎りでお願いした。
18ページのうちの13ページまで校正したところで時間となる。あとは家に帰ってからだ。
開演15分前に劇場(OFF・OFFシアター)に着くと階段に列が出来ていた。列に並んでいると、サワチさんのご両親もいらしていて、挨拶をされる。
なかないで、毒きのこちゃん 鳥の市2018(華子短篇リバイバル公園)
劇場に入ると、登場する役者が3名、舞台上にすでにあがっていて、開演前の小芝居をやっている。サワチさんは青いウィンドブレーカーに白いヘルメットをかぶっていて自転車通学の高校生みたいに見えた。オドオドした表情で、地味~な印象である。
やがて芝居『夢みるあの子はまだおうちでロンリーガール』が始まった。古着屋という設定のようで、雇われ店長とおぼしき大人の女性(25歳くらい)がアルバイト希望の2人の女子高生に接客の仕方について教えている。サワチさんじゃない方の女子高生がそのやり方に不満気で、自分ならこんなふうにやるというのをやってみせる。そこに3人目の女子高生が店に入ってくる。サワチさんに呼ばれたらしい。この子が小柄ながら迫力満点のスケ番で、怖いこと、怖いこと。お店の3人だけでなく、観ているこっちまでビビってしまう。こんな子がゼミに入ってきたらいやだなあと、ありえないことまで考えてしまう。ホント、うちのゼミはいい子ばかりだ。
そのスケ番が散々3人を罵倒してから、店を出て行こうとしたとき、いままで一言も発しなかったサワチさんが、まるでタックルでもするようにその子の足にしがみついて、「いらっしゃいませ~」と絞り出すような声で言った。意表を突かれて床に倒れ込むスケ番。「何すんだ、この野郎」とサワチさんを振り払って、再び出て行こうとするも、サワチさんは再びタックルをして「いらっしゃいませ~」と唸る。まるで「貞子」だ。怖い。スケ番も怖いが、こっちの方がもっと怖い。ゼミにこんな子がいたのかと思うと、冷や汗が出る。根負けしたスケ番は半べそを掻きながら「釣りはいらないから」と5千円札を投げつけて古着を持って逃げ出すように店を出て行った。
店長と同級生がサワチさん(役名は鈴木みみ)に「みみちゃんすごい!」と駆け寄る。ここからサワチさんの長い台詞が始まる。自分が引きこもりだったこと。でも、お母さんが死んで、ここままではだめだと思い、お母さんが経営者だったこの古着屋でお母さんが買い集めた古着を自分がちゃんと売らくちゃと決意したこと。自分が引きこもりをやめなければ、お母さんはお父さんに会えない(成仏できない)からと。
エンディングはサワチさんが歌う「ロンリーガール」という歌に合わせて(上手いような下手なような、にわかには判別しにく歌唱である)、店長と同級生がラップで台詞を語りながら照明が消えた。
この後、照明がついて、役者4人がそろって「ありがとうございました」の挨拶。スケ番役の子は一転してかわいい子になっていたので、驚いた。これもある意味、怖いと思った。
役者が舞台からはけて、この後サワチさんと話でもしようと思っていたら、前説みたいな感じの女性が舞台に出てきて、しゃべり始めた。しかし、それは前説ではなく、『さよならはじめましてちゃん』という独り芝居の始まりだった。サワチさんから公演時間は60分と聞いていたので、早く終わったなと思っていたのだが、それは私の勘違いで、『夢みるあの子はまだおうちでロンリーガール』と『さよならはじめましてちゃん』がセットでひとつのセクションになっていたのだ(公演全体としては6セクションで構成されている)。
その一人芝居は、不幸なおいたちとの女の子が、愛する男性とめぐりあって、彼の子どもを妊娠し、これから幸せな家庭をつくっていくことを夢に観ながら、妊娠の報告を彼氏に電話でしたところ、何かショッキングな一言を言われた。それがどんな一言なのかはわからない。ただ彼女がスマホを耳に当てたまま凍りつく場面の後に、彼女が幸せな家庭の物語(それは実現することなく消えたものだ)を延々と、彼女の未亡人として過ごす晩年まで続く物語として語られるという、悲しく、そして怖い芝居なのである。
今日、舞台に登場した女性たちは、みな、そろいもそろって、本当に怖かった。
『さようならはじめましたちゃん』が終わって、やれやれ怖かったな(でも、面白かったな)と立ちあがろうとすると、「大久保先生!」と観客の一人に声を掛けられる。サワチさんとゼミ同期のカナミさんであった。彼女もサワチさんの芝居を観に来ていたのだ。どこかでお茶でもということになり、さきほどの「トロア・シャンブル」にもう一度行く。
カナミさんは最初のコンサルの会社を1年で辞めて、いまは映像製作の会社で働いている。水を得た魚のようである。
今夜はこれから早稲田でアルバイトをしていたお店の仲間と忘年会だそうだ。じゃあ、飲み物だけにしておきましょう。
私がロイヤルミルクティーを注文すると彼女もそれにのった。
仕事柄、モデルの女の子の撮影現場にも立ち会うことがよくあるそうで、「ポージングは得意なんです」と言った。
でも、やっぱり照れくさいようだ。明日はゼミ同期の何人かと会うという。みんなによろしくね。
先ほど満席だった店は、ずいぶんと空いていた。5時半を回って、もうお茶の時間ではなくなっているのだろう。おかげで店内の様子を写真に撮ることができる。ね、いい雰囲気のカフェでしょ。
井の頭線の渋谷駅の改札を出たところからハチ公前のスクランブル交差点を眺める。
7時半、帰宅。
夕食は春巻き、サラダ(炒り卵)、取肉団子と野菜のスープ、ご飯。
スープの色がずいぶんと濃いのは黒人参を煮込んだため。味そのものは見た目ほど濃くはない。
深夜、ゲラの校正作業。
3時半、就寝。