フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

12月30日(土) 晴れ (後篇)

2017-12-31 23:39:31 | Weblog

(承前)

3時に「SKIPA」に戻る。いよいよ、お別れの時が近づいてきた。

「SKIPA」が開店したのは、7年前(2010年)の10月18日だったが、私が初めて「SKIPA」を訪れたのは、それから2年後の2012年9月30日のことだった。そのときのブログは→こちら(いま、読み返してみて、とても幸福な出会だった)

それから何回この店を訪れたかはわからない。ブログを根気よく読み返せばわかるだろうが、大変な回数だと思う。その回数をNとすれば、これがN+1回目の訪問である。

私が「SKIPA」の写真をカメラに収めているところへ卒業生のユミさん(論系ゼミ1期生)がやってきた。

 

私と一緒に「SKIPA」のフィナーレに立ち合いたいと駆け付けて来てくれたのである。

宙太さんにお土産を渡す。

私はアイスチャイ(本日2杯目だが、ランチのときはセットの小さいカップだった)、彼女はホットチャイを注文。 

ユミさんとは今年だけで9回会っている。4月から早稲田大学の職員になったので昼休や仕事終わりに気軽に会えるようになったからであるが、論系ゼミ1期生ということもあり、(数えたことはないが)トータルでも間違いなく一番会っている。宙太さん、のんちゃんとも懇意にしており、仕事収めの後の3日間のどこかで一人でも来ようと思っていたそうである。

飲み物のお替りをのんちゃんにお願いする。

 

2人ともホットシークワーサーを注文。夏にアイスで飲むことが多かったが、冬にホットで飲むのもいい。これがここでの最後の飲み物になる。

彼女にとって今年は4年に1度の沈み込みの年であったそうだが(そういうサイクルが存在するらしい)、それも残すところ明日一日、最後は明るく〆ましょう。しかも、先日、友人と一緒に見てもらった占いによると、来年は最高の年になるらしい。

 さて、名残は尽きないが、お別れれのときである。4人で記念の写真を撮る。「隊長さん」(常連客のお一人)いい写真をありがとうございます。また、会いましょう。(実際、宙太さんとは新年早々カフェの約束をした。宙太さんファンのブログ読者の方、お楽しみに)。

さようなら、「SKIPA」。

夕食はわが家恒例のすき焼き。(私の誕生日と12月30日は「すき焼きの日」と決まっている)。

うん、いい肉です。

いただきます。

う、うまい。

デザートはカナエさんにいただいた「シュガーバター」と、

 

ユミさんにいただいた「来福焼き」。

1時、就寝。


12月30日(土) 晴れ (前篇)

2017-12-31 17:09:37 | Weblog

8時、起床。

トースト、クリームシチュー、サラダ、紅茶の朝食。

今日も晴天。そして「SKIPA」最後の日だ。

10時半過ぎに家を出て、神楽坂へ。

週末ではあるが、12月30日の東京駅周辺は普段よりずっと人出は少ない。

地下鉄東西線大手町ホーム。

11時半に神楽坂駅で卒業生のカナエさん(論系ゼミ6期生として入って、留学のため、卒業は1年遅れて7期生と一緒)と待ち合わせて、「SKIPA」へ。

彼女は大阪で働いている。昨夜、飛行機で東京に帰ってきた。今朝、「おはよう。体調はいいですか?」とラインをしたら、1時間以上たってから「おはようございます!体調はばっちりです」と返信があった。彼女の実家は神楽坂の2つ隣の九段下なので、きっとぎりぎりまで寝ていたのだろう。お疲れ様です。

「SKIPA」の食事メニューは定食とチキンカレーの2種のみ。「SKIPA」での最後の食事だ、より「SKIPA」らしい定食を注文する。彼女は「SKIPA」は初めてだが、私のブログを通して「SKIPA」についてはよく知っている。彼女も迷わず定食を注文した。

 本日の定食の主菜は筑前煮だ。ゆっくりと、味わいながらいただく。

食後はアイスチャイ。定食にしろチキンカレーにしろ、食後の飲み物はいつもアイスチャイだった。

彼女はホットチャイ。

店は開店時間(11時半)から15分ほど過ぎたころには満席になった。みんな「SKIPA」の閉店を惜しむ客ばかりだった。外で待っている客もいるので、あまり長居をせずに店を出る。(私は後でもう一度やってくることになっているので)

3週間ほど前、彼女とはゼミ同期のセツカさんが私と会って婚約報告をして、その後ここで幸せいっぱいのポートレートを撮った白銀公園。

彼女がここでセツカさんのようなポートレートを撮るのはまだ先の話だ(と思う)。彼女がしたのは「グリコ」のポーズ。江崎グリコは大阪に本社がある。

暖かいのでコートを脱いで(この白いセーターは妹さんのを借りてきたそうだ=実家には彼女の衣装は残っていないのだ)、

「セツカ、おめでとう!」

家庭志向の強い彼女にとって、セツカさんの婚約は大きな刺激であったようである。「でも、私は結婚は遅いと思います」と彼女は言う。結婚するためにはたんに交際相手がいるだけでは不十分で、「この人となら!」という確信が必要だが、自分にはそういう確信がどうしたらできるのか自信がないのだと彼女はいう。なるほど。それはわかる気がする。確信がないままに「とりあえず結婚してみよう」というわけにはいかないだろう。しかし、「本当にこの人でいいのか?」という自問自答は、「そうだ」「いや、違う」「いや、やっぱりそうだ」「いや、いや、違う」というループに陥りやすい、配偶者選択に限らず、現代人は重要な選択、決断を前にして、こうした自問自答のループからなかなか抜け出せないのである。

 「さあ、早稲田に行きましょう」と彼女にうながされて公園をあとにする。

地下鉄で一駅乗って、「カフェゴト―」へ行く。「カフェゴト―」が今日まで営業していることはわかっていた。入口を入って左側の窓際の大きなテーブルが空いていたのでそこに座る。明るくていい席だ。新年の句会はこの席を予約してある。

ショーケースにあまり見たことのないケーキがある。この満月のようなケーキは、もしかして・・・レアチーズケーキ?

「カフェゴト―」といえばベイクドチーズケーキが有名だが、レアチーズケーキも作るんですね。お店の方によると、「今日来る予定のお客さんからリクエストがあったので、久しぶりに作りました」とのこと。レアものらしい(笑)。それは注文しなきゃ。

 レアチーズと、彼女のリクエストの木苺のクリームチーズタルトをハーフ&ハーフで。飲み物は二人ともシナモンミルクティー。

レアチーズはババロアのような上品な食感だった。木苺のクリームチーズタルトは甘酸っぱくて濃厚だった。いい組み合わせだ。

彼女はこれでグランドスラム(「phono kafe」「まやんち」「SKIPA」「カフェゴト―」の主要4カフェ制覇)を達成した。実は、卒業した年の内にグランドスラムを達成したのは彼女が初めてである。これまでの最短記録はスーパーグランドスラムの最短記録保持者であるミサキさん(論系ゼミ6期生)の1年1か月であるから、カナエさんの9か月はこれを大幅に更新した。それも9月16日(「まやんち」と「phno kafe」)と今日の2日間でである。実に効率的である(笑)。大阪在住の彼女がグランドスラムの最短記録を更新するとは考えてもいなかった。ダークホースであった。

この勢いにのって、スーパーグランドスラムの最短記録(1年10カ月)も更新する可能性が出てきた。問題は東京に来る機会がどれだけあるかである。

このところ6期生には驚かされてばかりいるが、次に会うときに、彼女からどんな話を聞くことになるか、楽しみに待ちたいと思う。

彼女はこの後、渋谷へ。私は再び「SKIPA」へ。(つづく) 


12月29日(金) 晴れ

2017-12-30 22:04:13 | Weblog

9時、起床。

トースト、サラダ、牛乳、紅茶の朝食。

不定型の封筒を買いに100均へ行ったついでに購入した水性カラーペン12色セット。これが100円とは驚いた。実は同じメーカーで18色セットもあって、それもやはり100円だったのだが(ケースの強度が劣る)、いくらなんでもカラーペン18本で100円というのは罰があたるような気がして、購入しなかった。なぜそんな気がするのかといえば、商品の背後にはそれを生産する人間の労働力があり、労働力もまた商品であるから、安い商品は安い労働力がなければ作れないわけで、それは労働力の提供者である労働者の尊厳を貶めるような気がするのである(私の誤解であったほしいが)。100円ショップには楽しさと、驚きと、そしていくらかの憂鬱がある。

 12本で100円の水性カラーペンの性能はいかに、と帰宅してさっそく試し描きをしてみたが、悪くなかった。悪い商品であれば、「100円だからしょうがない」と思えるのだが、よい商品なので「これが100円でいいのか」という思いがさらにつのる。

 ついでに無印良品をのぞいてファイルボックスの前面に装着するタイプのペン立てを見つけて購入。

 こうして使う。価格は150円。100均ショップの後では、これがえらく贅沢品に思えて、やはり罰があたるような気がする。

 玄関先の陽だまりではそんな私の気持ちも知らずにナツが昼寝をしている。

 郵便局に郵便(小物)を出しに行く。窓口の女性に「一般の郵便はいま配達が遅れていますが、よろしいですか」と聞かれる。「どの程度遅れるのですか?」と質問すると、「どのくらい遅れるのかもわからない状況です」という。あらま。でも、出すほかはない。CMに「嵐」を起用して「年賀状を出そう」キャンペーンをするのはよいが、そのために一般の郵便が滞るのは迷惑である。そちらに支障が出ないような体制で臨んでもらいたいものである。

昼食は広島菜を使ったチャーハン。

一階の台所の掃除は私の担当である。流しを磨く。新品同様ピカピカにする。(実は母が亡くなってからは利用頻度が低く、それほど汚れていないのである)。 

 今日もあっという間に夕方である。

 夕食はクリームシチュー(ライス)とサラダ。

今夜、名古屋から息子が変えて来たのだが、クリームシチューは息子の好物なのである。

 デザートはリンゴ。

一階の掘り炬燵の上を占拠していた本や雑誌の整理がようやく終わる(一部は書斎に戻し、大部分は書庫のしかるべき場所に移動した)。これで正月が迎えられる。元旦の食事はここでするのである。 

2時、就寝。


12月28日(木) 晴れ

2017-12-29 15:55:43 | Weblog

9時、起床。

トースト、ベーコン&エッグ、サラダ、牛乳、紅茶の朝食。

門扉に門松を飾ってから家を出る。周囲の家はまだ門松を飾っていない。明日は29日だから(「9」=「苦」)避けるべきとされ、31日も「一夜飾り」はよろしくないと言われているから、今日か明後日(30日)ということになるはずだが、30日に飾る家が多いのだろうか。

今日も快晴。でも、大晦日は雨が降るらしい。どの程度の雨なのかわからないが、大晦日の雨は珍しいのではないだろうか。

昼食は大井町の「丸八」に食べに行く。

時間は3時に近かったが、客は多かった。あの話し好きの若旦那が黙々と(というほどではないが)せっせとカツを揚げている。

カツサンドを注文して(いま食べる分とお土産にする分)しばらく待つ。

カツサンドを食べるときはコカコーラである(ビールが飲める人はビールがよいでしょう)。

キャベツの漬物。

カツサンド(1200円)。作りたてをカウンターでいただくカツサンド。美味しいに決まっています。

肉はロース。ソースはカツを切る前にカツ全体に刷毛で塗る。パンは近所のパン屋でカツサンド用にしっかりしたパン(ふわふわでないもの)を仕入れている。カツの衣とパンをソースがピタッと接着しているが、決してパンがぐっしょりすることはない。カウンターの客はほとんどがとんかつ定食を食べいるが、一人二人カツサンドを食べている客がいる。カツサンドのファンなのだろう。一人の女性はカツサンドと一緒に野菜サラダも注文していた。エレガントだ。次にカツサンドを注文するときは私も真似してみよう。

お土産にしてもらったカツサンドを持って、食後のコーヒーを「pottery」に飲みに行く。

いつだったか「pottery」のマダムに大井町の駅周辺でおススメの食事は何ですかと聞いたとき、「永楽」のワンタンメンと「丸八」のカツサンドと即答したのを覚えていた。ワンタンメンはもってこられないから、カツサンドにしたわけである。「これ、お土産です」と手渡すとマダムの顔をほころんだ。「いま、食べていらしたの?」「はい、食後のコーヒーを飲みに来ました」本当は「pottery」のコーヒーを飲みながらカツサンドを食べたいのだが、そういうわけにはいくまい。

「poterry」は年内は30日まで、新年は4日から営業。休みは大晦日と三が日の4日間ですか。「勤勉ですね」と私が言うと、「猫と一緒に家にいてもすることありませんから。4日間も休めば十分です」とマダムは言った。30年近く前、この店の開店準備をしているときにご主人を亡くされ、お子さんはいらしゃらない。この店がマダムの居場所なのだろう。

「よいお年を」の挨拶をして店を出る。これでいきつけの店にはひとわたり挨拶をすませたことになる。何をもって「いきつけの店」というかは人さまざまだろうが、私の場合、「年末年始の挨拶をしに行く店」というのがそれに当たる。だから12月の下旬と1月の上旬はけっこう忙しい。

蒲田に戻り「ビクトリア」でウォーキングシューズを購入。数か月前に同じモデルの茶を買って、履き心地がよかったので、今度は黒を購入した。

床屋に行く。年末だけあって普段より混んでいたが、ご主人のいうには「昔ほど新年を迎える前に散髪に来る人は少なくなりましたね」とのことである。そうなのか。

散髪をして、新しい靴を買って、「頭のてっぺんから足の爪先まで」リフレッシュしたといいいたところだが、実際は「頭のてっぺんと足の爪先だけ」リフレッシュしたのである(途中はそのまま)。それでも気分はいい。

帰宅して、茶色の靴を磨く。実は爪先の部分をアスファルトで擦ってしまって皮の表面が剥けてしまって、近所の靴屋「シューズよつや」に修理をお願いしにいったところ、「クリームを塗って磨けば目立たなくなりますよ」と奥様に言われ、コーヒー色のクリームを一本買ってきたのである。そのとき奥様は「若い方は靴を磨くというのを本当にしなくなりましたね」と嘆いていた。そういえば私の父は趣味なのではないかと思うほどしょっちゅう靴を磨いていた。父の靴はいつもピカピカでクリームの匂いがしていた。久しぶりで靴を磨いていて思ったのだが、靴を磨くというのはなかなかいいものである。靴を磨いているときというのはそれに集中して雑念がなくなるように思う。一種の精神修養になるのではないだろうか。

夕食は、妻が大掃除で忙しそうだったので、「マーボ屋」に食べ行く。

野菜サラダ。

海老マヨ。

酢豚(黒酢)。

四川風麻婆豆腐(ハーフサイズ)。

 「マーボ屋」が家の近所に開店したことは、間違いなく、今年のよいニュースの一つだった。

2時、就寝。


12月27日(水) 晴れ

2017-12-28 13:17:08 | Weblog

9時、起床。

トースト、目玉焼き、サラダ(+ウィンナー)、牛乳、紅茶の朝食。

昼食は近所のラーメン屋「狐狸丸」で。

鯛ラーメンの塩・淡麗、味玉付。妻は鯛ラーメンの醤油。濃厚・味玉付。スープには塩と醤油の二種あり、さらにスープの濃度に淡麗と濃厚があるが、私は塩&淡麗しか注文したことがない。一番最初に来店したとき店長さんから「鯛ラーメンの旨さを味わっていただくには塩&淡麗が一番です」と言われたからである。では、なぜ醤油スープや濃厚スープが存在するのかといえば、客個人の好みの多様性を考慮してということだろう。単一メニューでやっていくのは難しい時代なのだ。

イベリコ豚の肩ロースを使ったチャーシューは別皿で出てくる。シャブシャブのように箸でスープに浸して(あまり加熱しないで)食べてくださいということである。

店を出て、妻は真っ直ぐ帰宅。私は買い物がてら散歩。

白い雲が光を受けて輝いている。先日、いただきもののお礼の電話を新潟の親戚にしたときに、「こちらは雪か曇り日ばかりです。東京の冬はいいですね」と言われた。確かにその通りだと思う。子供たちが小学生だった頃、毎年、新潟のスキー場に出かけていたが、列車が清水トンネルを抜けると「雪国」で、それまでの青空が一転して曇天になっていることにいつも新鮮な驚きを覚えたものである。スキーを楽しむ非日常の数日間ならいいが、日常的にあの曇天の下で暮らすことを考えると陰鬱な気分になる。雪国の人たちにとって春の訪れはわれわれより何倍も素晴らしいものなのだろう。

呑川の橋の上で私と同じように写真を撮っている人がいた。私の家のご近所のAさんだった。すでに定年退職をされているが大学で「風景」の研究をされていた方である。聞くと、毎日、散歩をしながら呑川周辺の写真をとっていらっしゃるそうである。呑川についての話を聞かせていただく。 

このあたりは呑川が蛇行しているせいだろう、一番水が汚れている場所で、上流や下流はここより水がきれいだそうである。上流、つまり池上の方が水がきれいなことは知っていたが(よく散歩するので)、下流もそうだとはしらなかった。

呑川の源流は落合の浄水場で、そのためふつうの川よりも水温が高いそうである。「暖かいんですか?」と私が聞くと、「温泉みたなわけにはいきませんけどね」とAさんは笑った。

住宅街の中にある西蒲田一郵便局で返信用に年賀状(インクジェット)を10枚追加購入する。ミッキーの図柄のものにした。170枚中の10枚であるから、もしミッキーの図柄のもので私から返信が届いたら、「今年はいいことがある」と思って下さい(笑)。

花屋で注連縄、お榊、門松、仏花を購入。

「あるす」に顔を出す。私が本日初めての客だったようだ。あと30分ほどで3時(閉店時間)だったから、「今日は誰もいらっしゃらないのかしら」と奥様は思っていたようである。

モカを「濃いめでお願いします」と注文。

コーヒーと一緒にのど飴が出てきた。

コーヒーを飲み終える頃にホットミルクが出てきた。残っていてコーヒーを加えてカフェオレ風にする。

さらにホットミルクを飲み終えるころにトーストしたロールパン(バター片とレーズン入り)が出てきた。すでに時間は3時半になろうとしていたが、どうも奥様は私に帰ってほしくないようである。女性にそう言われたら(実際に言われてはいませんが)、席を立つわけにはいかない。もうしばらくおしゃべりをした。

「よいお年を」というご挨拶は配偶者を失くされた方にも言っていいものなのだろうか。瞬時に判断できなかったので、「では、失礼いたします。お風邪を召しませんように」と挨拶をして店を出る。

店を出るとき奥様がお庭の寒椿を切って持たせてくださった。

帰宅するとポストに「呑川講座」のパンフレットが入っていた。Aさんがさっそく入れて下さったのだ。

ベランダにいたナツが室内に入ろうかどうしようか(まだ空は明るいしな・・・)逡巡している。

結局、入ってきて、私に付いて二階の書斎までやってきた。「来ちゃいました!」

しばらく机の下で私の足にじゃれついていた。書斎は床暖房が入っているので、猫にはすこぶる居心地がいいのだ。

本人はじゃれついているつもりでも、爪が伸びているので、靴下の上からでも「イテテテ!」となる。

そんなことをしているうちに早くも夕方である。

東南の中空に半月が出ている。

今日は一日、本の整理。

この本の「下巻」が見当たらない。もしかしら古書店で「上巻」だけの端本を購入したのだろうか。そんなことを考えながら、中身をパラパラと読む。池波正太郎は大正12年の生まれで、私の父と同い年である。生まれた場所は浅草で、これも私の父と同じである。二人とも生まれて間もなく関東大震災(大正12年9月1日)に遭い、火災の中、命拾いをしたのである。

どうも書庫の整理というのは、サクラダ・ファイミリアの建築工事にも似て、いつまでたっても終わらないものである。

夕食は鶏肉と野菜のレンジ蒸し、水餃子、明太子、ご飯。

容器の蓋を開けるとキャベツしか見えないので、それでは写真写りが悪いので、キャベツを下に、中身を上に持って来て、写真に撮る。傍らで妻が「めんどくさい人ね」という顔で(いや、そう言いながら)、食べ始めている。

 2時、就寝。